自分を信じる
よっこらしょっと。
おとといの夜は、酔っ払いでおしゃべりが盛り上がり、なんだかよくわからない記事を、勢いで書いてしまいました。
投稿したものの、意味がわからん!と思い消したのです。
いまとなっては、なにを書いていたかも定かではないのですが…。
あ、だんだんと思い出してきました。
心理療法について話していたような。
最終的には、どうなったのだろう…。
とりあえず、酔っ払いの議論はとってもおもしろかったです!
こころが疲れているときは、寄り添ってもらう会話が癒されるでしょう。
でも、お互いの意見をぶつけ合うのも刺激的で元気になりますね。
きのうのは議論というよりも、ただ言いたいことを勝手にしゃべってるだけ、だったかも?
言いたいことを言ってスッキリ、というのも、良いですよね!
ということにしましょう笑
そうそう、わたしが言いたかったこと。
いろいろなツールはあるけれど、最終的に行きつく先は「自分」だよね、ということだったと思います。
判断するのは自分。
感じることができるのは、自分だけなのだから。
自分を信じる。
そんなことだったと思います。
とりあえず、今は頭でわかってきた感じ。
これから、どんどん体感して、浸透させていきますよ。
自分の感覚を信じる。
思いついたときにでも、実践してみようっと。
いまを生きる
よっこらしょっと。
さわやかな朝。
わたしの住まいは小学校の近くのため、毎朝元気な子どもたちの声がひびきます。
わたしが小学生のころは、集団登校をしていました。
ときどき、通学路近くの牛小屋から脱走した牛に遭遇することもありました。
うろうろしているだけならいいですが、こちらに気が付いてじっと見つめられると、固まるしかありませんでした。。。
わたしはよく、過去を振り返ります。
なにかあるたびに過去を思い出し、「こう考えてしまうのは、あの時の母のせい」などと原因を探っていました。
そうやって原因を母に見出すのも、辛い経験をもっているからこそだと思っていました。
でも最近、そういうわけでもないとわかり始めてきています。
ひとは、自分というものを知ろうとするとき、必然的に過去を振り返ります。
過去が、現在の自分をつくっているから。
それがどんな過去であろうと。
書いてみて、それは至極当然だと思います。
でも、わたしは全く気が付いていませんでした。
わたしが過去を振り返ってしまうのは、「不幸な過去をもっているから」だとばかり、思っていたのです。
わたしは、「自分を知るために」過去を振り返っていた。
ただ、それだけのことだったのです。
いまのわたしを、きちんと、受け止めてあげよう。
認めてあげよう。
わたしは、わたし自身を、「公平に」みてあげる責任がある。
いままで、ちょっと不幸側に偏りすぎていた。
ちゃんと、幸せ側だってみてあげよう。
というか、そのまんま、そのまんまをみてあげよう。
幸せ、不幸せなんて関係なしに。
そのまんま。
実家に帰ると、当時のことをよく思い出せる。
空気やにおいが、それを手助けしてくれる。
最近、実家に帰るのが楽しい。
もう一度、実家で生きなおしていると言ったら、大げさかな。
やっと、「いま目の前にいる家族」をそのまま受け止められるようになってきたように思います。
わたしが辛い過去を思い出していた時間は、無駄でなかったと思っています。
過去を思い出し、辛い原因を探っても、実際にはなんの解決にもならない。
でも、わたしはそうやって自分を知ろうとしていた。
ちょっと、遠回りしていたのかもしれないけれど、わたしにはその時間が必要でした。
原因がわかれば何かが変わると思っていた。
振り返り、振り返り、自分で自分を辛い思いにさらし続けた。
それが正しいと思っていたし、他の方法も試さなかった。
どんどん自分の内に、過去に、意識が向いた。
でも、いくら振り返っても、なかなか幸せはやってこない。
その方法ではうまくいかないことを、だんだんとわかってきたのかもしれません。
実際にカウンセリングを受けてみました(続きませんでしたが)。
いまとっても幸せそうな生き方をされている方のブログや本を読んでみました。
カウンセリング講座を受講しはじめました。
「こころ」との向き合い方には、様々な考え方、感じ方があることを知りました。
「いまの自分の感情を感じる」ことや、「自分で自分を認める」ことに興味をもちました。
過去からだいぶ時間が経過したことや、兄の結婚を機に家族がそろう時間が増えていたこともあります。
いろいろなことを経て、やっと、過去を振り返ることが全てではないことに、気が付くことができました。
全ての経験に、無駄などありません。
過ぎてみれば「こういうことか!」と思えても、それをあの時に理解できたとは思えませんから。
≪今読んでいる本≫
「こころのバランスが上手にとれないあなたへ」
田中千穂子さん著 (講談社 2004年)
(著書には(東京大学大学院教授)とありますが、現在は退職され現場で活躍されているようです)
夢、ユメ、ゆめ
よっこらしょっと。
今朝、夢をみました。
懐かしい、実家のトイレがでてきたような気がします。
実家の、水洗でなかったころの。
わたしは、夢が好きです。
よく、寝言も言うそうです。
よく、というよりも、ほぼ毎日だそうです。
自分では気が付かない…。
たまーに、自分の寝言で目が覚めることありますよね。
わたしは、叫んだり、大笑いして目が覚めたことがあります。
毎日寝言を言うわりには、最近あまり夢を覚えていません。
以前は毎朝のように夢占いをチェックしていたこともありました。
いま覚えている夢で最も古いものは、わたしが4~5歳のころの夢。
その夢は、ずーっと頭から離れません。
それを見た朝、夢の内容を母に話し、「カラーの夢を見るの?」と聞かれたことも覚えています。
夢で不思議に思うこと。
時々、「あの街」が出てきます。
ある日は「あの街」のスーパーで、また別の日は「あの街」の駅前。
場所が違っても、「あの街」の中のどこかである、という認識があるのです。
おそらく実在はしません。
「あの街」でない夢も、もちろん見ます。
この前の連休に実家に帰り、久しぶりにわたしが使っていた学習机を整理しました。
引き出しに紙切れ。
見てみると、夢の内容が書かれていました。
当時大好きだったアーティストが出てきた夢です。
「一緒に○○した♪」など…笑
それを読んだとたん、すっかり忘れていたその夢を思い出せることも、不思議です。
夢は、無意識の自分が表れているとも言いますよね。
一見なんの意味もなさそうな夢でも、なにかを象徴しているのでしょうか。
さて、今日はどんな夢を見るでしょう…。
おやすみなさい。
