030618の独り言 | 黄昏オヤジの暴発日記

黄昏オヤジの暴発日記

退職後の第二の人生を手探りで進むオヤジのモデルガン+独り言。黄昏に染まりながら気まぐれに発火しつつ、この世の由無し事に毒を吐く(令和4年5月20日・タイトル一部修正)

 徒然に

 

 片手間の本業で、春先から取り組んでいた仕事に一応のけりが付きホッとしている。先々問題が発生する可能性は否定できないが、その点も踏まえ顧客には満足頂いたので良しとする。あとはちゃんと報酬を払っていただけるかだが・・、まぁ信じて待とう。

 

 昨日、発売されたばかりのナガンを入手した。よくこんなモデルを製品化したものだと感心する。リボルバーなので発火させるつもりはないが、5ミリのWキャップが標準というのはちょっとそそるものがある。近いうちに、好きな方々がネットに発火シーンをアップするだろうからそれを楽しみにしていよう。なお、手にして初めて気が付いたのだが、ローディングゲートがシリンダーストップの役目をしていることには驚いた。思わず「へぇ~」。少々高いがそれほど数が出るモデルではないだろうからそこは我慢かな。まぁ満足、満足。

 

 母親が2回目のワクチン接種を完了。やっぱり痛いと嘆いていたし、その夜は少し熱が出て解熱剤を飲んだという。体がだるいともぼやいていた。その程度で終われば一安心というところか。

 私は今のところ様子見であるが、そのことを他人にいうと妙な顔をされる。「なるほど、これが同調圧力か」と自覚した次第。マスコミの論調なども「接種を推進しましょう」が主流だから日陰者扱いされているような感じ。まぁ私はリタイア後の独立開業組であり組織人ではないから、他人様の意見など軽くいなしておけばよい。しかし、会社員など組織人は困るだろうな。特に若い人たちには、ワクチン接種を見合わせたい者がたくさんいるようだが、上司から責められると辛い思いをすることになる。接種希望者全員が接種を完了し、感染が沈静化してしまえば同調圧力も治まるだろうから、それまでの辛抱かな。

 

 五輪。いつのまにか開催することに決まり、いつの間にか有観客に決まった感がある。反対派の負け犬の遠吠えだが、今回の一連の過程を通じて五輪というもののうさん臭さが、世間一般に周知されたことに少しは意義があったと感じる。マラソンの強引な札幌への移転で露呈したIOCの利益最優先の姿勢は、このコロナ騒動を通じ、一層、私たち一人一人の脳裏にはっきりと刻まれた。同時に、ヨーロッパ白人貴族連中の日本人への蔑視・差別も浮き彫りになった。そしてJOCの不甲斐なさ。担当大臣や会長の腰抜け、二枚舌ぶりはどうだ。これが現役時代、あれほど謳われたスポーツ選手だと思うと、情けなくてしようがない。知名度があるだけ馬鹿さ加減が最悪。個々の競技に関しても、あれほどマナーの悪い迷惑なガキの遊びのスケートボードやBMXが種目になるということが理解できないし、次回からはダンスも、と聞き反吐が出そう。すでに「アスリート」という言葉自体が嫌悪の対象。

 この夏、五輪がらみの報道は極力見ないようにするが、それでも目にし耳にしてしまう場合があるだろう。辛い夏になりそうだ。せめてもの思いを込め、選手を含め大会関係者全員に不幸が舞い降りるようにひたすら念じる。そして文春に代表されるハイエナマスコミが選手や関係者の醜聞を暴き立てるよう期待する。この東京の大会、忌まわしき五輪として末永く記憶されるとともに記録は薄っぺらいものとして無視されていくよう切に願おう。

 

 実家で母が使っている電話機が壊れた。母親に頼まれて診てみると受話器を置く場所のフックが、受話器を外しても起き上がらない。受話器を落とした際に内部のバネか何かが外れたようだ。分解すると小さなバネが見つかったがそれを取り付ける箇所が分からない。どうやら引っ掛ける箇所が折れてしまっているもよう。仕方なくNTTに電話したが、これが自動ガイダンスばかりで二進も三進もいかない。そこで怒りを抑えながらメールで状況報告したところようやくNTTから電話があり、担当者が派遣されることになった。

 考えてみると、何かトラブルがありちょっと電話するとたいがい応答は自動ガイダンスばかりになった。短気な私などついつい叩き切ってしまいそうになるが、それでは前に進まないし問題の解決にはならない。致し方なく、我慢してそれに付き合うが、母親のように高齢な者にはこんなシステムはそもそも無理だろう。ワクチン接種でもネットで予約が取れず直接出向く高齢者が多数いたというがよくわかる。サービスの提供側が便利なシステムと謳うのは、提供側に便利なシステムのことなんだなぁと改めて実感。一部の者には、今の世の中、不便な世の中になったには間違いない。

 

 「遊星からの物体X」というSFホラー映画がある。少々古く1982年のアメリカ映画で、監督はジョン・カーペンター、主演はカート・ラッセル。南極基地という閉鎖空間内での敵意に満ちた「モノ」と生存者のサバイバル劇。人間などがこの「モノ」と接触すると吸収されてしまう。そして「モノ」は吸収した生物そっくりに擬態するのであるが、その際の表現がなかなかにグロ。この程よいグロさと誰が「モノ」なのか分からないスリリングな展開、それにエンニオ・モリコーネの恐怖感をあおる巧みな音楽でかなり評判になった。地上波でも何度も放送されたので観た方はたくさんいると思う。元は「遊星よりの物体X」(1951年)のリメイク映画で、のちに前日譚の「遊星からの物体X ファーストコンタクト」も製作された。私も好きな作品なのだが、あまり何度も繰り返して観るタイプの映画ではないと思う。食後、中でもパスタ系、それも溶けたチーズがかかったミートスパを食した後はぜひ避けるべきだろう。

 さて、そんな愉快?な作品であるが、この「モノ」視点で語られた物語があると聞いて驚いた。ピーター・ワッツというSF作家の短編集「巨星」(創元SF文庫)の中の「遊星からの物体Xの回想」がそれ。本屋で発見し、即購入した。これは、面白い!「モノ」は意識のある高度な知性体という設定で、行動の動機も語られている。コアな「遊星からの物体X」ファンにはぜひお勧めである(ほかの短編も面白い)。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・五輪の連中、だれもかれも「モノ」に吸収されちまいな