私はずっと、「感覚で選ぶ」ことを大事にしてきました。

本当は安定した暮らしに憧れもあります。
ちゃんと収入があって、社会的にも安心できるような場所。

だけど、そういう“ちゃんとした”仕事に就いてみても、
なぜかどこか、落ち着かないのです。

誰かの人生をなぞっているような感じがして、
自分の輪郭がぼやけてしまう。

だから私は、アクセサリーをつくったり、
手や感覚を使う仕事を、自分の手で育てていこうとしています。

現実はまだまだ不安定だけど、
感覚を信じて生きていくことを、諦めたくないと思っています。


▼noteでは、もう少し深く綴っています



本日もご覧いただきありがとうございました。


ちゃんと知らないけど、なぜか惹かれる。


昔から私は、「ちゃんと知らなくても、惹かれたら取り入れてみる」タイプだった。


なんとなく良さそう、好きかも、心地いい気がする。

そんな小さな感覚を、暮らしの中にそっと混ぜてきた。


ただ、それを「表に出す」ことには、ずっとためらいがある。

知らないのに語るなんて…と思ってしまう。


でもきっと、完璧じゃなくてもいいんだ。

感じ取った“ひとしずく”を、自分なりに形にしていくこと。

それも立派な表現のひとつなのかもしれない。



こんにちは、maoです。

いつもご覧のいただきありがとうございます。



以前、全身麻酔を受けたときに、不思議な体験をしました。


意識がなくなったはずなのに、自分の身体の中に入っていって、細胞たちの間をトロッコのように移動していたんです。

まるで身体そのものが小さな宇宙で、私はその中を旅していました。


あれ以来、「身体は宇宙だ」と感じるようになりました。

セラピーで身体に触れることは、星のように光る細胞に触れるような感覚。

わたしの中に広がる宇宙と、あなたの中にある宇宙。

そこには、なにか大切なつながりがあるように思います。



▼noteでは、もう少し深く綴っています


本日もお読みいただきありがとうございました。




こんにちは、maoです。

いつもご覧のいただきありがとうございます。




「アミニズム」という考え方を知ったとき、

それは名前のない、でもずっと感じていた感覚にピタッと重なりました。


石にも、火にも、水にも、手にした道具にも、

どこか“気配”のようなものがあると感じてしまう。

子どものころから、私はそういう世界を生きてきたように思います。


アクセサリーをつくるときも、

セラピーで身体に触れるときも、

ただ「形」や「不調」ではなく、そこにある“何か”とやりとりしているような気がしています。


信じている、というより、ただ“感じている”。


それが、私にとってのアミニズムです。



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本日もご覧いただきありがとうございました。




こんにちは、maoです。

いつもご覧のいただきありがとうございます。




最近、自分のこれまでのことを、少しずつ綴りはじめました。

10年以上アクセサリーを作り続け、今はセラピストとしても活動しています。
ずっと「ちゃんとしなきゃ」「整えなきゃ」と思って生きてきたけれど、
最近ようやく、「整わないままでも、生きてていいんだ」と思えるようになりました。

日々の中で感じていること、
身体と心のこと、
揺れながらも進んでいる今のこと。

そんなことを、noteという場所で綴っています。



ととのわない日々を、在るままに。
そのままの自分に、やさしくなれるように。
そんな想いで書いた記事です。

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今後も、こちらのアメブロでは近況やお知らせなどを、
noteでは少し深く綴っていく予定です。
どちらも、よろしくお願いします。

mao