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福岡県の学習塾コンサルタント|学習塾運営の手引き

福岡の学習塾コンサルタントが語る、塾運営のヒント満載ブログ。
開業から集客、講師育成まで、現場で役立つ実践的なノウハウをやさしく解説。塾の魅力を引き出し、長く地域に愛される運営をサポートします。

教室を開校する際には、さまざまな準備が必要になります。電話や机、いす、パソコン、ブース、本棚などの物品の購入に始まり、コピー機や防犯設備、メール配信システムといったリース契約も必要になるでしょう。これらの契約や購入に際して、費用を抑えるために「値引き交渉」をしたくなる気持ちは理解できます。しかし、私はこのような場面においてこそ、「値引き交渉をしない姿勢」が極めて重要だと考えます。

 

確かに、複数の業者から見積もりを取り、それをもとに比較検討を行うことは必要不可欠です。そして、業者との会話を通してサービスの詳細や価格に関する情報を収集することも重要でしょう。しかし、その過程で「値段を下げてください」とこちらから言ってしまうと、長期的な関係に大きなマイナスの影響を及ぼす可能性があります。

 

なぜなら、業者側にとっても取引相手は選ぶ対象であり、信頼できる、長く付き合っていける相手であるかどうかを見極めているからです。こちらが値段にばかりこだわり、値引きを要求するような姿勢を見せてしまうと、相手から「このお客さまは価格しか見ていない」と判断され、将来的に優遇される機会を自ら失ってしまうのです。

 

一方で、「値引き交渉はしないが、相手の誠意を見極めながら最適な一社を選ぶ」という姿勢を貫くと、相手からの信頼を得やすくなります。そして、信頼関係が築かれた結果として、「いつもお世話になっているので、今回は特別に…」といった形で、無料のオプションや特別対応を受けられることも増えていきます。これは単なる「金銭的な得」ではなく、ビジネスにおけるパートナーとしての信頼に基づいた厚遇です。

 

つまり、目先の金額の違いにこだわって短期的な利益を追うよりも、誠実な姿勢を持って業者と信頼関係を築き、長期的にメリットを享受する方が、はるかに価値があるのです。特に教室という、地域や保護者、生徒との長期的な信頼を前提とする事業においては、取引先との関係にも同様の視点が求められるはずです。

 

「いいお客様」であることは、単にお金をたくさん払うことではありません。相手の誠意を尊重し、自らも誠実な態度で接することで、相互にとって良好な関係が築かれていきます。そして、それこそが教室運営の土台となるべき「信頼」の始まりなのです。

 

したがって、教室開校時においては、あえて値引き交渉を行わず、相手との関係を大切に育てていく姿勢を貫くことが、最終的には最も得をする選択だと断言できます。

塾の先生として教壇に立つとき、忘れてはならないのは、自分が「親」でも「学校の先生」でもなく、「塾の先生」であるという立場です。これは当たり前のように思えるかもしれませんが、実際に指導の現場では、この境界が曖昧になってしまう場面が少なくありません。

 

塾の先生たちを見ていて残念に思うことのひとつは、知らず知らずのうちに「お父さん」や「お母さん」あるいは「学校の先生」になってしまっている先生がいることです。たとえば、「なんでそんなこともできないの?」「ちゃんとやりなさい」など、家庭や学校でよく聞くような叱責の言葉を使ってしまうと、生徒はその先生に対して拒否反応を示しやすくなります。それどころか、塾そのものに対して苦手意識を持ち、「もう塾をやめたい」という気持ちにまでつながってしまう可能性があります。

 

塾に通う子どもたちは、学校とは違う空間、家庭とは異なる距離感の中で、「少し特別な学び」を期待していることが多いのです。だからこそ、塾の先生は学校でも家でも得られない学びの楽しさや、知ることへの興味を引き出す存在であるべきです。厳しさが必要な場面も確かにありますが、そのときの言葉選びや態度に細心の注意を払うことが求められます。

 

特にベテランの先生ほど、長年の経験からくる自信や習慣で、「指導=叱る」「指導=矯正する」というスタイルに陥りがちです。しかし、指導の本質は「導くこと」です。一方的な押しつけや感情的な叱責ではなく、生徒が自ら前向きに学ぼうと思えるような働きかけが重要です。そのためには、相手をよく観察し、理解し、信じる姿勢が必要です。

 

「親のような態度」とは、たとえば感情が前に出すぎてしまうことや、理屈ではなく「こうあるべき」という価値観を押しつけることを指します。また、「学校の先生のような態度」とは、成績や行動だけで生徒を評価し、一律の基準で指導しようとすることを意味します。塾の先生は、そのどちらでもなく、「学びのサポーター」であるべきです。生徒一人ひとりの個性や状況に寄り添い、学ぶ意欲を育てることが何よりも大切です。

 

私自身も、塾で出会った「先生」の言葉に背中を押された経験があります。その先生は決して叱ることなく、常にフラットな姿勢で、私の小さな成長にも目を向けてくれました。そのような先生の存在は、今も私の中で生き続けています。だからこそ、塾の先生は、生徒にとって「学びを肯定してくれる存在」であり続けてほしいと強く思います。

 

最後に、「先生」という言葉は「先に生まれた人」と書きます。つまり、知識や経験を少し先に得た者として、後に続く者を温かく導くことが求められているのです。決して威圧することなく、押しつけることなく、尊敬される存在として、子どもたちと向き合ってほしいと思います。それが、「塾の先生」としての真の在り方なのではないでしょうか。

塾の先生の服装について考えるとき、私は「統一されたユニフォームがもっともふさわしい」と考えます。なぜなら、塾という場が単なる学びの場所ではなく、「教育サービス業」としての性格をもっているからです。そして、そのサービスを受ける側――つまり子どもや保護者にとって、先生の外見は信頼や安心感に直結する大切な要素となるからです。

 

まず、教育の場において「先生」と呼ばれる存在には、一定の威厳や信頼感が求められます。もし、その先生がラフな私服で授業をしていたらどうでしょうか。いくら話が面白く、教え方がうまくても、「この人に子どもを任せて大丈夫だろうか?」と不安に感じる保護者も少なくないはずです。たとえば、病院に行ったとき、医者がジーパンにTシャツ姿だったら、多くの人は戸惑うでしょう。同様に、レストランでコックが私服だったら、料理の衛生面にも疑いをもつかもしれません。それと同じことが塾の先生にも言えるのです。

 

ユニフォームやスーツといったきちんとした服装は、「私はこの仕事に誇りと責任をもっています」という無言のメッセージになります。そして、これは単なるイメージの話ではなく、実際に保護者の多くが重視しているポイントでもあります。たとえ私服でも熱心に指導してくれる先生はいるでしょうが、隣にスーツやユニフォームでビシッと決めた塾があった場合、やはりそちらに信頼が傾くのは当然の流れです。つまり、服装は塾そのものの「ブランド価値」や「第一印象」に関わる重要な要素なのです。

 

また、ユニフォームが導入されている塾では、先生同士にも一体感が生まれます。服装が揃っていると、教室の雰囲気にも統一感が出て、生徒にとっても安心感のある学習環境になります。これは企業や学校といった「組織」の強みでもあり、内部の秩序やプロ意識を高める効果もあるのです。

 

したがって、私は塾の先生の服装として、私服は避けるべきだと考えます。少なくともスーツ、できれば統一されたユニフォームが望ましいです。教育は信頼関係の上に成り立つものであり、その信頼を築く第一歩が「見た目」――つまり服装なのです。服装に気を配ることは、保護者や生徒への誠意を示す行為でもあります。これからの教育現場において、先生方の服装にもより一層の配慮がなされるべきだと私は考えます。

学習塾における教育の質は、「講師力・授業力」という“商品”によって決まるといっても過言ではありません。その商品を磨き続け、真に価値あるものとするためには、教室長がどのように講師を育てるかが極めて重要です。その鍵となるのが、「競争」「共創」「共奏」の3つの「きょうそう」によるシナジーです。私はこの3つの「きょうそう」が実現されている塾こそが、講師力で他を圧倒し、結果として生徒や保護者から選ばれる存在になっていると確信しています。

 

まず、「競争」について考えてみます。競争というと、時にギスギスした空気やプレッシャーを連想しがちですが、適切な競争は成長の源です。互いに高め合い、良きライバルとして切磋琢磨する環境は、講師のスキルや授業の質を大きく引き上げます。成績アップや満足度向上という結果が目に見えて表れることで、講師自身も自信と誇りを持つことができます。

 

次に、「共創」は、講師たちが個々の知識や経験を持ち寄り、新しい価値を生み出す過程を意味します。例えば、授業の進め方や教材の工夫、あるいは子どもとの接し方など、一人では見えにくかった改善点や工夫が、仲間との対話を通して浮き彫りになります。講師間での意見交換やミーティングが活発な塾ほど、創造性に富んだ指導が可能になります。

 

そして最後に、「共奏」。これは音楽のアンサンブルのように、講師それぞれが自分の役割を理解し、全体の調和を意識しながら生徒に向き合う姿勢を意味します。授業という舞台の上で、講師と生徒、あるいは講師同士が調和しながら学びを奏でる。その一体感が、子どもたちの安心感と学ぶ意欲を引き出すのです。

 

この3つの「きょうそう」が有機的に機能するとき、講師は「ここで働けて良かった」「もっと頑張りたい」と心から感じられるようになります。そうした前向きな気持ちが、授業にもにじみ出て、生徒の学力向上や意欲向上につながります。その結果、体験生はほぼ確実に入塾し、通常の退塾はほとんど発生しないという好循環が生まれるのです。

 

こうした環境を築くことができれば、教室長は経営や人材育成に追われるばかりではなく、自身の理想とする教育を追求する余裕が生まれます。つまり、3つの「きょうそう」のシナジーを育むことは、単に講師育成のための手段ではなく、教室全体を理想的な学びの場へと変えるための本質的なアプローチなのです。

 

学習塾における講師の力とは、生徒の未来を支える大きな柱です。その柱を強く、しなやかに育てていくためにも、教室長が「競争」「共創」「共奏」という3つの「きょうそう」の調和を意識しながらリーダーシップを発揮することが、これからの塾運営に求められているのではないでしょうか。

私が塾を開く理由は、単なる知識の詰め込みや受験のための学力向上を目的としたものではありません。もっと根本的な問い、「なぜ学ぶのか」「なぜこう考えるのか」といった“なぜ”を大切にし、それを子ども自身が問い、考え、言葉にできるような場をつくりたいという強い想いがあるからです。そして、それは何よりもまず、私自身が「なぜ塾をつくるのか」と問い続けることから始まっています。

 

今の教育現場では、子どもたちが抱く素朴な疑問や、学びに対する違和感が軽視されがちです。「これは覚えなさい」「このやり方で解きなさい」というような一方向の指導があまりに多く、子どもたちは次第に「自分の考え」や「自分の疑問」を口にしなくなっていきます。私はその現状に強い危機感を抱いています。

 

だからこそ、私の塾では「なぜ?」という問いを何よりも尊重します。子どもたちが自分自身で「なぜ?」と問い、思考の筋道を立てていく経験こそが、真の意味での学びであり、将来にわたって役立つ力になると信じているからです。正解を教えるのではなく、正解にたどりつくまでのプロセスを共に考える。その中で「間違えること」「遠回りすること」も肯定し、失敗から学ぶことの大切さを実感できる塾にしたいと考えています。

 

そして、そのような学びの場をつくるためには、何よりも私自身が「なぜこの塾が必要なのか」を深く考え続けることが不可欠です。ただ勉強を教えるのではなく、子どもたちの人生の一部に寄り添い、彼らの内にある問いに共鳴できる存在でありたい。子どもたちが自分自身に対して問いを持ち、それを言葉にできる力を育む――それが、私の塾がこの社会に必要な理由です。

 

このような想いをもとに開く塾であれば、ただの学習塾ではなく、「思考する力」を育てる場として、子どもたちや保護者の方々から信頼を寄せていただけると信じています。だからこそ、私は「なぜ私の塾なのか」「なぜ私の塾が必要なのか」という問いをこれからも自分に投げかけ続けながら、一つひとつの子どもと真摯に向き合っていきたいと思います。