人間関係を作るメリット・デメリット

 

人間関係を築くことには多くのメリットとデメリットが存在します。

ここでは、それぞれの側面について考えてみましょう。

  メリット

 

  1. 感情的サポート
    人間関係は感情的なサポートを提供してくれます。困難な状況に直面した時、友人や家族とのつながりが心の支えとなり、ストレスを和らげます。研究によると、強い社会的サポートは幸福感を高め、ストレスや不安を軽減するとされています。

  2. 自己成長
    人と関わることで、自分自身を見つめ直す機会が増えます。人からのフィードバックを通じて、自分の弱点や改善点を認識し、成長の機会を得ることができます。また、異なる考え方や価値観に触れることで、視野が広がり、自己成長が促進されます。

  3. 情報や知識の共有
    人との関わりからは、多くの情報や知識を得ることができます。例えば、同僚や友人から仕事や趣味に関する新しい知識を教えてもらったり、生活に役立つ情報を得たりすることができます。この情報の共有は、より良い選択をする助けになります。

  4. 幸福感と満足感
    良好な人間関係は、幸福感をもたらします。信頼できる仲間との絆があると、日常生活が豊かになり、感情的にも安定します。また、共通の目標を持った人々と協力することは、達成感や満足感を生み出します。

 

  デメリット

 

  1. ストレスやトラブル
    人間関係が悪化したり、期待や信頼が裏切られたりすると、大きなストレスの原因になります。また、意見の食い違いや誤解から生まれるトラブルも、心の負担となりえます。職場や家庭での人間関係が原因で、うつ状態になるケースも少なくありません。

  2. 時間とエネルギーの消耗
    人間関係を維持するためには、時間とエネルギーが必要です。頻繁なコミュニケーションや人との付き合いは、特に多忙な生活を送る人にとっては負担となることがあります。また、人付き合いにおいて「義理」や「責任」を感じる場面もあり、それがストレスにつながることもあります。

  3. 自分の時間の減少
    人と付き合うことで、時に自分の時間が奪われることがあります。特に、人間関係を優先するあまり、自分の趣味やリラックスする時間が減少すると、生活の質が低下する可能性があります。これは、特に内向的な性格の人にとっては大きなデメリットとなり得ます。

  4. 過度の依存
    一部の人間関係は、依存的になるリスクがあります。特に、感情的なサポートを受けすぎると、自立する力が弱まり、自分自身で問題解決ができなくなることもあります。また、依存関係が生じると、その関係が断たれた時に大きな喪失感や孤独感を感じることが多いです。

 

  まとめ

人間関係は、感情的なサポートや自己成長、情報の共有といった多くのメリットを提供してくれます。しかし、一方でストレスや時間の消耗、過度な依存といったデメリットも存在します。重要なのは、良好な関係を築きつつ、バランスを保ちながら自分の時間や心の健康を大切にすることです。

 

 

  私見のお話し

 

人間関係。

正直苦手なことの一つ。

私は人の気持ちを知ることが苦手なことの一つだから。共感って言うのはなかなか出来ない。

だから、人間関係の重要性より自分自身との向き合う時間の大切さと話している。

ただ、話しがビジネス・お金を稼ぐことになると話は別だろう。

会社で働くとしても、個人事業を営むにしても、お客さんが居て成立する物だから。

人間関係はお金に絡んだ時にどうしても必要になる。

 

何かをしたい!って思った時にも、自分が持っていないスキルや知識が必要になるだろうし、経験は重要な力になる。

そう思うと、人間関係が必要になるのは良く分かるし、

お客さんを求める以上、ニーズを知る為には関係なくして知ることは出来ない。

 

人を見て、人を知って、人と関係を作っていくことが、ビジネスでの成功に繋がっているのは間違いないだろう。

でも、だからと言って自分を見失ってしまったり、お金の為・仕事の為だけに自分を犠牲にして生きていくことが正しいとは言いたくない。

 

自分の為にお金を求めてビジネスをするのが前提なのに、他人の為に働いて、他人の顔色を伺う・ニーズに合わせるために、自分が望まないモノを用意するのは、ストレスになるんじゃないか?

もし、自分が望まないモノ・コトをすることでお金を稼げて、ビジネスで成功したとしても、自分がストレスや負担でダメになったら、人生での成功と言えるのか?

 

正直、私は否定したい。

 

あくまで、私は・・・自分の望んだものや、自分の好き・大切の為に行動した先で、

誰かの幸せや感謝に繋がって、お金が発生する結果が一番素敵だと感じてしまう。ただの偽善者なのかもしれない。

ふたりごとはIBJ正規加盟の結婚相談所です

もう少し、ADHDの可能性について考えてみたい。

 

昨今、「発達障害」や「適応障害」なんて言葉が街にもネットにも溢れかえっている。 

 

要するに、普通じゃない、健常じゃない、

当たり前っていう基準に適合できない相手への「異端者の烙印」みたいなもんだ。

 

かくいう私も、絶賛ADHDなわけで。 

 

これでどれだけの人に迷惑をかけて、不満を抱かせて、不快にさせてきたか?

なんて枚挙に暇がない。本当に申し訳ないと思う。

向いてない世界で、5分だけ「無双」して生きる。

 

でもさ、そんな私が思うのは、 「適材適所じゃないだけだろ?」

 っていう、開き直りの言い訳だったりする。

 

もちろん、そんなことを言えば、 「そう思うんなら、そっちに行けよ!」

って怒られる。

 

だから、さらに申し訳ないと重ねて謝るしかない。

 

だって、行けないから。 今の場所で迷惑を掛けながらでも、必死に生きているわけだから。

 

じゃあ、活躍できる場所ってどこにあるの? そこで生活基盤が整うだけの給料が貰えるの?

 って思ったら、そんなの簡単じゃないことくらい分かり切っている。

 

工場や事務なんて、私にとっては苦行で「地獄の方がまだ快適」なんて言いかねない。 

 

じゃあ、営業はどうだろう?

相手の些細な変化や機微に敏感に反応するセンスはあるはずだ。

あちこち見ている分、変化にはすぐ気づける。 

 

電気屋さんで何を買えばいいのか迷っていそうな人を見つけて声をかけるなんて、

案外すんなり出来そうじゃないか?

 

その独特な視点があれば、営業先でも新しいプレゼンを思いつくかもしれない。

会話の冒頭5分なら、かなり面白いトークも出来るだろう。

 

問題は、それを継続できないこと。 

 

だったら、その場限り、その瞬間に全振りできる方向性の仕事なら、もしかすると天職になるかもしれない?

文章だってそうだ。 

エッセイとかブログを書くのは面白い。

私もこうして書いている。

まぁ、需要はないし金にもならんけどwww

 

小説みたいに長編や継続的な執筆はきっと無理だ。

でも、短い文章なら書ける。その時に思ったことを、一気に言葉にすることなら出来る。

 

だったら、それも自分の特性の一つなんだと思う。

 

  「諦める」じゃなくて「明らかにする」

自分の特性を知ることが出来れば、

もしかしたら、今まで無理して頑張っていた何かを手放すことが出来て、

多少なり気持ちが楽になることだってある。

 

きっと、それを「諦め」と言うことも出来るんだろう・・・。

 

でも私は、

「明らかにして、受け入れる」

って言う方が好きかな。

 

出来ないものは出来ない。 向いていないものは向いていない。 

苦手なものは苦手。 それを明らかにして、受け入れる。

それは、全部を投げ出すこととは違うと思う。 

 

むしろ、出来ないことが分かれば、「じゃあ、自分には何ができるんだ?」って次の手を考えることができる。

  好きなことだけで生きられない

ただ、「出来ないことを頑張らなくてもいい」なんて甘い話でもない。 

だって、生きるためには選択の余地が無いことなんて往々にしてあるから。

 

どれだけ今の仕事に向いていなくても、辞めるわけにはいかない。 

「好きなことだけやればいい」 「出来ることだけやればいい」 

そんな投げやりな綺麗事なんかで、誰も救われやしない。一度きりの人生を乗り切るだけで、こっちは精一杯なのだ。

 

私自身、好きなことだけで生きられないことなんて重々知っている。 

 

だから、向いていない世界の会社で、今日も泥臭く藻掻いている。

 

それでもさ。 

もし、天職なんて可能性があるんだとしたら? 

そのほんの少しでもかじってみたいと思うのが、人の性じゃない?

 

ほんの少しでも自分の可能性を感じたい。

向いている世界で求められて、認められたい。 

・・・少なくとも、私はそう思う。

  クモの糸を探す

だから、どれだけ現実に忙殺されていても、ほんの少しでも可能性があるならと思ってブログを書く。

一度きりの人生だからって、散々荒波に飲み込まれて溺れたから、藁にもすがる思いでクモの糸を探して彷徨う。 

 

5分だけの無双トークに全振りして、配信してみたりもする。

ブログだって鳴かず飛ばずですよ。

とにかく、やってみるわけですよ。 上手くいくかは別問題。 

 

結局は向いていない社会で、今日も藻掻くことになるんだけどさ・・・

 

それでも、自分の向き不向きを知って、考えて、感じてみる。 

それだけでも、可能性に縋るための力にはなるじゃない?

 

「もしかしたら、こっちなら何かできるかもしれない」 

そのほんの少しの感覚を持っているだけでも、今を乗り切る糧になる。

 

天職が見つかる保証なんてない。

ブログで食える保証も、配信が上手くいく保証もない。 

それでもやってみる。

 

だって、「もしかしたら」があるかさ(笑)

私は、それって十分素敵なことだと思うよ。

ワンチャンよwww

 

縁が無かったと言えるのは、行動した人の特権

 

欲しいものが手に入らない

願ったことが叶わない

想いが届かない

いつだって、私達の現実は思い通りにはいかないし、世の中は私達にとっても過酷で冷たい。

 

周りに気を許せる友人は・・・・

本当の気持ちを伝えられる存在は・・・・

自分のコトを分かってくれる誰かは・・・

 

それすらも縁なのかもしれない。

でも、待っているだけでは何にも出会えないし、見つけられない。

 

私が待っていて、あなたも待っていたら・・・・

私とあなたが出会うことがあるのかな?

 

私は、大切な何かを大切にするためには、大切にしたい想いと、行動が必要になる。

 

  必要なモノは、常に自分の近くにある。

 

 

確かにそうだろう・・・。必要なモノは近くにある。

だから、手に入らないモノは、手を出す必要が無かったから。

手に入れる必要が無いから、手に入らない。

 

そして、今あるモノを大切にする。

 

大切なモノを大切にする方法は、同じ時間を共有すること。

自分の近くにあるからこそ、同じ時間の中に居るからこそ、大切にすることが出来るから。

 

大切に出来ないモノは、手に入らないようになっているのかもしれない。

 

でも、それは・・・・

 

全ての行動をした人にだけ、言える言葉。

大切なモノを大切にする為に、行動して

自分が願っているモノを手に入れるための行動をして、

願いを叶えるための行動をして、

 

自分の気持ちを大切にして、気持ちをしっかり聞いて、受け入れて、

自分自身の為に行動をした人が言う言葉。

 

手に入らなかったモノ、願っても叶わなかったこと、

実現できなかったことを、受け入れるために使う言葉。

 

それが・・・・

 

『縁がなかった。今の自分には必要が無いから、手に入らないだけだった。』

 

今まで、積み上げてきた全てのモノを、受け入れる時に

自分に対して言うことが出来る言葉で、

 

行動していない人が言うと、ただの言い訳になってしまう。

  私達が縁のあるなしを言えるのは、自分の想いを聞いて行動したとき

 

縁を掴むのも、行動の結果でしかない

 

何も行動しない。

それも確かに選択の一つ

 

縁が来るのを待つのも

選択の一つ

 

今あるものを大切にするもの

素敵な選択

 

そして・・・・

自分の願いを叶えるために行動してくことも

大切な選択の一つだろう

 

縁があるかどうかは、もちろん・・・

「袖触れ合うも他生の縁」

あると思います。でも、その縁を掴むかどうかは、行動次第。

 

行動しない時には、縁はすれ違いで終ってしまう。

そして、出会いを大切に出来たり、縁を繋いでいけるかは別問題だろう。

 

願いを叶えるため

縁を繋げて、引き寄せる為

自分が大切にしたいって思える縁を大切にしたいって思うなら、

 

その為の行動が必要になる。

縁を大切にするためには、大切にする為の行動が絶対大切になる。

 

でないと、縁が無かったと・・・・

自分以外の誰かのせいにしてしまう。

 

誰かのせいにするのは、とても簡単。

「縁がなかったのは、相手が望んでいなかったから」だって、

「繋がらなかったのは、相手が必要じゃなかったから」って

 

それは、誰かを否定していて、自分を否定しているだけです。

 

縁を語るのは・・・・

自分の気持ちと、自分自身を大切にすることが出来てから

相手・人やモノやお金だとしても、自分が望んでいるのかどうかを、自分が分かってから

 

自分が望むことがあるのなら、その為に行動していないのに

縁が無かったと言うのは、言い訳でしかない。行動しなくていい言い訳をしているだけ。

 

願いを叶えることも

何かを大切にすることも

自分を知ることも

 

行動なしにはあり得ない。

 

行動した人だけが、手に出来なかった時に自分が受け入れるために

『縁がなかったから』と思うことが出来る。

 

ふたりごとはIBJ正規加盟の結婚相談所です

「今日はこっちにしてみよう!」

私の晩御飯は、蕎麦とパスタ・・・あとは?ん~それくらいのローテです。

あんまり、珍しいものは作れないし、料理は苦手

だから、たまに外食する時は楽しみなんだけど・・・

いつものお店に行ってしまうから、また、同じメニューを頼むんですよ。

だって、好きですから仕方ない(笑)

未来も運命も分からない。だから、今ある選択を大切にしたい

運命って分からない・未来のことだって、もちろん分からない。

 

「これを選んだら、きっとこうなる」なんて、誰にも分からないわけで。

だから私は、未来をどうにかしようとするより、今ある選択を大切にしたいなって思うんだ。

 

だって人生って、結局ずっと選択の連続じゃない?

今日何を着る?

何を食べる?

休日はどこへ行く?

いつもの道を通る?

それとも、今日はちょっと違う道を歩いてみる?

そんな小さなことまで、全部選択なんだよね。

 

もちろん、何でも自由に選べるわけじゃない。

 

お金がないから安いものを選ぶこともあるし、時間がないから近くにある服を着ることもある。

面倒だから、いつものドレッシングをかけちゃうこともある。

 

ランチだって、本当は食べたいものじゃなくて、値段で決めることだってある。

「好きなものを自由に選べばいい」なんて、現実はそんな簡単じゃない。

選ぶ前に、選ばざるを得ない理由があることも多いからね。

 

でも、そんな中でも、

「今日はこっちにしてみようかな」

って思うことがある。

私は、そこに自分らしさがあるんじゃないかなと思う。

 

  「今日はこっちにしてみよう」が凄い

例えば、いつも目玉焼きには醤油をかける・・・として、

もう「目玉焼きには醤油でしょ!」っていうくらい、当たり前になっている。

でも、ある日ふと思う。

「今日はソースにしてみようかな?」

これって、今まで醤油を選んできた経験があるからこそ生まれるんだよね。

 

何も経験していなければ、「いつもと違う」なんて考えようもない。

いつも醤油だったからこそ、ソースという選択肢が気になる。

 

いつも電車で通勤しているからこそ、

「今日は歩いてみようかな」

と思える。

 

いつもビールを飲んでいるからこそ、

「今日はハイボールにしてみようかな」

と思える。

 

今までの経験があるから、「今日は」が生まれるんだと思う。

そして、その「今日は違う」を選んでみる。

 

すると、新しい経験が一つ増える。

その経験が、次の選択の理由になる。

これって、凄いことじゃない?

 

  いつも通りだって、ちゃんと次に繋がっている

じゃあ、今日も醤油を選んだらどうなる?

何も変わらない?

 

私は、そうでもないと思うんだ。

「やっぱり醤油が一番だな」と思うかもしれない。

 

逆に、

「そろそろ飽きたな」

と思うかもしれない。

 

どっちにしたって、今日の選択が次の選択の理由になる。

 

つまり、

今の選択が、次回の選択の理由を作っている。

 

これが面白いんだよね。

違うものを選んでも経験になる。

いつも通りを選んでも経験になる。

その経験が、次の自分に渡されていく。

 

だから人生って、

「一回の大きな選択で未来が決まる」

というより、

「選んで、経験して、その経験をもとにまた選ぶ」

その繰り返しなんじゃないかな?

  自分らしさって、積み重ねなのかもしれない

好きなものも、嫌いなものも、こだわりも、習慣も。

最初から全部決まっていたわけじゃない。

 

「これを食べて美味しかった」

「これは嫌だった」

「あの人と話して楽しかった」

「この人とは合わなかった」

 

そんな経験が積み重なって、

「私はこういうのが好き」

「私はこういうのが嫌い」

になっていく。

 

だから今の自分の選択って、過去の自分が積み重ねてきた結果でもあるんだよね。

 

そして、今日の選択は、これからの自分の材料になる。

そう考えると、自分らしさって、どこかに完成品として置いてあるものじゃないのかもしれない。

 

毎日の小さな選択の中で、少しずつ出来上がっていくものなのかもしれないね。

 

  だから、些細な選択を大切にしたい

未来は分からない。

運命も分からない。

 

どんな選択をしたら、どんな未来になるのかなんて、誰にも分からない。

 

だから私は、未来を一生懸命選ぼうとするより、今ある選択を大切にしたい。

今日、何を着るのか。

何を食べるのか。

どこへ行くのか。

誰と話すのか。

話さないのか。

いつも通りを選ぶのか。

 

それとも・・・?

「今日はこっちにしてみよう」

と、ちょっと違うものを選ぶのか。

 

その一つ一つが、次の自分の選択の理由になる。

 

一回の選択で人生が変わるわけじゃない。

でも、その選択が経験になって、その経験が次の選択を作っていく。

 

そうやって積み重なったものが、いつか「人生」になっていくんじゃないかな。

 

だから、迷ったっていい。

決めあぐねてもいい。

いつも通りを選んだっていい。

今日は違うものを選んだっていい。

私は迷うときは、手放すこともある。

 

でも、悩むときは踏み出したい。

 

迷っているのは、誰かに決めてもらいたくなっているとき。

悩んでいるのは、自分で踏み出す勇気が欲しいとき。

 

そんなふうに思っているから。

だから、その選択。

存分に迷って、悩んで、決めあぐねていいと思う。

 

だって、それも人生だから。

未来も運命も分からない。

だからこそ、

今、目の前にある選択を大切にしたい。

「今日はこっちにしてみよう」

その小さな選択が、新しい経験を作る。

 

その経験が、次の選択の理由になる。

そうやって今日の自分が、まだ知らない明日の自分を少しずつ作っていく。

 

だったら、目の前の些細な選択を大切にするには……

それだけで、十分な理由じゃない?

シンプルフレーズは結婚について最近よく考える。

私は、結婚失敗している側だから・・・偉そうには言えないけど

それでも、知っていることがあるから考える。

経験しているから考える。

感じたことがあるから考える。

相手が悪いのか?自分が悪いのか?

でも、きっと私が悪いんだろうとは思うけどね・・・

人と人の縁って、本当に不思議

人と人の縁って、本当に不思議なものだと思う。

たまたますれ違った人。
同じ学校になった人。
同じ職場になった人。
画面の向こうで出会った人。

そんな人たちと、同じように出会って、同じようにすれ違っていく。

 

その中のほんの一部と、友達になったり、仲良くなったり、特別な関係になっていく。

 

考えてみれば、人と人が特別な関係になるって、ものすごく稀有なことなんですよね。

しかも、その関係はとても儚くて淡い。

ちょっとした言葉で、良くも悪くもなる。

第一印象の見た目や雰囲気だけで、相手を良く思ったり、苦手だと思ったりもする。

相手のことを何も知らないのに、人は簡単に人を判断してしまう。

 

それが人間なんだろうな、と思う。

  人を知るには、時間がかかる

本当は、人って一度会っただけでは分からない。

何度も話して、くだらない話をして、一緒に過ごして、ちょっと嫌なところも見えて、それでも一緒にいる。

 

そういう時間の積み重ねで、ようやく、

「この人って、こういう人なんだな」

と分かってくる。

 

ところが、今はみんな忙しい。

仕事に家事に趣味に、自分の時間。

誰もが時間に追われている。

だから、人を知るための時間も、そのために使う労力も少なくなっている。

 

「誰かと繋がりたい」と思っていても、関係を一から作っていくことは、結構面倒くさい。

連絡を取る。
予定を合わせる。
相手の気持ちを考える。
嫌われるかもしれない。
断られるかもしれない。

人との関係って、案外コストがかかるんですよね💦

  タイパとコスパのいい繋がり

だから今は、タイパやコスパのいい出会いを求めるようになった。

 

異性とは繋がりたい。

でも、できるだけ自分にとって都合のいい関係がいい。

 

そんな気持ちがあっても、不思議ではないと思う。

マッチングアプリやSNSなど、ツールを介した出会いが増えたのも、そういう時代だからなのかもしれない。

 

もちろん、ツールが悪いわけじゃない。

 

むしろ、ツールによって今までなら出会えなかった人と出会えるようになった。

遠くの人とも繋がれる。

趣味や価値観の合う人を探すこともできる。

人と人の繋がり方が多様になったことで、可能性も自由も増えた。

 

これは、とても大きなことだと思う。

  でも、人間関係は効率だけでは作れない

ただね・・・

出会うことは効率化できても、人を知ることまでは効率化できないんじゃないかな。

 

人を好きになることも。

信頼することも。

一緒にいることが心地よくなることも。

 

それには、やっぱり時間が必要なんだと思う。

「この人と会うことに、どんなメリットがありますか?」

 

なんて考えていたら、こぼれ落ちてしまうものもある。

なんとなく話した。

なんとなく楽しかった。

気が付いたら、また会っていた。

 

そんな一見すると無駄な時間の中から、人との関係が生まれることだってある。

 

人間関係には、どうしても余白が必要なんだと思う。

  じゃあ、何を選べるんだろう?

 

人との繋がりが自由になったからといって、何もかも選べるわけじゃない。

条件は選べる。

年齢も、距離も、趣味も、仕事も、価値観も。

でも、その人を好きになるかどうかは選べない。

相手が自分を好きになるかも選べない。

一緒に暮らしたらどうなるかなんて、もっと分からない。

つまり、私たちが選べるのは、人間関係のほんの一部分なんですよね。

だからこそ、

「自分は、どんな人と繋がりたいんだろう?」

ということを考えることが大切なんじゃないかな。

 

  仲人は、出会いを繋ぐだけじゃない

私は、結婚相談所の仲人って、単純に「人と人を繋ぐ仕事」ではないと思っている。

 

出会いの場を作るだけでもない。

「あなたには、この人が合っていますよ」と答えを決めることでもない。

 

もっと手前にあるもの。

 

その人自身が、

「私は何を求めているんだろう?」

と気付いていくこと。

何を求めているのか。

何が必要なのか。

何が足りないのか。

どんな人と繋がりたいのか。

どんな関係を作っていきたいのか。

 

そこを一緒に考えていく。

私は、その過程をエスコートしていきたいと思っている。

  「相手探し」の前に「自分を知る」

例えば、「優しい人がいい」と言ったとしても、

「どうして優しい人がいいんだろう?」

と考えてみる。

 

「安心したいから」なのかもしれない。

「大切にされたいから」なのかもしれない。

「自分のことを理解してほしいから」なのかもしれない。

 

そうやって考えていくと、最初に言っていた「優しい人」という条件の、その奥にあるものが見えてくる。

 

そして、自分が求めるものだけじゃない。

「自分は相手に何を渡せるんだろう?」

ということも見えてくる。

 

人との関係は、一人では作れないから。

 

  相談所という「安全マージン」

人と人の縁は、どこまでいっても合縁奇縁。

 

仲人が縁そのものをコントロールすることなんてできない。

 

どれだけ条件が合っていても、好きになるとは限らない。

どれだけ仲人が勧めても、関係が続くとは限らない。

 

だからこそ、私は相談所を「安全マージンを持てる出会いのフィールド」として考えている。

相手の情報を確認する。

一人では分からないことを相談できる。

出会うまでの不安を減らす。

自分の気持ちを整理する。

 

それによって、完全な偶然や無防備に任せるのではなく、少し安心して不確かな関係に踏み出せる。

安全だから失敗しない、ということじゃない。

 

不確かなものだからこそ、一人で全部背負わなくていい。

私は、そんな意味での「安全マージン」が必要なんじゃないかと思っている。

 

  縁を作るのではなく、縁を選ぶ人をエスコートする

人と人の繋がりは、いつの時代も不安定で不確かなもの。

 

だから、誰かが正解を決めてあげることなんてできない。

選ぶのは、その人自身。

誰と出会うのか。

誰と繋がるのか。

何を求めるのか。

どんな関係を作っていくのか。

その選択の積み重ねが、きっとその人の道になっていく。

だから私は、人と人を無理やり繋ぐ仲人ではなく、

その人が自分にとって、どんな繋がりを求めているのかを知り、その縁を選んでいくことをエスコートする仲人。

そんな相談所をやっていきたい。

 

人と人の縁は、合縁奇縁。

だからこそ、面白い。

そして、だからこそ。

その不確かな縁に踏み出す人の隣に、そっと誰かがいる意味があるんじゃないかな。