私はミスが多い。

些細なミスが多いんです。

単純な見落としとか、勘違いとか。
誰にでもあるようなミスなのに、なぜか私がする。

 

そのせいで、誰かに迷惑を掛けたり、誰かに負担を強いたりする。

 

本当に申し訳ない。

だから、ミスをしたら「ごめんなさい」と謝るしかない。

 

向き不向き?出来る出来ない?…私はミスが多い

このブログを書いている今日。

まさに書いているその日・・・私は仕事でミス・失敗・間違いをしたわけです。

ごめんなさいをしてきました。すみません、気を付けます。って言ってきた。

本当に申し訳ないと思っている。

でも、それで終われるわけじゃないから、これから何とかしないとダメなんです。

どうしたら、同じミスを繰り返さないか?を考えていこうと思うんですが・・・・

もうね。ほんと、ごめん。

  ミスをする時って、何もない時だったりする

これがまた不思議なんです😩

ミスをする時って、大抵、何か問題がある時じゃない。

 

暑いわけでもない。
疲れているわけでもない。
空腹でもない。
眠いわけでもない。

何の問題もない。
余裕もある。

 

そんな時に、ぽろっとミスをする。

 

逆に、忙しくて、余裕がなくて、他事もいろいろしていて、集中なんてできないような時の方が、なぜかミスをしなかったりする。

 

私はADHDです。

 

散漫なくらいが、ちょうどいいのかもしれない。

余裕のある仕事より、余裕のない状況。
制限があって、終わりが決まっていて、追い詰められている時の方が、良いパフォーマンスをする。

 

本当に、どうしようもない・・・

私しようの環境と職場にしたら、他の人が辛くなる・・・

本当に、どうしようもない。

  「やれば出来る」って、やっている側には辛い

「やれば出来る子」

そう言われることがある。

通知表には大抵書かれてた。

残念極まるとはこのことだろう。

 

でも、「やれば出来る」っていうのは、やっていない人に対して言う言葉なんじゃないか?

 

私は、やっているつもりなんです。

気を使っている。
気にしている。
気を配っている。

ルール通りにやろうとしている。

 

それでも出来ていない。

 

だから「すみません」なんです。

言い訳なんて、いくらでもできます。

暑い。
疲れた。
空腹。
眠い。

でも、そんなものは日常にありふれたことです。

 

社会は、そんなことを待ってくれない。

会社は動く。
時間は進む。
仕事は終わらせなきゃいけない。

 

そして効率を求められる。

 

その結果、ミスは責められる。

 

そして私は、ミスが多い。

 

今日もミスをしたから、こんなことを書いているわけです。

ごめんなさいをしてきたから、こんなことを考えている。

どうしようもないから、ごめんなさいなんですよ。

  ルールには境界線がある

「ルール通り、決まった通りにやれば間違いない」

 

分かっています。

やっているつもりです。

 

でも、出来ない・・・だから、困ってます。

そのせいで、またルールが・決まりが増えるかと思うと泣けてくる・・・

 

向き不向きで言えば、私は向いていない。
出来る、出来ないで言えば、出来ない側なんだよ。

 

だって、やっているつもりでも出来ていないなら、それはアウトでしょ。

 

ルールが境界線なら、私は出来る側にはいられない。

出来ていないんだから。

でもね。

だからといって、「私には何も出来ない」とは思いたくない。

 

  自分のフィールドで戦いたい

私は、自分のフィールドで戦いたい。

 

そう思う。

でも、現実はそんなに甘くない。

 

出来なくても、向いていなくても、今ある環境から抜け出して、生きていけるのか?

 

そう考えたら、今の環境の方が無難だったりする。

 

だから逃げられない。

辛くても、出来なくても、しがみつくしかない。

 

だって、またリスタートするのは大変でしょ?

今までの経験がある分、今の方がいいんじゃない?

そんな安直な安パイに逃げたくなるのも、人の弱さなんだろうし、私の弱さなんだと思う。

 

  「自分の使い方」を示す

そう思うから、私は違う環境に、違う世界に飛び出してしまおうと思う。

失うモノが無いからね。

 

でも、そうじゃない人も居るだろう。

だから、私からの言葉を残そうと思う。

 

出来ないこともある。

分からないこともある。

無理なこともある。

向いていないこともある。

苦手なこともある。

そして、今まさにその只中にいることだってある。

 

だったら、自分の使い方を示すことは必要なんじゃないか?

「私はこれが出来ます」とアピールするんじゃない。

「私はこれに向いています」と伝えるんでもない。

 

もっと現実的に、

「この状態じゃ、私のミスは減らないんです。こうしてくれたら、減ると思います。ダメなら、違う方法を考えて、ミスを減らせるようにします」

くらいでいいんじゃないかと思う。

ミスはする。

だから、ごめんなさいは言う。

迷惑を掛けたなら、補填する。

そのうえで、自分がどう使えるのかを示していく。

ミスをしない人間になるんじゃない。

ミスをする自分を、どう使えばミスを減らしながら力を出せるのかを探す。

それも、自分を知るってことなんじゃないかな?

 

だって、ルールの中で「出来ない」と判断されたとしても、自分の全部が「出来ない人」になるわけじゃない。

 

出来ないことはある。

向いていないこともある。

でも、それだけじゃない。

だから私は、自分の使い方を探したい。

それが、自分のフィールドで戦うための、最初の一歩なのかもしれない。

シンプルフレーズのお部屋へようこそ。

 

シンプルフレーズは、自分だけの幸せのカタチを目指して

自分の想いを大切にして、心のままに生きていくことの素敵さをお伝えしています。

 

あなたはどんな時に笑えますか?

笑えた時には何を感じてる?

 

誰かを笑顔にしてあげたい!って思えますか?

常に、誰かに笑顔を貰いたいって待っているだけになっていませんか?

 

あなたの笑顔を待っている人がいて

あなたの笑顔に救われる人がいて

あなたの笑顔が幸せって言ってくれる人

 

の為に、辛い時でも笑えたら素敵ですね

 

 

現状を変えられる魔法【笑顔】

 

辛い時に笑えるほど私は強くない。

 

もし、辛くて、苦しくて、悲しい時に笑顔になることが出来るんなら・・・

それはきっと、自分じゃない何かを演じている時。

 

仮面をつけて、自分を隠して・・・

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笑うことが出来ている。

 

寂しい時には、誰かの言葉を求めるし

悲しい時には、涙を流すし

辛い時には、下を向いてしまうし

苦しいと時には、逃げ出したくなる

 

同じように

 

楽しい時には、笑えるし

嬉しい時にも、笑顔になれる

幸せな時はもちろん笑っている

 

楽しいから笑えるし、面白いから笑える。

仲のいい友人と他愛のない会話、無意味な時間かも知れないけれど

最高に楽しくて、何を話したのかも覚えていないけど・・・

それでも、楽しかった~って言えるのは最高の時間だからだろう。

 

だからこそ、辛い時に笑うことが出来れば・・・

もしかしたら、良い思い出にしていくことが出来るんじゃないだろうか?

 

笑顔は周囲を明るくするし、笑い声は聞いていても気持ちが良い時が多い。

自分の心が沈んでいて、ふさぎ込んでいる時でも、誰かの笑顔に救われることはよくある事。

誰かの笑顔に元気をもらって

大切な人の笑顔がやる気になって

自分の笑顔が、自分の素敵な思い出になっていく

 

 

  私達の想いの力って言うのは、笑顔に繋がっているのかもしれない。

 

笑顔があるから、力になる。

むしろ、誰かの笑顔の為に頑張れるのが私なのかな

自分が笑えることが一番だけど、

自分が辛い時にも、誰かの笑顔に救われて・・・一緒に笑えるから

 

誰かの笑った顔が見たいから、笑わせたいって頑張れるんだろうし

笑顔が幸せに繋がっているって知っているから、笑顔にしたいって思うのは素敵

 

想いが行動に現れる。

それはきっと、誰かの笑顔の為に出来る行動!

自分だけの幸せのカタチを求めていても

幸せな時に笑えるんだから、笑顔を求めていくことが、「幸せのカタチ」を見つける方法だろう

 

誰かの笑顔があるから生きる理由を見付けられて

幸せを実感できるようになるんだろうからね!

 

 

  辛い時こそよく笑え、きっと誰かが力を分けてくれるから!

 

もし、誰かの笑顔が自分の元気になるキッカケになるなら

 

自分がその人を笑顔にしてあげたら、きっと自分は幸せを感じられて笑顔になれる。

そして、自分の笑顔が自分の元気にあって、楽しいって感じられたらきっとそれは素敵なコト。

 

もし、自分の笑顔が誰かが笑顔になるキッカケになれるのなら

 

辛い時に笑顔になることで、周囲の誰かが笑顔になってくれる。

誰かの笑顔をみて自分も元気を貰えたら、辛い時でも笑って楽しいを感じるキッカケになる。

 

もし、私達が誰かに影響を与えていたり、誰かから影響を受けていたとしたら

 

周囲が笑っていない時には・・・楽しくない時にはなかなか笑えないし楽しくない。

でも、誰かが楽しそうにしていたら、楽しそうな場所に移動して、一緒に楽しみたいって思うのは普通じゃないかな?

辛い時に笑うことが難しいのは良く分かる。

私だって、いつでも笑えるわけじゃない。

仮面をつけて、演じている時ももちろんある。

いつでも元気で熱い人になりたいと思っているから、そういう人間に成れるように生きている。

 

辛い時に、自分の笑顔が誰かを笑顔にして

誰かの笑顔で、自分が元気になれたらとっても素敵なんじゃないかな?

 

そして、その相手が大切な存在なら最高の時間になるって私は信じてる。

 

 

  現状を変えられる魔法【笑顔】

 

笑顔が感情の表れだとしたら

辛い時に笑うことで、感情を変えることが出来るはず

 

辛い時や苦しい時って言うのは、視野が狭くなって周囲の状況が分からなくて・・・

自分の『辛い』『苦しい』って言う感情に集中してしまっている。

それ以外の何も考えられないし、他の情報も受け取ることが出来ない。

自分のコトだけしか見ることが出来ないから、周囲に背を向けてしまっている状態になっている。

他人が何を言っても伝わらない時が多いし、励まされようと、元気付けられようと

背中に話しかけられているだけで、自分の辛さと苦しさから抜け出すことが出来ない。

 

他人の言葉が届かないほど、心の余裕が無くなってしまっているから

辛い気持ちの繰り返しになって、自分を否定して悲しくなっていく。

 

だからこそ、他人の言葉が届かなくて、自分に余裕が無いからこそ

『笑顔』を作ってみて欲しい

 

笑える時って言うのは、楽しい時・嬉しい時・幸せな時

心の余裕がある時になる。

 

だから、言葉を変えるように、表情を変えて、作って・・・『笑顔』を作ってみたらいい。

『笑顔』を無理にでも作ることが、自分の感情や思考を変えるキッカケになる。

 

笑うことで、セロトニンが出て幸福を感じる!と、までは言わない。

 

ただ最初のキッカケになる。

笑顔を作ることが出来れば、周囲の誰かが言葉をかけてくれる。

誰の言葉も届かなかった時と違って、『笑顔』に向かって話しかけてくれる。言葉をかけて話を聞いてくれる。

 

『背中に投げかけられる言葉』辛くて、背を向けている時にはきっと届かない。

『笑顔に届く言葉』無理な笑顔だとしても、向き合って言葉を交換できるなら、少しは届く。

 

自分だけの世界で、自分だけで辛くなる言葉を繰り返した時から

新しい別の見方が出来るようになる言葉を受け取ることが出来るようになる。

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新しい見方が出来るようになれば、心に余裕が持てて

心の余裕が出来れば、状況を変えるための行動する力を持てるようになる。

『笑顔』を作れば、想いが出来て、行動に繋がっていく!

 

行動することが出来れば、自分の状況は変わっていく!

 

見方を変えて、受け取り方を変える余裕が持てるから、周囲の環境も自分の望む形に変えていけるようになる!

 

自分の想いを変えることが出来る、一番簡単な方法が『笑顔』なんだって私は凄い感じてる!

笑顔があれば何でも出来る!

幸せ=笑顔

自分を信じられるし、好きになることだって出来て、幸せのカタチを手に入れられる!

A day without laughter is a day wasted.


 

最近、誰も彼もが「出会いがない」と言っている。

昔……と言っても、10年くらい前なら、職場にもそれなりに出会いがあっただろうし、飲み会だってあった。

 

大学生くらいなら「合コン」なんて言葉も、今よりずっと普通に聞いた気がする。

友人の紹介なんていうのは、いつの時代にもあるんだろうけどね。

出会いがない時代に、結婚をどう考える?

でも、今は少し事情が違う。

ハラスメントが叫ばれるようになって、職場で気軽に異性を誘うことも難しくなった。

若い人たちはお酒を飲まなくなったと言われるし、そもそも人が集まってコミュニケーションをする場そのものが減っている。

 

その一方で、バーチャルやゲーム、SNSの世界での交流は増えた。

学校を卒業すると、急激に人間関係が希薄になる。

 

そうなると、誰もが一度くらいはマッチングアプリを使ってみようかな……となるのも、まあ分からなくはない。

 

もちろん、昔からミクシィみたいな出会いの場はあった。

ただ、今ほど「出会うための方法」としてマッチングアプリが主流だったわけではないんじゃないかな?

 

私は課金して使ったことがないから、実際のところは分からない。

それでも、私の友人にもマッチングアプリで結婚した人がいるくらいだから、需要と供給がちゃんと成り立っているんだろう。

 

  人を知る前に、条件を知る

マッチングアプリを見ていて面白いなと思うのが、相手への希望だ。

 

写真を盛りに盛るのは……まあ、必要なんだろう。

今回は置いておこう(笑)。

 

それよりも気になるのは、プロフィール欄。

「自分はこういう人間です」という紹介よりも、「こういう人がいい」という相手への希望がたくさん書かれていることがある。

年収はこれくらい。

車持ち。

優しい人。

清潔感がある人。

MBTIが合う人。

子どもが欲しい人。

趣味が合う人。

タバコを吸わない人。

 

……なるほど。

これはこれで、なかなか面白い。

 

昔の恋愛なら、まず相手と知り合って、その人と話して、探り合って、駆け引きして、少しずつ相手のことを知っていく。

「この人って、こういう人なんだ」

「意外とこういうところがあるんだな」

「ここは合うけど、ここは合わないな」

 

そんな時間を過ごしながら、お互いに歩み寄ったり、

すり合わせたりして、恋愛が始まっていったんじゃないだろうか?

……まあ、私も百戦錬磨の恋愛達人ではないから、本当のところは分からないけど(笑)

 

  恋愛までの道のりが、ものすごく効率化されている

今は、その順番が少し変わった。

「自分が求めている相手」を先に決めて、その条件に合う人を探す。

 

そして、プロフィールを見て、写真を見て、メッセージをして、合えば会う。

 

つまり、人となりを知る前に「情報としての相手」を見る。

どこかのパネル指名みたいだな……と思ってしまう(笑)。

 

もちろん、人間をパネルと一緒にするつもりはない。

 

でも、仕組みとして考えると、かなり効率的なんだと思う。

「この人は自分の希望に合っているか?」

そこを先に確認してから、実際の人間関係に進む。

 

昔なら何ヶ月、何年とかけて分かったことを、プロフィールやメッセージで先に確認できる。

これは、ものすごくタイパの良い人間関係なのかもしれない。

 

ただし……コスパはどうなんだろう(笑)。

特に男性側は、サブスクにオプション、さらに重課金……なんて話も聞く。

 

出会うこと自体が、ずいぶんとサービス化されたものだなと思う。

 

  でも、本当に難しいのは「会うまで」じゃない

ただ、そこでマッチして、実際に会うことができれば、昔より話は早いのかもしれない。

 

お互いに結婚を望んでいる。

将来の方向も近い。

求めている条件も概ね合っている。

 

だったら、最初から「この人と将来を考えられるか?」という目線で会える。

 

探り合いをする必要も少ない。

これは、かなり合理的だ。

 

……でもね。

私が気になるのは、その先なんだ。

 

本当に難しいのは、出会うことじゃなくて、その後なんじゃないの?

って思ってしまう。

 

ステータスや条件から見つけた相手。

順風満帆な人生なら、それでいい。

 

でも、人間の人生なんて、そんなに都合よくいかない。

病気になるかもしれない。

仕事を失うかもしれない。

親の介護が始まるかもしれない。

子どものことで悩むかもしれない。

お金の問題が出てくるかもしれない。

そして何より、人間そのものが変わっていく。

 

若い頃は大好きだったものが嫌いになることもある。

考え方だって変わる。

夢だって変わる。

自分自身が変わってしまうことだってある。

その時に、どうやって二人で乗り越えていくんだろう?

 

  条件の一致と、人生の一致は違う

「条件が合う人」と「一緒に人生を歩ける人」は、たぶん同じじゃない。

 

プロフィールに書けるのは、あくまで今の自分。

そして、相手が見せてくれるのも、その時点での相手だ。

 

でも結婚生活には、プロフィール欄に書けないことがたくさん起きる。

だから私は、マッチングアプリが悪いとは全然思わない。

 

むしろ、出会いが減っている今の時代には、必要な仕組みなんだと思う。

出会うまでを効率化する。

条件を先に確認する。

結婚への意思を確認する。

それ自体は、とても合理的だ。

 

ただ、その合理性の先にあるものまで、合理的にできるわけじゃない。

人間関係って、結局そこからなんだと思う。

  幸せは、条件を揃えたら完成するものじゃない

幸せって、掴むものでも、誰かに与えてもらうものでもないんじゃないかな。

 

ある時には、幸せの真ん中にいるのに気づかない。

そして、失った時になって初めて、

「あれは幸せだったんだな」

と知ることがある。

 

だから、私は「幸せな結婚」を目指すことよりも、

幸せを目指して二人で過ごしていく、その道のりを大切にできること

のほうが素敵なんじゃないかと思っている。

 

マッチングアプリで条件の合う人を見つける。

それは、出会いの入口として、とても便利なものだと思う。

 

でも、そこから先は検索できない。

「病気になった時も優しい人」

「仕事を失った時も一緒に考えてくれる人」

「自分の考えが変わった時も話し合える人」

そんな条件を、プロフィール欄から見つけることなんてできない。

 

結局、実際に一緒に時間を過ごしてみないと分からない。

 

だからこそ、結婚って面白いんだろうね。

出会い方が変わっても、人間そのものが変わったわけじゃない。

 

効率よく出会えるようになったからこそ、その先にある「二人で何を作っていくのか」が、

ますます大切になっているのかもしれない。

 

シンプルフレーズでは、そんな「出会った後のズレ」を少しでも減らせるようなことを考えていきたい。

 

「こんな人と出会えば幸せになれますよ」なんて答えを出すんじゃなくて、

出会った二人が、どうやって幸せを作っていくのか。

そのことを一緒に考えられたらいいなと思う。

だって、幸せって、最初から完成品で届くものじゃない。

 

二人で歩いている途中に、ふと振り返って、

「なんだかんだ、幸せだったね」

なんて言える時間。

私は、そういうものが一番素敵なんじゃないかなと思うんだ。

私の感じる『魂』は不変で変わらないモノ

最初から常に私達が持っていたモノ

 

 

魂通りの生き方をしていきたい

私達は、常に思考で生きている。

他人からの情報や、今までの人生の中で得た経験や体験を元にして、考えて行動する。

それが正しいんだろうし、そうするように言われて、学んできた。

 

その結果、自分の本当の思いや『魂』というものを見失ってしまった。

 

だから今からは、自分の中の『魂』を探しながら生きていきたいと感じている。

 

『魂』は、いつも変わらず答えを教えてくれていた。

 

好き と、いう思い

大切にしたい と、いう思い

 

きっと、それを常に教えてくれていた。

『好き』という思いにはきっと最初は理由は無かった。好きだから好きだった。他の人の感想や評価なんか何も気にせず、ただただ好きになっていたはず。

でも、いつからか『好き』に理由を求め始めていた。

 

・何で好きなの?

・どこが好きなの?

・どうして好きなの?

 

そうやって、誰かから聞かれたり、伝える時が来た時に考える。考えるから、理由を求めるし説明する言葉を探してしまうようになっていく。その時から私達は、『好き』に理由を作るようになって、その理由を元にして『好き』を作り始めてしまう。

あとから出来た理由があるから、『好き』という気持ちを自分で疑うようになってしまう。

疑うようになってしまうから、自分の気持ちを信じられないようになるし、自分を見失ってしまうことになる。

 

最初は、ただただ『好き』『大切にしたい』という思いだけがあったはずなのに、

『好き』『大切にしたい』理由が出来てしまう。

 

なんで、どこが、どうして好きなのかを、誰かや自分に説明するようになって、自分を納得させようとして、自分への言い訳も考えてしまう。

それが悪いわけではないだろうけれど、自分にする言い訳なんか必要ないんじゃないか?とも感じてしまう。

 

 

人には、言い訳が必要な時がある。それは、誰かに伝える時には理由が必要になるだろうし、相手が納得する言葉が必要になる時があるから。その言葉を探す時には、自分を作る必要がある。自分を作って、相手に合わせた人間を演じて上手く付き合っていく時には、自分を誤魔化したり、自分にウソをつくかもしれない。その時には、自分自身に対して言い訳をして、その演じる自分を、認められるようにする。

自分を作り上げて、『好き』だけだったものに理由を付けて、相手に合わせて自分を作る。

 

誰かと一緒に居るということは、その誰かに認められて、必要とされて、許してもらうことを求めてしまう。

求めているから、相手に合わせた自分を演じる必要があるし、人格や仮面を変えることもある。

実際、私だっていくつもの人格や仮面を使い分けている。

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会社での私

自宅での私

文章の中の私

動画の中の私

遊んでいたり、出掛けている時の私

 

全部違うだろうし、違うように演じていると思う。でも、上手くいかない時もあるよ不器用だから。

周囲の環境や一緒に居る誰かに合わせた行動をするし、言葉を使う。

そうやって生きて来たし、これからもそれを続けていくだろうと思う。

 

でも、これからは・・・

魂の言葉を聞きながら生きていきたいと思う。

それは、自分が見失ってしまった生き方だから。自分を偽って、自分にウソをついて自分を作り上げて来て、自分の『好き』すらも作り上げてしまったから。

理由が有って、理想があって、原因があって

自分の想いを作り上げて来ていたから。これからは、作らずまっすぐ生きても良いんじゃないかと感じたから。

 

好きも嫌いも、自分の感じるままに、理由を探さず。

理由を作らず。

魂が最初に教えてくれていたものをそのままに、魂通りの生き方をしていきたい。

 

 

魂通りの生き方とは

 

魂は、想いだけを教えてくれる。

その想いがどこから来ていて、どうやって出来ているのかを考えるのは、肉体の仕事

肉体の力を使って、自分の想いや、魂の言葉を理解しようとするのは、本当の自分を見付けていく時にはとても大切なことになる。

今までは、理由と原因を先に考えて、思考で行動してきたから、自分の想いを探さないし、聞こうともしてこなかったから。

 

聞き方が分からない?

 

方法はとても単純。もうみんな分かっているはず。

自分の想いに質問して、想いを分けて考えられるなら。

その想いだけを知ってあげたら良い。

『好き』の気持ち・想いがきっと最初にあなたが持っていたモノだから。

あなたの好き

私の好き

 

好きなモノ・人・トキ それがきっと魂の答え。

 

その先にあるのが、きっと肉体と思考が作り出した理由で、その理由が有るから

苦手なモノ、嫌いなモノが出来てしまうんじゃないだろうか?

『好き』の反対が「嫌い」なんだとしたらね。

 

暇な時間って、本当に大切

 

暇な時間って、本当に大切だと思う。

その手持無沙汰の時間何している?

動画を見る?
漫画を読む?
ニュースを見る?

おおっ!
新しい情報を手に入れてるじゃないか(笑)

 

 

暇な時間って本当に凄い

その暇な時間に誰かに連絡する?

LINEする?
電話する?
配信を見てみる?
なんなら自分で配信してみる?

あれ?

いつの間にかコミュニケーションが生まれて、コミュニティまで出来上がっていく。

暇って、凄くない?

ダラダラと時間が流れていくってとても愛おしい

その怠惰な時間が流れていく暇な時間は?

昼寝する?
惰眠をむさぼる?
お菓子をつまみ食いする?

……まるで仕事の昼休みじゃないか(笑)

 

仕事の昼休みなら「休憩」と呼ばれるのに、仕事でも何でもない時間に同じことをすると、なぜか「暇を持て余している」と言われる。

不思議だよね。

 

でも、何もしていないように見える時間にも、ちゃんと何かが起きている・・・

 

身体を休めている。
頭を休めている。
人とつながっている。
情報を集めている。
楽しんでいる。
食べている。

そして何より、自分の好きなことをやっている。

  「本当はやることがある」から暇なのかもしれない

もちろん、暇な時間には、

「本当はやらなきゃいけないことがあるんだけどな……」

という時間もある。

 

部屋を片付けなきゃいけない。
仕事をしなきゃいけない。
勉強しなきゃいけない。

でも、やりたくない。

だから動画を見る。

漫画を読む。

スマホを触る。

 

そして、

「あぁ、今日も何もしなかった……」

なんて思ったりする。

 

でも、これだって面白い。

だって、その時間に自分が何をしていたのかを見れば、自分が何を欲しがっているのかが見えてくるから。

 

  暇な時間は、自分が何を選ぶのかが見える

仲が良くなかったら、暇だからって連絡しないでしょ?

面白くなかったら、暇だからって漫画を読まないでしょ?

 

興味がなかったら、わざわざニュースを追いかけない。

疲れているから眠れる。

元気があるから、つまみ食いもできる(笑)

人と話したいからLINEする。

一人になりたいから、誰とも連絡せずにダラダラする。

 

つまり、暇な時間って、自分の欲求が結構そのまま出てくる時間なんじゃないかと思う。

 

仕事をしているときは、

「やらなければならないこと」

がある。

 

家事をしているときも、

「やったほうがいいこと」

がある。

 

でも、暇な時間には、それがない。

 

だからこそ、

「私は今、何をしたいんだろう?」

が行動に出てくる。

  無駄な時間なんて、ないのかもしれない

もちろん、何でもかんでも「暇は素晴らしい!」と言いたいわけじゃない。

 

何時間もスマホを見続けて後悔することもある。

やるべきことから逃げ続けることだってある。

 

でも、それも含めて自分なんだよね。

「私は今、何をしているんだろう?」

「なんでこれを見ているんだろう?」

「本当は何をしたいんだろう?」

そんなことを考えるきっかけにもなる。

 

だから、暇な時間を無理やり有意義にしなくてもいいんじゃないかな。

暇だから寝る。

暇だから漫画を読む。

暇だから誰かに連絡する。

暇だからお菓子を食べる。

暇だから、ぼーっと天井を見る。

それでいい。

 

だって、その時間に自分が何をするのかって、結局、自分が何を求めているのかの表れでもあるんだから。

  暇な時間は、自分を知る時間

「何もない時間」って、実は「何もない時間」じゃない。

自分が何を好きなのか。

誰とつながりたいのか。

何に興味があるのか。

何を欲しがっているのか。

そして、何から目を背けているのか。

そういうものが、暇な時間には結構見えてくる。

 

だから私は思う。

暇な時間って、本当に凄い。

ダラダラと時間が流れていくことも、無意味に見えることも、全部ひっくるめて、自分の時間なんだよね。

 

あぁ~、なんて素晴らしい暇な時間(笑)

 

感じ方を少し変えてみたら、暇は「無駄」じゃなくて、自分を知るための最高の時間なのかもしれない。

何もしない時間だからこそ、自分が何をするのかが見える。

 

それって、結構大事なことだと思うんだよね。