人生に疲れたって感じる時があるのは正直・・・ホント
生きる意味を探すことが大変って、思うこともある。
たぶん・・・余裕が無くなってるんだろうなって思う。
今に必死過ぎて、何もかも見えなくなってて、分からなくなってるんだろうって
でも、大人ってそういうモノなのかな?って思うこともある。
現実を見るってそういうことなのかなって感じる時もある。
大人になるって、遊び心を捨てることじゃない
大人になると、よく言われる。
「責任を持て」「気配りをしなさい」「ちゃんとしなさい」って。
うん、分かるよ。
社会で生きるなら、どれも必要なことだと思う。
その中に“遊び心を捨てる”って項目、あったっけ?
私は、どれだけ探しても見つからなかった。いや・・・見付けたくなかったのかな
■不安を与える大人、喜びを渡せる大人
周りにいないだろうか。
「出来る?」「無理じゃない?」「大変だよ?」
・・・と、出来ない理由ばかり並べる大人っていうか、そういう人。
あれって、優しさでも助言でもなくて、
ただ“自分の不安”を相手に投げてるだけの場合が多い。
逆に、こう言ってくれる人もいる。
「やってみようよ」「何とかなるよ」「それも楽しみ方だよね」
この人たちは、無責任なんじゃない。
失敗を許せる“余裕”を持ってるだけなんだ。
子供の頃、私たちはみんなこうだったはず。
「楽しそう!」「気になる!」「やってみたい!」
この感情だけで動けた。
失敗しても、間違えても、出来なくても、また笑ってやり直せた。
遊び心って、本当はこれなんだと思う。
■遊び心を失うと、人生の“味”が消える
子供に楽しみ方を見せられない大人は、
人生の良さを伝えられない気がする。
仕事ばっかりの大人
不安ばっかり言う大人
「やめとけ」を先に出す大人
そんな姿を見せられて育つ子は、
“生きるってしんどいもの”って誤解してしまう。
でも本当の大人の役目って、
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疲れてても笑おうとする姿
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失敗しても立ち上がる背中
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無駄に思えることを楽しめる余裕
これを“見せる”ことなんじゃないかな。
人生は、味わっていい。
その「味」を伝えるために、遊び心は必要なんだと思う。
■責任と遊び心は、同時に持てる
責任のある大人になることと、
遊び心がある大人になることは、矛盾していない。
むしろ、
責任の重さを知っているからこそ、
遊び心でバランスを取れる大人が、いちばん強い。
心が折れそうな日もある。
不安でいっぱいの日もある。
何も楽しめない日も、もちろんある。
それでも、「ちょっとだけ遊び心」を残しておく。
その余裕が、子供を安心させて、友人を励まして、
自分自身を救ってくれる。
シンプルフレーズの意見
遊び心はね、
“子供っぽさ”じゃなくて、
“生き延びるための余裕で力”だと思う。
大人になるって、
心を固めることじゃなくて、
心の中に「遊べる場所」を残すこと。
その余白がある大人を、
私は美しいと思う。


