今月のブログは、連載形式での投稿をしていきます。

『自己を見失いながらも、哲学の思索を通して少しずつ自己理解を深めていく』

姿を描いていきます。

最後までお付き合いいただけたら幸いです。

 

主人公:加代子

正しくあろうと、正解を選びたいけど選べない葛藤の中で、

自分を否定したくなる気持ちを持っている。

 

『“わたし”に耳をすませる』


第2章:問いのかたち

「なぜ囚われていたのか?」


ノートに書いたその問いを、加代子は何度も見返していた。ペンでなぞった文字は、書き手の迷いをそのまま刻んでいる。

にじんだインクの線は、まるで自分の輪郭のようだった。

その日は日曜だった。


リビングには夫のいびきが微かに聞こえている。テレビの音もない。時計の針が進む音が、やけに大きく感じられた。
加代子はスマートフォンで再び「カミュ」の名前を検索し、そこから「不条理」という言葉に出会った。

 

「世界は意味を持たない。だが、それを認めた上で、それでも生きるべきだとするのが、反抗である。」
──アルベール・カミュ『シーシュポスの神話』

 

意味を持たない世界。


それは、今の自分の生活にも通じるような気がした。

毎朝起きて、家族の弁当を作り、職場へ向かい、疲れて帰り、誰にも認められない。
意味はあるのか?
誰かの役に立っているのか?
誰かにとって、私は必要なのか?

そう考え始めると、喉の奥が苦しくなる。
「意味を見出せないこと」は、痛みになる。


だが、カミュは言った。意味がないからこそ、それでも生きることに価値があるのだと。

 

「肯定ではなく、“受け入れ”か……」

 

加代子は、少しずつ理解し始めていた。
肯定の言葉は時に、力強く聞こえる。


「あなたは素晴らしい」「きっとできる」「意味がある」


でも、それらの言葉は、時として自分に届かない。

なぜなら、それを信じられる土壌が、自分の中にないからだ。

 

それならば。
否定の言葉に寄り添う哲学があるのなら、それを頼りにしてもいいのではないか


自分は意味を感じられない。けれど、それでも毎日を生きている。
それ自体が、すでに何かの「反抗」なのかもしれない。

加代子は、深く息を吐いた。

肯定の言葉に溺れたとき、自分を偽ってしまうことがあった。
「がんばってるよね」と言われても、「そんなことない」と心が叫んだ。
言葉は優しいはずなのに、自分を置いてけぼりにすることがある。
言葉に“癒されるふり”をすることほど、孤独なことはない。

 

だから今、否定を否定しないことが、最初の肯定なのかもしれない。

「意味がないから、問いが生まれる。問いがあるから、生きていられる」

加代子はそうノートに書いた。


それは誰かの引用ではない。
自分の中から出てきた言葉だった。

その言葉には、すこしだけ体温があった。

 


 

次回に続きます・・・第3章

次の章では、加代子が「言葉の不信」と「言葉を紡ぐ希望」の間で揺れながら、思索を日常に持ち込む過程

 

 

 

  独り言・・・

 

人は本当に言葉の力に抗えない。

人の言葉に振り回されるように、名言や論語に価値観を左右されることもある。

 

それが、時として自分の力になったり、生きるための活力に出来るなら素敵なコトだと思う。

 

哲学っていうモノに私が出会ったのは、ずっと昔だった。

初めて読んだのは「ソクラテス・カフェへようこそ」

読んだ時は、疑問を持つことの楽しさを感じただけで、深く考えることも

その後の自分に有効に取り入れることも出来ず、忘れていた。

 

それが、今になって自分が文字を書くようになった時に、自分の表現していることが

ずっと昔にみかけた本に近いように感じたのが最近のコト。

 

思い出したように、哲学の言葉・・・先人たちの生き方を見ていく中で、今の私だからこそ

感じる思いがあり、見える世界がある気がする。

 

気がするだけで、なにも分かりはしないけどね。

 

不思議に感じたこと・・・それが全て哲学の始まりで、意味のないことが意味であって

人を分からないことが分かっている。

そして、自分のコトを分からないことを知っている。

 

それで良いんだって、分からないから良いんだって思えたら素敵かな。

 

今月のブログは、連載形式での投稿をしていきます。

『自己を見失いながらも、哲学の思索を通して少しずつ自己理解を深めていく』

姿を描いていきます。

最後までお付き合いいただけたら幸いです。

 

哲学の思索を通して少しずつ自己理解を深めていく物語

 

主人公:加代子

正しくあろうと、正解を選びたいけど選べない葛藤の中で、

自分を否定したくなる気持ちを持っている。

 

 

『“わたし”に耳をすませる』

 

 

プロローグ:声なき声

「またやってしまった」

 

帰り道、加代子は何度もその言葉を飲み込んだ。
職場での些細なミス。言い訳もできたはずなのに、
謝るだけで精一杯だった。

頭の中では、誰かの声が響いていた。

 

「どうして、そんなこともできないの?」
「あなた、また同じミスしてるわよ」
「気を遣ってよ、もう大人でしょ?」

 

声は現実のものだけじゃない。
“過去の誰か”の声が、繰り返し心に焼きついて離れなかった。

 

(私は、また責められる)
(私は、また失敗した)
(私は、また、だめなまま)

 

気づけば、いつもこの結論に行き着いていた。

 


第1章:囚人の部屋

夜が明ける前、加代子はベッドの中で目を覚ました。
目覚ましはまだ鳴っていない。カーテンの隙間から差し込む街灯の光が、天井にぼんやりと模様を描いている。

 

「また、眠れなかったな」

 

ぼそりと呟いた自分の声が、やけに遠く聞こえる。
夢を見ていたような気がする。叱責される夢。何をしても誰かに指を差される夢。だが目覚めても、あの声は現実と地続きで、自分の中に根を張っている。

──なぜ、いつも失敗ばかりなんだろう。

思い返せば、幼いころからだった。


「どうしてそんなことするの?」
「ちゃんと考えてから話しなさい」
「また?もう何度目?」

 

言葉は刃にもなる。加代子は、そのことを知っている。
だが本当に厄介なのは、誰かの言葉がやがて“自分の声”になることだ。
今、自分を叱りつける声は、もう他人のものではなかった。完全に自分の中に染み込み、「加代子」を責める“加代子”になっていた。

職場でも家庭でも、些細なことが引き金になる。
資料の提出が少し遅れただけで、上司の口が歪む。
料理にちょっと塩を入れすぎただけで、夫が箸を置く。
それらの反応が「またやった」と自分を裁く声と結びつき、胸の奥で波紋を広げる。

もう何年も、自分を信じるという感覚が思い出せない。

そんな夜、スマートフォンを開いた。意味もなくSNSを眺める。誰かの成功、充実、幸福。それらが無言の圧力となって襲ってくる。

スクロールを止めたのは、ある投稿だった。
白黒の写真に、短い言葉が重ねられていた。

 

「人は、自分の考えの中に閉じ込められている囚人である。」
──アルベール・カミュ

読んだ瞬間、その言葉が静かに胸を打った。

──囚人?

自分の中のどこかが、わずかに震えた。
「他人に責められるのではなく、自分の考えに閉じ込められている」という言葉。
それは、まるで見透かされたようだった。

加代子の脳裏に、これまで自分に投げかけた無数の“否定の言葉”が浮かぶ。

 

「私なんて」
「どうせうまくいかない」
「誰にも必要とされていない」

 

言葉は時に、現実を形作る力を持つ。
自分に向けた否定の言葉は、やがて世界の見え方すら変えてしまう。
人の表情が厳しく見え、声の調子が敵意に聞こえる。
だが──その解釈を作り出しているのは、結局、自分の思考だった。

「私は、自分の考えの囚人なのかもしれない」

そう呟くと、胸の奥にわずかな空洞ができた気がした。
そこはまだ痛むけれど、なぜか呼吸が少しだけ楽だった。

加代子は古びたノートを引き出しの奥から取り出し、初めてそこに書いた。

「カミュ:人は、自分の考えの中に閉じ込められている囚人である」
——では、私は何に囚われているのか?

それは、自己否定から抜け出すための最初の問いだった。
肯定の言葉も、否定の言葉も、どちらも人を動かす。
でも、どちらを“選ぶ”かを決めるのは、自分自身なのかもしれない。

加代子は、ノートを閉じた。


眠れなかったはずの夜の終わりに、少しだけ眠気が差してきた。
囚人としての朝を終え、「問い始める者」としての朝を迎える前に。


 
 
次回に続きます・・・・第2章:問いのかたち
加代子の内面の問いが、少しずつ言葉と向き合う旅へと変わっていく始まりです。

 

 

  独り言・・・

 

私が哲学っていうモノに触れる機会がありました。
今まで伝えていたことは、哲学だったのかな?と思い、方向性を変えた投稿をしてみようと思います。
 

どうでもいいような、ありふれた日常

ワクワクを抑えられない予定

他の人がスルーしてしまうような些細な事

待ちに待った物語の続き

陰鬱な寝起きの朝と雨の日

 

誰もが楽しみって思わないかもしれない。

 

他の誰かには無価値でただの普通のコト

 

そんな何でもない、面白くもない事にも

私は価値と素敵を見つけて、自分だけの楽しいを作り上げる!

価値を見つけて作り出すのは自分の力

 

何に価値を見つけて、楽しみって思うことが出来るのか?

 

価値のあるモノって言ったら、もちろん高額な商品

ブランド物や車は誰が見ても文句のつけようがないくらいに価値がある。

単純に、金額。

高いモノには価値がある。

 

お金の価値が、そのまま物の価値になる。

人の思いも考えも価値観も何もかも関係なく、意味と重さを決めている。

それくらいにお金が重要で大きな力を持っているんだろうね。

 

でも、お金以外のことには誰もが違う価値を見出しているんじゃないだろうか?

 

好きなモノは、好きな人にとっては価値があるだろうし

嫌いな人には不要なモノになる。

 

例えば・・・

行事なんてその典型なんじゃないかな?

運動会や合唱コンクールみたいな行事は、好きな人や得意な人には意味ある時間だろうし

楽しみであり、目標や目的になっていく。

でも、苦手な人にはストレスでしかないし、出来れば参加もしたくない。

残念ながら、私は集団行動が苦手だから後者だったね。

 

他にもお祭りや飲み会のような身内だけの催しだったとしても

好きな人には最高の時間になるんだろうが

嫌いな人には最低の時間になる

 

同じ時間を過ごしていても、価値観が違えばまったく捉え方が違う。

食べ物だろうが、テレビの番組や映画やアニメも同じだし、

お笑いのセンスやツボだって違う。

 

何もかも人とは違うモノに価値を見出せるのが私達なんだから、

自分だけの価値あるものを自分で決めたって良いって思えないかな?

 

  誰にも伝わらなくても気にしない

 

誰にも分からない、伝わらないことがある

私だけにしか分からない楽しみがある

 

他の人からしたら普通のコト

通り過ぎてしまうようなこと

 

行事は誰もが同じ気持ちで向き合えない

趣味趣向だって誰にも伝わらない時がある。

 

それなのに、他人の評価が気になってしまうから、なかなか自分の好きを言えない気持ちがある。

自分の好みが周囲の人と合わないと、色者扱いをされて浮いてしまう。

 

私達はいつも他人の視線を気にしながら生きているから

自分の好きを言えない時もあるし、楽しいややりたいが出来ない。

みんなと楽しく過ごしていくためには、自分の好きを出さない方が楽に生きられる時もある。

 

誰かが否定することはダメなことだっていう先入観があって

自分の楽しいが誰かに受け入れられなかったら、仲良くなれないし一人ぼっちになってしまう

もうね綺麗ごとを抜きにしたら

性癖なんて個人でしか分からない。誰にも伝わらない事なんて沢山ある。

だから誰にも言えないし、共感も共有も出来ないから

悪いことで、言ってはダメなことで、人を不快にしてしまうことだって感じているんじゃないかな?

だから取り繕って、普通の人を演じていたり

自分の気持ちを押し殺して生きていくことになる。

 

他にも、誰かを好きな気持ちだって同じだろう

告白してフラれてしまったら、その後の関係が面倒になるって思うだろうし

自分なんかが伝えたらダメだってネガティブな気持ちもある

何より、誰かに知られたら恥ずかしいとか、迷惑がかかるとか、いろいろ考えるんじゃないかな?

 

自分以外の誰かの価値観で生きていくのは、その自分の気持ちで真っすぐ生きていくことへの抵抗があるから

常に誰かの評価と言葉を気にして

共感と共有できる範囲のことに価値を見出して、自分を誤魔化している。

 

誰かが無価値だって言ったら、価値が無くなるし

誰かが価値がある!楽しい!素敵って言ったら、とても魅力的に見える。

 

でも、私は運動会も合唱コンクールも嫌いだったから価値は無かったし

ブランド品や車にも興味が無いから、価値があっても不要な物

お祭りや飲み会は楽しいけど、ほんの少しで良い。

 

私は私の好きに真っすぐで生きていくのが楽しいって感じているから、

人の言葉を気にして自分の好きを追い求められないのは嬉しくない。

 

お金の価値だけでは見つけられない価値を自分だけが見つけることが出来るはず!

私は楽しみを積み上げて、全力で楽しめる方法を探している。

 

  価値を作り出すのは自分で出来る。

 

例えばさ・・・

公園に行くっていう行動

誰かからは普通のことだし、面倒なことかもしれない。

でも、子供たちはきっと楽しみにしているし、大人の私ですら公園に行くだけで気持ちが良い。

 

公園に行くって言うありふれたことでも、価値を見出すかどうかは自分次第。

 

 

今週の休みは公園に行こう!って考えたらさ

 

何処の公園に行こうか?

広いトコロか?遊具がある所か?水遊びが出来るトコロか?

行ったことが無い場所にするのか?景色が良いトコロにするか?

公園に行ったら何をしようか?

お弁当は食べたいな!本を読んでも良いな!昼寝は必須だ!

散歩は絶対するだろうし、走ってみても良いな!

何を持って行くかな?

アクティビティが必要なら準備しないとな!あそこは焚火が出来る場所だったな!

ベンチがあるからシートは要らないな。ダラダラゲームするかもしれないしな。

どうやって行こうかな?

近いし自転車で行くか?運動したいから走っていく!公園を楽しむためには車が良いな。

遠くに行きたいから電車でも良いな~

他にも行きたいところあるかな?

神社近くにあるかな?桜の時期だから見たいな!お弁当は現地調達できるか調べないと

 

公園に行くだけでも準備して、予定を立てて、最高の楽しい時間を作っていくことが出来る!

大人からしたら、公園行って何するの?大変じゃない?

寒い・暑い・虫がいる・日差しがある・・・

簡単に否定する言葉が溢れてくる。

 

こんな言葉に惑わされたくない!

「そうだよね・・・普通にイオンでスタバが良いよね。」

なんて誰でも共感できる楽しいや面白いを求めたくない!

 

自分の価値は自分で決めて、価値あるものは自分で作り上げる!

 

どんなことでも、

予定を立てて、前々から準備していくことで楽しいは作り上げることが出来る!

結果なんか分からない。

旅行は計画している時が一番楽しい!って言うのと同じこと

 

買い物に行くだけ

動画を見るだけ

本を読んだり

カラオケに行ったり

お酒を飲んで、ご飯を食べる。

 

別に普通の日常の生活の一コマかも知れない。

でも、そこに価値を見出して、楽しいを作って、魅力を引き出すのは自分で出来る!

他の人に伝わらなくても自分が楽しいなら最高じゃないか!

 

他人の決めた価値なんて私には何の意味も持たない!

私は自分が選んだものに価値を見出すし

自分が選んだ楽しいと素敵を真っ直ぐに追い求める!

そこに恥ずかしいとか、否定されるかもしれないとか、共感されないなんて考えているから

自分のコトを否定することになる!

 

自分の好きに真っすぐに生きていくことが出来れば、自分を好きになるし

自分の時間を大切にすることが出来る。

私はそれでありのままに自分が輝ける!って勝手に思っているから、そう行動している!

 

たまにはネガティブになる時もあるけどね

 

 

私だって、常に前向きいつでも元気でポジティブ!

で、居られるわけじゃない。

 

不安定な時もある

誰かの声を聞きたい時もある

 

思うところが増えるのは、積み上げた時間が長いから。

たまには振り返ってしまう時もある。

 

そんな時にどうするのが正解なのか

私には分からない。

 

ただ、なんとなく

 

何とか出来るのは自分しかいないんだろうなって感じてる。

 

自分のコトは自分でしか助けられない

自分の心のモヤモヤ

不安手になっている精神

弱音を吐きたいどうしようもない気持ち

 

どうするのが良いのか?

 

人それぞれ解決策は違う

 

誰かに話を聞いてもらうことで、気持ちを整理できる人も居る

とにかく動いて忘れてしまおうとする人も居る

何かに集中して落ち着かせようってする人も居る

誰かと一緒に居ることで安心できる人も居る

 

それぞれ、自分の気持ちを立て直す方法があって、自分に合った選択をすることで

前を向けるようになるんだろう。

 

でも、それを選ぶのは自分自身だし

自分がなんらかのアクションを起こさないと何も変わらない。

 

どの選択肢もきっと正解だし

間違いはきっとない。

何とかしようと思うのなら、自分からアクションしないとダメなんだろう

 

  私には何も必要ない。

 

私の場合は、人に話しても何も解決出来ない。

誰かに愚痴るのは好きじゃないし、自分のアレコレを話しても相手は興味ないだろう。

興味のない話を延々と聞かせるのは

本当に申し訳ない想いがしてしまう。

 

それに誰かに話したとして、何も得られないって私は思ってしまっている。

人に弱音を吐いて、共感してもらう

愚痴や文句を酒の肴にするのは定番だと思う。

 

でも、それで何かが解決するわけじゃない。

共感して、同じ気持ちになって・・・

なんなら相手のネガティブまで貰ってしまって、さらに自分が落ちていく。

相手にも負担をかけてしまうだろうし

自分も落ちていく。

 

悲劇の主人公になりたいなら良いのかもしれない。

誰かに話して、アドバイスを貰ってしまうこともあるだろう。

本当に善意の押し売りは必要ない。

アドバイスは確かに有効だろうし、助言を求めている時ならとても助かる。

専門的な知識が必要だったり

経験のないことを始めたい時には、経験者の話しを聞きたい

 

でも、自分が不安定な時にアドバイスなんか貰っても重いだけ。

出来ないのに、やる方法を言われても

負担にしかならない。

 

何より、そのアドバイス・・・

私に合っているとは限らない。

私とあなたは違うのに、私の何を知っているの?って思ってしまうことがある。

私だってそれなりに経験しているし

それなりの知識を持っている。

 

その上で、何を言っているのか?

あなたの価値観はあなたの中で完結してくれたらそれでいい。

人に言って回る必要はない。

 

私がひねくれているだけだろう。

 

  自分気持ちは自分でしか助けられない。

 

人との繋がりが欲しい時は山ほどある。

私の場合はそれが強いんだろう。

だから、人に振り回されるし、気を使うから自分のコトを話す気になれない。

 

人の前では、楽しい元気な人で居たいから。

だから、弱っている時・・・弱音を吐きたい時や不安定な時、寂しいって感じる時は

誰かと関わらない。

 

弱っている時に出る言葉も会話も、楽しいことは何もない。

だから絡まない。

 

楽しい!がしたいのに、出来ないなら

出来るようになるまで近づかない。

 

そして、自分を見つめるだけの時間になる。

何をしても楽しくない。

何も手につかない。

 

そういう時が続く。

仕事は休めない。毎日のルーティンはやらないと気持ち悪い。

流れに流されて

楽しくないだけの時間が積みあがっていく。

 

自分の気持ちを立て直すなんて簡単じゃない。

出来ることが出来ないんだから、どうこうすることなんて出来はしない。

 

だから私は自分に言うだけ。

『大丈夫』って

 

意味は無い。意図もない。ただ言葉を自分にかけるだけ。

何にも大丈夫じゃない。

解決も何も出来ないし、乗り越えられない。

でも、だからこそ出来ることをするしかない。

何も出来はしないけど

言葉を吐くくらいは出来るから

 

誰かに愚痴れるように

自分に言うだけ

『大丈夫』ってさ

 

それの繰り返し。

大丈夫なるまで

 

誰も助けてはくれない。助けなんて望んでない。

手を伸ばされたら頼りたくなる。

でも、その後に申し訳ない気持ちに負けてしまう。

誰かに話して共感されたら、さらに落ちていってしまう・・・

お互いのネガティブを積み上げるから

 

もし、あなたに助けてくれる人が居るんなら

素敵なコトだから大切にして欲しいって思うよ。

 

私は大丈夫!

だって私はシンプルフレーズ

波乱も何も全部素敵に変えて行けるって信じているから!

 

 

やめたことも諦めたことは沢山ある。

私は両手に持てる分しか持てない。

持ちきれない部分を整理していかないと、溢れたモノに押しつぶされてしまう。

 

出来ないことに時間を使うのは勿体ない気がするし

自分が無理ない範囲でしか出来ることも出来ない

 

だから、無理じゃなく

楽しいって思える現実を作れるように生きていきたい

 

減らしていくからって、暇な時間が出来たり

何かが無くなっていくわけじゃない。

 

新しい何かに挑戦したくなるし、始めたくなる。

何かを始める・挑戦するためには、余裕が必要だから

何かを手放す必要がある。

 

出来ることをやる為には、出来ないことを諦めないとダメな時もある。

 

それで結局プラマイ0でトントン

 

私が選んだのは無理しない生き方。

 

「諦める」私の諦めるは、明らかにして受け入れる事。

出来ない事実を受け入れて、持てない現実を受け入れる。

大切に出来ないモノやコトを理解していって、受け入れる。

 

出来ないことは出来ないんだから、私は無理しない。

 

生きていたら、気持ちが変わることもある。

興味がある事も変われば

好き嫌いも変わる

一回経験したら必要ないって思えることもあるし

違う何かを探したくなることもある

 

成長や積み重ねた経験で物事の捉え方も変わるし、見方も変わる。

 

その変化の中で、挑戦したいことや始めたいことが出来ることもよくあること。

そしたら、新しい何かを手を伸ばすためには

今あるモノを手放さないと出来ない時がある。

 

だからって、手放したものを二度と手に出来ないわけじゃない。

今は自分が持ちきれないから、置いておくだけ

余裕が出来たら、

気が向いたら、

必要になったら、

また手を伸ばして取ればいい。

 

だから、気軽に置いておく。手放しておく。

  無理しないために選んだのは、生きやすくなる為の選択

 

私が望んでいるのは、自分を否定しないで生きていくこと。

 

正直、自分のコトを考えればネガティブな事ばかりが思いうかぶ。

 

楽しくない思い出

忘れたい過去

謝りたい人たちに

望んでいない現実のカタチ

 

全部受け入れたくないし、拒絶して楽に成りたい。

 

でも、私が今まで生きて来た事実がある以上

自分の意思に関係なく、過去はある。

 

悲しいけどそれが現実。

 

でも、だからっていつも自分を責めてばかりでは・・・

今が無意味だし、未来も必要なくなってしまう。

自分自身を諦めて、手放したくなってしまう。

 

そんな勇気はない。行動には移すことは出来ない。

 

だから・・・・

許して、認めて、良かったって言えたら素敵。

良かったって言えたら、きっと自分のコトを好きになれるって感じている!

簡単じゃない。

嫌な事を全部良かったって言えるほど私は強くない。

だから、目をそらす・・・気持ちを違う方向に向ける。

見方を変えて、受け取り方を変えて、悪かったことだらけの中から、素敵だけにフォーカスしたい。

その為に

 

私が諦めたこと・止めたこと

私が唯一手放して、持つことが無いって思うのが

他人に期待する事。

 

それ以外はただ置いてあるだけ。別に捨ててない。

今の私には持ちきれないし、気持ちの整理が出来ないし、コントロールできないから置いてある。

 

愚痴や文句を言ってしまえば、言葉に影響されて自分のメンタルも落ちていく

計画や予定をばっちり立てて、上手くいかなければ苦しくなってストレスになる

誰かと競えば、誰かを否定したくなるし

持ちきれないモノを持とうとすれば、どこかに無理が出て失って悲しくなる。

 

私はもう十分その経験を堪能した。

もう満足です。ご馳走様です。ありがとうございました。

 

もし、この先の私に余裕が出来て、手が空いて・・・気になったら

また手を伸ばして見るだろう。

 

それくらいの軽い気持ちで取捨選択をしている。

ただね・・・

他人に期待するのは正直辛い。

他人に期待している自分が許せない。

裏切られるって言うより、他人を裏切ってしまう自分が辛い。

期待する時は、同じように期待されてしまう。

 

私には、期待にこたえられるようなモノは何もない。

人の期待を背負って生きて行けるほど強くないし、頑張れない。

 

他人との距離感だけは、ほどほどが良いかなって今は感じてる。

 

私が始めたこと・挑戦しているコト

自分の気持ちを前向きにする為にやりたいことを考える。

前向きな気持ちの時には、自分を否定することを考えないから。

常に忙しくすることで、悪いことを考える時間を作らないようにする。

 

手の空いた時間

暇な時間

 

そんな時間を有意義に感じる為に、自分の好きを探すようにする。

好きを探している時間は、楽しい想像や想いを沢山出来る。

 

妄想と想像の世界だけかもしれないけれど、自分は自由に行動出来て、願いが何でも叶う。

そんな時間があっても良いじゃないか。

 

その中で、手が届きそうなことやどうしてもチャレンジしてみたいことを

リストにしていく。

順番に手を伸ばして見て、出来るか出来ないかじゃない

やってみることに時間を使って行く。

 

上手く出来なくても、失敗しても、やりたい事リストが埋っていく。

それだけで十分満足出来て、素敵な時間の積み重ね。

 

自分を否定する理由を忘れて

人生を楽しんでいける方法になるって信じてる。

  それぞれの価値観だろうけど、私は『自分を否定しない』が楽に生きる選択


何も出来ない私。

そうじゃない、出来ることしか出来ないだけ。

今までは、何でも出来るようになろうとしてきたから、挫折の連続になった。

 

出来ないことが出来るようになることは素晴らしい!

でも、出来ないままだと自分を否定したくなる。

 

もう十分否定してきました。

否定しながらの残りの時間を使って行くのは、疲れました。

だから、否定しないで生きていきたいって思う。

 

楽に生きる為には、肩の力を抜いて

今の自分を受け入れながら、出来ることを楽しんで行くのか素敵だって私は感じた。

 

人との摩擦に疲れてしまうから

人に合わせた仮面を付けて、

その場を楽しめるキャラクターを演じて

あとから、自分に「大丈夫」って言えば良い。

 

別に、特別仲良くなる訳じゃない。長い付き合いになるわけじゃない。

今だけの関係を楽しく過ごせたらそれで良い。

 

誰にでも合わせる必要はない。

 

近しい人が出来、仲良くなれた人がいたなら

カッコつけず

背伸びしないで

等身大で良いんだって

気を使う理由もない。

 

人間関係はそれで十分。

あとは、自分の「楽しい」を探して、行動していけば良い。

私は、無理しない頑張らない。

私は、私にしか成れないし、出来ることしか出来ない。

 

それで良い。

 

その為に、

無理なモノは諦めて

好きと楽しいに挑戦して

自分の気持ちを否定しないで真っ直ぐに生きていく。

 

自分を否定しないで生きていけるって本当に素敵だって思えてる!