今月のブログは、連載形式での投稿をしていきます。

『自己を見失いながらも、哲学の思索を通して少しずつ自己理解を深めていく』

姿を描いていきます。

最後までお付き合いいただけたら幸いです。

 

主人公:加代子

正しくあろうと、正解を選びたいけど選べない葛藤の中で、

自分を否定したくなる気持ちを持っている。

 

 

『“わたし”に耳をすませる』

第32章:わたしという場所を、生きる

あの日からずっと、加代子の頭の中には、ひとつの言葉がこだましていた。

 

「問いを抱える」ことは、「答えを出せない自分」に耐えることでもある。

 

耐える……というより、「そのままでいる」こと。

誰かに急かされるわけでもないのに、正しい言葉、間違っていない態度、角の立たない返答を探そうとする癖は、なかなか抜けなかった。


むしろ、考えれば考えるほど、言葉が遠ざかっていくような日もある。

「これでよかったのかな」
「また、誰かを嫌な気持ちにさせたかも」
「わたしって、やっぱり……向いてないのかもしれない」

失敗した記憶の断片が、容赦なく心に押し寄せる。

 

正しさは、かつて加代子にとって**「罰を避けるための盾」**だった。


自分のせいにしておけば、誰かに責められるよりは楽だった。
誰にも責任を押し付けない、いい人でいれば、少なくとも嫌われない……
そう信じて、がむしゃらに“正解”らしきものを生きてきた。

 

でも、そんな日々の先に残ったのは、自分の輪郭がわからなくなった苦しさだった。

 


 

「正しくあるより、優しくありたい」
どこかで読んだその言葉に、心が反応した。

 

けれど、加代子はすぐにはその言葉を信じることができなかった。

「“正しくない”って、責められるかもしれないじゃない……」

問いすら持てない夜が、たしかにあった。


沈黙が重くのしかかるように感じていた。
言葉にするのが怖くて、誰かに見放されるのが怖くて、ただ笑ってやり過ごしていた。

だけど。

 

最近、少しずつ変わってきた自分がいる。

自分の言葉で話すと、たしかにどこかが揺れる。
でも、それでも人と繋がれる瞬間があると知った。

 


 

ある日の午後、理子とカフェで話していたとき、ふと理子が言った。

「加代子さん、最近、話すときの目が変わってきましたよ」
「え?」
「なんていうか、“自分のことを信じてる人の目”って感じ」
「そんな……信じてなんか……」
「ううん。まだ完全には信じてないかもしれないけど、問いかけてるでしょ、自分に」
「問いかける……?」
「うん。迷ったり、戸惑ったりしながらも、ちゃんと自分に向かってる。それってすごいことだと思う」

加代子は、熱いコーヒーを両手で包み込みながら、その言葉を胸に染み込ませた。


確かに、以前の自分は、いつも**“外”に答えを探していた。**

 

誰かに決めてほしかった。

誰かに言ってほしかった。「それでいいよ」って。

でも今は、問いの端っこに、自分の声がある気がする。

 


 

帰り道、夕暮れの風の中で、加代子はふと立ち止まり、心の中で言葉を確かめるように繰り返した。

 

わたしは、間違ってもいい。
選びきれなくてもいい。
正しさよりも、「今の自分が大切にしたいこと」を選んでもいい。

 

それは、以前の加代子なら、声に出すことすら怖かった言葉だった。
甘えだと思われたくない。
言い訳に聞こえるかもしれない。
そんな不安で、ずっと喉の奥に押し込んでいたもの。

けれど今、それを静かに肯定できる気がした。

 


 

「加代子って、優しくなったよね」
ある日、夫がぽつりと言った。
「えっ……?」
「なんか、前はもっとピリピリしてたというか。今は、ちゃんと怒ったり、ちゃんと笑ったりする感じが……いいなって」

何も言えずに、加代子は台所で手を止めた。
あぁ、そうか。怒っていいんだ。笑っていいんだ。


正しいかどうかじゃなくて、生きている“わたし”として、感じていいんだ。

 


 

誰かの答えに従うより、
誰かの正しさに寄りかかるより、
**「わたしの中にある問いを大切にすること」**が、今の加代子を支えている。

 

「選べなかったことも、失敗も、迷いも、
全部含めて、今の私なんだなぁ」

そう思えた瞬間、
自分の“曖昧さ”に、ようやく優しさを向けられた気がした。

🔹次章予告:第33章:「“わからないまま”で、いられる強さ」

迷い続けても、問い続けても、
人と共に生きていく道は開ける。
“わからない”ことを受け容れながら前に進む、新たな地平へ。

 

  独り言・・・

 

正しさよりも、「今の自分が大切にしたいこと」を選んでもいい。

 

私の気持ちがここに集約している。

この言葉にたどり着くための物語。

 

立ち止まって良い

迷っても良い

悩んで、苦しんで、どうしようもない感情を抱えていても良い

 

私は、否定しない。

だからと言って、肯定して受け入れることもしない。

どうにもならないモノを持ったままで良い。

 

それが私なんだ。

正しさを求めているから苦しくなる。

 

「苦しいのは最善を目指しているから」

 

そのままで良いんだ。分からなくていいし、答えなんか出さなくていい。

大切なモノを見つけて、大切にしたいだけで私は生きていける。

それが素敵を選ぶって言うことなんだと、やっと気が付いた。

今月のブログは、連載形式での投稿をしていきます。

『自己を見失いながらも、哲学の思索を通して少しずつ自己理解を深めていく』

姿を描いていきます。

最後までお付き合いいただけたら幸いです。

 

主人公:加代子

正しくあろうと、正解を選びたいけど選べない葛藤の中で、

自分を否定したくなる気持ちを持っている。

 

 

『“わたし”に耳をすませる』

 

第31章:「“わかち合う”って、どういうこと?」

「ねえ、わかるよ、って言ってほしかっただけなんだと思う」
加代子は、小さくつぶやいた。
誰にというわけでもなく、自分の心の中に向けて。

 

何年ものあいだ、ずっと誰かに
「それはつらかったね」
「あなたは悪くなかったよ」
「よくがんばってる」
そう言ってほしかった。
そう言われたら、どれほど救われただろうと、思っていた。

 

けれど、今になってふと思う。

それは「承認」がほしかったのか。
それとも、「共感」がほしかったのか。

 

いや、どちらでもなくて——
「自分の痛みを、だれかに引き取ってほしかった」のかもしれない。

 

けれどその願いは、あまりにも重く、また複雑で、
たいていの人には受け取れない。
たとえ受け取ったとしても、相手を疲れさせるだけになってしまうこともある。

「誰かに“わかって”もらいたいって気持ち、
 時々、どうしようもなくなる」

思い返すと、かつての加代子は、
“わかってもらえない”という痛みを
“わたしなんて”という自己否定に変えていた。

 

「誰もわかってくれない=自分には価値がない」
そんな式を、無意識に心のどこかで信じていたのだ。

 

***

ある日、理子とカフェにいたとき。


隣の席の若いカップルが、ささいな言い争いをしていた。
「なんでそんなふうに言うの? わたしの気持ち、考えてくれたことある?」
「考えてるよ。でも、それが全部わかるわけじゃない」

 

その声を聞いて、加代子は思った。

「わかろうとしてくれること」と、「本当にわかること」は違う。

 

けれど、かつての自分は、“完全にわかってくれること”だけを望んでいた。

理子がつぶやいた。

「共感って、やっぱり“完全な理解”じゃないですよね。
 なんか、“寄り添おうとする姿勢”みたいなものなのかなって」

「……そうかもね」


加代子も、ゆっくり頷く。

「わたしね、ずっと“誰かがわかってくれるまで”
 話し続けなきゃいけないと思ってた」
「でも、最近、思うの。
 たぶん、それって逆だったんだよね」

「逆?」

「“誰かと違っていても、話せる”ことが、
 ほんとは、わかち合うってことなんじゃないかって」

「……深い……」

ふたりで笑った。

 

加代子は、さらに言葉をつむいだ。

「今までの私は、“同じになること”にこだわりすぎてた。
 同じ価値観、同じ気持ち、同じ痛み。
 でも、それは無理なことだって、今なら少しわかる気がする」

「だからこそ、今、ちがうままでも一緒にいられる関係を、大事にしたいの」

 

***

 

その夜。加代子は、日記帳をひらいた。
ペンを持ち、書き出した言葉は、かつての自分には書けなかったものだった。

 


 

“わかってもらえなかった過去”が、
“わかりあえない今”を受け入れる力になっている。

共感は、完全な理解じゃない。
でも、「わかろうとしてくれる時間」は、
かけがえのないものだったと気づいた。

誰かと、違ったまま、話し合っていけること。
それが、ほんとうの「わかち合う」なのかもしれない。

 


 

気づけば、加代子の胸には、
ほんの少しだけど、穏やかな光のようなものが灯っていた。

わかってもらえなかったことがあるから、
今、わかろうとする姿勢に、深く耳を傾けられる。

 

——それもまた、「自分を信じる」ひとつのかたちだった。

 

 

🔹次章予告:第32章「わたしという場所を、生きる」

“他者と共に考える”ことを覚え始めた加代子が、
“わたし”という存在を見つめ直す旅に進んでいきます。
個としての存在、自分の“選び”を持つことの意味とは?

 

  独り言・・・

 

深い・・・

 

分かって欲しい。

分かって貰えない。

 

伝えたい。

でも、伝え方が分からない。

なにより、人の目線や、相手の反応、自分のプライド・・・

何もかもが邪魔してる。

 

分かって欲しいけど、伝えられないモノがあるし、頑張って表現しても分かって貰えない。

共感を望んでいるのに、誰とも共感できる価値観を持てない。

 

私には私にしか分からない世界があって、私にしか持てない感想がある。

共感を望んでいるつもりなのに、共感なんて貰えない・・・

 

私自身が、他人のことを分かろうとしていないのかもしれない。

分かりたいと言っているのに、分かろうとしていない。

だから、共感も何もないんだろう・・・

 

分かり合えなくても、それで良いって言うのはただの甘えなのかな?

私が分れないから、分かり合えないってことを正当化しているだけなのかな?

 

相手が分ろうとしてくれている。

それをどうやって受け取るのか?私はどうしたら良いんだろう・・・

 

きっとその答えが”問”なんだろう

 

今月のブログは、連載形式での投稿をしていきます。

『自己を見失いながらも、哲学の思索を通して少しずつ自己理解を深めていく』

姿を描いていきます。

最後までお付き合いいただけたら幸いです。

 

主人公:加代子

正しくあろうと、正解を選びたいけど選べない葛藤の中で、

自分を否定したくなる気持ちを持っている。

 

『“わたし”に耳をすませる』

第30章:名前のない願いを、胸に

「何がしたいの?」
「これから、どうしていきたいの?」

最近、理子や子どもに、そう聞かれることがあるようになった。
それは悪意のない問いで、ただ加代子を思っての好奇心から発された言葉だった。

けれど、その問いに対して、うまく言葉が出ない自分に気づくと、
胸の奥に、わずかに苦みのようなものが残る。

 

——わたしは、何がしたいのだろう?

すぐに答えようとするクセを、今は少し抑えられるようになった。
けれど、それでも、どこかで焦りがある。

 

**「願い」**という言葉が、まぶしすぎて、遠くに感じるのだ。

 

「なにかを望むって、こわいことなのかもしれない」

心の奥で、加代子がつぶやく。
誰かに期待して、裏切られたときのこと。
望んだ未来が来なかったときの喪失。
そういう痛みを、何度も経験してきた。

 

だから、“こうなりたい”と思う前に、
「どうせダメだ」と言い訳をつけて、諦めることで自分を守ってきた。

「希望って、同時に恐れでもあるのかも」
「だって、願えば願うほど、叶わなかった時に傷つくから」

でも、だからといって、“何も願わない”でいることは、
どこか生きていないような感覚をもたらす。
それは「無難」だけど、「空白」でもあった。

「わたしは……ほんとは、どうしたかったんだろう?」

問いの中に沈んでいく。

 

***

 

ふと思い出すのは、子どもの小さかった頃のこと。

夜泣きで何度も起こされ、寝不足のまま仕事へ行き、
同僚に「もっとちゃんとして」と言われ、夫に「落ち着けよ」と言われ、
すべてに“ちゃんとしなきゃ”と思い詰めていた日々。

あの頃、わたしは“願うこと”を完全に手放していた気がする。

願うより前に、責任が山積していた。
なにかをしたい、と思うより前に、「するべきこと」が詰まっていた。

「願うなんて、甘えだ」
「求めるなんて、許されない」

そう自分に言い聞かせていた。

けれど、今なら、少しだけ違う言葉で言える気がする。

 

「願いは、必ずしも声に出さなくていい」
「まずは、自分の中で持っていていい」

 

心のなかにだけ、そっと仕舞っておく願い。
名前のないままでも、まだ輪郭が曖昧でも、
“ああ、これがわたしの感じてる何かなんだ”と、
じっくり味わっていくことは、できるのかもしれない。

 

***

 

ある日、理子とまた図書館に行った帰り。
公園のベンチに座って、ふたりで缶コーヒーを飲みながら話した。

「加代子さん、最近なんか、いい顔してますよ」
「え……わたし、そう見える?」

「うん。なんか、“考えてる”って顔。
なんでもわかってるふうじゃなくて、
“まだ途中です”っていう、素直な顔って感じ」

加代子は、少し笑った。

「……わたし、ずっと、途中なんだと思う」
「それでいいと思えてきたの」
「全部がわかってるふり、しなくていいんだなって」

「いいですね、その感じ。
“途中のまま、生きてる”って、たぶんいちばん人間っぽい」

「人間らしいって、未完成でいいってことだと思うんです」
──理子の言葉

その夜。
布団に入って目を閉じた加代子は、自分の心にそっと聞いた。

「ねえ、わたし、ほんとはどうしたい?」

すぐに答えは出なかった。


でも、以前と違って、その問いを、無理に押し込めたり、
焦って捻り出したりしようとは思わなかった。

「わからないままで、持っていよう」

名前のない願いを、胸に。

 

少しずつ形になるまで、
急がず、でも手放さずに。

 

🔹次章予告:第31章「“わかち合う”って、どういうこと?」

問いを持ち、願いを胸に抱えた加代子が、
“わかち合う”という言葉の本当の意味

共感と違う、“違いのまま共にいる”という距離感のあり方とは——

 

  独り言・・・

 

自分が仕事を持っていて、家事をして育児をする。

簡単に自分を追い詰めていく現実があらわれる。

 

子供の夜泣き・・・

経験した人なら分かるだろう。

 

逃げられない。誰も助けてくれない。

 

そして、それが当たり前のような風潮。

こんな世界でよく人が生きて行けると、今の私は感じてしまう。

 

もっと出来ることがあったはず

もっと伝えられることがあったはず

もっと何かがあったはず

 

私は無力だった。何も知らなかった。

今の私ですら、今を生きるだけで精一杯で余裕はない。

当時の私はさらに余裕が無かったんだろう

 

願いも思いも何も分からない。明日を迎えることが怖くて・・・眠ることが怖い。明日が来るから・・・

 

あの時から私は何も変わっていない。

世界も現実も変わっていない。

多くを学び、多くを経験してもなお・・・私は変わることが出来ない。

それでも、変われない現実と変わりたいと思う気持ちを持って、何も分からない自分を抱えて生きていても良いんじゃないかと、

今の私は感じ始めている。

 

綺麗ごとなんて何も言えない。

正解なんて存在しない。

どうしたらいいか?なんて私には分からない。

 

まだ私も旅の途中

 

今月のブログは、連載形式での投稿をしていきます。

『自己を見失いながらも、哲学の思索を通して少しずつ自己理解を深めていく』

姿を描いていきます。

最後までお付き合いいただけたら幸いです。

 

主人公:加代子

正しくあろうと、正解を選びたいけど選べない葛藤の中で、

自分を否定したくなる気持ちを持っている。

 

『“わたし”に耳をすませる』

第29章:わからなさと共に、ある

「わたし……ほんとは、何がしたいんだろう?」

ふとした瞬間に、胸の奥から問いが立ち上がる。

 

深夜のリビング。家族が寝静まったあと。
まだ少し温もりの残るマグカップを両手で包みながら、加代子はぼんやりと空間を見つめていた。

「これでよかったのかな」
「このままでいいのかな」
「何が正解だったんだろう」

以前の加代子なら、そんな思いが浮かんだ時には、すぐに“答え”を探してしまっていた。

 

インターネットの検索窓に、感情を丸ごと打ち込んでみたり。
誰かのアドバイスにすがるように、「どうしたらいい?」と聞いてみたり。

 

でも、今は違う。

“わからない”という状態を、ただそのまま、少しの不安と、少しの穏やかさと一緒に、そばに置いておく。

それができるようになった。

 

***

職場の同僚・理子とのランチタイム。


ファミレスの柔らかな照明の下で、コーヒーの湯気越しに理子がぽつりと言った。

「……なんか最近、加代子さんって、“すぐには決めない”人になった気がする」

「決めない?」

「うん、良いとか悪いとか、白とか黒とか、前より保留してるっていうか。
それって、なんか……落ち着くんだよね。
“急かされない”っていうか、“一緒に考えられる”って感じ」

加代子は驚いた。
自分が「何かを決められない不安」を抱えていたつもりだったのに、
その“宙ぶらりん”の感覚が、誰かにとっては“安心”に感じられていた。

「理子……ありがとう。うれしい」

ふと、加代子の中で、かつて心の中に住み着いていた“こうでなければ”という声が静かにしぼんでいくのを感じた。

「答えが出ないことは、未解決じゃない。
 そこにとどまり続けることもまた、“選び方”のひとつなんだ」

 

***

 

夜、リビングの照明を落としたあと、窓の外の暗がりを眺めながら、加代子は心の中で誰かに話しかけるように思う。

「わたしは、答えがほしくて、ずっともがいてた。
でも、本当は、“問いと一緒にいる”ことが、
“わたしと一緒にいる”ってことだったのかもしれない」

「なにが正しいか」ではなく、
「なにがいまのわたしに響いてくるか」


という軸で世界を見るようになってから、
過去の後悔も、自分の不器用さも、どこかやわらかくなった気がする。

 

いつか読んだ言葉が、静かに胸に降りてくる。

「完全な理解よりも、誠実な戸惑いを持ち続けることの方が、
 本当はずっと人間らしいのかもしれない」
—— 哲学者・岸見一郎の言葉だっただろうか。

“わからない”という場所から始まる対話がある。
“はっきりしない”からこそ、見える景色がある。

加代子の中で、その曖昧さがようやく、自分自身と重なって見えはじめていた。

 

***

 

最近、子どもと一緒に本屋へ行くことが増えた。

「ママ、これ面白そうだよ!」
「ほんと? じゃあ一緒に読もうか」

子どもとの会話も、“正しさ”ではなく、“関心”を共有するようになっていた。

家族という小さな世界の中で、“共に考える”時間が増えていく。
たったそれだけのことが、以前の加代子にはできなかった。

今はただ、それが嬉しい。

 

「問いとは、
 “こうあるべき”という場所から、
 “こうあるかもしれない”という広がりへ、
 自分を運んでくれる舟のようなものかもしれない」

 

問いに急かされず、答えを焦らず、
“わからなさ”と共に、今日を生きる。

そのこと自体が、
何よりも確かな歩みだった。

🔹次章予告:第30章「名前のない願いを、胸に」

 

加代子が“願い”を語れるようになる――
言葉にならないまま心にあった、名前のない願望が、
他者とのつながりの中で少しずつ形を帯びていく・・・

 

 

  独り言・・・

「なにが正しいか」ではなく、
「なにがいまのわたしに響いてくるか」

 

言葉って本当に不思議

 

同じ言葉でも、自分がどうやって受け取るのか?次第で意味が変わってしまう。

相手が同じ言葉を同じ気持ちで投げかけてきたとしても、

いい意味で受け取れるときと

不快な意味で受け取れるときがある

 

結局何を言われるか?じゃないし

誰が言うのか?でもないのかもしれない

 

意味を持たせているのは、いつも自分自身。

 

好きな人に言われた言葉と、苦手な人に言われた言葉が違う意味を持つように・・・

私達はいつも『何が自分に響くのか?』で変わるのかもしれない。

 

どんな言葉も出来事も、時間や環境も、全ては相対的

自分次第で世界は変わる。

 

私の世界を変えられるのは、いつも私自身なんだ。

 

どうしたいのか?どうなりたいのか?自分が何を望んで願うのか?

が、分かれば何でも願いは叶えられるんだろう。

 

でもさ、それが分からないから立ち止まっている。

今月のブログは、連載形式での投稿をしていきます。

『自己を見失いながらも、哲学の思索を通して少しずつ自己理解を深めていく』

姿を描いていきます。

最後までお付き合いいただけたら幸いです。

 

主人公:加代子

正しくあろうと、正解を選びたいけど選べない葛藤の中で、

自分を否定したくなる気持ちを持っている。

 

『“わたし”に耳をすませる』

 

第28章:“考える”は、誰かと生きること

「加代子、最近ちょっと変わったよね。前より、話を聞いてくれる気がする」

夫の何気ないひと言に、加代子は一瞬、箸の動きを止めた。

 

思わず、「そう?」と笑ってみせたが、その言葉は静かに胸の奥に降りていった。

 

***

 

かつての加代子は、“考えること”が、どこか自分を責める行為になっていた。

「私が悪いのかもしれない」「もっと頑張らなきゃいけない」「こんなことで落ち込むのは甘えだ」

自分の感情を拾い上げることすら許されないような気がして、心の声を見ないふりしていた。

 

けれど今は少し違う。

「私は、なぜこの言葉に傷ついたんだろう?」
「この怒りは、本当に他人に向けたものなのか? それとも……」

そんなふうに、自分の思考を“追い詰める”のではなく、“ほどく”ように問いかけられるようになってきた。

問いは、いつしか“他者との距離”を測るツールにもなっていた。

 

***

 

ある朝、息子が朝食のパンを残して学校へ急いで行こうとしたときのこと。

以前なら、加代子は「ちゃんと食べなさい」と即座に声を荒げていたかもしれない。

 

だがその日は、口をつぐみ、少し考えてから言った。

「パン、食べたくなかった?」

息子は驚いたように立ち止まり、うつむきながら「……ちょっとお腹痛いかも」と言った。

 

ああ、そうか——。

 

相手の“行動”だけじゃなく、“理由”に目を向けることで、会話は変わる。
そして、“問いかける”という姿勢が、相手の言葉を引き出す。

それが、ほんの小さな瞬間でも、“共に生きる”ということなのかもしれない。

 

***

 

職場でも、ふとした変化があった。

 

加代子がひとり、黙って作業をしていると、後輩の美月が戸惑った表情で声をかけてきた。

「加代子さん、ちょっと聞いてもいいですか? 失敗しちゃった案件の報告、どこまで言うべきか迷ってて……」

かつての加代子なら、ミスの話には慎重すぎるほど気を使い、「問題を大きくしないように」と考えていた。


だが、ふと、あの“問い”が蘇った。

——問いすら持てない夜は、どうしたらいい?
そう、自分が問いを持てずに苦しんだ、あの時間。

加代子は、美月の隣に椅子を引き寄せ、そっと言った。

「迷うってことは、それだけちゃんと向き合ってるってことだと思うよ。
一緒に考えてみない?」

その言葉に、美月の目が少し潤んだように見えた。

“考える”とは、“答えを与える”ことではなく、
“問いの場を開く”こと。

 

そして、その場に“誰かと一緒にいること”が、どれだけ心強いことか。

加代子は、理子と出会ってそれを知った。
今、それを誰かに返せるようになってきたのかもしれない。

 

***

 

夜、ひとりキッチンで食器を片付けながら、加代子はふと自分に問いかけた。

——私は、どうなっていきたい?

問いは、すぐに明確な形にはならない。
でも、前のように焦ることはなかった。
いまは、問いが“まだ言葉にならないまま”そこにあること自体を、大切に感じられる。

 

「言葉にならない思いがあること。
 それを抱えたまま誰かと共にいること。
 それもまた、“考える”ということの一部なのかもしれません」
——哲学者・鷲田清一の言葉を、加代子はそっと思い出していた。

“考える”は、孤独な営みではない。


ひとりで始まり、誰かと続けていく。

 

そしてそれは、
“わたしはここにいる”と静かに表明する、人生の歩き方そのものかもしれない。

 

 

🔹次章予告:第29章「わからなさと共に、ある」

“わからなさ”を排除せず、そのまま引き受けて生きるという態度に向かっていく加代子

不安や曖昧さを生きる力へと変えていく、繊細で静かな心の旅が続いていきます。

 

  独り言・・・

 

問いを持つ

それだけで、選ぶ言葉が変わって、世界の見方が変わっていく

 

答えを求めないだけで、気持ちが楽になる

問いを持つこと自体を目的にする。

分からなくていい、出来なくても良い、立ち止まっても良い、迷って悩んでも、それでいい

 

私はその一つ一つに目を向けて、問いかける

 

問いがあるから、言葉の向こう側に目を向けられる。

些細なことに違うアプローチが出来る。

 

それでも、表現できない何かがあって、見つけられない何かがある。

 

「言葉にならない思いがあること。
 それを抱えたまま誰かと共にいること。
 それもまた、“考える”ということの一部なのかもしれません」

 

感じることを考える。素敵なトビラになるのかな・・・。