今月のブログは、連載形式での投稿をしていきます。

『自己を見失いながらも、哲学の思索を通して少しずつ自己理解を深めていく』

姿を描いていきます。

最後までお付き合いいただけたら幸いです。

 

主人公:加代子

正しくあろうと、正解を選びたいけど選べない葛藤の中で、

自分を否定したくなる気持ちを持っている。

 

『“わたし”に耳をすませる』

 

第28章:“考える”は、誰かと生きること

「加代子、最近ちょっと変わったよね。前より、話を聞いてくれる気がする」

夫の何気ないひと言に、加代子は一瞬、箸の動きを止めた。

 

思わず、「そう?」と笑ってみせたが、その言葉は静かに胸の奥に降りていった。

 

***

 

かつての加代子は、“考えること”が、どこか自分を責める行為になっていた。

「私が悪いのかもしれない」「もっと頑張らなきゃいけない」「こんなことで落ち込むのは甘えだ」

自分の感情を拾い上げることすら許されないような気がして、心の声を見ないふりしていた。

 

けれど今は少し違う。

「私は、なぜこの言葉に傷ついたんだろう?」
「この怒りは、本当に他人に向けたものなのか? それとも……」

そんなふうに、自分の思考を“追い詰める”のではなく、“ほどく”ように問いかけられるようになってきた。

問いは、いつしか“他者との距離”を測るツールにもなっていた。

 

***

 

ある朝、息子が朝食のパンを残して学校へ急いで行こうとしたときのこと。

以前なら、加代子は「ちゃんと食べなさい」と即座に声を荒げていたかもしれない。

 

だがその日は、口をつぐみ、少し考えてから言った。

「パン、食べたくなかった?」

息子は驚いたように立ち止まり、うつむきながら「……ちょっとお腹痛いかも」と言った。

 

ああ、そうか——。

 

相手の“行動”だけじゃなく、“理由”に目を向けることで、会話は変わる。
そして、“問いかける”という姿勢が、相手の言葉を引き出す。

それが、ほんの小さな瞬間でも、“共に生きる”ということなのかもしれない。

 

***

 

職場でも、ふとした変化があった。

 

加代子がひとり、黙って作業をしていると、後輩の美月が戸惑った表情で声をかけてきた。

「加代子さん、ちょっと聞いてもいいですか? 失敗しちゃった案件の報告、どこまで言うべきか迷ってて……」

かつての加代子なら、ミスの話には慎重すぎるほど気を使い、「問題を大きくしないように」と考えていた。


だが、ふと、あの“問い”が蘇った。

——問いすら持てない夜は、どうしたらいい?
そう、自分が問いを持てずに苦しんだ、あの時間。

加代子は、美月の隣に椅子を引き寄せ、そっと言った。

「迷うってことは、それだけちゃんと向き合ってるってことだと思うよ。
一緒に考えてみない?」

その言葉に、美月の目が少し潤んだように見えた。

“考える”とは、“答えを与える”ことではなく、
“問いの場を開く”こと。

 

そして、その場に“誰かと一緒にいること”が、どれだけ心強いことか。

加代子は、理子と出会ってそれを知った。
今、それを誰かに返せるようになってきたのかもしれない。

 

***

 

夜、ひとりキッチンで食器を片付けながら、加代子はふと自分に問いかけた。

——私は、どうなっていきたい?

問いは、すぐに明確な形にはならない。
でも、前のように焦ることはなかった。
いまは、問いが“まだ言葉にならないまま”そこにあること自体を、大切に感じられる。

 

「言葉にならない思いがあること。
 それを抱えたまま誰かと共にいること。
 それもまた、“考える”ということの一部なのかもしれません」
——哲学者・鷲田清一の言葉を、加代子はそっと思い出していた。

“考える”は、孤独な営みではない。


ひとりで始まり、誰かと続けていく。

 

そしてそれは、
“わたしはここにいる”と静かに表明する、人生の歩き方そのものかもしれない。

 

 

🔹次章予告:第29章「わからなさと共に、ある」

“わからなさ”を排除せず、そのまま引き受けて生きるという態度に向かっていく加代子

不安や曖昧さを生きる力へと変えていく、繊細で静かな心の旅が続いていきます。

 

  独り言・・・

 

問いを持つ

それだけで、選ぶ言葉が変わって、世界の見方が変わっていく

 

答えを求めないだけで、気持ちが楽になる

問いを持つこと自体を目的にする。

分からなくていい、出来なくても良い、立ち止まっても良い、迷って悩んでも、それでいい

 

私はその一つ一つに目を向けて、問いかける

 

問いがあるから、言葉の向こう側に目を向けられる。

些細なことに違うアプローチが出来る。

 

それでも、表現できない何かがあって、見つけられない何かがある。

 

「言葉にならない思いがあること。
 それを抱えたまま誰かと共にいること。
 それもまた、“考える”ということの一部なのかもしれません」

 

感じることを考える。素敵なトビラになるのかな・・・。

今月のブログは、連載形式での投稿をしていきます。

『自己を見失いながらも、哲学の思索を通して少しずつ自己理解を深めていく』

姿を描いていきます。

最後までお付き合いいただけたら幸いです。

 

主人公:加代子

正しくあろうと、正解を選びたいけど選べない葛藤の中で、

自分を否定したくなる気持ちを持っている。

『“わたし”に耳をすませる』

 

第27章:問いはひとりで育て、誰かと花ひらく

「加代子さん、最近、何か考えてることある?」

理子の問いは、いつも唐突で、いつもやさしい。

 

加代子は、カフェの窓辺で紅茶を一口含んだあと、静かに言葉を探した。

「……“どうしたら自分を信じられるようになるか”、かな。
というより、“信じられないままでも、生きていけるのか”って感じ」

理子は一度、うん、と小さく頷いて、カップを置いた。

「わたしもさ、前は“答え”が欲しかったの。
でも最近は、“問いを持ち続けること”のほうが、大事なのかもしれないって思うようになった」

加代子はその言葉に、ふっと心の端がほどけるのを感じた。

 

「……問いを持ち続ける、か」
「そう。答えが見つからなくても、“考えることをやめない”っていう、その姿勢が、もしかしたら“生きる”ってことなのかも」

理子は窓の外の街路樹を眺めながら、言葉を続けた。

「ひとりで問いを育てる時間って、孤独に感じるときもある。
でも、誰かとその問いを共有できたとき、それって、思いがけず温かいんだよね。
まるで、心の奥にあった小さな蕾が、ふっと花開くみたいに」

 

***

 

理子のその言葉に、加代子は思い出す。

 

自分は、問いを持つことすら許されないと思っていた。
悩むことは「迷っているだけ」、
苦しいと言えば「被害者意識だ」と言われることもあった。


そんな日々の中で、「考えること」そのものが、責められる対象のように思えた。

でも、こうして誰かと問いを分かち合えると、まるで“心の孤島”に橋がかかるような気がする。

 

言葉にならない思いも、すぐには解決しない痛みも、
問いのかたちで、少しずつ形を持ち始める。

問いは、すぐに答えを求めなくてもいい。
育てる時間がいるのだ。


陽の光も、水も、静かな風も——そのすべてが、対話でしか得られない栄養かもしれない。

 

***

 

帰り道、ふたりは並んで歩く。

 

道の端に咲く小さな花に、理子が気づいてしゃがみ込んだ。
「この子、たぶん雑草なんだろうけど、ほら、ちゃんと咲いてる。誰にも見られなくても、咲くんだね」

加代子は、その花をしばらく見つめた。

「問いって、この花みたいね」
「うん、そうかも。ちゃんと、心の中で咲くんだよね」
「……誰かと一緒に見つけてあげられたら、もっと嬉しい」

そう言ったとき、自分の声が、以前よりもずっと自然で、やさしくなっていることに気づいた。

 

それは、変化だった。
だれかの問いに耳を傾けられるようになった自分。
自分の問いを、誰かと共有できるようになった自分。

 

「問いがあるところに、人間がある。
 問いを持つこと自体が、すでに“関わろうとする意志”なんだ」
——エマニュエル・レヴィナス

 

その言葉の重みが、ようやく腑に落ちてくる。

問いは、答えのためだけにあるのではない。
問いは、自分とつながるために、他者とつながるために、
ときに沈黙の中で、芽を出すのだ。

加代子のなかに、ひとつの確信が芽生えた。

 

——私は問いを持ち続けたい。


そして誰かの問いにも、耳を澄ませられる自分でいたい。

揺れながらでも。
答えが見つからなくても。
たとえ、小さな問いでも。

 

 

次回に続きます・・・第28章「“考える”は、誰かと生きること」

 

加代子が“考える”という営みを、日常の中でどのように活かし、家族や職場での関係にも少しずつ影響を与えていく
思考とは“孤独”ではなく、“共に在ること”でもある——そんな兆しを感じ取って

 

 

  独り言・・・

 

誰かと繋がる為の問い

自分とのつながりの問い

 

問いを持つのは、今の自分に不満がある?

納得できない何かがあって、受け入れきれないなにかがあるんだろう

 

だから、聞き流して、見逃して、スルーすることが出来ない

 

今までスルーすることが出来ていたのは、自分とすら繋がろうとしていなかったから

 

繋がろうと思う、関係を作ろうと、向き合おうとするから

理由が知りたくなり

原因を知りたくなり

思いを知りたくなる

 

そして、伝えたくなる

 

まだ、私は1人で生きて行けるほど強くないらしい。

 

 

今月のブログは、連載形式での投稿をしていきます。

『自己を見失いながらも、哲学の思索を通して少しずつ自己理解を深めていく』

姿を描いていきます。

最後までお付き合いいただけたら幸いです。

 

主人公:加代子

正しくあろうと、正解を選びたいけど選べない葛藤の中で、

自分を否定したくなる気持ちを持っている。

 

『“わたし”に耳をすませる』

 

第26章:たとえ揺れても、そこに在るもの

夜、洗面所で鏡を見つめながら、加代子はふと、今日一日のことを思い返していた。

 

楽しかった——
けれど、ふとした瞬間に心が揺れる。


「あの言い方、ちょっと傷ついたかも」
「私のあの返し、変じゃなかったかな」
気にしすぎる癖は、まだ簡単には消えない。

洗顔タオルを手に取ったとき、不意にある言葉が胸に浮かんだ。

 

「心は、波立つ湖のようなもの。
 大切なのは、波があることを否定しないこと。」
——鷲田清一『「待つ」ということ』

 

波立つことを「いけないこと」だと、ずっと思ってきた。
だから、自分の気持ちが揺れるたび、「私はまだ未熟だ」と、責めていた。

でも今は、波があること自体を、少しずつ受け入れられるようになってきた。
揺れは、悪ではない。
むしろ、その揺れの中で、自分という湖の“深さ”を知るのかもしれない。

 

***

週末の図書館。


理子と加代子は、ふたりで哲学書の棚の前に立っていた。
理子が一冊の文庫本を手にとって、加代子に差し出す。

「これ……読んでみた? ハンナ・アーレントの『人間の条件』」
「ううん、まだ」
「この中にね、“世界に対して責任を持つことが、思考の出発点になる”っていうくだりがあるの。
 なんかさ、今の私たちに響く気がして」

加代子はそのページを指でなぞる。
「思考の出発点……」

責任。世界。


そんな大きな言葉に、一瞬たじろぎそうになったけれど、理子がすぐに言った。

「でもね、私たちが“自分のことを考える”ってことも、“世界に対する責任”の一部なんだと思う。
 自分の思いを自分で考え直すこと、それだけで、ちゃんと“考えてる”って言えるんだよ」

加代子は小さく頷いた。

 

「揺れてもいいんだよね」
「うん。むしろ揺れるからこそ、考えることができる。
 揺れない心は、たぶん、もう止まってるってことだよ」

ふたりは小さく笑い合った。

 

***

 

その帰り道。加代子は、心の中で自分に問いを置いていた。

「私は、このままどうなっていきたいんだろう?」

それは、「もっとポジティブになりたい」とか「過去を乗り越えたい」とか、そういう派手なものではなかった。

ただ——

 

揺れながらでも、人と繋がっていたい。
自分と切れずにいたい。

それだけだった。

 

過去の自分を完全に受け入れられたわけじゃない。
今も、できないことがたくさんある。
でも、それでも生きている。
思考しながら、関わりながら、生きている。

 

「私たちが“変わる”とは、
 今ある“私”の中に、“まだ知らない私”を住まわせること。」
——鷲田清一

 

加代子は、その“まだ知らない私”を、そっと心に迎え入れようとしていた。

遠くで、夕焼けに染まる街の音が聞こえる。


誰かが自転車のブレーキをかける音、子どもの笑い声、風に揺れる木々のざわめき。

どの音も、自分に向けられたものではないけれど、確かに、世界と繋がっていると感じた。

言葉にならない感情も、
揺れながら続く日常も、
“考えること”の中に、ちゃんと存在している。

 

それだけで——今は、十分だった。

次回に続きます・・・第27章:問いはひとりで育て、誰かと花ひらく

 

「……“どうしたら自分を信じられるようになるか”、かな。
というより、“信じられないままでも、生きていけるのか”って感じ」

理子は一度、うん、と小さく頷いて、カップを置いた。

 

  独り言・・・

 

まだ知らない私

 

建て前の自分と、自分の気持ち 間には見えない壁があって、越えられない境目がある

 

人に合わせようとする自分

自分の意思で行動しようとする自分

どちらも間違いなく私なのに、そこにはジレンマも葛藤もある

 

過去の私と今の私・・・変わってきている。変わっていく。成長しているように見えて変わっていない私。

 

どれもこれも、私はなにも分かってない。

 

どうなりたいのか?

 

答えられないのに、自分を探す意味もない。なにも考えないで、気にしないで、流されるままに生きる方が楽なのに。

楽しくないって不満をこぼすのは、自分を探したいと思うから。

 

まだまだ私も先は遠い

今月のブログは、連載形式での投稿をしていきます。

『自己を見失いながらも、哲学の思索を通して少しずつ自己理解を深めていく』

姿を描いていきます。

最後までお付き合いいただけたら幸いです。

 

主人公:加代子

正しくあろうと、正解を選びたいけど選べない葛藤の中で、

自分を否定したくなる気持ちを持っている。

 

『“わたし”に耳をすませる』

 

第25章:ひらかれた時間の中で

午後の光が、ゆっくりと部屋を横切っている。
窓を開けると、柔らかな風がカーテンを揺らし、子どもの笑い声が遠くから届いた。

加代子はキッチンに立ち、温かい紅茶を淹れていた。ダイニングテーブルには、理子と、もうひとり、ママ友の優子が座っている。


二人は笑いながら、さっきまで話していた「言葉の行き違い」についてのエピソードを振り返っていた。

 

「なんか、昔の私だったら“そんな風に言われたら落ち込む〜”って、引きずってたと思うの。でもね、今は、“言い方がちょっとトゲあったな”くらいで済ませられるようになったのよ」


優子が言い終わると、理子が頷きながら言った。

「それ、すごくわかる。言葉に敏感になると、自分の中の意味づけでどんどん拡大解釈しちゃうんだよね。でも、最近私も“その言葉は、たぶんその人の都合で出たもの”って、ちょっと距離をとれるようになってきたかも」

その会話を聞きながら、加代子は静かに笑った。

 

──こんなふうに、誰かと話して笑っている自分がいる。

それは、以前の自分にとって「願っても手に入らない時間」だった。
言葉を選びすぎてしまい、誤解されないかばかりを気にして、深い関係を築けないままだった頃。

でも今は違う。
自分の言葉を怖がらず、誰かの言葉をすぐに「敵」と感じない。
それだけで、こんなにも時間はやわらかく、世界は優しくなるのだ。

 

***

 

「ねえ、加代子さん」
ふと理子が、声をかける。

 

「加代子さん、前に“自分の気持ちを言うのが苦手”って言ってたけど、今ってどうなの?」

加代子は、ちょっと考えてから答えた。

「うん、やっぱりまだ、上手には言えないの。でも、下手なままでも、いいかなって。うまく言おうとすると、気持ちがどんどん離れていく気がして……。それより、“言葉にならないままの感情がある”って、わかってくれる人と話せたら、それだけでいいのかなって」

 

理子が、優子が、ゆっくりと頷く。

「言葉にしきれないものも、共有していいってことよね」
「そうそう。沈黙の間に流れる“何か”を信じられるようになったっていうか」

「……ねえ、こんなふうに他愛のない話をして笑えるのって、なんか贅沢ね」
加代子が言うと、三人の笑い声が重なった。

 

そのときだった。小学生の息子がランドセルを背負って玄関から顔を出す。

「ただいまー! ママ、おやつある?」

「あるよー、ちょっと待ってて」
自然と出たその声に、柔らかな安心が混じっていた。

 

***

 

人間関係が変わった。
それは、相手が変わったということではなく、
「自分が、自分を隠さなくなった」ことによる変化だった。

 

自己表現が変わった。


それは、何か上手になったというよりも、
「うまく言えないままの気持ちも、そこにあると認めること」ができるようになったからだった。

問いは、まだたくさんある。
過去の傷も、ときどきうずく。

 

でも——

 

いま、この時間のなかに「答えではない幸福」がある。
加代子はそれを、しっかりと手に感じていた。

次回に続きます・・・第26章:たとえ揺れても、そこに在るもの

 

「揺れてもいいんだよね」
「うん。むしろ揺れるからこそ、考えることができる。
 揺れない心は、たぶん、もう止まってるってことだよ」

 

 

  独り言

 

ほんの少しの気付きや、見方を変えることが出来るだけで

自分の周囲の環境が変わっていくことがある。

 

今までと変わらない環境や、同じ人間関係の中でも

人の言葉に左右されない自分がいるだけで、とても居心地の良い時間を送ることが出来る。

 

自分の世界は自分が作っている。

人は見たいモノを見る生き物だから、自分の望んだ形を作り上げている。

それを引き寄せって言うのかもしれない。

 

結局、自分の世界を変えることが出来るのは自分だけ。

他の誰かの言葉や影響で作られる世界があるのは間違いないと思うけれど・・・

選んで、決めて自分のモノにしていくことが出来るのは、自分だけだろう。

 

両親で言う言葉が違う。

求める事が違う。

母親が勉強の成果を求めていたり

父親がスポーツや運動の結果を求めていることがあるだろう。

 

その時に与えられる言葉たち。

自分がどちらの言葉や反応を求めて行動するのか?は自分で選べるのかもしれない。

出来ない時も往々にしてあるけれど・・・

 

選ぶ自由があることだけは知っていて良いと思う。

 

 

 

『“わたし”に耳をすませる』

 

🌱「問い」があなたを少し自由にする物語

 

──迷ってる人に、そっと渡したくなるお話。

ねえ、最近「どうして私こんなに疲れてるんだろう」って思うこと、ありませんか?

正しさを選びたいのに、選びきれない。
誰かの言葉が胸に刺さって、何日も気になってる。
本当はもっと、自由に笑いたいのに。

そんなふうに、
「ちゃんと生きよう」としてがんばってる人にこそ、
この物語を届けたいなって思うんです。

 

 

  📘登場人物は、ちょっと前の「わたし」みたいな人たち。

 

主人公の加代子は、夫と子どもと暮らす、ごく普通の中年女性。
でも、彼女の心の中にはいつも**「問い」がありました。**

「わたし、なんでこんなに他人の言葉に振り回されてるんだろう?」
「“わかってほしい”って思うのって、いけないこと?」
「正しさって、なんだろう?」

そんなふうに、自分の中に生まれるモヤモヤと、
丁寧に、ゆっくりと、向き合っていく物語です。

 

  💡おすすめしたいのは、こんな人!

 

  • 自己肯定感、ちょっと低めかも…って思ってる方

  • 人間関係でモヤモヤすることがある方

  • 自分の「まなざし」を持って生きたいなと思っている方

  • 子育て・職場・友人関係で「自分らしさ」を探してる方

  • 哲学とか思索とか、ちょっと好きな方(でも小難しいのは苦手な方)

 

  ✨心に残る名言も、そっと散りばめられています。

 

「わたしは、間違ってもいい。
選びきれなくてもいい。
正しさよりも、“今の自分が大切にしたいこと”を選んでもいい。」

「問いを持つことは、正解を探すことじゃなくて、
“わたしを生きる”ってこと。」

「“伝えようとする”ということは、
“いまここにいる”と伝えることなのだ。」

──こんな言葉たちが、
読み進めるあなたの心の中で、そっと灯りになってくれるかもしれません。

 

  🧺読んだあと、なんだかちょっと笑いたくなる物語です。

 

 

心が詰まって、苦しくて、正しさにこだわっていた加代子が、
少しずつ、自分の言葉で誰かと話すようになって、
時には絵本を読み聞かせながら、問いを届ける人になっていく。

その姿にきっと、
「あ、わたしにも、こんなふうになれるかも」
って、ちょっと前向きな気持ちになれると思います。

 

  💌最後に、あなたにも問いをひとつ。

 

「あなたは、今日、どんな問いを自分に投げかけましたか?」

正解じゃなくていい。
問いがあるって、それだけで人生がちょっと、やさしくなります。

この物語は、そんなあなたのための、
**「自分にやさしくなる練習帳」**みたいなお話しです。

 

もし気になったら、
ぜひ「加代子」の物語を、あなたのそばに置いてくださいね🌿

気に入ってもらえたら、お友だちや大切な人にも、
そっと渡してあげてください。

次に「問い」を持つのは、あなたかもしれません。