今月のブログは、連載形式での投稿をしていきます。
『自己を見失いながらも、哲学の思索を通して少しずつ自己理解を深めていく』
姿を描いていきます。
最後までお付き合いいただけたら幸いです。
主人公:加代子
正しくあろうと、正解を選びたいけど選べない葛藤の中で、
自分を否定したくなる気持ちを持っている。
『“わたし”に耳をすませる』
第25章:ひらかれた時間の中で
午後の光が、ゆっくりと部屋を横切っている。
窓を開けると、柔らかな風がカーテンを揺らし、子どもの笑い声が遠くから届いた。
加代子はキッチンに立ち、温かい紅茶を淹れていた。ダイニングテーブルには、理子と、もうひとり、ママ友の優子が座っている。
二人は笑いながら、さっきまで話していた「言葉の行き違い」についてのエピソードを振り返っていた。
「なんか、昔の私だったら“そんな風に言われたら落ち込む〜”って、引きずってたと思うの。でもね、今は、“言い方がちょっとトゲあったな”くらいで済ませられるようになったのよ」
優子が言い終わると、理子が頷きながら言った。
「それ、すごくわかる。言葉に敏感になると、自分の中の意味づけでどんどん拡大解釈しちゃうんだよね。でも、最近私も“その言葉は、たぶんその人の都合で出たもの”って、ちょっと距離をとれるようになってきたかも」
その会話を聞きながら、加代子は静かに笑った。
──こんなふうに、誰かと話して笑っている自分がいる。
それは、以前の自分にとって「願っても手に入らない時間」だった。
言葉を選びすぎてしまい、誤解されないかばかりを気にして、深い関係を築けないままだった頃。
でも今は違う。
自分の言葉を怖がらず、誰かの言葉をすぐに「敵」と感じない。
それだけで、こんなにも時間はやわらかく、世界は優しくなるのだ。
***
「ねえ、加代子さん」
ふと理子が、声をかける。
「加代子さん、前に“自分の気持ちを言うのが苦手”って言ってたけど、今ってどうなの?」
加代子は、ちょっと考えてから答えた。
「うん、やっぱりまだ、上手には言えないの。でも、下手なままでも、いいかなって。うまく言おうとすると、気持ちがどんどん離れていく気がして……。それより、“言葉にならないままの感情がある”って、わかってくれる人と話せたら、それだけでいいのかなって」
理子が、優子が、ゆっくりと頷く。
「言葉にしきれないものも、共有していいってことよね」
「そうそう。沈黙の間に流れる“何か”を信じられるようになったっていうか」
「……ねえ、こんなふうに他愛のない話をして笑えるのって、なんか贅沢ね」
加代子が言うと、三人の笑い声が重なった。
そのときだった。小学生の息子がランドセルを背負って玄関から顔を出す。
「ただいまー! ママ、おやつある?」
「あるよー、ちょっと待ってて」
自然と出たその声に、柔らかな安心が混じっていた。
***
人間関係が変わった。
それは、相手が変わったということではなく、
「自分が、自分を隠さなくなった」ことによる変化だった。
自己表現が変わった。
それは、何か上手になったというよりも、
「うまく言えないままの気持ちも、そこにあると認めること」ができるようになったからだった。
問いは、まだたくさんある。
過去の傷も、ときどきうずく。
でも——
いま、この時間のなかに「答えではない幸福」がある。
加代子はそれを、しっかりと手に感じていた。
次回に続きます・・・第26章:たとえ揺れても、そこに在るもの
「揺れてもいいんだよね」
「うん。むしろ揺れるからこそ、考えることができる。
揺れない心は、たぶん、もう止まってるってことだよ」
独り言
ほんの少しの気付きや、見方を変えることが出来るだけで
自分の周囲の環境が変わっていくことがある。
今までと変わらない環境や、同じ人間関係の中でも
人の言葉に左右されない自分がいるだけで、とても居心地の良い時間を送ることが出来る。
自分の世界は自分が作っている。
人は見たいモノを見る生き物だから、自分の望んだ形を作り上げている。
それを引き寄せって言うのかもしれない。
結局、自分の世界を変えることが出来るのは自分だけ。
他の誰かの言葉や影響で作られる世界があるのは間違いないと思うけれど・・・
選んで、決めて自分のモノにしていくことが出来るのは、自分だけだろう。
両親で言う言葉が違う。
求める事が違う。
母親が勉強の成果を求めていたり
父親がスポーツや運動の結果を求めていることがあるだろう。
その時に与えられる言葉たち。
自分がどちらの言葉や反応を求めて行動するのか?は自分で選べるのかもしれない。
出来ない時も往々にしてあるけれど・・・
選ぶ自由があることだけは知っていて良いと思う。

