今月のブログは、連載形式での投稿をしていきます。
『自己を見失いながらも、哲学の思索を通して少しずつ自己理解を深めていく』
姿を描いていきます。
最後までお付き合いいただけたら幸いです。
主人公:加代子
正しくあろうと、正解を選びたいけど選べない葛藤の中で、
自分を否定したくなる気持ちを持っている。
『“わたし”に耳をすませる』
第26章:たとえ揺れても、そこに在るもの
夜、洗面所で鏡を見つめながら、加代子はふと、今日一日のことを思い返していた。
楽しかった——
けれど、ふとした瞬間に心が揺れる。
「あの言い方、ちょっと傷ついたかも」
「私のあの返し、変じゃなかったかな」
気にしすぎる癖は、まだ簡単には消えない。
洗顔タオルを手に取ったとき、不意にある言葉が胸に浮かんだ。
「心は、波立つ湖のようなもの。
大切なのは、波があることを否定しないこと。」
——鷲田清一『「待つ」ということ』
波立つことを「いけないこと」だと、ずっと思ってきた。
だから、自分の気持ちが揺れるたび、「私はまだ未熟だ」と、責めていた。
でも今は、波があること自体を、少しずつ受け入れられるようになってきた。
揺れは、悪ではない。
むしろ、その揺れの中で、自分という湖の“深さ”を知るのかもしれない。
***
週末の図書館。
理子と加代子は、ふたりで哲学書の棚の前に立っていた。
理子が一冊の文庫本を手にとって、加代子に差し出す。
「これ……読んでみた? ハンナ・アーレントの『人間の条件』」
「ううん、まだ」
「この中にね、“世界に対して責任を持つことが、思考の出発点になる”っていうくだりがあるの。
なんかさ、今の私たちに響く気がして」
加代子はそのページを指でなぞる。
「思考の出発点……」
責任。世界。
そんな大きな言葉に、一瞬たじろぎそうになったけれど、理子がすぐに言った。
「でもね、私たちが“自分のことを考える”ってことも、“世界に対する責任”の一部なんだと思う。
自分の思いを自分で考え直すこと、それだけで、ちゃんと“考えてる”って言えるんだよ」
加代子は小さく頷いた。
「揺れてもいいんだよね」
「うん。むしろ揺れるからこそ、考えることができる。
揺れない心は、たぶん、もう止まってるってことだよ」
ふたりは小さく笑い合った。
***
その帰り道。加代子は、心の中で自分に問いを置いていた。
「私は、このままどうなっていきたいんだろう?」
それは、「もっとポジティブになりたい」とか「過去を乗り越えたい」とか、そういう派手なものではなかった。
ただ——
揺れながらでも、人と繋がっていたい。
自分と切れずにいたい。
それだけだった。
過去の自分を完全に受け入れられたわけじゃない。
今も、できないことがたくさんある。
でも、それでも生きている。
思考しながら、関わりながら、生きている。
「私たちが“変わる”とは、
今ある“私”の中に、“まだ知らない私”を住まわせること。」
——鷲田清一
加代子は、その“まだ知らない私”を、そっと心に迎え入れようとしていた。
遠くで、夕焼けに染まる街の音が聞こえる。
誰かが自転車のブレーキをかける音、子どもの笑い声、風に揺れる木々のざわめき。
どの音も、自分に向けられたものではないけれど、確かに、世界と繋がっていると感じた。
言葉にならない感情も、
揺れながら続く日常も、
“考えること”の中に、ちゃんと存在している。
それだけで——今は、十分だった。
次回に続きます・・・第27章:問いはひとりで育て、誰かと花ひらく
「……“どうしたら自分を信じられるようになるか”、かな。
というより、“信じられないままでも、生きていけるのか”って感じ」
理子は一度、うん、と小さく頷いて、カップを置いた。
独り言・・・
まだ知らない私
建て前の自分と、自分の気持ち 間には見えない壁があって、越えられない境目がある
人に合わせようとする自分
自分の意思で行動しようとする自分
どちらも間違いなく私なのに、そこにはジレンマも葛藤もある
過去の私と今の私・・・変わってきている。変わっていく。成長しているように見えて変わっていない私。
どれもこれも、私はなにも分かってない。
どうなりたいのか?
答えられないのに、自分を探す意味もない。なにも考えないで、気にしないで、流されるままに生きる方が楽なのに。
楽しくないって不満をこぼすのは、自分を探したいと思うから。
まだまだ私も先は遠い

