運って、自分でコントロール出来るんだろうか?

「運」という言葉を使ってしまうと、人の成長は止まってしまう。

そんな話を聞くことがある。

 

良いことがあれば、それまでの努力や積み重ねを無視して、

「運が良かっただけです」

 

悪いことがあれば、原因を調べることも、改善策を考えることもせず、

「今回は運が悪かった」

 

確かに、それでは先に進めない。

 

でも私は、「運」っていう言葉は必要だと思うんだよね。

 

運をコントロールする!運否天賦の前にアプローチを考えよう!

どこかのタレントメンタリストさんの本を読んだんだけど、運はコントロールできる。

意識的な、意図的な自分の意思決定で運って呼ばれる領域の結果に影響出来るみたいなことを書いていた。

まぁまぁ、概ね何となくは分かりますよ。

 

その上で、成功するためのアレコレを書かれていたけど、結局さ・・・

結果がどうなるか?っていうのは、自分の裁量意外に影響されるから、運って言うんじゃないかな?

って思いましたよ(笑)私はね。

 

気になる方は見てみると良いのかもしれないよ。

運を操るそうだから。

 

 

  運は、便利な責任転嫁術でもある

ゲームやギャンブルなら、運という言葉は普通に使う。

人間関係だってそうだし、今では「親ガチャ」なんて言葉まである。

 

もちろん、何でも運のせいにしていたら何も変わらない。

 

でも、世の中のすべてに理由を見つけて、良し悪しを決めて、誰が悪かったのかまで決める必要もないと思うんだ。

「あれは運が悪かった」

それで終わらせた方がいいことだってある。

 

何でも自分の責任にする必要もなければ、何でも誰かのせいにする必要もない。

 

要するに、自己責任論じゃなくて責任転嫁術だ。

 

運っていう曖昧な何かに責任を押し付けてしまう。

私は、それくらいあってもいいと思っている。

 

ただ、ここで一つ疑問がある。

運の良し悪しって、いつ決まるんだろう?

 

たぶん多くの場合、結果が出てからだ。

 

成功したから運が良かった。

失敗したから運が悪かった。

 

だったら、その結果に至るまでの経過や経緯に手を加えることが出来たら、結果にも多少は影響を与えられるんじゃないだろうか?

それが、私の考える「運をコントロールする」っていう話だ。

  チャレンジ回数を増やせばいい?

よく言われるのが、

「挑戦する回数を増やせば、成功する可能性は上がる」

確かにそうだと思う。

 

10回挑戦する人より100回挑戦する人の方が、成功する回数は増えるかもしれない。

 

でも当然、失敗する回数も増える。

チャレンジする回数が、そのまま運の良し悪しを経験する回数になっていく。

 

だったら、

結局、運じゃね?

って思う(笑)

 

しかも、何度失敗してもゲームオーバーにならないことが前提だ。

 

恋愛だって、誰でもいいから100人誘えばいいという話なら、それでもいい。

でも、

「この人!」

って決めた相手に対して、

「成功率を上げるために告白回数を増やしましょう!」

なんて出来るわけがない(笑)

そこで私は、チャレンジ回数ではなく、試行回数を増やしたらどうだろう?と思う。

 

  本番じゃなくて「お試し」を増やす

試行っていうのは、お試しとか無料体験みたいなものだ。

 

いきなり本番に突っ込まない。

 

その前に、打診したり、前振りしたり、前座を作ったりする。

情報を集めることもそう。

自分を磨くこともそう。

でも、それだけじゃなくて、本番に入る前の小さなプロローグを増やしてみる。

例えば、デートに誘いたい人がいるとする。

いきなり告白するのは難しい。

だからといって、たいして仲良くもないのに突然、

「二人で食事に行きませんか?」

これだって、それなりにハードルは高い。

 

だから、その前に話す。

挨拶する。

ちょっとした会話を増やす。

好きな食べ物を聞いてみる。

休日の話をしてみる。

相手の反応を見る。

自分のことも少しずつ知ってもらう。

 

そうやって、本番ではない小さな試行を積み重ねていく。

 

これは、異性の数を増やして成功率を上げるのとは違う。

一回しかないかもしれない本番の前に、自分が出来ることを増やしている。

私は、こっちの方が「運をコントロールする」に近い気がするんだよね。

 

  最後は運でいい

もちろん、それでもダメな時はダメだ。

 

どれだけ関係を作っても、相手には相手の気持ちがある。

仕事だって、商売だって、人間関係だってそうだろう。

自分がコントロール出来るのは、自分が出来ることだけなんだから。

 

だから私は、

出来ることをやった。

情報も集めた。

試してみた。

準備もした。

 

それでも上手くいかなかったのなら、

「いやぁ、運が悪かったね!」

でいいと思う(笑)

 

逆に上手くいったなら、

「私、運が良かったじゃん!」

って喜べばいい。

 

努力したから成功したんだ!なんて、全部自分の手柄にする必要もない。

運が良かったと自分を褒めてあげるのも素敵じゃないか?

 

だから、神頼みだって私は大いにありだと思う。

神様に全部やってもらおうって話じゃない。

自分に出来ることは、自分に出来ることだけなんだから。

そこまでは自分でやる。

 

そして、自分ではどうにもならないところまで来たら、

「ここから先はお願いします!」

って神様に丸投げする(笑)

 

それくらいでいいんじゃないだろうか?

 

運をコントロールするって、未来を思い通りにすることじゃない。

運そのものを操ることでもない。

結果が出る前に、自分が触れられるところを少しずつ増やしていく。

本番を何度も繰り返すんじゃなくて、本番までの試行を増やしてみる。

 

そして、自分に出来ることをやった先に残ったものは、

運が良かった。

運が悪かった。

それでいい。

だって最後くらい、運のせいにしたっていいじゃないか。

自分に出来ることは、出来ることだけなんだから。

私には信じたいものがある。

大切なモノもある。

それは矜持なのか、信念なのか、それとも単なるわがままなのか?

よく分からないけれど、誰にだって一つや二つくらい、他人に触られたくない部分があると思う。

 

知られたくないこと。
思い出したくないこと。
否定されたくないこと。

 

人生をそれなりに生きていれば、失敗の一つや二つあるし、後悔なんて無限にあるんだからね。

 

私にだって、人には言いたくないことなんて沢山あるわさ(笑)

でも、それと同じように、

誰に否定されても譲りたくないものもある。

私には、私だけの譲れないものがある

 

今までの経験や体験から出来上がった考え方。

好き嫌いも、人との距離感も、何を大切にするのかも、全部それまで生きてきた私が作ってきた価値観なんだと思う。

 

私は基本的に人を嫌いにはならない。

でも、馴染めない人や仲良くなれない人はいる。

 

物はなるべく持ちたくないから、簡易で処分しやすいものを選ぶ。

 

そして、誰かが手を伸ばしていたら、私はその手を掴みたいと思ってしまう。

悲しみや苦しみの中にいる人すべてを救えるなんて思っていない。

でも、私の目に入って、手を伸ばせる距離なら、手を伸ばしたい。

 

そんな本当に些細なものが、私にとっての譲れない部分なんだと思う。

 

誰かに否定されても関係ない。

全員に理解してもらう必要もない。

それが私らしさなら、私は私の価値観を優先して生きたい。

 

そして、もしどこかに、私だけの特別を理解して、共感してくれる人がいるのなら、

その人がきっと、私にとっての特別なんだろう。

  自分を否定することも、自分を守る方法なのかもしれない

でも、自分には大切なものなんてない。

譲れない信念なんてない。

そう思っている人もいるだろう。

周囲から否定され続けて、自分が間違っている、自分が悪いと思い続けていたら、自分の何かを信じることだって難しくなる。

でも、本当に何もないのかな?

踏み込まれたくない場所がある。

聞かれたくないことがある。

否定されたら傷つく部分がある。

それだって、

自分が守ろうとしている大切なものなんじゃないかな?

自分を否定することすら、自分の弱い部分をこれ以上傷つけられないための守り方なのかもしれない。

それも含めて、自分にしか分からない大切なものがある。

私は、そういうものを「矜持」と呼ぶのかな?って思っている。

 

  それでも、超えてくる人がいる

 

面白いのは、そんな自分だけの譲れないものですら、簡単に超えてくる存在がいること。

今まで誰にも話したくなかったことなのに、

この人には伝えたい。

 

誰にも理解されなくていいと思っていたのに、

この人には分かってほしい。

 

絶対に曲げたくなかった自分の考えなのに、

この人の言葉なら、もう一度考えてみたい。

 

それは、自分を捨てることとは少し違うと思う。

 

自分が積み上げてきた価値観やプライドより、その人との関係の方が大切になっただけ。

大切で特別な存在だから、自分の隠したい部分まで伝えたくなる。

理解してくれるかもしれないと思えるから。

自分の意見を曲げてでも、その人の見ている世界を見てみたくなる。

 

その人の存在そのものが、自分の想いを超えてしまったから。

 

  そんな人を「運命」と呼ぶのかもしれない

価値観なんて、簡単には変わらない。

 

だって、それまでの人生で積み重ねてきたものだから。

だからこそ、それを変えてしまうほどの誰かとの出会いには、とてつもない力がある。

 

私達の譲れないモノも、大切なモノも、信念も、プライドも。

それ以上に大切だと思える存在は、簡単に乗り越えてくる。

伝えたい。

分かってほしい。

共感したい。

そして、その人のことも知りたい。

そんなふうに、自分だけだった世界に誰かを入れてみたいと思える。

 

自分を変えてくれる人ではなく、

自分から変わってもいいと思わせてしまう人。

 

そんな人に出会えたのなら……

少しくらい青臭くてもいいじゃない。

きっと、そういう出会いを【運命】って呼ぶんだよ。きっと。

人が「面倒だな」と思うことが、ビジネスになることはよくある。

家事代行も、宅配も、ネット通販もそうだろう。

 

出来ないわけじゃない。

出来るけど、やりたくない。

やりたくないけど、やらないとダメ。

 

やらないとダメなんだけど……

 

面倒くさい。

だから誰かが、その面倒を簡単にしてくれる。

だったら、自分の生活でも同じじゃないかな?

面倒なことを探すことは、自分の生活を楽にする方法を探すことでもあると思うんだ。

私は楽して生きたい

楽に生きたい。

楽して生きたい。

少なくとも、私は怠惰で愚鈍だから(笑)

 

仕事はしたくない。

仕事をしなくても生きていける方法があるなら、是非とも教えていただきたい!

 

いや、不労所得とか結構調べてるんよ。

でも、だいたい最初に資金力を要求される。

その資金がないから働いてるんだよ!って話なんだけどね。

 

家事も面倒。

料理だって自分で食べるくらいなら出来るけど、手の込んだものは作りたくない。

作る時間と労力を、別のことに使いたいと思ってしまう。

 

人付き合いだって面倒だ。

LINEの返信も面倒。

飲み会も行くまでが面倒。

でも、盛り上がったら楽しいし、行ったら行ったで楽しんでしまう。

そして帰ってきて疲れる(笑)

 

だったら私は、

面倒なことを、いかに簡単に、効率よく、手を抜くのか?

そこを考えたい。

  逃げられないなら、上手に手を抜けばいい

面倒だから、嫌だからと逃げていても、いつか捕まる。

 

逃げ切れるなら逃げ切りますよ(笑)

でも、捕まってしまうから困ってるんです(笑)

 

だったら、逃げられないものは出来るだけ手を抜く。

もちろん、アウトになるほど手を抜いたらダメだろう。

 

でも、全部を100%でやる必要もない。

 

「出来ない」のではなく、

「そこまでやらない」という選択だってある。

 

時間は有限なんだから。

同じ一時間を使うなら、自分の好きなことや楽しいことに使いたい。

 

楽に生きたいと言いながら、面倒なこと、苦しいこと、不安や心配で動けないことに時間を使い続ける。

それって、全然楽じゃないじゃん。

私は楽をしたいんだから!

  不要なものが増えると、面倒も増える

使わない物が増えれば、部屋が狭くなる。

 

片付ける必要がある。

掃除する必要がある。

探す必要まで出てくる。

物が一つ増えるだけで、それに使う時間まで増えていく。

 

だったら、無い方が楽じゃない?

 

人間関係だって、少し似ている。

 

関係が増えれば、挨拶も付き合いも連絡も増える。

もちろん、自分から関わりたい相手なら素敵だと思う。

でも、デメリットしかなくて、ただ消耗するだけの関係まで抱えておく必要があるのかな?

 

物も、関係も、時間も。

増えれば増えるほど、管理するものが増える。

だから私は、なるべく増やしたくない。

 

  「何もしない時間」は無駄じゃない

ただ、何もしない時間まで減らしたいわけじゃない。

 

ボーっとしてコーヒーを飲む。

手に何も持たず、ゆるりと時間を過ごす。

何かを考えなくてもいい。

何かを生み出さなくてもいい。

そんな時間は、私にとって無駄じゃない。

 

むしろ、とても大切な時間だと思う。

 

減らしたいのは、

何となくSNSを流し続けて、別に見たくもないものを見ている時間。

答えのない後悔を繰り返して、自分を責め続ける時間。

他人の言葉に振り回されて、勝手に疲れている時間。

 

楽に生きたいのに、楽にならない時間。

そこはガンガン減らしたい。

 

  楽に生きるために、面倒を探す

だから私は、面倒を探す。

 

何が面倒なのか?

何に時間を取られているのか?

何を減らせるのか?

何なら手を抜けるのか?

誰かにお願い出来ないか?

そして、逃げ切れないか?・・・(笑)

 

不要な物を減らす。

不要な手間を減らす。

抱えるものを増やさない。

そうやって出来た余白を、自分の好きなことや楽しいことに使いたい。

 

楽じゃない時間は、楽しくない。

楽しくないのは、素敵じゃない。

素敵じゃないものを、私は望んでいない。

 

だったら、減らせばいい。

私は楽に生きたい。

だからこそ、面倒なことを見つけて、どうやったら手を抜けるのかを考える。

楽に生きるために減らす。

それくらい怠惰な生き方が、私にはちょうどいいと思ってる。

「口は災いの元」

言葉や発言が原因で、問題やトラブルを引き起こすことがある。

軽率な発言や不用意な言葉が、自分や誰かを傷つけることがあるから、言葉は慎重に選びましょう。

……いや、もう、本当にそうだと思う。

口が災いの元なのか?それとも相手と合わないだけ?

何気ない言葉が人を傷つけるし、傷つけられる。

気軽に言った一言が、誰かの尊厳を脅かすこともあるし、自分が脅かされることだってある。

 

心当たりが多すぎて辛い。

一言が多いって、本当に私です。

後からね?言わなきゃよかった~なんてどれだけ思ったことか・・・

 

でもね。

人とコミュニケーションを取ろうと思ったら、やっぱり言葉は重要なんだよ?

 

言葉以外で、相手に自分の考えや気持ちを伝えるのは難しい。

 

困ったね。

だからといって、誰ともコミュニケーションを取らず、一人で生きていくことも簡単じゃない。

 

どこかで諦めて、覚悟して、人との距離感を作っていくしかないんだろう。

『ライ麦畑でつかまえて』のホールデンのように、

「僕は耳と目を閉じ口をつぐんだ人間になろうと考えた」

なんて、簡単には出来ない。

 

周囲に合わないからといって、『攻殻機動隊』の草薙素子のように、

「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら、耳と目を閉じ、口を噤んで孤独に暮らせ」

なんていうのも、さらに難しい。

 

結局、私たちは常にリスクを抱えながら、人と話すしかないんだと思う。

どんなに仲が良くても、相手のどこが地雷で、どこに落とし穴があるのかなんて分からないんだから。

 

  だったら、せめて自分の気持ちは守りたい

人とのことは、どうにもならないこともある。

だったら、せめて自分の気持ちと心だけでも守れたらいいんじゃないかな?

 

言葉を使う以上、誰かを傷つけることもある。

すれ違って、上手くいかないこともある。

それを乗り越えるのは、とっても大変だ。

 

でも、投げ出せないこともある。

 

伝えたい想いがあるのなら、言葉を変えて、もう一度伝える。

同じ気持ちでも、違う言葉なら届くことがあるから。

人は簡単には変わらない。

 

だったら、自分の気持ちを無理やり変えるのではなく、言葉を変えて、時間を変えて、少しずつ溝を埋める方法を探していく。

 

それでも駄目なら……仕方ない。

 

自分を守るために、相手に理解してもらうことまで求めなくてもいい。

「自分はちゃんと伝えた」

「自分に出来ることはやった」

そう思えるところまで言葉を選んで伝える。

 

結果として理解されるかどうかではなく、自分自身が納得できる伝え方をする。

それも、自分を守る方法なんじゃないかな?

 

そして、人間関係に疲れて、社会に絶望して、目の前の現実を受け入れられない時には、

「目を閉じて、耳を塞いで、口をつぐむ」

そんな選択肢があってもいい。

 

ずっとじゃなくてもいい。

一度、距離を取ることだって、自分を守るためには必要だから。

  口は災いの元……だけど

「口は災いの元」

そう言われると、自分の言葉が悪かったんだ、自分の口が問題だったんだ、と考えてしまう。

 

でも、本当にそうなのかな?

 

足りなかったのは、言葉そのものではなく、

自分を守るための言葉の選択

だったのかもしれない。

 

納得できるまで、言葉を選んで伝える。

それでも駄目なら……

言葉が悪かったわけでも、口が悪かったわけでもなく、

単純に「合わなかった」だけなのかもしれない。

そこから先まで無理してどうにかしようとしたら……

まぁ、あれですよ。

 

「骨折り損のくたびれ儲け」

諦めて、別の人を探して、仲良くしましょう。

それもまた、自分を守るための選択だと思うんだ🤭

服装って面白い。

同じ人間なのに、着ているものが変わるだけで、なんとなく受ける印象まで変わってしまう。

学校では制服を着る。
会社では制服やスーツを着る。

制服を着れば「生徒」や「店員」として見られるし、スーツを着れば「会社員」「社会人」といった印象を持たれやすい。

服装が作る印象と自分の姿

 

制服やスーツには安全性や機能性、所属を分かりやすくするという、ちゃんとした理由がある。

 

でも、それだけじゃないんだろうね。

服装には、どうやら「人をそれらしく見せる力」がある。

ジャケットを着れば、なんとなく大人っぽくなる。

ニットなら柔らかく、優しい印象になる。

ジャージなら活発そうに見える。

アクセサリーをつければ個性的に見える。

流行の服を着れば、おしゃれに見える。

誰もがある程度、そんな先入観を持っているんじゃないだろうか?

 

もちろん、本当の性格なんて服を見ただけでは分からない。

 

それでも人間は、見た目から勝手に想像する。

だから服装って、単なる「布」じゃない。

 

相手に自分をどう見せるのかという、ひとつの記号なんだと思う。

  無難って、実は強い

だから男性ならジャケットやスーツ。

女性ならワンピースやブラウス。

こういう服装が「無難」とされるんだろうね。

 

でも、「無難」って悪いことじゃない。

 

むしろ、かなり便利だ。

きちんとして見える。

清潔感を出しやすい。

大人っぽく見える。

相手に変な先入観を持たれにくい。

 

つまり、服装だけである程度の印象を作ることができる。

自分をプロデュースするという意味では、ものすごく合理的な選択なんだと思う。

  服は自分自身も変えてしまう

そして面白いのは、服装が変えるのは「相手から見た自分」だけじゃないこと。

 

スーツを着ると、なんとなく背筋が伸びる。

お気に入りの服を着ると、出かけたくなる。

少し格好いい服を着ると、いつもより堂々と歩いてしまう。

 

これが「形から入る」ということなんだろうね。

服装によって自分の気持ちや行動まで変わる。

 

だから服装は、

「相手にどう見せるか」

だけじゃなく、

「自分をどう動かすか」

という道具にもなる。

 

だったら、

「こういう人に見られたい!」

と思う服を着ればいいじゃん。

 

……と思うんだけど、ここで問題が出てくるのよ・・・

  「こう見られたい」と「こう見える」は違う

これが服装の難しいところ。

 

自分では、

「知的に見せたいから黒髪短髪にスーツ!」

と思っていても、実際に他人から見ると、

「なんか柄が悪い……」

となることもある。

 

私なんか、まさにそれ。

短髪黒髪にスーツ。

服だけを見れば、別に悪い組み合わせじゃない。

 

むしろ真面目そうに見えそうな組み合わせなのに、私が着るとどうも柄が悪くなるらしい。

……なんでだよ(笑)。

 

結局、「似合う」というのは服だけでは決まらない。

髪型、顔立ち、体格、色、姿勢、表情、清潔感。

いろんなものが組み合わさって、最終的な印象になる。

 

だから「正しい服装」というものがあるわけじゃないんだろうね。

 

  制服を着れば役になる

考えてみれば、コスプレなんてもっと分かりやすい。

 

服を着替えただけなのに、キャラクターになる。

制服を着れば、その役になる。

スーツを着れば、職業を感じさせる。

ジャケットを着れば、大人っぽくなる。

ワンピースを着れば、きちんとした印象になる。

服には、人間に「役」を与える力がある。

じゃあ、そのとき演じているのは誰なんだろう?

 

自分なのか。

与えられた役なのか。

それとも、相手の頭の中に作られた「自分」なのか。

 

たぶん全部なんだろうね。

 

自分が「こう見られたい」と思って服を選ぶ。

社会は「その服なら、こういう人だろう」と見る。

そして自分自身も、その服を着た自分に合わせて振る舞ってしまう。

 

服を着るだけで、

「自分」

「役」

「相手の印象」

この3つが少しずつ動いていく。

 

そう考えると、服装って結構奥深い。

  結局、どう見えるかはあなた次第

第一印象を服装だけで完全にコントロールすることなんてできない。

 

どんなに「これが正解」と言われる服を着ても、似合う人もいれば、似合わない人もいる。

同じスーツでも、怖く見える人もいれば、優しく見える人もいる。

同じワンピースでも、可愛らしく見える人もいれば、知的に見える人もいる。

 

だから結局は、

「何を着れば正解なのか?」

ではなく、

「私は、どう見られたいのか?」

そして、

「実際の私は、どう見えているのか?」

この二つを考えることなんだろうね。

 

服装は、自分を作る。

相手の印象も作る。

ときには、自分の行動まで変えてしまう。

 

だったら、服装を楽しめばいい。

こう見られたい。

こんな自分でいたい。

今日はちょっと違う自分でいたい。

そんな気持ちで服を選んでもいい。

 

ただし……。

「俺はこれで知的に見えるはず!」

と思って着たスーツ姿が、実際には「ちょっと怖い人」に見えている可能性もある。

 

そこまで含めて、服装なんだろうね。

演じるのは、自分か?
役か?
それとも相手の印象か
?

さて、どう見せる?

どう見える?

そして、どう振る舞う?

結局は、あなた次第です!