最近、ストレスの正体について深く考えていた。

仕事のマンネリ、遅すぎる時間の流れ、そしてポストに届く税金という名の圧倒的暴力。 

それらも確かにストレスだが、人を本当に芯から破壊するストレスの正体は、外側にはない。 

「迷惑をかけたくない」「いい子でいたい」と仮面を被り、過去の後悔や自責の念をたった一人で耐え忍ぶ、あの「出口のない密室」こそが人を壊すのだ。

逃げ場は、自分で見つけられない

人は本当に追い詰められた時、
自分で逃げ場なんて見つけられないんだと思う。

「趣味を持てばいい」
「気分転換すればいい」
「誰かに相談すればいい」

そんな正論は、きっと間違ってはいない。

 

でも、逃げ場を求めている人は、
もう探す力すら残っていない。

 

だから、お酒に逃げる。
たばこに逃げる。
眠ることに逃げる。
沈黙に逃げる。
怒りに逃げる。
自分を責めることで、どうにか形を保とうとする。

 

それは弱いからじゃない。

手を取ってくれる人が、そこに居なかっただけなのかもしれない。

 

逃げ場は、見つけるものじゃない。

誰かが差し出してくれた「手」そのものが、結果的に逃げ場になるんだ。

 

  アニメの世界に、僕がどうしても憧れてしまう男たちがいる

シティーハンターの冴羽獠や、ルパン三世。 

彼らは社会のシステムや常識の完全に「外側」にいて、理不尽な重圧に押しつぶされそうな誰かが現れたとき、飄々とその手を取って、世界の暴力から匿ってくれる。

 

彼ら自身が「逃げ場」そのものなのだ。

 

じゃあ、僕たちのような普通の人間が、一体どうしたら誰かの「逃げ場」になれるのだろうか?

 

綺麗事のカウンセリングや、お決まりの同調(忖度)なんてクソ喰らえだ。 

「そうだね、辛いよね」と相手の言葉をそのままオウム返しにするだけのぬるま湯は、

一瞬のバイアス(錯覚)で心を誤魔化せても、密室の壁をぶち破るハンマーにはなり得ない。

 

誰かの逃げ場になるために必要なこと。

それはきっと、「自分と同じ傷を持っていること」、ただそれだけだ。

 

自分自身がかつて、何かを激しく後悔したことがあるか。 

誰にも言えない孤独の中で、仮面が割れそうになるまで耐え抜いたことがあるか。 

理不尽なシステムに踏みにじられ、乾いた笑いを漏らしたことがあるか。

同じ痛みを、同じ割り切れなさを、その身に刻んできた人間だからこそ、同じように暗闇で震えている相手の手を、迷わず握ることができる。 

 

「大丈夫、僕もその地獄を知っているよ」と。

 

最後に行き着くのは、場所ではなく、人だ。 同じ傷を持つ者が、見えない網の目のようにすれ違う現代社会で、せめて僕の紡ぐ言葉や、僕という存在が、誰かの「最後の砦」でありたいと思う。

 

  まず必要なのは、裁かないこと

誰かの逃げ場になるために、
一番必要なのは「正しい答え」じゃない。

 

裁かないことだと思う。

 

「なんでそんなことしたの?」
「もっと早く言えばよかったのに」
「それはあなたにも原因があるよ」
「普通はそうしないよ」

こういう言葉は、正しいかもしれない。


でも、逃げ場を求めている人には刃になる。

 

その人は、もう十分に自分を責めている。
十分に後悔している。
十分に苦しんでいる。

そこにさらに正しさを重ねたら、
その人は逃げ場を失う。

必要なのは、原因の分析ではなく、
まずは「ここに居てもいい」と思える場所なんだ。

 

 シンプルフレーズ

逃げ場を見つけられない人に、

逃げ場を教えるのではなく、
最後に手を取れる言葉でありたい。

 

逃げ場とは、完璧な救済じゃない。
ただ、その人が今日を壊れずに越えるための場所だ。

音楽は、自分の気分に合わせて勝手に受け取れる。

泣きたい時は、泣くための音になる。
笑いたい時は、笑うための音になる。
集中したい時は、余計な言葉を消してくれる背景になる。
戦いたい時は、背中を叩いてくれる応援歌になる。

 

音楽は、日常を一番簡単に非日常へ変えてくれる。
そして、自分の感情を、自分の好きなカタチで励ませる、
一番身勝手で、一番優しい自己表現なんだ。

いまの自分が何を求めているのかも見えてくる。

 

音楽って良いなって。・・・改めて思うんです。

だって、音楽は一番簡単にできる非日常なんですよね。

 

旅行に行かなくてもいい。
特別な場所に行かなくてもいい。
誰かと予定を合わせなくてもいい。

イヤホンをつけて、好きな曲を流すだけで、
いつもの部屋も、通勤時間も、ブログを書く時間も、
少しだけ特別な時間に変わってくれる。

 

これはすごいことだと思うんです(笑)

  好きな音楽が変わってきた

私はもう20年近く、ロックやポップロックが好きでした。

グリーンデイ、クイーン、エアロスミス、ボンジョビから始まり・・・

エルレガーデン、バンプオブチキン、ラッドウィンプス・・・


熱量があって、情熱があって、背中を押してくれる音楽が好きだったんです。

「よし、やるか」
「まだ行ける」
「負けてたまるか」

そんな気持ちにさせてくれる音楽。

 

でも最近は、R&Bや洋楽をよく聴くようになりました。

マルーン5、コールドプレイ、ワンリパブリック、ブルーノ・マーズ。
激しく奮い立たせるというより、気分を満たしてくれる音楽が心地いいって思うようになったんだよね。

 

ジョギングの時間、筋トレの時間、ブログを書いている時間・・・

コールドプレイが心地いいね

マルーン5が聞き易い

のんびりできるのに、作業もはかどる。不思議だな~って思う。

 

  老いたのか、うつろったのか

年かな?
そう思うこともあります。

昔みたいに、ただ熱量だけで走りたいわけじゃない。
周囲の雑踏より、自分の内側を満たしたくなっている。

情熱より、感性。
勢いより、余白。
勝ち負けより、心地よさ。

少し寂しい気もします。

 

でも、失ったわけではないんですよね。
きっと、求めるモノが変わっただけなんです。

花が季節によって咲き方を変えるように、
人の感性も少しずつうつろっていく。

 

それも悪くない。
むしろ、少し素敵だと思うんだけど・・・それでもやっぱり若々しくありたいと思うのも私です💦

そこそこ身勝手ですみません(笑)

 

  音楽は自分を映す鏡

音楽は、日常を非日常にしてくれるだけじゃない。

 

今、自分がどんな曲を聴いているのか。
どんな音を心地いいと感じるのか。
どんなリズムに身を任せたいのか。

それを見つめると、今の自分が何を求めているのかが見えてくる気がします。

 

昔は、背中を押してほしかった。
今は、心を満たしてほしい。

昔は、熱量が欲しかった。
今は、余白が欲しい。

そう考えると、音楽って自分を教えてくれるんですよね。

 

一人では気づけない自分の変化を、
好きな曲がそっと教えてくれる。

 シンプルフレーズ

音楽は、一番簡単にできる非日常だ。
そして、いま聴いている曲を見つめれば、
いまの自分が何を求めているのかも見えてくる。

音楽は、日常を変えるだけじゃない。
自分を映す鏡でもある。

  音楽っていいよね~

薄っぺらい共感の言葉みたいに、

「分かるよ」「大丈夫だよ」「つらかったね」って、雑に寄り添ってくるわけじゃない。

歌い手の想いがあって、メロディがあって、声があって、リズムがあって、
それを受け取る側が、勝手に自分の感情へ変換している。

 

ある意味、都合がいい。


でも、その都合のよさこそ音楽の自由なんだと思う。

説明がありすぎると、自由がなくなる。
指示がありすぎると、感じ方が縛られる。
共感や協調を求められすぎると、自分だけの楽しみ方が消えてしまう。

 

でも、ライブはまた別なんよ・・・
あれは「みんなで同じ音を浴びる」集合としての楽しさがある。
一人で聴く音楽は、自己満でいい。
ライブで聴く音楽は、共鳴でいい。

 

どっちも音楽の楽しさなんだろうね。

そして、一人で聴く音楽は、たぶん一番簡単な自己表現なんだと思う。
服を選ぶより簡単で、言葉にするより自由で、誰かに説明しなくてもいい。

 

一人で聴く音楽は、たぶん一番簡単な自己表現なんだと思う。
服を選ぶより簡単で、言葉にするより自由で、誰かに説明しなくてもいい。

 

今の自分を励ましたい。
少しだけ奮い立たせたい。
気分を変えたい。
日常を少しだけ特別にしたい。

その時、音楽はちゃんと側にいてくれる。

今が嫌いな人なんて、沢山いると思う。

仕事に不満。
学校に不満。
家庭に不満。
人間関係に不満。

誰も彼も、何かに苦しみながら生きている。

 

だから人は、「自由」に憧れる。

もっと自由に。
もっと自分らしく。
もっと好きなように。

でも、自由って何なんだろう。

何にも縛られないことなんだろうか。
全部を捨てることなんだろうか。
孤独になることなんだろうか。

私は、ずっとそこを考えている。

  自由を求めてきた人を私は敬愛する。

 

hide尾崎豊 を見ていると、自由を求める人ほど苦しんでいるように見える。

好きなものがあった。
守りたいものがあった。
自分らしく在りたかった。

だからこそ、苦しかった。

社会。
業界。
期待。
役割。
「こうあるべき」。

自由を求めるほど、空は遠くなる。

それでも、人は自由を求めてしまう。

 

でも私は、最近少し考え方が変わった・・・

 

自由って、永遠に続く状態じゃないのかもしれない。

流れ星みたいなものなんじゃないだろうか。

一瞬、輝く。
「あぁ、生きてる」って感じる。
でも、消える。

ただ、終わりじゃない。

星は巡る。
またどこかで流れる。
また一瞬、輝く。

自由って、そういうものなのかもしれない。

永遠に持ち続けるものじゃなく、
生き残りながら、何度も巡ってくる瞬間。

私は、そういう自由が欲しい。

 

でも正直に言えば、私は「可能性」とか「余白」って言葉が最近あまり好きじゃない。

余裕がある人が言う言葉みたいに感じるから。

今限界の人間に、
「可能性はある」
「未来は変わる」
って言うのは、時々あまりにも遠い。

だって、今苦しいんだから。

未来を担保にされても、今は助からない。

私は、今を生きたい。

 

だから私は、苦しみに意味があるとは思わない。

苦しみは苦しみだ。
悲しみは悲しみだ。

そこに無理やり価値を貼るのは、理性の言い訳にも見える。

でも、それと価値は別だと思っている。

限界でも。
壊れそうでも。
後悔していても。
上手く生きられなくても。

人の価値は消えない。

私は、それを伝えたい。

 

だから「それでも大丈夫」は、救済の言葉じゃない。

助かる保証でもない。
成功する保証でもない。

私は誰も救えないし、壊れることを止められない。

でも、それでも。

見過ごさない。
見逃さない。
見捨てない。

ただ、手を取ろうとする。

それだけじゃダメなのかもしれない。
現実はもっと厳しいのかもしれない。

それでも私は、そういう言葉を残したい。

 

全部を手放しても、
笑って手を握ってくれる誰か。

自由を求める人ほど、そういう存在を求めているんじゃないだろうか?

理解じゃなくていい。
正解じゃなくていい。
救済じゃなくていい。

 

ただ、

「お前はここに居る」
「価値は消えてない」

そう言われるだけで、人は少し呼吸が出来るのかもしれない。

だから私は今日も、シンプルフレーズ・・・

社会や世界の秩序に囚われない言葉を。

自由を求める人にも、私は伝えたい。

それでも大丈夫だと。

・・・でも、それでも、それなのに、花は咲く。

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なんでだろう?

人はどうなんだろう?

いや、私だけなのかな?

 

雨の時期は、とても憂鬱だ。

空は重く、湿度はまとわりつき、朝は起きられない。

やたらと眠いし、仕事にも行きたくない。

 

それなのに、花は咲く。

 

冬だってそうだ。

動物は眠り、虫は消え、人は籠る。

寒さに背中を丸めて、なるべく外に出ないようにする。

 

それなのに、花は咲く。

 

炎天下だってそうだろう。

地面はひび割れ、水は消え、動物は日陰に逃げ込む。

そして私は溶ける。

もう、比喩ではなく溶ける。

 

それなのに、花は咲く。

 

なんて所業なんだ。

まさに諸行だね。

いや、修行なのかな?

 

それなのに、花は咲く。

 

夜に咲く花もある。

冬に咲く花もある。

雨に輝く花があり、太陽に必死にアピールする花もある。

花は、自分に与えられた季節の中で咲いている。

それが好きな環境なのか、苦しい環境なのかは分からない。

 

でも、それなのに、花は咲く。

 

私だったら逃げ出したくなるような場所で、ちゃんと咲いている。

雨だから嫌だ。

冬だから無理だ。

夏だから動けない。

夜だから寂しい。

そんな理由を並べて、私は何度も目を背ける。

 

もちろん、人間には人間の事情がある。

体調もある。

気分もある。

仕事もある。

生活もある。

「花は咲いているんだから、人間も頑張れ」なんて、そんな雑な根性論を言いたいわけじゃない。

花には花の生き方があって、人には人のしんどさがある。

そこをごちゃ混ぜにしたら、ただの綺麗ごとになる。

でも、それでも思ってしまう。

それでも、花は咲く。

 

花は咲くのに、私は目を背けてしまう。

きっと、これが無いものねだりなんだろう。

雨の中で輝く花は、雨を恨んでいないように見える。

冬に咲く花は、寒さを否定していないように見える。

夏に咲く花は、太陽から逃げるより、太陽に向かっているように見える。

もちろん、本当のところは知らない。

 

花に聞いたわけじゃない。

聞いたところで、返事をされたらそれはそれで怖い。

 

でも、私はそう見てしまう。

あるモノを享受できる時に、花は輝く。

雨なら雨を。

冬なら冬を。

夜なら夜を。

太陽なら太陽を。

その時、その場所、その季節にあるモノを受け取って、花は咲く。

 

一方で私は、ないモノを求めてしまう。

雨の日には晴れを求める。

冬には暖かさを求める。

夏には涼しさを求める。

夜には朝を求める。

今ここにあるモノより、今ここにないモノばかりを見てしまう。

だから苦しいのかもしれない。

 

目の前にある季節を味わう前に、違う季節を欲しがってしまうから。

今ある時間を受け取る前に、別の時間に逃げたくなるから。

 

それでも、だからこそ、花は咲く

 

私は目を背ける。

その差は、強さの違いではないのかもしれない。

あるモノを受け取れるか。

ないモノばかりを求めてしまうか。

その違いなんだと思う。

だから、花を見ると少し痛い。

美しいだけじゃない。

責められている気もする。

 

でも、その痛みが少しだけ心に残る。

雨の季節は憂鬱だ。

冬は寒い。

夏は暑い。

夜は寂しい。

 

いつの時も、どんな時も、花は咲く。

 

なら私は、せめて目を背けずに見に行きたい。

咲けない日があってもいい。

逃げたい日があってもいい。

でも、咲いているものを見つける目くらいは、失いたくない。

 シンプルフレーズ

咲く花は、今あるモノを受け取って咲く。
私は、いつもないモノを求めて目を背ける。

 

だからこそ、花は少し痛いほど美しく輝いている。

先日、会社の同僚の赤ちゃんを見せてもらう機会があった。

 

赤ちゃんって、なんであんなに可愛いんだろうね。

目が合うと、ひたすら見つめてくる。
ウルウルの瞳で、真っすぐに見つめてくる。

本当に真っ白で、真っ直ぐな瞳。

その瞳があまりにも綺麗で、
見つめるのを躊躇いたくなるくらいだった。

正直、少し辛くなるくらいだ。

きっと私は、何か分からない負い目を感じてしまっているんだろう。


どうしようもない感情。
分からないね。

 

  他人の子供だから、可愛いと思える

赤ちゃんを見て可愛いって思えるのは、
親としての責任を負わず、
無責任な他人として、可愛い部分だけを見ることが出来るからだと思う。

 

泣いたら?
オムツ?
ミルク?
夜泣き?
病気?
将来?
お金?
親としての責任?

そこは全部、親任せだ。

 

私はただ、良いトコロだけを見させてもらっている。

綺麗な瞳。
小さな手。
触ったら壊れてしまいそうな儚さ。
ただただ愛でることが出来る余裕。

これが余裕なんだろう。

親として赤ちゃんを見た時は、きっと違う。

不安や心配。
責任。
親としての自分の像。
ちゃんと育てなきゃいけないという重さ。

 

その子の未来まで背負うような覚悟。

見るだけと、手にした時では別物なんだと思う。

  それでも、可愛いものは可愛い

でも、それでも赤ちゃんは可愛い。

それは、やっぱり純粋に赤ちゃんの可愛さがあるからだろう。

 

白紙のキャンバスのような透明感。
まだ何も書き込まれていないような可能性。
無垢な瞳。
真っ白な存在感。

だからこそ、無垢な目線で見ることが出来れば、
癒しであり、天使であり、宝石のように感じられるんだと思う。

 

ただ、私はその瞳を受け止めきれなかった。

 

ただ可愛いと思えばいいのに、
ただ癒されたと思えばいいのに、
どうしてもその瞳が、鏡のように感じられてしまった。

 

  見ているつもりが、見られていた

無責任な他人として赤ちゃんを見ているはずだった・・・

 

でも、その真っ直ぐな瞳と向き合った時、
私は「見つめる側」から、
「見つめられる側」になってしまった気がした。

 

自分の顔を見られているんじゃない。
自分の今だけを見られているんじゃない。

もっと奥。
もっと背後。
自分の中の暗い部分。
弱さ。
負い目。
逃げたこと。
背負えなかったこと。
守れなかったこと。

そんなものまで、見つめられているような気がしてしまった。

 

赤ちゃんは何も責めていない。
何も知らない。
何も判断していない。

 

それなのに、私は勝手に怯えてしまう。

  手に入らないから、美しく見える

触れられないから、美しく見える。
手に入らないから、眩しく見える。

手の届かない星のように。
壊れてしまったガラスの破片のように。
ブラウン管の中にある欲しいモノのように。

欲しいけど、手に入らない。
近づきたいけど、壊してしまいそうで怖い。

 

そして、もし手に入れたら、今度はその重さに負けてしまう気がする。

 

手に入らない時は、無責任な自分に負ける。
手に入れたら、負いきれない自分に負ける。

この矛盾が辛いんだ。

弱さを痛感する。
自分の弱点を見られることに耐えられない。

 

  赤ちゃんは、儚い鏡だ

赤ちゃんって、本当に儚い鏡のようだ。

 

ロックの白紙の心は、
白すぎるが故に、世界の黒さを際立たせてくれるんだろうね。

 

赤ちゃんの瞳も同じなのかもしれない。

あの無垢な瞳は、私を責めているわけじゃない。
ただ真っ直ぐに見ているだけ。

でも、その白さが、
私の中にある黒さや弱さを浮かび上がらせてしまう。

だから可愛い。
だから眩しい。
だから少し辛い。

それでも、あの瞳を見て可愛いと思えたことは、
きっと悪いことじゃないんだと思う。

私は弱い。
でも、弱いからこそ、あの儚さを愛おしいと思ったのかもしれない。

 シンプルフレーズ

赤ちゃんは、儚い鏡だ。
無垢な瞳は、私を責めない。
ただ、白すぎるキャンバスのように、
世界の黒さと、私の弱さを映えさせてしまう。