NGOのアナログマインド -5ページ目

NGOはやはり現地に入るべきか

神戸の震災があったとき、私はシャプラニール=市民による海外協力の会のスタッフでした。まだ事務局長ではなく、海外プロジェクト担当だったと思います。

地震のことは、バンコクの空港のテレビで知り、唖然としたことを覚えています。帰国すると、日本国内は震災対応で騒然とした状態で、すでに多くのNGOが支援活動のために動き初めていました。

シャプラニールとして、どう判断するか・・・の会議がすぐ数回内部でもたれました。意見は大きく二つに分かれました。
「とにかく現地に行って、何かできることを発信する、やってみる」という意見、もうひとつは
「現地のNPO,ボランティア団体の活動状況を見て、東京にいる組織としてどんな役割が担えるか考える」
といったものでした。

結果は、後者の方が選択され、シャプラニールは関西方面の支援者の安否確認と、寄付の要望があるかの確認を取ると共に、支援活動が一番適切と思われる数団体に寄付を提供することになりました。長期的な開発支援をする団体としては、適切な判断だったのではないかと思いました。しかし、熱心なシャプラニール支援者の中には、「がっかりした」「積極的な活動を期待していたのに」といった声が出て、内部的にはすっきりしない部分を残しました。

関東のNGOの中には、現場に入り、そこで長期的なかかわりを続けた団体も多くありました。現場でしか感じられない一体感、緊張感を感じ、学びます。その後も長く地震、災害支援の活動を重要方針にし、緊急救援ユニットを組織内部につくった団体もありました。。

神戸から15年たった今、あの時のシャプラニールの判断はよかったのか・・・・と時々思い返します。
今思うと、冷静で大人の判断と思う反面、被災者や現地で活動する人々の共感の外にいたため、学びや刺激が少なすぎたのではないか、もっと若者のように夢中で活動してもよかったのではないか。その方が組織として、多くの学びと活動の「種」のようなものがあったのではないか・・・・と思うときがあります。ボランティア文化そのものが未成熟な状態の日本では、もっと動くことで見えてくるものがあったのかもしれません。

結論は今でも出ていませんが。

震災ボランティア中間調整センターについて

まだ生存者の発見が続いていたり、物資が避難所に届いたりと、被災初期段階の厳しい状況が続いているなと、思います。避難所も徐々に設置され、原発被災者の方々の避難も進みつつあります。
こうしたひとつひとつが、今後の災害対応のひとつのモデルになっていくのかな・・・と思って報道を見ています。

災害ボランティアの受け入れは、以下の全国社会福祉協議会のサイトからある程度状況がわかります。
全社協 被災地支援・災害ボランティア情報 http://blog.goo.ne.jp/vc00000/

ここから見ると、多くの受け入れ条件が、「町内の方に限る」「自転車で移動でき、自分で宿泊場を確保できる人」と限定されています。ボランティアの移動や宿泊、食事まではセンター側で確保できないので、当然の調整方法かな・・・と思います。

ただ、もう少し状況が落ち着くと、被災地以外の遠方からのボランティアがどんどん入ってくると思います。そのための対応をどうするか・・・・が重要ですね。ボランティアを最大に生かすことが重要です。

やはり、全国にちらばった数十箇所の災害ボランティアセンターの情報と、遠方からボランティア活動を希望する人をつなぐ、「災害ボランティア中間調整センター」が必要ではないかと思います。ボランティアが各自の判断でそれぞれのセンターに駆けつけると、パニック状態になる可能性があります。そこで、遠方からボランティアをしたい人に対して、人手が足りない被災地、作業の内容の把握、受け入れ条件、などを事前に調整し、的確に人の流れと量をバランス調整する中間調整センターです。

また、必要な物資、場合によっては募金先も、的確に調整できれば、日本全国の善意を最大に活用できるのではないでしょうか。

今回の広域災害だと、「中間調整センター」は、福島県、宮城県、岩手県にそれぞれ1箇所くらい必要なのかもしれません。

今、辻元清美さんがやろうとしている、内閣府の震災ボランティア連携室が、どんな動きをみせてくれるのか、このあたりが気がかりなところです。

震災支援 物資送付は効果的か

被災地の県や市のサイト、災害ボランティアセンターのサイトからは、「物資は送付しないでください」といったコメントが時折書かれていたりします。

災害報道を見た個人が、報道コメントで「●●が不足しているようです」に反応して、一方的に災害支援本部などにダンボールで物資が大量に届く場合、困る結果になることがよくあります。
過去の例で言えば、中身の物資が汚れている・古い、現地で必要ないものまで混じっている、間違った場所に届き手間がかえってかかった、必要以上の数が集まってしまい、処理に困る・・・・といったニーズとの乖離が出ることが多いからです。

おそらく被災初期段階で必要なものは、生存に必要な食料・水などの「食」の部分、着る、寝る、風呂に入る、トイレといった「住」の部分、そして「医療支援」の3つの部分だと思います。また「安否情報」「避難情報」も非常に重要です。

被災民はとりあえず、被災場所や近くの店などから必要な物を自らかき集め、生き延びようとします。(地震の被災地は、そういった物資がまだ得やすいですが、津波の被災地は難しいことが多いと思います)

初期段階では、短期間に大量の物資が必要です。個人から送られてきたダンボールをあけて、サイズや企画が違う物資を分類して被災場所に送る作業より、専門機関や企業にある大量の在庫を、一気に運ぶのが効果的だと思います。結果今回もかなりそうなっているように見えます。(詳細はわかりませんが)

それでは、物資を送ることは無駄なのか?いくつかの条件が整えば、意味があると思います。

調整機関が、大量の物資やサービス配給後も、まだ足りない物資、「物資配給のスキマ」情報を把握し、送りたい側との事前の連絡・数の調整をしたのち、物資を送ってもらえば、それは有効だと思います。つまり「物資配給の後半期に物資供給のスキマ」があり、その間に的確な調整機関が存在することが重要だと思います。

震災支援 ボランティアは不要なのか

日本社会はボランティアの失敗や、トラブルに厳しいとよく感じます。経験の少ないボランティアが何気なくした行為が、相手の迷惑になったり、トラブルを産むと、「ボランティアは素人だ」「プロ以外現場に入るな」といった声がすぐに聞こえてきます。

専門家でさえ混乱する事態なので、ボランティアは出番でない・・・と決め付けた議論は短絡的だと思います。物資輸送も同じことだと思います。

二つの環境が整えば、ボランティアは非常に有効な手段でもあると思います。
ひとつは    「ボランティアの意欲を調整しニーズとつなげるコーディネーション」
もうひとつは  「ボランティアにもできる作業が生まれる時期、タイミング」

コーディネーションは、災害ボランティアセンターのことです。地震の場合は、これまで社会福祉協議会の内部につくられることが多かったと思います。これらの立ち上げは始まっていますが、どの程度のボランティアを吸収できるかだと思います。

ボランティアでもできる作業は、いろいろ可能性がありますが、被災地では「単純・大量な作業」、瓦礫の片付け、道路の清掃、荷物の運搬、といった作業です。
また「被災者へのきめの細かい対応部分」に、ボランティアは力を発揮できると思います。例えば、避難所の子どもの勉強を見てあげる、美味しい料理をつくる、お年寄りへの情報伝達、不安の解消・・・と、プロの方がなかなか手の届かない部分で活躍する方法です。

片方でボランティアがいろいろと気をつける点は多いと思います。マナー、礼儀、相手の立場に立つといった俗人的な部分もそうですが、何よりも「全体の動きを把握しながら、動く」といった全体活動と自分の活動との調和・整合性です。

私は、この地震への支援活動を通して、まもなく新しいボランティア元年が始まると期待しています。
私の大学の学生もおそらく出動のタイミングを待っていると思います。

今回の地震で気になること

神戸の地震では多くのボランティアが活動し、多くの学びがありました。「ボランティア元年」という言葉もこの地震の時に使われるようになりました。もちろんその前からボランティア活動は根付いていましたが、圧倒的な存在感を見せたため、そう言われるようになったのだと思います。それだけ潜在的な力がボランティア組織にあったことと、既存の公的システムの重さ、遅さが目立ったのだと思います。

今回の震災の特徴から、神戸の時とくらべると、以下の点が異なる特徴で、NGO、NPO, ボランティア団体は新しい試練があると思います。

(1)被害が広範囲で拡散していること。そのため、物資配給、ボランティア調整、などの拠点が拡散しているので、さらにそれを束ねる中間組織(例えば災害ボランティア総合センター?)がさらに必要と思いました。

(2)二つ目は、地震と津波の被害が並存していることです。二つの支援方法は異なります。そのため、対策マニュアル、物資や支援内容の明確化が必要かと思います。

(3)放射能、放射性物質がどのように支援活動に影響を与えるか。また緊急救援が一段落したとき、被曝者支援をどうNGO,NPOがどう支援できるのか。チェルノブイリのNGOの経験は生かせるのか。


また、これ以外に、寄付の流れがどうなるかです。まず寄付の入り口部分がどういった機関によりどのくらい集まるのか、そして、出口の部分の使われ方はどこが一番使い、どのように使ったのか・・・・このあたりが今後のボランティア活動を示唆するものになるだろうと思います。また、詐欺募金がどのように影響を与えるかもです。

私は、こうした全体の動きを現場で調整するような立場ではもうないのですが、気になっています。

震災支援活動立ち上げ

皆さん地震はどうでしたか。これを読んでいる方の中にも被災されている人がいるかもしれません。どうか一日も早い救援、復興をお祈りします。

今回の地震で、大学内で支援のための学生ボランティアグループを組織しました。
地震当時は外出していて、わからなかったのですが、テレビで被害状況がわかるにつれ、とんでもない地震だとすぐに思いました。
地震の次の日(12日)が大学入試試験だったので、すぐに対応できませんでした。試験監督の合間に数名の教員と話し合って、有志でなんかのアクションをすることきめ、14日(月)の16時にボランティアグループ結成のミーティングを一部の学生に呼びかけました。

春休みで、1日前の告知にもかかわらず、会場になんと110名近い学生が集まりました。地震の被害の深刻さが、多くの学生に伝わったのだと思います。

グループ名はSUAC For JAPAN (静岡文化芸術大学 東北地方太平洋沖震災支援実行委員会)です。SUACは静岡文化芸術大学の略称で「スアック」とよみます。

その後反響が広がり、現在活動希望者128名がメーリングリストに登録されています。
離れた地方にいる若者ができることって何でしょうか・・・・・
とりあえず、募金活動を展開中です。16日の卒業式に大学内で募金を。そして、あちこちに募金を呼びかけています。
3月24日、25日、26日と街頭募金をする予定です。支援先は学生に考えてもらい、赤十字、ピースウインズ・ジャパン、ジェンの三団体です。

さて、・・これから・・・何を展開すべきか???考え中です。(写真は卒業式の募金の様子です)

NGOってなんだ?-震災募金

NGOとメールマガジン

今、私は約40くらいのNGO・NPOのメール・マガジンを購読しています。
浜松にやってきて、できるだけ多くのNGO・NPOの情報を維持したいと思ったからです。すべての会員になるわけにいかず、無料のメール・マガジンは非常に手ごろでした。
また、東京以外の住民にとって、速報で送られてくるメール・マガジンは、最近の動向に触れるには非常に有効です。

JANICの会員団体をまず調べてみました。メール・マガジンを配信しているNGOは約3分の1くらいです。またNPOのネットワーク組織でもなかなか少ないことがわかりました。コストもほとんどかからないのに、以外と少ないことに驚きました。多くのNGOは、ウェブサイトとブログの構築まではできつつあるようですが、発信力の強いメール・マガジンが少ないことはちょっと残念でした。
ブログやウェブの中に深く入ってくる人は、もともとその団体のファンか特別な事情がある人なのでは・・・・。ウェブやブログは発信情報の「奥行き」であって、人を「誘う」ツールではないのではないかと思います。

あと毎日にように送られてくるメール・マガジンの内容ですが、最初にヘッドラインを入れてくれているものがほとんど、それが非常に助かります。一番読みたいところに最初に言って読むようにします。
残念ながらエッセイのようなものは、短いもの(編集後記くらいの長さ)は読みますが、長いものはちょっとケイエンします。
特にNPOの新しい動きや、東京に行かなくても参加できる情報やきっかけ、が一番目を引きます。
「例えば、サイトから新しいカレンダーがダウンロードできる」とか、「サイトに新しい写真展が開かれている」とか、「新しい映画の紹介クリップがサイトから見られる」、「チョコレート新発売」といった情報は、やはり次のアクションのクリックをしています。
記事でいま一つといつも思うのが、寄付のお願いです。単に「寄付」のことだけ書いてあるものが多く、寄付する「はずみ」をつけるような要素があまりないことが多いです。特にNGOのメル・マガは寄付のお願い多いなぁと思いました。メル・マガを読む人って、それを読んだだけで本当に寄付するんでしょうか・・・・・?

                      バングラデシュ、チッタゴン丘陵の布です
NGOってなんだ?

エクマットラの渡辺さん

成人の日ですね。世界の20歳の青年が少しでも幸せになれますように。

最近若手NGOに対する印象を、10月頃ブログに書きました。(言いたい放題ですいませんでした)
その中にバングラデシュで活動するエクマットラも取り上げていました。
http://www.ekmattra.org/JAP/index.htm

今日、NHKのドキュメンタリー「MISSION]の再放送があり、国際協力の現場で活躍している3人の若者が紹介されており、その一つにエクマットラと渡辺大樹さんが紹介されていました。エクマットラの活動を映像で見るのは初めてなので、関心をもって観ました。

一番関心があったのは、渡辺さんが、エクマットラ・アカデミーというストリート・チルドレンの職業訓練校の建設費をバングラデシュ企業から集める営業活動でした。「なんで日本から資金を集めないのか」という声の中で、「バングラデシュの問題はバングラデシュ人たちの手で」という考えで、バングラデシュ企業や財団の営業をやっているところに感心しました。バングラデシュ国内からの資金集めは、言うのは簡単ですが、実際にやるのは並大抵のことではないと思います。

映像によると、最初は面会を取り付けることも大変で、順調ではなかったようですが、時間をかけて作成したストリートチルドレンの映画「アリ地獄のような街」が話題を呼び、バングラデシュのある銀行家が資金提供を申し出たというストリーが報告されていました。

彼の新しいことをチャレンジするエネルギーは、すごいなぁ、と感心しました。
バングラデシュも今の経済成長を続けていれば、いずれ寄付文化が成熟する時代がやってくると思います。そしてバングラデシュならではの寄付集めノウハウがつくられていくのだろうと思います。渡辺さんのこういった苦労がもし記録にでもなることがあれば、将来ほかのNGOに役立つのかも・・・と思いました。

BRACのアベッド氏が2009年に来日したときに、私も関連シンポに呼ばれました。その際にアベッドさんに「BRACはバングラデシュ国内での寄付活動をする計画はないのか」と聞いたことがあります。すると彼は、「将来的にはそれを考えているが、まだ多くの市民はそこまでの余裕がないので、様子を見たい」と慎重な態度でした。

80年代に日本のNGOが日本社会に定着してきましたが、欧米型のNGOのマネージメントに追いつこうとする意識が、NGOスタッフのプロ化(悪くいうと職業人化、サラリーマン化)を進めたと思いますが、結果的には多くのNGOが活力を失ったという印象があります。その中で、自分の力を信じて、リスクを負いながら新しい境地を作りあげていく渡辺さんを見習いたいと思いました。

NGOってなんだ?

                           久しぶりにバングラデシュの犬写真

あけましておめでとうございます

皆様、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
ブログも今年の後半はちょっとお休み気味で、読者の方々には、失礼な状態になっておりました。
毎日の生活の中には気付きがたくさんあるのですが、なかなかまとまった言葉にならずにいます。

昨年の4月から浜松という静岡県の地方都市で生活するようになって、いろいろな体験と感想が今はあります。

・川、湖、山、林、田畑といった自然が、身近にあることの豊かさを改めて感じます。
・農家で時々、田植え、草刈、稲刈りといった手伝いをする機会があり、自然だけでなく食のことを考えることが多くなりました。
・最近は「東京にいく」「浜松に戻る」といった感覚が強くなってきていて、東京が前以上に大都会といった感覚になってきています。浜松の町も着任当時は、小さく静かな町といった感覚がありましたが、今では駅近くにいくと「大きな町だな」と実感するようになりました。
・教えている学生は必ずしも熱心にNGOのことを知りたいと思っている学生ばかりではありません。しかたなく「単位」のためにきている学生もいます。そういった学生に満足いく講義をすることは、新しいチャレンジだと最近思います。
・NGOのことを知っている人が少ない環境の中で、開発途上国のことをどう伝えるべきか、スタートラインに再度立ったような気分になっています。

 東京で学んだNGO経験はもちろん貴重ですが、この町で伝えるにはあまりにもギャップがありすぎるように思います。地域から国際協力を考える新入生になったんだな、と改めて感じています。

日本の地方都市のほとんどは、浜松に近い状況だろうと思います。その上で、あらためて日本社会に市民社会が育つというのは、どういうことか、考え続けていきたいと思っています。
NGOってなんだ?-フェリーからガンジス河
Ganga River

若手NGOとダイレクト方式(3)

すいません、最後の記事からずいぶんと時間がたってしまいました・・・・。

日本人が直接現地プロジェクトの決定権をもち、指揮をとることことには、当然メリットもあります。
たとえば、
(1)資金が適正に使われているという「安心」マークになる
(2)日本人が現場から学び、問題を直接察知できる

だが、お金を出す人が、口も手を出すと、これ以上強力なことはありません。誰もこの日本人には逆らえません。現地スタッフも「まあ、ボスがそれいいならいいんじゃない・・」となり、黙認することが多くなりがちです。残るのはイエスマンばかりということも珍しくありません。
それ以上に、日本人が長時間かかわるプロジェクトは、当然人件費、渡航費、滞在費が現地スタッフよりはるかにかかり、コスト高になります。

まだあります。
現地社会を日本人は的確に理解していないことがよくあります。また現地語もかなりあやしい・・・。「理想の社会と人間関係はこうだ・・・」と自分の理想郷的イメージを相手社会に持つことも、折々あります。それはそれで、よい影響を現地コミュニティにもとらすこともあります。しかし、リスクと隣り合わせなのです。

現地社会には、それなりに自分たちの力で社会を変えたいと思っている現地NGOがたくさんあります。日本人の目から見ると至らないところも目につきますが、片方で、現地社会に密着し、そこで社会を変えていく強い力を持っているNGOもたくさんあります。これらのNGOと連携し、徐々に日本人はそのプロジェクト運営から手を引いていくことが重要ではないかと思います。

私の危惧は「自分がいなくなるとこのプロジェクトはダメになる」「自分は現地の人と対等にプロジェクトを運営している」といったこだわりから、プロジェクト直接運営をしているとなると・・・・、心配だぁ。

NGOってなんだ?
バングラデシュのスイカ。 ンマイ・・・