NGOスタッフはなぜ受け入れられない?
「NGOってボランティアの人たちだけで運営されているんですよね」
と考えている学生が本当に多い。
前から知っていたものの、最近その数の多さにおどろいています。
NGOやNPOの中にも給料をもらっているスタッフがいることを伝えると
「ええ、知りませんでした」「ボランティアなのに給料もらっていいんですか」「それって食べていけるくらい給料が出ているんですか?」といった質問が続きます。
どういった情報が、彼らにこういったイメージを刷り込んでいるのでしょうか?
やはりマスコミの報道内容も大きいのだろうと思います。
また、「ボランティアは個人がやるもの、だから基本はただ働き」といった認識を無意識にもつからでしょうか。
で、ときどき思うのですが、福祉施設、教育施設、いろいろありますよね。その中で、無給のボランティアだけで構成されている組織イメージはどこからどこまでで、どれがスタッフいない組織と思うのでしょうか???気になります。
例えばですが、以下の団体は実在しませんが、「ボランティアのみで運営されている」というイメージをもつのはどのくらいまでなのでしょうかねぇ。それはまたなぜなのでしょうか??謎です。
「日本英語教育協会」
「日本青年ボランティア協会」
「日本農業推進協会」
「日本美容師協会」
「富士山を美しくする会」
「浜松障害者センター」
「浜松ボランティアセンター」
「日本子ども会協会」
「カンボジアに学校を建てる会」
「開発教育市民ネットワーク」
あなたはどうですか?
静岡大学のNGOサークル
昨日、浜松にある静岡大学工学部の学生2名が、私の研究室を訪ねてくれました。
学生有志で国際協力のNGOを立ち上げたが、これから浜松で何をしていけばいいのか、検討中ということで、私ともいろいろ情報交換したいということでした。
このサークル名は「Q」という変わった名前で、アジアなどを旅行し、現地社会といろいろな出会いをした学生たちが集まって今年の4月頃結成されたものです。
日ごろは、勉強会などを実施しているのですが、新しい試みとして東京をベースにしているNGOの寄付をみんなで集め、手渡そうとしたようなのですが、「なかなかモティベーションがあがらない。現場が遠く感じる」といった悩みを話されました。「どうやったら寄付は集まるのか、現場から遠く感じる浜松で、寄付を集める以外に何ができるのか」と言った質問が出たとき、「う~ん」とうなってしまいました。
経済的に余裕の少ない学生が、いきなり寄付を集めるというのは、かなりしんどいと私も思います。支援するNGOの現場にいっていないため、寄付集めのモティベーションも弱い段階で、何をしたらいいんだろう・・・・。
まさしく私が、前回書いた、浜松で国際協力を考えるという悩みがいっぱいつまった質問でした。東京をベースにしたNGOは、資金獲得で必死です。こうした地方都市の人々とは、「寄付者」になるといった形でつながろうとしますが、それ以外の場づくりについてはなかなか参加できるものが少ないと思います。
私の中では、3つのキーワードが浮かんできていますが、まだ自信はありません。
(1)フェアトレード(もしくはソーシャルビジネス)
(2)グローバル学習(特に食品や環境とグローバリゼーションの関係の学び)
(3)地元企業のCSR活動発掘
このあたりをテーマに、「浜松」という地方都市発信の国際協力を考える場づくりのようなものができないか・・・と妄想しています。
このごろ感じます
こちらの浜松の生活を始めて、3ヶ月が終わろうとしています。
これまでお付き合いしていた何人かのNGO関係者の方も、浜松に立ち寄ってくれたりしてくれました。
いくつかの団体からは、役員やアドバイザーの依頼を受け、「覚えていてくれたんだ・・・」と感謝しています。
中にはいくつかお断りした役職もありました。
浜松に住んで強く感じるのが、これまでの自分のNGO体験が、この街で本当に通用するのか・・・・といった素朴な疑念です。
私はこの近くで生まれ育ち、ここの地域の雰囲気や空気を肌のように感じ取ることができます。
25歳で東京に出て、ボランティア・NGOで仕事の経験を積みました。これらの実績があったから、今の私があると思っています。
ただ、この街に来て最近思うのは、私の体験は、「東京という、ボランティアやNGO関係者が異常に密集した場で、人を雇うお金も集まる特殊な機関で学んだことではないか」ということです。
寄付の集め方、政府との交渉、広報のセオリー、ドナー団体の営業、人の採用やスタッフ研修のあり方・・・・、そういった技術が、今ここで役にたつのかなぁ、といった疑問をもっているのです。
先日調べてみたら、浜松は人口83万人で、政令指定都市です。NPOの数は153です。
そのうち、国際協力にかかわると思われるNGOは二つ。
人は採用していないようですね。
日本の多くの地方の街は、こんな状況ではないでしょうか。
この街の人々の感じ方をつかまない限り、日本のNGOの支援基盤はなかなか広がらないのでは・・・・と自問自答しているのです。
シナジー146号 届く
(特活)国際協力NGOセンター(JANIC)が6月に発行した、シナジー146号が自宅に届きました。
146号の内容については、JANICのサイトから、http://xc519.xbit.jp/b593/item_detail/itemId,42/ から一部わかります。
今回は、おもにJANICスタッフ向けに書いているので、ちょっと楽屋裏的な印象を持たれるかもしれませんので、最初にお詫びしてしまいます。ただ機関紙作成している担当者にしては、感想、コメントが何よりの栄養なので、元スタッフとしては、その意味でコメントすることで、ささやかな応援です。
■まず素朴なNGOマニアの読者の立場から
・個人的な趣味ですが、表紙は「おや!!」をひきつけられました。「ソトコト」までもう一歩という印象でした。
・忙しいので、パラパラとまず見て、やっぱり読む順番は「NGOのNGな話」、「執筆者紹介」へ、その次は事務局長エッセイ「エキセレントNGO・・・」、そして「Book Movie」へと流れていきます。
・さて本題の特集「生物多様性特集」ですが、ううう・・・漢字と数字が多い・・・・あとにしよう・・・・というプレッシャーが出てくるが、なんとか道家さんの「キホンのQ&A」にさっと目を通しました。・・・・あとは数日かけてトイレで読もう・・・。
となりました。ここまでの時間が約15分くらいでしょうか。
■これまでも一緒につくっていた裏方の目として
・よくあの予算で、このクオリティが保てましたね。スゴイ。ご苦労さま。
・特集の最初の3つの報告は、いいのですが、COP10の包括的な説明が少ないまま・・・・それが3つ続くが、・・・COP10とのリンクがちょっとわかりにくいかなぁと思いました。おそらくCOP10に焦点があるのか、広く環境問題に焦点があるのか・・・・最後までとらえにくいというのでしょうか。
・144号、145号で出ていた、やわらかさのようなものが、今回はちょっと少ないかな・・・?
・でも、全体のクオリティは高いと思います。
・「売れる」ものをつくるのか、「会員の会報」をとどめるのか、やはり難しいラインにいると思います。
でも、苦しい環境と予算の中、本当にご苦労さまでした。
次号を楽しみにしています。(あと3ヶ月もある・・・・)
今、ソトコトをまとめて買い、読み始めているところなので、いろいろと「ボランティア」「NGO・NPO」「市民社会」を広く社会に伝えていくことの難しさ、利潤の考え方などを考えているところです。
ポッカの悲哀、金ちゃんヌードルの至福
http://ameblo.jp/simosimota/entry-10537171932.html
しかし、実はうれしいこともあったのです。
あの、「金ちゃんヌードル」が、いたるとこに売られているのです。ほとんどのコンビニにあります。
金ちゃんヌードルとは、カップヌードルのことなのですが、徳島県にある徳島製粉がつくっている、カップ麺で、関西、中部地域で主に売られているものです。 私が小学校の頃から、売られていて、夕方おなかが空くと、この金ちゃんヌードルを食べたものでした。東京では手にはいらないため、もう20年近く食べてい なかったのです。
すぐ買って食べてみました。
「・・・・んまい!!」
そうです。昔とほとんど味が変わっていません。
麺がぜんぜんうまいのです。他のカップ麺とは比較になりません。
ポッカの悲哀を、金ちゃんヌードルの至福で、取り戻しているといってもいいでしょう。
なんでも、昭和40年頃、徳島製粉で取引していたパン屋さんの小麦の買取量が下がり、なんとかならんか、ということで必死に考えつくったのが、このヌード ルで、小麦には絶対の自信を持っているのです。その後、30年近くにわたるロングランの商品になったのです。(関西、中部だけですが)
なぜ金ちゃんヌードルという名前になったのか?
知りたい方はこちらのサイトへどうぞ。(特に徳島製粉から、私はお礼をもらっていません。あしからず)
http://www.kinchan.co.jp/
国際協力は欧米の戦略か?
国際協力の政治的側面をみると、戦後の世界リジームを作り出そうとしたアメリカなどの国際戦略が見え隠れします。また、2国間援助(バイの援助)は、それぞれの国の外交政策が強く出ることがあります。
冷戦期のアメリカとソ連の国際協力などはその典型的な例だし、IMFや世銀の自由市場拡大主義傾向も、そういった先進国政治の経済優先の政策の断片が見え隠れします。
だから、・・・・そういった流れに市民やNGOは乗らず、客観的に観察しながら対応すべき・・・・・といった国際協力非協力論・慎重論的な姿勢のグループが、一部あると思っています。 これはこれで、大切かと思います。
しかし、先進国の普通の市民が、開発途上国の貧しい、弱い立場の人々と出会い、「同胞」として何かできないかという感情でNGOを作り、途上国のコミュニティに愛情を持ち、そことつながりたいという感覚が歴然とあったと思います。
そういった感情論が、NGOの背後に強く存在します。「国際協力は大国の戦略」といった視点だけでは、これらの動きが感情を説明できないのでは、と思います。
NGOを突き動かしているのは、そういった個人の市民の感情部分が大きいのではないでしょうか。
これらはどのようにして発生し、市民をつき動かしているのでしょうか。
そこの説明こそが、NGOの根源的な基盤の説明のような気がします。
「国際協力慎重論」「国際協力プロフェッショナル論」「国際協力技術論」・・・・これをこえて、なぜ私たちはつながろうとするのか、をベースに討論して、整理すべきではと思いました。
名古屋NGOセンター
今日、名古屋NGOセンターの総会があり、その後の交流パーティに参加してきました。
名古屋NGOセンターは、(特活)国際協力NGOセンター(JANIC)とほぼ同じ時期の1988年に前身である「名古屋第三世界交流センター」として発足し、1995年に現在の「名古屋NGOセンター」に改称しました。
現在は、東海地域のNGO、47団体が加盟するネットワークNGOです。
JANIC時代は、東京のJANIC、名古屋の名古屋NGOセンター、関西の関西NGO協議会の三団体で、必要に応じてNGO界の意見調整を、便宜的に行ってきた経緯があります。だから、仕事の関係で、以前から深くお付き合いがありました。
事務局長の小池さんから「名古屋に近くなったのだから、一度遊びにきてみたら」ということで、今日の交流パーテイに誘ってもらったのです。
今日は、会員メンバーだけでなくボランティアの方もいれると、40名近い方々があつまり、サルサの踊りなどもしながらの楽しい交流となりました。東京と比べると、それぞれの団体や理事、事務局の関係も近く、互いの信頼感も強く、楽しい、癒される場だったと思います。
とある個人会員の方が、もう亡くなられた、創設者であり初代代表だったステファニーさんの言葉を引用して、心のこもった挨拶をされていたことが印象的でした。ステファニーさんは、キリスト教の司祭でもおられました。
「教会の中に、キリストはいない。小さき者、弱い者の中にキリストはおられる。キリストに出会うために、私たちは、でかけていくんです」。
うまくいえませんが「地域の香り」がするとでもいうのでしょうか。
そういった言葉が、総会のパーティで聴けることが、新鮮でした。(とはいえ、私はビールを飲みっぱなしでしたが)
MDGsは人気のない菩薩行である
さて、JANICでも、MDGsのキャンペーンが始まっています。
そんなところに、アーユスという仏教系のNGOから原稿依頼を受けて、以下のような原稿を書きました。お時間のある方はお読みください。
MDGsに関心をもっていう文章を、仏教的ニュアンスでまとめてみました。
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MDGsは人気のない菩薩行である
MDGs(ミレニアム開発目標 Millennium Development Goals)を知っていたら、かなりの国際オタクである・・・・・こう言われてもしかたない。それほどまで日本社会でMDGsのことが知られていない。ゆえに、達成されることもない。こうした厳しい現状が続いている。
21世紀の浄土のための誓願・MDGs
MDGsを簡単に説明するならば、世界の貧困を2015年までに半減させるという人類最初の「誓願」である。しかも2000年に189カ国の代表が国連総会で決めた「誓願」だ。日本政府ももちろんその中に含まれている。MDGsは世界の貧困を半減させるための、8つの開発目標、18のターゲット、48の指標にまとめられている。(2007年にはモニタリングの枠組みの見直しが行われ、現在は21のターゲットと60の指標になったが)。
四十八の願
法蔵菩薩は阿弥陀如来になるための菩薩行として、衆生救済のため四十八の願を立て、実践することを誓ったと言われる。この四十八の願は、尋常な努力では達成されることができないものばかりだし、本当にできるのか疑う人も当時いたのではないだろうか。ただ、その願いの深さゆえに、また弱い人々の立場に立つ誓願だったがゆえに、当時絶望していた人々は、その姿勢に励まされ、信仰心を持つにいたったのかもしれない。MDGsは、現在の法蔵菩薩の誓願そのもの、21世紀の浄土をつくる作業なのである。しかし残念なが、日本社会ではMDGsは、まだ人気のない菩薩行のままのようである。
MDGsは達成が難しいとか、数字だけ達成しても意味ないと簡単に否定する人もいるが、人類にとってMDGsのもつ真の意味は単純に数字の達成だけではない。みんなが決めた誓願を実現しようという、人類のチームワークの必要性を意味しているのだ。
また、MDGsの重要なところは、その役割を政府や国際機関だけに限っておらず、人類のあらゆる組織と人が参加することを期待されている点だ。だから、MDGsでは達成目標の四十八の数値だけを謳っている。
しかし、2010年まであと5年。このままではMDGsはまず達成されないと言われている。
先進国のリーダーシップの欠如、私たちの無関心
そもそも、貧困問題そのものが複雑で、解決が難しいと言われる。しかし、一番MDGs達成のために努力を惜しんではいけない先進諸国のリーダーシップが、あまりにも弱いと言わざるを得ない。日本政府もその点では、反省すべき点が多々ある。たとえば指標のひとつにある、ODA(政府開発資金)をGNIの0.7%を達成するといった目標を大きく下回わり、0.18%(2008年度)でしかない。
経済的に落ち込めば、なかなかODA増額に力が入らない。しかし、MDGsの達成に対する先進諸国(特に以前のG8諸国)の無責任さは残念だが、こうした政府を許しているひとりひとりの市民の無関心が、今のMDGsの現実をつくっていると思う。「どうでもいい」と思うひとりひとりが、今の地球上の「苦しみ」を許してしまっている。
今からできることを
早く取り組めば、少ないコストで大きな成果も出せる。先延ばしにすればそれだけ子どもたちがその負債を背負い、長くこの課題に取り組まなければならない。5年しかないから無理だと、この「誓願」達成を遅らせてはならない。2015年以後も、きっと同様の議論が継続されるだろう。その時のためにも、今からできることを取り組んでいくべきではないか。
世界の「貧しい」を半分に。MDGs 2015』キャンペーン
JANIC((特活)国際協力NGOセンター)は、4月から日本市民のMDGsへの関心を高める『世界の「貧しい」を半分に。MDGs 2015』キャンペーンを実施する。キャンペーンには、MDGs達成に賛同するという宣言をするだけで参加することができる。また、他にもMDGs達成のために活動するNGOへの募金を通じた貢献や、食事を通じて世界の貧困問題を学ぶ「地球のご飯の日」イベントの実施などを予定している。なお、世界宗教者平和会議が実施しているArms Down!キャンペーンと協力関係にある。4月30日にキャンペーン・サイトをオープンする予定なので、ぜひ関心のある方はJANICのウェブサイトを覗いてほしい。(http://www.janic.org/
)
モノを送る国際協力
「ソトコト」買おうかな・・・・とサイトに飛んでみたら、なんと高橋尚子氏協力のもと、ソトコト10周年記念事業とし「Smile Aflica」っていう、キャンペーンをやっていた。(以下のサイトをごらんください)
http://www.sotokoto.net/smileafrica/index.html
なんとあまった靴を、アフリカの子どもに・・・・。というキャンペーンなのです。
う~ん。
確かJANICに、「何か途上国に古い衣類を送りたいのですが」という問い合わせがあると、「現地にもある程度衣類はあるし、それを買う購買力が貧しい人にはないのです。また衣類を送ると、輸送費もかかるので、物を送る活動は、限定的で、多くのNGOは現金による寄付が、活用しやすい。ただ、いくつか、衣類を活用している団体があるので、お知らせします」といったカンジで、「モノを送る」ことに対して、注意喚起する対応をしていた。
これはJANICの独断でなく、現場にいったNGOならば、当然もつ感覚で、JANICとしてはそれを代弁しているにすぎない。
ここで言いたいことは、やはりモノを送る活動はわかりやすい。だから、手法としていつまでも消えないなのだなぁ、という認識を強めたということです。
先日も静岡県庁のとあるプロジェクトの懇談会に呼ばれて出席したところ、同じようなことがあったのです。地震災害の多い静岡県としては、他国で地震があった場合、まっさきに支援をする県になりたい。そのために、県民から、現地に送る物資を集めることはどうか・・・・的な前提条件が話されていた。みんなモノを送ることが一番大事であると思っているわけではないが、県民が素直に参加できる方法として、物資の回収を選んでいるのがわかった。
NGOから遠い人にとって、国際協力というイメージは、「協力隊」と「物資の送付」が一番わかりやすいイメージなのだなぁ、とあらため思いました。(だからダメということでなく、これをどう理解したらいいか・・・・ですね)
ポッカのない街
多くの方は関係ないし、どうでもいいことなのですが・・・・・
私はこの30年間、缶コーヒーのポッカ(レギューラー缶)を愛飲してきました。味が確実に違うのです。他の缶コヒーと。また名古屋の企業だし、私が知る限りでは、最初に缶コーヒーを精力的に販売し始めたのは、この会社だったと思います。(当時は、今は懐かしいロング缶でした。)
東京で仕事をしていたときも、ポッカのあるコンビニで必ずポッカを買って飲んでいましたし、ポッカの自販機がどこにあるか、いつもチェックして、必ずその道を通って買っていました。基本は1日1本のみという原則です。東京でも日に日にポッカがコンビニから消えていく姿を見ては、ポッカお客様相談室に、「もっと営業をがんばってほしい」といった、励ましのメールを送っていました。(必ずご返事をいただきました)
しかし、です。
浜松に来てから、まだ一本もポッカを飲んでいないのです。
こんなことは人生初めてです。
近くのコンビニにはほとんど入ったのですが、ないのです。(キリン、コカコーラ、アサヒ、サントリー、時々ダイドーといった感じです)
通勤途中で、3台ポッカの自販機を見つけたのですが、最近売り出し中のアロマコーヒーのみを扱っていて、レギュラー缶がひとつもないのです。(アロマは悪くないですが、やや味がキリンに近くなっています)
緊急事態ということで、ポッカのお客様相談室にメールをし、窮状を訴えました。
返答は、浜松市内では、3店舗(それも特殊なディスカウントショップで、遠方のようです)でしか扱っていないということでした。 シュン。
缶コーヒーの営業って、すごい競争なのでしょうね。
ポッカの営業の方、浜松でもがんばってください。あと自販機には、レギュラー缶をひとつは入れてください。
すいません。NGO関心者にはどうでもいいことでした。

