へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy -41ページ目

へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

。。。。。。。。。。

 

【詩篇114篇】o19

psm114:1  イスラエルがエジプトから、ヤコブの家が異なることばの民のうちから、出て来たとき、

psm114:2  ユダは神の聖所となり、イスラエルはその領地となった。

psm114:3  海は見て逃げ去り、ヨルダン川はさかさに流れた。

psm114:4  山々は雄羊のように、丘は子羊のように、はねた。

psm114:5  海よ。なぜ、おまえは逃げ去るのか。ヨルダン川よ。なぜ、さかさに流れるのか。

psm114:6  山々よ。おまえはなぜ雄羊のようにはねるのか。丘よ。なぜ子羊のようにはねるのか。

psm114:7  地よ。主の御前におののけ。ヤコブの神の御前に。

psm114:8  神は、岩を水のある沢に変えられた。堅い石を水の出る泉に。


。。。。。。。。。。


おはようございます。

さてさて、ナンダか仕事が忙しくなってきています。

問題も多くなってきています。負荷が多くなってきています。

・・・愚痴が多くなってきています。・・・気をつけよう。

本当はあり難いことなのに、他人と比較したら・・・。

弱いね~相変わらず・・・僕は。



でも、今日も新しい素敵な一日ですもんね。

では早速詩篇を。今日僕の心に留まった言葉はコレ。

psm114:8  神は、岩を水のある沢に変えられた。堅い石を水の出る泉に。




神様は変えられる神様。

病をいやし、問題を変えられる神様。



もし、神様が動くと事は成る。だって、神様なんだもん。

光よあれ・・・って命じて光を創られた神様は全てを創り、全てを治められる。



この神様が完全な 『 愛 』 の神様であって良かった。

神様が僕らのようだったら、僕なんかひとたまりも無い。即消滅だろうね。


でも、神様は『愛』そのもので、僕らを包んでくださる。

1cor13:4 愛は寛容 であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず 、高慢になりません。

1cor13:5 礼儀 に反することをせず、自分の利益 を求めず、怒らず、人のした悪を思わず

1cor13:6 上正を喜ばず に真理を喜びます。

1cor13:7  すべてをがまんし、すべてを信じ 、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

1cor13:8 愛は決して絶えること がありません。



『愛』 に 『神』 を入れて読んでみて・・・。



納得・・・。でしょ。



だから、僕らは滅ぼされず今生かされて、

問題がありながらも今神様の言葉であるバイブルの言葉の前に居る。




マザーテレサさんは

『 愛の反対は無関心 』 だといわれた。

愛そのものである神様は僕らの髪の毛の数さえも関心を持って僕らを今日も見つめてくださる。


その神様は

変えられる神様。


問題に関心を持ち、僕らの問題を変えようとしてくださってる神様にお祈りしてみませんか?

祈りってのは、神様に対して発する言葉。


形にこだわる事無い。

バイブルには神様を信じたら「アバ 父よ」って言うようになるって記されている。

「アバ」っていうのは、お父さんっていう意味。

それも小さな子供が言う言葉っていうから 「 おとうちゃん 」が正しいかもね。



僕らは神様の子供として創られた。

だから、今 そのまま 言葉をかけてみましょう。何も考えずに。

大人の気遣いを頭から完全に取り除いて・・・ね。



では、今日も素敵な一日。

問題にも関心のある神様に言葉を掛けながら

神様が備えられた素敵を捜しに今日も一緒にでかけましょう。



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8節「神は、岩を水のある沢に変えられた。堅い石を水の出る泉に。」 (新改訳)
8節「神は岩を流れに、石を泉に変えられた。」(典礼訳)

Keyword;「変える、変えられる」 turn~into~, 30:11/41:3/66:6/105:25/29/

  • 「変えられた」と訳されたハーファクהָפַך(haphakh)は、すでに詩篇41篇の恩寵用語として取り上げましたが、そこでは病の状態から健康にするという意味で、「完全にいやされる」とありました。しかし、詩114篇では「岩を水のある沢に」、「堅い石を泉」に変えられるという、普通ではあり得ない神の恩寵のわざとして用いられています。これはイスラエルの40年の荒野の旅路において経験したメリバでの神の恩寵が背景にあることは明白です。
  • 新約時代においては、イエス・キリストの十字架の死と復活によって与えられる祝福として、私たちの堅い心の岩を打ち砕いて、泉となし、渇くことのない永遠のいのちへの水がわき出ることを、サマリヤの女に語りました(ヨハネ4:14)。この永遠のいのちへの泉とは、キリストを信じる者に与えられる聖霊のことです。
  • ハーファクהָפַך(haphakh)は、「ひっくり返す」、「ひるがえす」、「くつがえす」と訳されているように、不意打ちするかのようにある状況を一変させるという意味です。旧約では94回、詩篇では10回使われています。「暗黒を朝に変え、昼を夜にし」(アモス5:8)とあるように、祝福にも呪いにも使われます。呪いの用法としては、詩78篇44節に「神がそこの川を血に変えられたので、飲むことができなかった。」とあるとおりです。その呪いは完全なさばき(破壊)をもたらします。
  • 祝福の意味で使われているいつくかの箇所を上げてみると・・・
    ①「・・主は、あたなたのために、のろいを祝福に変えられた。」(申命記23章5節)
    ②「あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。」(詩30篇11節)
    ③「神は海を変えて、かわいた地をとされた。」(詩66篇6節)
    ④「『わたしは彼らの悲しみを喜びに変え、彼らの憂いを慰め、楽しませる。・・わたしの民は、わたしの恵みに満ち足りる』」(エレミヤ31章13~14節)
    ⑤「悲しみが喜びに、喪の日が祝日に変わった月として、祝宴と喜びの日に互いにごちそうを贈り、貧しい者に贈りものをする日と定める」(エステル9:22)―これは現在もプリムの祭りとして祝われています。ハマンによるユダヤ民族絶滅の陰謀から救われたからです。
  • 状況の変化だけでなく、人の心を変えることにも使われています。「民が逃げたことがエジプトの王に告げられると、パロとその家臣たちは民についての考え方を変えて言った。『われわれは何ということをしたのだ』・・・」(出エジプト14章5節)。「主は人々の心を変えて、御民を憎ませ・・た。」(詩105篇25節)。

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【詩篇113篇】o19


psm113:1  ハレルヤ。主のしもべたちよ。ほめたたえよ 。主の御名をほめたたえよ。

psm113:2  今よりとこしえまで、主の御名はほめられよ。

psm113:3  日の上る所から沈む所まで、主の御名がほめたたえられるように。

psm113:4  主はすべての国々の上に高くいまし、その栄光は天の上にある。

psm113:5  だれが、われらの神、主のようであろうか。主は高い御位に座し、

psm113:6  身を低くして天と地をご覧になる。

psm113:7  主は、弱い者をちりから起こし、貧しい人をあくたから引き上げ、

psm113:8  彼らを、君主たちとともに、御民の君主たちとともに、王座に着かせられる。

psm113:9  主は子を産まない女を、子をもって喜ぶ母として家に住まわせる。ハレルヤ。


 

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おはようございます。

今日もすがすがしい朝ですね。では今日も。

今日僕が出会った言葉はコレ。

主は、弱い者をちりから起こし、貧しい人をあくたから引き上げ、・・・・・





神様は、

弱い者を見過ごされる事はない。

貧しい人を忘れる事は無い。





弱いもの・貧しい人のモノ。





どういう意味か?

自らの弱さ・貧しさを知って初めて出会える。と云う事かな?




自分は勝手に自分自身で生きている。なんて無知な状況だと気付けない。

神様が創られ、動かされている臓器を・・・まさか自分自身で動かしているなんて考えだもんね。

この地球がどんなバランスによって太陽を回り、

銀河がどんなバランスで保たれているかを知ろうとしないんだもんね。



自分の弱さ・貧しさを憶える時

僕らはようやく上を見上げ、僕ら自身がどれ程チッポケな者か思い知らされる。




実はその時、僕らはサタンの洗脳から解かれる。

苦しい時かもしれない。

本当に誰にも解りえないシンドイ時に違いない。

でも

その弱さ・貧しさは神様に素直に会える素敵な時に変わるだろうから。。


ほんの少し

ほんの少しでいいから、是非上を見上げてみて。




本当に直ぐ其処に神様が居られて、僕らは力強い御手で包まれている事を知るだろうから。




神様はそんな方。

身を低くして天と地をご覧になる。



そして、ジーザスはその為に来られたんだから。

「キリストは、神の似姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者のすがたをとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、死にまで従い、実に十字架にまでも従われたのです。」




不思議ですね。。

僕らはいつもそんな愛に包まれているみたい。

気付こうが気付かなかろうが、神様はいつも傍で支えようとされている。


そんな神様との会話はお祈り。

独り言のようにいつもしてみませんか?

誰か居るところでヤッチャウと、この人変だ!なんて思われるから気をつけながら。。。



では、今日も神様が備えられた素敵な一日。

大変な事もあるだろうけど、その背後に素敵な愛が隠されているだろうから、

そんな小さな素敵を捜しに今日も一緒にでかけましょうね。



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6節「・・主は高い御位に座し、身を低くして天と地をご覧になる。」(新改訳)

Keyword;「身を低くする」 humble, himble myself, 113:6

  • 詩113篇にはきわめて特徴的なことばがあります。それは「身を低くして」と訳されるシャーフェルשָׁפֵל(shaphel)です。この動詞は旧約で30回、詩篇では4回です。この動詞の本来の意味は、神が高ぶる者を低くする、引き下ろす、引き下げるこを意味します。神自ら身を低くするということは、ここ詩113篇のみで、非常に珍しい表現なのです。
  • 神が天地を、つまり地だけでなく、天もを 低くしてご覧になるほどに、天よりも高い方であるということを示しいます。6節では「主は高い御位に座し」と表現しています。「だれが、われらの神、主のようであろうか。主は高い御位に座し、身を低くして天と地をご覧になる。」と、その驚きを表明しています。
  • 神が天地を、つまり地だけでなく、天もを低くしてご覧になるほどに、天よりも高い方であるということを示しいます。6節では「主は高い御位に座し」と表現しています。「だれが、われらの神、主のようであろうか。主は高い御位に座し、身を低くして天と地をご覧になる。」と、その驚きを表明しています。
  • 「身を低くする」と訳されたシャーフェルשָׁפֵל(shaphel)を省いている聖書もあります。口語訳では「遠く」、関根訳は「はるかに」と訳し、フランシスコ会訳、典礼訳、バルバロ訳では全く訳されていません。ちなみに、新共同訳は「なお低く下って」、文語訳は「己を低くして」、岩波訳では「低く下って」とシャーフェルשָׁפֵלを省かずに訳しています。
  • この詩113篇~詩118篇は、「ハレルヤ詩篇」と呼ばれ、過越祭など歌われていた詩篇です。イエスが最後の一週間の中で、最後の晩餐の後に弟子たちを連れて二階座敷を出てゲッセマネの園に行かれますが、そのときに歌った歌がこの詩篇歌集であろうと言われています。「主は、・・身を低くして」とは、まさにイエスが歌われた歌そのものを生きるべく、受難に向かって行かれる姿と重なります。
  • 使徒パウロはピリピ人への手紙の中で、主ご自身が「身を低くされた」ことを次のように述べています。「キリストは、神の似姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者のすがたをとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、死にまで従い、実に十字架にまでも従われたのです。」(2:6~8)―これが、神が「身を低くする」ことの本当の意味でした。
  • 何の目的のために主みずから「身を低くされた」のか、詩113篇7, 8節ではその目的が記されています。
    ①「弱い者をちりから起こす(クームקוּם)」ため、
    ②「貧しい者をあくたから引き上げる(ルームרוּם)」ため、
    ③「君主たちとともに、王座に着かせる(ヤーシャヴיָשַׂב)」ためです。
  • 「着かせる」の動詞は、9節の「主は子を産まない女を、子をもって喜ぶ母として家に住まわせる」にも使われています。つまり、「着かせる」も「住まわせる」も同じヤーシャヴです。「謙遜と高挙」の思想が、新約ではエペソ4:8、コリント第二8:9、ヘブル2:7などにも見られます。

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【詩篇112篇】o19


psm112:1  ハレルヤ。幸いなことよ。主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は。

psm112:2  その人の子孫は地上で力ある者となり、直ぐな人たちの世代は祝福されよう。

psm112:3  繁栄と富とはその家にあり、彼の義は永遠に堅く立つ。

psm112:4  主は直ぐな人たちのために、光をやみの中に輝かす。主は情け深く、あわれみ深く、正しくあられる。

psm112:5  しあわせなことよ。情け深く、人には貸し、自分のことを公正に取り行なう人は。

psm112:6  彼は決してゆるがされない。正しい者はとこしえに覚えられる。

psm112:7  その人は悪い知らせを恐れず、主に信頼して、その心はゆるがない。

psm112:8  その心は堅固で、恐れることなく、自分の敵をものともしないまでになる。

psm112:9  彼は貧しい人々に惜しみなく分け与えた。彼の義は永遠に堅く立つ。その角は栄光のうちに高く上げられる。

psm112:10  悪者はそれを見ていらだち、歯ぎしりして溶け去る。悪者の願いは滅びうせる。


 

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おはようございます。

昨日は金冠日食みれましたか~?僕は作業をやってる間に見損ねてしまいました。

ま~次の機会に。(次はないだろうけど・・・)



今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

しあわせなことよ。情け深く、人には貸し、自分のことを公正に取り行なう人は。




で、

僕が思い出した言葉がある。

このマザーテレサの言葉。



人は、不合理、非倫理、利己的です。

それでも気にすることなく、人を愛しなさい。

あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。

それでも気にすることなく、善を行いなさい。



目的を達成しようとする時、邪魔立てる人に出会うでしょう。

それでも気にすることなく、やり遂げなさい。



善い行いをしても、おそらく次の日には、忘れられるでしょう。

それでも気にすることなく、し続けなさい。



あなたの正直さと誠実さが、あなたを傷つけるでしょう。

それでも気にすることなく、正直であり続けなさい。


あなたの親しみやすさは、あなたを容易に傷つけるでしょう。

それでも親しみやすくありなさい。



あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう。

それでも気にすることなく、作り続けなさい。



助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。それでも気にすることなく、助けなさい。


持っている一番いいものを分け与えると、自分はひどい目にあうかもしれません。

それでも一番いいものを分け与えなさい。


あなたの中の最良のものを この世に与えなさい。

あなたがそれが十分でなくても気にすることなく、最良のものをこの世の与え続けなさい。



最後に振り返ると、あなたにもわかるはず。

結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです。

あなたと他の人の間のことであったことは、一度もなかったのです。






なんか凄いよね。

僕なんか 恐れ でいっぱいになる。

色んな人の目が気になって、いいことだと解っても身体が動かなかったり

何を云われるかを気にして、何も出来ない無力な自分にいつも出会う。

 

psm112:7  その人は悪い知らせを恐れず、主に信頼して、その心はゆるがない。

psm112:8  その心は堅固で、恐れることなく、自分の敵をものともしないまでになる。




でも。

神様の本質に満たされた時、僕らは恐れという概念も完全に忘れてしまうくらいになるんだと思わされる。

神様の本質。

それは、『 愛 』

僕らはそもそもその神様に似せて創られた。

本当は 『 愛 』 に満たされる時、本当の僕ら自身を知る事になるんじゃないかとも思う。


1jhn4:18  愛には恐れ がありません。全き愛 は恐れを締め出します。



僕らに愛がない。。。

そう落胆している方は、騙されているのかもしれない。

僕らは愛そのものの方に似せて創られ、本来の自分自身に立ち返るとき

僕らは、恐れを知らない素敵な香りを放ち始める。



僕ら自身を知る必要があるのかも。

それには、神様と自分との関係をちょっとづつ知っていくといいかも。



本来の僕らは本当に神様の目には、魅力的で素敵な価値のある存在なんだから。

僕らはいつでも変わることが出来る。



「起きよ。光を放てזָרַח。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているזָרַח
からだ。見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国を覆っている。しかし、あなたの上には主が輝きזָרַח、その栄光があなたの上に現われる。国々はあなたの光のうちを歩み、
王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。」(60:1~3)



今日も神様が創られた素敵な一日。

備えられた素敵を数えに今日も一緒にでかけましょうね。



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4節「主は直ぐな人たちのために、光をやみの中に輝かす。主は情 け深く、あわれみ深く、正しくあられる。」(新改訳)
4節「まっすぐな人には闇の中にも光が昇る。憐れみに富み、情け深く、正しい光が。」(新共同訳)

Keyword;「輝かす、光が昇る」 rise、dawn, 104:22/112:4

  • この4節は少々難解な文のようです。様々な聖書の訳を見るとそれを知ることができます。

    (1) 新改訳(上記参照)では、 主語を「主」として、その働きと性格を説明するように訳しています。

    (2) 新共同訳(上記参照)では、主語を「まっすぐな人」とし、その人の内に昇る光とその光がどのような性質かが説明されるように訳されています。岩波訳も同様です。

    (3) 口語訳では「光は正しい者のために、暗黒の中でもあらわれる。主は恵み深く、あわれみに満ち、正しくいらせられる。」とあり、主語が「光」と「主」として分け、一見、別々のことであるかのように訳しています。

    (4) フランシスコ会訳では「かれは闇の中で、直き者を照らす光としてあらわれ、あわれみ深く、親切で正しい。」とあり、主語は「かれ」としていますが、その「かれ」とは誰かを明確に指定していません。「直き者を照らす光として・・」とありますから、おそらく「主」を暗示しているようにみえます。

    (5) 典礼訳では「光はやみの中に輝き、神に従う人、心正しく、あわれみ深い人を照らす。」とあり、主語を「光」としています。

このように主語がまちまちです。原文はどうなっているのでしょうか。ヘブル語の文は右から左方向ですが、ここでは右から並んている原文のことばの順に並べてみると・・・

זָרַח(ザーラハ) בַּחֹשֶׁךְ(バホシェフ) אוֹר(オール), לַיְשָׁרִים(ライシャリーム);
(輝き昇る)・・・・・(暗黒の中で)・・・・・・(光が)・・・・・・・(正しい者たちに) 
חַנּוּן(ハヌーン) וְרַחוּם(ヴェラフーム) וְצַדִּיק(ヴェツァディーク)
(恵み深い)・・ (そして憐れみ深い)・・・(そして義しい)

  • 後半の部分には、三つの形容詞が並んでいます。直訳では主語は「光」に見えます。問題は後半の三つの形容詞がどこにかかるのかということです。それによって全体の訳が変わってきます。私は典礼訳のように、三つの形容詞は「光」にかかるのが自然のような気がします。
  • そこで、この光が「輝く」「輝き昇る」と訳されたザーラハזָרַח(zarach)は、旧約で18回、詩篇ではわずか2回のみです。第一義的には、太陽が昇ることを意味します。そから、照らす、輝く、という意味が派生しています。
  • マラキ書4章2節に「しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上りזָרַח、その翼には、癒しがある。」とあります。ここでいう「義の太陽」とはやがて来られるメシヤを預言しています。ルカ1:78, 79ザカリヤの賛歌にはこうあります。「・・あわれみにより、日の出がいと高き所からわれらを訪れ、暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらを平和の道に導く。」と。
  • イザヤ書58:10、および60:1, 2では、「光」は神の民イスラエルを指しています。そして次のように呼びかけています。

    「飢えた者に心を配り、悩む者の願いを満足させるなら、あなたの光は、やみの中に輝き上りזָרַח、あなたの暗やみは、真昼のようになる。」(58:10)

    「起きよ。光を放てזָרַח。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているזָרַח
    からだ。見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国を覆っている。しかし、あなたの上には主が輝きזָרַח、その栄光があなたの上に現われる。国々はあなたの光のうちを歩み、
    王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。」(60:1~3)

  • 詩112篇には、闇に輝く者たちの光の歩みがいかなるものであるかを記しています。リビング・バイブルでそこを引用してみたいと思います。

    「神様を信じて従う人は、口で言い表せないほどの祝福を受けます。・・・たとい、暗やみの力に巻き込まれたとしても、すぐに光にこうこうと照らされるでしょう。彼はあわれみ深く、親切です。・・このような人は、事態が思わしくなくなったからといって、動じたりしません。周囲の人々は、神様が彼をいつも引き立てておられる様子を見て、深い感銘を受けるのです。彼は悪い知らせを受けても恐れず、今度は何が起こるかと、びくつきもしません。神様から見放されるわけがないと知っているからでする。ですから、何事も恐れないで、冷静に敵の顔を見つめることができるのです。彼は物惜しみしたりせず、貧しい人に気前よく与えます。その善行は、いつまでも忘れられず、人々の尊敬を集めます。これを見たひねくれた者は、怒りに震えます。歯ぎしりしながら、逃げるしかありません。望みが消え去ったからです。」(詩112篇1, 4~10節)。

  • まさにこれはイエスの十字架と復活を預言しています。イエスが「引き渡され」て十字架に向かうその姿の中に、すでに「復活の光」が前倒しされているように思います。「復活の光」とは、神に対するゆるぎない信頼であり、そこから生まれるかかわりのいのちのすべてを意味します。
  • その光の源泉は神にあります。私たちが神を恐れる者であるならば、闇を輝かすことのできる光を持つことができます。使徒ヨハネは、「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。・・神が光の中におられるように、私たちも光の中をあゆんでいるなら、私たちは互いに交わりを保つ」と述べています(1ヨハネ1:5, 7)。「あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は主にあつて、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。」(エペソ5:8) なぜなら、「すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は、上から来るのであって、光を造られた父から来る。」(ヤコブ1:17)からです。御子イエスを通して、父から闇を照らす光を賜わり、それを放つ者とさせていただきたいと切に思う。

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【詩篇111篇】o19


psm111:1  ハレルヤ。私は心を尽くして主に感謝しよう。直ぐな人のつどいと集会において。

psm111:2  主のみわざは偉大で、みわざを喜ぶすべての人々に尋ね求められる。

psm111:3  そのみわざは尊厳と威光。その義は永遠に堅く立つ。

psm111:4  主は、その奇しいわざを記念とされた。主は情け深く、あわれみ深く、

psm111:5  主を恐れる者に食べ物を与え、その契約をとこしえに覚えておられる。

psm111:6  異邦の民のゆずりの地を、ご自分の民に与え、彼らに、そのみわざの力を告げ知らせられた。

psm111:7  御手のわざは真実、公正、そのすべての戒めは確かである。

psm111:8  それらは世々限りなく保たれ、まことと正しさをもって行なわれる。

psm111:9  主は、御民に贖いを送り、ご自分の契約をとこしえに定められた。主の御吊は聖であり、おそれおおい。

psm111:10  主を恐れることは、知恵の初め。これを行なう人はみな、良い明察を得る。主の誉れは永遠に堅く立つ。

。。。。。。。。。。


おはようございます。

昨日、書いた文章が消えてた・・・。



今日はこのままで・・・。ゴメンなさい。

だけど。

僕の気になった言葉はコレ。

主を恐れることは、知恵の初め。これを行なう人はみな、良い明察を得る。主の誉れは永遠に堅く立つ。





主を恐れるってことは、

尊敬するっていう意味も含むんだって。


だから、決して恐怖っていう意味なんかじゃない。

だって、神は愛なりっていいながら

そんな恐怖ってオカシいもんね。




そんな神様を尊敬できるってのは

神様を知っていくことから始まる。


神様の実際を見つめる事で僕らは知っていくことが出来るようになる。





尊敬できるほど神様を見つめる時、僕らは時を全てを超越した知恵を得る。

僕らは豊かに生きることの為、今こうして神様の言葉に触れている。


大丈夫。


僕らはとても神様の近くに居るから。

僕らが近づく前に、神様が僕らの傍にずっと居るんだから。




では。今日も素敵な一日。

隠された素敵を捜しに今日も一緒に出かけましょうね。


・・・・・・・・・・

3節「そのみわざは尊厳と威光。その義は永遠に堅く立つ。」
10節「主のほまれは永遠に堅く立つ。」

Keyword;「堅く立つ」 endure, can never change,  
19:9/33:9/102:3, 9, 26/111:3, 10/112:3, 9/119:90,91/134:1/135:2/148:6

  • 「堅く立つ」と訳されたアーマドעָמַד(`amad)は、旧約で532回、詩篇では32回使われています。第一義的には「立つ」standを意味しますが、単に「立つ」ということではなく、いつまでも存続して変わらないこと、永遠の存続を意味します。他の聖書では、以下のように訳されています。3節後半を比べてみましょう。それぞれ味わい深い訳になっています。

①新共同訳「その義は永遠に続く」 
②文語訳「とこしえに失することなく」 
③口語訳「とこしえに、失せることがない」 
④典礼訳「とこしえに及ぶ」 
⑤フランシスコ会訳「とこしえに続く」 
⑥バルバロ訳「永遠にとどまる」 
⑦岩波訳「とわに立つ」

  • この他にも、アーマドが使われている詩篇の箇所を調べてみると、「主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない」(19:9)、「主が命じられると、それは堅く立つ」(33:9)、「彼(主)の義は永遠に堅く立つ」(102:3, 9)、「これらのものは滅びるでしょう。しかしあなたはながらえられます。」(102:26)、「あなたが地を据えたので、地は堅く立っている。」(119:90)、「夜ごとに主の家で仕える者たちよ。」(134:1, 135:2)、「主は彼らを世々限りなく立てられた」(148:6)があります。
  • この詩111篇3節、10節には「永遠に堅く立つ」(オメデット・ラアッド)とあります。「永遠に」と「堅く立つ」という永遠性を意味することばが重ねられて強調されています。
  • この世にあるすべてのものは移り変わり、やがて滅びます。しかし、主と主のことば、主のなされることは永遠に存続します。決して変わることがなく、不変です。これは私たちにとってすばらしい恩寵です。不確実性の世界にあってこれは福音です。これはペテロがいうところの「生ける望み」(Ⅰペテロ1:3)です。それは「朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産」(同、1:4)です。これが私たちのために「天にたくわえられている」(同、1:4) のです。それゆえ、私たちは「ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどる」(同、1:8)ことができるのです。ヘブル書の著者も「私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。」(12:28)と記しています。イエスも言われました。「まことにあなたがたに告げます・・この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」(マタイ24:35)と。
  • 詩111篇の作者が冒頭で「ハレルヤ。私は心を尽くして感謝しよう。」と述べているのは、こうした揺るぎない、変わらない主の永遠性を見据えていたからです。現代に生きる神の民も、主に対する賛美が「永遠に堅く立てられる」ものとならなければなりません。

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コンバンワ。

今日も勝手にワーシップタイムをおおくりしますね。



今日は広告代理店大手『 電通 』の宗教団体からの依頼のキャンペーンって話をしていた。体の健康、死をとおして生きる事についての話をされてた。電通の幹部の方に話を聴いた時、もう宗教と葬式の仕事は受け取らないなんてお話をしたとも言ってたんだって。


僕らは生きるときに関心を持つのは、衣食住医だ。コレが満足しない時に宗教や成功哲学に耳を傾ける様になる。


もしかしたら、其処に僕を満足させられるモノがあるなんて思いながら。




メディアは僕らを惑わす事がある。
しっかり真実を見ていかなければ。。



今も実は『電通』がメディアを支配している事を牧師先生が知ろうが知らなかろうが、神様は先生を通して僕らに語られるんだと思わされた。



話は戻るが、
生きる事に満足したい!いつも喜んで過ごしたい!って云うのは当然の僕らの欲求。
でも、真実は何処にあるのかをしっかり見ていかなければ、僕らを心から満足する、本来の僕たちが平安を得るモノには出会えないかもしれない。




今日のバイブルの箇所はそんなところ。
イスラエルの民は神様を目の当たりにしながらも、いつもズレていっちゃう。
バイブルを読んでいながら、クリスチャンもズレていくものだから今も昔も一緒なんだよね。




べテル
ギルガル
偶像の満ちていた場所。




神様はココで皮肉を語っておられる。
それは、形式的な神様に背く礼拝。



__________


ams4:4 ベテルへ行って、そむけ。ギルガルへ行って、ますますそむけ。朝ごとにいけにえをささげ、三日ごとに十分の一のささげ物をささげよ。


ams4:5 感謝のささげ物として、種を入れたパンを焼き、進んでささげるささげ物を布告し、ふれ知らせよ。イスラエルの子ら。あなたがたはそうすることを好んでいる。――神である主の御告げ。――
__________



僕らは
何をみて何を選んで過ごすのだろうか?
真の神様ってのは、何処に居るのだろう?
僕らが其処から視線をそらす時、確実に僕らは逸れて行く。




視線をそらす時に聞く声がある。

サタンの囁きだ。



『だって、
これバイブルに書いてあるじゃん!
ココで間違えるならバイブルには不備があり、ココに幸せは無い!』


・・・なんて事になってくる。





確実に
サタンのトラップ(罠)だよね。









神様はなんと語られてる?


此処では
五回もおんなじ言葉が。
それは


『それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。――主の御告げ。――』






サタンに騙されてる僕らに、神様はいつも気づく機会を与えてくださっている。



だって、
騙されている人は、
騙されてる事に気づけないんだから。



僕らの真面目な心にサタンは囁く。



少しづつ
ほんの少しづつ
視線をズラさせながら。。




アレをしなくちゃ!
コレをしなくちゃ!
あなたは決して幸せになれない~。


なんか
聞くね、こんな言葉。
どっからともなく。ね~。





サタンの囁きに耳を傾け
僕らは自分の命を粗末にしてませんか?
僕らの生きる事に誠実に生きてるか?





神様はいつも待ってる。

『あなたがたはわたしのもとに帰って』来てくれるか?



僕らの心を真の喜びで満たしてくれるのは、真の神様でしか無いのだから。
だって!僕らを創られたのは神様なんだもんね。


だから、
最後にこう語られている。

。。。。。。。。。。


ams4:12 それゆえ、イスラエルよ、わたしはあなたにこうしよう。わたしはあなたにこのことをするから、イスラエル、あなたはあなたの神に会う備えをせよ。

ams4:13 見よ、彼は山を造り、風を創造し、人にその思いのいかなるかを示し、また、あけぼのを変えて暗やみとなし、地の高い所を踏まれる者、その名を万軍の神、主と言う。
。。。。。。。。。。


素晴らしいね。
神様はこの自然の全てを創られてる。



僕らに気づく事ができる。
いつでも。。
この当たり前に備えられてる自然の中に!!


では、
今週も本当の神様がすぐ側におられる事を感じながら、

与えられた一つ一つを数えて共に過ごしましょう~!!






。。。。。。。。。。

【アモス4章】o3004


ams4:1 聞け。このことばを。サマリヤの山にいるバシャンの雌牛ども。彼女らは弱い者たちをしいたげ、貧しい者たちを迫害し、自分の主人たちに、「何か持って来て、飲ませよ。」と言う。

ams4:2 神である主は、ご自分の聖にかけて誓われた。見よ。その日があなたがたの上にやって来る。その日、彼らはあなたがたを釣り針にかけ、あなたがたを最後のひとりまで、もりにかけて引いて行く。

ams4:3 あなたがたはみな、城壁の破れ口からまっすぐ出て行き、ハルモンは投げ出される。――主の御告げ。――

ams4:4 ベテルへ行って、そむけ。ギルガルへ行って、ますますそむけ。朝ごとにいけにえをささげ、三日ごとに十分の一のささげ物をささげよ。

ams4:5 感謝のささげ物として、種を入れたパンを焼き、進んでささげるささげ物を布告し、ふれ知らせよ。イスラエルの子ら。あなたがたはそうすることを好んでいる。――神である主の御告げ。――

ams4:6 わたしもまた、あなたがたのあらゆる町で、あなたがたの歯をきれいにしておき、あなたがたのすべての場所で、パンに欠乏させた。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。――主の御告げ。――

ams4:7 わたしはまた、刈り入れまでなお三か月あるのに、あなたがたには雨をとどめ、一つの町には雨を降らせ、他の町には雨を降らせなかった。一つの畑には雨が降り、雨の降らなかった他の畑はかわききった。

ams4:8 二、三の町は水を飲むために一つの町によろめいて行ったが、満ち足りることはなかった。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。――主の御告げ。――

ams4:9 わたしは立ち枯れと黒穂病で、あなたがたを打った。あなたがたの果樹園とぶどう畑、いちじくの木とオリーブの木がふえても、かみつくいなごが食い荒らした。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。――主の御告げ。――

ams4:10 わたしは、エジプトにしたように、疫病をあなたがたに送り、剣であなたがたの若者たちを殺し、あなたがたの馬を奪い去り、あなたがたの陣営に悪臭を上らせ、あなたがたの鼻をつかせた。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。――主の御告げ。――

ams4:11 わたしは、あなたがたをくつがえした。神がソドムとゴモラをくつがえしたように。あなたがたは炎の中から取り出された燃えさしのようであった。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。――主の御告げ。――

ams4:12 それゆえ、イスラエルよ、わたしはあなたにこうしよう。わたしはあなたにこのことをするから、イスラエル、あなたはあなたの神に会う備えをせよ。

ams4:13 見よ、彼は山を造り、風を創造し、人にその思いのいかなるかを示し、また、あけぼのを変えて暗やみとなし、地の高い所を踏まれる者、その名を万軍の神、主と言う。

。。。。。。。。。。