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psm111:1 ハレルヤ。私は心を尽くして主に感謝しよう。直ぐな人のつどいと集会において。
psm111:2 主のみわざは偉大で、みわざを喜ぶすべての人々に尋ね求められる。
psm111:3 そのみわざは尊厳と威光。その義は永遠に堅く立つ。
psm111:4 主は、その奇しいわざを記念とされた。主は情け深く、あわれみ深く、
psm111:5 主を恐れる者に食べ物を与え、その契約をとこしえに覚えておられる。
psm111:6 異邦の民のゆずりの地を、ご自分の民に与え、彼らに、そのみわざの力を告げ知らせられた。
psm111:7 御手のわざは真実、公正、そのすべての戒めは確かである。
psm111:8 それらは世々限りなく保たれ、まことと正しさをもって行なわれる。
psm111:9 主は、御民に贖いを送り、ご自分の契約をとこしえに定められた。主の御吊は聖であり、おそれおおい。
psm111:10 主を恐れることは、知恵の初め。これを行なう人はみな、良い明察を得る。主の誉れは永遠に堅く立つ。
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おはようございます。
昨日、書いた文章が消えてた・・・。
今日はこのままで・・・。ゴメンなさい。
だけど。
僕の気になった言葉はコレ。
主を恐れることは、知恵の初め。これを行なう人はみな、良い明察を得る。主の誉れは永遠に堅く立つ。
主を恐れるってことは、
尊敬するっていう意味も含むんだって。
だから、決して恐怖っていう意味なんかじゃない。
だって、神は愛なりっていいながら
そんな恐怖ってオカシいもんね。
そんな神様を尊敬できるってのは
神様を知っていくことから始まる。
神様の実際を見つめる事で僕らは知っていくことが出来るようになる。
尊敬できるほど神様を見つめる時、僕らは時を全てを超越した知恵を得る。
僕らは豊かに生きることの為、今こうして神様の言葉に触れている。
大丈夫。
僕らはとても神様の近くに居るから。
僕らが近づく前に、神様が僕らの傍にずっと居るんだから。
では。今日も素敵な一日。
隠された素敵を捜しに今日も一緒に出かけましょうね。
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3節「そのみわざは尊厳と威光。その義は永遠に堅く立つ。」
10節「主のほまれは永遠に堅く立つ。」
Keyword;「堅く立つ」 endure, can never change,
19:9/33:9/102:3, 9, 26/111:3, 10/112:3, 9/119:90,91/134:1/135:2/148:6
- 「堅く立つ」と訳されたアーマドעָמַד(`amad)は、旧約で532回、詩篇では32回使われています。第一義的には「立つ」standを意味しますが、単に「立つ」ということではなく、いつまでも存続して変わらないこと、永遠の存続を意味します。他の聖書では、以下のように訳されています。3節後半を比べてみましょう。それぞれ味わい深い訳になっています。
①新共同訳「その義は永遠に続く」
②文語訳「とこしえに失することなく」
③口語訳「とこしえに、失せることがない」
④典礼訳「とこしえに及ぶ」
⑤フランシスコ会訳「とこしえに続く」
⑥バルバロ訳「永遠にとどまる」
⑦岩波訳「とわに立つ」
- この他にも、アーマドが使われている詩篇の箇所を調べてみると、「主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない」(19:9)、「主が命じられると、それは堅く立つ」(33:9)、「彼(主)の義は永遠に堅く立つ」(102:3, 9)、「これらのものは滅びるでしょう。しかしあなたはながらえられます。」(102:26)、「あなたが地を据えたので、地は堅く立っている。」(119:90)、「夜ごとに主の家で仕える者たちよ。」(134:1, 135:2)、「主は彼らを世々限りなく立てられた」(148:6)があります。
- この詩111篇3節、10節には「永遠に堅く立つ」(オメデット・ラアッド)とあります。「永遠に」と「堅く立つ」という永遠性を意味することばが重ねられて強調されています。
- この世にあるすべてのものは移り変わり、やがて滅びます。しかし、主と主のことば、主のなされることは永遠に存続します。決して変わることがなく、不変です。これは私たちにとってすばらしい恩寵です。不確実性の世界にあってこれは福音です。これはペテロがいうところの「生ける望み」(Ⅰペテロ1:3)です。それは「朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産」(同、1:4)です。これが私たちのために「天にたくわえられている」(同、1:4) のです。それゆえ、私たちは「ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどる」(同、1:8)ことができるのです。ヘブル書の著者も「私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。」(12:28)と記しています。イエスも言われました。「まことにあなたがたに告げます・・この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」(マタイ24:35)と。
- 詩111篇の作者が冒頭で「ハレルヤ。私は心を尽くして感謝しよう。」と述べているのは、こうした揺るぎない、変わらない主の永遠性を見据えていたからです。現代に生きる神の民も、主に対する賛美が「永遠に堅く立てられる」ものとならなければなりません。
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