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psm119:1 幸いなことよ。全き道を行く人々、主のみおしえによって歩む人々。
psm119:2 ★ 幸いなことよ。主のさとしを守り 、心を尽くして主を尋ね求める人々 。
psm119:3 まことに、彼らは不正を行なわず、主の道を歩む。
psm119:4 あなたは堅く守るべき戒めを仰せつけられた。
psm119:5 どうか、私の道を堅くしてください。あなたのおきてを守るように。
psm119:6 そうすれば、私はあなたのすべての仰せを見ても恥じることがないでしょう。
psm119:7 あなたの義のさばきを学ぶとき、私は直ぐな心であなたに感謝します。
psm119:8 私は、あなたのおきてを守ります。どうか私を、見捨てないでください。
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おはようございます。
今朝は少し肌寒い?かな。皆さん体調には十二分に気をつけましょうね。
では、今日も早速詩篇を共に。
僕の心に留まった言葉はコレ。
幸いなことよ。主のさとしを守り 、心を尽くして主を尋ね求める人々 。
何が幸いだと記されているかあ?
さとしを守り、心を尽くして主(神様)を尋ね求める人々。
え・・・なんか正直真面目なのはちょっと。。
僕なんかはそう思ってしまう。。
でも
何故そのように規律を守るっていうような事が幸いなのだろうか?
それは、この箇所からみてみよう。
psm119:4 あなたは堅く守るべき戒めを仰せつけられた。
この説明下記に記されているが、
人は神様の仰せよりも、サタンの囁きを信じて自分自身で善悪を判断するような愚かな状態になった。
サタンはその判断により神に背くようにいつも囁き続けている。
人が選んで背いたにも拘らず、神様はいつでも堅く守るべき戒めを仰せつけられた。
神様は人がどれ程背いてもいつも僕らの傍にいて
どれ程背いても僕らに正しい判断が出来るよう語り続けてくださる。
幸いな事は、その事情を知って
愛して守ろうとされる神様の心を知っている事。
僕らは知ってるだろうか?
知らなくても、今 それを知ることが出来た。
僕らは今日この言葉と出会い、この神様の愛の中に入る事が出来る。
今日も詩篇を共に口づさんでみましょうね。
初めは訳わからなくて大丈夫。
サタンが煙幕を貼ってるから解らないのは当たり前なのかもよ。
今日も神様が備えられた素敵な一日。
隠された素敵を捜しに今日も一緒にでかけましょうね。
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4節「あなたは堅く守るべき戒めを仰せつけられた。」 (新改訳)
Keyword;「仰せつける、命じる、定める」 command, direct, order, lay down,
119:4, 138/7:6/33:9/42:8/44:4/68:28/71:3/78:5, 23/91:11/105:8/111:9/148:5
- 「仰せつける」と訳されるツァーワーצָוָה(tsawah)は、旧約で502回、詩篇では15回。その15回のうち詩119篇2回使われています。この動詞が聖書の最初に出てくるのは、創世記2章16節です。「神である主は人に命じて仰せられた。『あなたは園のどの木からも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。』の「命じて」がツァーワーצָוָהです。これは大切な命令として神が人のもとに置かれた教えでした。そこには人として生きる大切な教えを導くものでした。しかし、人はその神である主の教えを守ることなく、それを食べたのでした。
- 善悪の知識とは、自分で善悪の基準を決めることであり、それはまさに神のように生きることを意味します。神を信頼して従順に生きことの大切さが、神の命じる仰せの中に込められていましたが、それがないがしろにされてしまうことが起こりました。これが原罪と言われるものです。
- 神が私たち人間に仰せられる命令―そこには最も大切な事柄が含まれているのですが、私たちの方がそれを理解できないのです。アダムは神が「食べてならない」と命じておいた木から食べたことで、土地は呪われ、一生、苦しんで食を得なければならなくなり、その行く末は、ちり帰らなければならなくなってしまいました。
- 詩119篇4節の「あなたは堅く守るべき戒めを仰せられた」とあるのは、まさに神の恩寵なのです。人間の高慢は人からも神からもなんら指図されたくない、自分の思いのままに生きたい、それが自由だと錯覚していますが、神からの「堅く守るべき戒め」を知らずして、真の自由は得られないのです。ですから、詩119篇の作者は、このことを正しく受留め、感謝しているのです。同119篇138節には「あなたの仰せられる(צָוָה)さとしは、なんと正しく、なんと真実なことでしょう。」と告白しています。
- モーセは神と人とが会見できる幕屋(あかしの幕屋とも呼ばれます)を造るように命じられました。幕屋には神が私たちとかかわりをもたれるためのありとあらゆる知識がそこに隠されています。それゆえ、モーセは神が命じられたとおりに造らなければなりませんでした。
- ツァーワーצָוָה(tsawah)のギリシャ語訳はディアタッソー(διατασσω)です。使徒パウロはこのことばを使って、「主も、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活を得るように定められておられます(διατασσω)」(Ⅰ コリント9:14)と述べています。
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