へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy -39ページ目

へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

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【詩篇119篇】o19f(ワウ)


psm119:41  主よ。あなたの恵みと、あなたの救いとが、みことばのとおりに、私にもたらされますように。

psm119:42  こうして、私をそしる者 に対して、私に答えさせてください。私はあなたのことばに信頼していますから。

psm119:43  私の口から、真理のみことばを取り去ってしまわないでください。私は、あなたのさばきを待ち望んでいますから。

psm119:44  こうして私は、あなたのみおしえをいつも、とこしえまでも、守りましょう。

psm119:45  そうして私は広やかに歩いて行くでしょう。それは私が、あなたの戒めを求めているからです。

psm119:46  私はまた、あなたのさとしを王たちの前で述べ、しかも私は恥を見ることはないでしょう。

psm119:47  私は、あなたの仰せを喜びとします。それは私の愛するものです。

psm119:48  私は私の愛するあなたの仰せに手を差し伸べ、あなたのおきてに思いを潜めましょう。


 

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おはようございます。

今日は娘の日曜参観の日。いつの間にか年長さんに。

子供の成長に大人はどう成長してるのか・・・。なんて考えさせられるのかな?


では早速共に詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな箇所。

psm119:47  私は、あなたの仰せを喜びとします。それは私の愛するものです。

psm119:48  私は私の愛するあなたの仰せに手を差し伸べ、あなたのおきてに思いを潜めましょう。






ここで、いつものように気をつけたいのが

あなた(神様)の仰せ以外に囁く声があるということだ。


耳に入ってくる言葉は神様しかない訳ではない。

天地創造された後、神様の創造秩序を崩した・乱した声がある。

それがサタン。



神様の秩序で豊かな生活があったにも関わらず

囁く声に耳を傾け、サタンの声を信じて受け入れてしまった。

そこから、僕らはズレてしまった。

僕らの豊かな生活は壊れてしまった。




僕らには絶えず耳に届く声が二つある。

一つは、そのサタン。

もう一つは、いつでも豊かな生活を支えようとされる神様から。




耳に届きやすいのは、肉体の満足しやすいサタンの声だろう。

でも、その声の結末が虚しいと何度も体験した作者はこう語った。

psm119:47  私は、あなたの仰せを喜びとします。それは私の愛するものです。

psm119:48  私は私の愛するあなたの仰せに手を差し伸べ、あなたのおきてに思いを潜めましょう。




僕らは、喜びにするほど・・・思いを潜めるほど・・・

意識をしないと、僕らは制限された肉体によって引きづられる弱い者。



そして、神様は何度でも・何度でも・何度でも

いつでも豊かな生活に導こうとされる優しい愛で包もうとされている。




作者はその気持ちを心一杯に感じてるようにみえますね。



僕らにもその感覚は味わえる。

だって、神様は同じように時を場所を超えて愛してくれているから。

大丈夫。

今日、この詩篇の作者と共に心をひとつに発してみましょうね。発する!ハッスル!



では、今日も神様が用意された素敵な一日。

隠された素敵を捜しに今日も共にでかけましょうね。



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  • このブロックでは、詩119篇ではじめて登場することば、「愛」に注目したいと思います。詩119篇では「愛します」という動詞、「愛する○○」という形容詞も含めて19回出てきますが、名詞は一つもありません。詩篇の世界では、愛とは抽象的なものではなく、常に、能動的(アクティヴ)な意味合いをもっているからです。
  • ユダヤ人の哲学者マルチン・ブーバーという人は、すべてのかかわりを二つの図式に要約できるとしています。一つは「我と汝」の関係、もう一つは「我とそれ」の関係です。後者における「それ」とは交換可能な存在であり、一方的、打算的な愛です。それに比べて、前者の「汝」は、交換不可能な存在であり、相互的、かつ打算のない愛です。
  • 詩119篇に見る愛は、ブーバーの言葉でいうならば、「我と汝」という愛の関係です。「私は、あなたの仰せを喜びとします。それは私の愛するものです。」(47節) 交換不可能な愛は喜びをもたらします。御父が御子に対することばが天からの声として響きました。「わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」(マタイ3章17節) 御子の存在を喜びとして下さる御父の愛、その御父の愛の声こそ、私たちの存在を根底から支えることばです。御子につながるすべての者たちは、日々、内なる御父の愛の声を聞くことが必要です。
  • ちなみに、「我と汝」の愛の関係において、神が私に対する愛が名詞になると、「あなたの恵み」「あなたのいくつしみ」「あなたの赦し」(等)となります。神の愛に応えて私が神に対する愛を動詞にすると、「あなたに感謝します」「あなたを信頼します」[あなたを待ち望ます」(等)となります。詩篇にはこうした表現が満ち溢れていることに感動を覚えます。

・・・・・・・・・・・

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【詩篇119篇】o19e(ヘ)


psm119:33  主よ。あなたのおきての道を私に教えてください。そうすれば、私はそれを終わりまで守りましょう。

psm119:34  私に悟りを与えてください。私はあなたのみおしえを守り、心を尽くしてそれを守ります。

psm119:35  私に、あなたの仰せの道を踏み行かせてください。私はその道を喜んでいますから。

psm119:36  私の心をあなたのさとしに傾かせ、不正な利得に傾かないようにしてください。

psm119:37  むなしいもの を見ないように私の目をそらせ、あなたの道に私を生かしてください。

psm119:38  あなたのことばを、あなたのしもべに果たし、あなたを恐れるようにしてください。

psm119:39  私が恐れているそしりを取り去ってください。あなたのさばきはすぐれて良いからです。

psm119:40  このとおり、私は、あなたの戒めを慕っています。どうかあなたの義によって、私を生かしてください。


 

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おはようございます。

今日は定休日。でも、お仕事。

与えられている事に不平を言うとき、僕らの心は歪んでいく。


与えられた事に感謝する時、

僕らの心は少しの間苦しい時を過ごすかもしれないが、必ずその時は喜びに繋がってくる。




今日もそんな事を心に言い聞かせながら・・・詩篇を共に。

僕の心に留まった言葉はコレ。

psm119:37  むなしいもの を見ないように私の目をそらせ、あなたの道に私を生かしてください。






何?

むなしいもの (サタンの用意するモノ)を見ないように私の目をそらせ って。



自分でせえ~よ!





そんな声が聞こえてきそうやよね。

他の宗教ではあり得ない言葉じゃないかな?

それは自分の責任においてクリアしていくモノで、他人に頼っちゃダメでしょ~。ってね。

修行が足りないとか・・信心がないからじゃとか・・





それはそうとしてこの作者のこの言葉・・・

どう思われますか?


もしも、解ってても自分でそれが出来ないとすれば・・・

自分の意思では断れないほど、魅力あるものに映ってるのに違いない。







でも、これは実は僕らは密かに体験しているに違いない。


後で虚しく感じたとしてもついついヤッチャウ事。

体調管理しなきゃならんのに、ついつい食べたいモノは我慢できない。


運動しなきゃならないのに、色んな理由を並べて

毎朝(晩)決めた時間に動かなくていい言い訳を頭の中で繰り替えす。



どおう?


間違いなく・・・僕には・・・残念ながらある。。






何故だろう?

それは、この世界がサタンに支配されてて、肉体に制限された僕らには当然なのかも。。

不思議だけど、あのパウロさんはバイブルでこんな事を云ってる。


少し注意深く読んでみて・・・。



rom7:15 私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むこと を行なっているからです。

rom7:16  もし自分のしたくないことをしているとすれば、律法は良いもの であることを認めているわけです。

rom7:17  ですから 、それを行なっているのは、もはや私ではなく 、私のうちに住みついている罪 なのです。

rom7:18  私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。

rom7:19  私は、自分でしたいと思う善 を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。

rom7:20  もし が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行なっているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。

rom7:21  そういうわけで、私は、善をしたい と願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。

rom7:22  すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、

rom7:23  私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。

rom7:24  私は、ほんとうにみじめな人間 です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。

rom7:25  私たちの主イエス・キリストのゆえに 、ただ神に感謝します ですから 、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。




ありえない。

こんな宗教。。訳わかんない。



そう感じるのも無理は無い。

rom7:24  私は、ほんとうにみじめな人間 です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。



でも、よくよく考えるとそんな原理が僕らの中に働いている事を知る。




だから

この詩篇の作者はこう語った。

むなしいもの (サタンの用意するモノ)を見ないように私の目をそらせ、あなたの道に私を生かしてください。






解るような気がしてきたでしょ。




むなしいもの(サタンの用意するモノ)に僕らは囚われてるから。





でもね。。

そこから解決する方法が其処に記されてたのを見つけました?

rom7:25  私たちの主イエス・キリストのゆえに 、ただ神に感謝します ですから 、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。




肉体では罪(サタンの用意するモノ)に仕えてるけど

心では主イエス・キリストのゆえに 神に仕える事が出来る。




僕らはそれを選ぶことが出来る。

何も僕は選ばない・・・という事は、実は、囚われた罪に囚われる事を選択する事に繋がってくる。





僕らは今日も選択肢を委ねられている。

僕らには今日も素敵な詩篇の作者の言葉が用意されている。


何も出来なくても詩篇の言葉を発する事が出来る。

今日も一緒に発してみませんか?発する!ハッスル!!




ただ、言うだけで・・・って思わなくても大丈夫。

先ず、発してみましょ。



だって、ジーザスはこう語られているから。

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、
わたしのところへ来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。


きっと

素敵な変化に気付いてくるに違いないから。




今日も神様が備えられた素敵な一日。

隠された素敵を捜しに今日も一緒にでかけましょう。

。。。。。。。。。。

 

【詩篇119篇】o19d(ダレテ)


psm119:25  私のたましいは、ちりに打ち伏しています。あなたのみことばのとおりに私を生かしてください。

psm119:26  私は私の道を申し上げました。すると、あなたは、私に答えてくださいました。どうか、あなたのおきてを私に教えてください。

psm119:27  あなたの戒めの道を私に悟らせてください。私が、あなたの奇しいわざに思いを潜めることができるようにしてください。

psm119:28  私のたましいは悲しみのために涙を流しています。みことばのとおりに私を堅くささえてください。

psm119:29  私から偽りの道を取り除いてください。あなたのみおしえのとおりに、私をあわれんでください

psm119:30  私は真実の道を選び取り、あなたのさばきを私の前に置きました。

psm119:31  私は、あなたのさとしを堅く守ります。主よ。どうか私をはずかしめないでください。

psm119:32  私はあなたの仰せの道を走ります。あなたが、私の心を広くしてくださるからです。


 

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おはようございます。

職場では問題がてんこ盛り。

職人としてやることになってるにも拘らず、取り掛かることも出来ず。。。

問題が多いという事は、解決される神様を体験できるって事でもあるし、ま~いっか。



って事で今日も詩篇を共に。

僕の今日心に留まった言葉はコレ。

psm119:29  私から偽りの道を取り除いてください。あなたのみおしえのとおりに、私をあわれんでください





私をあわれんでください。。




この言葉を発したことありますか?

どんな時にこの言葉が湧き起こるだろうか?思い出してみませんか。









それは



自分自身の愚かさ・貧しさ・弱さを知った時ではなかったですか?








僕らは小さい時から、「ギブ アンド テイク」なんて事を意識して過ごす。

お土産なんか貰ったら、当然の様に僕らはその人にお返しをする。



でも、お返しをする事が出来ない時

本当に困る。



困るから、『 も~貰っても気の毒だから、受け取れない 』と断る事もあるに違いない。







多分、今日の箇所の作者は

お返しする事の出来ない自分の貧しさに打ちのめされ

どうする事もできない危機に直面してるに違いない。



一方的な依頼は

応えてくれるだろう方にしか絶対できないモノじゃないかなと思う。


その人を知らなければ中々・・・ね。




こんな箇所もある。

まことに憐れみ深いあなたは/彼らを滅ぼし尽くそうとはなさらず/見捨てようとはなさらなかった。まことにあなたは恵みに満ち、憐れみ深い神。






どんなに自分自身が愚かで

どこまでも心が貧しく

誰一人愛する事の出来ない弱さを思い知らされても


・・・大丈夫。




僕らを創られた神様は哀れみ深い方(父ちゃん)だから。


通常ならば、滅ぼし尽くしたろうか・・・なんて思えるような状況のときも見捨てようとする事が出来ない『 愛 』そのものの方なんだから。





だから

私から偽りの道を取り除いてください。と求めた。



だって、偽りの道を自分で取り除く事なんて、肉体によって制限された僕らには出来ないことだから。

大胆に僕らは哀れみ深い神様に近寄る必要がある。


大胆にね。

どんな弱さに打ちのめされても。

どんなに自分の愚かさに気付いたとしても。




「アホ・・そんなに神様に背いて、神様が聴いてくれるわけないわ!

自分のした事を思い返してみろ・・・お前は裁かれる。当然の報いや。」なんて囁き聴いた事ないですか?

サタンに騙されないで・・・。




僕らと神様とはそんな関係なんだから。

神様のあわれみ深さは、僕らが大好きで大好きで仕方ないからだから。




heb4:16  ですから 、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助け を受けるために、大胆に恵みの御座 に近づこうではありませんか。




僕らと神様とはそんな関係。

忘れてしまうような愚かな僕らだけど

今日もこの詩篇の作者さんと心をひとつにこの言葉を発する事が出来る。



それでいい。


大丈夫。


その小さな反応を神様はトビッキリの笑顔で喜んでくれているから。

「よく信じて言葉を発してくれたね。」って。





僕らはズレル。日々。

どんなに頑張っても・・・。神様はそれを知って詩篇を与えてくれた。

だから、

自分の心が否定し逆らっても

大胆に今日も詩篇を一緒に口から発しましょうね。発する!ハッスル!




では、今日も神様の備えられた素敵な一日。

隠された素敵を捜しに今日も一緒にでかけましょう~。

。。。。。。。。。。

 

【詩篇119篇】o19c(ギメル)


psm119:17   あなたのしもべを豊かにあしらい、私を生かし、私があなたのことばを守るようにしてください。

psm119:18  私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。

psm119:19  私は地では旅人 です。あなたの仰せを私に隠さないでください。

psm119:20  私のたましいは、いつもあなたのさばきを慕い、砕かれています。

psm119:21  あなたは、あなたの仰せから迷い出る高ぶる者、のろわるべき者をお叱りになります。

psm119:22  どうか、私から、そしりとさげすみとを取り去ってください。私はあなたのさとしを守っているからです。

psm119:23  たとい君主たちが座して、私に敵対して語り合ってもあなたのしもべはあなたのおきてに思いを潜めます。

psm119:24  まことに、あなたのさとしは私の喜び、私の相談相手です。

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おはようございます。

最近は晩遅くまでの作業がある程、仕事が大変。。

与えられた問題だけを見るのではなく、解決される先をみながら過ごしたいモンです。




では早速今日も詩篇を。

僕の心に留まった言葉はコレ。

私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。




目を開いてください。とは、今僕らは目が閉ざされているっていう事だ。

何から目が閉ざされているのか?




何だろう?




以前マトリックスという映画が上映された。

実は僕はDVDを購入してる。

此処には僕らが知らされない世界が描かれてて・・・。


でも

此処にはバイブルに記された世界観を見事に描かれている。





見えていなかった。

僕には全くこんな世界は空想の世界や・・・。と思い込んで映画を楽しんでただけだった。


詳しくはまた今度別の機会にさせて頂きますが、

要するに僕らは肉体に制限されている為に、霊の世界を意識してみていかないと全く隠されているって事。


神様は全てであり、霊でもあり

僕らは神の息(霊【命】)が吹き込まれて生かされた。



僕ら神様によって創られた人は、神様に背いてその霊【命】を失った。

僕らは霊による視点を失った。

そして、サタンはその視点に立ち返ることのないように煙幕を張り続ける。





私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。




詩篇の作者はソレを知っていた。

そしてこの詩篇を僕らも同じ心で言葉を発する事が出来る。



解らなくてもいい。

解らなくて当然なんだから。だから、こんなバイブルの箇所もある。

 

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。

eps1:18  また、あなたがたの心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。

eps1:20  神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて 、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座 に着かせて、

eps1:21  すべての支配 、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。

eps1:22   また、神は、いっさいのものをキリストの足の下 に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。

eps1:23  教会はキリストのからだ であり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。



神を知るための知恵と啓示の御霊・・・与えられるように。

心の目がはっきり見えるようになって、・・・どんなに僕らが凄い状況にあるか知ることができますように。



僕は、まったくバイブルを理解できない時

この箇所を自分の祈りの言葉として毎日・毎日言葉として発し続けた。





・・・解ってきた。

不思議だけど、霊の世界は霊によって知らなければ知ることが出来ない。

肉体にある知識でそれを求めても、

解決に到達できるはずが無いのも本当は当然だ。




楽しみにして

今日も詩篇を言葉にして発していきましょうね。



では、今日も神様が創られた素敵な一日。

隠された素敵を捜しに今日も一緒にでかけましょう。



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http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E3%80%8C%28%E7%9B%AE%E3%82%92%29%E9%96%8B%E3%81%8B%E3%81%9B%E3%82%8B%E3%80%8D

18節「私の目を開いてください。私があなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。」 (新改訳)
18節「わたしの目の覆いを払ってください。あなたの律法の驚くべき力に、わたしは目を注ぎます。」(新共同訳)

Keyword;「開く、覆いを払う」 to uncover, reveal, open, 18:15/98:2/119:18, 22/

  • 目を「開いて」と訳されたガーラーגָּלָה(galah)は旧約で189回も使われながら、詩篇ではわずか4回です。覆いを取り払う、明らかにする、啓示する、隠れていたものが現われる、裸になる」という意味ですが、同時に、「移す、捕囚に行く、捕囚に連れて行く」という意味もあります。捕囚という経験によって視点が移されることで初めて明らかにされるという意味あいです。イスラエルの民は、まさに捕囚の経験を通して、神によって賦与されていた「律法」(神の教え)の中に隠されているすばらしい神の祝福、その驚くべき素晴らしさに目が開かれたのでした。
  • そのすばらしさを作者は、「私の喜び」(シャアシュイームשַׁעֲשׁועִים、動詞はシャーアーשָׁעַע)と表現しています。この表現は、旧約においては5回、しかもその5回はすべて詩119篇にあります(23, 77, 92, 143, 174)。このことは何を意味するのでしょうか。おそらく、この喜びはイスラエルの民をリセットすべく捕囚を許された神によって、彼らの霊の目が開かれて、その教え(トーラー)のすばらしさに目が開かれたことによるものです。しかも、ヘブル語では普通、「喜び」を表わす語彙がサーマフשָׂמָח―(joy, rejoice)であるのに対して、ここでの「喜び」はシャーアーשָׁעַע―(delight)です。前者の「喜び」は、ある特別な事柄、経験によるものであるのに対して、後者の「喜び」は日常的な喜び、楽しみを意味します。
  • トーラーが日常的な「喜び」「楽しみ」であるということは、そのすばらしさにいつも心が開かれ、それに目を留め、それを慕い求めるトーラー・ライフスタイルが築かれていたことを物語っています。「楽しみ」というのは、時間を忘れさせるだけでなく、創造性を引き出す力です。疲れることを知りませんし、より豊かな発想や着想が生まれる源です。
  • ところで、目を「開いて」と訳されたガーラーの使用例として、民数記22:21~35節をあげることができます。バラムに忠実に仕えて来たろばがバラムの足を石垣に押しつけたり、うずくまったりしたことで、バラムは怒ってろばを杖で打ちました。「そのとき、主がバラムの目のおおいを除かれたので、彼は主の使いが抜き身の剣を手に持って道に立ちふさがっているのを見た。彼はひざまずき、伏し拝んだ。」とあります。「目のおおいを取り除かれ」なければ、バラムはモアブの王バラクの指示によってイスラエルの民を呪うところでした。ところが、神はろばを通してバラムの行こうとする道をふさいで阻止させようとしたのです。バラムの目が開かれたことによって、彼は神のみこころから外れることを免れたのでした。

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【詩篇119篇】o19b(ベテ)


psm119:9  どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。

psm119:10  私は心を尽くしてあなたを尋ね求めています。どうか私が、あなたの仰せから迷い出ないようにしてください。

psm119:11  あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。

psm119:12  主よ。あなたは、ほむべき方。あなたのおきてを私に教えてください。

psm119:13  私は、このくちびるで、あなたの御口の決めたことをことごとく語り告げます。

psm119:14  私は、あなたのさとしの道を、どんな宝よりも、楽しんでいます。

psm119:15  私は、あなたの戒めに思いを潜め、あなたの道に私の目を留めます。

psm119:16  私は、あなたのおきてを喜びとし、あなたのことばを忘れません。


 

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おはようございます。

昨日は社内で色々あって、作業が遅れ大変だった。。。

ホンマイライラはするわ~。

でも、そんな事で感情を荒立たせると自分が損をするだけと解っていながらも。



そんな弱さを抱えながら、今日も詩篇を共に。

今日僕の心に留まった言葉はコレ。

あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。




・・・ また罪か。

バイブルは罪・罪・罪やね~。なんでも罪でなんなん?


そう思ったことはない?




罪とは、「 的外れ 」という意味。

何に対して的外れか?っていうのは、創られた僕らの目的からズレてるって事。

僕らは神様によって創られた。


気をつけないとならいのが

決して罪というのは、僕らが判断する『 悪 』そのものだとは言ってはいない事だ。

だから

僕らはズレる事を選択する事がある。



バイブルには『 邪悪な良心 』なんて言葉もある。




良心にサタンが働きかけ、ズラすって事もあるんやよね。





だから

だからなんだよね。

僕らが大切なのは、私は、あなたのことばを心にたくわえました。

っていう考えかもね。




アダムとイブは、

神様の言葉を退け、サタンの囁きを信じて「善悪の木の実」を食べた。

それは、自分自身で善と悪を判断しちゃうようになってる事を意味している。


サタンを侮ってはダメ。

僕はそう思う。

自分自身でズレないように・・・僕は挑戦したがいつも失敗に終わった。。。




そうして初めてこの意味が解った。

あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。



サタンにコントロールされないようにする為には

神様の言葉を蓄えておくと

必要な時に心に神様がその言葉を思い起こさせてくれるから。。




 

psm119:14  私は、あなたのさとしの道を、どんな宝よりも、楽しんでいます。



いつも神様の言葉を楽しめますように。

見えないけど、一緒にいて支えようとして下さってる神様を体感できますように。






今日も神様が備えられた一日。

豊かに喜んで過ごして欲しいと願って支えられる神様が共におられる。

サタンに僕らの喜びを奪われない為に、今日も詩篇を口ずさんでいきましょうね。


では、

今日も隠された素敵を捜しに共にでかけましょう。