目をそらせる意志力をもってますか? | へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

。。。。。。。。。。

【詩篇119篇】o19e(ヘ)


psm119:33  主よ。あなたのおきての道を私に教えてください。そうすれば、私はそれを終わりまで守りましょう。

psm119:34  私に悟りを与えてください。私はあなたのみおしえを守り、心を尽くしてそれを守ります。

psm119:35  私に、あなたの仰せの道を踏み行かせてください。私はその道を喜んでいますから。

psm119:36  私の心をあなたのさとしに傾かせ、不正な利得に傾かないようにしてください。

psm119:37  むなしいもの を見ないように私の目をそらせ、あなたの道に私を生かしてください。

psm119:38  あなたのことばを、あなたのしもべに果たし、あなたを恐れるようにしてください。

psm119:39  私が恐れているそしりを取り去ってください。あなたのさばきはすぐれて良いからです。

psm119:40  このとおり、私は、あなたの戒めを慕っています。どうかあなたの義によって、私を生かしてください。


 

。。。。。。。。。。


おはようございます。

今日は定休日。でも、お仕事。

与えられている事に不平を言うとき、僕らの心は歪んでいく。


与えられた事に感謝する時、

僕らの心は少しの間苦しい時を過ごすかもしれないが、必ずその時は喜びに繋がってくる。




今日もそんな事を心に言い聞かせながら・・・詩篇を共に。

僕の心に留まった言葉はコレ。

psm119:37  むなしいもの を見ないように私の目をそらせ、あなたの道に私を生かしてください。






何?

むなしいもの (サタンの用意するモノ)を見ないように私の目をそらせ って。



自分でせえ~よ!





そんな声が聞こえてきそうやよね。

他の宗教ではあり得ない言葉じゃないかな?

それは自分の責任においてクリアしていくモノで、他人に頼っちゃダメでしょ~。ってね。

修行が足りないとか・・信心がないからじゃとか・・





それはそうとしてこの作者のこの言葉・・・

どう思われますか?


もしも、解ってても自分でそれが出来ないとすれば・・・

自分の意思では断れないほど、魅力あるものに映ってるのに違いない。







でも、これは実は僕らは密かに体験しているに違いない。


後で虚しく感じたとしてもついついヤッチャウ事。

体調管理しなきゃならんのに、ついつい食べたいモノは我慢できない。


運動しなきゃならないのに、色んな理由を並べて

毎朝(晩)決めた時間に動かなくていい言い訳を頭の中で繰り替えす。



どおう?


間違いなく・・・僕には・・・残念ながらある。。






何故だろう?

それは、この世界がサタンに支配されてて、肉体に制限された僕らには当然なのかも。。

不思議だけど、あのパウロさんはバイブルでこんな事を云ってる。


少し注意深く読んでみて・・・。



rom7:15 私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むこと を行なっているからです。

rom7:16  もし自分のしたくないことをしているとすれば、律法は良いもの であることを認めているわけです。

rom7:17  ですから 、それを行なっているのは、もはや私ではなく 、私のうちに住みついている罪 なのです。

rom7:18  私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。

rom7:19  私は、自分でしたいと思う善 を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。

rom7:20  もし が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行なっているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。

rom7:21  そういうわけで、私は、善をしたい と願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。

rom7:22  すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、

rom7:23  私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。

rom7:24  私は、ほんとうにみじめな人間 です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。

rom7:25  私たちの主イエス・キリストのゆえに 、ただ神に感謝します ですから 、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。




ありえない。

こんな宗教。。訳わかんない。



そう感じるのも無理は無い。

rom7:24  私は、ほんとうにみじめな人間 です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。



でも、よくよく考えるとそんな原理が僕らの中に働いている事を知る。




だから

この詩篇の作者はこう語った。

むなしいもの (サタンの用意するモノ)を見ないように私の目をそらせ、あなたの道に私を生かしてください。






解るような気がしてきたでしょ。




むなしいもの(サタンの用意するモノ)に僕らは囚われてるから。





でもね。。

そこから解決する方法が其処に記されてたのを見つけました?

rom7:25  私たちの主イエス・キリストのゆえに 、ただ神に感謝します ですから 、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。




肉体では罪(サタンの用意するモノ)に仕えてるけど

心では主イエス・キリストのゆえに 神に仕える事が出来る。




僕らはそれを選ぶことが出来る。

何も僕は選ばない・・・という事は、実は、囚われた罪に囚われる事を選択する事に繋がってくる。





僕らは今日も選択肢を委ねられている。

僕らには今日も素敵な詩篇の作者の言葉が用意されている。


何も出来なくても詩篇の言葉を発する事が出来る。

今日も一緒に発してみませんか?発する!ハッスル!!




ただ、言うだけで・・・って思わなくても大丈夫。

先ず、発してみましょ。



だって、ジーザスはこう語られているから。

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、
わたしのところへ来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。


きっと

素敵な変化に気付いてくるに違いないから。




今日も神様が備えられた素敵な一日。

隠された素敵を捜しに今日も一緒にでかけましょう。