へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy -42ページ目

へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

。。。。。。。。。。

 

【詩篇110篇】o19  ダビデの賛歌


psm110:1  主は、私の主に仰せられる。「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座 に着いていよ。」

psm110:2  主は、あなたの力強い杖をシオンから伸ばされる。「あなたの敵の真中で治めよ。」

psm110:3  あなたの民は、あなたの戦いの日に、聖なる飾り物を着けて、夜明け前から喜んで仕える。あなたの若者は、あなたにとっては、朝露のようだ。

psm110:4  主は誓い、そしてみこころを変えない。「あなたは、メルキゼデクの例にならい、とこしえに祭司である。」

psm110:5  あなたの にいます主は御怒りの日 に、王たちを打ち砕かれる。

psm110:6  主は国々の間をさばき、それらをしかばねで満たし、広い国を治めるかしらを打ち砕かれる。

psm110:7  主は道のほとりの流れから水を飲まれよう。それゆえ、その頭を高く上げられる。


 

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おはようございます。

ようやく、日曜日。1週間が始まりますね。

色んなニュースで、神様はなんで・・・?っていう状況ありますよね。




って事で、今日僕の心に留まった言葉を。

psm110:5  あなたの にいます主は御怒りの日 に、王たちを打ち砕かれる。



あなたの右にいます主

それは、ジーザス。



そのジーザスは必ず、サタンに故意に従う人たちを滅ぼすと此処で語られている。

こんな言葉聴いた事ある?

 

mat13:24  イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は 、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種 を蒔いた。

mat13:25  ところが、人々の眠っている間に、彼の敵が来て麦の中に毒麦 を蒔いて行った。

mat13:26  麦が芽ばえ、やがて実ったとき、毒麦も現われた。

mat13:27  それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』

mat13:28  主人は言った。『 のやったことです。』すると、しもべたちは言った。『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。』

mat13:29  だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。

mat13:30  だから、収穫まで、両方とも育つ ままにしておきなさい。収穫の時期 になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に紊めなさい、と言いましょう。』」



僕らは良い麦だろうか?

もしかしたら、毒麦なんじゃないかな?


なんて考えていた事があった。




世の中、いつでも不条理。

放射能汚染を拡散する為のメディアと政府。

司法と検察との癒着が明らかになった裁判。

・・・。

云えば、酷い世界だ。




そこに関わると、このバイブルの言葉に照らし合わせると

毒麦だから、滅ぼされるって感じてしまう。




でも、今、毒麦のポジションにおかれて同じ考えに洗脳されてるだけなのかもって思わされる。

たまたま真実を知らずに居る 良い麦 に気づきを与える為。。。



神様は僕らが毒麦とチャウやろか?と思えるほど

サタンの囁きに従う弱さを知っている。

だから、

待っている。

裁きのその時を。

ただ、良い麦が気付くのを。



そして、本当の真実を聴いて立ち返って欲しいと願っている。

だって、そこが本当の勝利の主だから。




僕らの本当の勝利の主は傍に居られる。

大丈夫。

いつも僕らを良い麦として育ててくださる。




今日も素敵な一日。

隠された素敵を捜しに今日も共にでかけましょう。



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http://meigata-bokushinoshosai.info/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs110

6節「あなたの右にいます主は、御怒りの日に、王たちを打ち砕かれる。」
7節「主は国々の間をさばき、・・広い国を治めるかしらを打ち砕かれる。」

Keyword;「打ち砕く」 crush, crushed completely, shatter,
18:38/68:21, 23/110:5, 6/

  • 神の救いの計画における最終的な正義が執行される意味での恩寵としての「打ち砕く」と訳されたマーハツמָחַץ(machats)は、旧約14回、詩篇では5回使われているだけです。マーハツは、特に敵の王、あるいは敵の頭に対して、二度と立てないように「打ち砕く」「完全に粉砕する」「完全につぶす」「激しく打つ」ことを意味しています。味方にとっては完全な勝利ですが、敵にとっては完全な敗北の時です。
  • イエスは「天の御国」のたとえとして、良い麦の中に毒麦も姿を現わしたのを見たしもべたちが、それを吹き集めましょうと提案したしもべたちに、毒麦を抜き集めるうちに、良い麦もいっしょに抜き取るかもしれないという細心の配慮から、収穫の時までそのままにしておく人のようだと言われました(マタイ12:24~30)。今の時代は「すでに」神の国の支配が存在していますが、同時に「いまだ」未完成です。しかしやがて確実に毒麦を抜き取る時がやってきます。
  • 詩110篇はメシヤ詩篇(Messianic Psalms)です。メシヤがどのような方であり、やがて何をなされるのか、どのような行動を取られるのかを様々な面から啓示されている詩篇です。特に、この詩110篇は新約で14回も引用されており、ひとつの詩篇が引用される回数としては最も多い詩篇です。しかも、いずれも主イエス・キリストに当てはめられています。
  • 内容的には以下の内容が語られています。人間的には考えられないことでした。

    (1) キリストの昇天と御父の右の座への着座
    (2) キリストの大祭司としての務め
    (3) キリストの再臨の戦い(ハルマゲドン)と千年王国の到来

    が含まれて預言されています。ダビデはこのことを聖霊によって霊感されて語ったと言えます。ダビデがこのことに目が開かれていたかどうか分かりません。メシヤ的詩篇における預言の場合、必ずしもそれを語る本人がその真意を悟ることなく語る場合もあるのです。新約の光によってはじめてそれが正しく理解することができます。
  • 神の最終的な勝利、敵の完全な粉砕が約束されていることにいつも光を当てることで、今の時代の不条理な現実、清濁併せ持つ現実においていかに対処すべきかが分かってきます。今は、御座の右におられる小羊(アルニオン、つまり、勝利の小羊)が、私たちを決して失われることのない大切な良い麦として守っていて下さるのです。私たちはこの恵みにしっかりと応えなくてはなりません。それはイエス・キリストのみを仰ぎ見て生きることを意味します。

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【詩篇111篇】o19


psm111:1  ハレルヤ。私は心を尽くして主に感謝しよう。直ぐな人のつどいと集会において。

psm111:2  主のみわざは偉大で、みわざを喜ぶすべての人々に尋ね求められる。

psm111:3  そのみわざは尊厳と威光。その義は永遠に堅く立つ。

psm111:4  主は、その奇しいわざを記念とされた。主は情け深く、あわれみ深く、

psm111:5  主を恐れる者に食べ物を与え、その契約をとこしえに覚えておられる。

psm111:6  異邦の民のゆずりの地を、ご自分の民に与え、彼らに、そのみわざの力を告げ知らせられた。

psm111:7  御手のわざは真実、公正、そのすべての戒めは確かである。

psm111:8  それらは世々限りなく保たれ、まことと正しさをもって行なわれる。

psm111:9  主は、御民に贖いを送り、ご自分の契約をとこしえに定められた。主の御名は聖であり、おそれおおい。

psm111:10  主を恐れることは、知恵の初め。これを行なう人はみな、良い明察を得る。主の誉れは永遠に堅く立つ。

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おはようございます。

本当は土日と二日連休だったんですが・・・お仕事が。。


でも、お仕事が与えられてる事に先ず感謝だよね。




っと反省反省。

では、早速、今日僕が与えられた言葉を。

主を恐れることは、知恵の初め。これを行なう人はみな、良い明察を得る。主の誉れは永遠に堅く立つ。





主を恐れること

「主を恐れる」(ヘブル語では、Yirat HaShem)という概念は、聖書に何百回となく出てきます。「恐れる」と翻訳されているヘブル語の動詞、yare は、正確には「尊敬する」あるいは「尊敬」の意味が込められています。 ・・・だって。

http://www.bfpj.org/teaching/teaching_04_9904_01.html



知恵の初め。ってのは、

神様の考え ってことやよね。



だから、良い明察を得る。だと思えた。




神様を尊敬できれば、僕らは神様から直接解る(明察)事が増える。

今、尊敬できなくても

知ろうとする事で、そんな思いと出会うことになる。


焦らなくても大丈夫。

僕らはきっと、神様の実際に出会える。




だって、神さまはズット僕らの傍に居て

僕らが求める前から、ずっと僕らを待ってるんだから。




大丈夫。




僕らはずっと、神様の愛に包まれているから。


では、今日も神様を感じられなくても神様と一緒だから。

神様が備えられた素敵を捜しにでかけましょう。。




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http://meigata-bokushinoshosai.info/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs111

3節「そのみわざは尊厳と威光。その義は永遠に堅く立つ。」
10節「主のほまれは永遠に堅く立つ。」

Keyword;「堅く立つ」 endure, can never change,  
19:9/33:9/102:3, 9, 26/111:3, 10/112:3, 9/119:90,91/134:1/135:2/148:6

  • 「堅く立つ」と訳されたアーマドעָמַד(`amad)は、旧約で532回、詩篇では32回使われています。第一義的には「立つ」standを意味しますが、単に「立つ」ということではなく、いつまでも存続して変わらないこと、永遠の存続を意味します。他の聖書では、以下のように訳されています。3節後半を比べてみましょう。それぞれ味わい深い訳になっています。

①新共同訳「その義は永遠に続く」 
②文語訳「とこしえに失することなく」 
③口語訳「とこしえに、失せることがない」 
④典礼訳「とこしえに及ぶ」 
⑤フランシスコ会訳「とこしえに続く」 
⑥バルバロ訳「永遠にとどまる」 
⑦岩波訳「とわに立つ」

  • この他にも、アーマドが使われている詩篇の箇所を調べてみると、「主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない」(19:9)、「主が命じられると、それは堅く立つ」(33:9)、「彼(主)の義は永遠に堅く立つ」(102:3, 9)、「これらのものは滅びるでしょう。しかしあなたはながらえられます。」(102:26)、「あなたが地を据えたので、地は堅く立っている。」(119:90)、「夜ごとに主の家で仕える者たちよ。」(134:1, 135:2)、「主は彼らを世々限りなく立てられた」(148:6)があります。
  • この詩111篇3節、10節には「永遠に堅く立つ」(オメデット・ラアッド)とあります。「永遠に」と「堅く立つ」という永遠性を意味することばが重ねられて強調されています。
  • この世にあるすべてのものは移り変わり、やがて滅びます。しかし、主と主のことば、主のなされることは永遠に存続します。決して変わることがなく、不変です。これは私たちにとってすばらしい恩寵です。不確実性の世界にあってこれは福音です。これはペテロがいうところの「生ける望み」(Ⅰペテロ1:3)です。それは「朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産」(同、1:4)です。これが私たちのために「天にたくわえられている」(同、1:4) のです。それゆえ、私たちは「ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどる」(同、1:8)ことができるのです。ヘブル書の著者も「私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。」(12:28)と記しています。イエスも言われました。「まことにあなたがたに告げます・・この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」(マタイ24:35)と。
  • 詩111篇の作者が冒頭で「ハレルヤ。私は心を尽くして感謝しよう。」と述べているのは、こうした揺るぎない、変わらない主の永遠性を見据えていたからです。現代に生きる神の民も、主に対する賛美が「永遠に堅く立てられる」ものとならなければなりません。

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【詩篇109篇】o19  指揮者のために。ダビデの賛歌


psm109:1  私の賛美する神よ。黙っていないで ください。

psm109:2  彼らは邪悪な口と、欺きの口を、私に向けて開き、偽りの舌をもって、私に語ったからです。

psm109:3  彼らはまた、憎しみのことばで私を取り囲み、ゆえもなく私と戦いました。

psm109:4  彼らは、私の愛への報いとして私をなじります。私は祈るばかりです。

psm109:5  彼らは、善にかえて悪を、私の愛にかえて憎しみを、私に報いました。

psm109:6  どうか、悪者を彼に遣わしてください。なじる者が彼の右に立つようにしてください。

psm109:7  彼がさばかれるとき、彼は罪ある者とされ、その祈りが罪となりますように。

psm109:8  彼の日はわずかとなり、彼の仕事は他人が取り、

psm109:9  その子らはみなしごとなり、彼の妻はやもめとなりますように。

psm109:10  彼の子らは、さまよい歩いて、物ごいをしますように。その荒れ果てた家から離れて、物ごいをしますように。

psm109:11  債権者が、彼のすべての持ち物を没収し、見知らぬ者が、その勤労の実をかすめますように。

psm109:12  彼には恵みを注ぐ者もなく、そのみなしごをあわれむ者もいませんように。

psm109:13  その子孫は断ち切られ、次の世代には彼らの名が消し去られますように。

psm109:14  彼の父たちの咎が、主に覚えられ、その母の罪が消し去られませんように。

psm109:15  それらがいつも主の御前にあり、主が彼らの記憶を 地から消されますように。

psm109:16  それは、彼が愛のわざを行なうことに心を留めず、むしろ、悩む者、貧しい人、心ひしがれた者を追いつめ、殺そうとしたからです。

psm109:17  彼はまたのろうことを愛したので、それが自分に返って来ました。祝福することを喜ばなかったので、それは彼から遠く離れました。

psm109:18  彼はおのれの衣のようにのろいを身にまといました。それは水のように彼の内臓へ、油のように、その骨々にしみ込みました。

psm109:19  それが彼の着る着物となり、いつも、締めている帯となりますように。

psm109:20  このことが、私をなじる者や私のたましいについて悪口を言う者への、主からの刑罰 でありますように。

psm109:21  しかし、私の主、神よ。どうかあなたは、御名のために私に優しくしてください。あなたの恵みは、まことに深いのですから、私を救い出してください。

psm109:22  私は悩み、そして貧しく、私の心は、私のうちで傷ついています。

psm109:23  私は、伸びていく夕日の影のように去り行き、いなごのように振り払われます。

psm109:24  私のひざは、断食のためによろけ、私の肉は脂肪がなく、やせ衰えています。

psm109:25  私はまた、彼らのそしりとなり、彼らは私を見て、その頭を振ります。

psm109:26  わが神、主よ。 私を助けてください。あなたの恵みによって、私を救ってください

psm109:27  こうして、これがあなたの手であること、主よ、あなたがそれをなされたことを彼らが知りますように。

psm109:28  彼らはのろいましょう。しかし、あなたは祝福してくださいます。彼らは立ち上がると、恥を見ます。しかしあなたのしもべは喜びます。

psm109:29  私をなじる者が侮辱をこうむり、おのれの恥を上着として着ますように。

psm109:30  私は、この口をもって、大いに主に感謝します。私は多くの人々の真中で、賛美します。

psm109:31  主は貧しい者の右に立ち、死刑を宣告する者たちから、彼を救われるからです。


 

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おはようございます。

今日は午前中お仕事。

皆は休みですけど・・・。どうせ。。どうせ。。


でも、神様はそんなかげと思える所も全て知って報いてくださる方だって云われてるから。

僕、頑張る!!


少しアホになってみました。




では、っ早速ダビデさんの詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

主は貧しい者の右に立ち、死刑を宣告する者たちから、彼を救われるからです。




訳のわからない口撃を受ける事もある。

故意にそう仕向けられる事もたまに感じる時もあるよね。

そんな時、僕らはどう思い、

心で何を選択するだろうか??



「のろい」を選択もしたくなる。

正直、僕もそんな輩に巻き込まれそれを選択し続けた。

psm109:17  彼はまたのろうことを愛したので、それが自分に返って来ました。祝福することを喜ばなかったので、それは彼から遠く離れました。



そう。

ホンマに、その時から心は苦くなり、「祝福」なんて言葉は僕から遠く離れたように感じてた。


のろう事の方が、当然の対価だとは思うけれども。

神様は僕らがそんな事で祝福を逃す事が無いようにって云ってる。




忘れてはいけない事。

それは、

今はサタンが支配してるけど、僕らは神様に創られたってこと。



僕らは神様によって創られた。

サタンの思いに巻き込まれ、のろいを行う人に僕らは巻き込まれる必要はない。

神様は、その不条理な環境にも愛し続けた。

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  • 私たちがそのような者たちにのろわれた時、どう受け止めたらよいのでしょうか。その模範となるべき人物は新約においてはイエス・キリストです。ペテロは「キリストは、・・ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。」( ペテロ2章22節)と模範を示し、同時に私たちに対しても「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」と勧告しています。
  • ・・・・・・・・・・


    そんな事云っても

    そりゃ~無理やで~!!って思える。



    でもね。

    僕らは神様によって創られた事を忘れないで。



    大丈夫。だって僕らは

    「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」





    さて、今日も色んな目にあうでしょう。

    是非テストしてみませんか?ホンマにこの事ができるのか?


    でも、気をつけて。

    自分の力でそれを行おうとしても、絶対打ちのめされるから。


    『 愛 』そのモノである神様によって、愛さないとね。


    「神様、僕の中には愛がありません。どうか。。○○さんを愛させてください。

    僕の心にはのろいが溢れますが、僕は愛する事を選びます。

    どうぞ僕の身体・心を通して、あなたが○○さんを愛させてください。

    あなたがもし、僕自身に働かれるなら、僕は愛する事が出来るはずです。

    あなたが僕を通して愛させてくださる力をもっておられるからです。

    あなたを信じます。愛を体感させてください。」



    そんな祈りをしてみませんか?




    では、今日も神様が創られた一日。

    隠された素敵を捜しに今日も一緒に出かけましょう。



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    28節「彼らはのろいましょう。しかし、あなたは祝福してくださいます。」(新改訳)
    28節「彼らはのろうが、わたしにはあなたの祝福があります。」(フランシスコ会訳)

    Keyword;「祝福する」 bless  5:12/28:9/29:11/37:22/45:2/67:1/107:38/109:28/
    112:2/115:12/118:26/128:4, 5/134:3/

    • 詩109篇では「のろい」と「祝福」が対峙する形で登場します。名詞の「のろい」はケララー
      קְלַלָה(qelalah)で33回。申命記の特愛用語です(11回)。詩篇では109篇(17, 18節)の2回。一方の「祝福」はベラーカーבְּרָכָה (beraqah)で69回。動詞の「のろう」はカーラル
      קָלַל(qalal)で81回。詩篇ではわずかに3回(37:22/62:4/109:28)、「祝福する」のバーラフבָּרַך(barakh)は327回ですがそのうち神に対する賛美の意味ではなく、純粋に神からの恩寵としての「祝福する」という動詞は260回ほどです。
    • 「のろい」「のろう」よりも、圧倒的に「祝福」「祝福する」ということばが多いのです。神は本来的に祝福の神なのです。しかし、詩109篇の作者の周りには「のろいを愛する」者(17節)、「のろいを身にまとう」者(18節)たちがいます。彼らのことばは邪悪と欺きであり、憎しみに満ち、「祝福することを喜ばない」(17節)者たちでした。
    • 私たちがそのような者たちにのろわれた時、どう受け止めたらよいのでしょうか。その模範となるべき人物は新約においてはイエス・キリストです。ペテロは「キリストは、・・ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。」( ペテロ2章22節)と模範を示し、同時に私たちに対しても「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」と勧告しています。
    • 旧約のダビデの模範もあります。彼が自分の息子アブシャロムの反乱によって都落ちしたとき、かつてのサウル一族のひとりシムイが逃亡するダビデに「神がサウルの家のすべての地をおまえに報いたのだ」とさんざん罵り、のろいのことばをはきつづけ、石までも投げつけました。ダビデの部下がシムイの首をはねようとしましたが、ダビデは彼を押しとどめました。ダビデは神がのろうのを許しておられるからだとダビデは受けとめました。つまり、ダビデはそれを神に対する信頼のテストとして受けとめたのでした。
    • 自分にのろいのことばが向けられた時、ダビデの模範は大いに役立ちます。案の定、アブシャロムの反乱は失敗に終わり、ダビデは元いたエルサレムに戻りますが、そのときダビデの前にシムイが現われて、自分のしたことを謝罪します。ダビデはなんと彼のしたことを赦したのでした。まさに神からの祝福を存分に受けたダビデは「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」という勧告を先立って実行したことになります。

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    【詩篇108篇】o19  歌。ダビデの賛歌


    psm108:1  神よ。私の心はゆるぎません。私は歌い、私のたましいもまた、ほめ歌 を歌いましょう。

    psm108:2  十弦の琴よ、立琴よ。目をさませ。私は暁を呼びさましたい。

    psm108:3  主よ。私は、国々の民の中にあって、あなたに感謝し、国民の中にあって、あなたにほめ歌を歌いましょう。

    psm108:4  あなたの恵みは大きく、天の上にまで及び、あなたのまことは雲にまで及ぶからです。

    psm108:5  神よ。あなたが天であがめられ、あなたの栄光が全世界であがめられますように。

    psm108:6  あなたの愛する者が助け出されるために、あなたの右の手で救ってください 。そして私に答えてください。

    psm108:7  神は聖所から告げられた。「わたしは、喜び勇んで、シェケムを分割し、スコテの谷を配分しよう。

    psm108:8  ギルアデはわたしのもの。マナセもわたしのもの。エフライムもまた、わたしの頭のかぶと。ユダはわたしの杖。

    psm108:9  モアブはわたしの足を洗うたらい。エドムの上に、わたしのはきものを投げつけよう。ペリシテの上で、わたしは大声で叫ぼう。」

    psm108:10  だれが私を要塞の町に連れて行くでしょう。だれが私をエドムまで導くでしょう。

    psm108:11  神よ。あなたは私たちを拒まれたのではありませんか。神よ。あなたは、もはや私たちの軍勢とともに、出陣なさらないのですか。

    psm108:12  どうか敵から私たちを助けてください。まことに、人の救いはむなしいもの です。

    psm108:13  神によって、私たちは力ある働きをし ます。神が私たちの敵を踏みつけられます。

    。。。。。。。。。。


    おはようございます。

    今朝は会社から朝からの作業もあり・・・。感謝です。



    では、早速ダビデさんの詩篇を。

    僕の心にとどまったのはこんな言葉。

    psm108:12  どうか敵から私たちを助けてください。まことに、人の救いはむなしいもの です。

    psm108:13  神によって、私たちは力ある働きをし ます。神が私たちの敵を踏みつけられます。





    どう感じられますか?

    人の救いはむなしいもの です。か?



    僕はこう考えます。

    人への救いを頼むことが出来る問題では神様に出会うことが出来ない。かも・・・。

    これは僕の経験上のものでもあるから、問題視する必要はないけれども、実際にバイブルにはこんな箇所が多く見受けられる。

    「 貧しい人・弱っている人は幸いだ・・・ 」



    不思議でしょ?

    僕は自分の空しさに打ちひしがれて生きる意味を失った時を振り返って

    あの・・・どうしようもなく、心が飢え渇き助けを求めて上を見上げることが出来たから、、、助かった。


    貧しいものの語源には、食べ物もなく飢え渇きすがらなければ生きられない状況らしい。

    僕はその貧しさを味わうことが出来た事によって、豊かになった。

    お金やモノ、そして自分自身の他人との比較その他もろもろから囚われなくなった。


    そして、

    「 もし、神様が働かれるんやったら・・・も出来るに違いない 」なんて言葉を発する事が出来るようになり、ダビデさんが詩篇で語られている意味を共感出来るようになった。




    『 貧しさ ・ 弱さ 』 

    それが、僕を自由に豊かにするきっかけになった。




    だから

    ダビデさんは、自分の力の空しさを知りながら、こう言葉を発している。


    神によって、私たちは力ある働きをし ます。神が私たちの敵を踏みつけられます。




    「 もし、僕の生活に神様が関わってくださるのなら、

    ・・・も出来るに違いありません。だって、あなたは、それが出来ないような無力な方ではないから。」




    神様は僕らに関わってくださる。

    苦境・不条理な環境で、弱さ・貧しさを感じたら、是非上を見上げてみませんか?


    僕らを本気で愛してくれる神様が

    「待ってました~!!」とばかりに、サタンの支配を切り裂き、僕らの力になってくれるから。





    僕らは愛されている。

    サタンの支配の中で、例えそこに従っていても・・・。


    大丈夫。

    神様の本気の愛は、どんなモノをもぶっ飛ばすから!!




    では、今日も神様が備えられた一日。

    隠された素敵を探しに共に出かけましょう~。




    ・・・・・・・・・・

    6節「あなたの愛する者が助け出されるために、あなたの右の手で救ってください。
    そして私に答えてください。」 (新改訳)

    Keyword;「愛する、愛される」 lover, beloved, lovely, friend, lovely thing  60:5/84:1/108:6/127:2

    • 「あなたに愛される者(原文では複数形)」の「愛される」と訳されたヤーディドיָדִיד(yadiyd)は形容詞です。旧約では8回、詩篇では4回。愛される対象はイスラエル民族に対して言われている箇所(イザヤ5:1、エレミヤ11:15)、ダビデとその戦士たちに対して言われている箇所(詩篇60:5、108:6)、不特定の個人に対して言われている箇所(詩篇84:1、127:1)、そしてベニヤミン部族に対して言われている箇所(申命記33:12)があります。
    • 旧約において、神ご自身が預言者を通して直に「主に愛された者」と呼んだのは、このベニヤミン部族とダビデとバテ・シェバの子、ソロモンに対してのみです。Ⅱサムエル12:24~25には「主はその子を愛されたので、預言者ナタンを遣わして、主のために、その名をエディデヤ(יְדִידְיָהּ)と名づけさせた。」と記されています。エディデヤは、主(ヤッハיָהּ)と「愛する」ヤーディドיָדִידが合成された名詞です。ソロモンは父ダビデからエディデヤ、つまり「主の愛された者」という愛称でいつも呼ばれたのです。ダビデが息子をエディデヤと呼ぶことができるほどに、ダビデもまた神に愛された者だったと言えます。神の絶大な恵みというほかありません。
    • ここで、モーセの訣別説教でベニヤミン部族を祝福した言葉を見てみましょう。申命記33:12にはこう記されています。「主に愛されている者。彼は安らかに、主のそばに住まい、主はいつまでも彼をかばう。彼が主の肩の間に住むかのように。」なんという恩寵に満ちた預言でしょうか。ベニヤミンを産んだ母ラケルはその苦しみのゆえに「ペン・オニ」(私の苦しみの子)と名付けましたが、父ヤコブは「右手の子」(新改訳)、「幸いの子」(新共同訳)と名付けました。「右手の子」とは、最も信頼する子、最愛の子を意味します。それゆえベニヤミンが「幸いな子」と呼ばれてもおかしくありません。ヤコブの末の子です。
    • ここに面白いことが見られます。詩篇108:6には「あなたの愛する者が助け出されるために、あなたの右の手で救ってください。」とあります。主に愛されている者とは、主の右の手にふさわしい者ということです。御子イエスも御父の右の座におられます。自分が神に愛されている者であるとい確信が、神の右手の子と表現されています。さらに面白いことは、主に愛されている者であることのしるしは、「安眠」だということです。モーセの祝福にもベニヤミンは「彼は安らかに主のそばに住まい」とあります。詩篇127:2では「主はその愛する者には、安眠を下さる」と約束しています。御子イエスも嵐の舟の中で安んじて寝ておられました。まさに、安眠は、主に愛されている者の「しるし」と言えます。

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    【詩篇107篇】o19


    psm107:1  「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」

    psm107:2  主に贖われた者はこのように言え。主は彼らを敵の手から贖い、

    psm107:3  彼らを国々から、東から、西から、北から、南から、集められた。

    psm107:4  彼らは荒野や荒れ地をさまよい、住むべき町へ行く道を見つけなかった。

    psm107:5  飢えと渇きに彼らのたましいは衰え果てた。

    psm107:6  この苦しみのとき に、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救い出された。

    psm107:7  また彼らをまっすぐな道に導き、住むべき町へ行かせられた。

    psm107:8  彼らは、主の恵みと、人の子らへの奇しいわざを主に感謝せよ。

    psm107:9 まことに主は渇いたたましい を満ち足らせ、飢えたたましいを良いもので満たされた。

    psm107:10  やみと死の陰 に座す者、悩みと鉄のかせとに縛られている者、

    psm107:11  彼らは、神のことばに逆らい、いと高き方 のさとしを侮ったのである。

    psm107:12  それゆえ主は苦役をもって彼らの心を低くされた。彼らはよろけたが、だれも助けなかった。

    psm107:13  この苦しみのとき に、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救われた。

    psm107:14  主は彼らをやみと死の陰から連れ出し、彼らのかせを打ち砕かれた。

    psm107:15  彼らは、主の恵みと、人の子らへの奇しいわざを主に感謝せよ。

    psm107:16  まことに主は青銅のとびらを打ち砕き、鉄のかんぬきを粉々に砕かれた。

    psm107:17  愚か者は、自分のそむきの道のため、また、その咎のために悩んだ。

    psm107:18  彼らのたましいは、あらゆる食物を忌みきらい 、彼らは死の門にまで着いていた。

    psm107:19  この苦しみのとき に、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救われた。

    psm107:20  主はみことばを送って彼らをいやし、その滅びの穴から彼らを助け出された。

    psm107:21  彼らは、主の恵みと、人の子らへの奇しいわざを主に感謝せよ。

    psm107:22  彼らは、感謝のいけにえをささげ、喜び叫びながら主のみわざを語れ。

    psm107:23  船に乗って海に出る者、大海であきないする者、

    psm107:24  彼らは主のみわざを見、深い海でその奇しいわざを見た。

    psm107:25  主が命じてあらしを起こすと、風が波を高くした。

    psm107:26  彼らは天に上り、深みに下り、そのたましいはみじめにも、溶け去った。

    psm107:27  彼らは酔った人のようによろめき、ふらついて分別が乱れた。

    psm107:28  この苦しみのとき に、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から連れ出された。

    psm107:29  主があらしを静めると、波はないだ。

    psm107:30  波がないだので彼らは喜んだ。そして主は、彼らをその望む に導かれた。

    psm107:31  彼らは、主の恵みと、人の子らへの奇しいわざを主に感謝せよ。

    psm107:32  また、主を民の集会であがめ、長老たちの座で、主を賛美せよ。

    psm107:33  主は川を荒野に、水のわき上がる所を潤いのない地に、

    psm107:34  肥沃な地を上毛の地に変えられる。その住民の悪のために。

    psm107:35  主は荒野を水のある沢に、砂漠の地を水のわき上がる所に変え、

    psm107:36  そこに飢えた者を住まわせる。彼らは住むべき町を堅く建て、

    psm107:37  畑に種を蒔き、ぶどう畑を作り、豊かな実りを得る。

    psm107:38  主が祝福されると、彼らは大いにふえ、主はその家畜を減らされない。

    psm107:39  彼らが、しいたげとわざわいと悲しみによって、数が減り、またうなだれるとき、

    psm107:40  主は君主たちをさげすみ、道なき荒れ地に彼らをさまよわせる。

    psm107:41  しかし、貧しい者を悩みから高く上げ、その一族を羊の群れのようにされる。

    psm107:42  直ぐな人はそれを見て喜び、不正な者 はすべてその口を閉じる。

    psm107:43  知恵のある者はだれか。その者はこれらのことに心を留め、主の恵みを悟れ。

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    おはようございます。

    昨日の誕生日はFacebookが故の不思議な一日でした。

    ネットで繋がってる世界はときと場所を超えて、色んな人と出会いを与えてくれました。感謝です。

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    ユテコFacebook:


    では、今日も早速僕の心に留まった言葉を。

    psm107:29  主があらしを静めると、波はないだ。

    psm107:30  波がないだので彼らは喜んだ。そして主は、彼らをその望む に導かれた。





    僕らは信仰という言葉を使って、あの人の信仰は凄いやら弱いやらと判断していく。

    でもね。

    信仰が大きい人、小さい人ってホンマにあるん?

    こんな言葉の意味どう捉えますか?

     

    mat13:31 イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は からし種 のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、

    mat13:32  どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」




    ここで「からし種」といわれているこの種の大きさは、すったゴマか?と思わせるくらい小さいものだ。

    このからし種ほど信仰があればイイんだとジーザスは此処で語られている。


    ん なら、

    信仰ってものの捉え方がおかしいんじゃないの?って事になる。





    僕は単純に

    「もし、神様が働かれるなら(動かれるとしたら)」って事だと思う。

    psm107:29  主があらしを静めると、波はないだ。



    もし、神様が動かれるならば、嵐を鎮めることは訳は無い。

    その思いが将来に向けて、神様が用意されるものへと繋いでくれる。


    『 もし 』 って事で、神様の働きを創造する事で僕らは神様の領域の中に入る助けを受けるのかも。

    『 もし 』 が無ければ、今の延長上の将来を創造するしか僕らは出来ないだろうからね。

    僕らは、神様の用意される将来を受け取ることが出来る。

    その『 もし 』 っていう信仰によって。。



    そして主は、彼らをその望む に導かれた。

    神様は、僕らが望む港に導きたい。本気で僕らを助けて豊かになって欲しいと考えてくれている。





    僕らはそんな愛に包まれている。

    だから、今見える現状から将来を創造するんじゃなく、

    『 もし、神様が働いてくださるのだったら・・・ 』 って将来を創造してみませんか?



    その神様は僕らの為にいつも耳を傾けてくださっているんだから。





    大丈夫。

    僕らはどんなに問題の最中に居ても、僕らの力強い神様は僕らに関わって下さるんだから。



    今日も神様の用意された素敵な一日。

    隠された素敵を捜しに一緒に出かけましょう。『もし、神様が・・・』って言葉を携えて。



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    http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs107

    20節「主は・・その滅びの穴から彼らを助け出された。」 (新改訳)
    20節「主は・・破滅から彼らを救い出された。」(新共同訳)

    Keyword;「助け出す、救い出す」 deliver, save  
    22:5/33:17/41:1/89:48/107:20/116:4/124:7, 7

    • 「助け出す」「救い出す」と訳された救出用語のマーラトמָלַט(malat)は、旧約で95回、詩篇では8回とそれほど多くはありませんが、いずれも、人の力を越えた大きな力、死とよみの恐怖、滅びの穴、破滅のわなから「救い出す」といった意味です。詩107篇では「滅びの穴から」(新改訳)、「破滅から」(新共同訳)、「死の病」(典礼訳)から救い出されたことが記されています。
    • 神はご自身の恵みを私たちに示すために、人間の力では救い出せない状況へと追い込まれることがあります。それは私たちを神の救い出しを経験させるためです。かつての出エジプトにおいても、神がエジプトの王パロの心をかたくなにさせました。それは神の力を示すためにほかなりませんでした。さすらいの経験、飢え渇きの経験、束縛の経験、先の見えない行き詰まりの経験、不条理な闇、失敗、挫折、敗北がもたらす苦悩、煩悶、患難、労苦、そうしたすべてが神にしかなしえない救出へと向けられているのです。
    • 詩107篇にはマーラトמָלַט(malat)の他に救出用語が三つあります。6節の「救い出す」と訳されたナーツァルנָצַל(natsal)、13,19節の「救う」と訳されたヤーシャーיָשַׁע(yasha`)、そして14, 28節の「連れ出す」と訳されたヤーツァーיָצָא(yatsa’)です。

    ◆これまで自分の信仰生活の歩みを振り返る時、何度か大きな信仰の危機を通りました。神の道よりも自分の道を優先したために完全に先が見えない状況に陥りました。その「苦しみ」の中で涙ながらに主に叫び求めました。そして神中心の生活が始まり、献身の道へと導かれました。それから14年後(開拓伝道から3年目)にして完全に行き詰まりました。 ある集会で祈ってもらっていた時、主が私の魂の渇きを知っておられることに気づかされ、新しい霊の流れが私の内に注がれはじめました。それから10年後、主の前に大きな罪を犯し、悔い改めた後、自分の信仰をリセットすべく完全に神の「隠れ場」に5年間隠されました。そして今に至っています。その間にも、さまざまな信仰のアップ・ダウンを繰り返しながら、その都度、神に向かって叫び、神はその叫びを聞いてくださり、そこから救い出して下さいました。私が今、立つことができているのは、ただただ神の恵みのゆえなのです。

    • 詩107篇の作者が「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深く、その恵みはとこしえまで。」と呼びかけているように、私も自分のたましい向かって呼びかけ続けています。
    • 「主の恵みと、私への奇しいわざを主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深く、その恵みはとこしえまで。」と。

    ・・・・・・・・・・