へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy -43ページ目

へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

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【詩篇106篇】o19


psm106:1  ハレルヤ。主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。

psm106:2  だれが主の大能のわざを語り、そのすべての誉れをふれ知らせることができよう。

psm106:3  幸いなことよ。さばきを守り、正義を常に行なう人々は。

psm106:4  主よ。あなたが御民を愛されるとき、私を心に留め、あなたの御救いのとき、私を顧みてください。

psm106:5  そうすれば、私はあなたに選ばれた者たちのしあわせを見、あなたの国民の喜びを喜びとし、あなたのものである民とともに、誇ることができるでしょう。

psm106:6  私たちは先祖と同じように罪を犯し、不義をなし、悪を行なった。

psm106:7  私たちの先祖はエジプトにおいて、あなたの奇しいわざを悟らず、あなたの豊かな恵みを思い出さず、かえって、海のほとり、葦の海で、逆らった。

psm106:8  しかし主は、御名のために彼らを救われた。それは、ご自分の力を知らせるためだった。

psm106:9  主が葦の海を叱ると、海は干上がった。主は、彼らを行かせた。深みの底を。さながら荒野を行くように。

psm106:10  主は、憎む者の手から彼らを救い、敵の手から彼らを贖われた。

psm106:11  水は彼らの仇をおおい、そのひとりさえも残らなかった。

psm106:12  そこで、彼らはみことばを信じ、主への賛美を歌った。

psm106:13  しかし、彼らはすぐに、みわざを忘れ、そのさとしを待ち望まなかった。

psm106:14  彼らは、荒野で激しい欲望にかられ、荒れ地で神を試みた。

psm106:15  そこで、主は彼らにその願うところを与え、また彼らに病を送ってやせ衰えさせた。

psm106:16  彼らが宿営でモーセをねたみ、主の聖徒、アロンをねたんだとき、

psm106:17  地は開き、ダタンをのみこみ、アビラムの仲間を包んでしまった。

psm106:18  その仲間の間で火が燃え上がり、炎が悪者どもを焼き尽くした。

psm106:19  彼らはホレブで子牛を造り、鋳物の像を拝んだ。

psm106:20  こうして彼らは彼らの栄光を、草を食らう雄牛の像に取り替えた。

psm106:21  彼らは自分たちの救い主である神を忘れた。エジプトで大いなることをなさった方を。

psm106:22  ハムの地では奇しいわざを、葦の海のほとりでは恐ろしいわざを、行なわれた方を。

psm106:23  それゆえ、神は、「彼らを滅ぼす。」と言われた。もし、神に選ばれた人モーセが、滅ぼそうとする激しい憤り を避けるために、御前の破れ に立たなかったなら、どうなっていたことか。

psm106:24  しかも彼らは麗しい地 をさげすみ、神のみことばを信ぜず、

psm106:25  自分たちの天幕でつぶやき、主の御声を聞かなかった。

psm106:26  それゆえ、主は彼らにこう誓われた。彼らを荒野で打ち倒し、

psm106:27  その子孫を国々の中に投げ散らし、彼らをもろもろの地にまき散らそうと。

psm106:28  彼らはまた、バアル・ペオル につき従い、死者へのいけにえを食べた。

psm106:29  こうして、その行ないによって御怒りを引き起こし、彼らの間に神罰 が下った。

psm106:30  そのとき、ピネハスが立ち、なかだちのわざをしたので、その神罰 はやんだ。

psm106:31  このことは、代々永遠に、彼の義と認められた。

psm106:32  彼らはさらにメリバの水のほとりで主を怒らせた。それで、モーセは彼らのためにわざわいをこうむった。

psm106:33  彼らが主の心に逆らったとき 、彼が軽率なことを口にしたからである。

psm106:34  彼らは、主が命じたのに、国々の民を滅ぼさず、

psm106:35  かえって、異邦の民と交わり、そのならわしにならい、

psm106:36  その偶像に仕えた。それが彼らに、わなであった。

psm106:37  彼らは自分たちの息子、娘を悪霊のいけにえ としてささげ、

psm106:38  罪のない血 を流した。カナンの偶像のいけにえにした彼らの息子、娘の血。こうしてその国土は血で汚された。

psm106:39  このように彼らは、その行ないによっておのれを汚し、その行ないによって姦淫を犯した

psm106:40  それゆえ、主の怒りは御民に向かって燃え上がり、ご自分のものである民を忌みきらわれた。

psm106:41  それで彼らを国々の手に渡し、彼らを憎む者たちが彼らを支配した。

psm106:42  敵どもは彼らをしいたげ、その力のもとに彼らは征服された。

psm106:43  主は幾たびとなく彼らを救い出されたが、彼らは相計って、逆らい、自分たちの不義の中におぼれた。

psm106:44  それでも彼らの叫びを聞かれたとき、主は彼らの苦しみに目を留められた。

psm106:45  主は、彼らのために、ご自分の契約を思い起こし、豊かな恵みゆえに、彼らをあわれまれた。

psm106:46  また、彼らを、捕え移したすべての者たちから、彼らがあわれまれるようにされた。

psm106:47  私たちの神、主よ。私たちをお救いください。国々から私たちを集めてください。あなたの聖なる御名に感謝し、あなたの誉れを勝ち誇るために。

psm106:48  ほむべきかな。イスラエルの神 、主。とこしえから、とこしえまで。すべての民が、「アーメン。」と言え。ハレルヤ。


 

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おはようございます。

今日はなんと・・・バカボンのパパと同じ年になっちゃった日なのだ。

それでイイノダ。

昔、あんなオッサン。って思ってた年代に入ると少し不思議。

今日は不思議な一日になりそう。




では、早速僕の心に留まった言葉を。

それでも彼らの叫びを聞かれたとき、主は彼らの苦しみに目を留められた。






それでも。。。だよね。



それまで、神様が働かれてた業を見ながらも

好き勝手に背き続けたイスラエルの民の姿が描かれている。




ホンマにこのイスラエルの民は酷い・・・。

アカン奴らや。


でも、よくよく自分を省みたら同じ。全く同じ。それ以上の弱さをも知らされる。


jhn8:31  そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。

jhn8:32  そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」

jhn8:33  彼らはイエスに答えた。「私たちはアブラハムの子孫であって、決してだれの奴隷になったこともありません。あなたはどうして、『あなたがたは自由になる。』と言われるのですか。」

jhn8:34  イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。罪を行なっている者はみな、罪の奴隷 です。

jhn8:35  奴隷はいつまでも家にいるのではありません。しかし、息子はいつまでもいます。



僕らはいつも何かを選んでいる。

大まかに分けたら、神様からの領域のものか?サタンからの領域のものか?

罪の奴隷と記されているのは、サタンからの領域から出てるものを選ぶということ。

だから、罪を犯すってのは

サタンに従うっていう行為に繋がってくる。




コレって怖ろしいね。

でも、サタンは賢いから、ほんの小さなズレを囁いて僕らに選ばせて徐々にズラしていく。

僕らはそのサタンの囁きに気付かない。

当然、イスラエルの民と同様にズレちゃう。

(例えば、嘘も方便・・・なんて云いながら・・・なんてね。)




でも、神様は  『 それでも 』 僕らを愛してる。

だから、僕らを集めたい。

サタンの支配の中で滅んで欲しくない。


だったら、ジーザスを身代わりにするから、僕の所に戻っておいで。って。





集めるって事は、

いつものこの下に記されている資料を確認してみて。



素敵な神様の愛に僕らはどんな時にも包まれている。

僕らが背いている最中でさえも。




神様の愛を見くびっちゃ~ダメだね。

昔、人の愛と混同していた時、僕は完全に見捨てられた存在。

もう神様のところになんか帰れない存在だと思わされていた。

サタンの子供なんて事も考えてた。

でも、

僕らはそんな時でも、集めようとされる大きな御手の中にいる。



僕らが顔をむければ

神様と目が合うくらいに。




では、今日も素敵探しに一緒に出かけましょうね。

どんな状態でも、大いに期待して。



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47節「私たちの神、主よ。・・・国々から私たちを集めてください。」 (新改訳)

Keyword;「集める、引き寄せる」 gather, assemble, 106:47/107:3/147:2

  • 「散らされた者を集める神」、「引き寄せの神」-これが預言者たちが語った重要な神観であり、メッセージです。詩106篇は、神の恵みのみわざを何度も目の当たりにしながらも、その方を忘れた不真実な民に対して、どこまでも真実であろうとする神がたたえられています。
  • 「集める」と訳されたカーヴァツקָבַץ(qavats)は、旧約で127回ですが、詩篇はわずかに4回です。ちなみに、107:3では「(主は)、彼らを国々から、東から、西から、北から、南から、集められた。」とあり、147:2では「主はエルサレムを建てイスラエルの追い散らされた者を集める。」とあります。
  • このカーヴァツקָבַץは、イザヤ、エレミヤ、エゼキエルと言った預言者たちの特愛用語です。彼らは、罪のゆえに散らされたイスラエルの民に向かって、その散らされた者たちを再び「集める」、 “I will gather”という神のメッセージを繰り返し語りました。かつての出エジプトでは、民はそこから「連れ出される」神のみわざがを経験しましたが、それとは異なり、散らされた所から神がご自身の民を再び「集める」「引き寄せる」という神のみわざが預言されているのです。

    (1) イザヤ書では、11:12/40:11/43:5, 9/54:7/56:8/66:18 

    • 「主は国々のために旗を掲げ、イスラエルの散らされた者を取り集め、ユダの追い散らされた者を地の四隅から集められる。」(11:12)
    • 「主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。」(40:11)

    (2) エレミヤ書では、23:3/29:14/31:10/32:3

    • 「わたしは、あなたがたの捕われ人を帰らせ、すべての場所から、あなたがたを集める。-主の御告げーわたしはあなたがたを引いて行った先から、あなたがたをもとの所へ帰らせる。」(29:14)

    (3) エゼキエル書では、11:17/20:41/28:25/34:13/36:24/37:21/38:8/39:27

    • 「わたしが、あなたがを・・その散らされている国々から、あなたがたを集めるとき、わたしは、あなたがたをなための香りとして喜んで受け入れる。わたしは、諸国の民が見ている前で、あなたがたのうちにわたしのせいであることを示す。」(20:41)
  • LXX訳は「カーヴァツ」קָבַץを「エピスナゴー」 επισυναγωと訳しています。引き寄せる、引き集めることを意味します。イエスが語ったこのことばを語った例としては以下の箇所です。
    • マタイ23:37/ルカ13:34
      「エルサレム、エルサレム。・・わたしはめんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの子らをいくたび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれをこの好まなかった」
      それゆえにユダヤ人たちはやがて神殿を失い、エルサレムから世界各地へと離散する民となりました。
    • マタイ24:3
      「人の子はおおきなラッパとの響きととともに、御使いたちを遣わされます。すると御使たちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。
  • 今日、世界中に離散している多くのユダヤ人が永遠のゆずりの地として与えられた地であるイスラエルに帰還しつつあります。詩篇の106篇47節の「私たちの神、主よ。・・・国々から私たちを集めてください。」との祈りは今も有効であり、この祈りは確実に聞かれるのです。神の預言が成就するために、イスラエルに接木された異邦人クリスチャンはこの帰還のためにその働きの一端を担わなければなりません。

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【詩篇105篇】o19


psm105:1 主に感謝して、御名を呼び求めよ。そのみわざを国々の民の中に知らせよ。
psm105:2 主に歌え。主にほめ歌を歌え。そのすべての奇しいみわざに思いを潜めよ。
psm105:3★主の聖なる名を誇りとせよ。主を慕い求める者の心を喜ばせよ。
psm105:4 主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。
psm105:5 主が行なわれた奇しいみわざを思い起こせ。その奇蹟と御口のさばきとを。
psm105:6 主のしもべアブラハムのすえよ。主に選ばれた者、ヤコブの子らよ。
psm105:7 この方こそ、われらの神、主。そのさばきは全地にわたる。
psm105:8 主は、ご自分の契約をとこしえに覚えておられる。お命じになったみことばは千代にも及ぶ。
psm105:9 その契約はアブラハムと結んだもの、イサクへの誓い。
psm105:10 主はヤコブのためにそれをおきてとして立て、イスラエルに対する永遠の契約とされた。
psm105:11 そのとき主は仰せられた。「わたしはあなたがたの相続地としてあなたに、カナンの地を与える。」
psm105:12 そのころ彼らの数は少なかった。まことにわずかで、そのうえそこでは、寄留の他国人であった。
psm105:13 彼らは、国から国へ、一つの王国から他の民へと渡り歩いた。
psm105:14 しかし主は、だれにも彼らをしいたげさせず、かえって、彼らのために王たちを責められた。
psm105:15 「わたしの油そそがれた者たちに触れるな。わたしの預言者たちに危害を加えるな。」
psm105:16 こうして主はききんを地の上に招き、パンのための棒をことごとく折られた。
psm105:17 主はひとりの人を彼らにさきがけて送られた。ヨセフが奴隷に売られたのだ。
psm105:18 彼らは足かせで、ヨセフの足を悩まし、ヨセフは鉄のかせの中にはいった。
psm105:19 彼のことばがそのとおりになる時まで、主のことばは彼をためした。
psm105:20 王は人をやってヨセフを解放し、国々の民の支配者が、彼を自由にした。
psm105:21 王はヨセフを自分の家のかしらとし、自分の全財産の支配者とした。
psm105:22 これはヨセフが意のままに王の高官を縛り、王の長老たちに知恵を与えるためだった。
psm105:23 イスラエルもエジプトに行き、ヤコブはハムの地に寄留した。
psm105:24 主はその民を大いにふやし、彼らの敵よりも強くされた。
psm105:25 主は人々の心を変えて、御民を憎ませ、彼らに主のしもべたちを、ずるくあしらわせた。
psm105:26 主は、そのしもべモーセと、主が選んだアロンを遣わされた。
psm105:27 彼らは人々の間で、主の数々のしるしを行ない、ハムの地で、もろもろの奇蹟を行なった。
psm105:28 主はやみを送って、暗くされた。彼らは主のことばに逆らわなかった。
psm105:29 主は人々の水を血に変わらせ、彼らの魚を死なせた。
psm105:30 彼らの地に、かえるが群がった。王族たちの奥の間にまで。
psm105:31 主が命じられると、あぶの群れが来た。ぶよが彼らの国中にはいった。
psm105:32 主は雨にかえて雹を彼らに降らせ、燃える火を彼らの地に下された。
psm105:33 主は彼らのぶどうの木と、いちじくの木を打ち、彼らの国の木を砕かれた。
psm105:34 主が命じられると、いなごが来た。若いいなごで、数知れず、
psm105:35 それが彼らの国の青物を食い尽くし、彼らの地の果実を食い尽くした。
psm105:36 主は彼らの国の初子をことごとく打たれた。彼らのすべての力の初めを。
psm105:37 主は銀と金とを持たせて御民を連れ出された。その部族の中でよろける者はひとりもなかった。
psm105:38 エジプトは彼らが出たときに喜んだ。エジプトに彼らへの恐れが生じたからだ。
psm105:39 主は、雲を広げて仕切りの幕とし、夜には火を与えて照らされた。
psm105:40 民が願い求めると、主はうずらをもたらし、また、天からのパンで彼らを満ち足らわせた。
psm105:41 主が岩を開かれると、水がほとばしり出た。水は砂漠を川となって流れた。
psm105:42 これは主が、そのしもべアブラハムへの聖なることばを、覚えておられたからである。
psm105:43 主は御民を喜びのうちに連れ出された。その選ばれた民を喜びの叫びのうちに。
psm105:44 主は、彼らに国々の地を与えられた。彼らが国々の民の労苦の実を自分の所有とするために。
psm105:45 これは、彼らが主のおきてを守り、そのみおしえを守るためである。ハレルヤ。


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おはようございます。

今日は日本全国で雨予報ですね。
きっと地を潤す必要があるんですよね。自然の中に神様の思いは隠されてると思うから。
きっと、今日も素敵な一日。


では、早速。
今日僕の心に留まった言葉はコレ。
psm105:2 主に歌え。主にほめ歌を歌え。そのすべての奇しいみわざに思いを潜めよ。



全ての奇しいみわざに思いを潜めよ。
それが、理解できるか出来ないかを問うてるのではなく、思いを潜めて見つめてねって事。
例えば、今日の雨もそうなのかも。
きっと、この背後にも素敵な計画がある。
もし、そうでなくても、その背後には全てを益とする計画が隠されているんだから。

rom8:28★神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。



だって、僕らは気付いていなくても
本気の愛で僕らを支えてくれているんだから。ね。

psm105:8 主は、ご自分の契約をとこしえに覚えておられる。お命じになったみことばは千代にも及ぶ。
psm105:9 その契約はアブラハムと結んだもの、イサクへの誓い。
psm105:10 主はヤコブのためにそれをおきてとして立て、イスラエルに対する永遠の契約とされた。


この言葉の背後は下記の説明がものすごく役に立つから、是非見てください。
僕が云いたいのは
ここで、記された契約っていうのは、時を超えて支配される神様が結ばれた契約で僕らのものでもあるって事。



その本気の愛でジーザスは僕らの為に十字架にかかられたんだから。
神様は嘘をつく事ができない。
契約を守られる神様だ。

例え、あなたが怖ろしいサタンの用意した選択を選んで
取り返しのつかない事をやっちゃったとしても・・・だ。



神様は約束を守られる方。






だから、ダビデさんと一緒に
神様がされた一つ一つのことを思いながら、告白してみませんか?
言葉に出す事は、簡単なようだけど中々難しい。
だって、
それで真実の領域に僕らが入る事を嫌うサタンが阻んでるからね。


負けないで
神様の奇しいみわざに思いを潜めながら、口に出して「賛美」していきましょう。


神様を信じているなら大丈夫。
僕らにはその時に、聖霊(永遠の命)が与えられていて、僕らは既に神様と繋がってるんだから。





今日も神様が用意された素敵な一日。
感情に支配されないで、一つ一つ神様の素敵な出会いを数えて過ごせますように。






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8節「主は、ご自分の契約をとこしえに覚えておられる。」(新改訳)
8節「主はとこしえに契約を御心に留められる。」(新共同訳)
Keyword;「覚える、御心を留める」 remember, be mindful of
8:4/9:12/78:39/105:8, 42/115:12
神の恩寵としてのザーハルזָכַר(zakhar)は、詩103篇14節のように、主が、私たちの成り立ちを知り、私たちがちりにすぎないことを「心に留めておられる。」という顧みの恩寵と、詩105篇8節、42節のように、イスラエルの民に対するご自分の契約やことばを決して忘れることなく、とこしえに「覚えておられる」「思い起こす」という記憶の恩寵があります。それゆえ、私たちに対しても神は、ご自身がなされた奇しいわざを「思い起こす」ように求められます。とはいえ、イスラエルの歴史の真実は、神の恵みを思い出すことなく、心に留めることもなく、忘恩の罪を犯し続けました。「歴史化された詩篇」にはいつもそのような構図が見られます。たとえば、詩篇78篇、106篇などはそうです。
神の恩寵としてのザーハルזָכַר(zakhar)が聖書で最初に登場するのは、創世記8章1節です。神は、ノアと、箱舟の中に彼といっしよにいたすべての獣や、すべての家畜とを心に留めておられた。」、そして、神はノアに契約を立てて言いました。「あなたがたと、そしてあなたがたの後の子孫と、またすべての生き物は、もはや大洪水の水によって滅ぼすようなことはない。」(同、9:9~15)と約束されました。そのしるしとして「虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神とすべての生き物、地上のすべての肉なるものとの間の永遠の契約を思い出そう(זָכַר)。」(同、9:16)と約束されました。
エレミヤ書の31章20節はこの書の心臓部ーこの章を除いてほとんどが「神の怒り」の宣言で終始していますが、その神の怒りが全く姿を消して、神の愛のみが支配しているのはこの31章のみーです。そこにはこう記されています。
「エフライムは、私の大事な子なのだろうか。それとも、喜びの子なのだろうか。わたしは彼のことを語るたびに、いつも必ず彼のことを思い出す(זָכַר)。それゆえ、わたしのはらわたは彼のためにわななき、わたし彼をあわれまずにはいられない。」
「わたしのはらわたは彼のためにわななき」と訳された箇所を文語訳では「我が腸はかれの為に痛む」と訳されています。「わななく」「痛む」の原語はハーマーהָמָה(hamah)です。ハーマーの原義は「鳴り響く」です。海のどよめき、獣の声、群衆の騒音等に用いられますが、人的状態に用いられる時は「嘆き、呻く」「心が乱れる」「立ち騒ぎ」「思い乱れる」の意味になります。そしてこの言葉が神の心的状態について用いられる時は「はらわたが痛む」となります。この神の痛みに基づく愛こそイエス・キリストの十字架の愛です。このような愛に基づいて、神は私たちを心に留め、約束を覚えておられるのです。


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9,10節「その契約はアブラハムと結んだもの、・・イスラエルに対する永遠の契約とされた。」(新改訳)
Keyword;「結ぶ」 make a covenant with 50:5/89:3/
主がアブラハムと結んだ契約は、「永遠の契約」(10節)とも、「聖なることば」(42節)とも言われます。「結ぶ」と訳されたヘブル語は「カーラト」כָּרַת(karath)です。「カーラト」כָּרַתは、旧約で288回、詩篇では14回使われています。この動詞は、本来、「切る、切り取る、切り離す、切り分ける」という意味です。なぜその反対の意味である「結ぶ」という意味になるのか、とても不思議です。これには当時の契約についての理解が必要です。
主がアブラハムとはじめて契約を結ぶときにも、当時の風習だったと思われますが、アブラハムは雌牛と雌山羊を二つに切り裂きました。それはその間を通ることによって、もし約束(契約)を破るなら、このように二つに切り裂かれても、滅ぼされても文句はいえませんという同意を表わすためであったようです。日本でも子ども同士が約束を交わすときに、「嘘ついたら針千本飲ます」と言って指切りをします。それほどに約束事を守ることは重要視されたのです。主なる神とアブラハムの場合、動物を切り裂いた後に、眠気がアブラハムを襲います。本来は両者が通おることで成り立つ約束が、ここでは主なる神だけが通ったのです。アブラハムは眠っていたのです。
つまり、神がアブラハムと交わした契約は、神だけが通ったいわば一方的な契約なのです。それは、神の民がシナイ山のふもとで神と交わした双方の合意に基づく「モーセ契約」とは異なります。イスラエルの歴史において、神と民とのかかわりが危機的な状況に陥ったときに、必ず、登場するのがアブラハムと交わした契約です。この契約は、バビロン捕囚となった神の民、また新約時代の初代教会においても、また1948年のイスラエル建国以来のメシアニック・ジューの人々を通して、たびたびクローズアップされています。なぜなら、この「アブラハム契約」は決して無効にされることはありません。使徒パウロは「イスラエルに対する神の賜物と召命とは変わることがありません。」(ローマ11:29)と述べています。やがてはキリスト再臨後の千年王国において、イスラエルの民(ユダヤ人)は民族的に救われ、アブラハムの契約が実現します。ユダヤ人たちはこの「千年王国」を天国と考えているのです。
詩篇105篇が、おそらくバビロン捕囚経験の中で、「シナイ契約」とは別のサイトである「アブラハム契約」があることに気づき、その契約を土台として自らの信仰的危機を乗り越えたことはすばらしいことと言えます。キリストにある異邦人である私たちはもこのアブラハム契約に接ぎ木されていることを覚えて感謝するだけでなく、その契約の中に生かされていく者でありたいと思います。
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【詩篇104篇】o19

psm104:1  わがたましいよ 。主をほめたたえよ。わが神、主よ。あなたはまことに偉大な方。あなたは尊厳と威光を身にまとっておられます。

psm104:2  あなたは光を衣のように着、天を、幕のように広げておられます。

psm104:3  水の中にご自分の高殿の梁を置き、雲をご自分の車とし、風の翼に乗って歩かれます。

psm104:4  風をご自分の使いとし、焼き尽くす火をご自分の召使とされます。

psm104:5  また地をその基の上に据えられました。地はそれゆえ、とこしえにゆるぎません。

psm104:6  あなたは、深い水を衣のようにして、地をおおわれました。水は、山々の上にとどまっていました。

psm104:7  水は、あなたに叱られて逃げ、あなたの雷の声で急ぎ去りました。

psm104:8  山は上がり、谷は沈みました。あなたが定めたその場所へと。

psm104:9  あなたは境を定め 、水がそれを越えないように されました。水が再び地をおおうことのないようにされました。

psm104:10  主は泉を谷に送り、山々の間を流れさせ、

psm104:11  野のすべての獣に飲ませられます。野ろばも渇きをいやします。

psm104:12  そのかたわらには空の鳥が住み、枝の間でさえずっています。

psm104:13  主はその高殿から山々に水を注ぎ、地はあなたのみわざの実によって満ち足りています。

psm104:14  主は家畜のために草を、また、人に役立つ椊物を生えさせられます。人が地から食物を得るために。

psm104:15  また、人の心を喜ばせるぶどう酒をも。油によるよりも顔をつややかにするために。また、人の心をささえる食物をも。

psm104:16  主の木々は満ち足りています。主の椊えたレバノンの杉の木も。

psm104:17  そこに、鳥は巣をかけ、こうのとりは、もみの木をその宿としています。

psm104:18  高い山は野やぎのため、岩は岩だぬき隠れ場

psm104:19  主は季節のために月を造られました。太陽はその沈む所を知っています。

psm104:20  あなたがやみを定められると、夜になります。夜には、あらゆる森の獣が動きます。

psm104:21  若い獅子はおのれのえじきのためにほえたけり、神におのれの食物を求めます。

psm104:22  日が上ると、彼らは退いて、自分のねぐらに横になります。

psm104:23  人はおのれの仕事に出て行き、夕暮れまでその働きにつきます。

psm104:24 主よ。あなたのみわざはなんと多いことでしょう。あなたは、それらをみな、知恵をもって造っておられます。地は あなたの造られたもので満ちています。

psm104:25  そこには大きく、広く広がる海があり、その中で、はうものは数知れず、大小の生き物もいます。

psm104:26  そこを船が通い、あなたが造られたレビヤタン も、そこで戯れます。

psm104:27  彼らはみな、あなたを待ち望んでいます。あなたが時にしたがって食物をお与えになることを。 psm104:28  あなたがお与えになると、彼らは集め、あなたが御手を開かれると、彼らは良いもので満ち足ります。 psm104:29 あなたが 御顔を隠され ると、彼らはおじ惑い、彼らの息を取り去られる と、彼らは死に、おのれのちりに帰ります。

psm104:30 あなたが御霊を送られると、彼らは造られます。また、あなたは地の面を新しくされます。 psm104:31  主の栄光が、とこしえにありますように。主がそのみわざを喜ばれますように。

psm104:32  主が地に目を注がれると、地は震え、山々に触れられると、山々は煙を上げます。

psm104:33  私は生きているかぎり、主に歌い、いのちのあるかぎり、私の神にほめ歌を歌いましょう。

psm104:34  私の心の思いが神のみこころにかないますように。私自身は、主を喜びましょう。

psm104:35  わがたましいよ 。主をほめたたえよ。ハレルヤ。

。。。。。。。。。。



おはようございます。

今週も一歩一歩踏ん張っていきやしょう。



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11節「野のすべての獣に飲ませられますשָׁקָה。野ろばも渇きをいやします。」(新改訳)
13節「主はその高殿から山々に水を注ぎשָׁקָה、地はあなたのみわざの実によって満ち足りています。」(新改訳)

Keyword;「(水を)飲ませる、注ぐ」 give water, water, 36:8/60:3/69:21/78:15/80:5  
(※神の恩寵としてのシャーカーשָׁקָהは36:8, 104:11, 13の3箇所だけです。)

  • 詩104篇には「水」マイムמַּיִםという語彙は2回(3, 6節)しか出てきませんが、水に関連する語彙―たとえば「深い水(深淵)」、「泉」「海」-が見られます。
  • 詩104篇には、「さばきとしての水」と「恩寵としての水」が取り上げられています。

    (1) さばきとしての「水」

    • 6節の「あなたは、深い水を衣のようにして、地をおおわれました。」とは、ノアの時代の洪水によるさばきとしての「水」です。しかし神は「水が再び地をおおうことのないようにされました。」つまり、洪水によるさばきはもたらさないと神が誓われたのです。

    (2) 恩寵としての「水」

    • 「主は泉を谷に送り、山々の間を流れさせ、野のすべての獣に飲ませられます。野ろばも渇きをいやします。」(10, 11節) 「主はその高殿から水を注ぎ、地はあなたのみわざの実によって満ち足りています。」(13節)
  • 水によって、すべてのものが生かされます。家畜のためには牧草を茂らせるだけでなく、、葡萄や小麦によって人の心を喜ばせ、支えて生存の保障を与えます。また、立派な木々によって人はそれよって造られた家に住み、防衛の保証が与えられます。海の中に生きる生き物は数知れません。神の敵の象徴とされたレビヤタンもその中で戯れています。
  • すべての生き物を生かす水は、地球で40億年以上もかけて酸素がつくられて、水が生まれました。それから生き物たちが生まれて来たのです。すべての生き物は酸素も水も、それなしには存在できません。この地に生きるすべてのものを生かすために、神はこの地上の気の遠くなるような時間をかけて舞台設定をなされました。このことを思う時、神の「麗しさ」(beauty)に驚きを感ぜずにはいられません。一滴の雫さえも、霧も、一つの川も、すべて神の麗しい作品であり、それがいのちを与え保つのです。
  • ダビデという人は、「ただひとつのこと」を求めましたが、それは主の家に住んで主の「麗しさ」を仰ぎ見、思いにふける(瞑想する)ためでした。主の麗しさ(beauty)は、自然界、宇宙の中に満ち満ちています。それは神と人との永遠のかかわりを築こうとするあらゆる面での美しさを啓示しています。自然界における神の恩寵だけでなく、神の民に対する神の恩寵の表象として、預言者イザヤは背いた神の民に対して、「水を注ぐ」、「荒野に水をわき出させ、荒地に川を流して飲ませる」と語っています(イザヤ27:2~3, 43:20)。

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こんばんわ。
昨日は母の日。日頃の感謝をあらわす日になったでしょうか?



では、今日も勝手にワーシップタイムをおおくりしますね。



こんな話から。
プロジェクトXで知ってるだろうか?
「 地上の星 」
名もない無名に等しい光が地上で輝いてる。


旧約聖書の中にも、輝いてる素敵な箇所がある。その一つがルツ記では。だって。


ココでの登場人物はナオミ。
そして、その息子嫁のモアブの地で生まれたルツさん。



紀元前1100年より
少し前、その時代はこんな時代だった。
。。。。。。。。。。


jud21:25 そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた。
。。。。。。。。。。




よーするに、自分が思うがまま好き勝手に生活してた時代なのかな?

この時代、
何か今と同じような時代みたい。なんか、そ~思いません?




モアブの地。
不作の時代が続き、イスラエルから2
00キロ離れた地へ夫と息子たちと共に旅をした。
息子たちは其処で結婚したが、夫とそして子供を失ったナオミは、再び祖国イスラエルに帰る事を決めた後、夫の嫁を田舎に帰るよう促す。



そこがこんな箇所。
。。。。。。。。。。


rut1:8 そのうちに、ナオミはふたりの嫁に、「あなたがたは、それぞれ自分の母の家へ帰りなさい。あなたがたが、なくなった者たちと私にしてくれたように、主があなたがたに恵みを賜わり、
rut1:9 あなたがたが、それぞれ夫の家で平和な暮らしができるように主がしてくださいますように。」と言った。そしてふたりに口づけしたので、彼女たちは声をあげて泣いた。
rut1:10 ふたりはナオミに言った。「いいえ。私たちは、あなたの民のところへあなたといっしょに帰ります。」
rut1:11 しかしナオミは言った。「帰りなさい。娘たち。なぜ私といっしょ
に行こうとするのですか。あなたがたの夫になるような息子たちが、まだ、私のお腹にいるとでもいうのですか。
rut1:12 帰りなさい。娘たち。さあ、行きなさい。私は年をとって、もう夫は持てません。たとい私が、自分には望みがあると思って、今晩でも夫を持ち、息子たちを産んだとしても、
rut1:13 それだから、あなたがたは息子たちの成人するまで待とうというのですか。だから、あなたがたは夫を持たないままでいるというのですか。娘たち。それはいけません。私をひどく苦しませるだけです。主の御手が私に下ったのですから。」
rut1:14 彼女たちはまた声をあげて泣き、オルパはしゅうとめに別れの口づけをしたが、ルツは彼女にすがりついていた。
rut1:15 ナオミは言った。「ご覧なさい。あなたの弟嫁は、自分の民とその神のところへ帰って行きました。あなたも弟嫁にならって帰り
なさい。」
rut1:16 ルツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」
rut1:17 あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」
rut1:18 ナオミは、ルツが自分といっしょに行こうと堅く決心しているのを見ると、もうそれ以上は何も言わなかった。
。。。。。。。。。。



ナオミ=その名前の意味は
快い、爽快、爽やかという意味。



田舎に戻った時
苦しみと云う意味の「マラ」と呼んでと云われていた。それは、相当の苦しみを受けていたから。




そんなナオミについて行くルツさんは、どんなんでしょ
うね。
何故、苦しみの中にあるナオミに何故ついて行くのか?



見てたんですよね。
きっと。


主人に対するそして、息子たちに対する姿勢を。そして、神様に対する姿勢を見ていて、応えられる神様との関係を見ていたから、いくら苦しみを与えられている状況でさえも、その背後で働かれる神様の素晴らしさをナオミの生活の中で見出したからなのかもしれない。。






多くの家庭は
お父さんよりもお母さんの方が重要だと云われる。お父さんがいたとしても子供達が外から帰ると、お母さん!という声が必ず初めに聞かれる。
何故か?自分の事をおいて、家族の為にまず時間・労力を使うからなのかも。



お母さんという存在は、ホンマに素晴らしいですね。




ナオミとルツは、イスラエルに戻った時、仕事は落ち穂拾いしかなかった。
稲穂を収穫する際、落ちた穂は貧しい人が拾い生活する為のモノであ
って、その穂は落とした者は拾ってはならないとされていた。



ルツが行ってた畑は、実はナオミの亡くなった元夫の親戚ボアズの畑だった。



後にこのボアズとルツさんは結婚する事になる。ナオミの苦しみの中に希望の神様を見てイスラエルについてきたルツさんは、子供を産みその名をオベデと名付けた。

このオベデは、エッサイの父で、このエッサイの子にあのダビデ王が誕生する事になる。





凄くない?


ルツは、苦しみの中にいるナオミの背後に素敵な神様を知った。


。。。。。。。。。。


rom8:28★神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
。。。。。。。。。。






神様は知ってます。


周りがどんなに勝手気ままに生きていても、どんな状況でも神様を大切にしているかを。


そして、
神様がどんな苦しみ、不条理だと思える時でさえも、それをも益になるように変えて下さる。




どんな時でも大丈夫。
僕らもナオミさんの様に、サタンの囁きに従い自分勝手に生きる事を選ばず、創られた素敵な自分自身を知り、創られた神様と共に生きる事を選ぶ事が出来る。



与えられた自分自身を知り、創られた神様の愛を知るとき、
僕らは初めて自分自身をも受け入れ愛し、神様を愛する事が出来る様になるに違いない。
自分自身への愛を感じた時、同じ様に創られた隣人をも愛しておられる神様を知り、神様と同じ様に僕らも隣人を愛する事ができる様になる。



。。。。。。。。。。


mat22:36★ 「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」
mat22:37 そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を
愛せよ。』
mat22:38 これがたいせつな第一の戒めです。
mat22:39 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。
mat22:40 律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」
。。。。。。。。。。



この戒めは
何故、神様は一番に大切にされたのだろうか?



それは、この世はサタンが支配して、人がその囁きに従ってるからだよねぇ。
僕らは知らず知らずのウチに流されて行く。ナオミさんの時代の人達の様に。




どんな状況でも、本気で愛し支えられる神様を知る事で、サタンの囁きに従う事から解放される。
ナオミさんの様に。


僕らの苦しみが喜びに変わる時がくる。愛を意識する事で。


今週も神様が備えられた素敵な一週間。
愛を感じながら、過ごす事ができます様に。
祈ってます。

。。。。。。。。。。

 

【詩篇103篇】o19  ダビデによる


psm103:1 わがたましいよ 。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名 をほめたたえよ。

psm103:2 わがたましいよ 。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

psm103:3  主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、

psm103:4  あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、

psm103:5  あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。

psm103:6  主はすべてしいたげられている人々のために、正義とさばきを行なわれる。

psm103:7  主は、ご自身の道をモーセに、そのみわざをイスラエルの子らに知らされた。

psm103:8  主は、あわれみ深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊かである。

psm103:9  主は、絶えず争ってはおられない。いつまでも 、怒ってはおられない。

psm103:10  私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。

psm103:11  天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。

psm103:12  東が西から 遠く離れているように、私たちのそむきの罪 を私たちから遠く離される。

psm103:13  父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。

psm103:14  主は、私たちの成り立ち を知り、私たちがちりにすぎないことを心に留めておられる。

psm103:15  人の日は、草のよう 。野の花のように咲く。

psm103:16  風がそこを過ぎると、それは、もはやない。その場所すら、それを、知らない。

psm103:17  しかし、主の恵みは、とこしえから、とこしえまで、主を恐れる者の上にある。主の義はその子らの子に及び、

psm103:18  主の契約を守る者、その戒めを心に留めて、行なう者に及ぶ。

psm103:19  主は天にその王座を堅く立て、その王国はすべてを統べ治め る。

psm103:20  主をほめたたえよ。御使いたちよ。みことばの声に聞き従い、みことばを行なう力ある勇士たち よ。

psm103:21  主をほめたたえよ。主のすべての軍勢よ。みこころを行ない、主に仕える者たち よ。

psm103:22  主をほめたたえよ。すべて造られたものたちよ。主の治められるすべての所で。わがたましいよ 。主をほめたたえよ。


 

。。。。。。。。。。


おはようございます。

先週一週間は結構踏ん張らないと休み明けで大変だった方も多かったのでは・・・。

今週はどんな1週間が待ってるのでしょうね。

この1週間の延長上に僕らは見るけど、神様の計画だけに目を向けて期待できたらイイデスネ。


今日のダビデさんの様に。

では、早速、僕の心に留まった言葉を。

psm103:13  父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。



そして

psm103:22  主をほめたたえよ。すべて造られたものたちよ。主の治められるすべての所で。わがたましいよ 。主をほめたたえよ。



ダビデさんの詩では、何度も何度もありますね。

この言葉

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。」




それほど、コントロールし難いものだったという事なんすよね。

  オサライ:

  人は肉体・魂・霊によって成り立っていて、

  神様を信じたときに与えられる霊(永遠の命)によって僕らは肉体・魂を管理する事が出来る。



環境・時間に制限された肉体・そしてその中に存在する魂は

目に見えるもの、今まで経験したものに目を向ける事しか出来ない。


でも、

神様が与えられる (本来は在ったもの:アダムとイブがサタンに従う前は) 霊は、神様と同様何にも拘束されない神様と繋がっているモノだから、僕らは肉体・魂(心)を管理コントロールする事が出来る。




ダビデさんは、

それを知りながらもそれに従わない心をズレないよう管理している。




この詩篇103編には、

僕が辛い時、本当に助けられたモノだった。

本当は赤を全部塗ってしまうところだったけど、真っ赤は変だったので此処だけに絞った。



僕なんか、も~大変。

何度もコントロールできない、心をこの言葉で打ち消すのに必死で闘った事を思い出す。





心は絶望を求めて、其処にしか安らぎが見出せなかった時代があった。

不思議な事に将来の希望を思い浮かべる事が一番辛かった。

そんな確証は直ぐに打ち消されるという強迫観念に支配されていたからね。


絶望こそが落ち着く・・・。

諦めの境地だよね。




でもね・・今、そんな環境に居ても大丈夫。

ダビデさんのように神様の実際を告白する事で、僕らはサタンの支配から神様の支配に移るから。


一緒にこの詩篇を

自分の言葉として発してみませんか?





どんなに辛い状況でも

僕らはいつでも神様の領域に移ることができ、不思議な平安を体験するから。



制限された肉体・心によって知る自分だけが自分だと思わないように。

僕らは、神様によって創られた特別な一人一人なんだから。


僕らはサタンの支配下で力を失う必要は無い。





今週も素敵に生かされましょうね。



あ・・・

いつもの解説。今日のは特別にイイよ~。

神様の僕らへの愛が、どんなに本気か解るはず。


是非下の記事も読んでみてくださいね。

では。  ↓↓


・・・・・・・・・・

http://meigata-bokushinoshosai.info/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs103


〔カテゴリー愛顧〕

13節「父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。」 (新改訳)

Keyword;「あわれむ」  have compassion,    18:1/102:1/103:13, 13/116:5

  • 「あわれむ」と訳されたラーハムרָחַם(racham)は、旧約で47回、詩篇では5回です。詩103篇では13節に2回使われています。4節「恵みとあわれみの冠をかぶらせ」では名詞のラハミームרַחֲמִים(rachamiym)-他に、25:6/40:11/51:1/69:16/77:9/79:8/106:46/119:77,156/145:9が、8節の「主は、あわれみ深く」では形容詞のラフ―ムרַחוּם(rachum)ー他に、78:38/86:15/111:4/112:4/145:8―が使われています。ラーハムרָחַם(racham)は、イザヤ書とエレミヤ書の特愛用語です。
  • このラーハムרָחַםは、実は、神の深いふところにある思いと密接なつながりをもっています。預言者エレミヤはこの動詞を31:20で次のように使っています。「わたしのはらわたは、彼のためにわななき(ハーマーהָמָה)、わたしは彼をあわれま(ラーハムרָחַם)れずにはいられない。」(新改訳)、「わななき」と訳されたハーマーהָמָה(hamah)は、新共同訳では「胸は高鳴り」と訳されています。このハーマーの本来の意味は、水や海が「騒ぎ立つ」「鳴り響く」ことであり、それが人間に使われると「思い乱れる」「打ち悩む」「思い悩む」「呻く」「呻吟する」という意味になります。それが神に使われると、はらわたが「わななき」「胸は高鳴り」と訳されますが、関根訳では「しきりに動き」、文語訳では「痛む」と訳されています。
  • 日本の神学者、北森嘉蔵師はこのハーマーהָמָהということばにこだわり、調べていくうちに神の福音の真髄に触れるものとだと気づき、「神の痛みの神学」を樹立させました。彼はこう述べています。
    「エレミヤ記31:20の中に一つの異常な言葉を見出して以来、私は昼も夜もこの言葉をを考えつづけてきた。それは私にとっては文字通り異常な言葉であった。その語この言葉がイザヤ書63・15と関係をもつことを知るや、私はこの言葉の担う秘義にいよいよ深き驚きをもつに至った。」(北森嘉蔵著『神の痛みの神学』、233頁、講談社、1972)
  • つまり、神の「あわれみ」は、神のはらわたの痛みを伴う愛であることに気づかされたというわけです。神の愛を知った者がそれを裏切る、にもかかわらず、その者とどこまでも愛のかかわりを持とうとすることは、当然、痛みを伴います。その神の痛みはやがてイエス・キリストの十字架において、究極的な形で現わされました。神の痛みに裏付けられた神の愛(あわれみ)―それに気づかされることが、真の「主を恐れる者」と言えるのかもしれません。このように、一つのことばにこだわり、それを詳しく調べることで福音の真髄に触れる鉱脈を発見したことは、神を知ることを求める者にとって大切な学び方のなのだと教えられます。

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