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【詩篇105篇】o19
psm105:1 主に感謝して、御名を呼び求めよ。そのみわざを国々の民の中に知らせよ。
psm105:2 主に歌え。主にほめ歌を歌え。そのすべての奇しいみわざに思いを潜めよ。
psm105:3★主の聖なる名を誇りとせよ。主を慕い求める者の心を喜ばせよ。
psm105:4 主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。
psm105:5 主が行なわれた奇しいみわざを思い起こせ。その奇蹟と御口のさばきとを。
psm105:6 主のしもべアブラハムのすえよ。主に選ばれた者、ヤコブの子らよ。
psm105:7 この方こそ、われらの神、主。そのさばきは全地にわたる。
psm105:8 主は、ご自分の契約をとこしえに覚えておられる。お命じになったみことばは千代にも及ぶ。
psm105:9 その契約はアブラハムと結んだもの、イサクへの誓い。
psm105:10 主はヤコブのためにそれをおきてとして立て、イスラエルに対する永遠の契約とされた。
psm105:11 そのとき主は仰せられた。「わたしはあなたがたの相続地としてあなたに、カナンの地を与える。」
psm105:12 そのころ彼らの数は少なかった。まことにわずかで、そのうえそこでは、寄留の他国人であった。
psm105:13 彼らは、国から国へ、一つの王国から他の民へと渡り歩いた。
psm105:14 しかし主は、だれにも彼らをしいたげさせず、かえって、彼らのために王たちを責められた。
psm105:15 「わたしの油そそがれた者たちに触れるな。わたしの預言者たちに危害を加えるな。」
psm105:16 こうして主はききんを地の上に招き、パンのための棒をことごとく折られた。
psm105:17 主はひとりの人を彼らにさきがけて送られた。ヨセフが奴隷に売られたのだ。
psm105:18 彼らは足かせで、ヨセフの足を悩まし、ヨセフは鉄のかせの中にはいった。
psm105:19 彼のことばがそのとおりになる時まで、主のことばは彼をためした。
psm105:20 王は人をやってヨセフを解放し、国々の民の支配者が、彼を自由にした。
psm105:21 王はヨセフを自分の家のかしらとし、自分の全財産の支配者とした。
psm105:22 これはヨセフが意のままに王の高官を縛り、王の長老たちに知恵を与えるためだった。
psm105:23 イスラエルもエジプトに行き、ヤコブはハムの地に寄留した。
psm105:24 主はその民を大いにふやし、彼らの敵よりも強くされた。
psm105:25 主は人々の心を変えて、御民を憎ませ、彼らに主のしもべたちを、ずるくあしらわせた。
psm105:26 主は、そのしもべモーセと、主が選んだアロンを遣わされた。
psm105:27 彼らは人々の間で、主の数々のしるしを行ない、ハムの地で、もろもろの奇蹟を行なった。
psm105:28 主はやみを送って、暗くされた。彼らは主のことばに逆らわなかった。
psm105:29 主は人々の水を血に変わらせ、彼らの魚を死なせた。
psm105:30 彼らの地に、かえるが群がった。王族たちの奥の間にまで。
psm105:31 主が命じられると、あぶの群れが来た。ぶよが彼らの国中にはいった。
psm105:32 主は雨にかえて雹を彼らに降らせ、燃える火を彼らの地に下された。
psm105:33 主は彼らのぶどうの木と、いちじくの木を打ち、彼らの国の木を砕かれた。
psm105:34 主が命じられると、いなごが来た。若いいなごで、数知れず、
psm105:35 それが彼らの国の青物を食い尽くし、彼らの地の果実を食い尽くした。
psm105:36 主は彼らの国の初子をことごとく打たれた。彼らのすべての力の初めを。
psm105:37 主は銀と金とを持たせて御民を連れ出された。その部族の中でよろける者はひとりもなかった。
psm105:38 エジプトは彼らが出たときに喜んだ。エジプトに彼らへの恐れが生じたからだ。
psm105:39 主は、雲を広げて仕切りの幕とし、夜には火を与えて照らされた。
psm105:40 民が願い求めると、主はうずらをもたらし、また、天からのパンで彼らを満ち足らわせた。
psm105:41 主が岩を開かれると、水がほとばしり出た。水は砂漠を川となって流れた。
psm105:42 これは主が、そのしもべアブラハムへの聖なることばを、覚えておられたからである。
psm105:43 主は御民を喜びのうちに連れ出された。その選ばれた民を喜びの叫びのうちに。
psm105:44 主は、彼らに国々の地を与えられた。彼らが国々の民の労苦の実を自分の所有とするために。
psm105:45 これは、彼らが主のおきてを守り、そのみおしえを守るためである。ハレルヤ。
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おはようございます。
今日は日本全国で雨予報ですね。
きっと地を潤す必要があるんですよね。自然の中に神様の思いは隠されてると思うから。
きっと、今日も素敵な一日。
では、早速。
今日僕の心に留まった言葉はコレ。
psm105:2 主に歌え。主にほめ歌を歌え。そのすべての奇しいみわざに思いを潜めよ。
全ての奇しいみわざに思いを潜めよ。
それが、理解できるか出来ないかを問うてるのではなく、思いを潜めて見つめてねって事。
例えば、今日の雨もそうなのかも。
きっと、この背後にも素敵な計画がある。
もし、そうでなくても、その背後には全てを益とする計画が隠されているんだから。
rom8:28★神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
だって、僕らは気付いていなくても
本気の愛で僕らを支えてくれているんだから。ね。
psm105:8 主は、ご自分の契約をとこしえに覚えておられる。お命じになったみことばは千代にも及ぶ。
psm105:9 その契約はアブラハムと結んだもの、イサクへの誓い。
psm105:10 主はヤコブのためにそれをおきてとして立て、イスラエルに対する永遠の契約とされた。
この言葉の背後は下記の説明がものすごく役に立つから、是非見てください。
僕が云いたいのは
ここで、記された契約っていうのは、時を超えて支配される神様が結ばれた契約で僕らのものでもあるって事。
その本気の愛でジーザスは僕らの為に十字架にかかられたんだから。
神様は嘘をつく事ができない。
契約を守られる神様だ。
例え、あなたが怖ろしいサタンの用意した選択を選んで
取り返しのつかない事をやっちゃったとしても・・・だ。
神様は約束を守られる方。
だから、ダビデさんと一緒に
神様がされた一つ一つのことを思いながら、告白してみませんか?
言葉に出す事は、簡単なようだけど中々難しい。
だって、
それで真実の領域に僕らが入る事を嫌うサタンが阻んでるからね。
負けないで
神様の奇しいみわざに思いを潜めながら、口に出して「賛美」していきましょう。
神様を信じているなら大丈夫。
僕らにはその時に、聖霊(永遠の命)が与えられていて、僕らは既に神様と繋がってるんだから。
今日も神様が用意された素敵な一日。
感情に支配されないで、一つ一つ神様の素敵な出会いを数えて過ごせますように。
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?ブログ
8節「主は、ご自分の契約をとこしえに覚えておられる。」(新改訳)
8節「主はとこしえに契約を御心に留められる。」(新共同訳)
Keyword;「覚える、御心を留める」 remember, be mindful of
8:4/9:12/78:39/105:8, 42/115:12
神の恩寵としてのザーハルזָכַר(zakhar)は、詩103篇14節のように、主が、私たちの成り立ちを知り、私たちがちりにすぎないことを「心に留めておられる。」という顧みの恩寵と、詩105篇8節、42節のように、イスラエルの民に対するご自分の契約やことばを決して忘れることなく、とこしえに「覚えておられる」「思い起こす」という記憶の恩寵があります。それゆえ、私たちに対しても神は、ご自身がなされた奇しいわざを「思い起こす」ように求められます。とはいえ、イスラエルの歴史の真実は、神の恵みを思い出すことなく、心に留めることもなく、忘恩の罪を犯し続けました。「歴史化された詩篇」にはいつもそのような構図が見られます。たとえば、詩篇78篇、106篇などはそうです。
神の恩寵としてのザーハルזָכַר(zakhar)が聖書で最初に登場するのは、創世記8章1節です。神は、ノアと、箱舟の中に彼といっしよにいたすべての獣や、すべての家畜とを心に留めておられた。」、そして、神はノアに契約を立てて言いました。「あなたがたと、そしてあなたがたの後の子孫と、またすべての生き物は、もはや大洪水の水によって滅ぼすようなことはない。」(同、9:9~15)と約束されました。そのしるしとして「虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神とすべての生き物、地上のすべての肉なるものとの間の永遠の契約を思い出そう(זָכַר)。」(同、9:16)と約束されました。
エレミヤ書の31章20節はこの書の心臓部ーこの章を除いてほとんどが「神の怒り」の宣言で終始していますが、その神の怒りが全く姿を消して、神の愛のみが支配しているのはこの31章のみーです。そこにはこう記されています。
「エフライムは、私の大事な子なのだろうか。それとも、喜びの子なのだろうか。わたしは彼のことを語るたびに、いつも必ず彼のことを思い出す(זָכַר)。それゆえ、わたしのはらわたは彼のためにわななき、わたし彼をあわれまずにはいられない。」
「わたしのはらわたは彼のためにわななき」と訳された箇所を文語訳では「我が腸はかれの為に痛む」と訳されています。「わななく」「痛む」の原語はハーマーהָמָה(hamah)です。ハーマーの原義は「鳴り響く」です。海のどよめき、獣の声、群衆の騒音等に用いられますが、人的状態に用いられる時は「嘆き、呻く」「心が乱れる」「立ち騒ぎ」「思い乱れる」の意味になります。そしてこの言葉が神の心的状態について用いられる時は「はらわたが痛む」となります。この神の痛みに基づく愛こそイエス・キリストの十字架の愛です。このような愛に基づいて、神は私たちを心に留め、約束を覚えておられるのです。
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9,10節「その契約はアブラハムと結んだもの、・・イスラエルに対する永遠の契約とされた。」(新改訳)
Keyword;「結ぶ」 make a covenant with 50:5/89:3/
主がアブラハムと結んだ契約は、「永遠の契約」(10節)とも、「聖なることば」(42節)とも言われます。「結ぶ」と訳されたヘブル語は「カーラト」כָּרַת(karath)です。「カーラト」כָּרַתは、旧約で288回、詩篇では14回使われています。この動詞は、本来、「切る、切り取る、切り離す、切り分ける」という意味です。なぜその反対の意味である「結ぶ」という意味になるのか、とても不思議です。これには当時の契約についての理解が必要です。
主がアブラハムとはじめて契約を結ぶときにも、当時の風習だったと思われますが、アブラハムは雌牛と雌山羊を二つに切り裂きました。それはその間を通ることによって、もし約束(契約)を破るなら、このように二つに切り裂かれても、滅ぼされても文句はいえませんという同意を表わすためであったようです。日本でも子ども同士が約束を交わすときに、「嘘ついたら針千本飲ます」と言って指切りをします。それほどに約束事を守ることは重要視されたのです。主なる神とアブラハムの場合、動物を切り裂いた後に、眠気がアブラハムを襲います。本来は両者が通おることで成り立つ約束が、ここでは主なる神だけが通ったのです。アブラハムは眠っていたのです。
つまり、神がアブラハムと交わした契約は、神だけが通ったいわば一方的な契約なのです。それは、神の民がシナイ山のふもとで神と交わした双方の合意に基づく「モーセ契約」とは異なります。イスラエルの歴史において、神と民とのかかわりが危機的な状況に陥ったときに、必ず、登場するのがアブラハムと交わした契約です。この契約は、バビロン捕囚となった神の民、また新約時代の初代教会においても、また1948年のイスラエル建国以来のメシアニック・ジューの人々を通して、たびたびクローズアップされています。なぜなら、この「アブラハム契約」は決して無効にされることはありません。使徒パウロは「イスラエルに対する神の賜物と召命とは変わることがありません。」(ローマ11:29)と述べています。やがてはキリスト再臨後の千年王国において、イスラエルの民(ユダヤ人)は民族的に救われ、アブラハムの契約が実現します。ユダヤ人たちはこの「千年王国」を天国と考えているのです。
詩篇105篇が、おそらくバビロン捕囚経験の中で、「シナイ契約」とは別のサイトである「アブラハム契約」があることに気づき、その契約を土台として自らの信仰的危機を乗り越えたことはすばらしいことと言えます。キリストにある異邦人である私たちはもこのアブラハム契約に接ぎ木されていることを覚えて感謝するだけでなく、その契約の中に生かされていく者でありたいと思います。
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