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【詩篇109篇】o19 指揮者のために。ダビデの賛歌
psm109:1 私の賛美する神よ。黙っていないで ください。
psm109:2 彼らは邪悪な口と、欺きの口を、私に向けて開き、偽りの舌をもって、私に語ったからです。
psm109:3 彼らはまた、憎しみのことばで私を取り囲み、ゆえもなく私と戦いました。
psm109:4 彼らは、私の愛への報いとして私をなじります。私は祈るばかりです。
psm109:5 彼らは、善にかえて悪を、私の愛にかえて憎しみを、私に報いました。
psm109:6 どうか、悪者を彼に遣わしてください。なじる者が彼の右に立つようにしてください。
psm109:7 彼がさばかれるとき、彼は罪ある者とされ、その祈りが罪となりますように。
psm109:8 彼の日はわずかとなり、彼の仕事は他人が取り、
psm109:9 その子らはみなしごとなり、彼の妻はやもめとなりますように。
psm109:10 彼の子らは、さまよい歩いて、物ごいをしますように。その荒れ果てた家から離れて、物ごいをしますように。
psm109:11 債権者が、彼のすべての持ち物を没収し、見知らぬ者が、その勤労の実をかすめますように。
psm109:12 彼には恵みを注ぐ者もなく、そのみなしごをあわれむ者もいませんように。
psm109:13 その子孫は断ち切られ、次の世代には彼らの名が消し去られますように。
psm109:14 彼の父たちの咎が、主に覚えられ、その母の罪が消し去られませんように。
psm109:15 それらがいつも主の御前にあり、主が彼らの記憶を 地から消されますように。
psm109:16 それは、彼が愛のわざを行なうことに心を留めず、むしろ、悩む者、貧しい人、心ひしがれた者を追いつめ、殺そうとしたからです。
psm109:17 彼はまたのろうことを愛したので、それが自分に返って来ました。祝福することを喜ばなかったので、それは彼から遠く離れました。
psm109:18 彼はおのれの衣のようにのろいを身にまといました。それは水のように彼の内臓へ、油のように、その骨々にしみ込みました。
psm109:19 それが彼の着る着物となり、いつも、締めている帯となりますように。
psm109:20 このことが、私をなじる者や私のたましいについて悪口を言う者への、主からの刑罰 でありますように。
psm109:21 しかし、私の主、神よ。どうかあなたは、御名のために私に優しくしてください。あなたの恵みは、まことに深いのですから、私を救い出してください。
psm109:22 私は悩み、そして貧しく、私の心は、私のうちで傷ついています。
psm109:23 私は、伸びていく夕日の影のように去り行き、いなごのように振り払われます。
psm109:24 私のひざは、断食のためによろけ、私の肉は脂肪がなく、やせ衰えています。
psm109:25 私はまた、彼らのそしりとなり、彼らは私を見て、その頭を振ります。
psm109:26 わが神、主よ。 私を助けてください。あなたの恵みによって、私を救ってください 。
psm109:27 こうして、これがあなたの手であること、主よ、あなたがそれをなされたことを彼らが知りますように。
psm109:28 彼らはのろいましょう。しかし、あなたは祝福してくださいます。彼らは立ち上がると、恥を見ます。しかしあなたのしもべは喜びます。
psm109:29 私をなじる者が侮辱をこうむり、おのれの恥を上着として着ますように。
psm109:30 私は、この口をもって、大いに主に感謝します。私は多くの人々の真中で、賛美します。
psm109:31 主は貧しい者の右に立ち、死刑を宣告する者たちから、彼を救われるからです。
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おはようございます。
今日は午前中お仕事。
皆は休みですけど・・・。どうせ。。どうせ。。
でも、神様はそんなかげと思える所も全て知って報いてくださる方だって云われてるから。
僕、頑張る!!
少しアホになってみました。
では、っ早速ダビデさんの詩篇を。
今日僕の心に留まったのはこんな言葉。
主は貧しい者の右に立ち、死刑を宣告する者たちから、彼を救われるからです。
訳のわからない口撃を受ける事もある。
故意にそう仕向けられる事もたまに感じる時もあるよね。
そんな時、僕らはどう思い、
心で何を選択するだろうか??
「のろい」を選択もしたくなる。
正直、僕もそんな輩に巻き込まれそれを選択し続けた。
psm109:17 彼はまたのろうことを愛したので、それが自分に返って来ました。祝福することを喜ばなかったので、それは彼から遠く離れました。
そう。
ホンマに、その時から心は苦くなり、「祝福」なんて言葉は僕から遠く離れたように感じてた。
のろう事の方が、当然の対価だとは思うけれども。
神様は僕らがそんな事で祝福を逃す事が無いようにって云ってる。
忘れてはいけない事。
それは、
今はサタンが支配してるけど、僕らは神様に創られたってこと。
僕らは神様によって創られた。
サタンの思いに巻き込まれ、のろいを行う人に僕らは巻き込まれる必要はない。
神様は、その不条理な環境にも愛し続けた。
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そんな事云っても
そりゃ~無理やで~!!って思える。
でもね。
僕らは神様によって創られた事を忘れないで。
大丈夫。だって僕らは
「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」
さて、今日も色んな目にあうでしょう。
是非テストしてみませんか?ホンマにこの事ができるのか?
でも、気をつけて。
自分の力でそれを行おうとしても、絶対打ちのめされるから。
『 愛 』そのモノである神様によって、愛さないとね。
「神様、僕の中には愛がありません。どうか。。○○さんを愛させてください。
僕の心にはのろいが溢れますが、僕は愛する事を選びます。
どうぞ僕の身体・心を通して、あなたが○○さんを愛させてください。
あなたがもし、僕自身に働かれるなら、僕は愛する事が出来るはずです。
あなたが僕を通して愛させてくださる力をもっておられるからです。
あなたを信じます。愛を体感させてください。」
そんな祈りをしてみませんか?
では、今日も神様が創られた一日。
隠された素敵を捜しに今日も一緒に出かけましょう。
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28節「彼らはのろいましょう。しかし、あなたは祝福してくださいます。」(新改訳)
28節「彼らはのろうが、わたしにはあなたの祝福があります。」(フランシスコ会訳)
Keyword;「祝福する」 bless 5:12/28:9/29:11/37:22/45:2/67:1/107:38/109:28/
112:2/115:12/118:26/128:4, 5/134:3/
- 詩109篇では「のろい」と「祝福」が対峙する形で登場します。名詞の「のろい」はケララー
קְלַלָה(qelalah)で33回。申命記の特愛用語です(11回)。詩篇では109篇(17, 18節)の2回。一方の「祝福」はベラーカーבְּרָכָה (beraqah)で69回。動詞の「のろう」はカーラル
קָלַל(qalal)で81回。詩篇ではわずかに3回(37:22/62:4/109:28)、「祝福する」のバーラフבָּרַך(barakh)は327回ですがそのうち神に対する賛美の意味ではなく、純粋に神からの恩寵としての「祝福する」という動詞は260回ほどです。
- 「のろい」「のろう」よりも、圧倒的に「祝福」「祝福する」ということばが多いのです。神は本来的に祝福の神なのです。しかし、詩109篇の作者の周りには「のろいを愛する」者(17節)、「のろいを身にまとう」者(18節)たちがいます。彼らのことばは邪悪と欺きであり、憎しみに満ち、「祝福することを喜ばない」(17節)者たちでした。
- 私たちがそのような者たちにのろわれた時、どう受け止めたらよいのでしょうか。その模範となるべき人物は新約においてはイエス・キリストです。ペテロは「キリストは、・・ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。」(Ⅰ ペテロ2章22節)と模範を示し、同時に私たちに対しても「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」と勧告しています。
- 旧約のダビデの模範もあります。彼が自分の息子アブシャロムの反乱によって都落ちしたとき、かつてのサウル一族のひとりシムイが逃亡するダビデに「神がサウルの家のすべての地をおまえに報いたのだ」とさんざん罵り、のろいのことばをはきつづけ、石までも投げつけました。ダビデの部下がシムイの首をはねようとしましたが、ダビデは彼を押しとどめました。ダビデは神がのろうのを許しておられるからだとダビデは受けとめました。つまり、ダビデはそれを神に対する信頼のテストとして受けとめたのでした。
- 自分にのろいのことばが向けられた時、ダビデの模範は大いに役立ちます。案の定、アブシャロムの反乱は失敗に終わり、ダビデは元いたエルサレムに戻りますが、そのときダビデの前にシムイが現われて、自分のしたことを謝罪します。ダビデはなんと彼のしたことを赦したのでした。まさに神からの祝福を存分に受けたダビデは「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」という勧告を先立って実行したことになります。
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