主があらしを静めると、波はないだ。 | へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

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僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

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【詩篇107篇】o19


psm107:1  「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」

psm107:2  主に贖われた者はこのように言え。主は彼らを敵の手から贖い、

psm107:3  彼らを国々から、東から、西から、北から、南から、集められた。

psm107:4  彼らは荒野や荒れ地をさまよい、住むべき町へ行く道を見つけなかった。

psm107:5  飢えと渇きに彼らのたましいは衰え果てた。

psm107:6  この苦しみのとき に、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救い出された。

psm107:7  また彼らをまっすぐな道に導き、住むべき町へ行かせられた。

psm107:8  彼らは、主の恵みと、人の子らへの奇しいわざを主に感謝せよ。

psm107:9 まことに主は渇いたたましい を満ち足らせ、飢えたたましいを良いもので満たされた。

psm107:10  やみと死の陰 に座す者、悩みと鉄のかせとに縛られている者、

psm107:11  彼らは、神のことばに逆らい、いと高き方 のさとしを侮ったのである。

psm107:12  それゆえ主は苦役をもって彼らの心を低くされた。彼らはよろけたが、だれも助けなかった。

psm107:13  この苦しみのとき に、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救われた。

psm107:14  主は彼らをやみと死の陰から連れ出し、彼らのかせを打ち砕かれた。

psm107:15  彼らは、主の恵みと、人の子らへの奇しいわざを主に感謝せよ。

psm107:16  まことに主は青銅のとびらを打ち砕き、鉄のかんぬきを粉々に砕かれた。

psm107:17  愚か者は、自分のそむきの道のため、また、その咎のために悩んだ。

psm107:18  彼らのたましいは、あらゆる食物を忌みきらい 、彼らは死の門にまで着いていた。

psm107:19  この苦しみのとき に、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救われた。

psm107:20  主はみことばを送って彼らをいやし、その滅びの穴から彼らを助け出された。

psm107:21  彼らは、主の恵みと、人の子らへの奇しいわざを主に感謝せよ。

psm107:22  彼らは、感謝のいけにえをささげ、喜び叫びながら主のみわざを語れ。

psm107:23  船に乗って海に出る者、大海であきないする者、

psm107:24  彼らは主のみわざを見、深い海でその奇しいわざを見た。

psm107:25  主が命じてあらしを起こすと、風が波を高くした。

psm107:26  彼らは天に上り、深みに下り、そのたましいはみじめにも、溶け去った。

psm107:27  彼らは酔った人のようによろめき、ふらついて分別が乱れた。

psm107:28  この苦しみのとき に、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から連れ出された。

psm107:29  主があらしを静めると、波はないだ。

psm107:30  波がないだので彼らは喜んだ。そして主は、彼らをその望む に導かれた。

psm107:31  彼らは、主の恵みと、人の子らへの奇しいわざを主に感謝せよ。

psm107:32  また、主を民の集会であがめ、長老たちの座で、主を賛美せよ。

psm107:33  主は川を荒野に、水のわき上がる所を潤いのない地に、

psm107:34  肥沃な地を上毛の地に変えられる。その住民の悪のために。

psm107:35  主は荒野を水のある沢に、砂漠の地を水のわき上がる所に変え、

psm107:36  そこに飢えた者を住まわせる。彼らは住むべき町を堅く建て、

psm107:37  畑に種を蒔き、ぶどう畑を作り、豊かな実りを得る。

psm107:38  主が祝福されると、彼らは大いにふえ、主はその家畜を減らされない。

psm107:39  彼らが、しいたげとわざわいと悲しみによって、数が減り、またうなだれるとき、

psm107:40  主は君主たちをさげすみ、道なき荒れ地に彼らをさまよわせる。

psm107:41  しかし、貧しい者を悩みから高く上げ、その一族を羊の群れのようにされる。

psm107:42  直ぐな人はそれを見て喜び、不正な者 はすべてその口を閉じる。

psm107:43  知恵のある者はだれか。その者はこれらのことに心を留め、主の恵みを悟れ。

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おはようございます。

昨日の誕生日はFacebookが故の不思議な一日でした。

ネットで繋がってる世界はときと場所を超えて、色んな人と出会いを与えてくれました。感謝です。

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では、今日も早速僕の心に留まった言葉を。

psm107:29  主があらしを静めると、波はないだ。

psm107:30  波がないだので彼らは喜んだ。そして主は、彼らをその望む に導かれた。





僕らは信仰という言葉を使って、あの人の信仰は凄いやら弱いやらと判断していく。

でもね。

信仰が大きい人、小さい人ってホンマにあるん?

こんな言葉の意味どう捉えますか?

 

mat13:31 イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は からし種 のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、

mat13:32  どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」




ここで「からし種」といわれているこの種の大きさは、すったゴマか?と思わせるくらい小さいものだ。

このからし種ほど信仰があればイイんだとジーザスは此処で語られている。


ん なら、

信仰ってものの捉え方がおかしいんじゃないの?って事になる。





僕は単純に

「もし、神様が働かれるなら(動かれるとしたら)」って事だと思う。

psm107:29  主があらしを静めると、波はないだ。



もし、神様が動かれるならば、嵐を鎮めることは訳は無い。

その思いが将来に向けて、神様が用意されるものへと繋いでくれる。


『 もし 』 って事で、神様の働きを創造する事で僕らは神様の領域の中に入る助けを受けるのかも。

『 もし 』 が無ければ、今の延長上の将来を創造するしか僕らは出来ないだろうからね。

僕らは、神様の用意される将来を受け取ることが出来る。

その『 もし 』 っていう信仰によって。。



そして主は、彼らをその望む に導かれた。

神様は、僕らが望む港に導きたい。本気で僕らを助けて豊かになって欲しいと考えてくれている。





僕らはそんな愛に包まれている。

だから、今見える現状から将来を創造するんじゃなく、

『 もし、神様が働いてくださるのだったら・・・ 』 って将来を創造してみませんか?



その神様は僕らの為にいつも耳を傾けてくださっているんだから。





大丈夫。

僕らはどんなに問題の最中に居ても、僕らの力強い神様は僕らに関わって下さるんだから。



今日も神様の用意された素敵な一日。

隠された素敵を捜しに一緒に出かけましょう。『もし、神様が・・・』って言葉を携えて。



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http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs107

20節「主は・・その滅びの穴から彼らを助け出された。」 (新改訳)
20節「主は・・破滅から彼らを救い出された。」(新共同訳)

Keyword;「助け出す、救い出す」 deliver, save  
22:5/33:17/41:1/89:48/107:20/116:4/124:7, 7

  • 「助け出す」「救い出す」と訳された救出用語のマーラトמָלַט(malat)は、旧約で95回、詩篇では8回とそれほど多くはありませんが、いずれも、人の力を越えた大きな力、死とよみの恐怖、滅びの穴、破滅のわなから「救い出す」といった意味です。詩107篇では「滅びの穴から」(新改訳)、「破滅から」(新共同訳)、「死の病」(典礼訳)から救い出されたことが記されています。
  • 神はご自身の恵みを私たちに示すために、人間の力では救い出せない状況へと追い込まれることがあります。それは私たちを神の救い出しを経験させるためです。かつての出エジプトにおいても、神がエジプトの王パロの心をかたくなにさせました。それは神の力を示すためにほかなりませんでした。さすらいの経験、飢え渇きの経験、束縛の経験、先の見えない行き詰まりの経験、不条理な闇、失敗、挫折、敗北がもたらす苦悩、煩悶、患難、労苦、そうしたすべてが神にしかなしえない救出へと向けられているのです。
  • 詩107篇にはマーラトמָלַט(malat)の他に救出用語が三つあります。6節の「救い出す」と訳されたナーツァルנָצַל(natsal)、13,19節の「救う」と訳されたヤーシャーיָשַׁע(yasha`)、そして14, 28節の「連れ出す」と訳されたヤーツァーיָצָא(yatsa’)です。

◆これまで自分の信仰生活の歩みを振り返る時、何度か大きな信仰の危機を通りました。神の道よりも自分の道を優先したために完全に先が見えない状況に陥りました。その「苦しみ」の中で涙ながらに主に叫び求めました。そして神中心の生活が始まり、献身の道へと導かれました。それから14年後(開拓伝道から3年目)にして完全に行き詰まりました。 ある集会で祈ってもらっていた時、主が私の魂の渇きを知っておられることに気づかされ、新しい霊の流れが私の内に注がれはじめました。それから10年後、主の前に大きな罪を犯し、悔い改めた後、自分の信仰をリセットすべく完全に神の「隠れ場」に5年間隠されました。そして今に至っています。その間にも、さまざまな信仰のアップ・ダウンを繰り返しながら、その都度、神に向かって叫び、神はその叫びを聞いてくださり、そこから救い出して下さいました。私が今、立つことができているのは、ただただ神の恵みのゆえなのです。

  • 詩107篇の作者が「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深く、その恵みはとこしえまで。」と呼びかけているように、私も自分のたましい向かって呼びかけ続けています。
  • 「主の恵みと、私への奇しいわざを主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深く、その恵みはとこしえまで。」と。

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