へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy -4ページ目

へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

一日遅れですが、勝手にワーシップタイムをおおくりしますね。


今日は結構有名な箇所。

ジーザスが、自分の事を 「 私は世の光 」 やって言いはった箇所。

話の前に少し考えて見ましょう。


「 光 」とはどんな効果があると思われますか?

光 は 暗闇 を照らしますね。

暗闇 = 罪 を明らかにするという意味があるようですよー。




ではお話を。

実はこの話の前に、ある有名な場面があった。

それは姦淫をした女性が裁かれるという場面。


ここでの主な登場人物は

・姦淫をした女性

・ジーザス

・パリサイ人・律法学者


さて、この時ジーザスの人気はガンガン。

当時バイブルの内容から外れてコトゴトク批判されて立場を失いかけようかしていたパリサイ人・律法学者は一緒になって、ジーザスを訴える口実を探して策をねっていた。


実は、この姦淫をした女性を連れ出したのは、その為だった。


勿論、当時からモーセの律法により

姦淫をした女性は石打の刑で死刑にされて当然だった状態ではあったが。。。

実は

パリサイ人・律法学者にはその女性を処罰する事に関心がなかった。



ただ、ジーザスを訴える機会をうかがっていただけだった。


それは


①石打の刑を同意しちゃうと

  ジーザスが勝手に処刑宣告をしたとされ、ローマ法を犯すことになり訴える口実を与える事になる。


②見逃しちゃうと

  モーセの律法、神が罪と定めた事を曲げちゃうとして訴えられる事になる。


ってな作戦だった。



中々やりよりますね。

ドチラニしてもアカン!!ピンチやで。。ジーザス。



どうなると思いますか?



なんとジーザスがこの一言で

全ての人の罪を明らかにして、尚この問題の解決をしちゃうんです。。



「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」



その後

jhn8:9  彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。


だって。




すごいよね。

恐るべきジーザス!!



何故この一言で

全ての暗闇を照らし

罪を明らかにできちゃったのでしょうね。



・・・年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き・・・って事はきっと

人生を長く歩み、自らの弱さ・空しさを知っている年長者への心に突き刺さる言葉だったんですよね。




そして勿論姦淫をした女性に対しても照らしてますよ。


・・・ 「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める 者はなかったのですか。」

jhn8:11  彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを 罪に定め ない。行きなさい。今からは 決して罪 を犯してはなりません。」




ジーザスは暖かい温もりのある光。


「わたしは、世の光 です。

 わたしに従う者 は、決してやみの中 を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」



従うってのがキーワードみたい。



従うってのは

なんやら・・・全ての自由と引き換えに奴隷のような状態なんて思ってませんか?


でもね、こんな箇所がそれを理解しやすくしてくれるかも。。

mat10:38  自分の十字架を負って わたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。

mat10:39  自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。



先ずは、自分の十字架とは何だろう?

十字架とは肉体が滅びる時の裁きの事を云っている。


「 罪から来る報酬は死 」 とバイブルは伝えている。



一般に僕らが云う罪とは異なり、心に思った事も神は知っているから

その罪を犯すものには僕ら全員が含まれるに違いない。


しかし、その十字架を見上げると

なんとジーザスが架かっておられる。僕が死ななければならない十字架での裁きは終わっている。


よって

僕は自分自身の罪によって裁かれる事が無い。



今ある自分の命だけを見つめていると、その命の終わりは

死に繋がってるから「自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い」という事になる。



代わりに死なれたジーザスは復活され、僕らに神様の子となる道を与えられた。

僕らは「自身の死」により与えられるその道を受け取り、神の子となってる事実を認める。と、


自分自身の命を失ってるように思えても

実は僕らは、本当の命である神様からの命を得ている事を知ることになる。




これがジーザスが僕らに与えようとされた素敵なプレゼント。



これが、バイブルの云う福音。

十字架の愛を体感し、その中に留まる事。

悔い改め → 新しくなる事実を受け取ること。




僕らがやみの中を歩まなくてもいいように、一人一人の十字架に身代わりに死なれた。


長くなっちゃったけど、その(自分自身の十字架(裁き)にある)事実を受け取り

ジーザスの恵みの中に留まり続けるって事が、従うという事なんだよね。



だから

「・・・決してやみの中 を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」



なるほど。です。




僕らは誰もが光の子として創られたんだから。


神様の大事な大事な子供。



闇の中を歩む必要はもうない。


素直に自分の十字架(裁き)を見上げてみませんか?



素敵な事実に気付くはずだから。





では、今週も

光の温もりを感じて過ごす事が出来ますように。


祈ってます。




今回の箇所は此処から。

。。。。。。。。。。


jhn8:1  イエスはオリーブ山に行かれた。

jhn8:2  そして、朝早く、イエスはもう一度宮にはいられた。民衆はみな、みもとに寄って来た。イエスはすわって、彼らに教え始められた。

jhn8:3  すると、律法学者 とパリサイ人 が、姦淫 の場で捕えられたひとりの女を連れて来て、真中に置いてから、

jhn8:4  イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。

jhn8:5  モーセ は律法 の中で、こういう女を石打ち にするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」

jhn8:6  彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。

jhn8:7  けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい 。」

jhn8:8  そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた 。

jhn8:9  彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。

jhn8:10  イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める 者はなかったのですか。」

jhn8:11  彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを 罪に定め ない。行きなさい。今からは 決して罪 を犯してはなりません。」

jhn8:12 ★ イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光 です。わたしに従う者 は、決してやみの中 を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」

jhn8:13  そこでパリサイ人はイエスに言った。「あなたは自分のことを自分で証言しています。だから、あなたの証言は真実ではありません。」

jhn8:14  イエスは答えて、彼らに言われた。「もしこのわたしが自分のことを証言するなら、その証言は真実です 。わたしは、わたしがどこから来たか、また、どこへ行くかを知っているからです。しかしあなたがたは、わたしがどこから来たのか、またどこへ行くのか知りません。

jhn8:15  あなたがたは肉によって さばきます。わたしはだれをもさばきません。

jhn8:16  しかし、もしわたしがさばくなら、そのさばきは正しいのです。なぜなら、わたしひとりではなく、わたしとわたしを遣わした方とがさばくのだからです。

jhn8:17  あなたがたの律法にも、ふたりの証言は真実であると書かれています。

jhn8:18  わたしが自分の証人であり、また、わたしを遣わした父が、わたしについて あかしされます。」

jhn8:19  すると、彼らはイエスに言った。「あなたの父はどこにいるのですか。」イエスは答えられた。「あなたがたは、わたしをも、わたしの父をも知りません。もし、あなたがたがわたしを知っていたなら、わたしの父をも知っていたでしょう。」

。。。。。。。。。。

今晩わ~。アップが遅れちゃってすいません。

では、早速勝手にワーシップタイムおおくりしますね。



今日は牧師先生からこんな問いから。

イエス様はどんな方でしょう?


どんな方だと思われますかぁ?



バイブルを読んだ事のない方は、ジーザスがキリスト教の教祖ではないって事を先ず伝えたい。

と云われた。

ジーザスは修行を重ねて得た知恵を語った訳ではない。
ご自身が神でもあるんです。



今日の箇所では
こんな言葉を語られている。
。。。。。。。。。。


「イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」
。。。。。。。。。。



牧師先生はよくでかけ、人間観察をしているらしい。

そこで解るのは、多くのひとが満たされてないという事。

多くの人は着るモノも持ち物もある程度満たされてはいるのだけども、

心が満たされないで居るように感じるそうだ。




今日の箇所。
それが唯一満たされるのはもしかしたら?今日の箇所カモって事。




美味しいパンがある。
外側が綺麗な焼き色で糖度もある程度ありそうで、

しかも、中にも美味しい具があるようだ。

もし、そんなパンがあったとしても、食べなければ満たされる事はない。


そりゃそうだ。

食べなきゃ~、味わう事も決して出来ず、満たされる事はないでしょう。



さて、
与えようとしてるジーザスはこう語られている。
。。。。。。。。。。


jhn6:37 父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。
。。。。。。。。。。




バイブルの他の箇所には、こんな言葉もある。
。。。。。。。。。。


jhn15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。
。。。。。。。。。。



僕らは満たされたいと思う思いがある。けれども、
実は僕らが満たされたいと思うよりも先に、神様は僕らを満たしたいって思ってるって事だよね。
だって、僕らにその思いを知らせる為に今こうして僕らが神様の言葉に触れる事が出来るように僕らを選んだんだから。


日本には1%もクリスチャンはいない。

にも関わらず、こうして神様の言葉に触れる事なんて、すごい確率。


きっと神様の計画に違い無いよね。



僕らは選ばれて今神様の言葉に触れている。

そんな事を考えると凄く楽しくなるね。



全てを創られた神様が、僕ら一人一人を選んで目を向け声をかけられてる。




そしてジーザスはそんな僕らにこう語られてる。
。。。。。。。。。。


hn6:37 父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。
。。。。。。。。。。




もう一度おさらい。。
ジーザスはなんと語られた?
。。。。。。。。。。


jhn6:35 イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。
。。。。。。。。。。



ジーザスの言葉に耳を傾けてみましょ~ね。
びっくりする程の温もりを感じる筈だから。



今週も神様の温もりを体感する事ができますように。
祈ってます。




今日の箇所はここから。
。。。。。。。。。。


jhn6:35 イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。


jhn6:36 しかし、あなたがたはわたしを見ながら信じようとしないと、わたしはあなたがたに言いました。


jhn6:37 父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。


jhn6:38 わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行なうためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行なうためです。


jhn6:39 わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。


jhn6:40 事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。」
。。。。。。。。。。

おはよーございます。

遅なりましたが、今日も勝手にワーシップタイムをお送りしますねぇ。


今日はいつもと違う変った箇所。

それは、人の名前ばかりでて来てる箇所だから。

挨拶ばかりで、最後にこんな言葉で締めくくっている。
。。。。。。。。。。


rom16:16 あなたがたは聖なる口づけをもって互いのあいさつをかわしなさい。・・・
。。。。。。。。。。



口づけをする程の素敵な絆を築く。

そんな仲になるのには、先ずは関心をもち挨拶する事から始まるのかもしれない。


この挨拶した中には、こんな人も居た。

あのジーザスの十字架を途中から負われたクレネ人シモンの息子の一人ルポス。



関心をもつ出会いはそれぞれ様々だ。いつどんな時にどんな人と出会うかは解らない。
僕らは日常にそんな関係になり得る素敵な隣人の中で過ごしている。


周りを先ず見渡してみませんか?


今、無関心と云われる時代で
神様の愛によってなされる関係を祈って体験してみるのもいいかも。




でも、間違えちゃ困るのは
ある行為をする事が愛のある行為ってのじゃない事。


例えば、挨拶したらそれが愛って訳じゃないって事。

愛は「行為の基になる相手を大切にしたいという思い」という事も出来るかも。

僕にとってあなたは大切な存在だ!と思うからこそその人に関する関心が生まれてくる。
無関心でも挨拶は出来るが、愛とは無関心からは生まれない。


関心をもつことから始めてみると、段々とわかってくる。好きな色、食べ物、趣味なんて事から記憶を巡らすと、どれ程、僕らが無関心なのか?が解ってくるはず。



僕らはどれ程関心をもってるだろうか?

いつも愛をもって接する事が出来る人は稀だ。

勿論、僕には出来ない。




神様は僕らに素晴らしい隣人を与えられてる。
関心をもち愛し合う喜びを与える為に神様は僕らの祈りを支えられる。


是非
素敵な関係を期待して祈ってみましょうね。
では今週も寒い日が続きますが、体調に気をつけて。祈ってます。



今回の箇所は此処から。
。。。。。。。。。。


rom16:1 ケンクレヤにある教会の執事で、私たちの姉妹であるフィベを、あなたがたに推薦します。


rom16:2 どうぞ、聖徒にふさわしいしかたで、主にあってこの人を歓迎し、あなたがたの助けを必要とすることは、どんなことでも助けてあげてください。この人は、多くの人を助け、また私自身をも助けてくれた人です。


rom16:3 キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。


rom16:4 この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。


rom16:5 またその家の教会によろしく伝えてください。私の愛するエパネトによろしく。この人はアジヤでキリストを信じた最初の人です。


rom16:6 あなたがたのために非常に労苦したマリヤによろしく。


rom16:7 私の同国人で私といっしょに投獄されたことのある、アンドロニコとユニアスにもよろしく。この人々は使徒たちの間によく知られている人々で、また私より先にキリストにある者となったのです。


rom16:8 主にあって私の愛するアムプリアトによろしく。


rom16:9 キリストにあって私たちの同労者であるウルバノと、私の愛するスタキスとによろしく。


rom16:10 キリストにあって練達したアペレによろしく。アリストブロの家の人たちによろしく。


rom16:11 私の同国人ヘロデオンによろしく。ナルキソの家の主にある人たちによろしく。


rom16:12 主にあって労している、ツルパナとツルポサによろしく。主にあって非常に労苦した愛するペルシスによろしく。


rom16:13 主にあって選ばれた人ルポスによろしく。また彼と私との母によろしく。


rom16:14 アスンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマスおよびその人たちといっしょにいる兄弟たちによろしく。


rom16:15 フィロロゴとユリヤ、ネレオとその姉妹、オルンパおよびその人たちといっしょにいるすべての聖徒たちによろしく。


rom16:16 あなたがたは聖なる口づけをもって互いのあいさつをかわしなさい。キリストの教会はみな、あなたがたによろしくと言っています。
。。。。。。。。。。

おはよーございます。

寒い日が続きますが、体調にはくれぐれも気をつけて~。

では、早速今日も勝手にワーシップタイムを。



今日は牧師先生が
街に出かけられた時の話から。

街は危険が一杯だったようだ。

それは、何故なのか?

危険の原因は大阪のおばちゃんの自転車だったそうだ。

皆前しか見てない。

自分の目的地しか見ていないんです。

否、

前も向かずに携帯を見ながら運転してる者も居てたらしい。

僕らは他人を考える余裕がない時がある。

しかし、ソレでイイとは誰も思っていない。



今日の箇所はこんな言葉から始まる。
。。。。。。。。。。


rom15:1★私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。


rom15:2 私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。
。。。。。。。。。。



自分の必要だけを見つめると、周りに関わる人に危険を及ぼす。

バイブルに記された神様の言葉を真実だと気づいた者は、サタンの誘惑に溢れたこの世の中で真実を歩み続ける事が出来ないと知ることになる。


だから、

神様の領域で生活する事を求め始める事となる。


それが、献身という名前で云われている。



そこから、初めて
相手の益となるように、私たちは行動する事が出来る様になるから、相手の事に関心をもち配慮して生活する事を勧めているんですよね。




でもね。。。
ソレを知っても僕らは出来ないモノだ。
こんな言葉も励みになる。
。。。。。。。。。。

rom15:5 どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。
。。。。。。。。。。



僕らには忍耐がない。

僕だけなのか?そうではない。

相手の事を考え続ける事は忍耐が必要だ。ど~してもそんな心の余裕もなくなり、自分のしたい事をしたい時にしてまうのが本音だ。僕らはそんな存在でもある。

だから、僕らは忍耐と励ましの神様に頼ってそうしていけたらイイですね。



そして、
僕らは互いの違いを認め合い、受け入れ合う事が出来る様にもなる。
。。。。。。。。。。


rom15:7 こういうわけですから、キリストが神の栄光のために、私たちを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れなさい。
。。。。。。。。。。

望みの神が僕らを支えているのだから、僕らは互いの違いを受け入れ合う事も出来る様になる。


気をつけないとアカンのは、
自分を律して頑張るのじゃないって事。


自分の力は限界ありますから間違えちゃダメ!!ですよ~。



僕という人間が嫁に対して全てを受け入れる事が出来るか?という問いと同じだよね。

絶~対出来ないもん。
ははは。。



頼れるのは神様だけ。

望みの神に信頼しなくちゃ!だもんね。



では、今週は弱い人に関心をもちながら、過ごせます様に。

ソレがきっと何より僕らの喜びになるだろうから。

その為にも、

頼れる神様に祈りながら、そして体感しながら過ごせます様に。


祈ってますね~。

。。。。。。。。。。

rom15:1★私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。


rom15:2 私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。


rom15:3 キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです。むしろ、「あなたをそしる人々のそしりは、わたしの上にふりかかった。」と書いてあるとおりです。


rom15:4 昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。


rom15:5 どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。


rom15:6 それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。


rom15:7 こういうわけですから、キリストが神の栄光のために、私たちを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れなさい。


rom15:8 私は言います。キリストは、神の真理を現わすために、割礼のある者のしもべとなられました。それは先祖たちに与えられた約束を保証するためであり、


rom15:9 また異邦人も、あわれみのゆえに、神をあがめるようになるためです。こう書かれているとおりです。「それゆえ、私は異邦人の中で、あなたをほめたたえ、あなたの御吊をほめ歌おう。」


rom15:10 また、こうも言われています。「異邦人よ。主の民とともに喜べ。」


rom15:11 さらにまた、「すべての異邦人よ。主をほめよ。もろもろの国民よ。主をたたえよ。」


rom15:12 さらにまた、イザヤがこう言っています。「エッサイの根が起こる。異邦人を治めるために立ち上がる方である。異邦人はこの方に望みをかける。」


rom15:13★どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。
。。。。。。。。。。

おはようございます。


子供の学校では学級閉鎖ではじめてますが、体調管理だけは気をつけてしていきましょうね。

では早速、勝手にワーシップタイムをおおくりしまーす。



今日のテーマは
「キリスト者の自由。」


ローマの統治下で、他の宗教の神に捧げモノとして出した肉が、捧げられた後、市場で売られる事が常であった。


神様でない像に捧げてるから
ソレは汚れてるんでしょ~。じゃダメなんじゃないの。・・ん?

それを食べて良いの?って話から。



今の生活に当てはめるとジーパンを履いて礼拝にくる事も。だって。



回答見本としては
全ての事は神様の前に確信をもってしたら良いんだよ~。という事。

。。。。。。。。。。


rom14:5 ある日を、他の日に比べて、大事だと考える人もいますが、どの日も同じだと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。
。。。。。。。。。。



何に基づいてソレをするのか?

。。。。。。。。。。


rom14:8 もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
。。。。。。。。。。



こんな箇所も。。
。。。。。。。。。。


phl1:20 それは、私がどういうばあいにも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現わされることを求める私の切なる願いと望みにかなっているのです。

phl1:21 私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。
。。。。。。。。。。



申し開きする方の前で確信をもって全ての行為を行うという事。ソレで良いんだよ~って事だね。
。。。。。。。。。。


rom14:11 次のように書かれているからです。「主は言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしの前にひざまずき、すべての舌は、神をほめたたえる。」

rom14:12 こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。
。。。。。。。。。。


僕らはどう行動しますか?


正しい事か間違っているかを判断して人を評価する様には此処で云われない。

ジーザスがバイブルを通して語られるのは、隣人を愛する『 愛 』。


愛するという事だよね。

。。。。。。。。。。


rom14:19 そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。
。。。。。。。。。。



お酒を飲む事、タバコを吸う事。
よくこの二つがやり玉にあげられるが、その理由は体を与えられた環境を悪くする事だからなんだよね。

ならば、
飽食も噂話にしても同じ。ようは本来神様が創られた世界にない悪いモノは選択しない方がいい。


でもね。

実はどんだけ立派な生活を志そうとしても、当然人は何処かズレたりするし、今までの経験や与えられた情報によって選択の判断を間違うことは多々ある。

だから、
人それぞれの今ある選択だけを評価し非難しないで、認め、愛して祈ることが大切なのかもしれないですね。


当然、
僕たちも成長の過程で誤る事は多々ある。

実は気づいていないだけで誤りだらけの生活をしてる可能性すらある。


神様はソレを知っても
いつも僕らを認め、愛し、傍にいてくださる。


だとすれば、
僕らはサタンからでる全てのズレる選択を避ける事に努め、隣人が役立つ環境を作り出して行く事を積極的に選択して歩んでいけたらいいって事ですよね。


僕らは間違える。
でも、神様はソレを知っても僕らを愛して傍にいてくださってる。

僕らにもソレを求めておられる。



あなたが弱いと思える人は
まだ貴方が成長した途上なのかもしれない。

でも、もしかしたら、貴方よりも先に正しい選択をしているのかもしれないよぉ。

人を自分の考の中で評価せず
ただ祈り愛して互いの役立つ環境だけを目指していけたらイイですね。



では、
自分も他人も責めず、今ある状況を認めて、

神様から愛されてる事を味わいながら過ごす事ができます様に。



祈ってますね。





今日の箇所は此処から。
。。。。。。。。。。

rom14:1 あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。

rom14:2 何でも食べてよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜よりほかには食べません。

rom14:3 食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったからです。

rom14:4 あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。

rom14:5 ある日を、他の日に比べて、大事だと考える人もいますが、どの日も同じだと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。

rom14:6 日を守る人は、主のために守っています。食べる人は、主のために食べています。なぜなら、神に感謝しているからです。食べない人も、主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。

rom14:7 私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。

rom14:8 もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。

rom14:9 キリストは、死んだ人にとっても、生きている人にとっても、その主となるために、死んで、また生きられたのです。

rom14:10 それなのに、なぜ、あなたは自分の兄弟をさばくのですか。また、自分の兄弟を侮るのですか。私たちはみな、神のさばきの座に立つようになるのです。

rom14:11 次のように書かれているからです。「主は言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしの前にひざまずき、すべての舌は、神をほめたたえる。」

rom14:12 こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。

rom14:13 ですから、私たちは、もはや互いにさばき合うことのないようにしましょう。いや、それ以上に、兄弟にとって妨げになるもの、つまずきになるものを置かないように決心しなさい。

rom14:14 主イエスにあって、私が知り、また確信していることは、それ自体で汚れているものは何一つないということです。ただ、これは汚れていると認める人にとっては、それは汚れたものなのです。

rom14:15 もし、食べ物のことで、あなたの兄弟が心を痛めているのなら、あなたはもはや愛によって行動しているのではありません。キリストが代わりに死んでくださったほどの人を、あなたの食べ物のことで、滅ぼさないでください。

rom14:16 ですから、あなたがたが良いとしている事がらによって、そしられないようにしなさい。

rom14:17 なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。

rom14:18 このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、また人々にも認められるのです。

rom14:19 そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。

rom14:20 食べ物のことで神のみわざを破壊してはいけません。すべての物はきよいのです。しかし、それを食べて人につまずきを与えるような人のばあいは、悪いのです。

rom14:21 肉を食べず、ぶどう酒を飲まず、そのほか兄弟のつまずきになることをしないのは良いことなのです。

rom14:22 あなたの持っている信仰は、神の御前でそれを自分の信仰として保ちなさい。自分が、良いと認めていることによって、さばかれない人は幸福です。

rom14:23 しかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です。
。。。。。。。。。。