おはよーございます。
もう一年最初の月は半分すぎましたね~。去年と変わってない今を過ごしていても、日々新しく創られる神様に期待できるのはホンマに感謝!!
ってな事で
今日も勝手にワーシップタイムをおおくりしますね。
この間のテーマの大前提は『 献身 』。
難しい雰囲気の言葉だけど、この意味は時を超えて人生の全ての工程を知ってはる神様のガイドに耳を傾けついて行こうとする事。なんだよね。
身をささげるって言葉は、信頼できるガイドに任せる。って事と言い変える事が出来るのかもね。
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rom12:1★そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
rom12:2★この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。
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何でも知ってるスーパーガイドと
自分の考えという事を比較して考えてみるとどーだろ?
肉体によって、時間によって制限されてる僕らがいつも将来の為に大切な判断をしていく事は中々出来るモノではないかもしれない。
肉体や時に制限されず、全てを知ってはるスーバーガイド(神様)に任せる時、僕らは自分自身との考え方の愚かさを思い知らされながら、任せて良かったと喜びを味わう事になる。。
献身すれば、謙遜になり、謙遜になるからこそ人に仕える喜びを知る様になる。
己の虚しさを知るから、過ち・失敗をした時にサポートする事の有難さ、大切さを知るからこそ、そんな時に遭遇してる隣人を支えたくなってきちゃう。
もう少しバイブルがいう 『 兄弟愛 』 ってみつめてみましょー。
今日はこんなお話から。
牧師先生の近所で中々手強い方が居られたみたい。
挨拶をしても全く無視を繰り返す。
腹たちながら、挨拶をした事もあったらしい。
どないしたらエエんやと思える状況でも、神様の愛を思い巡らしながら挨拶を繰り返してた。。
こんな言葉がある。
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rom5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
rom5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
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ある時、
その方の名前を呼び始めた時、初めてその方に反応があったらしい。
続けて、名前を呼び笑顔で挨拶を繰り返してると、挨拶を返してこられた。
今では、
向こうから笑顔で挨拶をしてくれる関係になってきた。
兄弟愛はその方に関心をもつことから。
その方は挨拶する人が嫌いだったのでしょうか?人との関わり自体を嫌ってたのでしょうか?
今の笑顔での関係
をみるとそうではないですね。
過去に人との関わりによって傷ついた事があったのかもしれない。過去に自分に不利益となった経験があったのかもしれない。
人と関われないのは、自分自身を守る為の行動なのかもしれませんね。
実は
みんな愛を求めている。
心の隙間を満たす為には、神様の愛(ジーザス)を受け入れる事しかないのでしょうね。
では見渡して
僕らの隣人とは誰でしょ~。
ではバイブルには隣人を知って
僕らは愛していくのも頑張らなきゃならないって言ってるのでしょうか?
修行の様に僕らは鍛錬を積み重ねなきゃならないのでしょうか。。
こんな言葉がある。
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rom13:14 主イエス・キリストを着なさい。・・・
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ぬぬぬ!!!
キリストを着る?面倒くさそうかも?
でもね。
独特の言い回しなんだけど、これは実はこんな意味。
時と空間を超えたスーパーガイドであり、僕らを本気で愛してくれてる「愛」であるジーザスを受け入れるっていう行為なんだよね。
ジーザスを着るという事。
ジーザスを受け入れる事によって、僕らは今までと全く違う新しく創られた世界で生活をしていく事実を知る事になる。
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rom8:2 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
rom8:3 肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。
・・・・・
glt2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
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僕らは出来ないと思える事がある。
愛するまでもなく、隣人に関心をもつ事さえも出来ない自分を知ってる。
でもね。
ここでは、出来ない自分を脱ぎさって、神様によって新しく創られた自分自身を着るという事。
ジーザスを受け入れる事によって新しい自分自身を着るとき、新しく始まる原理がある。それがいのちの御霊の原理。
この原理が僕らをいつの間にか愛する者へと変えていく。。
新しく
神様に創られた者として僕らは生きる事が出来る。
わぉ~ほんまに刺激的!!
僕等はたった一回ジーザスを受け入れる事で変えられ始める。
何故なら、ジーザスは僕らを本気で愛してくれてて決して離れる事のない方だから。
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heb13:5 ・・・「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
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だから、
難しく考えなくてもイイ。
他の宗教の様に自分を強いて変えようとしたりしなくてイイ。
バイブルによって語られてる神様は、ただジーザスを受け入れる事によるから、ただ信じてみてね。という事。
神様は待っておられる。
僕らの扉を絶えず叩きながら。
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rev3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
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サタンの支配するこの世の中で、制限され絶えずズレてく肉体によって頑張る事を辞めてみよう。
少し上を見上げて
神様って呼ぶ事から始まる新しい生活をきたいしてみませんか!?
新しい一年
期待して共に過ごしていけます様に。
今週一週間も神様がいつも共におられる事を体験して過ごせますよう祈ってます。
今回の箇所は此処から。
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rom13:8 だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです。
rom13:9 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな。」という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」ということばの中に要約されているからです。
rom13:10 愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。
rom13:11 あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行ないなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。
rom13:12 夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。
rom13:13 遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。
rom13:14 主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。
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