へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy -6ページ目

へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

今朝Facebookで少しクイズを出させていただきました。


そこからの転記となりますが。。。


クリスマス クイズ~!

今朝出させて頂いた問題。
クリスマスによく聴く僕の大好きなこの曲を先ず聴いてみてください。


レーナ・マリア / 馬槽の中に



この歌詞の中で一つバイブルに記された言葉と違う単語が使われています。バイブルでは大切なキーの言葉なのですが・・・なんという単語でしょうか?



・・・



・・・



・・・


答えは 

なんと題名になってる『 まぶね 』でした~。

バイブルを読んでいくとその箇所は「飼い葉おけ」とだけ記されていて、

馬小屋とは記されていない事に気付くと思います。


http://homepage3.nifty.com/IUCC/amos/bible/n0302.html



歴史を見てみるとどうやら、

その頃のイスラエルで飼う家畜の中に馬はどうやら居ないようなのです。


その当時の家畜はロバ・牛・羊がメインでもしかすれば馬もありえるのかもしれないのですが、かなりその可能性は薄いようです。

絵画では屋根のついた家畜小屋が描かれてますが、その当時は洞穴で羊も含めて飼育していて、羊飼いが街囲いの外で夜番をと記されてるので、その時に空いたスペースができて「あ・・ここなら空いてるから。。」ってな感じで、マリアとヨセフは其処で過ごし、ジーザスの誕生となったのかもしれませんね。




でも

少し残念なコトと思えることがあります。


バイブルの中に僕の心に焼き付いている言葉があります。
http://homepage3.nifty.com/IUCC/amos/bible/o2353.html

isa53:7 彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。

isa53:8  しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。




ここでも記されてる事ですが、ジーザスは神の「小羊」と呼ばれてます。何故なのでしょう?
それは、人の咎を帳消しにする為、神様が定めた事の一つ。



表現は難しいですが

傷のない小羊を殺さなきゃならないほど、僕らはズレてるとさとらせる為のモノだった。

・・

実際に神様が創られたこの世界で一番最初に殺生をしたのは神様だったんですから。
http://homepage3.nifty.com/IUCC/amos/bible/o0103.html



聖い神様は、大好きな 『友』 『子』 として創られた人(アダムとイブ)が、

サタンの声を信じて汚れてしまい一緒に過ごす事が出来なくなってしまった。


そんな人に対して、汚れを取り除く行為として「皮の衣」を着せてあげたんです。

ここで記されてる「皮の衣」も実は羊ではないかと僕は思ってるんです。


神様まは僕らのコトが大好きで仕方が無い。

サタンによって汚れたままで、サタンを滅ぼす為の永遠の地獄に本気で愛する人を道連れにされたくない。で・・・神様はご自身の子であるジーザスを、人の咎を取り除く為に・・身代わりに殺す為に、神の小羊として生まれさせた。




それがクリスマス。


だから、

僕は馬小屋・・まぶねっていう単語は、神様の思いからすれば絶対に使ってはならない単語だと思ってるんです。



ではもう少し
神さまの僕らへの愛を示す予言の箇所があるので紹介しますね。


ジーザスの誕生はどう予言されたのか?





僕の大好きな聖句の一つ。
http://homepage3.nifty.com/IUCC/amos/bible/n0101.html

mat1:22 このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。

mat1:23  「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。《(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)(→イザヤ7:14★)



ジーザス誕生の700年も前の予言者を通して語られた神様の思いは、「僕はいつも一緒にいるからね。」だった。

当然僕ら人が神様に目を向ける前。


神なんて居ないなんて意識すらしない・無視をするような状態のなかでも、「僕はいつも一緒に居るからね。」だった。


今は、バイブルでも記されているが、この世はサタンが支配している状態。その中で僕らは様々な不条理を憶え、この世を憎み失望して生きているのが現状だ。
「神なんて居ない!」そう叫ぶのは当然に感じる。

しかし
この世界はサタンに支配されている。




神様のジレンマ。
僕らは感じる事が出来るでしょうか?


神様は、神の小羊としてジーザスをこの地上に贈られた意味が

なんとなく解って下さったら僕もホンマ嬉しいです。



折角です。
このクリスマス。

そんな神様の思いに心の目を向けてみませんか?

まぶねって言葉は使われていますが、

僕らと一緒に居たい神様の思いが伝わるこの歌。もう一度聴いてみませんか?

http://www.youtube.com/watch?v=M-tdyFRCusY





良かったらコチラでも見に来てくださいね~。是非是非!!

http://www.facebook.com/morita.makoto.3#!/morita.makoto.3/posts/509952359050186?notif_t=like


僕はこんな奴で~す。

こんばんわ~。遅くに久しぶりの更新です。

では、早速。
今日も勝手にワーシップタイムをおおくりしますね。



今日はようやく
ローマ12章の最後の処。。


では、早速。
『 僕らの献身の前に、神様の僕らへの献身があった。 』


少し、不思議な言葉のように聞こえてくる。



献身とは何か?
身を捧げるほど愛している存在だという表現を超えた意思表示。

そこには、愛してる人への祝福の妨げを発見する事から始まるのかもしれない。




神様が創られた素晴らしい世界に、全ての祝福を人が受け取るように注がれた神様は、ソレを妨げるサタンの行為が許す事ができない。

人は神様の恵みを受けるべく、創られた神様はサタンによってズレて恵みから無意識に仕切りをしてしまう僕らに対して身を捧げたのは、神様の方だった。


人の全てのズレる行為によって、受け取れなくなった責任を自らが負って死なれた。
愛する人の為に、死ぬ為に生まれてきたのが、実はこのクリスマスだ。



クリスマスは神様が
僕ら人を愛するが故に身を捧げた行為と知る事から僕らは変わり始める事となる。


それが、ローマ12:2
・・・・・・・・・・

2 あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。
・・・・・・・・・・




僕らは変わる事が出来る。
変えられる事を体験する事となる。


今日のテーマは
復讐は神様がする事だから。。と語られる。この事。



でも、バイブルには
目には目を。歯には歯を。って言ってるじゃん。
復讐は当然すべき行為じゃないの?


実は、
ここに記されてるのは、復讐の限度として記されてるだけ。なんだ。
命をとるとか、そういった思いに対して制限を与える為に語られた言葉なんです。


でも、ここでも、
彼の頭に燃える炭火を積む事になる。って言ってるじゃん。
これって、腹立つけど、僕らの代わりに神様が頭を火で燃やす行為になるって事なんじゃないの?

僕もつい此の間までそう思ってた。



でも、
実はこの言葉にも
神様の愛が詰まっている。


ここで語られた時代、火を使う時、マッチやライター等そんなモノは無かった。火種を誰かが絶やさず持ってる家庭に貰いに行く事が常だったようだ。
火種を貰わなければ、火で暖められる事はない。火種を貰って自分の家に戻る時、周りの人に火種が飛び散らないよう、頭の上に火種の容器をのせて運んだようだ。


バイブルのある処では
炭火は聖める(悪いモノを浄化させる)モノとして語られたりもしている。


神様はドンだけ悪いとされる人を、そのままの状態で心底愛し続けられる。だから、あなた方は復讐しないで。僕が酷い状態な状態のままのあなたを愛してるように、その人をも愛してるんだから。って聴こえてきそうですね。



神様はいつでも愛。

何処までもホンマに愛。

実はその愛は僕らが神様にもつ前に、僕ら一人一人に捧げられた行為なんですよね。




だから、こう語られる。
・・・・・・・・・・

rom12:14 あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。

rom12:15 喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。
・・・・・・・・・・


僕(神)は人として愛する事は出来ないから、僕(神)を知ったなら、僕(神)の愛で隣人を愛してね。

・・・なんか嬉しいですね。




でも、
もう一度思い出して欲しいのです。


それは、僕ら自身愛のない存在だという事を知りつつ、この言葉をもう一度。
。。。。。。。。。。


2 あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。
。。。。。。。。。。



頑張るんじゃない!って事。

神様からの正しい情報で僕らの体を満たしていきましょうね。

そうすれば、
心を新たにすることによって、造りかえられる事を体験する事になるのだから。



大丈夫!!


だって、
神様はホンマに愛の方。


目には見えないけど、僕らを支えていつも導いて下さる方だから。




では、今週一週間も素敵な神様を体験できますように。



今日の箇所は此処。
・・・・・・・・・・
rom12:1★そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

rom12:2★この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

rom12:3 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。

rom12:4 一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、

rom12:5 大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。

rom12:6 私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。

rom12:7 奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。

rom12:8 勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行なう人は喜んでそれをしなさい。

rom12:9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。

rom12:10 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。

rom12:11★勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。

rom12:12★望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。

rom12:13 聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。

rom12:14 あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。

rom12:15 喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。

rom12:16 互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。

rom12:17 だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。

rom12:18 あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。

rom12:19  愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」

rom12:20★もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。

rom12:21★悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。
・・・・・・・・・・

おはよーございます。

毎度遅くなって申し訳ないです。
最近はメッキリ寒くなって・・・神様が寒さをも与えられた理由を考えながら、今日も早速ワーシップタイムをおおくりしますね。


今回もなんと、
またまた同じ箇所からなんですわ~。

先々週は献身の後は、次に謙遜
そして今日は兄弟愛。


3つ並べて3K。
3Kってなんか、嫌なイメージありますが、その最後の兄弟愛。神様はどんなことを伝えようとされてるのでしょうか。楽しみに耳を傾けてみましょうね。



では。

兄弟愛とは、人に対する愛。
神様が云われる本当の愛とはどんなモノなんでしょうね?



話は塩狩峠の話に。

この話は三浦綾子さんの有名な映画化された小説の一つ。
塩狩峠という峠まで来た電車がなんと1つの客車のロックが外れて坂道を逆走し始めるところがクライマックスの場面。鉄道に勤めていた主人公は後部に走っていって手動ブレーキをかけた。が、坂道が急でそんなモノで止まらなくなっていた。下り坂の先はカーブがあり、多くの人の命に関わる事故になると察知した主人公はこの客車が止まる方法が一つしかないと判断し、決心して祈った。


そして
自分の身を線路に投げ出した。



客車は止まり、乗客の命は助かった。


下敷きになった主人公以外は。。。




大勢の大切な命が失ってしまうと予測される中で、主人公は一人一人の命の大切さを知っていた。
神様がどれほど僕ら一人一人を愛して大切にしているかを知った主人公だからできた事なのかもしれない。



今日のメインの箇所。

・・・・・・・・・・

rom12:9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。

rom12:10 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。

rom12:11★勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。

rom12:12★望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。

・・・・・・・・・・


僕らが互いに愛し合う為に、大切にすべき事はなんでしょ。


①尊敬し合う事。

②勤勉、熱心、奉仕

③望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励む事。



ん~どれも、難し過ぎるわ~。って思えるよね。
でしょ。。


実は僕もそう・・・。



でも、

意識する事で、神様が云われる兄弟愛を体験する事になる。


。。。。。。。。。。

2 あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。

。。。。。。。。。。


心を新たにするのは、できない事を知ることから始まる。
出来ると信じていれば

僕らは其処に留まってしまう。


僕ら自身にそれが出来ないと気づく事で、僕ら自信が造りかえられる必要を発見する。



新たにして下さる神様が居ると初めてわかり

僕らは、心を今見える(サタンの支配する)世界から、神様がみせてくれる世界を選び始める事となる。

http://ameblo.jp/simonmonmon/entry-11412819286.html



実は、僕らが此処に視点を変える事で

兄弟愛の①~③も僕らはできる事を知ることとなる。




先ずは

僕らが本来在るべき姿をみつめてみませんか?


今、それがない事に気づく事から、僕らは本来の自分自身に戻ることができる。

それは

僕らは愛の神様に似せて創られたんだから。



本来創られた素敵な自分自身に造りかえられてみませんか?



では

今週も更に素敵な僕ら自身を知るときとなりますように。


。。。。。。。。。。。


rom12:1★そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

rom12:2★この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

rom12:3 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。

rom12:4 一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、

rom12:5 大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。

rom12:6 私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。

rom12:7 奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。

rom12:8 勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行なう人は喜んでそれをしなさい。

rom12:9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。

rom12:10 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。

rom12:11★勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。

rom12:12★望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。
。。。。。。。。。。。

こんばんわー。


いやはや。12月ですね。師走です。

時は走っていきます。
与えられた時を感謝しつつ過ごしていきましょうね~。



では、今日も勝手にワーシップタイムをおおくりしますね。


実は今日も先週と同じ箇所。
パウロさんが記した、ローマ人への手紙。


今日のテーマは『 謙遜 』。
謙遜について今日は特に3つを語られた。


では早速。

一つ目は
●思いあがってはならない


僕らは皆滅んで当然の存在。それは、神様の前に立つ時を考えるとよく解る。それは、僕らは神様の目からすれば、誰もがズレちゃってて汚れている存在だからだ。
神様の視点からすれば(罪)ズレとは、ウンチみたいなモノかもしれない。いれたての美味しいコーヒーにどんなに小さなウンチが入ったとしても飲む事はできない。それがどんなに可愛い仔犬のモノだったとしてもコーヒーが汚れる事には違い無い。

サタンを信じて選ぶ行為で僕らはズレて汚れるってのは、神様の前にはその位のもんだもんね。



ある人は、お金に不自由しないで正義を当然として過ごし、自分の存在意義をしっかり教えられてる環境にあり立派と皆が云う様な立場の人が居る。

でも、ある人は、親を失いお金もなく、周りから見下げる視線を感じながら、自分自身の存在意義を見失いながら過ごすような貧しい・弱者と云われる環境にある人も居る。


僕らが云う一般に「罪」という結果に繋がる人は確かに環境によって左右される事もある。

でも
僕らはどんな環境に育ったとしても罪で汚れてる事は一緒たし、どんな環境であっても僕らはその汚れを一掃される神様の愛も実は変わらない事を知るべきかもしれない。

他人と比べ、実は神様が与えれた育む事の出来た環境において自分の能力・存在を誇る事が出来るだろうか?

神様の愛の前で、思いあがる事の無いように、与えられた環境を感謝して過ごしたいですね。




第二は
●慎み深く考えよ


思いあがるという行為を、更に積極的に考え
る事で更に謙遜に生活する事が出来るかもしれない。



最後は
●共に生きる姿に現されるものだ


人は其々だ。育った環境も、育ってきた文化も違う。にも関わらず、僕らは直ぐに人と比較してしまう。

此処では体の器官を通して語られてる。

例えば、目と口は全く異なる働きをする。当然体としての働きも違う。体の役割(貢献)も様々だ。
目からすれば口としての働きも違うから、目の立場としてお前は見る事が出来ないからツマラ
ン!なんて事は言えない。当然口も目に対して食べる事の出来ないお前は役に立たないなんても云えない。。


でも
僕らは互いに違うのに、比較し合う。


確かに見た目同じ様な人間もいてる。しかし双子でさえも全く異なった存在として神様は一人一人を創られて居る事を知らなければならない。
生きてきた環境によって、見える世界も異なるし、それぞれおかれた立場が違うモノだから。僕ら一人一人は特別に大切な存在同士という事だ。


だから、
僕らはそれぞれの立場で高ぶる事なく、神様に創られた存在として神様の視点で謙遜に自分の立場・役割を省みる必要があるかもですね。



こんな言葉もある。
。。。。。。。。。。


1cor12:21 そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うこともできません。


1cor12:22 それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。


1cor12:23 また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、


1cor12:24 かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。


1cor12:25★それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。


1cor12:26 もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。


1cor12:27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
。。。。。。。。。。


自分はつまらない存在だ。

なんて思いも、神様を否定した考え方かもしれませんね。


もし、そう思えるほど自分を見ているなら、神様はことさらに尊ぶ器官としてあなたを見てる事をおぼえましょう~。

あなたは、そして僕はお互い特別で素晴らしい存在だ~。


では、
今週もそれぞれの立場で高ぶる事なく謙遜に生かされる日々を楽しむ事が出来ます様に。

祈ってますね。




今日の箇所は此処から。

。。。。。。。。。。


rom12:1★そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたの
からだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

rom12:2★この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

rom12:3 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。

rom12:4 一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、

rom12:5 大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。

rom12:6 私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物
を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。

rom12:7 奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。

rom12:8 勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行なう人は喜んでそれをしなさい。

rom12:9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。

rom12:10 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。

rom12:11★勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。

rom12:12★望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。

rom12:13 聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。

rom12:14 あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。

rom12:15 喜ぶ者といっしょに喜び
、泣く者といっしょに泣きなさい。

rom12:16 互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。

rom12:17 だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。

rom12:18 あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。

rom12:19  愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」

rom12:20★もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。

rom12:21★悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。
。。。。。。。。。。

こんばんわ。

今日は少し早いかな・・。

では、早速今日もワーシップタイム。


今日のテーマは『 献身 』。 少しづつみていきましょうね~。

で、メインの箇所はココ。(新改訳聖書)

。。。。。。。。。。


rom12:1 ★そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。


rom12:2 ★この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

。。。。。。。。。。


この箇所から今日の内容は3つ。

・自発的な応答

・何を捧げるのか?

・新しい生き方へ・・・

 


まず、

神の憐れみゆえの自発的な応答という事から。


1jhn4:11  愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。

1jhn4:19  私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。



当然愛するようになる。って事なんですって。

献身っていうのは、結婚にも似てる。それは、自分のしたい事を抑えて相手を愛するが故に優先する行為はまさに、伴侶に対しての献身なのかもしれない。


こんな話からも云えるかもしれない。

それは、ジャンバルジャンの話


銀の皿を盗んだのに
司教が与えたんだと言った食器によって生き方が変えられてく物語。


受けた恵みを体感したことで変えられてく世界がある。




しかし、

僕らは神様の愛を本当に体感しているだろうか?


哀れみの故の自発的な応答であるなら、僕らはその愛を本気で体感しているのだろうか?
それは本当? 少し考えてみませんか?



先に
此処で礼拝って何を捧げるのか?という質問を。。


それは、心だろうか?


実は

あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。 だという事なのです。


僕らが礼拝するのは全存在で応答する事が必要だという事。


何故だろう?

礼拝の原語は プロ‐スクネオ という言葉。

これは プロ(近づく) と スクネオ(キスをする) という2つの言葉によって成されている。

まるで

小さな子供がジーザスに駆け寄って、膝に乗っかってキスをしている様子を思い浮かべさせられる。

ジーザスもこの幼子の様でなきゃ天の国を継ぐことは出来ないって云ってるモンね。


あなたのからだをってのは、

そのままおいで。って事なのかも。ですね~。


そして、
新しい生き方への献身について なんですが、

この世と調子をあわせてはならない。って事なんだけど、

僕らは知らず知らず僕らは会わせてることがあるから、そこに気付いて離れないとって事なのかも。





では、先ほどの話題を。

その前に、少し訳の違うバイブルを開く事で解りやすくなると思うので少し紹介。

。。。。。。。。。。


1 兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。

2 あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。

。。。。。。。。。。


実は此処では

心を新たにすることによって、造りかえられ、と記されている。



変えられるのは、
心を新たにすることで
造りかえられ ると記されている。



それは
僕ら自身の努力ではない。





気を付けなければならない事は
心を新たにすることが条件となってる事。



どういう意味なのか?


それは
僕らの心が何を見ているのか?とも云えるのかも知れない。
この世に照準があってる心を神様の照準に切り替える事が必要となるって事ですね。


よくよく考えれば
この世を支配してるのはサタン君。そのサタン君に僕らは従う事を選んでるって事ですもんね。

神様に心を支配ささかれる為に、神様が僕らに与えられた愛を知ることを求めてみませんか?


神様は霊的な方。
僕ら肉体に制限されてるままで、神様自身を知ることは出来ない。


実は神様を
信じるときに与えられる御霊によってしか、僕らは知りうることが出来ない。



僕らは日頃触れる情報によって人格を形成されていく。

僕らは神様によって創られたにも拘らず。

サタン君の支配下で、サタン君の情報に触れながら過ごしたままで良いのだろうか?


神様は、僕らを愛しているからこそ

そんなサタンの領域から 新たに僕の領域に心を移してね!って云ってるのかもしれませんね。


。。。。。。。。。。


2 あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。

。。。。。。。。。。



神様の領域に御霊によって新たに踏み込んでいく事で、僕らは造りかえられる。

愛されてると知的に解ったからって、中々僕らは変わることは出来ない事もある。



少し違う視点でみると

造りかえたいのは、神様なんですよね。

僕らを愛してる神様が、サタンの支配下でズレて歪んでいく僕らに解決を与えたくて

だから

御霊によって心を新たにすることで、サタンから開放したい。



開放される事によって、

神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知る。事になる。


当然、この世と妥協することなんてなくなる。 という事なんでしょうね。




今日のテーマは

難しい言葉の羅列のように見えるけど、愛に溢れたメッセージだったんですね。



是非、人の理解を超えて

共に御霊によって教えられていきませんか。




今週も神様の愛を体感しながら、素敵に過ごす事が出来ます様に。

祈ってます。




今日の箇所は此処。

。。。。。。。。。。


rom12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物 としてささげ なさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝 です。

rom12:2 この世 と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新 によって自分を変えなさい。

rom12:3  私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い 考え方 をしなさい。

rom12:4  一つのからだには多くの器官 があって、すべての器官が同じ働きは しないのと同じように、

rom12:5  大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官 なのです。

rom12:6  私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。

rom12:7  奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。

rom12:8  勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行なう人は喜んでそれをしなさい。

rom12:9  愛には偽り があってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。

rom12:10  兄弟愛 をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい

。。。。。。。。。。