クリスマス クイズ~!! | へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

今朝Facebookで少しクイズを出させていただきました。


そこからの転記となりますが。。。


クリスマス クイズ~!

今朝出させて頂いた問題。
クリスマスによく聴く僕の大好きなこの曲を先ず聴いてみてください。


レーナ・マリア / 馬槽の中に



この歌詞の中で一つバイブルに記された言葉と違う単語が使われています。バイブルでは大切なキーの言葉なのですが・・・なんという単語でしょうか?



・・・



・・・



・・・


答えは 

なんと題名になってる『 まぶね 』でした~。

バイブルを読んでいくとその箇所は「飼い葉おけ」とだけ記されていて、

馬小屋とは記されていない事に気付くと思います。


http://homepage3.nifty.com/IUCC/amos/bible/n0302.html



歴史を見てみるとどうやら、

その頃のイスラエルで飼う家畜の中に馬はどうやら居ないようなのです。


その当時の家畜はロバ・牛・羊がメインでもしかすれば馬もありえるのかもしれないのですが、かなりその可能性は薄いようです。

絵画では屋根のついた家畜小屋が描かれてますが、その当時は洞穴で羊も含めて飼育していて、羊飼いが街囲いの外で夜番をと記されてるので、その時に空いたスペースができて「あ・・ここなら空いてるから。。」ってな感じで、マリアとヨセフは其処で過ごし、ジーザスの誕生となったのかもしれませんね。




でも

少し残念なコトと思えることがあります。


バイブルの中に僕の心に焼き付いている言葉があります。
http://homepage3.nifty.com/IUCC/amos/bible/o2353.html

isa53:7 彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。

isa53:8  しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。




ここでも記されてる事ですが、ジーザスは神の「小羊」と呼ばれてます。何故なのでしょう?
それは、人の咎を帳消しにする為、神様が定めた事の一つ。



表現は難しいですが

傷のない小羊を殺さなきゃならないほど、僕らはズレてるとさとらせる為のモノだった。

・・

実際に神様が創られたこの世界で一番最初に殺生をしたのは神様だったんですから。
http://homepage3.nifty.com/IUCC/amos/bible/o0103.html



聖い神様は、大好きな 『友』 『子』 として創られた人(アダムとイブ)が、

サタンの声を信じて汚れてしまい一緒に過ごす事が出来なくなってしまった。


そんな人に対して、汚れを取り除く行為として「皮の衣」を着せてあげたんです。

ここで記されてる「皮の衣」も実は羊ではないかと僕は思ってるんです。


神様まは僕らのコトが大好きで仕方が無い。

サタンによって汚れたままで、サタンを滅ぼす為の永遠の地獄に本気で愛する人を道連れにされたくない。で・・・神様はご自身の子であるジーザスを、人の咎を取り除く為に・・身代わりに殺す為に、神の小羊として生まれさせた。




それがクリスマス。


だから、

僕は馬小屋・・まぶねっていう単語は、神様の思いからすれば絶対に使ってはならない単語だと思ってるんです。



ではもう少し
神さまの僕らへの愛を示す予言の箇所があるので紹介しますね。


ジーザスの誕生はどう予言されたのか?





僕の大好きな聖句の一つ。
http://homepage3.nifty.com/IUCC/amos/bible/n0101.html

mat1:22 このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。

mat1:23  「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。《(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)(→イザヤ7:14★)



ジーザス誕生の700年も前の予言者を通して語られた神様の思いは、「僕はいつも一緒にいるからね。」だった。

当然僕ら人が神様に目を向ける前。


神なんて居ないなんて意識すらしない・無視をするような状態のなかでも、「僕はいつも一緒に居るからね。」だった。


今は、バイブルでも記されているが、この世はサタンが支配している状態。その中で僕らは様々な不条理を憶え、この世を憎み失望して生きているのが現状だ。
「神なんて居ない!」そう叫ぶのは当然に感じる。

しかし
この世界はサタンに支配されている。




神様のジレンマ。
僕らは感じる事が出来るでしょうか?


神様は、神の小羊としてジーザスをこの地上に贈られた意味が

なんとなく解って下さったら僕もホンマ嬉しいです。



折角です。
このクリスマス。

そんな神様の思いに心の目を向けてみませんか?

まぶねって言葉は使われていますが、

僕らと一緒に居たい神様の思いが伝わるこの歌。もう一度聴いてみませんか?

http://www.youtube.com/watch?v=M-tdyFRCusY





良かったらコチラでも見に来てくださいね~。是非是非!!

http://www.facebook.com/morita.makoto.3#!/morita.makoto.3/posts/509952359050186?notif_t=like


僕はこんな奴で~す。