へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy -7ページ目

へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

僕にとって

祈りとは独り言の延長。




独り言は

自分が語る言葉を受け取る行為。





僕の独り言は少し違う。




僕の独り言は

僕自身がその言葉を受け取るのではなく、

僕には見えないのだけど、僕よりも前に存在し、全ての全てである神様が受け取ってくれるから。






僕は人には独り言のようだけど。


実はそれは二人言。






一般にはバイブルでは「 お祈り 」と呼ばれている。




僕のお祈りは手を組まない事の方が多い。

それは、

本当に独り言のように、いつも語っているから。


だから

目を開けたままのときが殆どだし

トイレの時もだし

(スッキリ出ます様に・・)

お風呂の時も。。。

(うわ~感謝っす。気持ちいいですわ~)


自転車こいでる時も

(遅刻しそうです。事故の無いように早く到着させて・・・)

ご飯を食べてる時も

(余り食べ過ぎないように助けて・・食欲が抑えられます様に・・・)


仕事をしてる時も

(スッキリ サックリ出来ますように・・・ )

仕事をして怒られてる時も・・・。

(早く怒られる時間が過ぎますように・・・。心が挫けません様に。なんて・・・)





だって

僕らは実は神様と一緒に居るんだから。




反応がないのに アホちゃう? って思ってるでしょ~。



僕も最初はそうだった。

でもね。

解ってくるものなんですね。


不思議な世界です。





バイブルに記されてる事は本当に真実なんです。

だから

試してみて。



素敵な神様の温もりを感じる事が出来るから。



でも

それは小さな小さな

独り言に応えてくれる反応に意識を集中する事から。




僕らの独り言は

決してそのまま空に沈んでいくものではないから。  大丈夫。



だから

少しアホみたいだけど

神様との二人言 すこしづつ試して見て下さい。






今まで反応がなかったのに

僕は君には見えないのに

見えない真実を信じて声をかけてくれるんだね!って


神様は本当に喜んでくれるから。




だって。

僕らが神様を知ろうと知るまいが

僕らが大好きで大好きでずっと一緒にいてくれてたんだから。





いつも一緒。


 

jhn1:2  この方は、初めに 神とともにおられた。

jhn1:3  すべてのものは、この方によって造られた 。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。


mat1:23   「見よ、処女 がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエル と呼ばれる。《(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)(→イザヤ7:14




もしかして

こう考える時があるのかもしれない。


僕は神様をそんなに信じてるわけじゃないから・・・

困った時の神頼りなんて・・・




でも、少し視点をかえてこう考えてみたらどうだろう?


昔から片思いの大好きな人が、声をかけてくれる!!って。




ドキドキだよね。







僕は 実は神様もそんなドキドキの反応をされてるんだと思ってる。





あなたの独り言が神様にドキドキを与えるんだって。





どう?

神様へ言葉を発したくなったかな?





当然初めは半信半疑。

それで構わない。


でも、小さな小さな神様の反応に意識してみてね。

そよ風のように・・これ神様なのかな?って思える事が増えてくるから。

そしたら

その時に、もしコレが神様の仕業だったら「 ありがと~ 」って云えたら

これまた

神様は大喜びに違いないね。



それでは

また次の機会には、絶対に効かれる祈り!?をお伝えしますね。



おはようございます。


朝からどーも。
今日も勝手にワーシップタイムをおおくりしますね。




今日は植物の接ぎ木について学びましょ~。今日の箇所はオリーブの接ぎ木についての仕方!?


でも、
本当なんです。
。。。。。。。。。。


rom11:24 もしあなたが、野生種であるオリーブの木から切り取られ、もとの性質に反して、栽培されたオリーブの木につがれたのであれば、これらの栽培種のものは、もっとたやすく自分の台木につがれるはずです。
。。。。。。。。。。



ん・・。
ど~いう事?





では、早速今日の内容を。

神様はイスラエルの民を選んで、特別の約束をして支えられた。アブラハム、イサク、ヤコブと歴史を重ねながいつも神様は特別に扱われた。しかし、人は神様の恵みを忘れ自分の欲の為によってズレていった。そして神が特別な約束をした型として祝福の約束にある関係を自ら離れる事になっていった。

そして
イスラエルの民はバラバラになった。


今日は、ジーザスが全ての罪を背負われて十字架で死なれた事により、イスラエルの民以外にも恵みの約束が拡大した後の話。




特別視されたイスラエルの民は、ジーザスの存在をメシヤ(救い主)として認めなかった。そして、神の愛から離れ聖書を利用し自分の立場を優先する彼等は立場を危うくさせられるジーザスの存在を認める事が出来なかった。



しかし、
拡大された恵みを知ったイスラエル以外の民(異邦人)は、その恵みを大いに喜んで受け入れていった。



本来
神様と約束したのはイスラエルの民の方だった。しかし、当初から特別に扱われていないイスラエル以外の民が、その約束にこぞって入る事になる。


神様の恵みの約束は
ジーザスの十字架の死と復活により特別な枠組みが取り払われた為だ。


そして僕らも
その約束に預かる者では無かったかもしれないが、今はイスラエルの民の土台の上に僕らは接ぎ木された民と云えるのかもしれない。



恵みは
今、僕ら一人一人に与えられている。


当初の約束ではないけれども、今は僕らも最初の特別なイスラエルの民の約束に繋がれて、神様の恵みを受ける事が出来るようになった。

。。。。。。。。。。


rom11:16 初物が聖ければ、粉の全部が聖いのです。根が聖ければ、枝も聖いのです。
。。。。。。。。。。


繋がれてるのが、確かな土台だからこそ、僕らは接ぎ木だとしても、全く同じ恵みを受ける事になる。

今は僕らも特別な存在だ。


僕らは
旧約時代のアブラハム、イサク、ヤコブの神様とは、無縁だと思える時もある。

けれども、実は
その時代に特別に扱われた内容を知る事で更に、僕らがどれだけ凄い方に特別扱いされているかを知る事が出来る。


そして、特別に扱われた
神様のぬくもりを感じる事が出来る。



さて、
僕らは何をみてどう行動しますか?



今週も神様の特別なぬくもりを感じながら過ごす事が出来ますように。。




今回の箇所は此処から
。。。。。。。。。。


rom11:13 そこで、異邦人の方々に言いますが、私は異邦人の使徒ですから、自分の務めを重んじています。

rom11:14 そして、それによって何とか私の同国人にねたみを引き起こさせて、その中の幾人でも救おうと願っているのです。

rom11:15 もし彼らの捨てられることが世界の和解であるとしたら、彼らの受け入れられることは、死者の中から生き返ることでなくて何でしょう。

rom11:16 初物が聖ければ、粉の全部が聖いのです。根が聖ければ、枝も聖いのです。

rom11:17 もしも、枝の中のあるものが折られて、野生種のオリーブであるあなたがその枝に混じってつがれ、そしてオリーブの根の豊かな養分をともに受けているのだとしたら、

rom11:18 あなたはその枝に対して誇ってはいけません。誇ったとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのです。

rom11:19 枝が折られたのは、私がつぎ合わされるためだ、とあなたは言うでしょう。

rom11:20 そのとおりです。彼らは不信仰によって折られ、あなたは信仰によって立っています。高ぶらないで、かえって恐れなさい。

rom11:21 もし神が台木の枝を惜しまれなかったとすれば、あなたをも惜しまれないでしょう。

rom11:22 見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。

rom11:23 彼らであっても、もし上信仰を続けなければ、つぎ合わされるのです。神は、彼らを再びつぎ合わすことができるのです。

rom11:24 もしあなたが、野生種であるオリーブの木から切り取られ、もとの性質に反して、栽培されたオリーブの木につがれたのであれば、これらの栽培種のものは、もっとたやすく自分の台木につがれるはずです。

rom11:25 兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、

rom11:26 こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。「救う者がシオンから出て、ヤコブから上敬虔を取り払う。

rom11:27 これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。」

rom11:28 彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、先祖たちのゆえに、愛されている者なのです。

rom11:29 神の賜物と召命とは変わることがありません。

rom11:30 ちょうどあなたがたが、かつては神に不従順であったが、今は、彼らの上従順のゆえに、あわれみを受けているのと同様に、

rom11:31 彼らも、今は上従順になっていますが、それは、あなたがたの受けたあわれみによって、今や、彼ら自身もあわれみを受けるためなのです。

rom11:32 なぜなら、神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を上従順のうちに閉じ込められたからです。

rom11:33 ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。

rom11:34 なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか。

rom11:35 また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。

rom11:36 というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。
。。。。。。。。。。

自由。



それは何も拘束されない状態。




自由という言葉がある以上、僕らを拘束する存在があるという事を忘れてはダメ。

そして

その拘束された状態だけを見つめて

あ・・・こんな思いになってた。。とか言っても仕方がない。



僕らが見つめなきゃならないのは、その根源。




でなきゃ

僕らは囚われた状態に陥った 自分自身を責める事になるから。



バイブルでは、その名前を「 罪 」(本来の意味はズレるという意味)として記されている。

(僕は誤解を生む事になるから、罪という言葉を使う事は個人的に大嫌い。)




その根源は  ・・・  アイツ 。


そう、

正解は、サタン君だね。





こんな聖句を静かに見つめていたら、きっと語りかけてくる真理が見えてくる。

パウロさんはこんな風に語ってますね。何故でしょう?


rom7:18  私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。

rom7:19  私は、自分でしたいと思う善 を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。

rom7:20  もし が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行なっているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。



え・・!?

僕が悪いんじゃない・・・悪いのは罪(本来の意味はズレるという事)やねん。って。

なんか責任転嫁して酷くないですか??


でも

考えてみたいのは、ズレる(罪)というのは何故起こるのか?

それは、人がサタンに従おうと心に決め、神様よりもサタンの言葉を信じて行った事による。。

あの

エデンの園で。



その時、本当に正しい事しか知らない体に

サタンの言葉を信じて選んだ事によって、

僕ら本来の本質からズレルDNAが僕らの体に組み込まれる事になった。

・・・ズレは僕らのアイデンティティを奪ったって事とも云えるね・・・

(それがバイブルでは原罪と呼ばれる《罪を犯す源》)




では、

僕らはズレないよう如何に生活をするか?






どう考えられますか?






今、どう僕らは生きていますか?






もしかしてメチャメチャ頑張ってますか?





それとも

出来ないと諦めて、自分を責め、

そして罪を犯す人たちを見下げ責めて生きていますか?






それは

サタン君 の 罠かも。



さっきのパウロさんの言葉の続きを少し見てみましょう。


rom7:21  そういうわけで、私は、善をしたい と願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。

rom7:22  すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、

rom7:23  私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。

rom7:24  私は、ほんとうにみじめな人間 です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。

rom7:25  私たちの主イエス・キリストのゆえに 、ただ神に感謝しますですから 、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。


 




私は、本当にみじめな人間です!!叫んでますね。


叫んだ事あります?!

僕は叫び続けましたよ~。シンドカッタわ。。





でも

その後に、『 私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。 』 だって。。


パウロさんはみじめな人間です!!って叫びながら

何も囚われない自由を体験してるんだよね。  スゲーよね!!





この体験する秘訣は次回に記しますね~。。




最後にその秘訣にヒントの箇所を。


1cor9:25  また闘技をする者 は、あらゆることについて自制 します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠 を受けるためにそうするのです。

1cor9:26  ですから 、私は決勝点 がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。



さてハテ。

僕らはそんなみじめな人間から、どう自由で感謝溢れる生活に入る事が出来るのでしょう??




楽しみにしてみましょうね。

では。

コンバンワ。

毎度毎度遅くなってますね。。。スイマセン。

それでは、やっぱり勝手にワーシップタイムをおおくりしますね。



今回はいつもの教会に私事で行けず

違う教会で一人で礼拝に参加しました。



そこでは、コロサイ書を。

コロサイとは、トルコの小アジアの町。

バウロは獄中で監禁されてる間にこの書を記した。



此処で記されてるのは『 望み 』

cls1:5 それらは、あなたがたのために天にたくわえられてある望みに基づくものです。あなたがたは、すでにこの望みのことを、福音の真理のことばの中で聞きました。


『天にたくわえられてある望みに基づくもの』


 

この箇所と似た箇所が此処にも。

1pet1:3  私たちの主イエス・キリストの 父なる神 がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中から よみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望み を持つようにしてくださいました。

1pet1:4  また、朽ちること も汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられている のです。



『 生ける望み 』



では
希望とは何だろう?



・広辞苑では、
ある事を成就させようとする事・・。


・類語辞典では、
未来に対する期待。見通し。




希望とは
将来の事で実現可能なモノという事が云えるのかもですね。




しかし、今の世界はどうだろう?
毎年三万人以上自殺のあるこの世界で『 希望 』はあるだろうか?



僕らに希望は持てるだろうか?

弱いものがいつも虐げられ、貧富の格差が広がっていくこの世界で・・・。



この世に将来確実!というものなんてない。

僕らは不確かなモノにしか期待出来ず、またソレを求めても得る事が出来ない無い事等当然あり得る。

大会社の倒産等、当然と思ってたものが一瞬の内に失う事だってある。



しかし、
ジーザスが用意された『 希望 』は神様の御国。

死んだ後の話なの?なんて思えてきませんか?

でも
神の御国は、天国だけではなく、この世全てを支配される神様の霊の世界。

当然僕らには見えず、感じる事が出来ないかもしれないけど、

今ある現実の世界でもある。



だから、僕らはどんなに見える世界・感じる世界が辛くとも

前を向いて歩んでいける。


rom5:3  そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を 生み出し、

rom5:4  忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。




今ある世界の将来を支えておられる方と共に居るから。。

だから、その見えない僕らの将来も信頼出来る。


そして、

此処に記されてるように踏ん張る事だって出来る。

僕らに迫ってくるサタンの攻撃は、この希望へと繋がるとバイブルを通して知ったから。



しかし、この希望よりも素晴らしいものがある。

それはコレ。

1cor13:13 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛 です。その中で一番すぐれているのは愛です。



神の愛程、確かなモノはない。
この愛こそが
最大の希望である。




こんな箇所からもそれは伺えるかも。


1jhn4:15  だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちに います。

1jhn4:16  私たちは、私たちに対する神の愛 を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちに おり、神もその人のうちにおられます。

1jhn4:17  このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちが、さばきの日にも大胆さ を持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあって キリストと同じような者であるからです。

1jhn4:18  愛には恐れ がありません。全き愛 は恐れを締め出します。





様々な問題の中で過ごしていても、大丈夫。

僕らの愛は不完全であっても、神様の愛は完全で全き愛 は恐れを締め出します。んですから。



愛すら、知らなくても大丈夫。

僕らはその愛そのものの方を「 僕にはあなた(神様=愛)が必要だ! 」 と叫ぶだけで。


例え、その方が見えなくても。

例え、感情で心が震える事が無くても大丈夫。



神様は僕らの祈りに耳を傾けて

必要な全ての事を与えたいって誰よりも思っててくれる方だから。。。ね。




もう一度あの箇所に戻ってみましょう。

cls1:5 それらは、あなたがたのために天にたくわえられてある望みに基づくものです。あなたがたは、すでにこの望みのことを、福音の真理のことばの中で聞きました。

cls1:6 この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。



此処で注意したい事は

望みは、福音の真理を理解した時からのモノだという事。



福音とは神様の恵み。

バイブルに記された神様に愛されているという真実。

そして、その愛されている僕らに約束された言葉の一つ一つ。



一番大切なのは、
福音、恵みを理解する事。



今まで福音(バイブルに記された僕らを愛する神様の約束)を聴いた事が無くても全く大丈夫。

今、もしかしたらそうかも~。と、

本当にそんな神様が居るんだったら~って、祈ってみたら解ってくるから。


もし、信じて愛の神様を体感しているなら

日々一瞬一瞬体験する為に、神様の御国に近づいていきたいものですね。



目には見えないけれど、僕らにはソレが出来る。

全ての事を感謝し、そして神様の実際(賛美)を言葉として発する事で。


psm100:4  感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。







希望とは、

将来を体験した事の無い僕らに、約束された将来を

既に知っておられる方と共に過ごす事なのかもしれないですね。





是非、今  もしかしたら・・・って信じてみませんか?

信じる事は此処に記されている通り将来あるだろう事実を神様に信頼するという事だから。


『 信仰は、望んでいる事柄を確信し、まだ、 まだきていない事実を確認することである。 』




時をも創られた方は

「 今 」という瞬間に制約されて居らず、僕らの将来も同時に体感されている方なんですもんね。




失望せずに過ごす事が出来るのは

信じようとしている僕らの神様は僕らの事を本気で愛されている事を知る事から始まるのかもしれない。




僕らは決して失望を与えるサタンに屈する必要が無い。

目に見える世界は、本当に厳しすぎるかもしれない。でも。

神様が僕らに与えたい将来は、今見える世界の延長に描くものだけではないだろうから。



僕らは神様と共に描く事が出来る。

僕らの将来像を、心に与えられる祈りによって。また賛美によって。




今週は期待して祈ってみませんか?

大胆に神様の御前に進み出て、共に祈りましょうね。




きっと素敵な1週間。

失望を与えるサタンに目を向けずに、希望満々の神様を見上げる事が出来ますように!!



祈ってます。


。。。。。。。。。。


cls1:1 神のみこころによる、キリスト・イエスの使徒パウロ、および兄弟テモテから、

cls1:2 コロサイにいる聖徒たちで、キリストにある忠実な兄弟たちへ。どうか、私たちの父なる神から、恵みと平安があなたがたの上にありますように。

cls1:3 私たちは、いつもあなたがたのために祈り、私たちの主イエス・キリストの父なる神に感謝しています。

cls1:4 それは、キリスト・イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対してあなたがたが抱いている愛のことを聞いたからです。

cls1:5 それらは、あなたがたのために天にたくわえられてある望みに基づくものです。あなたがたは、すでにこの望みのことを、福音の真理のことばの中で聞きました。

cls1:6 この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。


。。。。。。。。。。

何の為に生きているか?

そんな事考えた事ありますか?





もし考えているとすれば、

それは、もしかして・・・この世の不条理にまた自分自身に嫌気をさしたからでは?




僕もそう。

死にたかった。




僕は双子としてこの世に生まれた。

兄貴は決して悪くなく、僕の憧れでもあった。

一卵性双生児だった事もあり、誰もが僕らを間違えた。

短大に行ってたときは、ボーリングの授業を兄貴と交代して誰も気付かなかった。




そんな僕らは比較が絶えなかった。

そして、その比較は僕が圧倒的に負けていた。

僕は全てにおいて劣っている。そう思えてならなかった。



そんな心の状態だったから・・・

僕は他人の雰囲気を感じ取り、その場をその人に合わせていくのが得意になっていた。



僕は僕自身で無くなり

何の為に生きているのか?全てに虚無感を感じるようになっていた。





頼る人も居らず

空しさ一杯で僕はバイブルによりすがる事しか出来なかった。

正直殆ど解らんかった。




でも、僕が生きることに

真剣に考えてたのはこんな言葉に出会ってからかも。


。。。。。。。。。。


glt5:13  兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。・・・・・

。。。。。。。。。。





『 自由 』




僕らには自由が与えられる。


それも

本当にホンモノの自由が。



本当の自分自身に出会えるのかも・・・?なんて事も考えた。




でも、少し考えてみたい。

自由とはなんなのか?


それは、束縛するものがなければ、その自由を体験する事は出来ない。





この箇所の少し前にこんな言葉がある。

。。。。。。。。。。


glt5:1  キリストは、自由 を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから 、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。

。。。。。。。。。。




キリストが自由を得させた。

そして

対極に奴隷のくびきを負わされている。と記している事に注意して欲しい。





僕らは囚われている。

この世はサタンによって支配されているのだから。

・・・・・・・・・・


mat10:16  いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、 の中に羊を送り出すようなものです。ですから 、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。



eps6:12  私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。


1jhn5:19  私たちは神からの者であり、全世界は悪い者の支配下にあることを知っています。

・・・・・・・・・・・



もし

世に空しさを感じているのなら、その真実を知らされたって事。

それは、僕ら自身の力によってではなく

神様の働きによって知らされたに違いない。



僕らは召されているって事。

だから

実は僕らは真の自由の入り口に立っているのかもしれない。





バイブルが本当に真実ならば・・・。



ジーザスは僕らに現実を知らせ

真の自由を。 真の開放を与えようとされているみたいだね。





そして、

真の自由が与えられるのは

今見える世界に不条理を感じる事が出来る人。若しくは、人の不完全さに空しさを感じている人。


今生きている世界で、貧しい者・弱さを感じている者だけなのかも知れないですね。




僕らは貧しい者ですか?

弱さを感じている者でしょうか?


なら・・・


僕らはきっと 真 の 『 自由 』 の入り口に立ってるに違いない。






では、今日も

真実を知るために、こんな祈りしてみませんか?




神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。



ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.