コンバンワ。
毎度毎度遅くなってますね。。。スイマセン。
それでは、やっぱり勝手にワーシップタイムをおおくりしますね。
今回はいつもの教会に私事で行けず
違う教会で一人で礼拝に参加しました。
そこでは、コロサイ書を。
コロサイとは、トルコの小アジアの町。
バウロは獄中で監禁されてる間にこの書を記した。
此処で記されてるのは『 望み 』
cls1:5 それらは、あなたがたのために天にたくわえられてある望みに基づくものです。あなたがたは、すでにこの望みのことを、福音の真理のことばの中で聞きました。
『天にたくわえられてある望みに基づくもの』
この箇所と似た箇所が此処にも。
1pet1:3
私たちの主イエス・キリストの
父なる神
がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中から
よみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望み
を持つようにしてくださいました。
1pet1:4
また、朽ちること
も汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられている
のです。
『 生ける望み 』
では
希望とは何だろう?
・広辞苑では、
ある事を成就させようとする事・・。
・類語辞典では、
未来に対する期待。見通し。
希望とは
将来の事で実現可能なモノという事が云えるのかもですね。
しかし、今の世界はどうだろう?
毎年三万人以上自殺のあるこの世界で『 希望 』はあるだろうか?
僕らに希望は持てるだろうか?
弱いものがいつも虐げられ、貧富の格差が広がっていくこの世界で・・・。
この世に将来確実!というものなんてない。
僕らは不確かなモノにしか期待出来ず、またソレを求めても得る事が出来ない無い事等当然あり得る。
大会社の倒産等、当然と思ってたものが一瞬の内に失う事だってある。
しかし、
ジーザスが用意された『 希望 』は神様の御国。
死んだ後の話なの?なんて思えてきませんか?
でも
神の御国は、天国だけではなく、この世全てを支配される神様の霊の世界。
当然僕らには見えず、感じる事が出来ないかもしれないけど、
今ある現実の世界でもある。
だから、僕らはどんなに見える世界・感じる世界が辛くとも
前を向いて歩んでいける。
rom5:3
そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を
生み出し、
rom5:4
忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
今ある世界の将来を支えておられる方と共に居るから。。
だから、その見えない僕らの将来も信頼出来る。
そして、
此処に記されてるように踏ん張る事だって出来る。
僕らに迫ってくるサタンの攻撃は、この希望へと繋がるとバイブルを通して知ったから。
しかし、この希望よりも素晴らしいものがある。
それはコレ。
1cor13:13
★
こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛
です。その中で一番すぐれているのは愛です。
神の愛程、確かなモノはない。
この愛こそが
最大の希望である。
こんな箇所からもそれは伺えるかも。
1jhn4:15
だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちに
います。
1jhn4:16
私たちは、私たちに対する神の愛
を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちに
おり、神もその人のうちにおられます。
1jhn4:17
このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちが、さばきの日にも大胆さ
を持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあって
キリストと同じような者であるからです。
1jhn4:18
愛には恐れ
がありません。全き愛
は恐れを締め出します。
様々な問題の中で過ごしていても、大丈夫。
僕らの愛は不完全であっても、神様の愛は完全で全き愛
は恐れを締め出します。んですから。
愛すら、知らなくても大丈夫。
僕らはその愛そのものの方を「 僕にはあなた(神様=愛)が必要だ! 」 と叫ぶだけで。
例え、その方が見えなくても。
例え、感情で心が震える事が無くても大丈夫。
神様は僕らの祈りに耳を傾けて
必要な全ての事を与えたいって誰よりも思っててくれる方だから。。。ね。
もう一度あの箇所に戻ってみましょう。
cls1:5 それらは、あなたがたのために天にたくわえられてある望みに基づくものです。あなたがたは、すでにこの望みのことを、福音の真理のことばの中で聞きました。
cls1:6 この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。
此処で注意したい事は
望みは、福音の真理を理解した時からのモノだという事。
福音とは神様の恵み。
バイブルに記された神様に愛されているという真実。
そして、その愛されている僕らに約束された言葉の一つ一つ。
一番大切なのは、
福音、恵みを理解する事。
今まで福音(バイブルに記された僕らを愛する神様の約束)を聴いた事が無くても全く大丈夫。
今、もしかしたらそうかも~。と、
本当にそんな神様が居るんだったら~って、祈ってみたら解ってくるから。
もし、信じて愛の神様を体感しているなら
日々一瞬一瞬体験する為に、神様の御国に近づいていきたいものですね。
目には見えないけれど、僕らにはソレが出来る。
全ての事を感謝し、そして神様の実際(賛美)を言葉として発する事で。
psm100:4
感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。
希望とは、
将来を体験した事の無い僕らに、約束された将来を
既に知っておられる方と共に過ごす事なのかもしれないですね。
是非、今 もしかしたら・・・って信じてみませんか?
信じる事は此処に記されている通り将来あるだろう事実を神様に信頼するという事だから。
『 信仰は、望んでいる事柄を確信し、まだ、 まだきていない事実を確認することである。 』
時をも創られた方は
「 今 」という瞬間に制約されて居らず、僕らの将来も同時に体感されている方なんですもんね。
失望せずに過ごす事が出来るのは
信じようとしている僕らの神様は僕らの事を本気で愛されている事を知る事から始まるのかもしれない。
僕らは決して失望を与えるサタンに屈する必要が無い。
目に見える世界は、本当に厳しすぎるかもしれない。でも。
神様が僕らに与えたい将来は、今見える世界の延長に描くものだけではないだろうから。
僕らは神様と共に描く事が出来る。
僕らの将来像を、心に与えられる祈りによって。また賛美によって。
今週は期待して祈ってみませんか?
大胆に神様の御前に進み出て、共に祈りましょうね。
きっと素敵な1週間。
失望を与えるサタンに目を向けずに、希望満々の神様を見上げる事が出来ますように!!
祈ってます。
。。。。。。。。。。
cls1:1 神のみこころによる、キリスト・イエスの使徒パウロ、および兄弟テモテから、
cls1:2 コロサイにいる聖徒たちで、キリストにある忠実な兄弟たちへ。どうか、私たちの父なる神から、恵みと平安があなたがたの上にありますように。
cls1:3 私たちは、いつもあなたがたのために祈り、私たちの主イエス・キリストの父なる神に感謝しています。
cls1:4 それは、キリスト・イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対してあなたがたが抱いている愛のことを聞いたからです。
cls1:5 それらは、あなたがたのために天にたくわえられてある望みに基づくものです。あなたがたは、すでにこの望みのことを、福音の真理のことばの中で聞きました。
cls1:6 この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。
。。。。。。。。。。