へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy -8ページ目

へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

おはようございます。

少しサボってしまいました。


では、連載を止めて今後の動きを検討してましたが、出来るだけ他の情報とは異なったモノになるように堅苦しいもの抜きでと名前を「ゆ~るゆるBible」にしました。



また宜しくしますね。



では、今日は基本中の基本。


コレを間違えると

サタンにやられちゃうという重要なコト。



それは

バイブルは読んじゃダメなんだ。という事。






え~?!

どういうこと?






少し考えて欲しい事は


①何故バイブルは存在するのか?

②どうやってバイブルは記されたのか?

③僕らはどういった存在なのか?




実はコレは物凄い大切な問題なんだけど

ここをすっ飛ばしちゃうと、エライ事になる。



では、簡単に言うね。

①何故バイブルは存在するのか?


神様は、光を創り、時を創り、全ての生き物、そして友である僕らも創られ創られた。

この世界は神様が創られ、神様が支配されとても満足されていた。


問題はこの完全な神様の支配の中にサタンが存在し

神様の愛する人(アダムとエバ)を小さな嘘でそそのかし、神様の言葉よりもサタンの言葉を優先させて『 永遠の命 』 である『 霊 』を取り除かれた事による。

神様は霊だ。

僕らはその命である霊を取り除かれた事により、神様から切り離された状態。


纏めれば、

サタンが存在していない時にはバイブルは必要が無かったという事。


バイブルとは神様の言葉。神様の思い。


全ての人が神様が創られた素敵な友。

神様はその友を取り戻す為に、バイブルを記されたという事。




②どうやってバイブルは記されたのか?


んじゃ。どうやって記されたん?

神様自身が書いた訳じゃないんでしょ~。

こんな箇所がある。

・・・・・・・・・・

2tim3:15  また、幼いころ から聖書に親しんで来た ことを知っているからです。聖書は あなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救い を受けさせることができるのです。

2tim3:16  聖書はすべて、神の霊感 によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。

2tim3:17  それは、神の人が 、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。


・・・・・・・・・・

神の霊感による ・・・ んです。

面白い事に


抜粋;聖書は一冊の本のようで・・・旧約が39冊、新約が27冊の計66冊・・・。全部数えると約40人で書かれたといわれています。

http://www3.synapse.ne.jp/kanoyachrist/kenkyu-manabikata.htm


だって。



③僕らはどういった存在なのか?


 ①では、僕らは『 永遠の命 』 である 『 霊 』を取り除けられたと記しましたね。

僕らは肉体に制限された魂だけによって生きているという事。

霊は神様と繋がって居るけれども、魂は肉体によって制限された状態だという事やね。


そして②では、バイブルは 『 神の霊感 』によって記されたと書いてある。


って事は、

霊が取り除かれた肉体によって制限された僕らは解らないって事だよね。




だからパウロはこんな言葉を。

1cor2:10  神はこれを、御霊によって 私たちに啓示されたのです。御霊は すべてのことを探り、神の深み にまで及ばれるからです。

1cor2:11  いったい、人の心のこと は、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。

1cor2:12  ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。

http://homepage3.nifty.com/IUCC/amos/bible/n0702.html



だから、

バイブルは自分の頭で読もうとしてもアカンのよ~!!


神様の声を聴く事を怠ったサウル王に神様が伝えた言葉はコレ。

1sam15:22 するとサムエルは言った。「主は主の御声に 聞き従う ことほどに、全焼のいけにえ や、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえ にまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。




チッポケな制限された肉体で読むことは

どれだけ愚かな事か解りました~?!






だから、必ずいてね~!!



では、今日もこんな祈りしてみませんか?




神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。



ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.

。。。。。。。。。。。

 

【詩篇100篇】o19  感謝の賛歌


psm100:1  全地よ。主に向かって喜びの声をあげよ。

psm100:2  喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。

psm100:3  知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。

psm100:4  感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。

psm100:5  主はいつくしみ深くその恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る。


 

。。。。。。。。。。。


おはようございます。

寒いですね~。今日は息子が遠足らしく、嫁は弁当を朝から作ってくれています。

息子のついでに・・・僕のも。

感謝!感謝!でございます。


では、10月末なので今日が連載最後になりますが最後の詩篇を共に。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm100:4  感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。





この詩篇をやるにあたって

僕の一番伝えたかった事はこの箇所だった。


今でも変わらない。



凄く単純だけど、僕は隠れた奥義だと考えている。

それは、感謝と賛美の違い。

賛美の特異性だ。




賛美とはなんだろう?

僕は昔高校生のスタッフをやらせてもらった時、歌を歌うことだと思い、

お腹が痛いと言ってた生徒の横で、ギターを弾きながら賛美歌を歌ってた?


「お前!何してるん?」



先生にアホかと云う目で見られたのを今でも思い出す。




賛美せよ。とは一体何のことなのか?



神様はよほど褒めて欲しいのか?

神様はそれほど寂しい方なのか?



では何故?





その当時僕は「 10戒 」という本を読んだ。

主の命令とは何なのか?

命令ばかり面倒な神様やの~・・・って思いながら。



でも、

その命令は全て、僕らの為だった。




完全にその当時誤って考えていた事のひとつがコレ。

『  神様がこの世を支配してる。  』 って事。


勿論支配して下さってるけれども

実はサタンの存在を僕は余りにも見限って考えていた。



こんな箇所に目を惹かれた。

mat10:16  いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、 の中に羊を送り出すようなものです。ですから 、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。


eps6:12  私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。




サタンがこの地上を今支配している。って事やね。

そして、そのサタンの働きの目的を知っていくうちに、神様の命令の背後にある愛を知る事になった。


・・・サタンの目的は、人を神様から引き離し、地獄へ道ズレにすること・・・

それが、神様が一番嫌がる事だから。

サタンはソレを知っていたし、サタンもそんな人間を妬んだだろうからね。



気をつけなきゃならないのは、


僕らの見る目は、肉体によって制限されている。

霊を失った僕らは、神様の視点を失っていたから霊によって物事をみるという感覚まで失っている。って事。





映画マトリックスの世界のように

実際に肉体で感じる事っていう世界は、この世のほんの一部であるという事を知るコト。


目で見る事の出来ない、神様が創られた霊的な世界を知っていく必要がある。って事。




霊的な目を失った僕ら人間に、解りやすくサタンの働きから開放する術があの「 十戒 」であり、神様が語られた一つ一つの命令。

この賛美もそう。



さて、この賛美は一体なんの意味があるのか?



それを考えるようになって?疑問を持ち、祈っていくと

この賛美にも神様の隠れた愛の奥義が見えてきたんです。



それが、今日の箇所。

感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ




神様を信じない方でも、感謝は出来る。

感謝する事で人生の成功が近づくと多くの成功哲学書が語っているけれどもその通り。

神様の命令は人をサタンの支配から開放するものだから。



でも

賛美は神様を信じる事のない方には絶対にできない事。

賛美とは、神様の実際を告白する行為だからだ。


ここで、「褒め称える」という言葉を使わないのは、実際を知りそれを述べるだけでイイから。

褒め称えるとは、

その神様の実際に感情的になり、心から述べる行為だと僕は理解している。


でも、僕らは感情が其処まで追いつかなくても賛美をするという選択が出来るから。




僕らは心が否定しても

賛美しよう・・神様の実際を告白する事はいつでも出来るから。




だから、こんな言葉もある。


5:19 と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。



ここに記されてる詩とは詩篇の事だ。

この詩篇によって僕らは賛美をすることが出来る。





では、賛美によって何がもたらされるのか?

それが、大庭に入るって事。



此処でのポイントは霊的な世界だと云う事。

神様の命令はサタンの支配から開放するという事。


①今はサタンの支配下にあるという事。

②大庭に入るとは神様の領域に入るという事。




僕ら人間はサタンに立ち向かう事が出来ない。

しかし、

神様を信じる事で、僕らは神の相続を受ける神の子供になる。



僕らはそれを奪われている。

サタンの支配で見失っている。


glt5:1  キリストは、自由 を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから 、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。



僕らは

どうだろう?



賛美してみませんか?

僕らは自由を与えられる為に召されたんですから。





是非

神様の実際を告白して、神様の領域であるその庭に入っていきませんか?




是非、今日語られてる

神様の声に耳を傾け、選び、その言葉を口にしてみませんか?




心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。



ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.





・・・・・・・・・・

詩100篇 「造る」  עָשָׂה アーサー

〔カテゴリー愛顧〕

3節「知れ、主こそ神。主が、私たちを造られた。」(新改訳)
5節「主はいつくしみ深く、その恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る。」

Keyword;「造る」 make

  • 詩篇100篇には、下の図に見るように、神の民に呼びかける6つの動詞が登場します。命令のことばは7回(「入れ」が重複されているため)です。「(喜びの声を)上げよ」Make a joyful voice、「仕えよ」serve、「入れ」Enter(あるいはCome)、「知れ」Know、「(感謝のいけにえを)ささげよ」Give thanks、「ほめたたえよ」Bless
  • こうした礼拝用語を支えている恩寵に目を留める必要があります。命令は律法です。その律法を支え、内実のあるものにしていく神の恩寵がしっかりと語られています。
  • 日本の聖書の訳ではそのところが明確に訳されていませんが、ヘブル語では、理由や根拠を表わす「キー」כִּיという接続詞が3節の「知れ」の後に、もう一箇所、5節の冒頭に置かれています。それによれば、神が如何なる方であるかという神の民の認識の度合いこそ、招きの行為を意味のあるものにすることができる構造になっています。

神の民のアイデンティティの根拠

  • 3節に「主が、私たちを造られた。私たちは主のもの」となっていますが、新改訳の脚注を見ると、「主が、私たちを造られた、私たちではない」という訳も可能であることを記しています。これは異なるヘブル語原典によるもので、いずれの訳も意味深いと思います。というのは、「主が、私たちを造られた」という事実によって私たちは神のもの(所有の民)となるわけですが、「私たちではない」とすることで、「造られた」のは私たちではなく、神であるということがより強調されるからです。「造られた」と訳されてる「アーサー」עָשָׂהは、存在としての創造も意味しますが、それに加えて、神と人とのかかわりの創造も含まれているように思います。つまり、神と人との関係が「羊飼い」と「羊の群れ」というかかわりとして造られたということです。
  • 神は常に「良い方」'いつくしみ深い方)であり、ゆるぎない愛(恵み)と真実をもってかかわってくださるというこの詩篇の告白が神の民をしっかりと支えるとき、はじめてここにある呼びかけは力を持つことになると信じます。
  • 聖霊の助けによって、主にある民としてのアイデンティティがいよいよ強くされていくように祈ります。

http://meigata-bokushinoshosai.info/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs100

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。。。。。。。。。。

 

【詩篇99篇】o19


psm99:1  主は王である。国々の民は恐れおののけ。主は、ケルビムの 上の御座に着いておられる。地よ、震えよ。

psm99:2  主はシオンにおいて、大いなる方。主はすべての国々の民の上に高くいます。

psm99:3  国々の民よ。大いなる、おそれおおい御名をほめたたえよ。主は聖である。

psm99:4  王の力は、さばきを愛する。あなたは公正を堅く立てられた。あなたは、ヤコブの中で、さばきと正義を行なわれた。

psm99:5  われらの神、主をあがめよ。その足台のもとにひれ伏せ。主は聖である。

psm99:6  モーセとアロンは主の祭司の中に、サムエルは御名を呼ぶ者の中にいた。彼らは主を呼び、主は彼らに答えられた。

psm99:7  主は、雲の柱から 、彼らに語られた。彼らは、主のさとしと、彼らに賜わったおきてとを守った。 

psm99:8  われらの神、主。あなたは、彼らに答えられた。あなたは、彼らにとって赦しの神であられた。しかし、彼らのしわざに対してはそれに報いる方であった。

psm99:9  われらの神、主をあがめよ。その聖なる山 に向かって、ひれ伏せ。われらの神、主は聖である。

。。。。。。。。。。


おはようございます。

昨日は更新できずにスイマセンでした。

実は、言い訳なのですが

入力最終後、いつもの解説抜粋をコピペして、要らないものも含まれていたため左の←を押してしまったのです。そしたら、全部消えちゃったんです。



言い訳なんで・・申し訳ありませんでした。


では早速共に詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm99:8  われらの神、主。あなたは、彼らに答えられた。あなたは、彼らにとって赦しの神であられた。しかし、彼らのしわざに対してはそれに報いる方であった。





赦しの神


でも

報いる神





どう理解されますか?




僕はこう理解するんです。

報いられるとは、

僕らの選択に対して神様がそれは良い・悪いという事を伝える為だという事。



悪い事にもヨシヨシ・・・では、何がよい事で悪い事かも解らなくなる。


え~やん。そんなん。

良いこと・悪い事そんな話ばかり・・シンドイワ。なんて僕はよく呟いていた。





でも、実はそこに

サタンの引きずりがあるから、神様は黙って見逃せないって事だよね。




僕らの選択の誤りに対しては

神様は僕らを赦される。


でも、既に滅ぼすと誓われたサタンは赦す事が出来ない存在だという事。

サタンは滅ぼされるコトを知って、僕ら人を道連れに殺そうといつも悪い選択をさせようとしてるから。





だから

神様は赦される神であり

報いられる神なんだ・・・そう改めて思わされてます。




赦し

僕らへの赦しははかり知れない。


それはジーザスが僕らをはかり知れない愛で全ての罪の清算をされたから。





素敵な赦しを感じながら

今日も過ごせますように。





是非、今日語られてる

神様の声に耳を傾け、選び、その言葉を口にしてみませんか?




心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。



ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.




・・・・・・・・・・

詩99篇 「赦す」 נָשָׂא ナーサー

〔カテゴリー愛顧〕

8節「・・あなたは、彼らにとって赦しの神であられた。しかし、彼らのしわざに対してはそれに報いる方であった。」(新改訳)

Keyword;「赦す」 forgive, 25:18/32:1, 5/99:8

  • 8節には対極的な動詞があります。それは「赦す」という動詞と、「報いる」という動詞です。一般的に「赦す」の反対は、「さばく」と考えますが、旧約聖書の「さばき」はシャーファトで神のすべての統治用語を括る語彙です。したがって、詩99篇8節では、「赦す」ナーサーנָשָׂא(nasa’)の反対語は、「さばく」ではなく、「罰する、罰を下す、仕返しする、報いる、復讐する」と訳される動詞ナーカムנָקַם(naqam)が使われています。面白いことに、どちらも頭文字がヌン(נ)で始まっています。
  • 「赦す」と訳されたナーサーנָשָׂא(nasa’)は、本来、手や目を上げる(rise up, lift up)、重荷を負う(bear)、荷物を持ち運ぶ(carry)という意味ですが、ここでは神が人の罪の重荷を負う、取り去ることから、「赦す」と訳されています。「赦す」の類義語には、サーラハסָלַח(salach)がありますが、こちらはほぼ「赦す」forgiveです。25:11/103:3参照。
  • 神である王としての統治において、イスラエルの民はこの「赦し」を何度も経験したことにより、「赦しの神」と告白しています。と同時に、「彼らのしわざに対してはそれに報いる方であった。」とあります。これはどういうことでしょうか。
  • かつて出エジプトしたイスラエルの会衆が金の子牛を造って拝んだ事件の後、再び、シナイ山に登ったモーセに神がこう語りました。「主、主はあわれみ深く、情け深い神、怒るにおそく、恵みとまことに富み、恵みを千代も保ち。咎とそむきの罪を赦す者、罰すべき者は必ず罰して報いる者、父の咎は子に、子の子に三代、四代に。」(出34:6)と。
  • その後、約束の地へ斥候として遣わされた者たちの報告によって、全会衆はモーセとアロンに対して「エジプトの地で死んでいたらよかったのに」「荒野で死んだ方がましだ」「エジプトに帰ろう」などと口ぐちにつぶやきました。そのため、会衆に悪く言いふらした者たちは疫病で死に、ほかの者たちは40年間の荒野の放浪生活を余儀なくされました。それは自分たちの神に対する背信の罪を負う旅であり、ヨシュアとカレブを除く第一世代はその荒野で死に果てました。これが神に対する反抗の「報い」です。民は、赦されたにもかかわらず、荒野の放浪という罰は下されたのです。罰は罰ですが、これはある意味で神の民としての「訓練・懲らしめ」でもあります。
  • 「赦す」ことと「正当な罰を下すこと」は、イエス・キリストの十字架の死においてクライマックスを迎えます。御子はその十字架において、私たちが性懲りもなくしでかした罪を一身に背負い、その当然の報いである刑罰を受けると同時に、「赦し」もなされたのです。不可解なことですが、このことによって神ご自身が「聖」であることを明らかに示されたのでした。

http://meigata-bokushinoshosai.info/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs99

・・・・・・・・・・・

こんばんわ。
今日は会堂が人で溢れてた。海外から協力してる教会の牧師先生を招いての礼拝。




今日はその牧師先生から。 

こんな話から。

僕らは親を持っており、そして親になるもの。家族を導いて行くという事は簡単な事ではない。ズレないよう導く為には、バイブルによらなくてはならないだろう。




今日の話はジーザスの例え話。
ジーザスはよくたとえで話される。


ジーザスはよく
耳のある者は聴きなさい。と語られている。そして此処では弟子達にこう語られた。
『mat13:16  しかし、あなたがたの目は見ているから幸いです。また、あなたがたの耳は聞いているから幸いです。』



僕らは本当に神様の言葉を聴けているだろうか?




聴く耳を持つという事は
従う意志につながってくるのかもしれない。



聴くとは?
耳だけで聞くのではない。
耳+目と心で聴くならば、神の御霊が働きその言葉を悟らせ言葉に従う事になるのでは。。
それは此処に記されたように、神様の言葉が心に植え付けられたならば、僕らの中で実っちゃうからもしれない。


『 mat13:23★★ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍 、あるものは六十倍 、あるものは三十倍の実を結びます。』




従いたくなるのは、其処に真理があるから。そして素直な良い心で受け入れる事が出来れば

僕らの心で神様自身がその思いを育ててくれるから。



僕らの心に植えつけられた言葉により
最低でも三十倍の成長だって。



しかし、神様の言葉の種は、すご過ぎるよね!!





なぜだろう?
それは此処で記されてる通り。

『eps2:10 私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。』



僕らが良い行いをしよう!頑張ろう!と思わなくても、僕らは神様に似せて創られたから、良い事をしちゃいたくなっちゃうって事。だね。




そしてこんな言葉を引用された。

。。。。。。。。。。



mat25:31 人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。

mat25:32★そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、

mat25:33 羊を自分の右に、山羊を左に置きます。

mat25:34 そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。

mat25:35 あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、

mat25:36 わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』

mat25:37 すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。

mat25:38 いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。

mat25:39 また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』

mat25:40 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』

mat25:41 それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。

mat25:42 おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、

mat25:43  わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。』

mat25:44 そのとき、彼らも答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹であり、渇き、旅をし、裸であり、病気をし、牢におられるのを見て、お世話をしなかったのでしょうか。』

mat25:45 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。』

mat25:46★こうして、この人たちは永遠の刑罰にはいり、正しい人たちは永遠のいのちにはいるのです。」
。。。。。。。。。。



ここで、四つの話を。

此処はジーザスが十字架に架かられる前に弟子達にハッキリ自分を示し始められた箇所だ。


第一に
ジーザスは御使いに命令を下す方だという事。
御使いに命令を下すことの出来るのは神様だけだとされてる社会の中で語られた。



第二に
ジーザスは自分の事を王だと云われた。



第三に
ジーザス自身は神自身であると云われた。



第四は
喜びの訪れはイスラエルだけではなく
国境を超え、神様が創られた一人一人の為だという事。


何故?
ジーザスはその喜びの訪れ「神様の福音」を伝えようとされたのか?



それは
裁きの時は必ずくるからだ。




僕らのこの肉体の命が滅びる時、「 死ぬ時 」に必ず裁きがある。




神は僕ら一人一人を裁きたいから?

絶対に 「  否 ! 」 だよね。





大切な大切な友として創られた私たちを、誰が滅ぼしたいと思うだろうか?

神様はサタンを裁かなければならないから。なんだよね。そのサタンを選んだならば、サタンと共に永遠の滅びに突き落とされる事になるから。

サタンに騙されて滅んで欲しくない!!だから喜びの訪れ「神様の福音」を伝えようとされた。



神様は

僕らを一人としてサタンと共に滅ぼしたくないと願ってるから、神であるジーザスを人として全ての人のサタンのズレの代償を払う為、死ぬ為に生まれられた。




僕らは本気で愛されてる。



そして
僕らの隣人をも同じ愛の心を持って。




十字架から流れてくるジーザスの血は
僕らの為。
そして僕らの隣人の為。






裁きは結局此処で記されている通り
神様の領域を選択するのか、それとも、サタンの領域を選択するのかという事。
僕らはその時分けられる事になる。

僕ら自身が、そして、僕らの隣人も。



僕らは何故生きているのか?

僕らは何故日本人として。

僕らは何故この場所に。



何故だろう?





神様は全ての人に計画を持っておられる。
静かに聴いてみませんか?



僕ら一人一人に託された役割をきっと知る事になるだろうから。
だって
僕らは神様の自慢の種なんだから。



今、制限された肉体の目で自分を見て失望する事はない。
肉体の目では神様の素晴らしさは見る事は決してできないから。

本当の自分自身は、神様の視点で見なければ見る事が出来ないから。



本当に僕らが創られ生かされている理由を知ると驚かされるに違いない。



静かに聴いてみませんか?
神様は必ず僕らに語ってくださる声を聴ける筈だから。




良い心で、神様の素敵な言葉の種を受け取る事が出来ますように。



今週も素敵な一週間をすごせますように。

祈ってます。

。。。。。。。。。。


mat13:1 その日、イエスは家を出て、湖のほとりにすわっておられた。

mat13:2 すると、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に移って腰をおろされた。それで群衆はみな浜に立っていた。

mat13:3★★イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。

mat13:4 蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。

mat13:5 別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。

mat13:6  しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。

mat13:7 また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。

mat13:8 別の種は良い地に落ちて、あるものは百 、あるものは六十 、あるものは三十 の実を結んだ。

mat13:9★耳のある者は聞きなさい。《

mat13:10 すると、弟子たちが近寄って来て、イエスに言った。「なぜ、彼らにたとえでお話しになったのですか。」

mat13:11★イエスは答えて言われた。「あなたがたには、天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていません。

mat13:12 というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです。

mat13:13 わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。

mat13:14 こうしてイザヤの告げた預言が彼らの上に実現したのです。『あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。

mat13:15 この民の心は くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』

mat13:16  しかし、あなたがたの目は見ているから幸いです。また、あなたがたの耳は聞いているから幸いです。

mat13:17 まことに、あなたがたに告げます。多くの預言者や義人たちが、あなたがたの見ているものを見たいと、切に願ったのに見られず、あなたがたの聞いていることを聞きたいと、切に願ったのに聞けなかったのです。

mat13:18 ですから、種蒔きのたとえを聞きなさい。

mat13:19 御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。

mat13:20 また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。

mat13:21  しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。

mat13:22 また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。

mat13:23★★ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百 、あるものは六十 、あるものは三十 の実を結びます。」
mat13:24 イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。

mat13:25 ところが、人々の眠っている間に、彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。

mat13:26 麦が芽ばえ、やがて実ったとき、毒麦も現われた。

mat13:27 それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』

mat13:28 主人は言った。『敵のやったことです。』すると、しもべたちは言った。『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。』

mat13:29 だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。

mat13:30 だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に紊めなさい、と言いましょう。』』
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【詩篇98篇】o19  賛歌


psm98:1  新しい歌 を主に歌え。主は、奇しいわざをなさった。その右の御手と、その聖なる御腕とが、主に勝利をもたらしたのだ。

psm98:2  主は御救いを知らしめ、その義を国々の前に現わされた

psm98:3  主はイスラエルの家 への恵みと真実を覚えておられる。地の果て果て までもが、みな、われらの神の救いを見ている。

psm98:4  全地よ。主に喜び叫べ。大声で叫び、喜び歌い、ほめ歌を歌え。

psm98:5  立琴に合わせて、主にほめ歌を歌え。立琴と歌の調べに合わせて。

psm98:6  ラッパと角笛の音に合わせて、主である王の御前で喜び叫べ。

psm98:7  海と、それに満ちているもの。世界と、その中に住むものよ。鳴りとどろけ。

psm98:8  もろもろの川よ。手を打ち鳴らせ。山々も、こぞって主の御前で喜び歌え

psm98:9  確かに、主は地をさばくために来られる。主は義をもって世界をさばき、公正をもって国々の民を、さばかれる。

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おはようございます。

昨日この連載を10月までとしましたね。

残り少し101編まですね~。


残りを楽しみながら

早速今日も共に詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm98:7  海と、それに満ちているもの。世界と、その中に住むものよ。鳴りとどろけ。




鳴りとどろけーーー!!っだって。


凄い表現ですよね~。





「 世界と、その中に住むものよ。 」って、全部じゃん。


そうなんだよね。




この目に見えるもの、見えないものも全て神様が創造されたんだから。

それも、僕ら人の為に。


サタンの支配下にありながら

僕らはサタンを見つめ続けなければならないのか?



答えは「 否 」。



どれだけ僕らを支配するサタンが僕らを覆っていても

僕らはそれを超えて支配されている全能者の神様の支配を喜ぶことが出来る。




今がどんなに辛い状況を過ごしていても

圧倒的な勝利者の神様が傍に居てる。。



僕らには消えない希望がある。


rom8:37  しかし、私たちは、私たちを愛し てくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者 となるのです。

rom8:38 私はこう確信 しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、

rom8:39  高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエス にある神の愛 から、私たちを引き離すことはできません。


 

 


僕らは何の力もないように見えても

僕らは僕らを愛し僕らの為に支えられる神様の力を力とすることになる。



だから

僕らは大丈夫。




僕らがどんな状況にあっても

その神様を喜び

サタンの支配を超えて働く神様の領域に入っていく事が出来る。




世界と、その中に住むものが、鳴りとどろいてしまうほど

思いっきり、神様の実際を口に出してみませんか?


それが賛美。

それが神様の領域に入るために神様が備えた賛美だから。





是非、今日語られてる

神様の声に耳を傾け、選び、その言葉を口にしてみませんか?




心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。



ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.