こんばんわ。
今日は会堂が人で溢れてた。海外から協力してる教会の牧師先生を招いての礼拝。
今日はその牧師先生から。
こんな話から。
僕らは親を持っており、そして親になるもの。家族を導いて行くという事は簡単な事ではない。ズレないよう導く為には、バイブルによらなくてはならないだろう。
今日の話はジーザスの例え話。
ジーザスはよくたとえで話される。
ジーザスはよく
耳のある者は聴きなさい。と語られている。そして此処では弟子達にこう語られた。
『mat13:16 しかし、あなたがたの目は見ているから幸いです。また、あなたがたの耳は聞いているから幸いです。』
僕らは本当に神様の言葉を聴けているだろうか?
聴く耳を持つという事は
従う意志につながってくるのかもしれない。
聴くとは?
耳だけで聞くのではない。
耳+目と心で聴くならば、神の御霊が働きその言葉を悟らせ言葉に従う事になるのでは。。
それは此処に記されたように、神様の言葉が心に植え付けられたならば、僕らの中で実っちゃうからもしれない。
『 mat13:23★★ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍 、あるものは六十倍 、あるものは三十倍の実を結びます。』
従いたくなるのは、其処に真理があるから。そして素直な良い心で受け入れる事が出来れば
僕らの心で神様自身がその思いを育ててくれるから。
僕らの心に植えつけられた言葉により
最低でも三十倍の成長だって。
しかし、神様の言葉の種は、すご過ぎるよね!!
なぜだろう?
それは此処で記されてる通り。
『eps2:10 私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。』
僕らが良い行いをしよう!頑張ろう!と思わなくても、僕らは神様に似せて創られたから、良い事をしちゃいたくなっちゃうって事。だね。
そしてこんな言葉を引用された。
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mat25:31 人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。
mat25:32★そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、
mat25:33 羊を自分の右に、山羊を左に置きます。
mat25:34 そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。
mat25:35 あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、
mat25:36 わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』
mat25:37 すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。
mat25:38 いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。
mat25:39 また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』
mat25:40 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
mat25:41 それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。
mat25:42 おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、
mat25:43 わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。』
mat25:44 そのとき、彼らも答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹であり、渇き、旅をし、裸であり、病気をし、牢におられるのを見て、お世話をしなかったのでしょうか。』
mat25:45 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。』
mat25:46★こうして、この人たちは永遠の刑罰にはいり、正しい人たちは永遠のいのちにはいるのです。」
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ここで、四つの話を。
此処はジーザスが十字架に架かられる前に弟子達にハッキリ自分を示し始められた箇所だ。
第一に
ジーザスは御使いに命令を下す方だという事。
御使いに命令を下すことの出来るのは神様だけだとされてる社会の中で語られた。
第二に
ジーザスは自分の事を王だと云われた。
第三に
ジーザス自身は神自身であると云われた。
第四は
喜びの訪れはイスラエルだけではなく
国境を超え、神様が創られた一人一人の為だという事。
何故?
ジーザスはその喜びの訪れ「神様の福音」を伝えようとされたのか?
それは
裁きの時は必ずくるからだ。
僕らのこの肉体の命が滅びる時、「 死ぬ時 」に必ず裁きがある。
神は僕ら一人一人を裁きたいから?
絶対に 「 否 ! 」 だよね。
大切な大切な友として創られた私たちを、誰が滅ぼしたいと思うだろうか?
神様はサタンを裁かなければならないから。なんだよね。そのサタンを選んだならば、サタンと共に永遠の滅びに突き落とされる事になるから。
サタンに騙されて滅んで欲しくない!!だから喜びの訪れ「神様の福音」を伝えようとされた。
神様は
僕らを一人としてサタンと共に滅ぼしたくないと願ってるから、神であるジーザスを人として全ての人のサタンのズレの代償を払う為、死ぬ為に生まれられた。
僕らは本気で愛されてる。
そして
僕らの隣人をも同じ愛の心を持って。
十字架から流れてくるジーザスの血は
僕らの為。
そして僕らの隣人の為。
裁きは結局此処で記されている通り
神様の領域を選択するのか、それとも、サタンの領域を選択するのかという事。
僕らはその時分けられる事になる。
僕ら自身が、そして、僕らの隣人も。
僕らは何故生きているのか?
僕らは何故日本人として。
僕らは何故この場所に。
何故だろう?
神様は全ての人に計画を持っておられる。
静かに聴いてみませんか?
僕ら一人一人に託された役割をきっと知る事になるだろうから。
だって
僕らは神様の自慢の種なんだから。
今、制限された肉体の目で自分を見て失望する事はない。
肉体の目では神様の素晴らしさは見る事は決してできないから。
本当の自分自身は、神様の視点で見なければ見る事が出来ないから。
本当に僕らが創られ生かされている理由を知ると驚かされるに違いない。
静かに聴いてみませんか?
神様は必ず僕らに語ってくださる声を聴ける筈だから。
良い心で、神様の素敵な言葉の種を受け取る事が出来ますように。
今週も素敵な一週間をすごせますように。
祈ってます。
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mat13:1 その日、イエスは家を出て、湖のほとりにすわっておられた。
mat13:2 すると、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に移って腰をおろされた。それで群衆はみな浜に立っていた。
mat13:3★★イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。
mat13:4 蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。
mat13:5 別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。
mat13:6 しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。
mat13:7 また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。
mat13:8 別の種は良い地に落ちて、あるものは百 、あるものは六十 、あるものは三十 の実を結んだ。
mat13:9★耳のある者は聞きなさい。《
mat13:10 すると、弟子たちが近寄って来て、イエスに言った。「なぜ、彼らにたとえでお話しになったのですか。」
mat13:11★イエスは答えて言われた。「あなたがたには、天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていません。
mat13:12 というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです。
mat13:13 わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。
mat13:14 こうしてイザヤの告げた預言が彼らの上に実現したのです。『あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。
mat13:15 この民の心は くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』
mat13:16 しかし、あなたがたの目は見ているから幸いです。また、あなたがたの耳は聞いているから幸いです。
mat13:17 まことに、あなたがたに告げます。多くの預言者や義人たちが、あなたがたの見ているものを見たいと、切に願ったのに見られず、あなたがたの聞いていることを聞きたいと、切に願ったのに聞けなかったのです。
mat13:18 ですから、種蒔きのたとえを聞きなさい。
mat13:19 御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。
mat13:20 また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。
mat13:21 しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
mat13:22 また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。
mat13:23★★ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百 、あるものは六十 、あるものは三十 の実を結びます。」
mat13:24 イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。
mat13:25 ところが、人々の眠っている間に、彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。
mat13:26 麦が芽ばえ、やがて実ったとき、毒麦も現われた。
mat13:27 それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』
mat13:28 主人は言った。『敵のやったことです。』すると、しもべたちは言った。『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。』
mat13:29 だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。
mat13:30 だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に紊めなさい、と言いましょう。』』
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