へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy -9ページ目

へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

。。。。。。。。。。

 

【詩篇97篇】o19


psm97:1  主は、王だ。地は、こおどりし、多くの島々は喜べ。

psm97:2  雲と暗やみが主を取り囲み、義とさばきが御座の基である。

psm97:3  火は御前に先立って行き主を取り囲む敵を焼き尽くす。

psm97:4  主のいなずまは世界を照らし、地は見て、おののく。

psm97:5  山々は主の御前に、ろうのように溶けた。全地の主の御前に。

psm97:6  天は主の義を告げ、すべての国々の民は主の栄光を見る。

psm97:7  偶像に仕える者 むなしいもの 誇りとする者 は、みな恥を見よう。すべての神々よ。主にひれ伏せ。

psm97:8  シオンは聞いて、喜び、ユダの娘たちも、こおどりしました。主よ。あなたのさばきのために。

psm97:9  まことに主よ。あなたは全地の上に、すぐれて高い方。すべての神々をはるかに抜いて、高きにおられます。

psm97:10  主を愛する者たちよ。悪を憎め。主は聖徒たちの いのちを守り、悪者どもの手から、彼らを救い出される。

psm97:11  光は、正しい者のために、種のように蒔かれている。喜びは、心の直ぐな人のために。

psm97:12  正しい者たち。主にあって喜べ。その聖なる御名に感謝せよ。

。。。。。。。。。。


おはようございます。

今日は夜中に何故かPCの前に居ます。



では早速共に詩篇を。

今日僕の心に届いたのはこんな言葉。

psm97:7  偶像に仕える者 むなしいもの 誇りとする者 は、みな恥を見よう。すべての神々よ。主にひれ伏せ。




偶像に仕える・・・



むなしいものを誇りとする・・・



ええ~やないか

・・それでも。 もう 宗教やる奴のいうことはシンドイわ。

それがアカンのやったら

オレを否定してるってことやから、もう関わらんといて・・・。。。





僕はそう思ってた。





どうだろう?





今でも、僕の心の中は醜すぎて・・・よくそんな想像が出来ると驚かされている。

本気で僕はサタンの子。 そう思えてならなかった。






バイブルは視点を誤れば、誤解を生み、全く真逆に伝わってしまうもの。

僕は誤解していた。




偶像とは こんな意味。


http://kotobank.jp/word/%E5%81%B6%E5%83%8F

  • ぐうぞう【偶像】

    偶像という漢語 は本来は人形のことであるが,中でも崇拝対象 となる像をいう(《漢書 》)。この意味 では神像仏像 と同じであるが,とくに〈偶像〉という場合 には,真のものではない別の姿ないし中間 に介在するものという意味合いを含んでいる。哲学 用語 としては姿とか像を意味するラテン語イドラ idola(単数 形idolum,英語アイドル idolの語源 )の訳語 であるが,ルネサンス 期にG.ブルーノが本当のものを見えなくさせる先入見の意味でこの語を用い,ついでF.ベーコン が〈人間知性 をとりこにしている偶像〉を分析 して,人類 なるがゆえに人間本性 にひそむものを〈種族 の偶像idola tribus〉,個人 のもつ先入見を〈洞窟 の偶像idola specus〉,社会 生活 から起こる偏見 を〈市場 の偶像idola fori〉,学説 から生じるものを〈劇場 の偶像idola theatri〉と名付け,ありのままの認識困難 であることを示した。



  • 偶像とは真のものではない別の・・・もの。


    そして

    その新のものではない、本物のものを見えなくさせる先入見

    ・・・という空しいものを大切にする事がいかに空しいものか。。



    神様はそれをこの箇所から伝えてるのだと思える。





    偶像それは、宗教であるかもしれない。

    そして、それは偉人といわれる人なのかもしれない。

    でも、

    もしかして自分の知恵なのかもしれない。



    僕らは信頼できるものが何なのか?






    神様は本当に信頼できるモノが何であるか気付いてね。って僕らに語られている。

    それは僕らの目の前にある。

    でもそれが中々信じる事が出来ない。


    何故だろう?




    神は居ない。

    そんなサンタと同等のものを信じてるのはバカらしい・・・。

    進化論 学校で学んだじゃないか。。

    学校が嘘を教えるはずないじゃん。。。。。。




    僕らはさんざんこの言葉で自分の脳にすり込んでいったからね。




    バイブルにはこの世はサタンが支配していると記されている。

    そして、

    サタンの目的は、神が愛する人間を道ずれに殺す事。

    神の存在しない事、そしてその約束は夢物語だと信じ込ませる事に夢中。


    神の約束は

    jhn3:16  神は、実に、そのひとり子 をお与えになったほどに、世を 愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのち 持つため である。




    大切な。。大切な人がサタンと一緒に滅びないで

    神様が創られた素敵な存在として永遠の命を再び取り戻す事。

    (サタンに従ったときから、僕らには永遠の命(霊)が取り除かれている)






    暫く

    僕は進言・そして詩篇から、こうやって与えられた思いを言葉にしてきた。


    でもね。

    最近、少し バイブルって誤解を生む事多いよな~って思ってて

    今の僕にあるモノを少しまとめてみようと考えるようになったんです。



    で、今日こんな言葉にも出会った。

    psm97:11  光は、正しい者のために、種のように蒔かれている。喜びは、心の直ぐな人のために。




    神様は大切な人。

    大好きな僕らの為に、言葉を人によって記された。


    そのバイブルの言葉こそ、ここで記されている種。




    この種によって、本当の喜びを得て欲しいと願っている。


    僕はこの種について

    11月から整理していこうと思います。



    毎日の更新では無くなるかも知れませんが

    これからも、宜しくお願いしますね。





    では、私事も挟みながらでしたが、今日も素敵な種を味わえますように。





    是非、今日語られてる

    神様の声に耳を傾け、選び、その言葉を口にしてみませんか?




    心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
    だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




    僕らは今日も大丈夫!!


    神様・・

    eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、与えてくださいますように。

    eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

    eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。



    ジーザス(イェス様)の名前で



    ・・・・・・・・・・

    詩97篇 「種を蒔く」 זָרַע ザーラー

    〔カテゴリー統治〕

    11節「神に従う人のためには光を 心のまっすぐな人のためには喜びを種蒔いてくださる。」(新共同訳)
    11節「光は、正しい者のために種のように蒔かれている。喜びは心の直ぐな人のために。」(新改訳)

    Keyword;「(種を)蒔く」 sow, 97:11/107:37/126:5

    • 光や喜びを種のように「蒔く」と訳されたザーラーזָרַע(zara`)は、旧約で56回、詩篇では3回のみです。そのうちのひとつ詩126篇5節では「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。」とあります。ここでの「種」とは、神のみことば(トーラー)を意味します。しかも主語は神ではなく人です。神の民はバビロン捕囚という憂き目を経験しながらも、彼らはそこで神のことばにしっかりと向き合い、その確かさ、豊かさ、恩寵を見出したのでした。そしてそれがやがて詩篇1篇2節にあるように、「主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずざむ」というライフ・スタイルを生み出しました。彼らは自ら蒔いたものを刈り取ったのです。その間、70年という歳月が流れました。
    • ちなみに、名詞形のゼラーזֶרַע(zara`)は、「子孫」を意味します。旧約230回、詩篇では18回です(ただし126篇6節のみ「種入れ」と訳されています)。
    • さて、この詩97篇11節は神の国(神の支配、神の統治)が到来する終末に向けた預言的な表現です。光と喜びが、種のように蒔かれているとはどういうことか。王である神の支配をやがて完全な形で現わされる時がまさに刈り入れの時だとすれば、すでにその種は蒔かれていたということになります。どこに、だれのために蒔かれているのかといえば、それは「正しい者」たちの心にです。詩篇97篇のことばで換言するならば、「シオン」「ユダの娘たち」「主を愛する者たち」「聖徒たち」「心の直ぐな人」たちてす。いうなれば、神に贖われた者たちの心の中に蒔かれています。
    • ここでいう「光」(オールאוֹר)とは、光源としての光ではなく、おそらく、神との交わりとしてのいのちの光を意味すると思います。あるいは啓示の光、悟りの光、愛の光とも言えます。それが神に贖われた者のうちに種のように蒔かれているのです。
    • 一方の「喜び」(サーマハשָׂמָח)も、感情的な喜びというよりは、イエスのいう「わたしの喜び」であり、この世の喜びではありません。また弟子たちに「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」と言われたように、いつも神に覚えられているという存在論的な意味での喜びを意味していると思います。
    • イエスの語った「種蒔く人のたとえ話」で、良い地に落ちた「種」はやがて30倍、60倍、百倍の実を結ぶと言われたように、まことの王がその主権を完全に顕にする時、私たちの思いをはるかに超えた刈り入りの時、収穫の時が来ることを待ち望みたいと思います。

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    。。。。。。。。。。

     

    【詩篇96篇】o19


    psm96:1  新しい歌 を主に歌え。全地よ。主に歌え。

    psm96:2  主に歌え。御名をほめたたえよ。日から日へと、御救いの良い知らせを告げよ。

    psm96:3  主の栄光を国々の中で語り告げよ。その奇しいわざを、すべての国々の民の中で。

    psm96:4  まことに主は大いなる方、大いに賛美されるべき方。すべての神々にまさって恐れられる方だ。

    psm96:5  まことに、国々の民の神々はみな、むなしい。しかし主は天をお造りになった。

    psm96:6  尊厳と威光は御前にあり、力と光栄は主の聖所にある。

    psm96:7  国々の民の諸族よ。主にささげよ。栄光と力を主にささげよ。

    psm96:8  御名の栄光を主にささげよ。ささげ物を携えて、主の大庭にはいれ。

    psm96:9  聖なる飾り物を着けて、主にひれ伏せ。全地よ。主の御前に、おののけ。

    psm96:10  国々の中で言え。「主は王である。まことに、世界は堅く建てられ、揺らぐことはない。主は公正をもって国々の民をさばく。」

    psm96:11  天は喜び、地は 、こおどりし、海とそれに満ちているものは鳴りとどろけ。

    psm96:12  野とその中にあるものはみな、喜び勇め。そのとき、森の木々もみな、主の御前で、喜び歌おう。

    psm96:13  確かに、主は来られる。確かに、地をさばくために来られる。主は、義をもって世界をさばき、その真実をもって国々の民をさばかれる。

    。。。。。。。。。。


    おはようございます。

    昨日は結構お久しぶりに大変な一日だった。

    検品は目も肩も一気に疲れる。さあ今日も踏ん張ろっていこう。


    では早速共に詩篇を。

    今日僕の心に留まったのはコレ。

    psm96:8  御名の栄光を主にささげよ。ささげ物を携えて、主の大庭にはいれ。





    はいれ。





    はいっておいで。





    何故?そんなコトを云われるのか?

    それは

    もしかしたら、神様が創られた環境ではなくなってるから・・・。かもしれないね。


    バイブルにはこの地はサタンが支配してるって記されている。

    だから

    神様ははいっておいでって云ってる。




    いや

    入れ!!って命令している。




    入るには

    今の世の中の常識に捕らわれずに

    賛美(神様の実際を告白)することが必要とされている。


    それは


    ・・・信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです・・・





    目に見えない事実 を 確認。。



    神様の創造された事実は、僕ら制限された肉体によって見る事が出来ない。

    でも

    バイブルによって記されている。


    僕らはそれを信じる事が出来るだろうか?




    感情ではなく

    ただ、見えない事実を確認するだけ。。




    サタンの支配の中で僕らは過ごし続ける?

    それとも、その信仰によって、神様の実際を告白する?



    神様の願いはどちらだろう?






    是非、今日語られてる

    神様の声に耳を傾け、選び、その言葉を口にしてみませんか?




    心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
    だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




    僕らは今日も大丈夫!!


    神様・・

    eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、与えてくださいますように。

    eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

    eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。



    ジーザス(イェス様)の名前で
    a-men.




    ・・・・・・・・・・

    詩96篇「さばく」 שָׁפַט シャーファト

    〔カテゴリー統治〕

    3節「確かに、地をさばく(שָׁפַט)ために来られる。主は、義をもって世界をさばき(שָׁפַט)、その真実をもって国々の民をさばかれる(שָׁפַט)。」(新改訳)


    • 王の詩篇と言われる93~99篇の一連の詩篇の中に貫いている思想は、王である主の職務が「さばく」ということです。王の統治が正しいさばきによってなされることは、私たちにとって恩寵なのです。しかも、公正をもって、義をもって、真実をもって、そして愛をもって。
      • 最初の詩93篇では、
        特に、王である主の風格が宣言されているのが特徴ですが、同時に、「王の御座はいにしえから堅く立ち」 (2節)、その御座は「さばき」の御座であることが、続く詩篇の中で明らかにされていきます。

      • 詩94篇2節では、
        ①「地をさばく(שָׁפַט)方よ。立ち上がってください。高ぶる者に報復してください。」
        ①「全地の裁き手として立ち上がり」(新共同訳)
        と嘆願の祈りがなされています。
      • また、19節では、
        ②「さばき(מִשְׁפָּט)は再び義に戻り、心の直ぐな人はみな、これに従うでしょう。」
        ②「正しい裁きは再び確立し、心のまっすぐな人は皆、それに従うでしょう。」(新共同訳)

      • 詩95篇では、さばきを表わす語彙はありませんが、荒野の40年間、贖われた民の第一世代が「心の迷う民、わたしの道を知ろうとしない民」に対して、怒って誓ったことば「確かに彼らは、わたしの安息に、はいれない。」が記されています。

      • 詩96篇10節後半の
        ①「主は公正をもって国々の民をさばく(דִּין)。」(新改訳)
        同篇の13節
        ②「確かに、地をさばく(שָׁפַט)ために来られる。主は、義をもって世界をさばき(שָׁפַט)、その真実をもって国々の民をさばかれる(שָׁפַט)。」(新改訳)
        詩篇96篇では、特に、主が、地を(諸国の民を)さばくために「来られる」ということが強調されている。

      • 詩97篇
        ①2節後半
        「義とさばき(מִשְׁפָּט)が御座の基である。」(新改訳)
        「正しい裁きが王座の基をなす」(新共同訳)
        ②同節、8節
        「シオンは聞いて、喜び、ユダの娘たちも、こおどりしました。主よ。あなたのさばき(מִשְׁפָּט)のために。」

      • 詩98篇
        9節「確かに、主はさばき(שָׁפַט)のために来られる。主は義をもって世界をさばき(שָׁפַט)、公正をもって国々の民を、さばかれる(שָׁפַט)。」

      • 詩99篇
        4節「王の力は、さばき(מִשְׁפָּט)を愛する。・・あなたは、ヤコブの中で、さばき(מִשְׁפָּט)と正義を行われた。」
    • このように、王としての職務は正しく、公平に、真実をもって「さばく」ことにあります。
      ソロモンがギブオンで王として即位したとき、主は夢の中で彼に現われ「あなたになにを与えようか。願え。」と仰せられました。ソロモンは「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。」と言いました。この願い事は主の御心にかなったと記されています。
    • ソロモンに与えられたさばきの知恵は、ふたりの遊女の訴えをさばいた話(列王記第一、3章16~27節)―「どちらが本当の母親か」ーによく描かれています。

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    【詩篇95篇】o19


    psm95:1  さあ、主に向かって、喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。

    psm95:2  感謝の歌をもって、御前に進み行き、賛美の歌をもって、主に喜び叫ぼう。

    psm95:3  主は大いなる神であり、すべての神々にまさって、大いなる王である。

    psm95:4  地の深みは主の御手のうちにあり、山々の頂も主のものである。

    psm95:5  海は主のもの。主がそれを造られた。陸地も主の御手が造られた。

    psm95:6  来たれ。私たちは伏し拝み、ひれ伏そう。私たちを造られた方、主の御前に、ひざまずこう。

    psm95:7  主は、私たちの神。私たちは、その牧場の民、その御手の羊である。きょう、もし御声を聞くなら

    psm95:8  メリバでのときのように、荒野のマサでの日のように、あなたがたの心をかたくなに してはならない。

    psm95:9  あのとき、あなたがたの先祖たちはすでにわたしのわざを見ておりながら、わたしを試み、わたしをためした。

    psm95:10  わたしは四十年の間、その世代の者たちを忌みきらい 、そして言った。「彼らは、心の迷っている民だ。彼らは、わたしの道を知ってはいない。」と。

    psm95:11  それゆえ、わたしは怒って誓った。「確かに彼らは、わたしの安息に、はいれない。」と。

    。。。。。。。。。。



    おはようございます。

    今日は早出。取引先に無理を言ってお願いするものを持ち込まねば。。



    では早速共に詩篇を。

    今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

    psm95:5  海は主のもの。主がそれを造られた。陸地も主の御手が造られた。

    psm95:6  来たれ。私たちは伏し拝み、ひれ伏そう。私たちを造られた方、主の御前に、ひざまずこう。







    造られた。。


    神様は僕らを愛すべき友として創られた。

    海も、また陸も僕らの為。

    動物も全ての生き物も、それは僕らが豊かに過ごす事の出来る為。



    神様は僕らが命を喜び

    豊かに過ごす事ができる事を本気で考えられて最高のものを備えられる。




    例え

    僕らの今がどんなに辛くとも・・・

    神様は僕らの為に新しい道を造って下さる。




    神様は僕らの為に日々造られる。




    それは

    本気で僕らを愛しているから。




    だから 大丈夫。

    神様は全てを造られる方だから。

    • このアーサーעָשָׂהが私たちのためになされるとき、それは恩寵用語となります。かつて私はあることで信仰の危機を感じたことがありました。自分の惨めさのゆえに希望を持てないで苦しんでいた時がありました。そんな時、ある歌を歌いながら神の慰めの力を感じたのです。その歌とは以下のように力強い神への告白を歌っているものでした。
    • 主は道を日々造られる  何もないように思えるときでも 
      主は御手で 御許で支え 新しい明日を 主は道を造られる
      天と地が滅び失せても  主のみことば 滅びず
      荒野に道を 砂漠に川を 今日も造られる 

      (Don Moen “God Will Make A Way”)

    • はからずも、この歌詞にも「造られた」ということばがあります。英語でGod will make a wayです。主が造られたのは「荒野における道」「砂漠における川」です。そして今もその神の恩寵の行為は継続しているのです。この歌の出典はおそらくイザヤ書43:19からのもと思われます。「見よ。わたしは新しいことをする(עָשָׂה)。今、それが起ころうとしている。」と宣言されて、「荒野に道を、荒地に川を設ける」と約束されています。

    心配しないで。

    実は心配しないという事も神様への信頼への現われだから。



    心配しちゃうって事は

    僕らの将来は心配でどうしようもないというサタンの囁きを信じてる事だから。





    僕らはどちらを信じますか?

    サタンの囁き?それとも僕らを造られた神様?





    今日も素敵な選択ができますように。



    是非、今日語られてる

    神様の声に耳を傾け、選び、その言葉を口にしてみませんか?




    心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
    だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




    僕らは今日も大丈夫!!


    神様・・

    eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、与えてくださいますように。

    eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

    eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。



    ジーザス(イェス様)の名前で
    a-men.


    ・・・・・・・・・・

    詩95篇「造る」 עָשָׂה アーサー

    〔カテゴリー〕

    5節「海は主のもの。主がそれを造られた。陸地も主の御手が造られた。」
    6節「来たれ。・・私たちを造られた方。」

    Keyword;「造る」  do, make,

    • ヘブル語では「創造する、造る」ということばにバーラーבָּרָא(bara')があります。創世記の1章1節の「初めに、神が天と地を創造した。」で使われています。バーラーבָּרָא(bara')は全く存在しないところから有を生じさせる動詞です。しかし、詩95篇で使われている三つの「造られた」という動詞はすべてアーサーעָשָׂה(`asah)です。
    • この動詞も神の創造の行為として使われます。たとえば、「神はお造りになったすべてのものをご覧になった」(創1:31)、「主は天と地を造られた方である」(詩115:1)など。また、私たちに対する様々な行為を現わす動詞、たとえば、「神である主は、アダムとエバ妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった」(創3:21)、「エジプトで大いなることをなさった方」(詩106:21)、「主の右の手は力ある働きをする」(詩118:15~16)、「主はその望むところをことごとく行われる」(詩115:3)などに使われています。
    • このアーサーעָשָׂהが私たちのためになされるとき、それは恩寵用語となります。かつて私はあることで信仰の危機を感じたことがありました。自分の惨めさのゆえに希望を持てないで苦しんでいた時がありました。そんな時、ある歌を歌いながら神の慰めの力を感じたのです。その歌とは以下のように力強い神への告白を歌っているものでした。
    • 主は道を日々造られる  何もないように思えるときでも 
      主は御手で 御許で支え 新しい明日を 主は道を造られる
      天と地が滅び失せても  主のみことば 滅びず
      荒野に道を 砂漠に川を 今日も造られる 

      (Don Moen “God Will Make A Way”)

    • はからずも、この歌詞にも「造られた」ということばがあります。英語でGod will make a wayです。主が造られたのは「荒野における道」「砂漠における川」です。そして今もその神の恩寵の行為は継続しているのです。この歌の出典はおそらくイザヤ書43:19からのもと思われます。「見よ。わたしは新しいことをする(עָשָׂה)。今、それが起ころうとしている。」と宣言されて、「荒野に道を、荒地に川を設ける」と約束されています。
    • 神の恩寵的な創造の行為は、私たちに希望を与えます。それゆえ神を待ち望むことができるのです。詩95篇は礼拝とはいかなることであるかを私たちに教えている詩篇です。そこにある「主が・・を造られた」という宣言は、神が、単に、自然界や私たちを造られたという静的なイメージではなく、常に、私たちとかかわり、みこころを実現させていくところの神の創造的・恩寵的行為をなされる「行動の神」であるとの告白なのです。

    http://meigata-bokushinoshosai.info/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs95

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    【詩篇94篇】o19


    psm94:1  復讐の神、主よ。復讐の神よ。光を放ってください。

    psm94:2  地をさばく方よ。立ち上がってください。高ぶる者に報復してください。

    psm94:3  主よ。悪者どもはいつまで、いつまで、悪者どもは、勝ち誇るのでしょう。

    psm94:4  彼らは放言し、横柄に語り、不法を行なう者はみな自慢 します。

    psm94:5  主よ。彼らはあなたの民を打ち砕き、あなたのものである民を悩まします。

    psm94:6  彼らは、やもめや在留異国人を 殺し、みなしごたちを打ち殺します。

    psm94:7  こうして彼らは言っています。「主は見ることはない。ヤコブの神は気づかない。」

    psm94:8  気づけ。民のうちのまぬけ者ども。愚か者ども。おまえらは、いつになったら、わかるのか。

    psm94:9  耳を椊えつけられた方が、お聞きにならないだろうか。目を造られた方が、ご覧にならないだろうか。

    psm94:10  国々を戒める方が、お責めにならないだろうか。人に知識を教えるその方が。

    psm94:11  主は、人の思い計ること いかに むなしいか を、知っておられる。

    psm94:12  主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに、戒められ、あなたのみおしえを教えられる、その人は。

    psm94:13  わざわいの日に、あなたがその人に平安を賜わるからです。その間に、悪者のためには穴が掘られます。

    psm94:14  まことに、主は、ご自分の民を見放さず、ご自分のものである民を、お見捨てになりません。

    psm94:15  さばきは再び義に戻り、心の直ぐな人はみな、これに従うでしょう。

    psm94:16  だれが、私のために、悪を行なう者に向かって立ち上がるのでしょうか。だれが、私のために、不法を行なう者に向かって堅く立つのでしょうか。

    psm94:17 もしも主が私の助け でなかったなら、私のたましいはただちに沈黙のうちに 住んだことでしょう。

    psm94:18  もしも私が、「私の足はよろけています。」と言ったとすれば、主よ、あなたの恵みが私をささえてくださいますように。

    psm94:19  私のうちで、思い煩いが増すときに、あなたの慰め が、私のたましいを喜ばしてくださいますように。

    psm94:20  おきてにしたがって悪をたくらむ破滅の法廷が、あなたを仲間に加えるでしょうか。

    psm94:21  彼らは、正しい者のいのちを求めて共に集まり、罪に定めて、罪を犯さない人の血を流します。

    psm94:22  しかし主は、わがとりでとなり、わが神は、わが避け所の岩となられました。

    psm94:23  主は彼らの不義をその身に返し、彼らの悪のゆえに、彼らを滅ぼされます 。われらの神、主が、彼らを滅ぼされます。

    。。。。。。。。。。


    ホンマに寒い。



    おはようございます。半袖ではいてられない。

    寒いね~。


    では早速共に詩篇を。

    今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

     

    psm94:11  主は、人の思い計ること いかに むなしいか を、知っておられる。






    僕ら人が 思い計ること  どれ程小さな むんしい事か・・・。

    その肉体に制限された視野と思いで判断する事の空しさを伝えておられる。

     

    psm94:9  耳を椊えつけられた方が、お聞きにならないだろうか。

    目を造られた方が、ご覧にならないだろうか。





    僕らには 耳が創られ

    姿に似せて 耳だけでなく目をも創られた。 ・・神様の姿に似せて・・


    僕らはソレを知らなきゃ。

    ソレを知る事が出来れば、

    僕らはこの肉体に制限された目や耳で制限される事で全てを判断する事がなくなる。


    だって

    神様に似せて創られたその目と耳で知りえることは肉体に制限された一部にすぎないから。



    その事を知ってれば

    僕らは目や耳 僕らの肉体に制限された情報はほんの一部だと知る事が出来、

    その創られた神様に頼る時

    僕らは全ての知恵を得ることになる。


    全て・・?

    神様は肉体に制限されず、見える世界も限られていないし・・・

    僕らは時に制限されてるけど、神様は時をも創られた方。



    だから、その神様に頼る時

    psm94:22  しかし主は、わがとりでとなり、わが神は、わが避け所の岩となられました。






    凄いっすね。

    僕らは制限されたモノしか知りえないから、すぐ傍で僕らに教えようとしてくれてる。

    僕らに知恵が無ければ、求めたら与えてくれる方に求めたらイイ。

    僕らに力が足りなければ、求めたら与えてくれる方に求めたらイイ。



    神様は僕らを支える為に

    僕らの傍で僕らの求めに耳を傾けられる。




    是非、今日語られてる

    神様の声に耳を傾け、選び、その言葉を口にしてみませんか?




    心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
    だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




    僕らは今日も大丈夫!!


    神様・・

    eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、与えてくださいますように。

    eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

    eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。



    ジーザス(イェス様)の名前で
    a-men.



    ・・・・・・・・・・

    詩94篇「平安を賜う」שָׁקַט シャーカト 「支える」סָעד サーアド

    〔カテゴリー賦与〕

    13節「わざわいの日に、あなたがその人に平安を賜わるからです。」(新改訳)
    18節「『足がよろめく』」とわたしが言ったとき、主よ。あなたの慈しみが支えてくれました。」 (新共同訳)

    Keyword;
    ①「平安を賜う」שָׁקַט  give rest, grant relief 76:8/83:1/94:13
    ②「支える」סָעד sustain, grant support18:25/20:2/41:3/94:18/104:15/119:17

    • 詩93篇からはじまる「王の詩篇」、その最初の93篇ではその王の風格と、その支配(統治)の確実性、堅固性、永遠性、真実性がたたえられています。それは天的現実においてはそうです。しかし、地的現実においては必ずしもそうは見えないという信仰のゆらぎをいつの時代の信仰者も経験するに違いありません。続く詩94篇1節では、そうした地的現実の中で、「復讐の神、主よ、光を放ってください。」と祈っています。「光を放つ」とは、王としての統治が正義をもって執行されるようにという意味です。天的現実と地的現実の狭間のなかで、作者の信仰は練られて行きます。つまり、神の恩寵をその中で発見していることがこの詩篇の魅力です。
    • そのひとつは、13節にある「わざわいの日に、あなたがその人に平安を賜わる」という恩寵です。「平安を賜わる」と訳されたシャーカトשָׁקַט(shaqat)は、旧約で13回、詩篇では3回(76:8, 83:1, 94:13)とわずかです。「落ち着きを与える、平穏を与える、沈黙を与える、やすらぎを与える」といった意味です。イザヤ書の有名なみことば30章15節にある「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る」の「落ち着いて」というところに使われている言葉と同じです。しかし多くの神の民たちは危機的状況を前にして、「落ち着く」ことができずに、人間的画策へと走って行ったのでした。
    • もうひとつは、18節にある「『足がよろめく』」とわたしが言ったとき、主よ。あなたの慈しみが支えてくれました。」 (新共同訳) という恩寵です。「支えてくれた」と訳されたサーアド
      סָעַד(sa`ad)は、旧約で12回、詩篇では6回です。「支えた」(関根訳)、「支える」(岩波訳)、「支えて下さった」(典礼訳)、新改訳だけが「ささえてくださいますように」と嘆願形です。これは前置詞のイムאִםをどのように訳すかによるようです。
    • 作者は17節で「もしも主が私の助けでなかったなら、私のたましいはただちに沈黙のうちに住んだことでしょう。」と述べていますから、おらく作者は奈落の底に落ちるような経験をしたのかもしれません。「沈黙のうち」とは、「陰府(よみ)」のことです。作者は、奈落の底に落ちる私を神の永遠の御腕をもって支えてくださったことを思い起こしています。私たちの人生で奈落の底に落ちるような経験は滅多にあるわけではありません。不条理な苦しみの中で信仰が揺らぐことなく貫き通すには、神の支えが必要なのです。

    http://meigata-bokushinoshosai.info/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs94

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    。。。。。。。。。。

    【詩篇93篇】o19


    psm93:1  主は、王であられ、みいつをまとっておられます。主はまとっておられます。力を身に帯びておられます。まことに、世界は堅く建てられ、揺らぐこと はありません。

    psm93:2  あなたの御座は、いにしえから堅く立ち、あなたは、とこしえからおられます。

    psm93:3  主よ。川は、声をあげました。川は、叫び声をあげました。川は、とどろく声をあげています。

    psm93:4  大水のとどろきにまさり、海の力強い波にもまさって、いと高き所にいます主は、力強くあられます。

    psm93:5  あなたのあかしは、まことに確かです。聖なることがあなたの家にはふさわしいのです。主よ、いつまでも。

    。。。。。。。。。。


    おはようございます。

    今日は学校で息子が動物園に行く予定だったのですが、朝起きたらなんと雨。。

    ま~こういう事もありますよね。


    でもきっと何か愛の計画があるんですよね。

    僕らには理解できないけど、きっと。

    そう思える事は感謝ですね。



    では早速共に詩篇を。

    今日心に留まった言葉はコレ。

    psm93:1  主は、王であられ、みいつをまとっておられます。主はまとっておられます。力を身に帯びておられます。まことに、世界は堅く建てられ、揺らぐこと はありません。





    主は 「 王 」 であられ・・・





    国は支配者次第で変わる。

    僕の小さい頃の家の長である親父は、、絶対王政に近い支配だった。

    これは・・・

    僕にとっては酷かったです。


    子供にとっては辛かった。小さな事だけど・・

    希望が通らない・・・。友人の誕生日会も行けず。。




    支配者が変わったら・・・

    なんて事を子供ながらずっと考えていた。




    それが、神様の支配の中にいつでも入る事が出来る。

    psm93:1  主は、王であられ、みいつをまとっておられます。主はまとっておられます。力を身に帯びておられます。まことに、世界は堅く建てられ、揺らぐこと はありません。



    人の支配者は

    有限の肉体の制限されている。


    自分の視野や感情によって捕らわれる僕らは理解できない事がある。


    でも

    神様は無限。

    時も環境も超え、全てを知って支えられる。



    僕らの神様は無敵だしね。




    僕らはそんな神様に信じて歩んでいく事が出来る。

    僕らに理解できない事があっても、大丈夫。


    経験が・・・感情が、神様の支配を信じれない事もある。


    でも、それを超えて僕らは神様を信じて委ねる事が出来る。




    だって、

    神様は僕らを本気で愛しておられ

    力強い手で僕らを支えてくれるんだから。





    是非、今日語られてる

    神様の声に耳を傾け、選び、その言葉を口にしてみませんか?




    心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
    だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




    僕らは今日も大丈夫!!


    神様・・

    eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、与えてくださいますように。

    eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

    eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。



    ジーザス(イェス様)の名前で
    a-men.




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    詩93篇「王となる」 מָלַך マーラフ

    〔カテゴリー統治〕

    1節「主は、王であられ、みいつをまとっておられる。」(新改訳)
    1節「主こそ王。・・」 (新共同訳)

    Keyword;「王として支配する、統治する」  reign, to be king, to rule, to make king
    47:8/93:1/96:10/97:1/99:1/146:10

    • 新改訳、新共同訳では「王」「王であられ」とは、一見、名詞のようにみえますが、実は動詞が使われています。NIV訳ではreigns つまり、主が王として支配する、統治する、君臨するという意味です。
    • 旧約では動詞のマーラフמָלַך(malakh) は347回、詩篇ではわずかに6回です。しかし、すべて神に対して用いられています。ちなみに、名詞形の「王」メレフמֶלֶך(melekh)は旧約全体で2,523回、詩篇で神が王(King)として用いられいるのは22回です。「王国kingdom」マルフートמַלְכוּת(malkhut)は旧約で91回、詩篇は6回(45:6/103:19/145:11, 12, 13, 13)です。
    • ところで、神が王として支配されることがなぜ恩寵なのかといえば、それは他の国々のように専制君主的な王ではなく、ご自身の民に対して、いつくしみと公正と正義をもって治められるからです。詩93篇では王の風格について語られていますが、「王国」(kingdom)という語彙が最も多く登場している詩145篇では、「私の神、王よ。わたしはあなたをあがめます」(1節)と個人的に告白され、この王国の統治の特徴がいかなるものであるかをよく言い表しています。たとえば、

      8節「主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵みに富んでおられます。
      主はすべてのものにいつくしみ深く、そのあわれみは造られた者の上にあります。」
      14節「主は倒れる者をみなささえ、かがんでいる者をみな起こされます。」
      15節「すべての者は、あなたを待ち望んでいます。あなたは時にかなって、彼らに食物を与えられます。」
      16節では「あなたは御手を開き、すべての生けるものの願いを満たされます。」
      18節「主を呼び求める者すべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに主は近くあられる。」
      20節「すべて主を愛する者は主が守られる。」

    • 王の統治は「すべてのものに」、「みな」、「すべて」に及ぶことが印象的です。しかもその王国は、永遠にわたる王国、輝かしい栄光の王国として、その統治が代々限りなく続きます。キリストこそ私たちの永遠の王の王です。この方の統治は私たちにとってこの上なく喜びとなるのです。

    http://meigata-bokushinoshosai.info/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs93

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