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psm97:1 主は、王だ。地は、こおどりし、多くの島々は喜べ。
psm97:2 雲と暗やみが主を取り囲み、義とさばきが御座の基である。
psm97:3 火は御前に先立って行き主を取り囲む敵を焼き尽くす。
psm97:4 主のいなずまは世界を照らし、地は見て、おののく。
psm97:5 山々は主の御前に、ろうのように溶けた。全地の主の御前に。
psm97:6 天は主の義を告げ、すべての国々の民は主の栄光を見る。
psm97:7 偶像に仕える者 、むなしいもの を誇りとする者 は、みな恥を見よう。すべての神々よ。主にひれ伏せ。
psm97:8 シオンは聞いて、喜び、ユダの娘たちも、こおどりしました。主よ。あなたのさばきのために。
psm97:9 まことに主よ。あなたは全地の上に、すぐれて高い方。すべての神々をはるかに抜いて、高きにおられます。
psm97:10 主を愛する者たちよ。悪を憎め。主は聖徒たちの いのちを守り、悪者どもの手から、彼らを救い出される。
psm97:11 光は、正しい者のために、種のように蒔かれている。喜びは、心の直ぐな人のために。
psm97:12 正しい者たち。主にあって喜べ。その聖なる御名に感謝せよ。
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おはようございます。
今日は夜中に何故かPCの前に居ます。
では早速共に詩篇を。
今日僕の心に届いたのはこんな言葉。
psm97:7 偶像に仕える者 、むなしいもの を誇りとする者 は、みな恥を見よう。すべての神々よ。主にひれ伏せ。
偶像に仕える・・・
むなしいものを誇りとする・・・
ええ~やないか
・・それでも。 もう 宗教やる奴のいうことはシンドイわ。
それがアカンのやったら
オレを否定してるってことやから、もう関わらんといて・・・。。。
僕はそう思ってた。
どうだろう?
今でも、僕の心の中は醜すぎて・・・よくそんな想像が出来ると驚かされている。
本気で僕はサタンの子。 そう思えてならなかった。
バイブルは視点を誤れば、誤解を生み、全く真逆に伝わってしまうもの。
僕は誤解していた。
偶像とは こんな意味。
http://kotobank.jp/word/%E5%81%B6%E5%83%8F
偶像という漢語 は本来は人形のことであるが,中でも崇拝 の対象 となる像をいう(《漢書 》)。この意味 では神像 や仏像 と同じであるが,とくに〈偶像〉という場合 には,真のものではない別の姿ないし中間 に介在するものという意味合いを含んでいる。哲学 用語 としては姿とか像を意味するラテン語 のイドラ idola(単数 形idolum,英語 のアイドル idolの語源 )の訳語 であるが,ルネサンス 期にG.ブルーノが本当のものを見えなくさせる先入見の意味でこの語を用い,ついでF.ベーコン が〈人間 の知性 をとりこにしている偶像〉を分析 して,人類 なるがゆえに人間本性 にひそむものを〈種族 の偶像idola tribus〉,個人 のもつ先入見を〈洞窟 の偶像idola specus〉,社会 生活 から起こる偏見 を〈市場 の偶像idola fori〉,学説 から生じるものを〈劇場 の偶像idola theatri〉と名付け,ありのままの認識 が困難 であることを示した。
偶像とは真のものではない別の・・・もの。
そして
その新のものではない、本物のものを見えなくさせる先入見
・・・という空しいものを大切にする事がいかに空しいものか。。
神様はそれをこの箇所から伝えてるのだと思える。
偶像それは、宗教であるかもしれない。
そして、それは偉人といわれる人なのかもしれない。
でも、
もしかして自分の知恵なのかもしれない。
僕らは信頼できるものが何なのか?
神様は本当に信頼できるモノが何であるか気付いてね。って僕らに語られている。
それは僕らの目の前にある。
でもそれが中々信じる事が出来ない。
何故だろう?
神は居ない。
そんなサンタと同等のものを信じてるのはバカらしい・・・。
進化論 学校で学んだじゃないか。。
学校が嘘を教えるはずないじゃん。。。。。。
僕らはさんざんこの言葉で自分の脳にすり込んでいったからね。
バイブルにはこの世はサタンが支配していると記されている。
そして、
サタンの目的は、神が愛する人間を道ずれに殺す事。
神の存在しない事、そしてその約束は夢物語だと信じ込ませる事に夢中。
神の約束は
jhn3:16 神は、実に、そのひとり子 をお与えになったほどに、世を 愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのち を持つため である。
大切な。。大切な人がサタンと一緒に滅びないで
神様が創られた素敵な存在として永遠の命を再び取り戻す事。
(サタンに従ったときから、僕らには永遠の命(霊)が取り除かれている)
暫く
僕は進言・そして詩篇から、こうやって与えられた思いを言葉にしてきた。
でもね。
最近、少し バイブルって誤解を生む事多いよな~って思ってて
今の僕にあるモノを少しまとめてみようと考えるようになったんです。
で、今日こんな言葉にも出会った。
psm97:11 光は、正しい者のために、種のように蒔かれている。喜びは、心の直ぐな人のために。
神様は大切な人。
大好きな僕らの為に、言葉を人によって記された。
そのバイブルの言葉こそ、ここで記されている種。
この種によって、本当の喜びを得て欲しいと願っている。
僕はこの種について
11月から整理していこうと思います。
毎日の更新では無くなるかも知れませんが
これからも、宜しくお願いしますね。
では、私事も挟みながらでしたが、今日も素敵な種を味わえますように。
是非、今日語られてる
神様の声に耳を傾け、選び、その言葉を口にしてみませんか?
心が否定しても、バイブル(神様)
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?
僕らは今日も大丈夫!!
神様・・
eps1:17
どうか、私たちの主イエス・キリストの神
、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、私に
eps1:18
また、私の心の目
がはっきり見えるようになって、
eps1:19
また、
ジーザス(イェス様)の名前で
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詩97篇 「種を蒔く」 זָרַע ザーラー
〔カテゴリー統治〕
11節「神に従う人のためには光を 心のまっすぐな人のためには喜びを種蒔いてくださる。」(新共同訳)
11節「光は、正しい者のために種のように蒔かれている。喜びは心の直ぐな人のために。」(新改訳)
Keyword;「(種を)蒔く」 sow, 97:11/107:37/126:5
- 光や喜びを種のように「蒔く」と訳されたザーラーזָרַע(zara`)は、旧約で56回、詩篇では3回のみです。そのうちのひとつ詩126篇5節では「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。」とあります。ここでの「種」とは、神のみことば(トーラー)を意味します。しかも主語は神ではなく人です。神の民はバビロン捕囚という憂き目を経験しながらも、彼らはそこで神のことばにしっかりと向き合い、その確かさ、豊かさ、恩寵を見出したのでした。そしてそれがやがて詩篇1篇2節にあるように、「主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずざむ」というライフ・スタイルを生み出しました。彼らは自ら蒔いたものを刈り取ったのです。その間、70年という歳月が流れました。
- ちなみに、名詞形のゼラーזֶרַע(zara`)は、「子孫」を意味します。旧約230回、詩篇では18回です(ただし126篇6節のみ「種入れ」と訳されています)。
- さて、この詩97篇11節は神の国(神の支配、神の統治)が到来する終末に向けた預言的な表現です。光と喜びが、種のように蒔かれているとはどういうことか。王である神の支配をやがて完全な形で現わされる時がまさに刈り入れの時だとすれば、すでにその種は蒔かれていたということになります。どこに、だれのために蒔かれているのかといえば、それは「正しい者」たちの心にです。詩篇97篇のことばで換言するならば、「シオン」「ユダの娘たち」「主を愛する者たち」「聖徒たち」「心の直ぐな人」たちてす。いうなれば、神に贖われた者たちの心の中に蒔かれています。
- ここでいう「光」(オールאוֹר)とは、光源としての光ではなく、おそらく、神との交わりとしてのいのちの光を意味すると思います。あるいは啓示の光、悟りの光、愛の光とも言えます。それが神に贖われた者のうちに種のように蒔かれているのです。
- 一方の「喜び」(サーマハשָׂמָח)も、感情的な喜びというよりは、イエスのいう「わたしの喜び」であり、この世の喜びではありません。また弟子たちに「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」と言われたように、いつも神に覚えられているという存在論的な意味での喜びを意味していると思います。
- イエスの語った「種蒔く人のたとえ話」で、良い地に落ちた「種」はやがて30倍、60倍、百倍の実を結ぶと言われたように、まことの王がその主権を完全に顕にする時、私たちの思いをはるかに超えた刈り入りの時、収穫の時が来ることを待ち望みたいと思います。
http://meigata-bokushinoshosai.info/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs97
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