へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy -10ページ目

へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

。。。。。。。。。。


【詩篇92篇】o19  賛歌。安息日のための歌


psm92:1  主に感謝するのは、良いことです。いと高き方よ。あなたの御名にほめ歌を歌うことは。

psm92:2  朝に、あなたの恵みを、夜ごとに、あなたの真実を言い表わすことは。

psm92:3  十弦の琴や六弦の琴、それに立琴によるたえなる調べに合わせて。

psm92:4  主よ。あなたは、あなたのなさったことで、私を喜ばせてくださいましたから、私は、あなたの御手のわざを、喜び歌います。

psm92:5  主よ。あなたのみわざはなんと大きいことでしょう。あなたの御計らいは、いとも深いのです。

psm92:6  まぬけ者は知らず、愚か者にはこれがわかりません。

psm92:7  悪者どもが青草のようにもえいでようと、上法を行なう者どもがみな栄えようと、それは彼らが永遠に滅ぼされるためです。

psm92:8  しかし主よ。あなたはとこしえに、いと高き所におられます。

psm92:9  おお、主よ。今、あなたの敵が、今、あなたの敵が滅びます。上法を行なう者どもがみな、散らされるのです。

psm92:10  しかし、あなたは私の角を野牛の角のように高く上げ、私に新しい油をそそがれました。

psm92:11  私の目は私を待ち伏せている者どもを見下し、私の耳は私に立ち向かう悪人どもの悲鳴を聞きます。

psm92:12  正しい者は、なつめやしの木のように栄え、レバノンの杉のように育ちます。

psm92:13  彼らは、主の家に椊えられ、私たちの神の大庭で栄えます。

psm92:14  彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。

psm92:15  こうして彼らは、主の正しいことを告げましょう。主は、わが岩。主には不正がありません。

。。。。。。。。。。


おはようございます。

1週間また始まりますね。



では今日も共に詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm92:4  主よ。あなたは、あなたのなさったことで、私を喜ばせてくださいましたから、私は、あなたの御手のわざを、喜び歌います。

psm92:5  主よ。あなたのみわざはなんと大きいことでしょう。あなたの御計らいは、いとも深いのです。

psm92:6  まぬけ者は知らず、愚か者にはこれがわかりません。





まぬけ者だろうか?

愚か者にならない為に、僕らは神様の存在。

そして、神様の御計らいを意識してみつめてみませんか?




神様は僕らを愛し

僕らの為に様々な事を益として支えてくれるから。



例え

今僕らには逆境のように思える環境でさえも。



是非、今日語られてる

神様の声に耳を傾け、選び、その言葉を口にしてみませんか?




心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。



ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.



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詩92篇「(油を)注ぐ」 בָּלַל バーラル

〔カテゴリー賦与〕

10節「あなたは私の角を野牛の角のように高く上げ、私に新しい油をそそがれました。」
(新改訳)
11節「あなたはわたしの角を野牛のように上げさせ、豊かな油を注ぎかけてくださることでしょう。」(新共同訳)

Keyword;「そそぐ、注ぎかける」  poured upon me 92:10

  • 詩45篇でも「(油を)注ぐ」という恩寵動詞を味わいましたが、ここ詩92篇でも「油をそそぐ」という動詞が登場します。詩45篇と詩92篇ではとせちらも「そそぐ」と訳されていますが、原語は異なります。詩45篇の「(油を)そそぐ」と訳された原語はマーシャフמָשַׁח(mashach)で、旧約で70回、詩篇には45:7と89:20の2回、「任職の油を注ぐ」という意味で使われています。ところが、詩92篇の「そそぐ」原語はバーラルבָּלַל(balal)で、旧約では43回、詩篇ではここ1回のみです。これは、あるものに混ぜて、あるいは添えてささげられる油を意味しています。
  • バーラルבָּלַל(balal)は、モーセの幕屋における主への「穀物のささげ物」に関係があります。罪のいけにえ、罪過のいけにとは異なり、自発的なささけげものですが、それは小麦にオリーブ油を混ぜたものです。それは主に祭司たちの日々の糧となりました。小麦は穀物の中でも貴重なものであり、そして大切な食糧です。人の手のわざを通して、穂を摘み、脱穀して小麦粉として製粉し、それに油を混ぜて(mix)すぐに焼いて食べる事ができるようにしてささげられものです(レビ記2:4, 5/7:10,12/9:4、民数記7:13, 19, 25, 31, 43, 49, 55,61, 67, 73, 79/15:4, 6, 9/28:5,9,12, 13・・等を参照)。バーラルבָּלַלの本来的な意味は「混ぜる」です。そこから「添える」という意味が派生します。
  • 19世紀の英国の偉大な説教家、牧会者、大衆伝道者として有名なC・H・スポルジョンが精魂を傾けて、詩篇150篇のすべてを、一篇ももらさず、1節ごとに研究し、解説をした著作ー
    The Treasury of Davidーがあるようです。日本ではいのちのことば社から『ダビデの宝庫』としてⅠ、Ⅱ、Ⅲと出版されていますが(今は絶版)、それは全150篇のうちの42篇を抜粋したものです。その中にある詩92篇10節のスポルジョンの解説には次のようにしるされています。
  • 「・・野牛は、古代人の間では不屈の力を示す場合に好んで用いられる象徴でした。詩篇作者はそれを自分の象徴として取り入れています。・・『私に新しい油をそそがれました。』強くしてくださることに、さらにさわやかと栄誉が添えられます。古代の宴会で客に香油が注ぎかけられたように、聖徒は神の恵みのそそぎかけによってさわやかにされ、喜んでいます。こうした栄養のゆえに、聖徒は悪者のように滅びないのです。・・」(西河直茂訳「ダビデの宝庫Ⅲ」、118頁、いのちのことば社、1993)
  • スポルジョンの解説では10節の「新しい油」を、任職の油ではなく、力に添えられた神の歓迎の喜びとしての油としています。これは彼が「そそぐ」という原語を調べたからです。彼がどんなに緻密にみことばと向き合い、味わおうとしたかを垣間見せてくれます。

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こんばんわ~。
まとめる能力の欠けの為、先週は送れずですいませんでした。勝手に送らせて貰っていながら反省です。



では
今週も懲りずに送らせてもらいますね。



今日はこんな言葉から始まりました。

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jhn10:10 盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。
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コレは神様がサタンの支配の中にある僕らに対する思いが記されてる。



僕らは本当の命を味わい
豊かに暮らす事を神様は願っておられる。



間違えないでいたいですね。
神様の願いはソコナンダ!という事。



そして
今日メインの箇所は此方。
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rom8:28★神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
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人生がいつも順境な人はいない。
当然逆境という時を過ごすことがある。


神様はその逆境と云われる状況をも
凄く利益になるように
もしかすれば、順境以上なモノに変えようとして下さってる。


そもそも
神様が創られたこの世界は
愛する僕らの為なんだから。。



この言葉からもよく解る。

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1cor2:9 まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」
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ね。




凄いですよね。

神様は本気で僕らを愛しておられる。




もしかしたら今
逆境で辛い状況を過ごしてるかもしれない。


そして
もしかしたら、サタンの囁き(「こりゃアカン。良くなる見込は全くない。自分が撒いた種やろ。」なんて言葉 )を今、心の中に硬く信じてしまってる人もいるかもしれ無い。



今、僕らは
そんなサタンの囁きを信じてたとしても
僕らは
神様の言葉に気づき、選び直すことが出来る。




今日
こんな言葉を選んで信じることが出来たらイイかもしれませんね。
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rom8:28★神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
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人は信じたことを現実になるように、考えたり、行動してしまうみたいやよね。肉体を持った僕ら人は選び信じた事を証明しようとする性質がある。




今日
僕らは何を選びますか?



いつも意識して過ごしていたいですね。


今週も素敵な一週間となりますように。
祈ってます。

。。。。。。。。。。


【詩篇91篇】o19


psm91:1 いと高き方隠れ場 に住む者は、全能者 に宿る。

psm91:2  私は主に申し上げよう。「わが避け所 、わがとりで、私の信頼するわが神。」と。

psm91:3  主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。

psm91:4  主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾 であり、とりでである。

psm91:5  あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。

psm91:6  また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。

psm91:7  千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには、近づかない。

psm91:8  あなたはただ、それを目にし、悪者への報いを見るだけである。

psm91:9  それはあなたが私の避け所 である主を、いと高き方を、あなたの住まい としたからである。

psm91:10  わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。

psm91:11  まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。

psm91:12  彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。

psm91:13  あなたは、獅子とコブラとを踏みつけ、若獅子と蛇とを踏みにじろう。

psm91:14  彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。

psm91:15  彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのとき に彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。

psm91:16  わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。

。。。。。。。。。。


おはようございます。

寒い朝が当たり前のようになってきましたね。

お互いに体調にはくれぐれも気をつけましょうね。



では早速共に詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm91:4  主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾 であり、とりでである。








なんせ。

なんせ、僕らは本気で愛されている!

ホンマに。


何故なんでしょうね。

今見える自分には、愛される部分が見出せないのに。

この地に住んでる幾ら素晴らしいと思われる人でも、神様に特別に愛される資格はないと思える。

でも、神様は愛される。

それも本気で!


何故なんでしょう。



神様は僕らを神様に似せて創られた。

愛すべき者として。


僕ら人はサタンに従って神様から離れた為、

また、サタンに支配された地の為にどうしようもなく僕らはズラちゃう。



ズレちゃってる僕らは自分の本来の魅力に気付けない。

でも、本当の僕達は本当に魅力的。




今の自分に自信がもてなくても大丈夫。

僕らは何と言っても、神様に創られたスッゲー僕たちだから。


是非、神様に記されたバイブルをそのまま信じてみませんか?



だって、僕らは神様の羽で、おおわれる人であり、僕らは

神様のその翼の下に身を避ける為に用意されてるから。





今、見える自分自身に失望するのは

サタンの策略だよ。


気をつけようね。



僕らが信じるべきものは、そんな陳腐な策略に目を留めずに居たいですね。







是非、今日語られてる

神様の声に耳を傾け、選び、その言葉を口にしてみませんか?




心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。



ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.



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詩91篇 「おおう」 סָכַך サーハフ

〔カテゴリー愛顧〕

4節「主は、ご自分の羽であなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける」
(新改訳)
4節「おのが羽でかれはあなたをかばい、・・・」(岩波訳)

Keyword;「覆う」 cover, overshadowing, spread, 5:11/91:4/140:7

  • 4節で「おおわれる」と訳されたサーハフסָכַך(sakhakh)は、旧約で18回、詩篇では3回しか使われていない動詞です。ヘブル語にはもうひとつ罪をおおう、失敗や過ちを覆って下さるという意味の恩寵動詞カーサーכָּסָה(kasah)があります(詩32篇参照)が、カーサーの使用頻度は旧約で152回、詩篇では17回とサーカフに比べると圧倒的に多いのです。使用頻度の少ないサーハフסָכַך(sakhakh)ですが、実はとても重要な意味合いをもっています。
  • サーハフがはじめて聖書に登場するのは出エジプト記25章20節です。ここには幕屋についてに語られていますが、特に、幕屋の至聖所における契約の箱についての言及の中で、ケルビムが互いに向き合って、その翼で「贖いのふた」をおおうようにしなければならないとしるされています。このサーハフסָכַךが契約の箱と関連して使われている箇所は6回(出25:20/37:0/40:3, 21/Ⅰ列王8:7/Ⅰ歴代28:18)あります。翼をもったケルビムの像は、幕屋の垂れ幕にも織りなされ、やがで神殿では壁や扉にも刻まれたようです(Ⅱ歴代3:7)。
  • 契約の箱の「贖いのふた」の両端に互いに向かい合うように置かれた純金製のケルビムは、年一度大祭司のみが至聖所に入って「贖いのふた」の部分に血を注ぎますが、その血が見れるように配置されています。また、その翼の間から神はモーセと会見し(モーセの場合は出入り自由)、語られました。そこはまたシェキナー(神の臨在を現わす栄光の雲が現われる場所)でした。
    契約の箱の上のケルビムの翼
  • 詩91篇4節の主は、ご自分の羽であなたを「おおわれる」というところに、ケルビムがその翼で「覆う」という言葉が使われているのは、この詩91篇全体を意味づけるものではないかと思います。つまり、この詩篇は「守りの詩篇」と言われますが、単なる「守り」という意味だけではなく、そこに血が注がれて神と神の民がモーセや大祭司アロンを仲介として交わりを持つことができたように、キリストと一つにされた私たちもそのところで、神との親密な愛の交わりをできるようにして下さっているということです。しかもケルビムの翼を広げたところに神の栄光の雲が現わされたように、キリストにある私たちも神の臨在にあずかることができる、それが詩91篇4節の「主は、ご自分の羽であなたをおおわれる」という究極の目的だと信じます。
  • その証拠に14~16節には「彼は、わたしを愛しているから、助け出そう。知っているから高くあげよう。呼び求めているから、答えよう。」という神と人とのかかわりが成立しているのです。神の臨在(シェキナー)の場としての主の羽の覆いがあることを心から感謝したい。

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【詩篇90篇】o19  神の人モーセの祈り


psm90:1  主よ。あなたは代々にわたって私たちの住まい です。

psm90:2  山々が生まれる前から 、あなたが地と世界とを生み出す前から、まことに、とこしえからとこしえまで あなたは神です。

psm90:3  あなたは人をちり に帰らせて言われます。「人の子らよ、帰れ。」

psm90:4  まことに、あなたの目には、千年も、きのうのように過ぎ去り、夜回りのひととき のようです。

psm90:5  あなたが人を押し流すと、彼らは、眠りにおちます。朝、彼らは移ろう草 のようです。

psm90:6  朝は、花を咲かせているが、また移ろい、夕べには、しおれて枯れます。

psm90:7  まことに、私たちはあなたの御怒りによって消えうせ、あなたの激しい憤り におじ惑います。

psm90:8  あなたは私たちの不義を御前に、私たちの秘めごと御顔の光の中 に置かれます。

psm90:9  まことに、私たちのすべての日はあなたの激しい怒りの中に沈み行き、私たちは自分の齢をひと息 のように終わらせます。

psm90:10  私たちの は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとする ところは労苦とわざわい です。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。

psm90:11  だれが御怒りの力 を知っているでしょう。だれがあなたの激しい怒りを知っているでしょう。その恐れにふさわしく。

psm90:12 それゆえ、私たちに自分の日 を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心 を得させてください。

psm90:13  帰って来てください。主よ。いつまでこのようなのですか。あなたのしもべらを、あわれんでください

psm90:14  どうか、朝には、あなたの恵みで私たちを満ち足らせ、私たちのすべての日に、喜び歌い、楽しむようにしてください。

psm90:15  あなたが私たちを悩まされた日々と、私たちがわざわいに会った年々に応じて 、私たちを楽しませてください。

psm90:16  あなたのみわざをあなたのしもべらに、あなたの威光を彼らの子らに見せてください。

psm90:17  私たちの神、主のご慈愛が私たちの上にありますように。そして、私たちの手のわざ確かなもの にしてください。どうか、私たちの手のわざを確かなものにしてください

。。。。。。。。。。


おはおうございます。

今日はお休みの土曜なのでございます。

皆さんは今日はどう過ごされますか?



では早速共に詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm90:13  帰って来てください。主よ。いつまでこのようなのですか。あなたのしもべらを、あわれんでください






あわれんでください。

因みに日本語での意味は

・・悲しんだり苦しんだりしている人に、やさしい言葉をかけたりして心をなごやかにさせ、静まらせる。・・


バイブルのこの 「 あわれんでください 」 に こんな意味があるとは知らなかった。

今日はまずこんな説明から。。

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詩90篇 「力づける」 נָחַם ナーハム

〔カテゴリー育成〕

13節「帰って来てください。主よ。・・あなたのしもべらを、あわれんでください。」
13節「主よ、帰ってきてください、・あなたの僕らを力づけてください。」(新共同訳)

Keyword;「あわれむ、力づける、慰める」 comfort, express sympathy, relent
23:4/69:20/71:21/77:2/86:17/90:13/106:45/110:4/119:52, 76, 82/135:14

  • 新共同訳で「力づけて」と訳されたことばは、新改訳では「あわれんで」と訳されています。詩86篇でもすでに「あわれむ」という動詞を取り上げましたが、そこではハーナンחָנַן(chanan)でしたが、詩90篇ではナーハムנָחַם(nacham)が使われています。
  • ナーハムנָחַם(nacham)は、旧約で108回、詩篇では12回使われています。詩23篇4節には「あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです(נָחַם)。」(新改訳)とあります。
    岩波訳では「励ます」、関根訳では「勇気を与える」とも訳されています。したがって詩90篇でのナーハムがנָחַם(nacham)は、「慰めてください」、「励ましてください」、「勇気を与えて力づけてください」とも訳すことができます。
  • この動詞が使われているところには、ある苦しい状況の中に置かれているということが考えられます。「慰めよ、慰めよ」(イザヤ40章1節)と、神が預言者イザヤに語らせたことばは、神とのかかわりをリセットして新しくすべくバビロンに捕え移された者たちに向かって語られた回復のメッセージの冒頭でした。「慰める」という言葉はセンチメンタルな言葉ではありません。苦しみの中にあってもそこを避けることなく、まっすぐに貫かせ、歩ませる力づけと励ましを意味する、いわば父性的訓練と関連する恩寵用語です。詩23篇4節の「あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰め」と告白しているのがその証拠です。
  • 新約でナーハムנָחַםに対応するギリシャ語はパラカレオー(παρακαλεω)です。やはり苦難の中にある神の慰めを意味しています。ヘブル書の著者は12章5~7節に「あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧め(παρακαλεω)を忘れています。『わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子にむちを加えられるからである。』・・神があなたがたを子として扱っておられるのです」とあります。自分が子として扱われているという恩寵に気づく時、主の懲らしめは励ましとなり、慰めとなり、苦しみの中を貫かせる力となります。これがナーハムנָחַםであり、パラカレオー(παρακαλεω)です。
  • 使徒パウロは「慰めの書」と言われるコリント書第二で、「慰め」ということばを実に多く使っています。「気落ちした者を慰めてくださる神」を経験したパウロは、「神はどのように苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。」(Ⅱコリント1:4, 5)と述べています。神の慰めは苦難のあるところに溢れるのです。

http://meigata-bokushinoshosai.info/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs90

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神様は、僕らを力づけたい。

弱ったままではなく、本来の力を与える為に僕らを支えられる。


サタンの支配の中

僕らは自信に失望し、自信を失い、弱り果てるコトが多々ある。



そんな時、

僕らの神様は慰められ力づけられる。


自信を失う事があってもいい、

今支配されているサタンの世界に失望してもいい。



それは自然の事なんだから。

サタンは僕らの力を失わせ、生きることを諦める事を目的としてるんだもんね。




僕も精神的にも疲れ、休んでいる時間があった。

でも、そんな中

神様のこんな言葉で僕はゆったり平安のなか過ごす事が出来た。

『わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子にむちを加えられるからである。』・・神があなたがたを子として扱っておられるのです」




僕らは神様の子。

サタンの支配による苦難を神様は僕らの成長の糧として用いられる。



だから

絶対だいじょうぶなんだ。



だから、

そんな事に弱り果てない!って思えるようになる。

だって

神様が愛する子供としてその時慰め、力付けてくださるんだから。




どんなに辛くても

どんなに失望しても

僕らには慰め、力づけてくれる神様が傍に居てくれる。



苦難の時こそ

もしかしたら、神様の愛を感じられるのかもしれない。



神様に気付けると

僕らは自由になれる。



見えない世界こそ、本当に真実の世界。




見える世界

感じる肉体に制限されてるけど


僕らはその先の世界を知って生きることができる。






是非、今日語られてる

神様の声に耳を傾け、選び、その言葉を口にしてみませんか?




心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。



ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.



。。。。。。。。。。

 

【詩篇89篇】o19  エズラフ人エタンのマスキール

psm89:1  私は、主の恵みを、とこしえに歌います。あなたの真実を代々限りなく私の口で知らせます。

psm89:2  私はこう言います。「御恵みは、とこしえに建てられ、あなたは、その真実を天に堅く立てられる。」と。

psm89:3  「わたしは、わたしの選んだ者と契約を結び、わたしのしもべダビデに誓っている。

psm89:4  わたしは、おまえのすえを、とこしえに堅く立て、おまえの王座を代々限りなく建てる。《セラ

psm89:5  主よ。天は、あなたの奇しいわざをほめたたえます。また、聖徒たちの 集まりで、あなたの真実をも。

psm89:6  まことに、雲の上ではだれが主と並びえましょう。力ある者の子らの中でだれが主に似ているでしょう。

psm89:7  主は、聖徒たちの つどいで大いに恐れられている神。主の回りのすべての者にまさって恐れられている方です。

psm89:8  万軍の神、主。だれが、あなたのように力がありましょう。主よ。あなたの真実はあなたを取り囲んでいます。

psm89:9  あなたは海の高まりを治めておられます。その波がさかまくとき、あなたはそれを静められます。

psm89:10  あなたご自身が、ラハブを殺された者のように打ち砕き、あなたの敵を力ある御腕によって散らされました。

psm89:11  天はあなたのもの、地もあなたのもの。世界とそれを満たすものは、あなたがその基を据えられました。

psm89:12  北と南、これらをあなたが造られました。タボルとヘルモンはあなたの御吊を高らかに歌います。

psm89:13  あなたは力ある腕を持っておられます。あなたの御手は強く、あなたの右の手は高く上げられています。

psm89:14  義と公正は、あなたの王座の基。恵みとまことは、御前に先立ちます。

psm89:15  幸いなことよ、喜びの叫びを知る民は。主よ。彼らは、あなたの御顔の光の中 を歩みます。

psm89:16  彼らは、あなたの御吊をいつも喜び、あなたの義によって、高く上げられます。

psm89:17  あなたが彼らの力の光栄であり、あなたのご恩寵によって、私たちの角が高く上げられているからです。

psm89:18  私たちの は主のもの、私たちの王はイスラエルの聖なる方 のものだからです。

psm89:19  あなたは、かつて、幻のうちに、あなたの敬虔な者たちに告げて、仰せられました。「わたしは、ひとりの勇士に助けを与え、民の中から選ばれた者を高く上げた。

psm89:20  わたしは、わたしのしもべダビデを見いだし、わたしの聖なる油を彼にそそいだ。

psm89:21  わたしの手は彼とともに堅く立てられ、わたしの腕もまた彼を強くしよう。

psm89:22  敵が彼に害を与えることはなく、上正な者 も彼を悩ますことはない。

psm89:23  わたしは彼の前で彼の仇を打ち砕き、彼を憎む者を打ち倒そう。

psm89:24  わたしの真実とわたしの恵みとは彼とともにあり、わたしの吊によって 、彼の角は高く上げられる。

psm89:25  わたしは彼の手を海の上に、彼の右の手を川の上に置こう。

psm89:26  彼は、わたしを呼ぼう。『あなたはわが父、わが神、わが救いの岩。』と。

psm89:27  わたしもまた、彼をわたしの長子とし、地の王たちのうちの最も高い者としよう。

psm89:28  わたしの恵みを彼のために永遠に保とう。わたしの契約は彼に対して真実である。

psm89:29  わたしは彼の子孫をいつまでも、彼の王座を天の日数のように、続かせよう。

psm89:30  もし、その子孫がわたしのおしえを捨て、わたしの定めのうちを歩かないならば、

psm89:31  また、もし彼らがわたしのおきてを破り、わたしの命令を守らないならば、

psm89:32  わたしは杖をもって、彼らのそむきの罪 を、むちをもって、彼らの咎を罰しよう。

psm89:33  しかし、わたしは恵みを彼からもぎ取らず、わたしの真実を偽らない。

psm89:34  わたしは、わたしの契約を破らない。くちびるから出たことを、わたしは変えない。

psm89:35  わたしは、かつて、わが聖によって誓った。わたしは決してダビデに偽りを言わない。

psm89:36  彼の子孫はとこしえまでも続き、彼の王座は、太陽のようにわたしの前にある。

psm89:37  それは月のようにとこしえに、堅く立てられる。雲の中の証人は真実である。《セラ

psm89:38  しかし、あなたは拒んでお捨てになりました。あなたによって油そそがれた者 に向かって、あなたは激しく怒っておられます。

psm89:39  あなたは、あなたのしもべの契約を廃棄し、彼の冠を地に捨てて汚しておられます。

psm89:40  あなたは彼の城壁をことごとく打ちこわし、その要塞を廃墟とされました。

psm89:41  道を通り過ぎる者はみな、彼から奪い取り、彼は隣人のそしり となっています。

psm89:42  あなたは彼の仇の右の手を高く上げ、彼の敵をみな喜ばせておられます。

psm89:43  そればかりか、あなたは彼の剣の刃を折り曲げ、彼が戦いに立てないようにされています。

psm89:44  あなたは、彼の輝きを消し、彼の王座を地に投げ倒してしまわれました。

psm89:45  あなたは、彼の若い日を短くし、恥で彼をおおわれました。セラ

psm89:46  主よ。いつまででしょうか。あなたはいつまでも身をお隠しになるのでしょうか。いつまで、あなたの憤りは火のように燃えるのでしょう。

psm89:47  どうか、心に留めていてください。私がどれだけ長く生きるかを。あなたはすべての人の子らをいかにむなしいもの として創造されたかを。

psm89:48  いったい、生きていて死を見ない者はだれでしょう。だれがおのれ自身を、よみの力から救い出せましょう。セラ

psm89:49  主よ。あなたのさきの恵みはどこにあるのでしょうか。それはあなたが真実をもってダビデに誓われたものです。

psm89:50  主よ。心に留めてください。あなたのしもべたちの受けるそしりを。私が多くの国々の民のすべてをこの胸にこらえていることを。

psm89:51  主よ。あなたの敵どもは、そのようにそしり、そのように、あなたに油そそがれた者 の足跡をそしりました。

psm89:52  ほむべきかな。主。とこしえまでも。アーメン。アーメン。

。。。。。。。。。。



おはようございます。

今日は寒いわ・・・ホンマに。


では早速共に詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm89:2  私はこう言います。「御恵みは、とこしえに建てられ、あなたは、その真実を天に堅く立てられる。」と。





とこしえに建てられ・・・だって。

神様は僕らをどんな時でも建て直そうとして下さっている。


それは

僕らがサタンの支配下で苦しんでいるのを知ってるから。

サタンによってズレて、自分を責める事もそう。


こんな説明文なんか理解に役に立つかも。

・・・・・・・・・

  • またふるいにかけられるペテロに対して、主は「わたしはあなたの信仰がなくならないように。あなたのために祈りました。だから立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい(στηριζω)。」(ルカ22:32)というように使われています。
  • 神は私たちを福音によって「堅く立たせてくださる」方です。ペテロやパウロらの弟子たちを建て上げるすべての働きの源泉は、彼らが主によって「堅く立たせられた」ことによります。私もそうした「堅く立たせるミニストリー」に携わっていきたいと思います。

・・・・・・・・・・


ね。

今の自分自身が気になる方は神様の元に帰りませんか。

僕らは今以上に素晴らしい。


本来の僕らは、ホンマに素敵に違いない。

神様が本来創られた僕らを知る機会になれますように。







是非、今日語られてる

神様の声に耳を傾け、選び、その言葉を口にしてみませんか?




心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。



ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.



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詩89篇 「堅く立てる」 כּוּן クーン

〔カテゴリー救い〕

2節「御恵みはとこしえに建てられ(בָּנָה)、あなたは、その真実を天に堅く立てられる(כּוּן)。」

Keyword;「堅く立てる、確立する」 establish, 24:2/37:23/40:2/48:8/51:10/68:9, 10/87:5/89:2, 4, 21,37/93:1, 2/99:4:/107:36/119:73, 90,133/147:8

  • 「堅く立てられる」と訳されたクーンכּוּן(kun)は、旧約で216回、詩篇では54回使われています。神の主権によって確立すること、必ず実現に至らせることを、そのすべてのための必要が備えられていることを意味します。
  • 詩89篇ではクーンכּוּן(kun)が上記の2節の他に、あと3回登場します。

    ①4節には神がダビデに対して誓われたことばの中にあります。「わたしは、おまえのすえを、
    とこしえに堅く立て(כּוּן)、おまえの王座を代々限りなく建てる(בָּנָה)。」

    ②21節では「わたしの手は彼(ダビデ)とともに堅く建てられ(כּוּן)、わたしの腕も彼を強くしよう。」

    ③37節では「それは(ダビデとの契約)は月のようにとこしえに堅く立てられる(כּוּן)。・・」
    とあります。天の堅く立てられた神の真実が、具体的にはダビデを通して現わされるという約束です。

  • ちなみに、同じく「建てる」と訳されたバーナーבָּנָה(banah)が2節と4節に、しかも、クーンכּוּןと共に使われています。バーナーבָּנָה(banah)は、旧約では376回、詩篇では12回のみです。主に、城壁、ユダの町々、聖所、シオン、エルサレム、家などを建てる、再建するという意味で使われています。この動詞が聖書で最初に登場するのは、創世記2章22節で、「主は、人から取ったあばら骨を、ひとりの女に造り上げた(בָּנָה)。」と記しています。
  • クーンכּוּןの方は、都、シオン、世界、御座にも使われますが、それ以上に人とかかわることに用いられています。たとえば、「主は、私を滅びの穴から、泥沼から引き上げてくださった。そして、私を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。」(40:2)、「あなたのみことばによって、私の歩みを確かにし」(119:133)などです。
  • 旧約のクーンכּוּןに対応する新約のギリシャ語は「ステーリゾウστηριζω」で、主にある者を堅く立たせる、心を強くして励ます意味で使われています。
  • まず主イエスご自身がヘルモン山での変貌の後、決然と、断固とした決意をもってエルサレムに向かっていきます。その時の「御顔をまっすぐに向けられた(στηριζω)」(ルカ9:51)というところに使われています。
  • またふるいにかけられるペテロに対して、主は「わたしはあなたの信仰がなくならないように。あなたのために祈りました。だから立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい(στηριζω)。」(ルカ22:32)というように使われています。
  • 神は私たちを福音によって「堅く立たせてくださる」方です。ペテロやパウロらの弟子たちを建て上げるすべての働きの源泉は、彼らが主によって「堅く立たせられた」ことによります。私もそうした「堅く立たせるミニストリー」に携わっていきたいと思います。

http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs89

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