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psm91:1 ★ ★ いと高き方 の隠れ場 に住む者は、全能者 の陰 に宿る。
psm91:2 私は主に申し上げよう。「わが避け所 、わがとりで、私の信頼するわが神。」と。
psm91:3 主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。
psm91:4 主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾 であり、とりでである。
psm91:5 あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。
psm91:6 また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。
psm91:7 千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには、近づかない。
psm91:8 あなたはただ、それを目にし、悪者への報いを見るだけである。
psm91:9 それはあなたが私の避け所 である主を、いと高き方を、あなたの住まい としたからである。
psm91:10 わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。
psm91:11 まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。
psm91:12 彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。
psm91:13 あなたは、獅子とコブラとを踏みつけ、若獅子と蛇とを踏みにじろう。
psm91:14 彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。
psm91:15 彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのとき に彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。
psm91:16 わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。
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おはようございます。
寒い朝が当たり前のようになってきましたね。
お互いに体調にはくれぐれも気をつけましょうね。
では早速共に詩篇を。
今日僕の心に留まったのはこんな言葉。
psm91:4 主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾 であり、とりでである。
なんせ。
なんせ、僕らは本気で愛されている!
ホンマに。
何故なんでしょうね。
今見える自分には、愛される部分が見出せないのに。
この地に住んでる幾ら素晴らしいと思われる人でも、神様に特別に愛される資格はないと思える。
でも、神様は愛される。
それも本気で!
何故なんでしょう。
神様は僕らを神様に似せて創られた。
愛すべき者として。
僕ら人はサタンに従って神様から離れた為、
また、サタンに支配された地の為にどうしようもなく僕らはズラちゃう。
ズレちゃってる僕らは自分の本来の魅力に気付けない。
でも、本当の僕達は本当に魅力的。
今の自分に自信がもてなくても大丈夫。
僕らは何と言っても、神様に創られたスッゲー僕たちだから。
是非、神様に記されたバイブルをそのまま信じてみませんか?
だって、僕らは神様の羽で、おおわれる人であり、僕らは
神様のその翼の下に身を避ける為に用意されてるから。
今、見える自分自身に失望するのは
サタンの策略だよ。
気をつけようね。
僕らが信じるべきものは、そんな陳腐な策略に目を留めずに居たいですね。
是非、今日語られてる
神様の声に耳を傾け、選び、その言葉を口にしてみませんか?
心が否定しても、バイブル(神様)
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?
僕らは今日も大丈夫!!
神様・・
eps1:17
どうか、私たちの主イエス・キリストの神
、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、私に
eps1:18
また、私の心の目
がはっきり見えるようになって、
eps1:19
また、
ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.
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詩91篇 「おおう」 סָכַך サーハフ
〔カテゴリー愛顧〕
4節「主は、ご自分の羽であなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける」
(新改訳)
4節「おのが羽でかれはあなたをかばい、・・・」(岩波訳)
Keyword;「覆う」 cover, overshadowing, spread, 5:11/91:4/140:7
- 4節で「おおわれる」と訳されたサーハフסָכַך(sakhakh)は、旧約で18回、詩篇では3回しか使われていない動詞です。ヘブル語にはもうひとつ罪をおおう、失敗や過ちを覆って下さるという意味の恩寵動詞カーサーכָּסָה(kasah)があります(詩32篇参照)が、カーサーの使用頻度は旧約で152回、詩篇では17回とサーカフに比べると圧倒的に多いのです。使用頻度の少ないサーハフסָכַך(sakhakh)ですが、実はとても重要な意味合いをもっています。
- サーハフがはじめて聖書に登場するのは出エジプト記25章20節です。ここには幕屋についてに語られていますが、特に、幕屋の至聖所における契約の箱についての言及の中で、ケルビムが互いに向き合って、その翼で「贖いのふた」をおおうようにしなければならないとしるされています。このサーハフסָכַךが契約の箱と関連して使われている箇所は6回(出25:20/37:0/40:3, 21/Ⅰ列王8:7/Ⅰ歴代28:18)あります。翼をもったケルビムの像は、幕屋の垂れ幕にも織りなされ、やがで神殿では壁や扉にも刻まれたようです(Ⅱ歴代3:7)。
- 契約の箱の「贖いのふた」の両端に互いに向かい合うように置かれた純金製のケルビムは、年一度大祭司のみが至聖所に入って「贖いのふた」の部分に血を注ぎますが、その血が見れるように配置されています。また、その翼の間から神はモーセと会見し(モーセの場合は出入り自由)、語られました。そこはまたシェキナー(神の臨在を現わす栄光の雲が現われる場所)でした。

- 詩91篇4節の主は、ご自分の羽であなたを「おおわれる」というところに、ケルビムがその翼で「覆う」という言葉が使われているのは、この詩91篇全体を意味づけるものではないかと思います。つまり、この詩篇は「守りの詩篇」と言われますが、単なる「守り」という意味だけではなく、そこに血が注がれて神と神の民がモーセや大祭司アロンを仲介として交わりを持つことができたように、キリストと一つにされた私たちもそのところで、神との親密な愛の交わりをできるようにして下さっているということです。しかもケルビムの翼を広げたところに神の栄光の雲が現わされたように、キリストにある私たちも神の臨在にあずかることができる、それが詩91篇4節の「主は、ご自分の羽であなたをおおわれる」という究極の目的だと信じます。
- その証拠に14~16節には「彼は、わたしを愛しているから、助け出そう。知っているから高くあげよう。呼び求めているから、答えよう。」という神と人とのかかわりが成立しているのです。神の臨在(シェキナー)の場としての主の羽の覆いがあることを心から感謝したい。
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