僕らはおろか者だろうか? | へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

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僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

。。。。。。。。。。


【詩篇92篇】o19  賛歌。安息日のための歌


psm92:1  主に感謝するのは、良いことです。いと高き方よ。あなたの御名にほめ歌を歌うことは。

psm92:2  朝に、あなたの恵みを、夜ごとに、あなたの真実を言い表わすことは。

psm92:3  十弦の琴や六弦の琴、それに立琴によるたえなる調べに合わせて。

psm92:4  主よ。あなたは、あなたのなさったことで、私を喜ばせてくださいましたから、私は、あなたの御手のわざを、喜び歌います。

psm92:5  主よ。あなたのみわざはなんと大きいことでしょう。あなたの御計らいは、いとも深いのです。

psm92:6  まぬけ者は知らず、愚か者にはこれがわかりません。

psm92:7  悪者どもが青草のようにもえいでようと、上法を行なう者どもがみな栄えようと、それは彼らが永遠に滅ぼされるためです。

psm92:8  しかし主よ。あなたはとこしえに、いと高き所におられます。

psm92:9  おお、主よ。今、あなたの敵が、今、あなたの敵が滅びます。上法を行なう者どもがみな、散らされるのです。

psm92:10  しかし、あなたは私の角を野牛の角のように高く上げ、私に新しい油をそそがれました。

psm92:11  私の目は私を待ち伏せている者どもを見下し、私の耳は私に立ち向かう悪人どもの悲鳴を聞きます。

psm92:12  正しい者は、なつめやしの木のように栄え、レバノンの杉のように育ちます。

psm92:13  彼らは、主の家に椊えられ、私たちの神の大庭で栄えます。

psm92:14  彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。

psm92:15  こうして彼らは、主の正しいことを告げましょう。主は、わが岩。主には不正がありません。

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おはようございます。

1週間また始まりますね。



では今日も共に詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm92:4  主よ。あなたは、あなたのなさったことで、私を喜ばせてくださいましたから、私は、あなたの御手のわざを、喜び歌います。

psm92:5  主よ。あなたのみわざはなんと大きいことでしょう。あなたの御計らいは、いとも深いのです。

psm92:6  まぬけ者は知らず、愚か者にはこれがわかりません。





まぬけ者だろうか?

愚か者にならない為に、僕らは神様の存在。

そして、神様の御計らいを意識してみつめてみませんか?




神様は僕らを愛し

僕らの為に様々な事を益として支えてくれるから。



例え

今僕らには逆境のように思える環境でさえも。



是非、今日語られてる

神様の声に耳を傾け、選び、その言葉を口にしてみませんか?




心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。



ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.



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詩92篇「(油を)注ぐ」 בָּלַל バーラル

〔カテゴリー賦与〕

10節「あなたは私の角を野牛の角のように高く上げ、私に新しい油をそそがれました。」
(新改訳)
11節「あなたはわたしの角を野牛のように上げさせ、豊かな油を注ぎかけてくださることでしょう。」(新共同訳)

Keyword;「そそぐ、注ぎかける」  poured upon me 92:10

  • 詩45篇でも「(油を)注ぐ」という恩寵動詞を味わいましたが、ここ詩92篇でも「油をそそぐ」という動詞が登場します。詩45篇と詩92篇ではとせちらも「そそぐ」と訳されていますが、原語は異なります。詩45篇の「(油を)そそぐ」と訳された原語はマーシャフמָשַׁח(mashach)で、旧約で70回、詩篇には45:7と89:20の2回、「任職の油を注ぐ」という意味で使われています。ところが、詩92篇の「そそぐ」原語はバーラルבָּלַל(balal)で、旧約では43回、詩篇ではここ1回のみです。これは、あるものに混ぜて、あるいは添えてささげられる油を意味しています。
  • バーラルבָּלַל(balal)は、モーセの幕屋における主への「穀物のささげ物」に関係があります。罪のいけにえ、罪過のいけにとは異なり、自発的なささけげものですが、それは小麦にオリーブ油を混ぜたものです。それは主に祭司たちの日々の糧となりました。小麦は穀物の中でも貴重なものであり、そして大切な食糧です。人の手のわざを通して、穂を摘み、脱穀して小麦粉として製粉し、それに油を混ぜて(mix)すぐに焼いて食べる事ができるようにしてささげられものです(レビ記2:4, 5/7:10,12/9:4、民数記7:13, 19, 25, 31, 43, 49, 55,61, 67, 73, 79/15:4, 6, 9/28:5,9,12, 13・・等を参照)。バーラルבָּלַלの本来的な意味は「混ぜる」です。そこから「添える」という意味が派生します。
  • 19世紀の英国の偉大な説教家、牧会者、大衆伝道者として有名なC・H・スポルジョンが精魂を傾けて、詩篇150篇のすべてを、一篇ももらさず、1節ごとに研究し、解説をした著作ー
    The Treasury of Davidーがあるようです。日本ではいのちのことば社から『ダビデの宝庫』としてⅠ、Ⅱ、Ⅲと出版されていますが(今は絶版)、それは全150篇のうちの42篇を抜粋したものです。その中にある詩92篇10節のスポルジョンの解説には次のようにしるされています。
  • 「・・野牛は、古代人の間では不屈の力を示す場合に好んで用いられる象徴でした。詩篇作者はそれを自分の象徴として取り入れています。・・『私に新しい油をそそがれました。』強くしてくださることに、さらにさわやかと栄誉が添えられます。古代の宴会で客に香油が注ぎかけられたように、聖徒は神の恵みのそそぎかけによってさわやかにされ、喜んでいます。こうした栄養のゆえに、聖徒は悪者のように滅びないのです。・・」(西河直茂訳「ダビデの宝庫Ⅲ」、118頁、いのちのことば社、1993)
  • スポルジョンの解説では10節の「新しい油」を、任職の油ではなく、力に添えられた神の歓迎の喜びとしての油としています。これは彼が「そそぐ」という原語を調べたからです。彼がどんなに緻密にみことばと向き合い、味わおうとしたかを垣間見せてくれます。

http://meigata-bokushinoshosai.info/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs92

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