誰が僕らの支配者なのか? | へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

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僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

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【詩篇93篇】o19


psm93:1  主は、王であられ、みいつをまとっておられます。主はまとっておられます。力を身に帯びておられます。まことに、世界は堅く建てられ、揺らぐこと はありません。

psm93:2  あなたの御座は、いにしえから堅く立ち、あなたは、とこしえからおられます。

psm93:3  主よ。川は、声をあげました。川は、叫び声をあげました。川は、とどろく声をあげています。

psm93:4  大水のとどろきにまさり、海の力強い波にもまさって、いと高き所にいます主は、力強くあられます。

psm93:5  あなたのあかしは、まことに確かです。聖なることがあなたの家にはふさわしいのです。主よ、いつまでも。

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おはようございます。

今日は学校で息子が動物園に行く予定だったのですが、朝起きたらなんと雨。。

ま~こういう事もありますよね。


でもきっと何か愛の計画があるんですよね。

僕らには理解できないけど、きっと。

そう思える事は感謝ですね。



では早速共に詩篇を。

今日心に留まった言葉はコレ。

psm93:1  主は、王であられ、みいつをまとっておられます。主はまとっておられます。力を身に帯びておられます。まことに、世界は堅く建てられ、揺らぐこと はありません。





主は 「 王 」 であられ・・・





国は支配者次第で変わる。

僕の小さい頃の家の長である親父は、、絶対王政に近い支配だった。

これは・・・

僕にとっては酷かったです。


子供にとっては辛かった。小さな事だけど・・

希望が通らない・・・。友人の誕生日会も行けず。。




支配者が変わったら・・・

なんて事を子供ながらずっと考えていた。




それが、神様の支配の中にいつでも入る事が出来る。

psm93:1  主は、王であられ、みいつをまとっておられます。主はまとっておられます。力を身に帯びておられます。まことに、世界は堅く建てられ、揺らぐこと はありません。



人の支配者は

有限の肉体の制限されている。


自分の視野や感情によって捕らわれる僕らは理解できない事がある。


でも

神様は無限。

時も環境も超え、全てを知って支えられる。



僕らの神様は無敵だしね。




僕らはそんな神様に信じて歩んでいく事が出来る。

僕らに理解できない事があっても、大丈夫。


経験が・・・感情が、神様の支配を信じれない事もある。


でも、それを超えて僕らは神様を信じて委ねる事が出来る。




だって、

神様は僕らを本気で愛しておられ

力強い手で僕らを支えてくれるんだから。





是非、今日語られてる

神様の声に耳を傾け、選び、その言葉を口にしてみませんか?




心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。



ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.




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詩93篇「王となる」 מָלַך マーラフ

〔カテゴリー統治〕

1節「主は、王であられ、みいつをまとっておられる。」(新改訳)
1節「主こそ王。・・」 (新共同訳)

Keyword;「王として支配する、統治する」  reign, to be king, to rule, to make king
47:8/93:1/96:10/97:1/99:1/146:10

  • 新改訳、新共同訳では「王」「王であられ」とは、一見、名詞のようにみえますが、実は動詞が使われています。NIV訳ではreigns つまり、主が王として支配する、統治する、君臨するという意味です。
  • 旧約では動詞のマーラフמָלַך(malakh) は347回、詩篇ではわずかに6回です。しかし、すべて神に対して用いられています。ちなみに、名詞形の「王」メレフמֶלֶך(melekh)は旧約全体で2,523回、詩篇で神が王(King)として用いられいるのは22回です。「王国kingdom」マルフートמַלְכוּת(malkhut)は旧約で91回、詩篇は6回(45:6/103:19/145:11, 12, 13, 13)です。
  • ところで、神が王として支配されることがなぜ恩寵なのかといえば、それは他の国々のように専制君主的な王ではなく、ご自身の民に対して、いつくしみと公正と正義をもって治められるからです。詩93篇では王の風格について語られていますが、「王国」(kingdom)という語彙が最も多く登場している詩145篇では、「私の神、王よ。わたしはあなたをあがめます」(1節)と個人的に告白され、この王国の統治の特徴がいかなるものであるかをよく言い表しています。たとえば、

    8節「主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵みに富んでおられます。
    主はすべてのものにいつくしみ深く、そのあわれみは造られた者の上にあります。」
    14節「主は倒れる者をみなささえ、かがんでいる者をみな起こされます。」
    15節「すべての者は、あなたを待ち望んでいます。あなたは時にかなって、彼らに食物を与えられます。」
    16節では「あなたは御手を開き、すべての生けるものの願いを満たされます。」
    18節「主を呼び求める者すべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに主は近くあられる。」
    20節「すべて主を愛する者は主が守られる。」

  • 王の統治は「すべてのものに」、「みな」、「すべて」に及ぶことが印象的です。しかもその王国は、永遠にわたる王国、輝かしい栄光の王国として、その統治が代々限りなく続きます。キリストこそ私たちの永遠の王の王です。この方の統治は私たちにとってこの上なく喜びとなるのです。

http://meigata-bokushinoshosai.info/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs93

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