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【詩篇88篇】o19 歌。コラの子たちの賛歌。指揮者のため。
マハラテ・レアノテの調べに合わせて。エズラフ人ヘマンのマスキール
psm88:1 主、私の救いの神。私は昼は、叫び、夜は、あなたの御前にいます。
psm88:2 私の祈りがあなたの御前に届きますように。どうか、あなたの耳を私の叫びに傾けてください。
psm88:3 私のたましいは、悩みに満ち、私のいのちは、よみに触れていますから。
psm88:4 私は穴に下る者とともに数えられ、力のない者のようになっています。
psm88:5 死人の中でも見放され、墓の中に横たわる殺された者のようになっています。あなたは彼らをもはや覚えてはおられません。彼らはあなたの御手から断ち切られています。
psm88:6 あなたは私を最も深い穴に置いておられます。そこは暗い所、深い淵です。
psm88:7 あなたの激しい憤り が私の上にとどまり、あなたのすべての波であなたは私を悩ましておられます。セラ
psm88:8 あなたは私の親友を私から遠ざけ、私を彼らの忌みきらう者とされました。私は閉じ込められて、出て行くことができません。
psm88:9 私の目は悩みによって衰えています。主よ。私は日ごとにあなたを呼び求めています。あなたに向かって私の両手を差し伸ばしています。
psm88:10 あなたは死人のために奇しいわざを行なわれるでしょうか。亡霊が起き上がって、あなたをほめたたえるでしょうか。セラ
psm88:11 あなたの恵みが墓の中で宣べられましょうか、あなたの真実が滅びの中で。
psm88:12 あなたの奇しいわざが、やみの中で知られるでしょうか、あなたの義が忘却の地で。
psm88:13 しかし、主よ。この私は、あなたに叫んでいます。朝明けに、私の祈りはあなたのところに届きます。
psm88:14 主よ。なぜ、私のたましいを拒み、私に御顔を隠され るのですか。
psm88:15 私は若いころから悩み、そして死にひんしています。私はあなたの恐ろしさに耐えてきて、心が乱れています。
psm88:16 あなたの燃える怒りが私の上を越え 、あなたからの恐怖が私を滅ぼし尽くしました。
psm88:17 これらが日夜、大水のように私を囲み、私を全く取り巻いてしまいました。
psm88:18 あなたは私から愛する者や友を遠ざけてしまわれました。私の知人たちは暗い所にいます。
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おはようございます。
台風により雨が続きますね。
近所の川はいつの間にか増水してて、こんなにも雨が降ったのか~と驚かされます。
では早速共に詩篇を。
今日僕の心に留まったのはこんな言葉。
psm88:13 しかし、主よ。この私は、あなたに叫んでいます。朝明けに、私の祈りはあなたのところに届きます。
しかし・・・。私の祈りはあなたのところに届きます。
「 しかし 」 に行き着くまでの辛い孤独の状態が、シンドイ・・・と感じさせられます。
こんな経験した事ありますか?
孤独な状態が続くと、希望がもてなくなるものじゃないですか?
希望とは何でしょう?
将来のイメージが望むものになると期待する気持ちかな?
将来とは何でしょう?
時間的に僕らの一歩前からその先の事と云えるのかな?
僕らは将来を正確にとらえる事は出来ない。
将来は結構色んな心情によって左右される事がある事が、様々な本に記されている。
例えば、引き寄せの法則なんかが有名かも。
ザックリ、思い込んだモノが引き寄せられるから、肯定的な事を考えて過ごしましょうというモノ。
引き寄せの法則なんかは、
バイブルが語るこの箇所を基にした理論だと思える。
mar11:24 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。
しかし、
決定的に違う事はその法則には創った方が居ないという前提に立った理論だという事。
規則正しく創られた法則は、創った方の意図によるもの。
それは、『 全ての人が命を得、それを豊かに持つ為 』 と神様は語ってるけど
ソレを無視しちゃ・・・ダメだよね。
創られた方は愛そのものの方。
本当の意味を知って、僕らはその語られた事に耳を傾ける事が重要だ。
無責任なポジティブシンキングに妄信しているようなモンになっちゃう。
気をつけないとね。
神様はそんな愛をもって、僕らを見守っておられる。
限界と感じられるその孤独の状態の時でさえ
全ての時を超えて、僕らが見えない将来をも支えられるそのあたたかい手で支えられている。
ソレを知ったとき
ドンだけ孤独な状態であっても
失望のどん底であったとしても
この詩篇の作者のように、この言葉を発することが出来る。
psm88:13 しかし、主よ。この私は、あなたに叫んでいます。朝明けに、私の祈りはあなたのところに届きます。
何故なら、事実は変わらないから。
神様が居られ、僕らをいつも見えない手で支えておられるという事実。
だから、
僕らは将来を創り用意される僕らの神様に言葉を発することが出来るに違いない。
心が例え否定しても・・・事実は変わらないのだから。
きっと、僕らは全然大丈夫だし
本気で愛してくれる方に向かって、僕らは祈る(希望を告白する)事が出来るんだから。
楽しみですね。
将来を備えられる方に・・・本気で愛してくれる方に僕らは今日も祈る事が出来る。
是非、今日語られてる
神様の声に耳を傾け、選び、その言葉を口にしてみませんか?
心が否定しても、バイブル(神様)
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?
僕らは今日も大丈夫!!
神様・・
eps1:17
どうか、私たちの主イエス・キリストの神
、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、私に
eps1:18
また、私の心の目
がはっきり見えるようになって、
eps1:19
また、
ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.
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詩88篇「(耳を)傾ける」 נָטָה ナーター
〔カテゴリー愛顧〕
2節「・・どうか、あなたの耳を私の叫びに傾けてください。」
Keyword;「(耳を、身を、心を)傾ける」 give ear, turn your ears 17:6/31:2/40:1/71:2/8:2/116:2/141:4
- 「(耳を)傾けてください」という祈りの「傾ける」ということばはナーターנָטָה(natah)で、神にも(恩寵用語)、人にも(礼拝用語)にも用いられます。旧約では215回、詩篇では29回使われています。礼拝用語として使われる場合には、神のことばに耳(心)を傾けるということであり、
恩寵用語として用いられる場合には、神が人の祈りや叫びに耳を傾けられるということになります。ちなみに、「耳を傾ける」の類義語としては、アーザンאָזַן('azan)とシャーマー
שָׁמַע(shama`)とがあります。
- 恩寵用語としてのナーターנָטָה(natah)は、軽い意味での「少々、お耳を拝借!!」というような意味ではありません。「天を押し曲げて降りてきてください。」(144:5) の「押し曲げる」とか、「伸ばす」(102:11)、「広げる」(104:2)、「差し伸ばされる(腕)」(136:12)と訳されるように、心だけでく、身を乗り出すようにして耳を傾けるくださる、親身になってかかわってくださるイメージをもった語彙、それがナーターנָטָה(natah)です。
- 詩88篇の作者の「どうか、あなたの耳を私の叫びに向けてください。」と祈る祈りの背後に、深い孤独と苦痛が表わされています。6節の「あなたは私を最も深い穴に置いておられます。それは暗い所、深い淵です。」とあるように、そこには作者の孤独感に打ちひしがれている様子が十分に表わされていると同時に、そこからその孤独がやがて「独りでいること」に変わっていく可能性をもっています。それは、様々な「偽りの結びつき」から解放されて、全く新しい形での神との結びつきを発見できるという可能性です。
- ヘンリー・ナウエンは「孤独が独りきりでいることへ移り変わっていく動きは、あらゆる霊的生活の始まりである。」と述べています(『差しのべられる手』34頁。女子パウロ会、2002.)。「孤独であること」と「独りでいること」には違いがあります。人けのない場所で独りきりになるといたたまれない孤独感に襲われることもあれば、同時に、独りでいることの静けさを心から味わうこともできるのです。私たちはこの二つの極の間をいつも行ったり来たりする「揺れ」を経験しながら、孤独を奥深い意味での「独りでいること」にゆっくりと改めていく必要があります。
- 特に、現代社会は孤独感のゆえに心病む者たちがきわめて多くなっています。そんな時代の中で「独りでいること」の価値を発見することは一つの召命です。詩88篇に見る作者の経験は、まさにその価値を見出させる神の計らいなのかもしれません。もし「独りでいること」の価値を見出すことができないなら、私たちは人とのかかわりの中で、まといついたり、依存したり、相手を利用したりすることになり、結果として、ますます疎外感を感じるようになっていくしかないのです。
http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs88
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