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psm84:1 ★ 万軍の主 。あなたのお住まいはなんと、慕わしいことでしょう。
psm84:2 私のたましいは、主の大庭を恋い慕って 絶え入るばかりです。私の心も、身も、生ける神に喜びの歌を歌います。
psm84:3 雀 さえも、住みか を見つけました。つばめも、ひなを入れる巣 、あなたの祭壇を見つけました。万軍の主。私の王、私の神よ。
psm84:4 なんと幸いなこと でしょう。あなたの家に住む人たちは。彼らは、いつも、あなたをほめたたえています。セラ
psm84:5 なんと幸いなこと でしょう。その力が、あなたにあり、その心の中にシオンへの大路 のある人は。
psm84:6 彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所 とします。初めの雨 もまたそこを祝福でおおいます。
psm84:7 ★ 彼らは、力から力 へと進み、シオンにおいて、神の御前に現われます。
psm84:8 万軍の神、主よ。私の祈りを聞いてください。ヤコブの神 よ。耳を傾けてください。セラ
psm84:9 神よ。われらの盾をご覧ください。あなたに油そそがれた者 の顔に目を注いでください。
psm84:10 まことに、あなたの大庭にいる一日は千日にまさります。私は悪の天幕 に住むよりはむしろ神の宮の門口に立ちたいのです。
psm84:11 まことに、神なる主は太陽です。盾です。主は恵みと栄光を授け、正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません。
psm84:12 万軍の主よ。なんと幸いなこと でしょう。あなたに信頼するその人は。
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おはようございます。
今日は土曜出勤の日です。
現在、会社の今後のスタイルを模索中で、気合をいれなおさなきゃナランところにいます。
しっかり、今何をすべきか。金儲けに走らないよう軸をしっかり神様に向けたいものです。
では早速共に詩篇を。
今日僕の心に留まったのはこんな言葉。
psm84:10 まことに、あなたの大庭にいる一日は千日にまさります。私は悪の天幕 に住むよりはむしろ神の宮の門口に立ちたいのです。
今日の箇所に記されている事とは、神様の領域について。
大庭という表現で記されている。
では、
僕らは何処に立っているのか?
何処だと思います?
主の大庭を恋い慕って眺めている場所とは?
大庭だと思いますか??
神様の領域に入っている?
ソレはホンマでっか?
もしかしたら
悪の天幕 に居るのかもしれないですよ~。
そう、僕らは選択の自由が合って
意識して選択しなければ、僕らはずっとサタンの領域に居るという事なんです。
だって、この世界はサタンが支配してるって云ってるんだもんね。
僕らはサタンの支配下におかれている。
そこから、神様の領域を眺めると・・・・・本当に恋い慕う場所。
凄い場所。素敵な場所。
誰もが行きたい場所ですね。
でも、間違えないで欲しいのは
神様の領域は、本来僕らが住むべき場所だっていう事を忘れないで。
僕らは其処にいつでも入る事を選択できる。
感情がついてくるかは別問題ではあるけれど、神様は方法を示している。
それが此処。
psm100:1 全地よ。主に向かって喜びの声をあげよ。
psm100:2 喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。
psm100:3 知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。
psm100:4 感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。
psm100:5 主はいつくしみ深くその恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る。
大庭に入る手段は、
日頃の感謝だけでは入る事が出来ない。
神様の実際を・・見えない愛を信じなければ
心の目で神様が与えてる愛の実際を認め、その言葉を選んで発しなければ入る事は出来ない。
でも
ただ、それを言葉にすれば入れる。
神は愛だ。
僕らはその愛によって愛されている。
神様と僕らの愛を引き裂くものはない。
僕らの問題がどんなに大きくとも、僕らは大丈夫。
だって、僕らの神様から見れば、吹き飛ばす埃のようなものだもの。
神様の実際の姿を知ってますか?
知らなくても、
それを知り、言葉を発している詩篇が僕らの傍に用意されている。
恋い慕う 神様の大庭を体験してみませんか?
それは僕らの本来居るべき場所だから。
大丈夫。
神様はその選択をメチャクチャ喜ばれている。
・・・待っている。
祈ってます。
是非、今日語られてる
神様の声に耳を傾け、選び、その言葉を口にしてみませんか?
心が否定しても、バイブル(神様)
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?
僕らは今日も大丈夫!!
神様・・
eps1:17
どうか、私たちの主イエス・キリストの神
、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、私に
eps1:18
また、私の心の目
がはっきり見えるようになって、
eps1:19
また、
ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.
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詩84篇「なんと幸いなことか」אַשֵׁרֵי アシュレー)
〔カテゴリーその他〕
4節「なんと幸いなことでしょう。あなたの家に住む人たちは。」
5節「なんと幸いなことでしょう。・・その心の中にシオンへの大路がある人は。」
12節「なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼するその人は。」
Keyword; 「何と幸いなことか」 How happy, Blessed 1:1/2:12/32:1, 2/33:12/34:8/40:4/41:1/65:4/84:4, 5,12/89:15/94:12/106:3/112:1/119:1, 2/127:5/128:1, 2/137:8, 9/144:15, 15/146:5/
- 詩84篇には3回も同じ表現が出てきます。それは「なんと幸いなことでしょう」と訳されたアシュレーאַשֵׁרֵי(’ashrey)という名詞です。旧約では44回使われています。詩篇では26回使われていますから、詩篇特愛の用語だということができます。
- 私たちの多くが、健康であること、高い地位に着くこと、競争に打ち勝ったり、自己実現できたりしていることを幸いだと考える傾向があります。しかし聖書の(特に詩篇)の言う「幸福感」はそれとは全く異なります。幸福なことはすべて、ある状況の中にいることではなくて、あくまでも「人」です。有名な詩1篇にも「幸いなことよ。その人は」アシュレー・ハーイーシュ(אַשְׁרֵי הַאִישׁ)で始まっています。つまり、幸いなこととはこういう人たちのことですと言い切っているのです。詩84篇によれば、「幸いなことは」・・
①「主の家に住む人」
②「心にシオンへの大路がある人」
(※原文では「シオン」はありませんが、シオンは主の家、主が自ら臨在する場所として選ばれた所です。そこに向けた「大路」というのは「巡礼」を意味します。つまりシオンへの巡礼をしようとする熱意のある人という意味になります。)
③「主を信頼する人」
- 詩84篇には、「雀さえも、住みかを見つけました。」「つばめも、ひなを入れる巣・・を見つけました。」とあります。「住みか」とは「居場所」を意味します。自分が安心して居られる居心地の良い場所を持っている人は幸いです。
- 日本の社会の男性にとってはこれまで自分の居場所は仕事でした(今は様相が違って来ていますが・・)。職場で十分に活躍できて、そこで自分の居場所がもてるということは、居心地が最高に良くなります。そうすると、次第に家庭よりも、職場が自分の居場所になってしまいます。しかしそのような人はが退職して仕事を失ったとき、同時に、自分の居場所も喪失します。仕事人間にとって退職は悲劇の始まりです。団塊世代が退職を迎えようとするこれからの時代は、ひとつの大きな危機と言えます。
- しかし、詩篇の作者は決して失われない自分の居場所を持つ人は最高に幸せな人だと言っています。神とのかかわりを与えられている人は、このことをいつも忘れてなりません。
http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs84
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