悩む者と貧しい者の権利を認めよ・・・ | へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

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僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

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【詩篇82篇】o19  アサフの賛歌


psm82:1  神は神の会衆の中に立つ。神は神々の真中で、さばきを下す。

psm82:2  いつまでおまえたちは、不正なさばきを行ない、悪者どもの顔を立てるのか。セラ

psm82:3  弱い者とみなしごとのためにさばき、悩む者と乏しい者の権利を認めよ。

psm82:4  弱い者と貧しい者とを助け出し、悪者どもの手から救い出せ。

psm82:5  彼らは、知らない。また、悟らない。彼らは、暗やみの中を歩き回る。地の基は、ことごとく揺らいでいる。

psm82:6  わたしは言った。「おまえたちは神々だ。おまえたちはみな、いと高き方の子らだ。

psm82:7  にもかかわらず、おまえたちは、人のように死に、君主たちのひとりのように倒れよう。」

psm82:8  神よ。立ち上がって、地をさばいてください。まことに、すべての国々はあなたが、ご自分のものとしておられます。

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おはようございます。

メッキリ寒くなってきましたね。まさか・・・早朝には雨も。

天候は変わりやすいですね。

体調にはくれぐれも気をつけていきやしょう。



では、早速共に詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm82:3  弱い者とみなしごとのためにさばき、悩む者と乏しい者の権利を認めよ。






バイブルでは弱いもの・・みなしご・・を本当に大切に扱う。

ココでも、悩む者と貧しい者の権利を認めよ!と語られてる。



僕らは悩む者?貧しい者?

だったら、神様は僕らをとっても大切にされる環境にあるね。



僕らはソンナ状況をどう過ごしますか?




そこで、忘れてはならないのは

権利を認めよ・・・という事。権利はあるという事。

その権利を行使できていないという事。

権利があるという事すら忘れてしまっているという事なのかもしれない。



僕らには権利がある。

僕らは神様の子供だ。神様の子として僕らは歩んでいるだろうか?



祈りにおいて。

全ての生活において。

必要を満たされる方に不足を祈っているだろうか?


僕らは特別な存在。



サタンに神様の存在を忘れさせられてるだけ。

忙しい日常に。

祈りとは現実とはかけはなれてるとか?ね。



忘れないで

誰よりも近くにいて支えてくれてる方の事を。





是非、今日語られてる

神様の声に耳を傾け、選び、その言葉を口にしてみませんか?




心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。



ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.




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詩82篇「権利を認める」 צָדַק ツァーダク

〔カテゴリー統治〕

3節「弱い者とみなしごのためにさばき(שָׁפַט)、悩む者と乏しい者の権利を認めよ(צָדַק)。」

Keyword; 「権利を認める、心にかける」 maintain the rights 19:9/51:4/82:3/143:2

  • 詩82篇は、神が権威を与えた者たち(ここでは「神々」と呼ばれている)を召集して、正しく裁くべきことを天の会議において示唆している設定となっています。「さばく」シャーファトשָׁפַט(shaphat)という動詞が4回(1, 2, 3, 8節)も繰り返されています。
  • 地の支配者たちによって、「地の基」である神の律法が「ことごとく揺らいでいる」ために、社会的弱者たちがないがしろにされてしまっている現実があります。そうした背景の中で、神が要求したことはそのまま神の統治理念であると同時に、神の福祉的恩寵と考えることができます。
  • さて、3節と4節には社会的弱者を表わす用語が並んでいます。 ①「弱い者」(ダルדַל) ②「みなしご(孤児)」(ヤートムיָתוֹם) ③「悩む者」(アーニーעָנִי) ④「乏しい者」(ラーシュרָשׁ) ⑤「貧しい者」(極貧の者、エヴヨーンאֶבְיוֹן) これらは自分の力では決して解決できない、悲惨な状態を表わしています。神は、このような者たちを「助け出し」(פָּלַט)、悪者(神に逆らうもの、不法者)の手から「救い出し、奪い返す」(נָצַל)ようにと求めています。
  • 「権利を認める」と訳された動詞ツァーダクצָדַק(tsadaq)は旧約で41回、詩篇では4回です。典礼訳では「心をかける」、岩波訳では「義しいとする」、バルバロ訳では「訴えを聞く」と様々に訳されています。ちなみに、名詞はツェデクצֶדֶק(tsedeq)で、 旧約119回、詩篇50回と詩篇特愛用語です。形容詞はツァディークצַדִּיק(tsaddiyq) 旧約206回、詩篇52回、箴言66回と、形容詞は詩篇、箴言の特愛用語と言えます。
  • 神の律法には平等性と公平さを実現する福祉理念がはっきりと示されています。どうしてこうした理念が喪失してしまったのでしょうか。貧富の差を生み、弱者が踏みにじられるという社会ー、それは、おそらくイスラエルの国が「他の国のように」なることを求めて、繁栄という名の偶像を拝んだがゆえです。
  • イスラエルの歴史において、こうした事態を招いたのはソロモン王以降と考えられます。ソロモンの豪華な宮廷生活、国家的建設事業とそれを遂行するための官僚組織に払われる莫大な人件費によって、国家財政は「慢性的な支出超過」に陥りました。そのつけはすべて国民に回ってきます。周辺諸国との同盟関係を築くことで経済は発展しましたが、次第に富める者たちはさらに富む者となり、貧しい者はさらに貧しくなりました。その格差は増大しました。これは今日の日本の経済状況、社会状況とよく似ているように思います。

http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs82

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