へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy -13ページ目

へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

。。。。。。。。。。

 

【詩篇79篇】o19  アサフの賛歌


psm79:1  神よ。国々は 、ご自身のものである地に侵入し、あなたの聖なる宮 をけがし、エルサレムを廃墟としました。

psm79:2  彼らは、あなたのしもべたちのしかばねを空の鳥のえじきとし、あなたの聖徒たちの 肉を野の獣に与え、

psm79:3  聖徒たちの 血を、エルサレムの回りに、水のように注ぎ出しました。彼らを葬る者もいません。

psm79:4  私たちは隣人のそしり となり、回りの者のあざけりとなり、笑いぐさ となりました。

psm79:5  主よ。いつまででしょうか 。あなたは、いつまでもお怒りなのでしょうか。いつまで、あなたのねたみは火のように燃えるのでしょうか。

psm79:6  どうか、あなたを知らない国々に、御名を呼び求めない王国の上に、あなたの激しい憤り を注ぎ出してください。

psm79:7  彼らはヤコブを食い尽くし、その住む所を荒らしたからです。

psm79:8  先祖たちの咎を、私たちのものとして、思い出さないでください。あなたのあわれみが、すみやかに、私たちを迎えますように。私たちは、ひどくおとしめられていますから。

psm79:9  私たちの救いの神よ。御名の栄光のために 、私たちを助けてください。御名のために、私たちを救い出し、私たちの罪をお赦しください。

psm79:10  なぜ、国々は、「彼らの神は どこにいるのか。」と言うのでしょう。あなたのしもべたちの、流された血の復讐が、私たちの目の前で、国々に思い知らされますように。

psm79:11  捕われ人のうめきが御前に届きますように。あなたの偉大な力によって、死に定められた人々を生きながらえさせてください。

psm79:12  主よ。あなたをそしった、そのそしりの七倊を、私たちの隣人ら の胸に返してください。

psm79:13  そうすれば、あなたの民、あなたの牧場の羊である私たちは、とこしえまでも、あなたに感謝し、代々限りなくあなたの誉れを語り告げましょう。

。。。。。。。。。。

おはようございます。

連休ですね。。連休で無い方も多いと思いますが、素敵な一日をすごせますように。



では早速共に詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm79:9  私たちの救いの神よ。御名の栄光のために 、私たちを助けてください。御名のために、私たちを救い出し、私たちの罪をお赦しください。






学生時代、神様という存在を体験したくて・・・メチャ祈ってた時がある。

そんな時友人ばかりでどこかに行って教会に戻ってきた際

「神様を求めて祈ろう!」と誰かが言って、皆で祈った。

僕は助手席の後ろで頭を下げて祈ってたんだけど・・・その時


大きな真っ白の透きとおるかのような布のようなモノが空から降りてきたように感じた。

それが段々近づいてくるにつれて全く汚れのない清さを感じ、恐ろしくなった。

そのまま包まれて其処に属する事が出来ないと感じたからだ。


祈りは直に終わったが、それを感じたのは僕だけだった。






神様は赦される。


・・・ 「 赦す 」 とは、こんな意味があったのを知ってるだろうか?

  • 「赦す」と訳されるカーファルכָּפַר(kaphar)の原義は、動物の身代わりによって人の罪を「贖う」という意味です。この動詞は旧約で101回、詩篇ではわずか3回しか使われていません。この動詞はレビ記の特愛用語で49回使われていますが、その多くは神を礼拝する者が動物のいけにえによって自分の罪を贖う(身代わりとしてほふられる)という意味で用いられています。ときには、その動物の頭に手を置いて自分の罪を告白するという行為も含まれます。罪を贖うことで、はじめて神に近づくことができるのです。




  • 僕らは動物を身代わりに殺してまでも、神様にとっては大切な大切な存在だ。

    全ての人の罪は動物を身代わりにはできない。

    それ故に

    神様は全く傷の無い「 神の子羊 」を用意された。

    それが、ジーザスだ。


    ジーザスを殺してまで、僕らを愛し本来の清い神様の領域に行けるよう導かれている。

    神様の清さは触れる事が出来ないほど恐ろしい清さだ。


    ほんの小さな嘘の汚れさえあれば、其処には入る事が出来ない事がわかる。

    行動に移す思いの段階でさえ、神様の前に立てばそれがどれほど汚い汚れであるか知る事になる。




    サタンによって汚された人という存在は

    「 神の子羊 」 の身代わり無しに生きられない。



    そして僕らは

    神様はその身代わりを通してでも、サタンの領域から取り戻したい存在なんだという事だ。






    僕らは自分がそんな人間で無いと思っている。

    でも、神様の目には

    目に入れても痛くない、何物にも代え難い愛すべき存在だという事を知らなければならない。


    神様の視点を持たないという事は

    実は、サタンが潜在的にすり込んだ僕ら自身のアイデンティティを受け入れる事になり

    サタンに従う事にもなっちゃうんだから。



    神様の視点を知るという事は

    本来神様に創造された素敵なアイデンティティを受け入れることになる。





    僕らが本来のアイデンティティを取り戻す時

    僕ら自身の生活が劇的に変わってくる。

    それは、愛してくれる神様が傍にいて支えられてる事を体感できるだけも変わってくる。



    僕らがどんだけ、サタンの支配に寄りすがっていようが

    僕らがどんだけ、神様を否定して今まで歩んでいようが

    そんな事は一切関係ない事だ。


    神様の愛は一瞬でそんな事を吹き飛ばしちゃうから問題ない。



    本来の僕らのアイデンティティを取り戻しませんか?

    僕らは何にも縛られず、本来の僕ら自身で自由に生きてみませんか?


    神様はそのまま

    今の汚れたありのままのあなたで飛び込んできて欲しいと願っている。



    そのままで。






    そのままで大丈夫だから。



    サタンがすり込んできた言葉の中に生きるのを止めて

    神様の言葉を信じて、神様の言葉を選んで発してみませんか?





    心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
    だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




    僕らは今日も大丈夫!!


    神様・・

    eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、与えてくださいますように。

    eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

    eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。



    ジーザス(イェス様)の名前で
    a-men.



    ・・・・・・・・・・

    詩79篇「赦す」 כָּפַר カーファル

    〔カテゴリー救出〕

    9節「私たちの救いの神よ。・・御名のために、私たちを救い出し、私たちの罪をお赦しください。」

    Keyword; 「赦す、贖いをなす」 forgive, making atonement 65:3/78:38/79:9

    • 「赦す」と訳されるカーファルכָּפַר(kaphar)の原義は、動物の身代わりによって人の罪を「贖う」という意味です。この動詞は旧約で101回、詩篇ではわずか3回しか使われていません。この動詞はレビ記の特愛用語で49回使われていますが、その多くは神を礼拝する者が動物のいけにえによって自分の罪を贖う(身代わりとしてほふられる)という意味で用いられています。ときには、その動物の頭に手を置いて自分の罪を告白するという行為も含まれます。罪を贖うことで、はじめて神に近づくことができるのです。
    • 他の用法としては、「なだめる」という意味があります。ヤコブが自分の故郷に帰ろうとした時に、かつて騙した兄の怒りをなだめるために贈り物を先に送ったという話があります(創世記32:20)。
    • カーファルכָּפַר(kaphar)は、罪を「覆う、贖う、赦す」という意味がありますが、新改訳ではカーファルを3回とも「罪を赦す」という意味で訳しています。

      「咎が私を圧倒しています。しかし、あなたは、私たちのそむきの罪を赦してくださいます。」(65:3)
      「しかし、あわれみ深い神は、彼らの咎を赦して、滅ぼさず、幾度も怒りを押え、憤りのすべてをかき立てられはしなかった。」(78:38)
      「私たちの救いの神よ。・・・御名のために、私たちを救い出し、私たちの罪をお赦しください。」(79:9)

    • 「ああ、私、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、・・しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから」と絶望している預言者イザヤのもとに、セラフィムが燃える炭火をとってイザヤの口に当て、「あなたの不義は取り去られ、あなたの罪も贖われた(כָּפַר)。」と言ったのは有名です。預言者として失格だと絶望したイザヤは、この神の赦しの経験を通して、神のみこころに従うことを決意しました。その決意とは、当時、だれも耳を傾けることのない神のメッセージを語るために、自分が遣わされることを願ったことです(イザヤ6章参照)。だれも聞く者がいないと知りながら、神のメッセージを語ることは誰でもできることではありません。この空しい働きを根底から支えたのは、赦しの経験であったと考えられます。
    • 「律法によれば、・・血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはありません。・・しかし、キリストは、ただ一度、・・ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。」(ヘブル9:22、26) だれひとりとしてキリストの血なしに神に近づくことも、神の破格の祝福を受けることもできないことを深く受けとめるべきです。

    http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs79

    ・・・・・・・・・・

    (‐^▽^‐)おはようございます。
    今日は実は息子の運動会。だから、早朝礼拝に参加してきやしたー。

    では、早速
    今日も勝手にワーシップタイムをおおくりしますね。



    今日はジーザスの最後の言葉である大宣教命令と云われる有名な箇所だった。
    なんかぁ・・・すごい言葉だよねぇ。
    どんな意味があるんでしょ。。。




    では、早速今日の箇所を。
    。。。。。。。。。。


    mat28:19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、

    mat28:20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
    。。。。。。。。。。


    この言葉を受け12使途のトマスはインドに出かけた。
    これは12二弟子だけの言葉なのだろうか?これは、二十世紀を超えた僕らへの言葉でもあるのでは無いだろうか?


    これは、ジーザスの遺言とも云えるかもね。




    じゃ、少しづつ言葉の意味を知っていきましょ。
    先ずは


    ①行って・・・

    待っていてはマズイ。ジーザスは出ていってと語られた。ジーザスもこの地に来てくださった。それは、サタンが支配している場所で僕らを独りにはしたくなかったからかも。そしてジーザスに出会い愛に溢れた人によって僕らはジーザスと出会った事を思い出せるかもしれない。




    ②バプテスマを授け・・・

    決心の行いであるバプテスマを受ける事は大切な事だ。このバプテスマは肉体によって体験する事の出来る神様の約束だ。思いだけの決心では得られないブレる事の無い「体験」。このバプテスマも肉体に制限された僕等への神様の愛の配慮であるとも言う事ができるかもしれないね。




    ③わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい・・・。

    ここで、神様の心、思いを伝えて行く必要を語られた。
    何故だろう?

    神様が命じれれるのは、何故なのかを先ず知らなければ、話は始まらない。


    神様の命令は僕等への愛だという事まで辿り着かなければ、僕らはその事を真に理解してない。

    僕らはサタンに支配された肉体で生きている。(勿論その体は神様の創られた素晴らしい存在だ。)あくまで、サタンに支配されているという事実があるから、神様の命令はあるという事を忘れてはならないのかもしれない。
    サタンは神様と人が引き離される事に必死。サタンは人が神様からズレると神様と人との間に仕切りが出来る事を喜ぶ存在だという事を知るときある事がわかってくる。


    神様はいつも僕らを近くで愛していたいという事。




    神様の命令は僕等への愛なんだね。


    サタンによって、人との間に仕切りが出来る事を避ける為に。

    いつも傍で愛したい為に、①行く事も、②バプテスマも、③命令も神様の愛。

    僕らは神様の愛を受けて、神様の愛につながる事で、新たな一歩を踏み出せるに違いない。


    大宣教命令は
    実は神様の愛につながる事から。

    つながる事を通して僕らは(自然)勝手に変えられていく。



    僕らの力で出来る事をしていくのが大宣教命令ではない。
    神様の愛を見つめる事による自然な愛の行動が大宣教命令じゃないだろうか。愛のない命令を心に満たすと僕らは自分自身を見失い、力を失ってしまう。自分自身を失いながら弟子たちが宣教を成功させたんだろうか?
    それとも、ジーザスの愛に満たされて、神様の愛を伝えたくて出て行ったのだろうか?



    今、僕らは何を見つめているだろうか?
    言葉の上っ面に踊らされてはいないだろうか?
    サタンに騙されて神様の真意からズレないでいたいですね。



    神様からの言葉は初めから最後まで必ずアイ、あい、愛。愛から外れてると思う時は気をつけたいですね。




    では、今週も神様の愛だけ見つめて過ごせますように。

    今日は少し長いけど・・。

    。。。。。。。。。。

     

    【詩篇78篇】o19 アサフのマスキール

    psm78:1  私の民よ。私の教えを耳に入れ、私の口のことばに耳を傾けよ。

    psm78:2  私は、口を開いて、たとえ話を語り、昔からのなぞを物語ろう。

    psm78:3  それは、私たちが聞いて、知っていること、私たちの先祖が語ってくれたこと。

    psm78:4  それを私たちは彼らの子孫に隠さず、後の時代に語り告げよう。主への賛美と御力と、主の行なわれた奇しいわざ とを。

    psm78:5  主はヤコブのうちにさとし を置き、みおしえをイスラエルのうちに定め、私たちの先祖たちに命じて、これをその子らに教えるようにされた。

    psm78:6  後の世代の者、生まれてくる子らが、これを知り、彼らが興り、これをその子らにまた語り告げるため、

    psm78:7  彼らが神に信頼し、神のみわざを忘れず、その仰せを守るためである。

    psm78:8  また先祖たちのように、彼らが、かたくな で、逆らう世代の者、心定まらず、たましいが神に忠実でない世代の者とならないためである。

    psm78:9  エフライムの人々は、矢をつがえて弓を射る者であったが、戦いの日には退却した。

    psm78:10  彼らは、神の契約を守らず、神のおしえに従って歩むことを拒み、

    psm78:11  神の数々のみわざと、神が見せてくださった多くの奇しいこととを忘れてしまった。

    psm78:12  神は、彼らの先祖たちの前で、エジプトの地、ツォアンの野で、奇しいわざを行なわれた。

    psm78:13  神は海を分けて彼らを通らせ、せきのように水を立てられた。

    psm78:14  神は、昼は雲をもって、彼らを導き、夜は、夜通し炎の光で彼らを導いた。

    psm78:15  荒野では岩を割り、深い水からのように豊かに飲ませられた。

    psm78:16  また、岩から数々の流れを出し、水を川のように流された。

    psm78:17  それなのに、彼らはなおも神に罪を犯し、砂漠で、いと高き方に逆らった。

    psm78:18  彼らは欲するままに食べ物を求め、心のうちで神を試みた。

    psm78:19  そのとき彼らは神に逆らって、こう言った。「神は荒野の中で食事を備えることができようか。

    psm78:20  確かに、岩を打たれると、水がほとばしり出て流れがあふれた。だが、神は、パンをも与えることができようか。ご自分の民に肉を備えることができようか。」

    psm78:21  それゆえ、主は、これを聞いて激しく怒られた。火はヤコブに向かって燃え上がり、怒りもまた、イスラエルに向かって立ち上った。

    psm78:22  これは、彼らが神を信ぜず、御救いに信頼しなかったからである。

    psm78:23  しかし神は、上の雲に命じて天の戸を開き、

    psm78:24  食べ物としてマナを、彼らの上に降らせ、天の穀物を彼らに与えられた。

    psm78:25  それで人々は御使いのパンを食べた。神は飽きるほど 食物を送られた。

    psm78:26  神は、東風を天に起こし、御力をもって、南風を吹かせられた。

    psm78:27  神は彼らの上に肉をちりのように、翼のある鳥をも海辺の砂のように降らせた。

    psm78:28  それを宿営の中、住まいの回りに落とした。

    psm78:29  そこで彼らは食べ、十分に満ち足りた。こうして彼らの欲望を、かなえてくださった。

    psm78:30  彼らがその欲望から離れず、まだ、その食べ物が口にあるうちに、

    psm78:31  神の怒り は彼らに向かって燃え上がり、彼らのうちの最もがんじょうな者たちを殺し、イスラエルの若い男たちを打ちのめされた。

    psm78:32  このすべてのことにもかかわらず、彼らはなおも罪を犯し、神の奇しいわざ を信じなかった。

    psm78:33  それで神は、彼らの日をひと息 のうちに、彼らの齢を、突然の恐怖のうちに、終わらせた。

    psm78:34  神が彼らを殺されると、彼らは神を尋ね求め、立ち返って、神を切に求めた。

    psm78:35  彼らは、神が自分たちの岩であり、いと高き神が自分たちを贖う方 であることを思い出した。

    psm78:36  しかしまた彼らは、その口で神を欺き、その舌で神に偽りを言った。

    psm78:37  彼らの心は神に誠実でなく 、神の契約にも忠実でなかった。

    psm78:38  しかし、あわれみ深い神は、彼らの咎を赦して、滅ぼさず、幾度も怒りを押え、憤りのすべてをかき立てられはしなかった。

    psm78:39  神は、彼らが肉にすぎず、吹き去れば、返って来ない風であることを心に留めてくださった。

    psm78:40  幾たび彼らは、荒野で神に逆らい、荒れ地で神を悲しませたことか。

    psm78:41  彼らはくり返して、神を試み、イスラエルの聖なる方 を痛めた。

    psm78:42  彼らは神の力をも、神が敵から贖い出してくださった日をも、覚えてはいなかった。

    psm78:43  神が、エジプトでしるしを、ツォアンの野で奇蹟を行なわれたことを。

    psm78:44  神がそこの川を血に変えられたので、その流れを飲むことができなかった。

    psm78:45  神は彼らに、あぶの群れを送って彼らを食わせ、かえるを送って彼らを滅ぼされた。

    psm78:46  また、彼らの作物を、油虫に、彼らの勤労の実を、いなごに与えられた。

    psm78:47  神は、雹で、彼らのぶどうの木を、いなずまで、彼らのいちじく桑の木を滅ぼされた。

    psm78:48  神は、彼らの家畜を、雹に、彼らの家畜の群れを、疫病に渡された。

    psm78:49  神は、彼らの上に、燃える怒りと激しい怒り、憤りと苦しみ、それに、わざわいの御使いの群れを送られた。

    psm78:50  神は御怒りのために道をならし、彼らのたましいに死を免れさせず、彼らのいのちを疫病に渡された。

    psm78:51  また、エジプトのすべての初子、ハムの天幕の彼らの力の初めの子らを打ち殺された。

    psm78:52  しかし神は、ご自分の民を、羊の群れのように連れ出し、家畜の群れのように荒野の中を連れて行かれた。

    psm78:53  彼らを安らかに導かれたので、彼らは恐れなかった。彼らの敵は、海が包んでしまった。

    psm78:54  こうして神は、ご自分の聖なる国、右の御手で造られたこの山に、彼らを連れて行かれた。

    psm78:55  神はまた、彼らの前から国々を追い出し、その地を相続地として彼らに分け与え、イスラエルの諸族をおのおのの天幕に住まわせた。

    psm78:56  それなのに、彼らはいと高き神を試み、神に逆らって、神のさとしを守らず、

    psm78:57  もとに戻って、彼らの先祖たちのように裏切りをし、たるんだ弓の矢のようにそれてしまった。

    psm78:58  また彼らは、高き所を築いて神の怒り を引き起こし、刻んだ像で、神のねたみ を引き起こした。

    psm78:59  神は、聞いて激しく怒り、イスラエルを全く捨てられた。

    psm78:60  それで、シロの御住まい、人々の中にお建てになったその幕屋を見放し、

    psm78:61  御力をとりこに、御栄えを敵の手に、ゆだねられた。

    psm78:62  神はまた、御民を剣に渡し、ご自分のものである民に対して激しく怒られた。

    psm78:63  火はその若い男たちを食い尽くし、その若い女たちは婚姻の歌を歌わなかった。

    psm78:64  その祭司たちは剣に倒れ、やもめたちは泣き悲しむこともできなかった。

    psm78:65  そのとき主は眠りから目をさまされた。ぶどう酒に酔った勇士がさめたように。

    psm78:66  その敵を打ち退け、彼らに永遠のそしりを与えられた。

    psm78:67  それで、ヨセフの天幕を捨て、エフライム族をお選びにならず、

    psm78:68  ユダ族を選び、主が愛されたシオンの山 を、選ばれた。

    psm78:69  主はその聖所を、高い天のように、ご自分が永遠に基を据えた堅い地のように、お建てになった。

    psm78:70  主はまた、しもべダビデを選び、羊のおりから彼を召し、

    psm78:71  乳を飲ませる雌羊の番から彼を連れて来て、御民ヤコブとご自分のものであるイスラエルを牧するようにされた。

    psm78:72  彼は、正しい心で彼らを牧し、英知の手で彼らを導いた。

    。。。。。。。。。。


    おはようございます。

    昨夜雨が降ったので少しビックリした今日が息子の運動会のユテコでございます。


    さて、雨もやんで

    ・・・グランドの心配を少々してはいますが一安心しております。



    神様・・ありがとう。



    では早速今日も共に詩篇を。

    今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

    psm78:39  神は、彼らが肉にすぎず、吹き去れば、返って来ない風であることを心に留めてくださった。


    そして

    psm78:52  しかし神は、ご自分の民を、羊の群れのように連れ出し、家畜の群れのように荒野の中を連れて行かれた。







    人への失望。

    仲のいい人だと思った人からの裏ぎり。

    利己的ないやらしさ・・・。



    そんな体験をした人おられますか?



    でも、

    僕らは何故か人からの温もりを求め

    日々、失望を繰り返す。




    僕も会社で、また実は教会で人間不信を体験したコトのある一人。

    一般社会は勿論、

    教会も特例じゃない。何故だろう?



    僕らは所詮人なんだという事。

    所詮・・・というのは、このサタンに支配された世界で

    その中で肉体にも制限された人という意味においてだ。



    人は神の創造の業にあって素晴らしい存在だ。

    しかし、僕らは忌み嫌う事だと認識している事でさえ行ってしまう、サタンのDNAが組み込まれたような制限された肉体を持っている。

    実は、本来の素晴らしさ・愛くるしさを知ってるからこそのこの言葉だ。

    psm78:39  神は、彼らが肉にすぎず、吹き去れば、返って来ない風であることを心に留めてくださった。



    大丈夫。

    神様は人じゃない。

    僕らの裏切りや背きを僕らのように怒りや失望で終わる方ではない。

    こんな説明文もそれに役立つに違いない。

  • 長い詩78篇を少し高いところから鳥瞰すると四つの要素が見えてきます。その四つとは、第一に、イスラエルの神に対する罪(忘恩、背信、不信)、第二は、それに対する神の激しい怒りとさばき、第三は、民の悔い改め、そして第四は、神の民に対する恩寵です。
  • 第一から第四までをそれぞれA、B、C、Dというグループにした場合、士師記に見られるような〔A→B→C→D〕という循環は見られません。むしろ、面白いことにCの部分はわずかに1回、Aは6回、Bは5回、Dは5回です。節の分量でいえば、Aは16節分、Bは20節分、Cは2節分、Dは26節分です。ここから分かることは、「悔い改め」の部分がきわめてわずかであるのに対して、Dの神の恩寵の部分は突出しているということです。

    だからこんな言葉へと繋がってくる。

    psm78:52  しかし神は、ご自分の民を、羊の群れのように連れ出し、家畜の群れのように荒野の中を連れて行かれた。

    ここへもこんな説明文。

    たとえ、私たちの生涯に対する神のご計画を見失うような失敗を犯したとしても、失望することなく、信仰によってもう一度主に立ち帰り、主に目を注がなければなりません。私たちに対する神の導きのコースは「神の赦し」によって完全舗装されています。神がどれほど私たちを赦して下さったか、その深さを、繰り返し、繰り返し、理解する必要があるのではないかと思います。




    僕らは身近な人を通して

    サタンに支配された人間の醜さを知る事が出来る。



    バイブルを通して

    そんな醜さを繰り返す人の本来の神様の創られた魅力をも知ることとなる。





    僕らは醜い行動をとってしまう弱さを担っている。

    でも、大丈夫。


    僕らはそんな人に失望を繰り返し、二度と信頼しない!と心に決心する。

    でも、大丈夫。




    神様はそんな醜い人の本来の愛おしさを知って離さない方だから。

    そして、そんな失望を繰り返す人とも関係を修復させてくださる方だから。





    誰にも解らない人への苦しみも

    神様は知ってる。




    僕らは決して一人じゃない。





    誰よりも空しさを体験された神様が

    誰よりも近くに折られるんだから。








    心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
    だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




    僕らは今日も大丈夫!!


    神様・・

    eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、与えてくださいますように。

    eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

    eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。



    ジーザス(イェス様)の名前で
    a-men.



    ・・・・・・・・・・

    詩78篇「連れ出す、連れていく」נָסַע ナーサー、נָהַג ナーハグ

    〔カテゴリー育成〕

    52節「しかし神は、ご自分の民を、羊の群れのように連れ出し(נָסַע)、家畜の群れのように荒野の中を連れて行かれた(נָהַג)。」(新改訳)
    52節「神はご自分の民を羊のように導き出し(נָסַע)、荒れ野で家畜の群れのように導かれた(נָהַג)。」(新共同訳)

    Keyword; 「導く、連れて行く」

    ①「連れ出す、導き出す」ナーサーנָסַע(nasa`) 78:26, 52/80:8
    ②「連れて行く、導く」ナーハグנָהַג(nahag)  48:14/78:26, 52/80:1

    • 長い詩78篇を少し高いところから鳥瞰すると四つの要素が見えてきます。その四つとは、第一に、イスラエルの神に対する罪(忘恩、背信、不信)、第二は、それに対する神の激しい怒りとさばき、第三は、民の悔い改め、そして第四は、神の民に対する恩寵です。
    • 第一から第四までをそれぞれA、B、C、Dというグループにした場合、士師記に見られるような〔A→B→C→D〕という循環は見られません。むしろ、面白いことにCの部分はわずかに1回、Aは6回、Bは5回、Dは5回です。節の分量でいえば、Aは16節分、Bは20節分、Cは2節分、Dは26節分です。ここから分かることは、「悔い改め」の部分がきわめてわずかであるのに対して、Dの神の恩寵の部分は突出しているということです。
    • この詩篇の作者が伝えようとしているのは、自分たちがくりかえし行った神への忘恩の罪という情けない姿に対して、神は全く見捨てたかと思いきや、完全には拒まず、民以上にそのかかわりにこだわりつづけて来られたという「昔からのなぞ」を、後の世代の者たちに伝えるとともに、神への忠実な者となるよう教え諭すためでした。
    • 神の恩寵がしるされている部分に、繰り返し登場する神の先取的行為としての「導き」に関する用語が三つあります。

      ①「連れ出す、導き出す」と訳されるナーサーנָסַע(nasa`)。旧約では146回、詩篇ではわずかに3回(78:26, 52/80:8)。ナーサーは民数記の特愛用語です(なんと89回)。民が荒野において神の臨在の象徴である雲が動くことで民が「旅立つ」という礼拝用語の意味で使われていますが、そこには必ず神の導きと神の命令に従ってという前提があります。

      ②「連れて行く、導かれる」と訳されるナーハグנָהַג(nahag)。旧約では30回、詩篇では4回(48:14/78:26, 52/80:1)。羊飼いが先頭に立って羊を導かれるイメージと羊飼いが後ろから羊の群れを追いやるようにしてある方向に進ませるイメージで用いられています。

      ③「導く」と訳されるナーハーנָחָה(nachah)。旧約では39回、詩篇では18回で、いわば詩篇の特愛用語といえます。このナーハーはすでに詩61篇 で恩寵用語として取り上げています。「導き」に関する最も一般的な動詞と言えます。ナーハーは詩23篇3節「主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。」にも使われています。

    • たとえ、私たちの生涯に対する神のご計画を見失うような失敗を犯したとしても、失望することなく、信仰によってもう一度主に立ち帰り、主に目を注がなければなりません。私たちに対する神の導きのコースは「神の赦し」によって完全舗装されています。神がどれほど私たちを赦して下さったか、その深さを、繰り返し、繰り返し、理解する必要があるのではないかと思います。

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    【詩篇77篇】o19  指揮者のために。エドトンの調べによって。アサフの賛歌


    psm77:1  私は神に向かい声をあげて、叫ぶ。私が神に向かって声をあげると、神は聞かれる

    psm77:2  苦難の日に、私は主を尋ね求め、夜には、たゆむことなく手を差し伸ばしたが、私のたましいは慰めを拒んだ。

    psm77:3  私は神を思い起こして嘆き、思いを潜めて、私の霊は衰え果てる。セラ

    psm77:4  あなたは、私のまぶたを閉じさせない。私の心は乱れて、もの言うこともできない。

    psm77:5  私は、昔の日々、遠い昔の年々を思い返した。

    psm77:6  夜には私の歌を思い起こし、自分の心と語り合い、私のたましいは問いかける。

    psm77:7  「主は、いつまでも拒まれるのだろうか。もう決して愛してくださらないのだろうか。

    psm77:8  主の恵みは、永久に絶たれたのだろうか。約束は、代々に至るまで、果たされないのだろうか。

    psm77:9  神は、いつくしみを忘れたのだろうか。もしや、怒ってあわれみを閉じてしまわれたのだろうか。《セラ

    psm77:10  そのとき私は言った。「私の弱いのはいと高き方の右の手が変わったことによる。」

    psm77:11  私は、主のみわざを思い起こそう。まことに、昔からのあなたの奇しいわざを思い起こそう。

    psm77:12  私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう。

    psm77:13  神よ。あなたの道は聖です。神のように大いなる神が、ほかにありましょうか。

    psm77:14  あなたは奇しいわざを行なわれる神、国々の民の中に御力を現わされる方です。

    psm77:15  あなたは御腕をもって 、ご自分の民、ヤコブとヨセフの子らを贖われました。セラ

    psm77:16  神よ。水はあなたを見たのです。水はあなたを見て、わななきました。わたつみもまた、震え上がりました。

    psm77:17  雲は水を注ぎ出し、雷雲は雷をとどろかし、あなたの矢もまた、ひらめき飛びました。

    psm77:18  あなたの雷の声は、いくさ車のように鳴り、いなずまは世界を照らし、地は震え、揺れ動きました。

    psm77:19  あなたの道は海の中にあり、あなたの小道は大水の中にありました。それで、あなたの足跡を見た者はありません。

    psm77:20  あなたの道は海の中にあり、あなたの小道は大水の中にありました。それで、あなたの足跡を見た者はありません。

    。。。。。。。。。。


    おはようございます。

    本日はお休みでございます。なんと三連休。

    あり難い。感謝です。


    日曜日は息子の運動会。

    しかし、最近息子は足をグネッテ・・・色んな事ありますよね。



    では早速今日も共に詩篇を。

    今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

    psm77:1  私は神に向かい声をあげて、叫ぶ。私が神に向かって声をあげると、神は聞かれる








    どう?

    神様って、僕らの祈りをホンマに聞いてくれてると思います?



    ホンマ・・・?





    だって、僕らはいつまでも苦しみの中に居て将来も見る事が出来ない事だらけ。


    ホンマに神様聴いてくれてる?




    そう思えたりするよね。

    それは、サタンが僕らの肉体を支配しイメージを歪めるからおきていること。

    神様は必ず耳を傾け、僕らの為に全ての事をしてくださる筈だから大丈夫。

  • さて、詩77篇1節には「神は聞かれる、神はわたしに耳を傾けてくださる」とあります。これはこの詩篇の結論だと考えることができます。どのように聞いてくださったかといえば、何も答えず、ただ耳を傾けて親身に聞いてくださっただけで、願いに対して具体的になにかされたということはありません。神は終始沈黙し、作者の語りかけや疑いや間違った結論を出したとしても一切、なんらコメントすることもなく、ただじっと耳を傾けて聞くだけでした。そのことによって作者は思いをはるかに超えた神の真実に導かれていきます。そして大切なことに気づかされたということです。神の親身な傾聴―それは私たちに対する思いやりであり、愛そのものです。




  • 聴くだけじゃない。。

    それは本気で僕らを愛しておられるから。




    だからアサフさんのように、こんな行動を選択してみませんか?

    psm77:11  私は、主のみわざを思い起こそう。まことに、昔からのあなたの奇しいわざを思い起こそう。

    psm77:12  私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう。





    僕らは騙されてる。

    肉体を支配し、僕らに用意された神様からの将来をうけとらせないようイメージを歪めるサタンによって。


    それを回避できるのは僕らの選択。

    その選択は神様の実際を再び思い返す事。

    サタンは結局僕らに受け取らせないようイメージを変えることしか出来ない。


    ・・・ サタンは将来を変えることなんて出来ない。

    ただ、イメージを通して僕らの選択を阻む事だけしか出来ない。




    変わらない将来を受け取る為に

    賛美隊長のアサフさんは神様の実際を僕ら自身の身体に取り戻そうとアクションを起こした。

    僕らは神様の支配を選択する事しかできないかもしれない。


    でも、その選択がサタンの嘘のイメージをコテンパンに打ち砕く。

    間違いない。

    神様の実際を僕らが与えられた肉体をもって選んで言葉で発するとき、

    考えられなかった事が僕らの中で起こり始める。

    それは神様の御業。



    それが賛美の力。




    忘れないでいたいですね。

    psm77:11  私は、主のみわざを思い起こそう。まことに、昔からのあなたの奇しいわざを思い起こそう。

    psm77:12  私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう。




    絶対に大丈夫だから。




    安心して神様を選ぶ事が出来たらいいですね。






    心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
    だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




    僕らは今日も大丈夫!!


    神様・・

    eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、与えてくださいますように。

    eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

    eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。



    ジーザス(イェス様)の名前で
    a-men.



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    詩77篇 (1) 「聞く」 אָזַן アーザン 

    〔カテゴリー愛顧〕

    1b節「私が神に向かって声を上げると、神は聞かれる。」(新改訳)
    1b節「神に向かってわたしは声をあげ、神はわたしに耳を傾けてくださいます。」 (新共同訳)

    Keyword; 「聞く、耳を傾ける、親身に聞く」 listen, hear, pay attention,
    5:1/17:1/39:12/49:1/54:2/55:1/77:1/78:1/80:1/84:8/86:6/135:17/140:6/141:1/143:1

    • 神が私の祈りを「聞かれる」と訳されたアーザンאָזַןは旧約で41回、詩篇では15回使われています。名詞形のオーゼンאֹזֶן(’ozen)の意味は「耳」ですが、不思議なことに、名詞形であってもほとんど動詞のように訳されています。旧約で187回、詩篇では22回と動詞よりも多く使われています。名詞形の引用箇所は次の通り。
      10:17/17:6/18:6/31:2/34:15/40:6/44:1/45:10/49:4/58:4/71:2/78:1/86:1/88:2/92:11/94:9/
      102:2/115:6/116:2/130:2/135:17/
    • 動詞と名詞を総計すると詩篇では37回ですが、そのうちの26回は恩寵用語として用いられています。人が神のことばを、あるいは人のことばを聞くよりもずっと、神が私たちの声に耳を傾けてくださることが多いことを知ることができます。
    • 「聞く」という動詞には、もうひとつのヘブル語シャーマーשָׁמַע(shama`)があります。旧約では1159回と、アーザンאָזַןとは比べものにならないほどです。意味は両方ともほとんど変わらないように思います。
    • さて、詩77篇1節には「神は聞かれる、神はわたしに耳を傾けてくださる」とあります。これはこの詩篇の結論だと考えることができます。どのように聞いてくださったかといえば、何も答えず、ただ耳を傾けて親身に聞いてくださっただけで、願いに対して具体的になにかされたということはありません。神は終始沈黙し、作者の語りかけや疑いや間違った結論を出したとしても一切、なんらコメントすることもなく、ただじっと耳を傾けて聞くだけでした。そのことによって作者は思いをはるかに超えた神の真実に導かれていきます。そして大切なことに気づかされたということです。神の親身な傾聴―それは私たちに対する思いやりであり、愛そのものです。
    • 詩77篇には4つの瞑想用語が使われていますが、神の傾聴に支えられた瞑想と言えます。詩77篇をみると瞑想には段階があり、問題の事柄にばかり気を取られていると、そこから導き出される結論は否定的、消極的です。特に、この詩77篇では、転機となる11節以降の瞑想に入るまでは「私」(14回)が中心でした。しかし転機以後は「私が、私の」の姿は一掃し、「あなたは、あなたに、あなたの」(同じく14回)に一変します。神がただ耳を傾けてくださっただけで、こんなに驚くべきことが詩人の心の中に起こったのです。

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    【詩篇76篇】o19 指揮者のために。弦楽器によって。アサフの賛歌。歌


    psm76:1 神はユダにおいて知られ、御名はイスラエルにおいて大きい。

    psm76:2  神の仮庵はシャレムにあり、その住まいはシオン にある。

    psm76:3  その所で神は弓につがえる火矢、盾と剣、また戦いを打ち砕かれ た。セラ

    psm76:4  あなたは輝かしく、えじきの山々 にまさって威厳があります。

    psm76:5  剛胆な者らは略奪に会い、彼らは全く眠りこけました。勇士たち はだれも、手の施しようがありませんでした。

    psm76:6  ヤコブの神 よ。あなたが、お叱りになると、騎手も馬も、深い眠り に陥りました。

    psm76:7  あなたは、あなたは、恐ろしい方 。あなたが怒られたら、だれが御前に立ちえましょう。

    psm76:8  あなたの宣告が天から聞こえると、地は恐れて、沈黙を守り ました。

    psm76:9  神が、さばきのために、そして地上の貧しい者たちをみな、救うために、立ち上がられたそのときに。セラ

    psm76:10  まことに、人の憤り までもが、あなたをほめたたえ、あなたは、憤りの余りまでをも身に締められます。

    psm76:11  あなたがたの神、主に、誓い を立て、それを果たせ。主の回りにいる者はみな、恐るべき方 に、贈り物をささげよ。

    psm76:12  主は君主たちのいのちを絶たれる。地の王たち にとって、恐ろしい方。

    。。。。。。。。。。


    おはようございます。

    実はこんばんわの時間に入力中です。

    明日は朝から取引先へ商品を持ち込まないといけないので・・・。。って感じです。


    では、早速共に詩篇を。

    今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

    psm76:3  その所で神は弓につがえる火矢、盾と剣、また戦いを打ち砕かれ た。セラ






    神様はどんなモノをも打ち砕く。

    どんなモノでも。


    ホンマにどんなモノも。だ。



    だから、今僕らが抱えている問題も。

    問題の根源から全能の力で圧倒的に打ち砕かれる!




    だから、大丈夫。

    僕らはどんな問題が立ちはだかろうとも・・・全く大丈夫。



    だから、

    肉体に制限された目で、思いで判断するのは危険。


    僕らは神様の視点じゃなきゃヤバイ。

    でも、神様の視点で僕らはいつも問題をとらえれる事は出来ない事も多い。

    それは、サタンが僕らのイメージを神様の将来からズラすから。



    んん・・・。

    難しいよね。


    なら、どうすりゃ~ええねん。って感じ。




    でも、こんな約束を憶えておくと

    サタンの与えるイメージに頭が占領される事が少なくなるはず。

    jer29:11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画 であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。




    神様は、どんな状況であっても僕らが立ち返ると

    その時点から最高の計画をサポートしてくださる方だと云うこと。


    サタンのイメージの中で失望する必要がない。

    僕らは失望しなけりゃ、神様が与えられる計画を受ける事が出来るから。


    サタンに騙される必要がないから。





    神様の圧倒的な力に立ち向かえる相手は皆無だからね。

    サタンが幾ら頑張っても屁のツッパリにもなりません。



    だから、

    自分の判断に頼らず、真実の計画を受け取る為に

    神様の実際を言葉にして発していきませんか?





    心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
    だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




    僕らは今日も大丈夫!!


    神様・・

    eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、与えてくださいますように。

    eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

    eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。



    ジーザス(イェス様)の名前で
    a-men.



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    詩76篇 「打ち砕く」 שָׁבַר シャーヴァル

    〔カテゴリー統治〕

    3節「その所で神は弓につがえる火矢、盾と剣、また戦いを打ち砕かれた」 (新改訳)
    3節「かしこでは神は弓の矢を折り、盾とつるぎと戦いの武器をこわされた。」 (口語訳)

    Keyword; 「打ち砕く、こわす、折る、挫(くじ)く」 break, destroy, smash,
    3:7/10:15/29:5/34:18,20/37:15,17/46:9/48:7/51:17/74:13/76:3/107:16/124:7/147:3

    • 詩76篇では、三度、神は「恐るべき方」として述べられています(7, 8,12節)。その理由は神が敵を打ち砕かれたからです。「打ち砕かれた」と訳されたシャーヴァルשָׁבַר(shavar)は、旧約で146回、詩篇では21回です。この動詞が礼拝用語として使われると、神への愛のゆえに、偶像を徹底的に「打ち砕く」、「打ち壊す」行為となります。恩寵用語として用いられる場合には、神が「貧しい者たち(アンヴィーム)=イスラエルの民のこと」を敵から救うために、敵を「打ち砕く」行為となります。
    • 詩76篇には、アッシリアの大軍がエルサレムを包囲し、神の民が滅亡の危機に瀕したとき、戦わずして一夜にしてアッシリアは全滅し、奇跡的な勝利をもたらした背景が考えられます。その証拠の一つは3節の「弓につがえる火矢」です。アッシリア軍はすぐれた弓を武器とした騎馬戦術に長じており、強い弓を引いて怒涛のように攻めよせる民族でした。もう一つの証拠は4節「えじきの山々」と訳されたターレフ(טָרֶף)、原義は「掠奪する」、「略奪する」という意味です。アッシリアの軍勢がレバノンの山々を越えて、次々と山々を略奪して侵攻してくる。しかし、「恐るべき神」はそれにまさって力強く立たれ、戦いにおいて敵を打ち砕かれ、敵の強力な武器も使い物にならないようにされました。
    • この戦いは全く人の手によらない奇跡的勝利でした。このような戦いは出エジプトのときにも見られました。イスラエルの民が紅海をわたって逃げる時、追跡してきたエジプト軍は海に呑み込まれ、イスラエルの民は奇跡的に救われるという出来事を経験しました。ひとたび神の御手が働くときに、人間の頭では考えられないことが起こります。
    • モーセとイスラエルの民は「【主】よ。神々のうち、だれかあなたのような方があるでしょうか。だれがあなたのように、聖であって力強く、たたえられつつ恐れられ、奇しいわざを行うことができましょうか。」(出エジプト 15:11)と歌いましたが、詩篇でもこの奇跡的な神の御手を「奇しいわざ」(新共同訳では「驚くべき御業」)と表現して多用しています。
    • 「奇しいわざ(を行う)」と訳されたパーラーפָּלָא(pala')の原義は「不思議に見える、驚嘆する」といった意味です。詩篇では「奇しいわざ」で26回(旧約では73回)使われていて、詩篇の特愛用語といえます。
      9:1/17:7/27:7/31:21/40:5/71:17/72:18/75:1/78:4, 11,32/86:10/96:3/98:1/105:2, 5/106:7, 22/107:8, 15, 21, 24, 31/111:4/118:23/119:27/131:1/136:4/139:14/145:5参照。
    • 神の敵に対する「打ち砕き」の恩寵は神の民の成立と深く関係しています。そればかりか、民族存亡の危機においてもこの恩寵的なみわざが常になされてきました。詩76篇最後の12節の「主は君主たちのいのちを絶たれる」―原文は「支配者たちの霊を切り取る 」―も同じ思想です。

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