いつでも思い巡らせたらイイかも | へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

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僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

。。。。。。。。。。

 

【詩篇77篇】o19  指揮者のために。エドトンの調べによって。アサフの賛歌


psm77:1  私は神に向かい声をあげて、叫ぶ。私が神に向かって声をあげると、神は聞かれる

psm77:2  苦難の日に、私は主を尋ね求め、夜には、たゆむことなく手を差し伸ばしたが、私のたましいは慰めを拒んだ。

psm77:3  私は神を思い起こして嘆き、思いを潜めて、私の霊は衰え果てる。セラ

psm77:4  あなたは、私のまぶたを閉じさせない。私の心は乱れて、もの言うこともできない。

psm77:5  私は、昔の日々、遠い昔の年々を思い返した。

psm77:6  夜には私の歌を思い起こし、自分の心と語り合い、私のたましいは問いかける。

psm77:7  「主は、いつまでも拒まれるのだろうか。もう決して愛してくださらないのだろうか。

psm77:8  主の恵みは、永久に絶たれたのだろうか。約束は、代々に至るまで、果たされないのだろうか。

psm77:9  神は、いつくしみを忘れたのだろうか。もしや、怒ってあわれみを閉じてしまわれたのだろうか。《セラ

psm77:10  そのとき私は言った。「私の弱いのはいと高き方の右の手が変わったことによる。」

psm77:11  私は、主のみわざを思い起こそう。まことに、昔からのあなたの奇しいわざを思い起こそう。

psm77:12  私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう。

psm77:13  神よ。あなたの道は聖です。神のように大いなる神が、ほかにありましょうか。

psm77:14  あなたは奇しいわざを行なわれる神、国々の民の中に御力を現わされる方です。

psm77:15  あなたは御腕をもって 、ご自分の民、ヤコブとヨセフの子らを贖われました。セラ

psm77:16  神よ。水はあなたを見たのです。水はあなたを見て、わななきました。わたつみもまた、震え上がりました。

psm77:17  雲は水を注ぎ出し、雷雲は雷をとどろかし、あなたの矢もまた、ひらめき飛びました。

psm77:18  あなたの雷の声は、いくさ車のように鳴り、いなずまは世界を照らし、地は震え、揺れ動きました。

psm77:19  あなたの道は海の中にあり、あなたの小道は大水の中にありました。それで、あなたの足跡を見た者はありません。

psm77:20  あなたの道は海の中にあり、あなたの小道は大水の中にありました。それで、あなたの足跡を見た者はありません。

。。。。。。。。。。


おはようございます。

本日はお休みでございます。なんと三連休。

あり難い。感謝です。


日曜日は息子の運動会。

しかし、最近息子は足をグネッテ・・・色んな事ありますよね。



では早速今日も共に詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm77:1  私は神に向かい声をあげて、叫ぶ。私が神に向かって声をあげると、神は聞かれる








どう?

神様って、僕らの祈りをホンマに聞いてくれてると思います?



ホンマ・・・?





だって、僕らはいつまでも苦しみの中に居て将来も見る事が出来ない事だらけ。


ホンマに神様聴いてくれてる?




そう思えたりするよね。

それは、サタンが僕らの肉体を支配しイメージを歪めるからおきていること。

神様は必ず耳を傾け、僕らの為に全ての事をしてくださる筈だから大丈夫。

  • さて、詩77篇1節には「神は聞かれる、神はわたしに耳を傾けてくださる」とあります。これはこの詩篇の結論だと考えることができます。どのように聞いてくださったかといえば、何も答えず、ただ耳を傾けて親身に聞いてくださっただけで、願いに対して具体的になにかされたということはありません。神は終始沈黙し、作者の語りかけや疑いや間違った結論を出したとしても一切、なんらコメントすることもなく、ただじっと耳を傾けて聞くだけでした。そのことによって作者は思いをはるかに超えた神の真実に導かれていきます。そして大切なことに気づかされたということです。神の親身な傾聴―それは私たちに対する思いやりであり、愛そのものです。




  • 聴くだけじゃない。。

    それは本気で僕らを愛しておられるから。




    だからアサフさんのように、こんな行動を選択してみませんか?

    psm77:11  私は、主のみわざを思い起こそう。まことに、昔からのあなたの奇しいわざを思い起こそう。

    psm77:12  私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう。





    僕らは騙されてる。

    肉体を支配し、僕らに用意された神様からの将来をうけとらせないようイメージを歪めるサタンによって。


    それを回避できるのは僕らの選択。

    その選択は神様の実際を再び思い返す事。

    サタンは結局僕らに受け取らせないようイメージを変えることしか出来ない。


    ・・・ サタンは将来を変えることなんて出来ない。

    ただ、イメージを通して僕らの選択を阻む事だけしか出来ない。




    変わらない将来を受け取る為に

    賛美隊長のアサフさんは神様の実際を僕ら自身の身体に取り戻そうとアクションを起こした。

    僕らは神様の支配を選択する事しかできないかもしれない。


    でも、その選択がサタンの嘘のイメージをコテンパンに打ち砕く。

    間違いない。

    神様の実際を僕らが与えられた肉体をもって選んで言葉で発するとき、

    考えられなかった事が僕らの中で起こり始める。

    それは神様の御業。



    それが賛美の力。




    忘れないでいたいですね。

    psm77:11  私は、主のみわざを思い起こそう。まことに、昔からのあなたの奇しいわざを思い起こそう。

    psm77:12  私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう。




    絶対に大丈夫だから。




    安心して神様を選ぶ事が出来たらいいですね。






    心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
    だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




    僕らは今日も大丈夫!!


    神様・・

    eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、与えてくださいますように。

    eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

    eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。



    ジーザス(イェス様)の名前で
    a-men.



    ・・・・・・・・・・

    詩77篇 (1) 「聞く」 אָזַן アーザン 

    〔カテゴリー愛顧〕

    1b節「私が神に向かって声を上げると、神は聞かれる。」(新改訳)
    1b節「神に向かってわたしは声をあげ、神はわたしに耳を傾けてくださいます。」 (新共同訳)

    Keyword; 「聞く、耳を傾ける、親身に聞く」 listen, hear, pay attention,
    5:1/17:1/39:12/49:1/54:2/55:1/77:1/78:1/80:1/84:8/86:6/135:17/140:6/141:1/143:1

    • 神が私の祈りを「聞かれる」と訳されたアーザンאָזַןは旧約で41回、詩篇では15回使われています。名詞形のオーゼンאֹזֶן(’ozen)の意味は「耳」ですが、不思議なことに、名詞形であってもほとんど動詞のように訳されています。旧約で187回、詩篇では22回と動詞よりも多く使われています。名詞形の引用箇所は次の通り。
      10:17/17:6/18:6/31:2/34:15/40:6/44:1/45:10/49:4/58:4/71:2/78:1/86:1/88:2/92:11/94:9/
      102:2/115:6/116:2/130:2/135:17/
    • 動詞と名詞を総計すると詩篇では37回ですが、そのうちの26回は恩寵用語として用いられています。人が神のことばを、あるいは人のことばを聞くよりもずっと、神が私たちの声に耳を傾けてくださることが多いことを知ることができます。
    • 「聞く」という動詞には、もうひとつのヘブル語シャーマーשָׁמַע(shama`)があります。旧約では1159回と、アーザンאָזַןとは比べものにならないほどです。意味は両方ともほとんど変わらないように思います。
    • さて、詩77篇1節には「神は聞かれる、神はわたしに耳を傾けてくださる」とあります。これはこの詩篇の結論だと考えることができます。どのように聞いてくださったかといえば、何も答えず、ただ耳を傾けて親身に聞いてくださっただけで、願いに対して具体的になにかされたということはありません。神は終始沈黙し、作者の語りかけや疑いや間違った結論を出したとしても一切、なんらコメントすることもなく、ただじっと耳を傾けて聞くだけでした。そのことによって作者は思いをはるかに超えた神の真実に導かれていきます。そして大切なことに気づかされたということです。神の親身な傾聴―それは私たちに対する思いやりであり、愛そのものです。
    • 詩77篇には4つの瞑想用語が使われていますが、神の傾聴に支えられた瞑想と言えます。詩77篇をみると瞑想には段階があり、問題の事柄にばかり気を取られていると、そこから導き出される結論は否定的、消極的です。特に、この詩77篇では、転機となる11節以降の瞑想に入るまでは「私」(14回)が中心でした。しかし転機以後は「私が、私の」の姿は一掃し、「あなたは、あなたに、あなたの」(同じく14回)に一変します。神がただ耳を傾けてくださっただけで、こんなに驚くべきことが詩人の心の中に起こったのです。

    http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs77%281%29

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