ワーシップタイム | へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

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僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

一日遅れですが、勝手にワーシップタイムをおおくりしますね。


今日は結構有名な箇所。

ジーザスが、自分の事を 「 私は世の光 」 やって言いはった箇所。

話の前に少し考えて見ましょう。


「 光 」とはどんな効果があると思われますか?

光 は 暗闇 を照らしますね。

暗闇 = 罪 を明らかにするという意味があるようですよー。




ではお話を。

実はこの話の前に、ある有名な場面があった。

それは姦淫をした女性が裁かれるという場面。


ここでの主な登場人物は

・姦淫をした女性

・ジーザス

・パリサイ人・律法学者


さて、この時ジーザスの人気はガンガン。

当時バイブルの内容から外れてコトゴトク批判されて立場を失いかけようかしていたパリサイ人・律法学者は一緒になって、ジーザスを訴える口実を探して策をねっていた。


実は、この姦淫をした女性を連れ出したのは、その為だった。


勿論、当時からモーセの律法により

姦淫をした女性は石打の刑で死刑にされて当然だった状態ではあったが。。。

実は

パリサイ人・律法学者にはその女性を処罰する事に関心がなかった。



ただ、ジーザスを訴える機会をうかがっていただけだった。


それは


①石打の刑を同意しちゃうと

  ジーザスが勝手に処刑宣告をしたとされ、ローマ法を犯すことになり訴える口実を与える事になる。


②見逃しちゃうと

  モーセの律法、神が罪と定めた事を曲げちゃうとして訴えられる事になる。


ってな作戦だった。



中々やりよりますね。

ドチラニしてもアカン!!ピンチやで。。ジーザス。



どうなると思いますか?



なんとジーザスがこの一言で

全ての人の罪を明らかにして、尚この問題の解決をしちゃうんです。。



「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」



その後

jhn8:9  彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。


だって。




すごいよね。

恐るべきジーザス!!



何故この一言で

全ての暗闇を照らし

罪を明らかにできちゃったのでしょうね。



・・・年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き・・・って事はきっと

人生を長く歩み、自らの弱さ・空しさを知っている年長者への心に突き刺さる言葉だったんですよね。




そして勿論姦淫をした女性に対しても照らしてますよ。


・・・ 「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める 者はなかったのですか。」

jhn8:11  彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを 罪に定め ない。行きなさい。今からは 決して罪 を犯してはなりません。」




ジーザスは暖かい温もりのある光。


「わたしは、世の光 です。

 わたしに従う者 は、決してやみの中 を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」



従うってのがキーワードみたい。



従うってのは

なんやら・・・全ての自由と引き換えに奴隷のような状態なんて思ってませんか?


でもね、こんな箇所がそれを理解しやすくしてくれるかも。。

mat10:38  自分の十字架を負って わたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。

mat10:39  自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。



先ずは、自分の十字架とは何だろう?

十字架とは肉体が滅びる時の裁きの事を云っている。


「 罪から来る報酬は死 」 とバイブルは伝えている。



一般に僕らが云う罪とは異なり、心に思った事も神は知っているから

その罪を犯すものには僕ら全員が含まれるに違いない。


しかし、その十字架を見上げると

なんとジーザスが架かっておられる。僕が死ななければならない十字架での裁きは終わっている。


よって

僕は自分自身の罪によって裁かれる事が無い。



今ある自分の命だけを見つめていると、その命の終わりは

死に繋がってるから「自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い」という事になる。



代わりに死なれたジーザスは復活され、僕らに神様の子となる道を与えられた。

僕らは「自身の死」により与えられるその道を受け取り、神の子となってる事実を認める。と、


自分自身の命を失ってるように思えても

実は僕らは、本当の命である神様からの命を得ている事を知ることになる。




これがジーザスが僕らに与えようとされた素敵なプレゼント。



これが、バイブルの云う福音。

十字架の愛を体感し、その中に留まる事。

悔い改め → 新しくなる事実を受け取ること。




僕らがやみの中を歩まなくてもいいように、一人一人の十字架に身代わりに死なれた。


長くなっちゃったけど、その(自分自身の十字架(裁き)にある)事実を受け取り

ジーザスの恵みの中に留まり続けるって事が、従うという事なんだよね。



だから

「・・・決してやみの中 を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」



なるほど。です。




僕らは誰もが光の子として創られたんだから。


神様の大事な大事な子供。



闇の中を歩む必要はもうない。


素直に自分の十字架(裁き)を見上げてみませんか?



素敵な事実に気付くはずだから。





では、今週も

光の温もりを感じて過ごす事が出来ますように。


祈ってます。




今回の箇所は此処から。

。。。。。。。。。。


jhn8:1  イエスはオリーブ山に行かれた。

jhn8:2  そして、朝早く、イエスはもう一度宮にはいられた。民衆はみな、みもとに寄って来た。イエスはすわって、彼らに教え始められた。

jhn8:3  すると、律法学者 とパリサイ人 が、姦淫 の場で捕えられたひとりの女を連れて来て、真中に置いてから、

jhn8:4  イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。

jhn8:5  モーセ は律法 の中で、こういう女を石打ち にするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」

jhn8:6  彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。

jhn8:7  けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい 。」

jhn8:8  そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた 。

jhn8:9  彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。

jhn8:10  イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める 者はなかったのですか。」

jhn8:11  彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを 罪に定め ない。行きなさい。今からは 決して罪 を犯してはなりません。」

jhn8:12 ★ イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光 です。わたしに従う者 は、決してやみの中 を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」

jhn8:13  そこでパリサイ人はイエスに言った。「あなたは自分のことを自分で証言しています。だから、あなたの証言は真実ではありません。」

jhn8:14  イエスは答えて、彼らに言われた。「もしこのわたしが自分のことを証言するなら、その証言は真実です 。わたしは、わたしがどこから来たか、また、どこへ行くかを知っているからです。しかしあなたがたは、わたしがどこから来たのか、またどこへ行くのか知りません。

jhn8:15  あなたがたは肉によって さばきます。わたしはだれをもさばきません。

jhn8:16  しかし、もしわたしがさばくなら、そのさばきは正しいのです。なぜなら、わたしひとりではなく、わたしとわたしを遣わした方とがさばくのだからです。

jhn8:17  あなたがたの律法にも、ふたりの証言は真実であると書かれています。

jhn8:18  わたしが自分の証人であり、また、わたしを遣わした父が、わたしについて あかしされます。」

jhn8:19  すると、彼らはイエスに言った。「あなたの父はどこにいるのですか。」イエスは答えられた。「あなたがたは、わたしをも、わたしの父をも知りません。もし、あなたがたがわたしを知っていたなら、わたしの父をも知っていたでしょう。」

。。。。。。。。。。