こんばんわー。
今日も早速ワーシップタイムをおおくりしますね。
今日は復活祭。
イースターという名前で有名なクリスマスに次ぐ記念日。
『ウィキペディア(Wikipedia)』
英語およびドイツ語以外のヨーロッパ諸言語における「復活祭」という言葉は、すべてギリシャ語の「パスハ(Π?σχα)」に由来しており、その言葉も元をたどれば、アラム語の「パスハ(pascha)」で、これはユダヤ教の「過越(すぎこし)の祭り」を表す「ペサハ」(Pesach)というヘブライ語の言葉から来ている。つまり、キリスト教の復活祭がユダヤ教の「過越の祭り」から生まれた祝い日であることを示している。ギリシャ正教会で復活大祭を「パスハ(Π?σχα)」と呼ぶのは勿論のこと、ロシア正教会・ロシア語でも復活大祭はヘブライ語・ギリシャ語起源の「パスハ(Пасха)」と呼ばれ、日本正教会でも復活大祭をパスハと呼ぶ。
だって。
甦った?
ん・・・?
今日は不思議なお話かもしれない。
今日の箇所はジーザスが十字架で釘付けになって死なれた後、墓に納められた三日後のお話。
弟子たちの前に始めて現れた時に語られた言葉がこの言葉。
「平安があなたがたにあるように。」
。。。。。。。。。。
jhn20:19 その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」
jhn20:20 こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。
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僕らの人生は
辛い事や問題も多い。
ましてや
平安っていう心の安き状態を味わう事など出来ない事が多い。
ジーザスは
不安の最中にある戸にシッカリ鍵を閉めた弟子たちの前に現れ、「平安があなたがたにあるように。」と言われた。
現地の
ユダヤ人の風習にこんなのがある。
喧嘩をした時
許さない場合は、家にいくことはない。許す行為としてその家に行き、食事をするという事がある。
弟子たちとはどんな弟子たちだったでしょう。
それは、
ジーザスを見捨てて逃げ去った一人一人だった事を忘れてはならない。
そんなジーザスが
裏切り逃げた弟子たちのいる家に来られた。そして語られた。
実は
その時に居なかった弟子が一人いる。
それは、トマスさん。
トマスさんは、非常に現実主義。
今でいえば、今時点の科学が全て証明すると思い込んでる僕ら殆んどの思いをもった代表とも云えるかもしれない。
こんな事を言われた。
。。。。。。。。。。
トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」と言った。
。。。。。。。。。。
僕らの殆んどは
多分おんなじ事を言ってるかもしれませんね。
だって
そんな非現実的な出来事。
みんなジーザスの事を考えてるから、そう思える夢をみたのかもなんて思ったのかもしれない。
通常あり得ない事は
証拠を示されなければ、ソレを鵜呑みには出来ないと思う事は当然かもしれないですね。
ジーザスはもう一度来られた。
一度皆に伝えるべき言葉を伝えたから、もう来る必要はなかったかもしれない。
でも、
来られた。
何故だろう?
きっと
トマスさんだけの為に。
そして
トマスさんと何ら変わらない僕らに伝えたい事があったからかも。。
。。。。。。。。。。
jhn20:26 八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように。」と言われた。
jhn20:27 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」
jhn20:28 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」
jhn20:29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」
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僕らはいつも
ず~っと愛されてる。
僕らが今
バイブルに記されてるメッセージが信じられない!神がいるなんて非科学的だ!なんて思えても、まったく問題ない。
見ないで信じる事ができれば、そりゃぁイイけどね。
それは、色んな情報の中、僕らが素直に信じる事の出来ない事も解って下さってるから。
『もしかしたら・・?』
そんな気持ちでバイブルの言葉に触れていくと、必ず気付く時が来る。
きっと
ジーザスがココロの扉の内に入ってくれてる事に気付くはずだから。
裁くためではなく
僕ら一人一人に平安を与えられるために。
ジーザスは僕らの問題を解決し、平安を与えられるために甦られたんだから。
明日からまた新たな月がはじまりますね。
解決される問題は
平安を与えられる神様と出会いの時。
この新しい月も素敵に過ごせます様に。祈ってまーす。
今日の箇所は此処から。
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jhn20:1 さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。
jhn20:2 それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛された、もうひとりの弟子とのところに来て、言った。「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」
jhn20:3 そこでペテロともうひとりの弟子は外に出て来て、墓のほうへ行った。
jhn20:4 ふたりはいっしょに走ったが、もうひとりの弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。
jhn20:5 そして、からだをかがめてのぞき込み、亜麻布が置いてあるのを見たが、中にはいらなかった。
jhn20:6 シモン・ペテロも彼に続いて来て、墓にはいり、亜麻布が置いてあって、
jhn20:7 イエスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布といっしょにはなく、離れた所に巻かれたままになっているのを見た。
jhn20:8 そのとき、先に墓に着いたもうひとりの弟子もはいって来た。そして、見て、信じた。
jhn20:9 彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかったのである。
jhn20:10 それで、弟子たちはまた自分のところに帰って行った。
jhn20:11 しかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。
jhn20:12 すると、ふたりの御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとりは足のところに、白い衣をまとってすわっているのが見えた。
jhn20:13 彼らは彼女に言った。「なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」
jhn20:14 彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。
jhn20:15 イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、それを園の管理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」
jhn20:16 イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)。」とイエスに言った。
jhn20:17 イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る。』と告げなさい。」
jhn20:18 マグダラのマリヤは、行って、「私は主にお目にかかりました。」と言い、また、主が彼女にこれらのことを話されたと弟子たちに告げた。
jhn20:19 その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」
jhn20:20 こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。
jhn20:21 イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」
jhn20:22 そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
jhn20:23 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」
jhn20:24 十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。
jhn20:25 それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た。」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」と言った。
jhn20:26 八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように。」と言われた。
jhn20:27 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」
jhn20:28 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」
jhn20:29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」
jhn20:30 この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行なわれた。
jhn20:31 しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。
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