へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy -3ページ目

へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

こんばんわー。


今日も早速ワーシップタイムをおおくりしますね。




今日は復活祭。
イースターという名前で有名なクリスマスに次ぐ記念日。


『ウィキペディア(Wikipedia)』
英語およびドイツ語以外のヨーロッパ諸言語における「復活祭」という言葉は、すべてギリシャ語の「パスハ(Π?σχα)」に由来しており、その言葉も元をたどれば、アラム語の「パスハ(pascha)」で、これはユダヤ教の「過越(すぎこし)の祭り」を表す「ペサハ」(Pesach)というヘブライ語の言葉から来ている。つまり、キリスト教の復活祭がユダヤ教の「過越の祭り」から生まれた祝い日であることを示している。ギリシャ正教会で復活大祭を「パスハ(Π?σχα)」と呼ぶのは勿論のこと、ロシア正教会・ロシア語でも復活大祭はヘブライ語・ギリシャ語起源の「パスハ(Пасха)」と呼ばれ、日本正教会でも復活大祭をパスハと呼ぶ。


だって。



甦った?

ん・・・?




今日は不思議なお話かもしれない。


今日の箇所はジーザスが十字架で釘付けになって死なれた後、墓に納められた三日後のお話。


弟子たちの前に始めて現れた時に語られた言葉がこの言葉。

「平安があなたがたにあるように。」

。。。。。。。。。。


jhn20:19 その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」


jhn20:20 こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。
。。。。。。。。。。



僕らの人生は
辛い事や問題も多い。



ましてや
平安っていう心の安き状態を味わう事など出来ない事が多い。



ジーザスは
不安の最中にある戸にシッカリ鍵を閉めた弟子たちの前に現れ、「平安があなたがたにあるように。」と言われた。



現地の
ユダヤ人の風習にこんなのがある。


喧嘩をした時
許さない場合は、家にいくことはない。許す行為としてその家に行き、食事をするという事がある。





弟子たちとはどんな弟子たちだったでしょう。


それは、
ジーザスを見捨てて逃げ去った一人一人だった事を忘れてはならない。


そんなジーザスが
裏切り逃げた弟子たちのいる家に来られた。そして語られた。


実は
その時に居なかった弟子が一人いる。




それは、トマスさん。
トマスさんは、非常に現実主義。


今でいえば、今時点の科学が全て証明すると思い込んでる僕ら殆んどの思いをもった代表とも云えるかもしれない。


こんな事を言われた。
。。。。。。。。。。


トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」と言った。
。。。。。。。。。。


僕らの殆んどは
多分おんなじ事を言ってるかもしれませんね。



だって
そんな非現実的な出来事。


みんなジーザスの事を考えてるから、そう思える夢をみたのかもなんて思ったのかもしれない。


通常あり得ない事は
証拠を示されなければ、ソレを鵜呑みには出来ないと思う事は当然かもしれないですね。



ジーザスはもう一度来られた。

一度皆に伝えるべき言葉を伝えたから、もう来る必要はなかったかもしれない。



でも、

来られた。




何故だろう?


きっと
トマスさんだけの為に。




そして
トマスさんと何ら変わらない僕らに伝えたい事があったからかも。。

。。。。。。。。。。


jhn20:26 八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように。」と言われた。


jhn20:27 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」


jhn20:28 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」


jhn20:29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」
。。。。。。。。。。




僕らはいつも

ず~っと愛されてる。




僕らが今
バイブルに記されてるメッセージが信じられない!神がいるなんて非科学的だ!なんて思えても、まったく問題ない。
見ないで信じる事ができれば、そりゃぁイイけどね。


それは、色んな情報の中、僕らが素直に信じる事の出来ない事も解って下さってるから。




『もしかしたら・・?』

そんな気持ちでバイブルの言葉に触れていくと、必ず気付く時が来る。



きっと
ジーザスがココロの扉の内に入ってくれてる事に気付くはずだから。



裁くためではなく
僕ら一人一人に平安を与えられるために。



ジーザスは僕らの問題を解決し、平安を与えられるために甦られたんだから。




明日からまた新たな月がはじまりますね。
解決される問題は
平安を与えられる神様と出会いの時。


この新しい月も素敵に過ごせます様に。祈ってまーす。




今日の箇所は此処から。

。。。。。。。。。。


jhn20:1 さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。

jhn20:2 それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛された、もうひとりの弟子とのところに来て、言った。「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」

jhn20:3 そこでペテロともうひとりの弟子は外に出て来て、墓のほうへ行った。

jhn20:4 ふたりはいっしょに走ったが、もうひとりの弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。

jhn20:5 そして、からだをかがめてのぞき込み、亜麻布が置いてあるのを見たが、中にはいらなかった。

jhn20:6 シモン・ペテロも彼に続いて来て、墓にはいり、亜麻布が置いてあって、

jhn20:7 イエスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布といっしょにはなく、離れた所に巻かれたままになっているのを見た。

jhn20:8 そのとき、先に墓に着いたもうひとりの弟子もはいって来た。そして、見て、信じた。

jhn20:9 彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかったのである。

jhn20:10 それで、弟子たちはまた自分のところに帰って行った。

jhn20:11 しかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。

jhn20:12 すると、ふたりの御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとりは足のところに、白い衣をまとってすわっているのが見えた。

jhn20:13 彼らは彼女に言った。「なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」

jhn20:14 彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。

jhn20:15 イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、それを園の管理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」

jhn20:16 イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)。」とイエスに言った。

jhn20:17 イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る。』と告げなさい。」

jhn20:18 マグダラのマリヤは、行って、「私は主にお目にかかりました。」と言い、また、主が彼女にこれらのことを話されたと弟子たちに告げた。

jhn20:19 その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」

jhn20:20 こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。

jhn20:21 イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」

jhn20:22 そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。

jhn20:23 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」

jhn20:24 十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。

jhn20:25 それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た。」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」と言った。

jhn20:26 八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように。」と言われた。

jhn20:27 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」

jhn20:28 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」

jhn20:29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」

jhn20:30 この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行なわれた。

jhn20:31 しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。
。。。。。。。。。。

おはよーございます。


最近は家族を置いて僕一人が多くなりましたw。どんな日曜を過ごしてますかぁ?

では今日も早速ワーシップタイムをおおくりしますね。




今日はバイブルの中で有名な箇所のひとつ。

果物の中でも大好きな葡萄のお話。



ブドウは幹から栄養が流れてきて、美味しいブドウの実が出来上がる。




当然ながら
枝が幹から離れたら、ブドウは栄養が絶
たれ枝は枯れていくしかない。



何の話じゃ~。

そりゃ~当たり前すぎじゃわ~。

だね。





でも、本当にその話なんた。

ほらね。
・・・・・・・・・・


jhn15:5★わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることがで
きないからです。


jhn15:6 だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。


jhn15:7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。


jhn15:8★あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。


jhn15:9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。
・・・・・・・・・・


ね。




僕らは気付こうが気付くまいが、神様の創られた命の関係に生かされている。

サタンの支配によって歪んだ世界を辛く感じる方も多いだろうけど、神様の言葉をサタンは変える事など出来はしない。



神様の命の関係は
僕らから切り離される事など決してない。

神様が愛をもって創られた大切な関係。そしてその関係を当然神様は忘れる事など一瞬もない。
豊かな人生を歩んで欲しくて、神様は僕らの選択をいつも待っててくれてる。



僕らはいつの間にか知らず知らずに目の前のモノを選んでいきている。



この話によれば
神様が用意されるモノ?か、その他のモノ。


神様が僕らを豊かにする為に用意したモノを選択をし続ける事が、僕らが豊かに実を実らさせるという木につながる事なのかもしれないですね。



神様が与えられる素敵な実を
い~っぱい実らせたいですね~!!


それから、考えてみたい事がある。

素敵な実を得る為に必要な事の一つが刈り込みの作業だ。





ココで少し、
ゆずの刈り込み(剪定)の重要性を抜粋しますね。

・・・・・・・・・・


それは、刈り込みという作業だ。
非常に大変な作業ではありますが、剪定をせずにそのまま放っておくと枝が高くなって余計に大変ですし、また不要な枝を残しておくとそこに栄養が奪われてしまい、肝心な果実の方に栄養がいかず、

しっかりと大きな果実ができなくなってしまうというわけです。また、特にゆずの木というのはトゲが結構多く、トゲによってゆずの実の表面に傷がついてしまうこともあります。
http://garden-fine.info/prune/63/
・・・・・・・・・・


剪定の作業は
枝が切り取られるから、痛いよねぇ。


神様はココでは農夫とも言われてる。
農夫である神様は僕らが豊な実を実らせる為に剪定をして下さる。


でも
きっと剪定の作業は大変だよねー。


その作業をするという事は
実を守る為、美味しい素敵な実をむすんで欲しい為に、剪定をされる。



僕らの日常でも
僕らが選択してきた事が取り除かれると思う時がある。


もしかしたら、
神様がその剪定って作業をされようとしているのかもしれない。

・・なんて思えてきますね。




実を実らせる為に
僕らは神様のバイブルの約束につながる事が出来、必要なモノを得る為に祈る事が出来、将来素敵な実を実らせる為に剪定をしてもらう事が出来る。



僕らは時に制限されず
全ての空間にも制限されない神様と素敵な命の関係に生かされてる。


僕らはソレをみて
モチロン何もないモノとして無視して過ごす事も出来る。



でも、
その一つひとつを選んで歩む事が出来る。


その選択によって

僕らは実る実の豊かさを感じる事が出来る様になる。


どんだけ今僕らが
辛い時を過ごしていても、僕らが神様にさえ繋がれるならきっと大丈夫!




サタンの支配によって心を満たしている失望は、

不思議なくらい豊かな神様からくる平安に切り替わってくるから。。




不思議な神様の恵みを一緒に体験出来ると素敵ですね。
こんな神様の約束も。
・・・・・・・・・・


2cor5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
・・・・・・・・・・



最後に
オードリーヘップバーンの言葉が牧師によって語られた。
こんな言葉。

・・・・・・・・・・

人生に迷い、助けて欲しいとき、いつもあなたの手のちょっと先に助けてくれる手がさしのべられていることを、忘れないで下さい。
・・・・・・・・・・


目に見えるモノに
囚われる事のない神様は、どんな時でもどんな場所でも傍にいるんだから。



今週も素敵な体験が出来ます様に。



祈ってます。




今日の箇所はココから。
。。。。。。。。。。


jhn15:1 わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。


jhn15:2 わたしの枝で実を結ばないも
のはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。


jhn15:3 あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。


jhn15:4 わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも
、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。


jhn15:5★わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。


jhn15:6 だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。


jhn15:7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。


jhn15:8★あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお
受けになるのです。


jhn15:9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。


jhn15:10 もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。


jhn15:11 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。


jhn15:12 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。


jhn15:13★人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。


jhn15:14 わたしがあなたがたに
命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。


jhn15:15 わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。


jhn15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの吊によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。


jhn15:17 あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです。


jhn15:18 もし世があなたがたを憎むなら、世はあなた
がたよりもわたしを先に憎んだことを知っておきなさい。


jhn15:19 もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。


jhn15:20 しもべはその主人にまさるものではない、とわたしがあなたがたに言ったことばを覚えておきなさい。もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害します。もし彼らがわたしのことばを守ったなら、あなたがたのことばをも守ります。


jhn15:21 しかし彼らは、わたしの吊のゆえに、あなたがたに対してそれらのことをみな行ないます。それは彼らがわたしを遣わした方を知らないからです。


jhn15:22 もしわたしが来て彼らに話さなかったら
、彼らに罪はなかったでしょう。しかし今では、その罪について弁解の余地はありません。


jhn15:23 わたしを憎んでいる者は、わたしの父をも憎んでいるのです。


jhn15:24 もしわたしが、ほかのだれも行なったことのないわざを、彼らの間で行なわなかったのなら、彼らには罪がなかったでしょう。しかし今、彼らはわたしをも、わたしの父をも見て、そのうえで憎んだのです。


jhn15:25 これは、『彼らは理由なしにわたしを憎んだ。』と彼らの律法に書かれていることばが成就するためです。


jhn15:26 わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。


jhn15:27 あなたがたもあかしするのです。初めからわたしといっしょにいたからです。
。。。。。。。。。。

遅くなりました~。
勝手にワーシップタイムをおおくりしますね。



今日の箇所の背景は?

コレはジーザスが十字架で死なれる事を皆に伝え始めた時、ペテロが「そんな~!ジーザスが行くところ僕はどこでもついて行きます!!」って言った続きなんです。



冒頭の言葉は
「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」



僕らも問題を前にする時
心を騒がすよね。


その問題が大きく感じれば感じる程に心は騒いで平安なんてひとかけらも無くなっちゃう。



ペテロは
まさに、そんな中動揺したんすよね。



当然ですよね。




でも、
動揺しないで冷静でいられるのは
問題と感じる事が無い時だけだもんね。



何故、ジーザスは
心を騒がせちゃダメだよ!って言ったんでしょ~ね。





それは

心を騒がさなくて大丈夫だよ!!って事なのかもしれない。



続く言葉を眺めて見ると
それが確信に変わってくるかも。。

・・・・・・・・・・


jhn14:1 「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。


jhn14:14 あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。


jhn14:16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。


jhn14:18 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。


jhn14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。


jhn14:27★わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
・・・・・・・・・・



どう?
なんか凄いでしょ~。


安心する要素てんこ盛り~!!




最後に

『あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。』

って
語られる意味解って来ますね。





僕らは問題に感じる時にも、
僕らと共におられる神様にはそれは問題にならない事だという事。


肉体により
時により
制限されてる僕らには解らないけど
全てを超えて支配されてる
神様からすれば解ってるから
心を騒がさなくていいよ。

恐れくて大丈夫だよ。って言葉に聞こえてくる。




僕らは一人じゃない。


いつも愛して支えられる神様が共におられる。



問題への解決を祈る事も出来るし、
それに応えられる神様が居られる。。



心に不安を感じる時、
ジーザスの言葉を思い出してみませんか?


問題を前にする時
少しだけ僕らの傍に居られる神様に視線を向けてみませんか?

きっと
ジーザスが用意された平安を味わう事が出来る筈。


この一週間もいつも一緒に居られる
神様に視線を向けながら過ごせますように。
祈ってます。

。。。。。。。。。。


jhn14:1 「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。


jhn14:2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。


jhn14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。


jhn14:4 わたしの行く道はあなたがたも知っています。」


jhn14:5 トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」


jhn14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。


jhn14:7 あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです。」


jhn14:8 ピリポはイエスに言った。「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」


jhn14:9 イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください。』と言うのですか。


jhn14:10 わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。


jhn14:11 わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。さもなければ、わざによって信じなさい。


jhn14:12 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。わたしが父のもとに行くからです。


jhn14:13 またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。


jhn14:14 あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。


jhn14:15★もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。


jhn14:16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。


jhn14:17


jhn14:18 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。


jhn14:19 いましばらくで世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。


jhn14:20 その日には、わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。


jhn14:21 わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします。」


jhn14:22 イスカリオテでないユダがイエスに言った。「主よ。あなたは、私たちにはご自分を現わそうとしながら、世には現わそうとなさらないのは、どういうわけですか。」


jhn14:23 イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。


jhn14:24 わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです。


jhn14:25 このことをわたしは、あなたがたといっしょにいる間に、あなたがたに話しました。


jhn14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。


jhn14:27★わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。


jhn14:28 『わたしは去って行き、また、あなたがたのところに来る。』とわたしが言ったのを、あなたがたは聞きました。あなたがたは、もしわたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くことを喜ぶはずです。父はわたしよりも偉大な方だからです。


jhn14:29 そして今わたしは、そのことの起こる前にあなたがたに話しました。それが起こったときに、あなたがたが信じるためです。


jhn14:30 わたしは、もう、あなたがたに多くは話すまい。この世を支配する者が来るからです。彼はわたしに対して何もすることはできません。


jhn14:31 しかしそのことは、わたしが父を愛しており、父の命じられたとおりに行なっていることを世が知るためです。立ちなさい。さあ、ここから行くのです。
。。。。。。。。。。

おはようございます。

昨日は嫁のお婆ちゃんのお葬式でいつもの教会には行けなかったものの

友人である牧師にマンツーマンでメッセージを語って頂きやした。


今回のテーマは 『 目を覚ましなさい。 』


この黙示録に記された教会は全部で七つ。

当時あった色んな教会のパターンでもあったし、教会史としての象徴としても見られている。

その中で、今回はサルデスの教会について。


このサルデスについて

サルデスの町は廻りは切り立った崖で出来た山の上の町。

その町に入るためには、一本の道を通らなければならなかった。


日本のお城みたいに、この街を倒すのは容易ではない。



でも、歴史上2回戦いに敗れた経験がある。

どうやって・・・。


実は

こんな崖の町・・切り立った崖から誰もヤッテくる者なんて居ないはず・・・。と見張り番の兵隊が眠ってしまったのが原因だと言われている。

そう。 2回とも。



今回のテーマは 『 目を覚ましなさい。 』



理解しているようで、理解できていないというのが僕ら人間だ。



人は思ったより有限で

限られた空間・時間・経験の中で、判断するモノだ。




神様の前には

人の判断はかなり小さな範囲での判断だから

僕らの考えは、このサルデスの見張り番のような感じに見えるのだろうと思う。



神様は僕らを心配してる。


だから、目を覚まして!!って。



此処での目を覚ますって云うのは、

ただ単に目を開くって事ではなく、

(人という枠)有限を超えた神様の知恵に耳を傾け其処に信頼して欲しいと云う事みたい。



僕らは真理を知ってるようで見えていない事が多い。
バイブルでは真理に気づく為には 『 御霊 』 によって知らなけゃならない。
。。。。。。。。。。


2cor3:16  しかし、人が主に向く なら、そのおおいは取り除かれるのです。


2cor3:17  主は御霊 です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。

。。。。。。。。。。

(主とは神様のこと)

神様は人とは違い肉体によて制限されず

何処にも制限されない霊として存在している。



人が全てを知ろうと思うならば

制限されない神様の霊によって知ったらいいよ~。と神様は云われている。


簡単に言い換えれば

有限である 「 自分の力 」 から
無限である 『 神様への信仰 』 へという事になるだろうか?



ほんで

信仰(言葉に従う事)ってのはこんな事。。



ある日 天気予報をみた。

雨って予報されてたけど、まさか今のこの天気で雨って・・・。。。

傘は持っていっても邪魔だから・・ともっていく事を辞めた。

ある人は、

単純に予報を見て傘を持ち出した。


どう思われますか?




信仰っていうのは難しい言葉のようだけど

心に語って下さってるのが、本当に神様ならその言葉に信頼して傘をもっていきますって事。


そんな声が聞こえた時

僕らは傘をもって出かけてみますか?



今回何故目を覚ましなさいって神様が云っておられるのか

もう一度バイブルの言葉を確認してみよう。

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rev3:2  目をさましなさい。そして死にかけているほかの人たちを力づけなさい。わたしは、あなたの行ないが、わたしの神の御前に全うされたとは見ていない。

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有限の情報の中で誤った判断をしないように!という事と同時に

『 そして死にかけているほかの人たちを力づけなさい。 』 と語られている。


神様は僕らを愛していると同時に

僕らの周りの人を同じように愛している。


僕らの周りの死にかけているとされてる人たちを力づけたいと願っている。




僕らにはその人たちを助ける力が与えられる。

有限な僕らには何も出来ないように見えるかもしれないけれども

全てを創られ、全てを治められる神様が僕らを使うときにこんなもスゴイ励ましになる。

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phl4:13  私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

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まさか・・・って思うでしょ。

でも、バイブルを信頼して祈ってみてください。

信頼して神様が与えられた言葉を聴いて従った人たちに与えられた驚きの体験を

同じように体験する事になるだろうから。



ジーザスは有限な人の力に頼ってる弟子シモンに語った言葉がある。

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luk22:31  シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。


luk22:32  しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら 、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

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有限の力を思い知る時がくる。

ジーザスはそれを知っててそのシモンを叱責することなく祈られた。

有限の力に打ちひしがれたシモンは

立ち直った時、シモンは大いに無限の神様の素晴らしさを伝え、周りの人を力づけた。




僕らの希望はどこにあるのか

希望が今の問題を消えうせさせる。


希望を持つ者が死にかけた人達を助ける事が出来る。。



希望は全ての全てである神様から来る。



僕らは今、弱っててもかまわない。

立ち直って、目を覚ます時
あらゆる境遇にあっても
強くしてくださる方によって何でも出来る!!様になるんだから。



では、今週も素敵な神様を見つめて過ごせますように。


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rev3:1  また、サルデスにある教会の御使いに書き送れ。『神の七つの御霊、および七つの星を持つ方がこう言われる。「わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる


rev3:2  目をさましなさい。そして死にかけているほかの人たちを力づけなさい。わたしは、あなたの行ないが、わたしの神の御前に全うされたとは見ていない。


rev3:3  だから、あなたがどのように受け、また聞いたのかを思い出しなさい。それを堅く守り、また悔い改めなさい。もし、目をさまさなければ、わたしは盗人のように来る 。あなたには、わたしがいつあなたのところに来るか、決してわからない。


rev3:4  しかし、サルデスには、その衣を汚さなかった者が幾人かいる。彼らは白い衣を着て、わたしとともに歩む。彼らはそれにふさわしい者だからである。


rev3:5  勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表わす。


rev3:6  耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」』

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おはよーございます。


遅れちゃいましたが、また勝手にワーシップタイムをおおくりしますね。




先週はジーザスは私は道だと言ってたのに今週は私は門だ。だって。。



今日はアベノミクスのお話から。
円安誘導してある部分は景気はよくなったとしても、

自己中心の構造によって貧富の差は広がっていくものだ。

全ての人の幸せは経済改革によって得られるものではない。




僕らは何に期待し、求めているのか?




今朝ジーザスは門だと言われ、
「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」と言われた。



ジーザスは
自己中心への依存から
解放する為に来られた。




act20:35 ・・・『受けるよりも与えるほうが幸いである。』





ジーザスに会う時、
価値観が変わる。。



何故なのだろう?



それは
こんな箇所が役立つかも。
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jhn4:14 ・・・わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
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ジーザスに出会うと
僕らの心の奥底から活ける泉が湧き出でちゃうから。


ジーザスは
ご自身を門だと言われた。



門はそこに入る為の目印になるもの。




なら、
同じいける川が流れるようになる僕らも同じ目印になのかもしれない。


自由を与えられる
ジーザスを日々求めてみませんか?


僕らが一人一人その自由を体感する事により、

僕らを通してまた、新たにその自由を体感する人がおこされる。



素敵な自由の連鎖反応。





先ずは一日一日を
いつも傍で支えられてるジーザスを求める事から始めましょうね。



今週も素敵な体験ができますように。


では。


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jhn10:2  しかし、門からはいる者は、その羊の牧者です。


jhn10:3 門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその吊で呼んで連れ出します。


jhn10:4 彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。


jhn10:5  しかし、ほかの人には決してついて行きません。かえって、その人から逃げ出します。その人たちの声を知らないからです。《


jhn10:6 イエスはこのたとえを彼らにお話しになったが、彼らは、イエスの話されたことが何のことかよくわからなかった。


jhn10:7 そこで、イエスはまた言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしは羊の門です。


jhn10:8 わたしの前に来た者はみな、盗人で強盗です。羊は彼らの言うことを聞かなかったのです。


jhn10:9 わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。


jhn10:10 盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。


jhn10:11 わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。


jhn10:12  牧者でなく、また、羊の所有者でない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして、逃げて行きます。それで、狼は羊を奪い、また散らすのです。


jhn10:13 それは、彼が雇い人であって、羊のことを心にかけていないからです。


jhn10:14  わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。


jhn10:15 それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同様です。また、わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます。


jhn10:16 わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となるのです。


jhn10:17 わたしが自分のいのちを再び得るために自分のいのちを捨てるからこそ、父はわたしを愛してくださいます。


jhn10:18 だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。わたしはこの命令をわたしの父から受けたのです。」
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