へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy -36ページ目

へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

。。。。。。。。。。

 

【詩篇119篇】o19s(コフ)


psm119:145  私は心を尽くして呼びました。主よ。私に答えてください。私はあなたのおきてを守ります。

psm119:146  私はあなたを呼びました。私をお救いください。私はあなたのさとしを守ります。

psm119:147  私は夜明け前に起きて叫び求めます。私はあなたのことばを待ち望んでいます。

psm119:148  私の目は夜明けの見張りよりも先に目覚め、みことばに思いを潜めます。

psm119:149  あなたの恵みによって私の声を聞いてください。主よ。あなたの決めておられるように、私を生かしてください。

psm119:150  悪を追い求める者が近づきました。彼らはあなたのみおしえから遠く離れています。

psm119:151  しかし、主よ。あなたは私に近くおられます。あなたの仰せはことごとくまことです。

psm119:152  私は昔から、あなたのあかしで知っています。あなたはとこしえからこれを定めておられることを。

。。。。。。。。。。


おはようございます。

昨日は友人と夜間の喫茶店。

其々の問題・・・愚痴を言い合い、マスターに話を聴いて貰いました。

頷いて話を聴いてくれる友人は本当にあり難いですね~。


では

早速今日も共に詩篇を。

僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm119:147  私は夜明け前に起きて叫び求めます。私はあなたのことばを待ち望んでいます。




今日は少しこの解説を読んでみましょ~。

・・・・・・・・・・

http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E7%9E%91%E6%83%B3%281%29%E3%80%8C%E5%91%BC%E3%81%B6%E3%80%8D

  • このブロックにある「呼びます」(145,146節)、「叫び求めます」(147節)をキーワードとします。前者と後者の原語を調べてみると異なったことばが使われています。後者は、助けを求めて大きな声で叫ぶという意味ですが、「夜明け前から起きて」とあるようにその助けを求める叫びは緊急性を帯びているようです。
  • 詩篇では、「祈ります」ということばは4回ほどで、後は「呼びます」ということばが圧倒的です。呼べば神は答えて下さるという信仰が貫かれています。私たちは「祈り」という務めをするのではなく、私たちが神に呼びかける、そして神がその呼びかけに応える。その逆も然りです。神と人とのこの呼応関係こそ、「永遠のいのち」といわれるものです。
  • それは、赤子が泣き叫んで母を呼び求める関係と似ています。母親はその泣き声で赤子がなにを求めているのかを察します。ですから、私たちの呼びかけを聞いてくれる神がおられるということで十分なのかもしれません。「祈る」というと堅い感じがしますが、「呼ぶ」というのはより自然体で難しくありません。
  • それは、赤子が泣き叫んで母を呼び求める関係と似ています。母親はその泣き声で赤子がなにを求めているのかを察します。ですから、私たちの呼びかけを聞いてくれる神がおられるということで十分なのかもしれません。「祈る」というと堅い感じがしますが、「呼ぶ」というのはより自然体で難しくありません。
  • イエスの弟子ペテロの口から出た最初の祈りは、「主よ。助けてください」という叫びでした(マタイ14章30節)。イエスはすぐに手を伸ばしてペテロを助けました。「呼び求める」とは、なりふりかまわない、体裁を繕わない自然体の祈りといえます。それでも主は聞いてくださると知る者は幸いです。

・・・・・・・・・



祈りよりも、呼ぶという言葉が多いって事はなんか嬉しいね。

宗教として・・・ってのじゃなく、ただ傍に居てくれる『 親 』 であり 『 友 』って感じられる。



神様とは僕らはそんな関係なんだよね。

僕らがどう思おうと、僕らと神様の関係はそんな素敵な関係。



ただ、呼んでみない?

何も考えずに。。


ただ、呼んでみよう。

僕らの周りの人には届かない声もあるかも知れない。

でも

神様は僕らが言葉に発する前から、僕らの思いを知ってくれて耳を傾けられる方だから。



大丈夫。

裏切られる事は絶対にないから。



恐れもあるけど、そんな恐れの中で呼ぼうとする勇気をも支えようとされる方。

大丈夫。




今日はただ普通に『 呼ぶ 』って事だけを意識して

何度呼べるだろうか?チャレンジしてみませんか??


見えない存在に呼ぶという行為は中々出来ない事に気付くはず。

でも、どんなモノにも支配されないから見えないだけで

見えるものを創られた方だという事を意識してみると見えるものの背後の存在に気付くはず。



何度呼べる?

アホな独り言のように周りから見えるかもしれないけど、神様は喜ばれるに違いないから。

今まで傍に居るのに気付かなかった友から声がかけられるんだから。



是非呼んでみようね。

今日も神さまが備えられた一日。

隠された素敵をも捜しながら神様を呼び続けに一緒にでかけよう~。

。。。。。。。。。。

 

【詩篇119篇】o19r(ツァデー)


psm119:137  主よ。あなたは正しくあられます。あなたのさばきはまっすぐです。

psm119:138  あなたの仰せられるさとしは、なんと正しく、なんと真実なことでしょう。

psm119:139  私の熱心は私を滅ぼし尽くしてしまいました。私の敵があなたのことばを忘れているからです。

psm119:140  あなたのみことばは、よく練られていて、あなたのしもべは、それを愛しています。

psm119:141  私はつまらない者で、さげすまれています。しかし、あなたの戒めを忘れてはいません。

psm119:142  あなたの義は、永遠の義、あなたのみおしえは、まことです。

psm119:143  苦難と窮乏とが私に襲いかかっています。しかしあなたの仰せは、私の喜びです。

psm119:144  あなたのさとしは、とこしえに義です。私に悟りを与えて、私を生かしてください。  

。。。。。。。。。。


おはようございます。

昨日は晩にみのう公園へ日曜蛍狩りの下見に。

深夜12時になってた為か?蛍が2匹みれたのみ・・。

夜は蛍も寝るに違いないと思いながら、密かに日曜期待をもってま~す。



では早速詩篇を共に。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm119:143  苦難と窮乏とが私に襲いかかっています。しかしあなたの仰せは、私の喜びです。




聖書の神様を信じたら問題がなくなる。・・・なんて事はない。

それは、サタンの支配は変わらずあるからね。

ただ、信じた人は喜びがある。

それはこの詩篇の作者と同じで、時と空間を越えて正しい方の思いが僕らの傍にあるから。。



初めは喜びと感じられなくても

きっとそこに制限された僕らには知り得ない素敵な思いがあることに気付く事になるから。

時と空間を越えた神様は僕らに夢中!!

大好きで大好きで堪らない神様は、支えようとする言葉を僕らの傍に与えてくれた。


苦難と窮乏とが

あるから、僕らは隠された喜びに気づく事が出来る。



問題の背後にもいつも神様は関わって下さる。

今日の問題の背後にも。。。

だから、いつも目に見えることの背後に神様が関わってくれている事を見ながら過ごせたらイイデスネ。



今日も神様が用意された一日。

隠された素敵を捜しに今日も一緒にでかけましょうね。

・・・・・・・・・・

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  • 「私の熱心は、私を滅ぼし尽くしてしまいました。」(139節)という句を瞑想します。同じようなフレーズが詩69篇9節にもあります。「それは、あなたの家を思う熱心が私を食い尽くす。」
    これはヨハネの福音書2章17節で、イエスの弟子たちがイエスのなさった「宮清め」の出来事を見て、弟子たちが思い起こしたみことばでした。つまり、神を思う熱心さが苦しみを引き起こすという意味です。
  • 「熱心」とは、「沸騰する、嫉妬深い」という意味です。十戒の第二戒に「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。・・それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神・・(だから)である。」(出エジプト20章4~6節)とあります。「ねたむ神」とは、一見、なんと人間的かと思いますが、この「ねたみ」は、イスラエルに対する主の愛があまりにも激しいので、いかなる神によってもイスラエルを寝取られることを良しとしないということです。
  • 「ねたむ神」は、激しい愛をもってかかわろうとする神の愛の表現です。事実、この神である主の熱心は、ご自身の御子イエス・キリストを滅ぼし尽くす十字架の道へと追いやりました。私たちはそんな愛によって愛されていることを、再度、心にとめたいと思います。

・・・・・・・・・・

。。。。。。。。。。

【詩篇119篇】o19q(ペ)


psm119:129  あなたのさとしは奇しく、それゆえ、私のたましいはそれを守ります。

psm119:130  みことばの戸が開くと、光が差し込み 、わきまえのない者に悟りを与えます。

psm119:131  私は口を大きくあけて、あえぎました。あなたの仰せを愛したからです。

psm119:132  御名を愛する者たちのためにあなたが決めておられるように、私に御顔を向け私をあわれんでください

psm119:133  あなたのみことばによって、私の歩みを確かにし、どんな罪にも私を支配させないでください。

psm119:134  私を人のしいたげから贖い出し、私があなたの戒めを守れるようにしてください。

psm119:135  御顔を あなたのしもべの上に照り輝かし 、あなたのおきてを教えてください。

psm119:136  私の目から涙が川のように流れます。彼らがあなたのみおしえを守らないからです。

。。。。。。。。。。


おはようございます。

色々忙しい時は、何か忘れちゃってたりする。

今朝も思い出して少しドキドキ。

朝からシッカリ段取りして頑張らないと・・・なんとかヤッテやりやしょう。



では、今日も詩篇を共に。

僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm119:133  あなたのみことばによって、私の歩みを確かにし、どんな罪にも私を支配させないでください。





コレも凄い言葉だと思う。

なんか立派だわ・・・。こんな言葉僕には絶対言えない。。。

なんてね。



この背後にあるモノをみていくと

僕らはきっと詩篇の作者と心を合わせて言葉を発したくなる。

悟りがなれば、滅び失せる獣に等しい」(詩49篇20節)


何故か?

滅び失せる獣は誰に支配されているの?

それはサタン。


悟りが与えられるとは、誰からなのか?

それは神様から。

神様は悟りを与えたい。




悟りは全ての空間、時を越えて知りうる神様からくる神様の考え。。

誤りに陥らないように・・・

騙されてサタンに誘導されないように・・・


どんな罪にも私を支配させないでください。

罪とは、サタンの思いに支配された時に犯してしまうこと。



サタンに従った時

サタンが用意した者を受け取る事になる。


サタンから受け取ったモノを考える時

絶対にそんなモノを受けたくなくなる。。



撒いた種は刈り取ることになる。

僕らはサタンに従うとサタンの用意されたモノを受け取る。


しかし

神様に従えば、神様が用意されたモノを受け取る事になる。



僕らはどうする?






しっかり考えてみよう。

僕らが受け取るべきモノはサタンからのものではない。

豊かに過ごす為に、神様の声を今日も聴いてみたらいいよね。


そして、この詩篇の作者と共に

僕らもバイブルの言葉を発する事が出来るもんね。



では、今日も神様が創られた素敵な一日。

隠された素敵を捜しに今日も共にでかけましょうね。


・・・・・・・・・・

http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E7%9E%91%E6%83%B3%281%29%E3%80%8C%E6%82%9F%E3%82%8A%E3%80%8D

  • 「みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。」この130節にある「悟り」ということばについて瞑想したいと思います。「悟り」という語彙は詩篇の中に13回使われており、その中の7回は詩119篇にあります。みことばが開示されることと、「悟り」が与えられることは密接な関係があるようです。「悟りがなれば、滅び失せる獣に等しい」(詩49篇20節)というのが聖書の立場です。
  • 「悟り」は、口語訳では「知恵」、新共同訳では「理解」、英語ではunderstandingと訳されます。みことばがうち開かれると、「わきまえのない者」(新改訳)、「無学な者」(口語訳)、「無知な者」(新共同訳)、「愚かなるもの」(文語訳)、「単純な者」(尾山訳)、「素朴な人」(典礼訳)に「悟り、知恵、理解」が与えられます。このことは実に驚くべきことです。
  • 「悟りが与えられた者」のイメージは初代教会の使徒たちに見ることができます。彼らは当時においては無学のただ人と言われた者たちでしたが、天下を揺るがすほどの人物に変えられている姿をみることができます。特にペテロとヨハネがユダヤ当局の脅しにもひるむことなく、「この方以外に救いはありません」と断言するその大胆な姿に、彼らは驚いたと記されています。私も、ますます、悟りを与えられて、生かされる者になりたいと祈ります。

・・・・・・・・・・

おはよーございます。
今回はペテロさんの手紙。迫害されて試練の中にあるトルコの北部、中部の方々の為に記した手紙から。。今日もめちゃ遅れましたが、勝手にワーシップタイムをおおくりしますね。



今回伝えたい事は
一人一人がかけがえの無い特別な存在だって事。




今日はバイブルのいろんな箇所をピックアップしていきますね。



先ずはこんな箇所。


1cor3:16★あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。


1cor6:19 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。





僕ら自身が
神様の住まいだって。。
いつも共に居るよ!やっぱり特別な存在なんだって事かな~。



ほんで、、


exd19:6 あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。




聖なる国民で祭司やってー。





やから、
僕らはどないしたらえ~のん?



rom12:1★そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。




え・・、
なんか難しそう。。

でも、ここから見えてくるのは
実は『 愛 』なんやよね~。
やから、少し頑張って進めてみよう。

次の箇所では
見せかけの行いなんかはいら無いからね。ってことが語られている。



heb10:5 ですから、キリストは、この世界に来て、こう言われるのです。「あなたは、いけにえやささげ物を望まないで、わたしのために、からだを造ってくださいました。

heb10:6 あなたは全焼のいけにえと罪のためのいけにえとで満足されませんでした。

heb10:7 そこでわたしは言いました。『さあ、わたしは来ました。聖書のある巻に、わたしについてしるされているとおり、神よ、あなたのみこころを行なうために。』」




よーするに
ここで神様の御心(考え、思い)を行うように。って事。
これも、難しく聞こえるけど、神様と敵対するモノはサタンだと云う事を頭にいれれば解りやすいかも。
サタンの囁きに誘導されないで、神様に創られた者として過ごそうねって事。




heb13:15★ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。

heb13:16 善を行なうことと、持ち物を人に分けることとを怠ってはいけません。神はこのようないけにえを喜ばれるからです。




賛美というのは、

神様の実際を言葉にして発するという行動を言ってるんだけど、それは、サタンの誘導。小さな囁きに惑わされて真実を見失わずに過ごす為に必要な事。
何も神様は褒めて欲しいなんて言ってるんじゃない。これも、神様の愛による支えなのかも。って思えるでしょ~。


そして、改めてこんな箇所。
僕らはホンマ只者ではない存在らしい。

。。。。。。。。。。


1pet2:9 しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。

1pet2:10 あなたがたは、以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、以前はあわれみを受けない者であったのに、今はあわれみを受けた者です。
。。。。。。。。。。



神様は
僕らの存在意義を確立する為に語り続ける。それを妨げるものが存在するからだ。それはサタン。
僕らは知らぬ間に小さな小さな囁きに誘導されて迷いでる。
「あー僕は生きてる価値がない。」「あいつを打ち負かす為にあれやコレやしてヤったる。」「あいつも大変かもしれんけど、先ずは俺。俺。俺の満足を満たす事やわ。」

コレら全てはサタンが誘導した結果、発せられる言葉だ。この言葉は造られたアイデンティティから生み出された言葉。




もー一度。
真実は僕らは只者ではない存在だ。

真実に僕ら自身をリセットする為に神様のもとに帰ろう。
だって、神様はホンマに僕らを特別に扱って下さっている方だから。



では、
今週も素敵に過ごしましょうね。
(遅れてすいませんでした。また頑張りますんでよろしくお願いします。)




メッセージ箇所はこちら。
。。。。。。。。。。
1pet2:1 ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、

1pet2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。

1pet2:3 あなたがたはすでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっているのです。

1pet2:4 主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。

1pet2:5 あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。

1pet2:6 なぜなら、聖書にこうあるからです。「見よ。わたしはシオンに、選ばれた石、尊い礎石を置く。彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。」

1pet2:7 したがって、より頼んでいるあなたがたには尊いものですが、より頼んでいない人々にとっては、「家を建てる者たちが捨てた石、それが礎の石となった。」のであって、

1pet2:8 「つまずきの石、妨げの岩。」なのです。彼らがつまずくのは、みことばに従わないからですが、またそうなるように定められていたのです。

1pet2:9 しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。

1pet2:10 あなたがたは、以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、以前はあわれみを受けない者であったのに、今はあわれみを受けた者です。

1pet2:11 愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。

1pet2:12 異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。そうすれば、彼らは、何かのことであなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのそのりっぱな行ないを見て、おとずれの日に神をほめたたえるようになります。

1pet2:13 人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、

1pet2:14 また、悪を行なう者を罰し、善を行なう者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。

1pet2:15 というのは、善を行なって、愚かな人々の無知の口を封じることは、神のみこころだからです。

1pet2:16 あなたがたは自由人として行動しなさい。その自由を、悪の口実に用いないで、神の奴隷として用いなさい。

1pet2:17 すべての人を敬いなさい。兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい。

1pet2:18 しもべたちよ。尊敬の心を込めて主人に 従しなさい。善良で優しい主人に対してだけでなく、横暴な主人に対しても従いなさい。

1pet2:19 人がもし、上当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。

1pet2:20 罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。

1pet2:21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。

1pet2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。

1pet2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。

1pet2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

1pet2:25 あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。
。。。。。。。。。。

。。。。。。。。。。

【詩篇119篇】o19p(アイン)


psm119:121  私は公正と義とを行ないました。私をしいたげる者どもに私をゆだねないでください。

psm119:122  あなたのしもべの幸いの保証人となってください。高ぶる者どもが私をしいたげないようにしてください。

psm119:123  私の目は、あなたの救いと、あなたの義のことばとを慕って絶え入るばかりです。

psm119:124  あなたの恵みによってあなたのしもべをあしらってください。私にあなたのおきてを教えてください。

psm119:125  私はあなたのしもべです。私に悟りを授けてください。そうすれば私は、あなたのさとしを知るでしょう。

psm119:126  今こそ主が事をなさる時です。彼らはあなたのおしえを破りました。

psm119:127  それゆえ、私は、金よりも、純金よりも、あなたの仰せを愛します。

psm119:128  それゆえ私は、すべてのことについて、あなたの戒めを正しいとします。私は偽りの道をことごとく憎みます。  

。。。。。。。。。。


おはようございます。

最近仕事がバタバタなユテコでございます。

楽しい事が無きゃ・・・と、翌日曜には蛍狩りを計画中。

土曜が雨の予定なので素敵な時を過ごせそう。感謝感謝。

楽しみを思い浮かべながら、踏ん張っていきま~す。



では、早速詩篇を。

今日僕の心にとどまった言葉はコレ。

psm119:122  あなたのしもべの幸いの保証人となってください。高ぶる者どもが私をしいたげないようにしてください。




保証人になる事ってバイブルでは注意せなアカン!!って記されている。

何故なら、

保証人になれば全ての責任を身代わりに取らされるから。

説明文をみたらよく解るかも。

「保証する」「保証人となる」と訳された動詞は、アーラヴעָרַב(`arav)で、旧約で17回使われています。最も多く使われているのが箴言の6回で、軽々しく、軽率に保証人となることを戒めています。他人の負債の保証人とならないように、保証人となるときには抵当を取ること、もし騙されたと気づいたなら、どんなことをしてでも保証人の責任から逃れるように勧めています。



保証人がなければ、契約できない事があるが頼む事が出来るのは

通常、両親や親類だけというのが殆どではないなだろうか?

しかし

この詩篇の作者はその保証人を神様に頼んでいる。



なんて不届きモノなの!!

なんて思ったりする事もできるよね。


でも、僕らが頼もうと思う前から、僕らの全ての責任を取って死なれた方が居られる。

ジーザスだ。(凄い事実だよね・・・ホンマ)




だから、大丈夫。

僕らも保証人として最高に信頼の出来る神様にお願いしよう。

神様は求める前から、準備万端だから!





いろんな事が起こる。

悪い心をもった人たちの妨げも当然ある。


だからこそ、

僕らは一人で頑張る必要はない。僕らは一人で居るわけじゃないから。

今、直ぐ傍に居られる神様を無視することも出来るけど

保証人になって貰って支えてもらう事が出来る。



神様は僕らの保証して下さる方。

いつも傍に居られる神様に信頼しつつ、僕らのすべき事に集中して過ごせば

無知な失望から僕らは抜け出せるに違いない。




今日もいろんな事があるでしょうが

僕らの傍にはいつも保証してくれる神様が居られる。

大丈夫。

今日も隠された素敵を捜しに共にでかけましょうね。


・・・・・・・・・・

http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E7%9E%91%E6%83%B3%282%29%E3%80%8C%E4%BF%9D%E8%A8%BC%E4%BA%BA%E3%80%8D

  • この段落には、詩篇で1回しか使われていない動詞があります。その箇所は122節で「保証人となる」ということばです。「保証する」「保証人となる」と訳された動詞は、アーラヴעָרַב(`arav)で、旧約で17回使われています。最も多く使われているのが箴言の6回で、軽々しく、軽率に保証人となることを戒めています。他人の負債の保証人とならないように、保証人となるときには抵当を取ること、もし騙されたと気づいたなら、どんなことをしてでも保証人の責任から逃れるように勧めています。
  • しかし反対に、保証人となってくれる者がいなければ困る者たちも多くいたはずです。日本でも、病気になって入院するときとか、部屋を借りたりするときや、お金をかりる場合には、必ず、保証人が必要です。もし、保証人がいなければ入院することさえできないのです。保証人となることはそれなりの覚悟が必要です。
  • 確固として信頼できる保証人となってくれる存在が一人でもいるということは、実に大きな安心です。ヤコブ(イスラエル)の12人の子どもたちの中で、次第に指導権を得ていくのは4番目のユダでした。荒野で行進していくときにもユダが先頭でした。なぜ、彼の部族がイスラエルの先頭に立ち、やがて神の民の歴史の中でリーダーシップを取っていったかといえば、彼が自分の兄弟に対して自分が保証人となったことが考えられます。それが創世記34, 36章に出てきます。
  • 食糧が尽きた時、イスラエル(ヤコブ)はベニヤミンを身辺にとどめるか,一族が生き延びるために彼を手放すかの選択を迫られたとき、それを納得させたのはユダでした。ユダは父に次のように言って説得しました。「私自身が彼の保証人となります。私に責任を負わせてください。万一、彼をあなたのもとに連れ戻さず、あなたの前に彼をたたせなかったら、私は一生あなたに対して罪ある者となります。」(43:9) と。
  • もう一箇所、ヨセフは自分と同じ母の子であり父の溺愛するベニヤミンを用いて、兄弟たちを試みようとしたとき、ユダが兄弟たちを代表してヨセフの前に弁明し嘆願する姿が描かれています。「このしもべは私の父に、『もし私があの子をあなたのところに連れ戻さなかったら、私は永久にあなたに対して罪ある者となります。』と言って、あの子の保証をしているのです。ですから、どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなたさまの奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと帰らせてください。」(44:32) ここに麗しい保証人の姿があります。ユダ族はこのことのゆえに、兄弟たちを代表する者となったようです。このユダからやがてイエス・キリストが生まれて来るのです。
  • 詩篇119篇121節にある「あなたのしもべの幸いの保証人となってください。」(新改訳)という願いは、主なる神が自分の全責任を負ってくださる保証人となってくださるという信仰をもって嘆願しています。保証人となるにふさわしい方は神以外にいないからです。

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