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psm119:145 私は心を尽くして呼びました。主よ。私に答えてください。私はあなたのおきてを守ります。
psm119:146 私はあなたを呼びました。私をお救いください。私はあなたのさとしを守ります。
psm119:147 私は夜明け前に起きて叫び求めます。私はあなたのことばを待ち望んでいます。
psm119:148 私の目は夜明けの見張りよりも先に目覚め、みことばに思いを潜めます。
psm119:149 あなたの恵みによって私の声を聞いてください。主よ。あなたの決めておられるように、私を生かしてください。
psm119:150 悪を追い求める者が近づきました。彼らはあなたのみおしえから遠く離れています。
psm119:151 しかし、主よ。あなたは私に近くおられます。あなたの仰せはことごとくまことです。
psm119:152 私は昔から、あなたのあかしで知っています。あなたはとこしえからこれを定めておられることを。
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おはようございます。
昨日は友人と夜間の喫茶店。
其々の問題・・・愚痴を言い合い、マスターに話を聴いて貰いました。
頷いて話を聴いてくれる友人は本当にあり難いですね~。
では
早速今日も共に詩篇を。
僕の心に留まったのはこんな言葉。
psm119:147 私は夜明け前に起きて叫び求めます。私はあなたのことばを待ち望んでいます。
今日は少しこの解説を読んでみましょ~。
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- このブロックにある「呼びます」(145,146節)、「叫び求めます」(147節)をキーワードとします。前者と後者の原語を調べてみると異なったことばが使われています。後者は、助けを求めて大きな声で叫ぶという意味ですが、「夜明け前から起きて」とあるようにその助けを求める叫びは緊急性を帯びているようです。
- 詩篇では、「祈ります」ということばは4回ほどで、後は「呼びます」ということばが圧倒的です。呼べば神は答えて下さるという信仰が貫かれています。私たちは「祈り」という務めをするのではなく、私たちが神に呼びかける、そして神がその呼びかけに応える。その逆も然りです。神と人とのこの呼応関係こそ、「永遠のいのち」といわれるものです。
- それは、赤子が泣き叫んで母を呼び求める関係と似ています。母親はその泣き声で赤子がなにを求めているのかを察します。ですから、私たちの呼びかけを聞いてくれる神がおられるということで十分なのかもしれません。「祈る」というと堅い感じがしますが、「呼ぶ」というのはより自然体で難しくありません。
- それは、赤子が泣き叫んで母を呼び求める関係と似ています。母親はその泣き声で赤子がなにを求めているのかを察します。ですから、私たちの呼びかけを聞いてくれる神がおられるということで十分なのかもしれません。「祈る」というと堅い感じがしますが、「呼ぶ」というのはより自然体で難しくありません。
- イエスの弟子ペテロの口から出た最初の祈りは、「主よ。助けてください」という叫びでした(マタイ14章30節)。イエスはすぐに手を伸ばしてペテロを助けました。「呼び求める」とは、なりふりかまわない、体裁を繕わない自然体の祈りといえます。それでも主は聞いてくださると知る者は幸いです。
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祈りよりも、呼ぶという言葉が多いって事はなんか嬉しいね。
宗教として・・・ってのじゃなく、ただ傍に居てくれる『 親 』 であり 『 友 』って感じられる。
神様とは僕らはそんな関係なんだよね。
僕らがどう思おうと、僕らと神様の関係はそんな素敵な関係。
ただ、呼んでみない?
何も考えずに。。
ただ、呼んでみよう。
僕らの周りの人には届かない声もあるかも知れない。
でも
神様は僕らが言葉に発する前から、僕らの思いを知ってくれて耳を傾けられる方だから。
大丈夫。
裏切られる事は絶対にないから。
恐れもあるけど、そんな恐れの中で呼ぼうとする勇気をも支えようとされる方。
大丈夫。
今日はただ普通に『 呼ぶ 』って事だけを意識して
何度呼べるだろうか?チャレンジしてみませんか??
見えない存在に呼ぶという行為は中々出来ない事に気付くはず。
でも、どんなモノにも支配されないから見えないだけで
見えるものを創られた方だという事を意識してみると見えるものの背後の存在に気付くはず。
何度呼べる?
アホな独り言のように周りから見えるかもしれないけど、神様は喜ばれるに違いないから。
今まで傍に居るのに気付かなかった友から声がかけられるんだから。
是非呼んでみようね。
今日も神さまが備えられた一日。
隠された素敵をも捜しながら神様を呼び続けに一緒にでかけよう~。