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psm119:137 主よ。あなたは正しくあられます。あなたのさばきはまっすぐです。
psm119:138 あなたの仰せられるさとしは、なんと正しく、なんと真実なことでしょう。
psm119:139 私の熱心は私を滅ぼし尽くしてしまいました。私の敵があなたのことばを忘れているからです。
psm119:140 あなたのみことばは、よく練られていて、あなたのしもべは、それを愛しています。
psm119:141 私はつまらない者で、さげすまれています。しかし、あなたの戒めを忘れてはいません。
psm119:142 あなたの義は、永遠の義、あなたのみおしえは、まことです。
psm119:143 苦難と窮乏とが私に襲いかかっています。しかしあなたの仰せは、私の喜びです。
psm119:144 あなたのさとしは、とこしえに義です。私に悟りを与えて、私を生かしてください。
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おはようございます。
昨日は晩にみのう公園へ日曜蛍狩りの下見に。
深夜12時になってた為か?蛍が2匹みれたのみ・・。
夜は蛍も寝るに違いないと思いながら、密かに日曜期待をもってま~す。
では早速詩篇を共に。
今日僕の心に留まったのはこんな言葉。
psm119:143 苦難と窮乏とが私に襲いかかっています。しかしあなたの仰せは、私の喜びです。
聖書の神様を信じたら問題がなくなる。・・・なんて事はない。
それは、サタンの支配は変わらずあるからね。
ただ、信じた人は喜びがある。
それはこの詩篇の作者と同じで、時と空間を越えて正しい方の思いが僕らの傍にあるから。。
初めは喜びと感じられなくても
きっとそこに制限された僕らには知り得ない素敵な思いがあることに気付く事になるから。
時と空間を越えた神様は僕らに夢中!!
大好きで大好きで堪らない神様は、支えようとする言葉を僕らの傍に与えてくれた。
苦難と窮乏とが
あるから、僕らは隠された喜びに気づく事が出来る。
問題の背後にもいつも神様は関わって下さる。
今日の問題の背後にも。。。
だから、いつも目に見えることの背後に神様が関わってくれている事を見ながら過ごせたらイイデスネ。
今日も神様が用意された一日。
隠された素敵を捜しに今日も一緒にでかけましょうね。
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- 「私の熱心は、私を滅ぼし尽くしてしまいました。」(139節)という句を瞑想します。同じようなフレーズが詩69篇9節にもあります。「それは、あなたの家を思う熱心が私を食い尽くす。」
これはヨハネの福音書2章17節で、イエスの弟子たちがイエスのなさった「宮清め」の出来事を見て、弟子たちが思い起こしたみことばでした。つまり、神を思う熱心さが苦しみを引き起こすという意味です。
- 「熱心」とは、「沸騰する、嫉妬深い」という意味です。十戒の第二戒に「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。・・それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神・・(だから)である。」(出エジプト20章4~6節)とあります。「ねたむ神」とは、一見、なんと人間的かと思いますが、この「ねたみ」は、イスラエルに対する主の愛があまりにも激しいので、いかなる神によってもイスラエルを寝取られることを良しとしないということです。
- 「ねたむ神」は、激しい愛をもってかかわろうとする神の愛の表現です。事実、この神である主の熱心は、ご自身の御子イエス・キリストを滅ぼし尽くす十字架の道へと追いやりました。私たちはそんな愛によって愛されていることを、再度、心にとめたいと思います。
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