へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy -28ページ目

へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

。。。。。。。。。。

 

【詩篇13篇】o19  指揮者のために。ダビデの賛歌


psm13:1  主よ。いつまでですか 。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで御顔を 私からお隠しになるのですか。

psm13:2  いつまで私は自分のたましいのうちで思い計らなければならないのでしょう。私の心には、一日中、悲しみがあります。いつまで敵が私の上に、勝ちおごるのでしょう。

psm13:3  私に目を注ぎ、私に答えてください。私の神、主よ。私の目を 輝かせてください。私が死の眠りにつかないように。

psm13:4  また私の敵が、「おれは彼に勝った。」と言わないように。私がよろめいた、と言って私の仇が喜ばないように。

psm13:5  私はあなたの恵みに拠り頼みました。私の心はあなたの救いを喜びます。

psm13:6  私は主に歌を歌います。主が私を豊かにあしらわれたゆえ。

。。。。。。。。。。


おはようございます。

ようやく中休み。少し息継ぎができている。感謝だ。

忙しいことは感謝だけれども、疲れが取れない状況が続くと

心が苦しくなり、いつもの仕事が出来なくなる。



少しの中休みが与えられ、ホンマ感謝ですわ。


では今日も共に詩篇を。

僕の心に留まった言葉はこんな言葉。

psm13:1  主よ。いつまでですか 。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで御顔を 私からお隠しになるのですか。





こんな状況。。

誰もが感じるこの状況。



もう少し前に、「神様が居られるから助かったわ~」っていえる状況になればいいのに。。




でも、神様は此処での作者ダビデが語ったように

神様はまるで居ないかのような・・・御顔を隠してるかのような状況を過ごさせる。





ww・・・。

何故だろうね。




本当に。

早くに助けてくれれば、多くの人が神様の存在を知りえるのにと思ってならない。




でも

これは神様の知恵。

神様が共に居ない人は、弱い・貧しい存在だという事を心底知るコトが必要なのかもしれない。




こんな詩がある。何を感じれるだろうか?


・・・・・


病まなければ

聞き得ない慰めのみ言葉があり

... 捧げ得ない真実な祈りがあり

感謝し得ない一杯の水があり

見得ない奉仕の天使があり

信じ得ない愛の奇跡があり

下り得ない謙遜の谷があり

登り得ない希望の山頂がある

・・・・・




病は(苦しみ)は、誰もが忌み嫌うモノだ。

でも、その病が無ければ

こんなに多くの恵みを体感することは出来なかったという詩だ。






そんな道を

通らなかったら、知りえない詩ですよね。




今、僕らに許された苦しみは

神様の恵みの深さを知る機会になるのかもしれない。



ダビデのように苦しさの中でも

神様の恵みがあるに違いないと言葉を発してみませんか?


神様は僕らをいつも見てて

どんな時でも転ばないように支えようとして下さっているに違いないから。




だから大丈夫。



感情が逆らっても、きっと!大丈夫だ!!



目に見えるもの

その時に感じる感情で判断するのは愚かなことかもしれないモンね。




だから

ホンマに大丈夫。




心が否定しても、バイブルの言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?



僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


a-men.






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詩13篇「豊かにあしらう」 גָמַל ガーマル

〔カテゴリー愛顧〕  

6節「・・私は主に歌を歌います。主が私を豊かにあしらわれたゆえ。」(新改訳)
6節「・・あなたがわたしに報いてくださいますように。」(新共同訳)

Keyword; 「豊かにあしらう」  have been good, goodness, weaned, 116:7/119:17/142:7

  • この詩篇は、神の不在と沈黙の中で神を求めている部分(1~4節)と信仰の確信の部分(5~6節)の二つの部分に分かれています。5節の頭には、へブル語の接続詞である「ヴェ」(וְ)があり、「そして」「~と」(and)、「しかし」(but)、「それゆえ」(therefore)、「また」(also)という意味があり、前後のコンテキストによってどれがふさわしいかを理解します。詩13篇5節以降はその前の部分とは全く内容が異なっているので、「しかし、私は・・」と訳すと、より理解がしやすくなりますが、実際にそのように訳しているのは、口語訳、関根訳、岩波訳だけです。
  • 5節の「恵みに拠り頼みます」、「救いを喜びます」、「歌を歌います」という礼拝用語は、最後の行にある「主が私を豊かにあしらわれたゆえ」という恩寵用語にささえられています。つまり、「主が私を豊かにあしらわれたゆえ」に、主に「拠り頼み」、「喜び」、「歌う」ことができるわけです。この論理を「恩寵先行、信仰後続の論理」と言います。主の恩寵だけが「私の目を輝かせる」ことができるというわけです。つまり、私全体(考えも行いもすべて)を輝かすことのできる秘訣は主の恵みです。ですから、私たちは日ごとに主の恵みを深く味わっていく必要があります。
  • ところで、「主が豊かに私をあしらう」の「あしらう」と訳されたヘブル動詞は、「ガーマル」
    גָּמַל(gamal)で「良くしてくださる」という意味です。他にも、乳離れさせる、熟する、成熟させる、仕返しする、報いる、という意味があります。TEVでは、because you have been good to me (主が私に良くし続けて下さったから)」と訳され、LB訳では「身にあまる祝福をいただいき」と訳しています。
  • 「ガーマル」גָּמַל(gamal)は旧約で37回、詩篇では10回使われていますが、「豊かにあしらう」、「良くしてくださった」という意味で使われているのは、116篇7節、119篇17節、143篇7節の3箇所だけです。しかも、この訳は詩篇のみにみられるものです。また、「乳離れする」(wean)という意味で使われているのも、詩篇では131篇2節のみです。
  • この詩13篇5, 6節に見られる賛美は、ダビデがまだ悲しみのトンネルの中にいたときに告白したものであると考えられます。ダビデは自分の嘆きの中で、自分の人生を振り返りながら、自分が主によってどんなに良くしてもらってきたか、その主の恵みに思いを巡らしたのです。その思い巡らしの中で、主の恵みに対する気づきこそ、嘆きを賛美に変えていく力であると信じます。

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【詩篇12篇】o19  指揮者のために。八弦の立琴に合わせて。ダビデの賛歌


psm12:1  主よ。お救いください。聖徒はあとを絶ち、誠実な人 は人の子らの中から消え去りました。

psm12:2  人は互いにうそを話し、へつらいのくちびると、二心で話します。

psm12:3  主が、へつらいのくちびると傲慢の舌とを、ことごとく断ち切ってくださいますように。

psm12:4  彼らはこう言うのです。「われらはこの舌で勝つことができる。われらのくちびるはわれらのものだ。だれが、われらの支配者なのか。」

psm12:5  主は仰せられる 。「悩む人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから、今、わたしは立ち上がる。わたしは彼を、その求める救いに入れよう。」

psm12:6  主のみことばは混じりけのないことば。土の炉で七回もためされて、純化された銀。

psm12:7  あなたが、主よ、彼らをお守りになります。あなたはこの時代からとこしえまでも彼らを保たれます。

psm12:8  人の子の間で、卑しいことがあがめられているときには、悪者が、至る所で横行します。

。。。。。。。。。。


おはようございます。

昨日は色々あってあまり寝てません。。



フラフラになるもんですね。

でも、やるべきことが今日も与えられて感謝です。






では今日も共に詩篇を。

僕の心に届いたのはこんな言葉。

psm12:5  主は仰せられる 。「悩む人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから、今、わたしは立ち上がる。わたしは彼を、その求める救いに入れよう。」





神様は立ち上がられる。

弱い者、貧しい者の為に。。




僕の身近でも互いにうそを話し、へつらいのくちびると、二心で話してる現実をみる。

あるよね・・・。

大変だよね。




でも、大丈夫。

神様は僕らの味方。

必ず立ち上がられるんだから。






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詩12篇 「立ち上がる」 קוּם クーム

〔カテゴリー救出〕  

5節「主は仰せられる。『悩む人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから、今、わたしは立ち上がる。わたしは彼をその求める救いに入れよう。』」

Keyword; 「立ち上がる」  arise, rise up

  • 「今、わたしは立ち上がるーNow I will arise」の「立ち上がる」と訳されたクームקוּם(qum) は、旧約627回、詩篇52回と比較的多く使われている語彙です。詩篇の場合、その多く(10回)が主への嘆願―「立ち上がってください」-です。「主は立ち上がって下さる」という確信として用いられているのが3回。神ご自身が自ら「今、わたしは立ち上がる」と宣言しているのは12篇5節の1回のみです。それゆえ、この5節はきわめて注目すべき箇所と言えます。
  • すでに3篇7節、7篇6節、9篇19節、10篇12節で「立ち上がってください、主よ」(Arise, O Lord!) と絶えず主に呼びかけていましたが、12篇5節はそれに対する答えとも言えます。神が重い腰を上げて、やっと立ち上がって下さったというイメージです。
  • 神がなにゆえ「今、わたしは立ち上がる」と宣言されたのでしょうか。この詩篇のコンテキストを考えるならば、それは「悩む人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから」とあります。「悩む人」(原文では複数、アニイームעֲנִיִּים 単数はアニーעַנִי)、「貧しい人」(原文では複数、エヴィヨニームאֶבְיוֹנִים、単数はエヴヨーンאְבְיוֹן)、この二つはしばしばワンセットで用いられます。いずれも「貧しさ」を表わす語彙ですが、二つを重ねることで、より「貧しさ」が強調されています。自分の力では決して解決できない、悲惨な状態を表わしています。
  • さらに、神が立ち上がられた理由として、1節の「聖徒はあとを絶ち、誠実な人は人の子らの中から消え去りました。」が考えられます。「聖徒」(単数)とはハーシードחָסִיד (chasid)で、主に熱心な者という意味です。「誠実な人」(原文では複数、エムニームאֱמוּנִים、語幹はאמן)とは信仰のある人です。そのような者たちが「あとを絶ち、消え去った」ということ事態、大変なことです。
  • 神が「立ち上がる」そのときは、敵が脅かされるときです。かつてエジプトにいたイスラエルの民の叫びが天に届いたとき、神はモーセを召し出しました。民の叫びはいつも天に届いていたはずです。しかしやがて救いの手が下される時が来たのでした。そしてイスラエルの民はモーセを通してエジプトから救い出されたのです。
  • 新約でも、カナの婚礼時に肝心のぶどう酒がなくなりました。イエスの母が息子にその事実を伝えたとき、イエスは「わたしの時はまだ来ていません。」と謎めいたことを言われましたが、やがて「わたしの時は来ました」と宣言されました。その「時」とは、十字架の死からの復活を通して、世の人々を闇から救い出す神の「立ち上がりの時」でした。

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神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


a-men.

ごめんなさい。メンテ頭になかったです~。


。。。。。。。。。。

【詩篇11篇】o19 指揮者のために。ダビデによる
psm11:1 主に私は身を避ける。どうして、あなたたちは私のたましいに言うのか。「鳥のように、おまえたちの山に飛んで行け。
psm11:2 それ、見よ。悪者どもが弓を張り、弦に矢をつがえ、暗やみで心の直ぐな人を射ぬこうとしている。
psm11:3 拠り所がこわされたら正しい者に何ができようか。」
psm11:4 主は、その聖座が宮にあり、主は、その王座が天にある。その目は見通し、そのまぶたは、人の子らを調べる。
psm11:5 主は正しい者と悪者を調べる。そのみこころは、暴虐を好む者を憎む。
psm11:6 主は、悪者の上に網を張る。火と硫黄。燃える風が彼らの杯への分け前となろう。
psm11:7 主は正しく、正義を愛される。直ぐな人は、御顔を仰ぎ見る。
。。。。。。。。。。

おはようございます。
最近忙しく、身体がついてこないことが多いわ。
なんとか踏ん張ります。お互いがんばりましょね。


では早速詩篇を共に。
今日僕の心に留まったのはこんな言葉。
psm11:7 主は正しく、正義を愛される。直ぐな人は、御顔を仰ぎ見る。



どうでしょ。
もし、神さまという存在が正義を愛されないなら・・・?!
恐ろしくないですか?
考えられませんね。


神様は正義を愛されてる。





どんな状況でも負けないで居たいですね。
サタンがあらゆる場所でしたい放題ヤンチャしてますが、
なんとか
踏ん張りましょう。


きっと、神様が僕らを見つめて居られるんですから・・・ね。

大丈夫!

絶対大丈夫!!


心が否定しても、バイブルの言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?



僕らは今日も大丈夫!!



神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


a-men.









・・・・・・・・・・
http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs11
詩11篇「正しい者」צָדִּיק ツァディーク   צְדָקָה ツェダーカー 〔カテゴリー防衛〕  
7節「主は正しく(צָדִּיק)、正義(צְדָקָה)を愛される。」
Keyword; 「正しさ、義、正義」 right, righteousness,
10篇までの弱者のイメージを持つ表現が一掃され、詩11篇では「正しい者」ということばが目立ちます(3, 5節)。「正しい者」とはどんな者かを、この詩11篇は私たちに考えさせてくれます。


「正しい者」と訳されたツァディークצָדִּיק(tsaddiyq)は形容詞。名詞はツェデクצֶדֶק(tsedeq)で、正しさ、義、正義、救いと訳されます。ツェデクצֶדֶקは倫理概念ではなく、関係概念です。倫理概念が先に来てしまうと、このことばの意味するところから外れてしまうように思います。つまり、義とは、神との正しいかかわりを意味し、「義人」、あるいは「正しい者」とは、その正しい神とのかかわりをもたせていただいた者ということになります。この詩篇でいうならば、1節にある「主に身を避ける」者のことです。

詩11篇では、共に信仰の道を歩んできた仲間たちが「拠り所がこわされたら、正しい者に何ができようか」と言ったことについて、作者は違和感を抱いたようです。普段気づかないことが、ある危機を契機に、信仰の違いに気づかされたのです。彼らの言う「拠り所」とはいったい何なのか。「拠り所」をどこに置いているのかが明確にされたのです。

「拠り所」と訳されたセートשֵׁת(shet)は、「根元」、「基」、「基礎」、「いしずえ」、「世の秩序」とも訳されることばです。詩篇ではここ11:3にしかありません。主にある者たちにとって、本来、「拠り所」がこわされることはあり得ないことです。危険が迫ったとき、どこに身を避けるか、どこに逃げるかが問われます。作者にとっては、主こそゆるがない拠り所であり、そこに身を避ける(逃れる)者こそ「正しい者」だという認識を持っていたようです。「拠り所」とは、自分を支えてくれる柱であり、基であり、根源です。その拠り所がこわれたならば「正しい者」はひとりもいなくなるはずです。

4, 5節を見ると「・・主の目は見通し、そのまぶたは、人の子らを調べる。主は正しい者と悪者を調べる」とあります。主は天から「正しい者」がいるかどうかを「見通し」ておられます。この「見通す」ということばはハーザーחָזָח(chazah)です。注視する、よく観察するといった意味です。また、「調べる」と訳されたバーハンבָּחַן(bachan)は真偽を点検(テスト)するという意味です。なぜなら、「主は正しく、正義を愛される(好まれる)からです。」

7節後半では「正しい者」が「直ぐな人(ヤーシャルיָשָׁר)」に言い換えられています。とすれば、「正しい者は主に身を避け」と「直ぐな人は主の御顔を仰ぎ見る」は同義と考えることができます。いみじくも、「仰ぎ見る」と訳されたことばは、主の目は「見通す」(4節)と訳されたハーザーחָזָח(chazah)です。お互いに目と目とを合わせて、親しく交わることのできる者―それが「正しい者」だと言うことができます。罪とは「主の御顔を避ける」ことであり、逆に「主の御顔を仰ぎ見ること」が義、正義、救いです。
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。。。。。。。。。。

 

【詩篇10篇】o19


psm10:1  主よ。なぜ、あなたは遠く離れてお立ちなのですか。苦しみのとき に、なぜ、身を隠されるのですか。

psm10:2  悪者は高ぶって、悩む人に追い迫ります。彼らが、おのれの設けたたくらみにみずから捕えられますように。

psm10:3  悪者はおのれの心の欲望を誇り 、貪欲な者は、主をのろい、また、侮る。

psm10:4  悪者は高慢を 顔に表わして、神を尋ね求めない。その思いは「神はいない 。」の一言に尽きる。

psm10:5  彼の道はいつも栄え、あなたのさばきは高くて、彼の目に、はいらない。敵という敵を、彼は吹き飛ばす。

psm10:6  彼は心の中で言う。「私はゆるぐことがなく、代々にわたって、わざわいに会わない。」

psm10:7  彼の口は、のろいと欺きとしいたげに満ち、彼の舌の裏には害毒と悪意がある。

psm10:8  彼は村はずれの待ち伏せ場にすわり、隠れた所 で、罪のない人を殺す。彼の目は不幸な人をねらっている。

psm10:9  彼は茂みの中の獅子のように隠れ場 で待ち伏せている。彼は悩む人を捕えようと待ち伏せる。悩む人を、その網にかけて捕えてしまう。

psm10:10  不幸な人は、強い者によって砕かれ、うずくまり、倒れる。

psm10:11  彼は心の中で言う。「神は忘れている。顔を隠している。彼は決して見はしないのだ。」

psm10:12  主よ。立ち上がってください。神よ。御手を上げてください。どうか、貧しい者を、忘れないでください。

psm10:13  なぜ、悪者は、神を侮るのでしょうか。彼は心の中で、あなたは追い求めないと言っています。

psm10:14  あなたは、見ておられました。害毒と苦痛を。彼らを御手の中に収めるためにじっと見つめておられました。不幸な人は、あなたに身をゆだねます。あなたはみなしごを助ける方でした。

psm10:15  悪者と、よこしまな者の腕を折り、その悪を捜し求めて一つも残らぬようにしてください。

psm10:16  主は世々限りなく王である。国々は、主の地から滅びうせた。

psm10:17  主よ。あなたは貧しい者の願いを聞いてくださいました。あなたは彼らの心を強くしてくださいます。耳を傾けて、

psm10:18  みなしごと、しいたげられた者をかばってくださいます。地から生まれた人間がもはや、脅かすことができないように。

。。。。。。。。。。


おはようございます。

何故か?身体の疲れがとれない・・・年なのだろうか?

なんて思う今日この頃ですが


今日も共に詩篇を。

僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm10:14  あなたは、見ておられました。害毒と苦痛を。彼らを御手の中に収めるためにじっと見つめておられました。不幸な人は、あなたに身をゆだねます。あなたはみなしごを助ける方でした。





神様は弱い者・貧しい者を見つめられる。

この世では不幸と呼ばれる人たちを。


今日は下記の説明を少し参照にして欲しい。

そこにある地的現実と天的現実を頭に入れてこれを考えて見てください。




・・・神様の計画が少し見えてくるに違いないから。







僕らが弱く貧しく、不幸だというのなら

僕らはとても神様に近い存在として今日も過ごしているコトかもしれない。




いつも傍に居て見つめられる方に

声を上げるだけで大丈夫。



声を上げるほどではないのでしょうか?

もしかして、

こんなコトで求める事自体申し訳ない・・・なんて思ってますか?



神様は僕らの声をまっている。

準備万端に。


この作者のように声を上げてみませんか?

この詩篇を今日も発してみませんか?





今日も神様の素晴らしさを体感できますように。

隠された神様の恵みを数えに今日も一緒に出かけましょう~。



神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


a-men.






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詩10篇「助ける」 עָזַר アーザル 

〔カテゴリー防衛〕  

14節「あなたはみなしごを助ける方でした。」(新改訳)
14節「孤児(みなしご)には、あなたが助け手となりました。」(岩波訳)
14節「あなたは孤児を助けられる」(関根訳)
14節「親のない子どもはささえられる」(典礼訳)

Keyword; 「助ける」 help 10:14/22:11/28:7/3:10/37:40/46:5/54:4/72:12/79:9/86:17/107:12/109:26/118:7, 13/119:86, 173, 175/

  • 「助ける」と訳されるアーザルעָזַר(`azar)は、この詩10篇ではじめて登場します。旧約では81回、詩篇では17回使われています。名詞はエゼルעֵזֶר(`ezer)で、「助けの石」(エベン・エゼルー略してエベネゼル)ということばがサムエル記第一7章12節にあります。預言者サムエルがペリシテとの戦いにおいて勝利したときに、そのことを記念とするために、一つの石を取ってミッパとシェンの間に置いたことによります。「助けの石」の意味するところは、「主はここまで助けてくださった」です。
  • 詩9篇までは、「貧しい者」、「悩む者」、「しいたげられた者」という表現が目立ちましたが、詩10篇ではさらに「孤児」と「不幸な者」という自己認識が加わります。すべて弱者の認識です。自分の力では生きることのできないことを認識しています。
  • この詩篇は大きく二つに分かれています。前半(1~13節)の<地的現実>です。神を侮り、高ぶる悪者、悩む者に追い迫り、罪のない者を殺し、不幸な者を狙っています。それゆえ、彼らはうずくまり、倒れています。そんな不条理な現実に、作者は「なぜ、あなたは遠く離れてお立ちなのですか。苦しみのときに、なぜ、身を隠されるのですか。」(1節)という神の不在と沈黙を訴えています。作者は悪者たちの様子を驚くほどよく観察しています。その結果、心と思いが翻弄されてしまっています。
  • 後半(14~18節)は<天的現実>です。一見、神は不在で沈黙していると思っていた作者でしたが、「あなたは、見ておられました。」(14節)という天的現実に目が開かれています。この「見ておられた」と訳されたラーアーרָאָה(ra'ah)は、普通に「見る」(see)という意味ですが、「じっと見ておられた」と訳されたブーンבּוּן(bun)は、よりはっきりと識別する、感知して理解するという意味です。これは悪者たちにとっては恐ろしいことですが、主に頼る者にとっては恩寵となります。
  • 主は地から生まれた人間(エノシュ)が、もはや、貧しい者、孤児、しいたげられた者たちを脅かすことがでないように、彼らを「助け עָזַר」、彼らの声を「聞き שָׁמַע」、彼らの心を「強くし כּוּן」、彼らを「かばう שָׁפַּט」方です。作者は神の不在と沈黙の中でそのことに気づかされたようです。神に対する幻想が打ち砕かれて、神に対する真の信仰が強められています。さらには、はからずも、作者は弱い者たちと深く連帯しているのもすばらしい神の恩寵といえます。

・・・・・・・・・・

。。。。。。。。。。


【詩篇9篇】o19  指揮者のために。「ムテ・ラベン」の調べに合わせて。ダビデの賛歌


psm9:1  私は心を尽くして 主に感謝します。あなたの奇しいわざ を余すことなく語り告げます。

psm9:2  私は、あなたを喜び、誇ります 。いと高き方よ。あなたの御名をほめ歌います。

psm9:3  私の敵は退くとき、つまずき、あなたの前で、ついえ去ります。

psm9:4  あなたが私の正しい訴え を支持し、義の審判者として王座に着かれるからです。

psm9:5  あなたは国々をお叱りになり、悪者を滅ぼし、彼らの吊を、とこしえに、消し去られました。

psm9:6  敵は、絶え果てて永遠の廃墟。あなたが根こぎにされた町々、その記憶さえ、消えうせました。

psm9:7  しかし、主はとこしえに御座に着き、さばきのためにご自身の王座を堅く立てられた。

psm9:8  主は義によって世界をさばき、公正をもって国民にさばきを行なわれる。

psm9:9  主はしいたげられた者のとりで、苦しみのとき のとりで。

psm9:10 御名を知る者はあなたに拠り頼みます。主よ。あなたはあなたを尋ね求める者をお見捨て になりませんでした。

psm9:11  主にほめ歌を歌え、シオンに住まうその方に。国々の民にみわざを告げ知らせよ。

psm9:12  血に報いる方 は、彼らを心に留め、貧しい者の叫びをお忘れにならない。

psm9:13  主よ。私を あわれんでください 。私を憎む者から来る私の悩みを見てください。主は死の門から私を引き上げてくださる。

psm9:14  私は、あなたのすべての誉れを語り告げるために、シオンの娘の門で、あなたの救いに歓声をあげましょう。

psm9:15  国々はおのれの作った穴に陥り、おのれの隠した網に、わが足をとられる。

psm9:16  主はご自身を知らせ、さばきを行なわれた。悪者はおのれの手 で作ったわな にかかった。ヒガヨン セラ

psm9:17  悪者どもは、よみに帰って行く。神を忘れたあらゆる国々も。

psm9:18  貧しい者は決して忘れられない。悩む者の望みは、いつまでもなくならない。

psm9:19  主よ。立ち上がってください。人間が勝ち誇らないために。国々が御前で、さばかれるために。

psm9:20  主よ。彼らに恐れを起こさせてください。おのれが、ただ、人間にすぎない ことを、国々に思い知らせてください。セラ


 

。。。。。。。。。。


おはようございます。

作業を大分残しながら、子供と休暇を過ごしました。

残念ながら・・そのお陰で今日は大変だ。



さて今日も共に詩篇を。

僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm9:20  主よ。彼らに恐れを起こさせてください。おのれが、ただ、人間にすぎない ことを、国々に思い知らせてください。セラ


 




僕らは人間にすぎない。


人間に過ぎないコトを知る為には、自分の弱さ貧しさを味わうことから始まる。






貧しさ・弱さを知ることは

神様との出会いの始まりとなる。


そして

僕らの真のアイデンティティー(存在意義)を見出させる事になる。



僕らは人間に過ぎない。

思い知ることで、僕らは本来の自分自身のあり方を喜べるに違いない。

・・・ 楽しめそう。






今日も神様の素晴らしさを体感できますように。

隠された神様の恵みを数えに今日も一緒に出かけましょう~。


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


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詩9篇 「さばく」 שָׁפַט シャーファト  דִּין ディーン

〔カテゴリー愛顧〕  

8節「主は義によって世界をさばきשָׁפַט、公正をもって国民にさばきを行われるדִּין
16節「主は、ご自分を知らせ、さばきמִשְׁפָּטを行われた。」

Keyword; 「さばく、さばきを行う」 judge, judging,

  • この詩9篇1節の「奇しいわざ」(関根訳「妙なるみ業」)とは、この詩9篇の場合では、悪者は必ず自滅するという神のさばきの不思議さを意味しています。「貧しい者、しいたげられた者、悩む者」にとっては、神が正しい裁きを行ってくれること(judge)、かばってくれること(defending)、自分たちの訴えを支持してくれること(vindicate)、それ自体が恩寵なのです。
  • 事実、バビロン捕囚時代に王の寵愛を受けたダニエルを妬んだ敵の画策、および、捕囚からの解放後にペルシャ王の側近ハマンが自分に頭をさげないモルデカイを恨んでユダヤ人撲滅の画策が、いずれも発覚して自ら設けた穴に陥るという出来事がありました。自分たちにはどうすることもできない敵の策略に対して、神が義をもって敵をさばき、自滅させたという出来事を背景として考えることができるのではないかと思います。
  • 「国々はおのれの作った穴に陥り、おのれの隠した網に、わが足をとられる。主はご自分を知らせ、さばきを行われた。悪者はおのれの手で作ったわなにかかった」(15, 16節)とする自滅の原則は、この詩9篇のみならず、7:14~16,63:9~10, 64:8節にもみられます。 
  • 詩9篇では、「さばき」を意味する三つの重要な統治用語が使われています。

    ①シャーファトשָׁפַט(shaphat)〔動詞〕「さばきをする」9:4, 8, 19, judge, defending, vindicate,旧約203回、詩篇32回(神のさばきによる恩寵を意味するものとしては7:8,11/10:18(かばう)/26:1/35:24/37:33/43:1/50:6/51:4/58:1,11/67:4/72:4/75:2, 7/82:8/94:2/96:13/98:9)
    ②ミシュパートמִשְׁפָּט(mishpat)。シャーファトשָׁפַט(shaphat)の名詞形。「さばき、審判」9:4, 7 旧約421回、詩篇65回。judgement,
    ③ディーンדִּין(diyn) 動詞・名詞いずれも同形。「さばきを行う、審判する」9:4, 8 judge, govern, 〔動詞〕旧約24回、詩篇8(7:8/9:8/50:4/54:1/72:2/96:10/110:6/135:14)。
    〔名詞〕旧約20回、詩篇3回(9:4/76:8/140:12)

  • シャーファトשָׁפַט(shaphat)、ミシュパートמִשְׁפָּט(mishpat)、ディーンדִּין(diyn)が、ワンセットで使われています。これはへブル詩の特徴であるパラレリズム、すなわち、同義的並行法によるものです。8節の「主は義によって世界をさばきשָׁפַט、公正をもって国民にさばきを行われるדִּין。」はその良い例です。
  • 詩篇96篇にも10節「主は公正をもって国々の民をさばくדִּין」、同篇9節「主は、義をもって世界をさばきשָׁפַט、その真実をもって国々の民をさばかれるשָׁפַט。」とあります。
  • 義をもって、公正をもって、裁かれる神がおられることで、私たちは自分で復讐することなく、神にすべてをゆだねることができるのです。

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