誰の為に立ち上がられる?? | へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

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僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

。。。。。。。。。。

 

【詩篇12篇】o19  指揮者のために。八弦の立琴に合わせて。ダビデの賛歌


psm12:1  主よ。お救いください。聖徒はあとを絶ち、誠実な人 は人の子らの中から消え去りました。

psm12:2  人は互いにうそを話し、へつらいのくちびると、二心で話します。

psm12:3  主が、へつらいのくちびると傲慢の舌とを、ことごとく断ち切ってくださいますように。

psm12:4  彼らはこう言うのです。「われらはこの舌で勝つことができる。われらのくちびるはわれらのものだ。だれが、われらの支配者なのか。」

psm12:5  主は仰せられる 。「悩む人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから、今、わたしは立ち上がる。わたしは彼を、その求める救いに入れよう。」

psm12:6  主のみことばは混じりけのないことば。土の炉で七回もためされて、純化された銀。

psm12:7  あなたが、主よ、彼らをお守りになります。あなたはこの時代からとこしえまでも彼らを保たれます。

psm12:8  人の子の間で、卑しいことがあがめられているときには、悪者が、至る所で横行します。

。。。。。。。。。。


おはようございます。

昨日は色々あってあまり寝てません。。



フラフラになるもんですね。

でも、やるべきことが今日も与えられて感謝です。






では今日も共に詩篇を。

僕の心に届いたのはこんな言葉。

psm12:5  主は仰せられる 。「悩む人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから、今、わたしは立ち上がる。わたしは彼を、その求める救いに入れよう。」





神様は立ち上がられる。

弱い者、貧しい者の為に。。




僕の身近でも互いにうそを話し、へつらいのくちびると、二心で話してる現実をみる。

あるよね・・・。

大変だよね。




でも、大丈夫。

神様は僕らの味方。

必ず立ち上がられるんだから。






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詩12篇 「立ち上がる」 קוּם クーム

〔カテゴリー救出〕  

5節「主は仰せられる。『悩む人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから、今、わたしは立ち上がる。わたしは彼をその求める救いに入れよう。』」

Keyword; 「立ち上がる」  arise, rise up

  • 「今、わたしは立ち上がるーNow I will arise」の「立ち上がる」と訳されたクームקוּם(qum) は、旧約627回、詩篇52回と比較的多く使われている語彙です。詩篇の場合、その多く(10回)が主への嘆願―「立ち上がってください」-です。「主は立ち上がって下さる」という確信として用いられているのが3回。神ご自身が自ら「今、わたしは立ち上がる」と宣言しているのは12篇5節の1回のみです。それゆえ、この5節はきわめて注目すべき箇所と言えます。
  • すでに3篇7節、7篇6節、9篇19節、10篇12節で「立ち上がってください、主よ」(Arise, O Lord!) と絶えず主に呼びかけていましたが、12篇5節はそれに対する答えとも言えます。神が重い腰を上げて、やっと立ち上がって下さったというイメージです。
  • 神がなにゆえ「今、わたしは立ち上がる」と宣言されたのでしょうか。この詩篇のコンテキストを考えるならば、それは「悩む人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから」とあります。「悩む人」(原文では複数、アニイームעֲנִיִּים 単数はアニーעַנִי)、「貧しい人」(原文では複数、エヴィヨニームאֶבְיוֹנִים、単数はエヴヨーンאְבְיוֹן)、この二つはしばしばワンセットで用いられます。いずれも「貧しさ」を表わす語彙ですが、二つを重ねることで、より「貧しさ」が強調されています。自分の力では決して解決できない、悲惨な状態を表わしています。
  • さらに、神が立ち上がられた理由として、1節の「聖徒はあとを絶ち、誠実な人は人の子らの中から消え去りました。」が考えられます。「聖徒」(単数)とはハーシードחָסִיד (chasid)で、主に熱心な者という意味です。「誠実な人」(原文では複数、エムニームאֱמוּנִים、語幹はאמן)とは信仰のある人です。そのような者たちが「あとを絶ち、消え去った」ということ事態、大変なことです。
  • 神が「立ち上がる」そのときは、敵が脅かされるときです。かつてエジプトにいたイスラエルの民の叫びが天に届いたとき、神はモーセを召し出しました。民の叫びはいつも天に届いていたはずです。しかしやがて救いの手が下される時が来たのでした。そしてイスラエルの民はモーセを通してエジプトから救い出されたのです。
  • 新約でも、カナの婚礼時に肝心のぶどう酒がなくなりました。イエスの母が息子にその事実を伝えたとき、イエスは「わたしの時はまだ来ていません。」と謎めいたことを言われましたが、やがて「わたしの時は来ました」と宣言されました。その「時」とは、十字架の死からの復活を通して、世の人々を闇から救い出す神の「立ち上がりの時」でした。

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神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


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