へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy -27ページ目

へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

。。。。。。。。。。

 

【詩篇17篇】o19  ダビデの祈り


psm1:1  主よ。聞いてください、正しい訴えを。耳に留めてください、私の叫びを。耳に入れてください、欺きのくちびるからでない私の祈りを。

psm1:2  私のためのさばきが御前から出て、公正に御目が注がれますように。

psm1:3  あなたは私の心を調べ、夜、私を問いただされました。あなたは私をためされましたが、何も見つけ出されません。私は、口のあやまちをしまいと心がけました。

psm1:4  人としての行ないについては、あなたのくちびるのことばによりました。私は無法な者の道を避けました。

psm1:5  私の歩みは、あなたの道を堅く守り、私の足はよろけませんでした。

psm1:6  神よ。私はあなたを呼び求めました。あなたは私に答えてくださるからです。耳を傾けて、私の申し上げることを聞いてください。

psm1:7  あなたの奇しい恵みをお示しください。立ち向かう者から身を避けて右の手に来る者を救う方。

psm1:8  私を、ひとみのように見守り、御翼の陰に私をかくまってください。

psm1:9  私を襲う悪者から。私を取り巻く貪欲な敵から。

psm1:10  彼らは、鈊い心を堅く閉ざし、その口をもって高慢に語ります。

psm1:11  彼らは、あとをつけて来て、今、私たちを取り囲みました。彼らは目をすえて、私たちを地に投げ倒そうとしています。

psm1:12  彼は、あたかも、引き裂こうとねらっている獅子、待ち伏せしている若い獅子のようです。

psm1:13  主よ。立ち上がってください。彼に立ち向かい、彼を打ちのめしてください。あなたの剣で、悪者から私のたましいを助け出してください。

psm1:14  主よ。人々から、あなたの御手で。相続分がこの世のいのちであるこの世の人々から。彼らの腹は、あなたの宝で満たされ、彼らは、子どもらに満ち足り、その豊かさを、その幼子らに残します。

psm1:15  しかし、私は、正しい訴えで、御顔を仰ぎ見 、目ざめるとき、あなたの御姿に満ち足りるでしょう。

。。。。。。。。。。


おはようございます。

オリンピックではメダル奪取ですね。

嬉しいもんですね。ガンバレーニッポン!!


では早速共に詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm1:8  私を、ひとみのように見守り、御翼の陰に私をかくまってください。





ダビデさんは本当に神様の愛を感じて過ごしてたんですよね。

だから

『 ひとみ 』のようにという表現が使われていて

『 御翼の陰 』という表現されている。



どれ程優しい表現だろうかと思わされる。





僕は小さい頃から、神様は怖い方だという印象があった。


お祈りもみんな 『 天のお父様 』 なんていい方をしているもんだし

僕の実の親父は頼んでもコトゴトク受け入れられた経験がないからだ。。。

(聴いてくれないという経験が多かったかな・・・)



ダビデさんはそんな優しさを体感していた。






僕らもそんなダビデさんの優しい神様が、僕らを大好きな子供としていつも見つめて下さっている。


『 ひとみ 』 のように。





体感してみませんか?

ダビデさんと一緒に、心で決めて言葉に発してみましょうね。





心が否定しても、バイブルの言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?



僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


a-men.





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詩17篇 「ひとみのように」כְּאִישׁוֹן ケイション

8節「わたしをひとみのように守り、・・」(新改訳)
8節「私をお護り下さい。瞳―目の娘―のように。」(岩波訳・・直訳)

Keyword; 「瞳のように」 as the apple of your eye, 17:8

  • 「ひとみのように」と訳されたケイションכְּאִישׁוֹן(ke'ishon)は、動詞ではなく、名詞のイションאִישׁוֹן(‘ishon)に前置詞のケכְּ(・・のように、as,)が頭についた言葉です。ケイションכְּאִישׁוֹן(ke'ishon)は};旧約で4回、詩篇では1回しか使われていない珍しい語彙です。
  • 日本には「目の中に入れても痛くない」という慣用句がありますが、それは自分の子どもや孫がとても愛らしくてかわいくてたまらない思いを表しています。そのように、「ひとみー(瞳)」はとても大切なものを表わすたとえです。
  • モーセの訣別説教が記された申命記にはイスラエルの民に対する神の思いが次のように語られています。「主は荒野で、獣のほえる荒野で彼を見つけ、これをいだき、世話をして、ご自分のひとみのように、これを守られた。」(32章10節)と、主の民に対するねんごろな思いが「ご自分のひとみのように」と記されています。このような主のかかわりに対して、「主の命令を守って生きよ。わたしのおしえをあなたのひとみのように守れ。」(箴言7章2節)、LBでは「宝物のように大事にしなさい」と訳されています。
  • 詩17篇では、どんなときでも、神を第一にして生きてきたダビデが敵によって包囲されている現況の中で主の助けと守りを求めています。驚かされるのは、神が自分のことを「ひとみのように」大切に思って下さる方であるとダビデが意識していたことです。このような意識がダビデの人生の歩みの中でいかにして育ってきたのか興味あるところです。
  • 神が自分のことを「ひとみのように」、つまり、ひとみを守るように、自分を守ってくださるという確信、これが信仰者の大きな課題であると信じます。御父が御子に対して語った「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」という愛の声、この声を聞いて生きること、そして親しい愛のかかわりの絆を強めることが、どんな働きにも勝って重要なことなのだと思います。愛の土壌なしには良い実りと収穫は期待できません。良い土壌は私たちの努力で作ることはできません。神の愛の御声を日々聞きつつ生きることによって、はじめて、神と私とのかかわりの土壌は豊かになっていくと信じます。
  • 自分が神に「瞳のような」存在として、いとしく愛されている存在であるというアイデンティティが、あるときは悩みの中で、あるときは静まりの中で強められることを求めていきたいものだと思わされます。
  • 「ひとみのように」守るという恩寵とならんで、同節の「御翼の陰に私をかくまう」ということばも味わい深い恩寵用語です。「かくまう、隠す」と訳されるサータルסָתַר(satar)が神の保護として用いられているのは、詩篇では27:5/31:20/64:2の3箇所です。

http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs17

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【詩篇16篇】o19  ダビデのミクタム


psm16:1  神よ。私をお守りください。私は、あなたに身を避けます。

psm16:2  私は、主に申し上げました。「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」

psm16:3  地にある聖徒たちには威厳があり、私の喜びはすべて、彼らの中にあります。

psm16:4  ほかの神へ走った者の痛みは増し加わり ましょう。私は、彼らの注ぐ血の酒を注がず、その名を口に唱えません。

psm16:5  主は、私へのゆずりの地所、また私への杯です。あなたは、私の受ける分を、堅く保っていてくださいます。

psm16:6  測り綱は、私の好む所に落ちた。まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。

psm16:7  私は助言を下さった主をほめたたえる。まことに、夜になると、私の心が私に教える。

psm16:8  私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。

psm16:9  それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。

psm16:10  まことに、あなたは、私のたましいをよみ に捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴 をお見せにはなりません。

psm16:11  あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。


 

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おはようございます。



夏バテのユテコでございます。昨日はサボって申し訳ないです。

では早速共に詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm16:8  私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。




僕らは誰も何も意識しなかったら

目に見えるものに流されていくもんだ。。


でも、

目標をいつも意識することでいつでもゴールへ近づくことが出来る。




目標がある人と無い人は全く異なった時間を過ごすことになる。






僕らは何を意識して過ごしてますか?

目に見える・・・心に感じることだけに振り回されていませんか?





神様は僕らをいつも素敵な場所に導く為に僕らと共に歩んでくださっている。

大丈夫。



今日ダビデさんと同じように神様を意識してみませんか?

psm16:8  私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。


ゆるぐことのない日々を共に体験してみましょう。

僕らにはそれが出来る。

ダビデさんの様に意識するだけで。。。



心が否定しても、バイブルの言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?



僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


a-men.



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詩16篇 「堅く保つ」 תָּמַך ターマフ

〔カテゴリー防衛〕  

5節「あなたは、私の受ける分を堅く保っていてくださいます。」(新改訳)
5節「主はわたしの運命をささえる方」(新共同訳)
5節「あなたはわたしの分け前を守られる。」(口語訳)
5節「私のなりゆきは、あなたの御手に。」(バルバロ訳)

Keyword; 「堅く保つ、守る、支える」hold, make secure, uphold,16:5/17:5/41:12/63:8

  • 「堅く保つ」と訳されたターマフתָּמַך(tamakh)は、旧約で21回、詩篇では4回だけ使われている神の保護、防衛用語です。堅く守る、強く支えると言った強固な、不動なセキュリティ、保護・保障をイメージすることばです。
  • 詩16篇5節では何が堅く保たれるのかと言えば、「私の受ける分」(新改訳)だとしています。「受ける分」と訳された原語はゴーラールגּוֹרָל(goral) で、相続した土地の四隅に置く目印の石を表わします。イスラエルの各部族はそれぞれ財産として土地が賦与されましたが、レビ部族だけは土地ではなく、神ご自身が相続地でした。ですから、「主は私の受ける分」と告白している作者はレビ人であったか、あるいはその思想に目が開かれた者だったと言えます。他の訳をみると、「受ける分」を「分け前」(口語訳)、「運命」(新共同訳)、「ゆくえ」(フランシスコ会訳)、「くじ」(関根、岩波訳)、「なりゆき」(バルバロ訳)とそれぞれ訳しています。
  • 旧約におけるゴーラールגּוֹרָל(goral)は土地という財産のことでした。確かに、アブラハムに約束された土地取得は、やがてイスラエルの民にとっても実現される時が来ます。ユダヤ人にとっては約束の地が完全な形で与えられることが御国の到来なのです。土地が分け前ということから転じて、人の人生のすべてを意味するようになっていきます。つまり、ここでは主は私の人生のすべてのゆくえ(運命)を決める方であることを意味します。
  • 新約における財産は霊的なものです。つまり、「キリストにある栄光の富」(ピリピ4:19)、「天あるすべての霊的祝福」(エペソ1:3)、あるいは「朽ちることも、汚れることも、消えて行くこともない、天にたくわえられている資産、すなわち、生ける望み」(Ⅰペテロ1:3)のことです。これがキリスト・イエスにあって私たちにたくわえられています。それは神の力によってしっかりと守られており、終りのときに現わされるように用意されているのです。私たちはやがてそれを受け継ぐことが保障されている。その中の一部を私たちは前味として、今、地上で味わっているわけです。決して失われることのない天の宝です。
  • 主イエス・キリストは「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。自分の宝は天にたくわえなさい」と言われました(マタイ6:19~20)。その意味するところは、地上の宝はやがてさびがつき、喪失する運命にあるからです。また、「宝のあるところに心もある」とも言われました。天に備えられている宝に心を傾けて生きるようにとイエスは諭されたのです。自分の心がどこに向けられているのかを、常に、点検しながら生きたいものです。

http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs16

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おはようございます。


夏バテのユテコです。ヘニャヘニャになって、二週も勝手に休んですいませんでした。
では、今日も勝手にワーシップタイムを、おおくりしますね。



此の間からヤコブの手紙。
ヤコブさんが強調したかったのは祈りだった。



電気がなくては、電球は光る事はないように、祈りがなければ、なにも輝きだすことはない。




祈りを体感した人はこの言葉の意味が解るんだろうと思う。

・・・・・
hrb12:12 ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。
・・・・・




僕らは自分の力の虚しさ・貧さを覚えた時、失望するか?神様に期待するのか?どちらかを選ぶ事になる。



神様は僕らの必要を全て満たしたいから、弱さを通して祈りに導いてくださる。

弱さを感じてるなら、祈りを導かれてるのかもしれませんね。




でも、
ここに書いてある義人とは、誰の事でしょう?少し考えてみませんか?

・・・・・

jam5:16 ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。
・・・・・




なんか
「罪」が関係ありそうだ。

義人とは「罪」がない人の事。「罪」を犯した事のない人の事。

そんな人の祈りはきかれるんだって。




そんな人は居ない。
誰もが行動にしなくとも、心の中でいつのまにか人の文句をいったり、妬んだりしちゃうモンだ。


なら、
どーしたらええん?







ジーザスはその為に来られた事を知ろう。あなたを神様の目から義とする為、僕らの罪を帳消しにする為に背負って死なれた方なんだから。



義人の祈りはきかれる。


神様は一人一人を大切で大切で仕方ない。
だから、神様は全ての人が罪を帳消しにするジーザスにより頼んで欲いし、祈りを叶えたい。必要を満たしたいと願って居られる。


神様の願い。
僕らの心に届いてるだろうか?




僕らは導かれている。・・・ね。




祈りは誰もができる行為。
今日自分の言葉で発してみませんか?

きかれる祈りを体験しよう。




今週は祈りを体験する時となります様に。



今回の箇所はコレ。
。。。。。。。。。。

jam5:13★あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。

jam5:14 あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。

jam5:15 信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。

jam5:16 ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。

jam5:17 エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨が降らないように祈ると、三年六か月の間、地に雨が降りませんでした。

jam5:18 そして、再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。

jam5:19 私の兄弟たち。あなたがたのうちに、真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を連れ戻すようなことがあれば、

jam5:20 罪人を迷いの道から引き戻す者は、罪人のたましいを死から救い出し、また、多くの罪をおおうのだということを、あなたがたは知っていなさい。
。。。。。。。。。。

。。。。。。。。。。

 

【詩篇15篇】o19  ダビデの賛歌


psm15:1  主よ。だれが、あなたの幕屋に宿るのでしょうか。だれが、あなたの聖なる山 に住むのでしょうか。

psm15:2  正しく歩み、義を行ない、心の中の真実を語る人。

psm15:3  その人は、舌をもってそしらず、友人に悪を行なわず、隣人への非難を口にしない。

psm15:4  神に捨てられた人を、その目はさげすみ、主を恐れる者を尊ぶ。搊になっても、立てた誓いは変えない

psm15:5  金を貸しても利息を取らず、罪を犯さない人にそむいて、わいろを取らない。このように行なう人は、決してゆるがされない。

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おはようございます。

人生色んな事がありますね。

色んな道を選ぶことが僕らは出来るけど、

あ・・・そっちを選んじゃ・・・なんて事もよく遭遇する。


でも選択の責任は自分自身にある。

将来がわかって選べたら・・・なんて思ってまいます。



では今日は共に詩篇を。

僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm15:2  正しく歩み、義を行ない、心の中の真実を語る人。





誰も、正しく歩める人は居ない。

だって、誰も居ないもんね。

正しく選択し、間違えなく歩む為には、正しく歩める人のガイドに従わないと・・・ね。






信じることの出来るガイドは居ますか?







ダビデさんはその人を知っていた。

それは時を越えて支配される神様だよね。


まさか・・・

神様がガイドしてくれるなんてダビデさんは凄いよね~!!




ところが、

僕らも一緒。



いつでも何処でも神様は僕らをガイドされる方。



ダビデさんの様にそんなスーパーガイドに頼ってみませんか?

先ずは、僕らがソレを選択し自分の言葉として発するコトから。




心が否定しても、バイブルの言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?



僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


a-men.





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詩15篇 「完全な」 תָּמִים ターミーム

〔カテゴリー賦与〕  

2節「正しくתָּמִים歩み、善を行い、心の中の真実を語る人。」(新改訳)
2節「それは、完全なתָּמִים道を歩き・・」(新共同訳)
2節「全くתָּמִים歩み、義を行い、心から真実を語る者がそれ。 」(関根訳)

Keyword; 「完全」非難されることのない、罪のない、潔白な、blameless, perfect, without blame 15:2/18:23, 25, 30, 32/19:7/37:18/84:11/101:2, 6/119:1, 80/

  • 「正しく」(完全な、全く)と訳された形容詞のターミームתָּמִים(tamiym)は、旧約では91回、詩篇では12回使われています。タームתָּם(tam)も同じく形容詞で同義(37:37, 64:4, 73:4)です。神は完全を要求する方であると同時に、完全を満たす方でもあります。
  • 詩15篇1節には、「主よ。だれが、あなたの幕屋に宿るのでしょうか。だれが、あなたの聖なる山に住むのでしょうか。」との大いなる問いがあります。その問いを満たす条件がこの詩篇では8項目挙げられています(いずれも隣人とのかかわりにおいて)が、その最初に挙げられているのがこの「ターミーム」です。非難されることのない完全な人です。前篇の14篇では「善を行う者はいない、ひとりもいない」とされているにもかかわらずです。
  • 詩15篇には直接的な恩寵用語は見られませんが、新約の光から見ならば、「キリストにある」者だけがこの問いに確信をもって答えることができます。なぜなら、キリストは、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになるからです(ヘブル7章25節)。これがキリストによるグッド・ニュース(福音)です。
  • 聖書の中で、ターミームתָּמִים(tamiym)ということばが最初に登場するのは創世記6章9節です。地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった主は人を造ったことを悔やまれ、心を痛められました。しかしそんな時代にあってもノアだけが「全き人תָּמִים」であり、神とともに歩んだ人物でした。それゆえ神は地上のすべてを洪水によってリセットし、ノアから新しく始めようとされたのです。
  • さらに、神はのちに全世界の救いの担い手としてアブラハムを召されましたが、「わたしは全能の神(エル・シャッダイ)である。あなたはわたしの前を歩み、全き者(完全)であれ。」(創世記17章1節)と彼に要求しています。神が常に完全なものを要求される方であるということは、出エジプト記の過越の出来事にも見られます。神が全エジプトに最後のさばきーすべての長子(人も家畜もすべて)に死をもたらすというさばきーを下そうとされた時、イスラエルにそのさばきを過ぎ越させるひとつの方法を示されました。それはそれぞれ家族ごとに一頭の羊(1歳の小羊)を準備させ、傷がないか、欠陥がないか、病気をもっていないかなど5日間のチェック期間をもうけさせました。そこで重要なことは、門柱とかもいに塗られた血が、全く傷のない羊の血でなければならなかったということです。そうでなければ何の効力もなかったからです。小羊の完全な血だけが私たちを救うのです。

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詩篇14篇 o19 指揮者のために。ダビデによる

psm14:1   愚か者は心の中で、「神はいない 。」と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい事を行なっている。善を行なう者はいない。 

psm14:2  主は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。

psm14:3  彼らはみな、離れて行き、だれもかれも腐り果てている。善を行なう者はいない。ひとりもいない

psm14:4  不法を行なう者らはだれも知らないのか。彼らはパンを食らうように、わたしの民を食らい、主を呼び求めようとはしない。

psm14:5  見よ。彼らが、いかに恐れたかを。神は、正しい者の一族とともにおられるからだ。

psm14:6  おまえたちは、悩む者のはかりごとをはずかしめようとするだろう。しかし、主が彼の避け所 である。

psm14:7  ああ、イスラエルの救いがシオンから来るように。主が、とりこになった御民を返されるとき、ヤコブは楽しめ。イスラエルは喜べ

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おはようございます。

疲れたら、集中力が散漫になりやすいものですね。

でも、与えられた今日は新しく僕らに神様が備えられた一日なはず。


だから今日も共に詩篇を。

今日僕の心に届いたのはこんな言葉。

psm14:6  おまえたちは、悩む者のはかりごとをはずかしめようとするだろう。しかし、主が彼の避け所 である。






悪巧みを考える人の働きはいつでも止むことは無いかもしれない。

でも

僕らには絶対に崩されない裂けどころがある。




シンドイ時には其処にかけこもう。



上級者は絶えず其処に居ることが出来る。

ん・・・?どうやって?



それは賛美だよね。





感謝をもって主の門に。賛美をもって大庭に入れ!だもんね。


今がどんな環境でも

与えられた一つ一つの感謝を数え、

神様の実際を言葉として発していく時に僕らはその避け処である神様の領域に入る事になる。




忘れちゃダメだ。

psm14:2  主は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。



いつも心配して見守ってくださる神様は

今日も僕ら一人一人に目を注がれている。



大丈夫。


僕らには素敵な先輩の言葉があるんだから。



この詩篇を自分の心の言葉として今日も発してみませんか?



感情では解らない時も多いだろうけど、

きっと、神さまは僕達を支え守ろうとされているんだから。




心が否定しても、バイブルの言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?



僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


a-men.


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詩14篇「(上から)見おろす」 שָׁקַף シャーカフ

〔カテゴリー愛顧〕  

2節「主は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。」

Keyword; 「見おろす、見渡す」 look down, 14:2/53:2/85:11/102:19

  • 神が天から「見おろす」と訳されたシャーカフשָׁקַף(shaqaph)は、旧約で22回、詩篇では4回使われています。日本語で、高いところから「見おろす」というイメージは、決して良いものではなく、傲慢さを感じさせます。事実、聖書でもダビデの最初の妻となったミカル(サウル王の娘)は、ダビデが契約の箱をシオンに運び上ろうとしたとき、ダビデが主の前ではねたり、踊ったりしている姿を窓から見おろして、心の中で彼をさげすんだとあります(Ⅰ サムエル6:16)。しかし、神が天から私たちを「見おろす」ときには、人に対する真摯な心をもって目を注いでおられるというイメージの言葉です。私たち人間は神を「見上げます」が、神は天から私たちを「見おろし」、愛のまなざしを注いでくださっているのです。この呼応的なかかわりこそ重要です。
  • この詩14篇では、神の「見おろし」が「神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になる」ためのものでしたが、そこにあったのは神の心を痛めるような地的現実でした。「善を行う者はいない、ひとりもいない」、これが神の人に対する評価でした。神を信じ、神のみこころを行う者はいないという現実に、おそらく神は深く心を痛められたに違いありません。また、預言者エレミヤがエルサレム陥落、捕囚、亡国の憂き目にあった神の民に対して語ったことばー「私の目は絶えず涙を流してやむことなく、主が天から見おろして顧みてくださるまで続く。」(哀歌3:50)とのことばは、神があわれみをもって、再び天から見おろして顧みてくださることを信じ希望を抱いています。まさに、神の「見おろし」は、栄光と誉の冠を与えられた人間に対する愛のまなざしなのです。
  • 詩102篇19節には「主はその聖なるいと高き所から見おろしשָׁקַף、天から地の上に目を注がれました。」 その目的は、「捕らわれ人のうめきを聞き、死に定められた者を解き放つために。人々が、主の名をシオンで語り、エルサレムで主を賛美するために。また、国々の民や、王国が共に集められるとき、主に仕えるために。」(20~22節)とあります。
  • 神の「見おろし」というあわれみのまなざしは、天から下ってこられた神の御子イエスを通して現わされました。御子イエスは「・・群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。そのとき、弟子たちに言われた。『収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。』」(マタイ9:36~38) また、こうも言われました。「なくなる食物(朽ちる食物)のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。」(ヨハネ6:27) 

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