へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy -19ページ目

へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

。。。。。。。。。。

【詩篇51篇】o19 指揮者のために。ダビデの賛歌。

ダビデがバテ・シェバのもとに通ったのちに、預言者ナタンが彼のもとに来たとき


psm51:1  神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪 をぬぐい去ってください。

psm51:2  どうか私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。

psm51:3  まことに、私は自分のそむきの罪 を知っています。私の罪は、いつも私の目の前にあります。

psm51:4  私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行ないました。それゆえ、あなたが宣告されるとき、あなたは正しく、さばかれるとき、あなたはきよくあられます。

psm51:5   ああ、私は咎ある者として 生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました。

psm51:6  ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。それゆえ、私の心の奥に知恵を教えてください。

psm51:7  ヒソプ をもって私の罪を除いてきよめてください。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。

psm51:8  私に、楽しみと喜びを、聞かせてください。そうすれば、あなたがお砕きになった骨が、喜ぶことでしょう。

psm51:9  御顔を 私の罪から隠し 、私の咎をことごとく、ぬぐい去ってください。 

psm51:10  神よ。私にきよい心 を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。

psm51:11  私をあなたの御前から、投げ捨てず、あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。

psm51:12  あなたの救いの喜び を、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように。

psm51:13  私は、そむく者たちに、あなたの道を教えましょう。そうすれば、罪人は、あなたのもとに帰りましょう。

psm51:14  神よ。私の救いの神よ。血の罪 から私を救い出してください。そうすれば、私の舌は、あなたの義を、高らかに歌うでしょう。

psm51:15  主よ。私のくちびるを開いてください。そうすれば、私の口は、あなたの誉れを告げるでしょう。

psm51:16  たとい私がささげても、まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。全焼のいけにえ を、望まれません。

psm51:17  神へのいけにえ は、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。

psm51:18  どうか、ご恩寵により、シオンにいつくしみを施し、エルサレムの城壁を築いてください。

psm51:19  そのとき、あなたは、全焼のいけにえ と全焼のささげ物との、義のいけにえ を喜ばれるでしょう。そのとき、彼らは、雄の子牛をあなたの祭壇にささげ ましょう。

。。。。。。。。。。



おはようございます。

今日はお仕事。

昨日職人さんがすねて代わりに僕がその作業をする事に。


少しづつ学んだことで作業クリア。。

感謝でしたが、今日も引き続きその作業。


今日も問題はあっても楽しめますように。。




では早速共に詩篇を。

今日僕の心に留まった言葉はコレ。

psm51:1  神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪 をぬぐい去ってください。

psm51:2  どうか私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。








自分自身がどうしようもない存在だと知ったとき。

自分自身に失望したとき、ありますか?

ダビデさんがそれを体験したのがこの時なんです。



綺麗な女性が見て、欲の赴くままその女性と寝て

ソレが実は自分の部下の嫁だと知ると

最前線でその部下を殺させたダビデ。


それから、預言者によってそれを暴かれた時歌ったのがこの詩。





自分がした事を

真正面からそのまま受けた時にこの言葉を発した。





僕はエグイ。

ダビデさんも相当酷いことをしたけど、僕も心の中では誰にもいえない酷いことを繰り返している。

サタンの子供だと思えるほど。。。


でも

神様は知っている。



僕らがサタンの支配下において

心も身体も占領されたら、どれ程酷い状況になるのかを。


いくら正しく歩もうとも、完全にサタンの囁きに従わない事は出来ないモノだ。







だから

神様は僕らをそのまま丸ごと愛して

救いの道を用意された。


ジーザスのみ代わりの死によって。






ジーザスが死んでも

僕らを救いたかった。



僕らはそれ程愛されている。





だから、

そのまま。


自分に失望するほどの、そのままの自分自身で

神様を呼び求めてみませんか?



神様はソンナ状態であることを知ってるし

そんな状態であるからこそ、そんな僕らを愛で包みたいと願っておられる。






大丈夫。

そのままで。







心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.



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詩51篇(1) 「造る」 בָּרָא バーラー

〔カテゴリー育成〕

10節「神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。」

Keyword; 「造る、創造する」 create,  52:10/89:12,47/102:18/104:30/148:5

  • 天と地が神によって創造されたという事実を知るのは、私たちの知覚に触れるだけではきわめて微弱です。それほどに私たちの知覚は罪によって弱められています。私たちが生まれながらにして罪人であるという事実も、神の霊の働きなしにはほとんど知覚できないほどです。神の人に対する能動的な働きかけはその事実を私たちに信じさせることです。
  • 天と地の創造も人間の罪性(原罪)は、私たちの知覚によるものではなく、ただ信仰によってのみとらえることができます。つまり、自分うちにある深い罪性(原罪)は、なにかの罪を犯したからわかるのではなく、罪を犯しても犯さなくても、自分が罪人だと信じるところから認識されます。また同時に、自分の力によってはその罪性(原罪)に打ち勝つことは全く不可能であることも信じなければなりません。そのような信仰はすでに神の先行的恩寵によって与えられるものです。そこから「主よ。私をあわれんでください」という祈りが生まれてきます。
  • イエスが語られたたとえの中に「パリサイ人と取税人の祈り」(ルカ18:9~14)があります。義とされて帰った取税人の祈りは「遠く離れて立ち、目を天にむけようともせず、自分の胸をたたいて『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』」というものでした。この祈りこそ神の霊が先行的な恩寵をもって働いていたとしか言いようがありません。
  • 詩51篇の作者(ダビデ)も自分の全面的な弱さを自覚しています。その証拠は、「私のそむきの罪〔ハッタートחַטָּאַת(chatt’ath)〕をぬぐい去ってください。私のとが〔アーウォーンעָוֹן(`awon)〕を、私から全く洗い去り、私の罪〔ペシャפֶּשַׁע(pasha`)〕―から、私をきよめてください。」(1~2節)という祈りです。「ぬぐい去る」「洗い去る」「きよめる」という動詞の主語は神にあります。神の一方的な恩寵なしにはそれはあり得ないことを自覚した嘆願です。この自覚こそ「悔い改め」、あるいは「砕かれた心」と言えます。
  • しかしそれは作者の祈りの消極的な面です。10節で作者は「神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。」という積極的な祈りをしています。「造る」バーラーבָּרָא(bara’)という動詞は天地創造の「創造する」と同じ動詞です。人間はなにかの材料なしにはなにも造ることができませんが、神のバーラーはなんの材料もないところから造ることができます。つまり、「造る」バーラーבָּרָא(bara’)とは神の独占的用語です。作者は、天と地を造られた神以外に、自分を全く新しく再創造してくれる存在はいないことを確信して神に祈り求めているのです。

http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs51

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【詩篇50篇】o19  アサフの賛歌


psm50:1  神の神、主は語り、地を呼び寄せられた。日の上る所から沈む所まで。

psm50:2  麗しさの窮み、シオンから、神は光を放たれた。

psm50:3  われらの神は来て、黙ってはおられない。御前には食い尽くす火があり、その回りには激しいあらしがある。

psm50:4  神はご自分の民をさばくため、上なる天と、地とを呼び寄せられる。

psm50:5  「わたしの聖徒たちをわたしのところに集めよ。いけにえにより、わたしの契約を結んだ者たちを。」

psm50:6  天は神の義を告げ知らせる。まことに神こそは審判者である。セラ

psm50:7  「聞け。わが民よ。わたしは語ろう。イスラエルよ。わたしはあなたを戒めよう。わたしは神、あなたの神である。

psm50:8  いけにえのことで、あなたを責めるのではない。あなたの全焼のいけにえ は、いつも、わたしの前にある。

psm50:9  わたしは、あなたの家から、若い雄牛を取り上げはしない。あなたの囲いから、雄やぎをも。

psm50:10  森のすべての獣は、わたしのもの、千の丘の家畜らも。

psm50:11  わたしは、山の鳥も残らず知っている。野に群がるものもわたしのものだ。

psm50:12  わたしはたとい飢えても、あなたに告げない。世界とそれに満ちるものはわたしのものだから。

psm50:13  わたしが雄牛の肉を食べ、雄やぎの血を飲むだろうか。

psm50:14  感謝のいけにえ を神にささげよ。あなたの誓いをいと高き方に果たせ。

psm50:15 苦難の日 にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」

psm50:16  しかし、悪者に対して神は言われる。「何事か。おまえがわたしのおきてを語り、わたしの契約を口にのせるとは。

psm50:17  おまえは戒めを憎み、わたしのことばを自分のうしろに投げ捨てた。

psm50:18  おまえは盗人に会うと、これとくみし、姦通する者 と親しくする。

psm50:19  おまえの口は悪を放ち、おまえの舌は欺きを仕組んでいる。

psm50:20  おまえは座して、おのれの兄弟の悪口を言い、おのれの母の子をそしる。

psm50:21  こういうことをおまえはしてきたが、わたしは黙っていた。わたしがおまえと等しい者だとおまえは、思っていたのだ。わたしはおまえを責める。おまえの目の前でこれを並べ立てる。

psm50:22  神を忘れる者よ。さあ、このことをよくわきまえよ。さもないと、わたしはおまえを引き裂き、救い出す者もいなくなろう。

psm50:23  感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。その道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう。」

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おはようございます。

昨日は少し、失敗。出荷すべきものを荷造りしてそのまま放置。。

今日はお昼休みにそいつを持っていかなきゃ。



あ・・・折角やったのに。



まーそんなことはあっても

今日も共に詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm50:15 苦難の日 にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」








苦しい時の神頼み



そんな事は申し訳ない。だって、今まで神様の事を無視してたのに

今更・・・。

苦しい時だけ求めても・・・。





そんな事を感じたことはないだろうか?

この考えは立派な考えなのだろうか?



コんな考えは

素敵な心構えなのかもしれない。


でも、バイブルに記されている神様はそう思ってはないみたいだ。

『 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。 』Bible



なんか・・目の中に入れても痛くない存在だって感じがする。

『苦しい時だからこそ、僕に気付いて欲しい。

 僕はいつでも傍に居てあなたを助けたいんだから。』


なんだか、そんな声が聞こえてきそう。





苦しいと感じたら、直ぐに叫ぶといい。

神様は僕らが求めるのを待ってるんだから。




神様は待ってる。

僕らは神様の目の中に入れても痛くない大好きな存在なんだから。








心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.


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詩50篇「戒める」 עוּד ウード

〔カテゴリー育成〕

7節「聞け、わが民よ。わたしは語ろう。イスラエルよ。わたしはあなたを戒めよう。」

Keyword; 「戒める」 testify, warn, stand firm, sustain, 20:8/50:7/81:8/119:61/146:9/147:6

  • 「戒めよう」(新改訳、関根訳)と訳されたウードעוּד(`ud)は、旧約で44回、詩篇では6回使われている動詞です。他にもさまざまに訳されています。「告発する」(新共同訳)、「あかしをなす」(口語訳)、「とがめる」(フランシスコ会訳)、「警告する」(岩波訳)、「話しておきたいことがある」(LB訳)と言った具合です。
  • 神がご自身の民に対して、戒めたり、とがめたり、警告したりするのは、父権的な愛のゆえです。その証拠に、原語ウードעוּד(`ud)には、「堅く立たせる」(stand firm)とか、「支える」(sustain)と言った意味合いがあることを心に留めたいと思います。
  • 私たちには両親がいて、父と母がいてそれぞれ補いながら、自分たちの子どもを育てていきます。父には父なりの、母には母なりの役割があります。母性的役割は子ども包み込むことです。生後、お乳を飲ませ、常に手をかけるという基盤があって、はじめて人は独立した存在になれるようにプログラムされています。母親としての役割は、人が生きていく上で最も重要な基本的信頼という部分を担っています。主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。」(イザヤ40:11節)はその典型です。そしてその基盤の上に父親的な役割が必要となってきます。
  • 父権の役割とは、責任を持って、家族を統合させ、理念をかかげ、社会のルールを教えて、かじ取りをしていくことにあります。それゆえ、子どもに対してもある厳しさをもって養育します。子どもにいろいろなことを挑戦させ、冒険させ、困難なことにも立ち向かわせる訓練を与えて自立心を養います。こうした訓練がないと、子どもは自立していくことができません。詩50篇は、そうした神の父権的性格がよく表わされた詩篇です。
  • 私たちの神は『父なる神』と言われます。しかしその内実は父性と母性の双方を併せ持っている神だということです。母性を深く秘めながらも、父性の権威を持った方なのです。新約のヘブル人の手紙12章にはその父性的な面が強調されています。「霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして懲らしめるのです。」(10節)とあります。愛すべき子たちに対してなされる父のすべての訓練は、決して喜ばしいものではなく、むしろ、かえって悲しく思え、傷つけられたと感じるものです。しかし、あとになれば、それが自分の益となり、神の聖にあずかっている自分を見出すのです。そんな慈愛に満ちた父が私たちの神であってくださることに心から感謝できるものは幸いです。

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【詩篇49篇】o19  指揮者のために。コラの子たちの賛歌


psm49:1  すべての国々の民よ。これを聞け。世界に住むすべての者よ。耳を傾けよ。

psm49:2  低い者も、尊い者も、富む者も、貧しい者も、ともどもに。

psm49:3  私の口は知恵を語り、私の心は英知を告げる。

psm49:4  私はたとえに耳を傾け、立琴に合わせて私のなぞを解き明かそう。

psm49:5  どうして私は、わざわいの日に、恐れなければならないのか。私を取り囲んで中傷する者の悪意を。

psm49:6  おのれの財産に信頼する者どもや、豊かな富を誇る者どもを。

psm49:7  人は自分の兄弟をも買い戻すことはできない。自分の身のしろ金を神に払うことはできない。 

psm49:8  ――たましいの贖いしろは、高価であり、永久にあきらめなくてはならない。――

psm49:9  人はとこしえまでも生きながらえるであろうか。墓を見ないであろうか。

psm49:10  彼は見る。知恵のある者たちが死に、愚か者もまぬけ者もひとしく滅び、自分の財産を他人に残すのを。

psm49:11  彼らは、心の中で、彼らの家は永遠に続き、その住まいは代々にまで及ぶと思い、自分たちの土地に、自分たちの名をつける。

psm49:12  しかし人は、その栄華のうちにとどまれない。人は滅びうせる獣に等しい。

psm49:13  これが愚か者どもの道、彼らに従い、彼らの言うことを受け入れる者どもの道である。セラ

psm49:14  彼らは羊のようによみに定められ、死が彼らの羊飼いとなる。朝は、直ぐな者が彼らを支配する。彼らのかたちはなくなり、よみがその住む所となる。

psm49:15  しかし神は私のたましいをよみの手から買い戻される。神が私を受け入れてくださるからだ。セラ

psm49:16  恐れるな 。人が富を得ても、その人の家の栄誉が増し加わっても。

psm49:17  人は、死ぬとき 、何一つ持って行くことができず、その栄誉も彼に従って下っては行かないのだ。

psm49:18  彼が生きている間、自分を祝福できても、また、あなたが幸いな暮らし をしているために、人々があなたをほめたたえても。

psm49:19  あなたは、自分の先祖の世代に行き、彼らは決して光を見ないであろう。

psm49:20  人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ 、滅びうせる獣に等しい。

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おはようございます。

昨日は出荷ギリギリまで、やはり身体は疲れるモンだ。

疲れていても新しい一日はやってくる。

でも、間違わないでいたいですね。

今日という日は昨日の延長ではなく、神様が与えられた新しい一日だってコト。


では早速共に詩篇を。

今日僕の心に最初に留まったのはこの言葉。

psm49:7  人は自分の兄弟をも買い戻すことはできない。自分の身のしろ金を神に払うことはできない。 

psm49:8  ――たましいの贖いしろは、高価であり、永久にあきらめなくてはならない。――






人は撒いた種は刈り取るモノだ。

しかし、

バイブルには「 罪(ズレ) 」の報酬は「死」としるされていて、人は其処から逃れることはできない。

(人は神の創造の基準からサタンの囁きに従ってズレた時に、サタンを滅ぼす為に用意された死を共に受けることになる。)

何故なら、その支払いは命をもって支払わなきゃならないから。


でも、 誰かが代わりに支払ってくれたら・・・。

psm49:15  しかし神は私のたましいをよみの手から買い戻される。神が私を受け入れてくださるからだ。セラ




僕らは、買い戻される。

サタンと共に滅ぼされたくない神様の僕らへの熱い思いによって・・。


買い戻す為の支払いは、自分の子であるジーザスの命によって。




だから、こう云ってる。

psm49:20  人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ 、滅びうせる獣に等しい。




人には素敵な「成功」なんてイメージを憧れて

そんな枠に自らが入った時でも、もしこの事実を知っていなければ「 獣 」に等しいと語られる。



僕らは何を求めてるだろうか?




真実を求めてるのか?


それとも「 成功 」?







jhn8:32  そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。

glt5:13  兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。





僕らは自由を与えられる為に、今こうしてバイブルを通して神様の声を聞いてる。

実は成功といわれるものには、本当の自由・喜びは無いことを知っている。

でも其処にしか、人は生きる目的を見出すことが出来ない。





真理を知ることが本当の喜びに繋がるとしたら・・・

本当に素敵ですね。







心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.


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詩49篇「買い戻す」 פָּדָה パーダー

〔カテゴリー救出〕

15節「しかし神は、私のいのちをよみの手から買い戻される。
神が受け入れてくださるからだ。」(新改訳)
15節「まことにヤハウェはわが魂を贖い、陰府の手からわたしを救われる。」(関根訳)

Keyword; 「買い戻す、贖う」 redeem, deliver, rescue, buy back,
25:22/26:11/31:5/34:22/44:26/49:7, 7, 15/55:18/69:18/71:23/78:42/119:134/130:8

  • 詩49篇には「買い戻す、贖う」と訳されるパーダーפָּדָה(padah)という動詞が3回(7節に2回、15節に1回)使われています。旧約では60回、詩篇では14回使われています。
  • 詩49篇の作者は4節で「私のなぞを解き明かそう」と述べています。「詩篇にはもうひとつ「昔からのなぞを物語ろう」(78:2)というのがあります。この「昔からのなぞ」とは、なんども繰り返して罪を犯す神の民に対して、見切りをつけることなく、神は彼らを赦し、滅ぼすことをされなかったという「なぞ」です。しかし、前者(49:4)の「なぞ」は、自分のたましいの身代金を払うことのできないゆえに、よみに定められている人間を神は身代金を払ってそこから買い戻されるという「なぞ」です。
  • 人間の普遍的な問題である「死」―この詩篇では「死」を「よみ(陰府)の手」としていますー、どんな人にも百パーセント確実に訪れる死の問題に対して人間は全く無力なのです。医学の進歩は死を一時的に延期できます。しかし、死そのものを解決することができません。しかし神は、私のいのちをよみの手から買い戻すことのできる方です。「よみ」(シェオールשְׁאוֹל)とは、神との交わりが絶たれた場所です。
  • イエスはこんな話をされました。「人はたとい全世界を手に入れたとしても、まことのいのちを損じたなら、何の益がありましょう。そのいのちを買い戻すためには、人々はいったい何を差し出せばよいでしょう。」(マタイ16:26) いのちはあまりにも高価であるゆえに、それを損じたなら永久に取り戻すことをあきらめるしかありません。しかし神ならば、いのち(「たましい」ーネフェシュנֶפֶשׁ)を買い戻すことができます。これは神にしかできないことです。神はイエス・キリストの十字架と復活の出来事によってそれを実現してくださいました。その意味で、詩49篇は預言的な詩篇といえます。
  • 「一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル9:27)人間を、よみの支配から買い戻す(贖う)その動機は、詩49篇15にあるように「神が受け入れてくださった(ラーカーלָקָח)から」です。死に対する神の備えを得ることが本当の悟りです。その「悟りがなければ」、人はどんな栄華の中にあっても、滅びうせる獣に等しいのです。そのような者に対してイエスは「愚か者」と一喝されました(ルカ12:16~21)。

http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs49

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【詩篇48篇】o19  歌。コラの子たちの賛歌


psm48:1  主は大いなる方。大いにほめたたえらるべき方。その聖なる山 、われらの神の都において。

psm48:2  高嶺の麗しさは、全地の喜び。北の端なるシオンの山 は大王の都。

psm48:3  神は、その宮殿で、ご自身をやぐらとして示された。

psm48:4  見よ。王たちは相つどい、ともどもにそこを通り過ぎた。

psm48:5  彼らは、見るとたちまち驚き、おじ惑って急いで逃げた。

psm48:6  その場で恐怖が彼らを捕えた。産婦のような苦痛。

psm48:7  あなたは東風でタルシシュ の船を打ち砕かれる。

psm48:8  私たちは、聞いたとおりを、そのまま見た。万軍の主の都、われらの神の都で。神は都を、とこしえに堅く建てられる。セラ

psm48:9  神よ。私たちは、あなたの宮の中で、あなたの恵みを思い巡らしました。

psm48:10  神よ。あなたの誉れはあなたの御名と同じく、地の果てにまで及んでいます。あなたの右の手は義に満ちています。

psm48:11  あなたのさばきがあるために、シオンの山が喜び、ユダの娘が楽しむようにしてください。

psm48:12  シオンを巡り、その回りを歩け。そのやぐらを数えよ。

psm48:13  その城壁に心を留めよ。その宮殿を巡り歩け。後の時代に語り伝えるために。

psm48:14 この方こそまさしく神。世々限りなくわれらの神であられる。神は私たちをとこしえに導かれる

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おはようございます。

昨日は仕事も遅く・・・今日は忙しさが半端ない。


しっかりとキバッテまいります。



では、その前に共に詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm48:14 この方こそまさしく神。世々限りなくわれらの神であられる。神は私たちをとこしえに導かれる







どんな状況であっても大丈夫。



何の問題もない。





色んな事が今日も起こる。

でも、それを恐れる必要はない。


だって、神様は必要以外の事をゆるして僕らによこす事はない筈だから。




だから

僕らは今日も神様の実際を言葉にして発していこう。

今の問題の背後でいつも見守り、素敵な将来へ導かれる神様は変わることが無いから。




大丈夫。





心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.




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詩48篇「堅く建てる」 כּוּן クーン

〔カテゴリー統治〕

8節「万軍の主の都、われらの神の都で。神は都を、とこしえに堅く建てられる。」

Keyword; 「堅く建てる」 establish, 旧約216回、詩篇52回

  • 詩48篇は「シオン賛歌」(他に、50, 87, 99, 132~134, 137, 146篇)の中の代表的な詩篇です。シオンは神にとってきわめて特別な町です。なぜなら、そこは神ご自身が選び、ご自身の名を地上においた唯一の場所だからです。シオンはエルサレムの別名です。またシオンは、「聖なる山」(1節)、「大王の都」(2節) 、「神の都」(1, 8節)、「万軍の主の都」(8節)、「都」(8節)、「宮」(9節)、「宮殿」(3,13節)とも言い換えられています。そこは、かつてダビデがイスラエルの王となった後に、神の臨在の象徴である契約の箱を安置する幕屋を設置した場所です。神ご自身が「全地の喜び」「麗しさの窮み」として選ばれた場所です。
  • 神はシオンを祝福の基として、そこから全世界に祝福を注がれます。やがて、シオンが神の都として全世界の中心として再建されるべき時が来ます。1948年のイスラエルの建国はその歴史的な証であり、神の救いのご計画の最終段階に入ったことを指し示す出来事です。シオンが再建される時、すべての国々が神の王国に包み込まれることが預言されています。その意味において、詩48篇8節に「私たちは、聞いたとおりを、そのまま見た。万軍の主の都、われらの神の都で。神は都を、とこしえに堅く建てられる。」とあるのは、きわめて預言的といえます。
  • 「堅く建てられる」と訳されたクーンכּוּן(kun)は礼拝用語としても使われています。その場合には「私の心はゆるぎません、定まりました」というふうに、堅固、確固とした神への誓いのイメージですが、恩寵用語として使われる場合には、神がしっかりと守り、神が堅く建てて確立するといったイメージです。シオン賛歌の一つ、詩篇87篇5節にも48篇8節と同様、「いと高き方ご自身が、シオンを堅くお建てになる」とあります。
  • 「シオン賛歌」の詩篇は、神にあるすべてのもののルーツを示唆する意味で重要です。というのは、神の選びの民であるユダヤ人とすべての異邦の国のクリスチャン(ちなみに、聖書ではユダヤ人と異邦人という二つのことばで全世界の民を表現しています)たちの霊的存在のルーツと密接な関係を持っています。
  • シオン、エルサレムは神の救いの計画において中心的な場所であり、世界の中でも最も重要な場所です。なぜなら、キリストは「王の王、主の主」として再臨されるからです。
    キリストの再臨後には、世界中の神の民が主を礼拝するためにエルサレムへと上り、共に主を祝うようになります。ですから、12, 13節ではシオンを訪れた者に対して、そのシオンのもつ歴史的、あるいは救済的意味を後の時代に語り伝えよと命じています。

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【詩篇47篇】o19 指揮者のために。コラの子たちの賛歌

psm47:1 すべての国々の民よ。手をたたけ。喜びの声をあげて神に叫べ。
psm47:2 まことに、いと高き方主は、恐れられる方。全地の大いなる王。
psm47:3 国々の民を私たちのもとに、国民を私たちの足もとに従わせる。
psm47:4 主は、私たちのためにお選びになる。私たちの受け継ぐ地を。主の愛するヤコブの誉れを。セラ
psm47:5 神は喜びの叫びの中を、主は角笛の音の中を、上って行かれた。
psm47:6 神にほめ歌を歌え。ほめ歌を歌え。われらの王にほめ歌を歌え。ほめ歌を歌え。
psm47:7 まことに神は全地の王。巧みな歌でほめ歌を歌え。
psm47:8 神は国々を統べ治めておられる。神はその聖なる王座に着いておられる。
psm47:9 国々の民の尊き者たちは、アブラハムの神の民として集められた。
psm47:10 まことに、地の盾は神のもの。神は大いにあがめられる方。
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おはようございます。
なんとも、子供達が学校が始まって少しペースが違う。
僕も子供と一緒に寝て、4時におきて・・・二度寝。


なんとも。
では早速、今日も共に詩篇を。
僕の心に留まったのは、こんな言葉。
psm47:6 神にほめ歌を歌え。ほめ歌を歌え。われらの王にほめ歌を歌え。ほめ歌を歌え。





psm47:8 神は国々を統べ治めておられる。神はその聖なる王座に着いておられる。
この世はサタンが支配している。
でも、その支配を超えて、神様は支配されていると此処で語られている。

だから、それを喜ぼうとこんな言葉を発せられた。
psm47:6 神にほめ歌を歌え。ほめ歌を歌え。われらの王にほめ歌を歌え。ほめ歌を歌え。



何故、ほめ歌を歌うんだろう?
喜ぶから・・・?


そうかも知れない。
でも、それ以外にも隠された目的がある。


神様の命令は
その背後にトビッキリの愛が隠されている。
勿論あの十戒もそう。


また少しづつお伝えしますね。
今日は少し時間がないので、別の機会に。
でも、神様への賛美は僕らの力になる。


だから、
詩篇の作者と共に、今日も神様を褒め称えていきましょうね。




心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.



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詩47篇「統べ治める」 מָלַך マーラフ 〔カテゴリー統治〕
8節「神は国々を統べ治めておられる。神はその聖なる王座に着いておられる。」(新改訳)
8節「ヤーウェは多くの民族の上に王となった。ヤーウェはその聖なる御座に座した。」
(関根訳)
Keyword; 「治める、王となる」 reign, reign as king, made king, rule,
47:8/93:1/96:10/97:1/99:1/146:10
「統べ治める」と訳されたマーラフמָלַך(malakh)は、「王として君臨される」(新共同訳)、とも訳されています。原文では完了形が使われているので、「王となられた」(岩波訳)、「王となった」(関根訳)とも訳されています。ヘブル語では、将来のことであっても確実にそうなるということがはっきりとしている場合には完了形が使われています。昔も、今も、そして将来も神の統治は変わることがなく、やがては確実に世界が見える形で神の統治が表わされます。
マーラフמָלַך(malakh)は、旧約で347回ですが、詩篇では6回と少ないのは意外です。しかし、神が王として治めることは旧約ではきわめて重要な思想です。なかでも、詩99篇は神をイスラエルの王として賛美する6つの詩篇において最高峰と言えます、なぜなら、それは「主は王である」(1節)からはじまって「われらの神、主は聖である」(9節)という信仰告白にまで達しているからです。
神をイスラエルの王と同時に全世界の王とする思想は、主がさばくために来られて、万民のあちに義の支配を建てられ、そして万民がイスラエルとともに神を礼拝するという希望を述べているからです。まさに主を全世界の王として賛美することは終末論的希望を告白宣言することでもあります。その意味で、「神は国々を統べ治めておられる」「ヤーウェは多くの民族の上に王となった。」とは、神を信じるすべての人々の心をあわせる偉大な賛美と言えます。
上記のように考えるならば、詩47篇1, 2節の呼びかけは、将来の輝ける希望への招きとして聞こえてきます。その呼びかけに目を留めよう。
「すべての国々の民よ。手をたたけ。喜びの声をあげて神に叫べ。
まことに、いち高き方主は、恐れられる方。全地の大いなる王。」
ちなみに、マーラフמָלַך(malakh)の名詞形の「王」はメレクמֶלֶך(melekh)で、旧約で2523回使われています(もちろんこの数の中には神以外の王も含まれています)。同じく名詞形の「王国」はマルフートמַלְכוּת(malkhut)、91回。旧約聖書に登場する人物で、語幹の「メム」(מ)、「ラメド」(ל)、「カフ」(ך)―を持っているのは、シャレムの王であり祭司であった「メルキゼデク」、ダビデの妻となった「アビメレク」、ダビデを助けた祭司の「アヒメレク」、預言者の「マラキ」などがあげられます。
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